この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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今回の話では原作設定について、独自解釈を述べています。




Chapter38「やって来たもの」

 IS学園にシャルルたちがやって来てから四日後の金曜日。

 

 夕焼けがまぶしい第八アリーナでは、今日も鬼頭が年下の先輩たちとISレースの訓練に励んでいた。訓練の内容は、三日前に楯無から呈示されたキープ・タイム・アタックだ。ここ数日は毎日、放課後になるや誰かと一緒に飛んでいる。

 

 初日にコーチ役を買って出てくれた四人は、その後も暇を見つけては鬼頭の訓練に付き合ってくれた。四人全員が揃っていたのは初日のみで、一昨日は生徒会の仕事のために楯無が。昨日は自分たちの訓練にも専念したいからと、ダリルとフォルテの二人が不在。今日は楯無とフォルテの二人が所用により欠席している。なんでも、月末の学年別トーナメントに向けて、二年生の生徒全員を対象に大切な説明会があるのだとか。

 

「たぶん、オレも二年生のときに受けたやつだ」

 

 一セット十周を二本終えたところで挟んだ小休止の時間に、ラウラと交代で偶数回の伴走者を務めてくれるダリルが言った。愛機の第三世代機を量子格納領域へとしまい、スポーツドリンクのストローを咥えて、こく、と喉を鳴らす。額に浮き出た玉の汗を手首で拭うと、彼女は下の句を口にした。

 

「要するに、就職活動に向けての心構えの指導というか、マナー講習というか、学年別トーナメントでは、こういう戦い方は避けろ、みたいな話をするんだよ。ほら、二年生からは、軍や企業からのスカウトが解禁されるからな」

 

 生徒たちのほとんどが卒業後の進路にIS関連企業への就職を選ぶIS学園では、就職活動についての制限が、学年ごとに、段階的に解禁されるシステムを採用している。たとえば一年生のうちは、自主的な情報収集のみが許され、自分から企業へ売り込みをかけてはならない。また企業側も、露骨な勧誘をしてはならない、というふうに定められている。これらの規定は、知識や経験に乏しい一年生たちが、いわゆる悪い大人たちからの誘惑に翻弄されないようにするための措置である。

 

 全員が厳しい入学試験をクリアした才女とはいえ、ほんの数ヶ月前まで中学生だった娘たちだ。思春期の只中にあり、その精神は未熟さを抱えている場合がほとんど。狡猾な大人たちは、容赦なくそこを衝いてくる。自分はIS学園に入学するようなエリートである、という自負心をくすぐる甘い言葉に良い気分になっているうちに、いつの間にか抜き差しならない状況に追い込まれていた、などの事態を予防する必要があった。

 

 ISが誕生してまだたったの十年だ。企業の中にはベンチャーも多く、事業拡大のため、優秀な人材を欲している。人を採るためならどんな汚い手段も使う。そういった姿勢の企業は思いのほか多いですと、以前真耶から聞かされた際、生徒であり、保護者の立場でもある鬼頭は渋い顔を浮かべたものだ。

 

 二年生になると、生徒側は会社説明会やインターンシップへの参加が。企業側はスカウト活動が解禁される。ただしこれも、生徒側は一年間に何社まで、企業側は何名まで、といった制限があり、お互いに過剰な売り込み合戦を防ぐための措置が取られている。

 

 勧誘可能な人数が制限されているとあって、企業側の採用活動の基本姿勢は慎重にならざるをえない。高いコストを費やして採用した相手が、いざ使ってみたらとんだ期待はずれだった、という失敗を警戒し、スカウトマンたちには、積極的な声がけを控えるよう厳命している場合がほとんどだ。スカウトマンたちは、これだ! と思う人材を見極めるまでは、静かに目を光らせているよう求められている。

 

 対する生徒側も、二年生のうちは会社訪問などの能動的な就職活動――数撃ちゃ当たるの戦法――が取りづらい。よって、スカウトマンの目に留まりやすいよう立ち振る舞うことが、内定を取得する上での基本戦略となる。数少ないアピールの機会に十全の力を披露できるよう、普段から力を蓄えておく、という受動的な戦い方が求められる。

 

 学年別トーナメントのような学園外の人間にも解放されている催事は、生徒側と企業側の戦略が上手く噛み合う貴重な機会だ。勝ち星の数という非常に分かりやすい指標で、生徒側はアピールを。企業側は評定を下すことが出来る。

 

「問題は、そのアピールのやり方さ。学年別トーナメントで良い成績を残せれば、それだけスカウトマンの目に留まりやすくなる。だから腕っ節は勿論大事だけど、スカウトマンだって人間だ。躾のなっていない奴を好んで採ろうとは思わない」

 

 スカウトマンたちの関心を買いたい一心から、試合中に、あえて目立つ戦法を採択する者は毎年一定数いるとのことだ。それが戦略的に効果の高い戦法であるならまだしも、衆目を集めやすいだけで、何の合理性もないどころか危険を伴う行為だった場合、スカウトマンたちの心証は良くなるどころか、失望されることになってしまう。

 

「相手は人材採用のプロだ。アピールのやり方を間違えちゃいけない。アピールをするなら、よく考えてからやれ。そういったことを、過去の事例を交えて説明するんだよ」

 

「ははあ、なるほど」

 

 ダリルの説明を受けて、鬼頭は興味深そうに頷いた。

 

 IS関連企業と聞いて軍需産業を連想し、その就職活動というとおどろおどろしい雰囲気を想像していたが、そのあたりは一般の高校や大学が行う就職指導と変わらないのだな、と感心する。

 

「学年別トーナメントには、企業だけでなく、各国の軍隊からもスカウトマンが派遣されます」

 

 こちらもISスーツ姿のラウラが言った。愛機の『シュヴァルツェア・レーゲン』が大型機のため、ISを纏っているときは薄かった、小柄、という印象が、このいでたちでは強く感じる。背丈といい、華奢な体つきといい、とてもじゃないが、軍人とは思えない。

 

「軍の求める人材と、企業の求める人材は違います。そういった、相手ごとに有効なアピールのやり方の違いも、説明されるのではないでしょうか?」

 

「そうだな。あとは企業でも、ISの機体や装備の開発能力を持っているところなんかは、勝ち星の数よりも、試合の内容に注目する場合が多い、とかな」

 

「ははあ。たとえば、どんな試合内容なら高い評価を得られるのでしょう?」

 

「機体の性能を引き出しつつ、機体を大切に扱っているかどうか、とか。企業によっては、新型機や新装備のテストパイロットを求めているところもある。そういう要求を持っている会社のスカウトマンの目の前で機体を雑に扱うようじゃ、良い印象は得られない、ってさ」

 

「たしかに、そうですね」

 

 自身もロボットの開発・製造能力を持つメーカーに務めている鬼頭は、感慨深そうに呟いた。

 

「私も自分の作ったパワードスーツを預けるのなら、そういう人物に託したい」

 

「そういえば、ヘア・キトーはすでに企業に帰属しているのでしたね?」

 

 ラウラの問いかけに、鬼頭は首肯した。

 

「報道によれば、ヘア・キトーがISを動かせることが分かる以前から勤務している会社だとか」

 

「ええ。その通りです」

 

「よく考えてみれば、不思議な話だよな、それ」

 

 年上の鬼頭相手にも配慮に乏しい日本語遣いで、ダリルが呟いた。

 

「男性操縦者っていう、あんたが置かれている立場のことを考えると、ISの企業でもない会社に引き続き勤務しているっていうのは、どうも納得できねえ」

 

「たしかに」

 

 ダリルの言葉に、ラウラも同意を示した。

 

「日本政府の立場からすれば、何にも増して優先したいのは男性操縦者の身の安全の確保のはず。そのためには、ヘア・キトーに政府の息のかかった組織に所属してもらうのが一番だと思います」

 

「政府から、その、いまの会社を辞めてこっちに勤めるように、みたいな圧力とかなかったのかよ?」

 

 日本語が拙いダリルも、さすがに気まずそうにしながら訊ねた。対して、鬼頭の中でそのことはすでに消化済みの事案だ。思い出す度に胸が痛むという時期はとうに過ぎている。彼は完爾と微笑みながら応じた。

 

「そこは社長が断ってくれました。おかげでいまも、サラリーマンをやれています」

 

「それって、政府の意向に逆らったってことだろ? あんたんところの社長さん、ちょっと強気すぎないか?」

 

「それだけ、ヘア・キトーが手放しがたい人材だったということでは? 政府と敵対するよりも、そちらの方がメリットが大きいと、経営判断を下したのではないでしょうか?」

 

「そう思ってくれているなら、嬉しいですがね」

 

 苦笑しながら呟いたところで、中指に嵌めた金色の指輪がアラームを鳴らした。十五分間と定めた小休止が終了するまで、残り五分と知らせる音だ。休憩用のベンチから立ち上がると、運動の再開に備えて、ぐるぐる、と肩を回す。

 

「お二人は、今日はこのままお休みでしょうか?」

 

「たぶんな」

 

 こちらも真っ直ぐに伸ばした片方の腕を、肩甲骨を引っ張るようにして体に引き寄せるストレッチをしながらダリルが応じる。

 

「二年生全員を一つの教室に集めての説明会だったはずだ。時間はかかる」

 

「なるほど。では、彼女たちには後で連絡することにしましょう」

 

「連絡?」

 

「明日の訓練のことです。用事があって、顔を出せなくなりました」

 

「おいおい、主役が不在とか。誰のための訓練だよ」

 

「いやあ、返す言葉もない」

 

 呆れた口調のダリルに、鬼頭は苦笑した。

 

「それで、用事って?」

 

「大切な商談が一つと、その後に打ち合わせが一つ控えておりまして」

 

「商談?」

 

「《トール》ですよ」

 

 鬼頭の言葉に、二人は彼が開発した強力なレーザー・ピストルの姿を思い浮かべた。

 

「先頃、あれをIS学園が買い取ってくれることが正式に決まりましてね。ただ、二挺だけでは、生徒たちからの貸出申請の数に対して供給が追いつかないと言われてしまいまして」

 

「まあなあ」

 

 ダリルは自身も貸出の申請書を提出しに教員のもとを訪ねたときのことを思い出して苦笑した。IS学園では現在、《トール》の試し撃ちがちょっとしたブームになっている。鬼頭陽子対セシリア・オルコット。実質《トール》のお披露目会となったあの試合を見ていたほとんど者は、初心者の陽子が代表候補生で、しかも専用機持ちのセシリアと互角に戦えたのは、あのレーザー・ピストルの性能のおかげと考えていた。自分たちもそれにあやかりたいと思った生徒たちからの貸出申請が殺到し、熾烈な争奪戦が生じている。ダリル自身は試合から一週間が経った頃に、驚異のレーザー・ピストルの性能を自分も試してみたいとのんびりした気持ちで申請書を出しに行ったら、なんと五十人待ちと伝えられた。

 

「それで再設計をした上での増産を頼まれたんです」

 

「増産は分かるけど、再設計?」

 

「《トール》は究極、ハンドメイド品ですから。私の、くせのようなものが強いんですよ」

 

 鬼頭は完爾と微笑んだ。

 

「だから、より作りやすく、より扱いやすく、誰にでも整備ができて、その上で高性能化を図る、というふうにデザインしました」

 

 生徒たちが頻繁に借りてくれるおかげで、運用データは日ごと積み重なっている。それらに目を通しているうちに、設計図面を引いた際には見つけられなかった欠陥や、それに対する改善策が見えてきた。

 

 改良点は主に四つだ。まず、構成部品とその点数の見直し。これにより、生産性と整備性、信頼性の向上につなげることができた。次に、出力調節機能の追加。従前、《トール》のレーザー出力は二・六メガワットで固定だったが、これを自由に調節出来るようにした。

 

「これまでの運用データから、二・六メガワットはISバトルにおいて過剰出力と判断しました。シールド・バリアーにダメージを与えるだけなら、これほどの威力はいりませんし、この出力で撃ち続けては、バッテリーがあっという間に干上がってしまいます。

 

 機能として、最大出力でレーザーを発射する性能は残しておくにしても、もっと使いやすい出力に調節出来ると便利だな、と思いまして」

 

 これと併せて、バッテリーも大容量化に挑んだ。ISの量子格納技術を研究する過程で見出した遼子化技術は、使うほどに洗練されていき、サイズの変更なしに三十パーセントの容量増大を達成することが出来た。

 

「三十パーセント増ってことは、いままでの《トール》が最大出力の二・六メガワットで十六秒間の発射が出来たから……」

 

「同じ出力では、約二一秒の連続照射が可能、ということになりますね。出力を二メガワットに絞れば、単純計算で二七秒、一・五メガワットなら三六秒になります」

 

 ラウラが素早く計算し、感心した様子で唸った。実際の運用では予備のバッテリーも持つことになるだろうから、使い勝手はかなり向上したと評せる。

 

「最後の改良点は、照準装置です。《トール》はもともと、陽子のために作った銃です。照準器の標準設定は、あの子の射撃の癖に合せて調整してありますので、それをもっと万人向けというか、マイルドにしてみました」

 

 日替わりで色々な生徒が銃を握ってくれたおかげで、参考となるサンプル・データは質的にも、量的にも、満足いくものが得られた。数十人からの射撃データの平均値・中央値に寄せる形で調整した物を、今度は陽子だけでなく、箒やセシリアにも試し撃ちしてもらう。そのデータをもとにさらなる調整を加え、また試し撃ち。そのデータをもとにさらに……と繰り返し、なかなかの自信作が出来たと自負している。

 

「ISバトル用のレギュレーション・チェックも無事にクリアしたので、暇を見つけてはせこせこと増産に努めていたんですよ。それがようやく数が揃い、明日納品することになったんです」

 

「おっ、やっとか」

 

 ダリルはニヤリと笑った。大人の色気と少女の愛らしさが同棲する、魅力的な笑みだ。

 

「これで順番待ちに悩まされなくてすむぜ」

 

「長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません」

 

「ヘア・キトー」

 

 諧謔めいた口調で応じると、ラウラが名前を呼んだ。

 

「商談は分かりましたが、その後の、打ち合わせというのは?」

 

「フラウ・ボーデヴィッヒが転校してくる以前のことです。とある週刊雑誌に、前の妻とのことについて、色々と、好き勝手に書かれてしまいましてね」

 

 二人の目線を意識して、鬼頭は微笑を努めた。

 

「それに対する反撃ですよ。本土からこちらに、馴染みの弁護士の方を呼びました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter38「やって来たもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園に転校生たちがやって来て六日目の土曜日。

 

 IS学園では、土曜日はいわゆる半ドン制を採用しており、生徒たちは、午前中に理論学習をすませると、後は完全な自由時間となる。寮に戻って休むもよし。モノレールに乗って学園島の外へ遊びに行くもよし。しかし、ほとんどの場合、生徒たちは学舎内に残ることが多かった。というのも、土曜日の午後は秘匿実験場の第八アリーナを除く全アリーナが開放されるため、場所を選ばなければのびのびとISの練習が出来るからだ。勿論、訓練機の総数は限られているから、全員が練習に参加出来るわけではないが、貸出申請の抽選に落ちた者たちも、整備という形でISに触れることが出来る。このためIS学園の土曜日の放課後は、平日にも増して活気づいているのが常だった。

 

「なんとも落ち着かない気分ですよ」

 

 乙女たちの黄色い声で賑やかな校舎の廊下を、二人の男が歩いていた。一人は、内閣情報調査室の高品だ。先のゴールデンウィークにて、名古屋へと帰郷する鬼頭の警護役を務めたうちの一人。もう一人の男より少し前を歩き、彼が校舎内を迷い歩かぬよう案内している。

 

 その高品の背中を追いかけるのは、金縁眼鏡をかけた白髪の男だ。美しい銀髪の持ち主だが、顔はまだ若々しく、せいぜい四十半ばを過ぎたあたりにしか見えない。いかにも頭の切れそうな、高い知性を感じさせる顔つきをしていた。かっちりと着こなしたグレイのスーツの左襟に、金メッキが剥げて地銀の見える弁護士バッジが輝いている。

 

 先の呟きは、この紳士の唇からこぼれ落ちた。

 

 堂島和夫、五五歳。名古屋市東区に自身の事務所を構える弁護士だ。八年前、鬼頭が晶子との離婚の条件で揉めた際に、父からの紹介で頼った人物。そのときは当時勢力を増しつつあった女権団体の介入により、鬼頭ともども屈辱の味を舐めることになったが、それから四年後の陽子の親権を取り戻すための戦いでは、その手腕を存分に振るってみせた。四年越しに挑んだ第二ラウンドに彼は見事勝利し、鬼頭からの信頼は絶対のものとなった。

 

 今年の四月に週刊『ゲンダイ』が捏造記事を掲載した際にも、鬼頭は堂島を頼り、名誉毀損の訴えを起こす準備を依頼していた。今日は版元の談講社をはじめとする関係各所に内容証明郵便を送る前の、最後の打ち合わせの日だ。出来れば直接会って話がしたい、と、意見を一致させた二人は、鬼頭がIS学園の職員会にはたらきかけることで、堂島の学園島への入島許可を求めた。

 

 はたして、立ち入りの許可はすぐに下りた。その際、発行された許可証の同行者の欄に、内調の高品の名前が連なることになったのは、勿論、日本政府からの介入があった結果だ。

 

 暗部組織『更識』からの連絡で、IS学園の職員が堂島弁護士と接触を図っていることを知った日本政府は、こちらも直ちに行動を開始した。鬼頭に対し、堂島弁護士の身の安全は自分たちが保障する旨を宣言するとともに、学園島への移動手段の用意を申し出たのだ。

 

『世間には男性操縦者の存在を良く思っていない者たちもいます。彼ら、彼女らが、堂島弁護士があなたの依頼を受けたことを知って、過激な行動をとらないとも限りません。少なくともこの係争問題が落ち着くまでの間は、堂島弁護士の身辺に、警護の者をつけたほうがよろしいでしょう。学園への移動も、モノレールや船などの一般ルートではなく、誰にも知られることがないよう、政府関係者にしか使えないような特別なルートを使うべきです』

 

 男性操縦者の歓心を買うための、分かりやすいアピールだった。鬼頭は気づいていないが、ここ最近の訓練の様子は、楯無の口から日本政府へと伝えられている。イギリスに加えてドイツやアメリカまでもが、鬼頭智之の獲得に本格的に乗り出したと知った彼らは、今一度自分たちの存在感を内外に示さなければ、と鼻息を荒くした。

 

 日本政府からのこうした申し出に対し、二人は相談の末首肯した。政府の顔を立てた場合と、そうしなかった場合のメリット・デメリットを十分に比較検討した上での決断だ。とりわけ、呈示された移動手段は彼らの目にたいへん魅力的に映じた。快速ヘリによる一時間ちょっとの空の旅。堂島が抱えている案件は鬼頭一人だけではないから、移動時間が節約できるのはありがたかった。

 

「落ち着かない、と、おっしゃりますと?」

 

 高品は前を向いたまま聞き返した。こちらもネイビーのスーツに袖を通しているが、ジャケットの内側にはひそかにショルダーホルスターを吊るしている。堂島に危害を加えそうな気配があれば、即座に拳銃を引き抜ける状態だ。首を振らずに、眼球の動きだけで広い廊下をくまなく警戒している。

 

「うら若いお嬢さんたちの声が、そこら中から聞こえてきてやかましいじゃないですか。これだけなら、そこらにある普通の女学校と何ら変わらないのに、」

 

 堂島は四年前にクラスメイトからのいじめ被害を訴えた女子中学生を弁護したときのことを思い出しながら言った。クライアントの少女が通う学校は私立の女子校で、事実関係の確認のため足を運ぶその度に、思春期の盛りを迎えた少女たちのパワフルさに圧倒されたものだ。とにかくよく動き、よくしゃべり、よく笑う。校舎内ではどこにいても、彼女たちのかしましい声が聞こえないときはなかった。

 

 IS学園も、騒々しさでは一般の女子校と大差ない。ただ、その喧噪には、決定的に異なる点もある。

 

「よくよく耳を澄ませてみれば、やれ起爆信管がどうの、PICがどうの……と、強面な単語が当たり前のように飛び交っている。ここが軍事施設だということを思い知らされます。いま視界に映じていないだけで、私がいまいるこの場所には、強力な兵器の存在がある。もしかすると、私が歩いているこの廊下のすぐ真下に秘密の地下室などがあって、実はすぐそばにあるのかもしれない。それを思うと、恐ろしさで冷や汗が止まりませんよ」

 

 事前に読み込んだ入学案内用のパンフレットによれば、IS学園には三十機以上のISが常時稼働状態で待機しているとか。しかもこの数字は、学園が所有するISに限り、生徒たちが個人的に保有しているISの機数はこれに含まれていない。実際には四~五十機のISがここに集結していると考えられた。世界中の軍隊を同時に相手取れる戦力だ。そんなものが、自分のすぐかたわらにあるかと思うと、

 

「緊張で、とても落ち着いてなんていられません」

 

「なるほど」

 

「高品さんは、この島には?」

 

「仕事で何度か」

 

 取り急ぎ前方に脅威がないことを認めた高品は、後方の様子の確認がてら、一瞬だけ堂島を振り返る。

 

「学園の運営予算の大部分は、日本国からの税金によって賄われているのは、堂島先生もご承知でしょう。国民の血税が正しく使われているかどうか。学園の運営に問題はないか。その監査を年に四回、総務省と防衛省、そして財務省とで合同チームを組んで行っているんです」

 

 高品はまた前を向き、堂島の先導を続けた。

 

「今回、私が堂島先生に同行しているのは、」

 

「はい」

 

「勿論、先生の護送を請け負ったからに他なりませんが、実は、もう一つ目的があってのことです」

 

「それは、いまおっしゃられた、監査業務に関わりのあることですか?」

 

「はい」

 

 前を向いたまま高品は首肯した。

 

「まさにその監査業務の一環です。今日、IS学園は鬼頭智之氏を相手に、大きな買い物をしようとしていますから」

 

 学園がその年に何の装備を何セット購入するか。すなわち、税金の使い途についての裁量は、基本的に学園側に委ねられている。レーザー・ピストル《トール》の購入に対し、口出しをするつもりはないが、あまりにも適正価格との乖離が激しい場合は、一言苦言を呈する腹積もりではいた。

 

 喉から手が出る鬼頭の才能だが、こちらが下手に出るあまり、増長されても困る。

 

「――もうすぐ、職員室です」

 

 長い廊下を歩いているうち、『職員室』と、空間投影式のCGプレートを掲げた部屋の戸が見えた。電動ドアの前に、教師と思しき女性が立っている。学生の幼さがまだ抜けきれていない童顔に丸い眼鏡をかけた彼女は、二人の姿を認めるや、ローファーの踵を鳴らしながら駆け寄ってきた。目の前で立ち止まった彼女に向けて、高品が警官時代から慣れ親しんだ挙手敬礼を取る。

 

「内閣情報調査室の高品です。堂島和夫氏をお連れしました」

 

「お待ちしていました」

 

 女性教師は楚々とした笑みを浮かべると、堂島に向かって腰を折った。

 

「この学園で教師を務めています、山田真耶と申します。IS学園へようこそおいでくださいました、堂島先生」

 

「堂島です」

 

 堂島は一歩前に出ると、懐から名刺を一枚差し出した。

 

「本日はよろしくお願いします」

 

「こちらこそ」

 

「早速ですが、鬼頭さんに会わせていただいても?」

 

 恭しく名刺を受け取った真耶に訊ねた。すると、彼女は申し訳なさそうに職員室の戸を示す。

 

「すみません。実はまだ、商談の方が長引いていまして」

 

「と、おっしゃりますと?」

 

 高品がドアを見ながら訪ねた。察するに、レーザー・ピストル《トール》の引き渡し契約は職員室内で行われているのだろう。

 

「納品された製品に、何か不具合が?」

 

「ああ、いえ。受領した《トール》自体には、何の問題もありませんでした」

 

 品質も、納品数量も、事前にしたためた契約書通りの仕様だったという。

 

「では、なぜ取引が難航しているのでしょう?」

 

「実は、《トール》の買い取り価格の件で揉めていまして……」

 

 二人は顔を見合わせた。獲物を見つけた猛禽の目で、高品が重ねて問う。

 

「揉めている、とは?」

 

「我々の考える適正な買い取り価格と、鬼頭さんの考える適正な販売価格との間に、著しい乖離があったんです。そこの摺り合わせに難航していまして……」

 

 真耶は湿っぽく溜め息をついた。

 

「もともと今回の商談は、我々IS学園側から鬼頭さんに持ちかけたものなんです。鬼頭さんが開発したレーザー・ピストル《トール》は素晴らしい性能の銃ですが、いかんせん、その時点では数が限られていました。少数しかない武器に多数の生徒からの貸出申請が集中してしまい、それを捌くのに事務上の負担が大きかったんです。そこで、学園側から増産と正式な買い取りを依頼したんですが……。これは私たち学園側の失敗でもあるんですが、今回我々は、《トール》をいくらで買い取るか、ということを決められないまま、納品日の今日を迎えてしまったんです」

 

 《トール》の開発と製造にまつわる特殊性に起因する問題だという。

 

 兵器に限らず、製品の販売価格は通常、原価に対しどれだけの利益率を上乗せするかによって決定される。しかし、《トール》はもともと、鬼頭の息女である陽子がイギリスの代表候補生との試合で勝てるように、とこしらえられた銃だ。金銭という形での利益追求を想定して設計されていない。適正な価格で、とはいうが、利益率をどの程度獲れば適性といえるのか、鬼頭もIS学園側も、判断を下せないまま今日を迎えてしまったのだという。

 

 説明を聞かされた高品は、怪訝な顔をした。《トール》の値付けが難しい理由はわかったが、こんなぎりぎりになってもまだ決めかねるほどのことだろうか。既存のIS用兵装の調達価格を参考に、平均的な利益率を上乗せすればよいだけでは?

 

「それが、そう単純には考えられない事情があるんですよ」

 

 真耶は無念そうにかぶりを振った。

 

「いちばんの原因は、鬼頭さんが天才すぎるせいなんですが」

 

「うん?」

 

「……ううん。言葉では説明しづらいなぁ」

 

 真耶は職員室の自動ドアの開閉機構の制御装置のパネルに手をかざした。自動開閉モードから、手動へと切り替えると、スライドドアにそっと指先を添える。

 

「よろしければ聞いてみますか? 商談の内容」

 

「そちらに差し支えがなければ、ぜひ」

 

 真耶は頷くと、スライドドアを十センチだけ開けた。ドアの隙間に高品が、ついで興味本位から堂島が顔を寄せる。

 

 覗き込んだ先の光景に、堂島は意外そうな表情を浮かべた。一般人が立ち寄ることの出来ないIS学園の設備という先入観から、どんな異世界が広がっているかと思いきや、存外、普通の部屋という印象だ。構造自体は、一般的な学校の職員室と大差なく、広々とした室内は職員用のスペースと、生徒たちも利用する公共スペースに分けられている。

 

 入口からは、公共スペースにパーテーションで囲われた一画があるのが見れた。真耶に確認すると、来客を一時的に応対するためのスペースだという。応接室の準備が間に合っていないときなどに、取り急ぎ案内する場所とのこと。

 

「鬼頭さんは、あちらにおいでです」

 

 《トール》の取引が上手くいくかどうかは、学園の教師全員の関心事だ。商談の結果がすぐ伝わるように、と取引交渉の場に職員室を指定したのは、鬼頭自身だったという。若い女性らの意識が向けられる中、囲いの向こう側からは、喧々囂々と、男女の激しい応酬の声が聞こえた。男の方は、堂島もよく知る人物の声だ。

 

「――まさかこうも意見が合わないとは思いませんでしたよ」

 

 鬼頭の声は、堂島にとってはお馴染みの、苛立ちを孕んだものだった。彼が自分のもとを訪ねるときは、いつもそうだ。

 

「――私も、鬼頭さんがこうも分からず屋だとは思いませんでした」

 

 対する女の声もまた、感情の昂ぶりが見受けられる。と同時に、はて、どこかで聴いたことがあるような、と小首を傾げていると、かたわらの真耶が、「お相手は、織斑千冬先生ですよ」と、教えてくれた。織斑千冬! 商談の直接の交渉役は世界最強のブリュンヒルデか! 驚く堂島の耳朶を、世界最強を前にしてもたじろがぬ、男の声が打つ。

 

「こちらとしては、最大限の譲歩をしているつもりですが?」

 

「我々とてそうです。これ以上は、一円とて譲れません」

 

「……なぜご理解いただけないのか!」

 

「そっちこそ! もっと大局的な見方でものを語っていただきたい」

 

 両者の会話を聞く高品の双眸が、訝しげに動揺した。なるほど、たしかに紛糾している。と同時に、会話の内容に何か違和感を覚える。自分たちと理解と、目の前で繰り広げられている実際のやりとりとの間に、齟齬があるような。

 

「……このままでは、どれだけ時間を費やしたところで、お互いに納得のいく妥協点を見出せそうにありません」

 

 鬼頭が硬い声を呟いた。無念さに満ち満ちた諦観の呟きが、苦しそうに唇から漏れ出る。

 

「致し方ない。もう少しだけ、譲歩しましょう」

 

「感謝します。我々も、鬼頭さんのご意向に寄り添えるよう、もう少しだけ努めましょう」

 

「今回納品させていただいた《トールA1》。銃本体が二十挺と、マガジン型バッテリーが百個。これの製造原価に、私の利益をプラスして――レーザー・ピストル一挺につき四五〇万円、バッテリー一個につき六〇万円。しめて一億五〇〇〇万円で買い取っていただきたい!」

 

「安すぎる!」

 

 鬼頭の呈示した金額を、織斑千冬の声が切って捨てた。

 

 同時に、違和感の由来を理解した高品が、呆れた表情で溜め息をつく。

 

「なるほど。折り合いがつかなかったのは、そっち方向でのことだったか」

 

「いいですか、鬼頭さん。あなたの持つ技術はたいへん素晴らしい。《トール》のような高性能火器を、こんなにも安価に作るなど、あなたにしか出来ないことでしょう。

 

 しかし、です。何度も言いますが、《トール》ほどの兵器が、高級外車のエントリークラスと同じくらいの価格帯というのはいけません。ISに有効打を叩き込めるほどの超兵器が、そんなお手軽価格で入手出来ると世間に知られれば、あなたの身が危うくなってしまう。各国の軍隊から《トール》を購入したい旨の連絡が殺到するでしょうし、取引に応じない場合はあなたの職場や家族の者に危害を加える、と脅しをかけてくるかもしれません。それはまだましな方で、最悪、どこかのテロ組織が、あなたの技術力を狙って誘拐しようとしてくるかもしれない」

 

「危うくなるのは、鬼頭さんだけではありません」

 

 パーテーションの向こう側から、千冬とは別な女性の声が聞こえた。学園に勤めている他の教師だろう。

 

「安価に調達できるというメリットは、作り手の思惑を超えて際限なく拡散するリスクというデメリットと表裏一体の関係にあります。たとえば旧ソ連が開発したAKシリーズというライフル銃は、単純な構造と生産性の高さから、一挺あたりの製造・運用・維持コストが非常に安く、その結果、違法コピーも含めて大量の数が軍以外の武装組織に拡散してしまいました。これら軍の管理を離れてしまった銃は、いまも世界のどこかで誰かの命を奪っています。あなたは《トール》に、同じような悪名を背負わせるつもりですか?」

 

「実際はどうあれ、IS学園は相応の金額を積んで《トール》を購入した、という事実を作ることが重要なんです。ここはあなたの身の安全の、世界の平和の維持のために、暴利を貪ってください」

 

「おっしゃっていることは分かりますが……」

 

 鬼頭の渋い声。苦々しい口調で、彼は続けた。

 

「それでも、銃一挺につき五〇〇〇万というのは、暴利が過ぎる。製造原価に対して、十倍近い値段だ。そんな金額で売りつけることを強いられるこちらの気持ちも、少しは汲んでもらいたい」

 

「《トール》の性能を考えれば、それでもまだ安いと思いますが」

 

 呆れた口調で千冬が言った。

 

 兵器の費用対効果なんて生まれてこの方一度も考えたことのない堂島が、かたわらの真耶に訊ねると、一発が一億円もする高価な空対空ミサイルでも、ISのシールド・バリアーを突破してダメージを与えることは難しいという。それを考えると、なるほど、学園側が最大限譲歩したというこの数字でさえ、破格の安さだと得心した。

 

「……織斑先生」

 

「はい」

 

「私はね、究極、一介の会社員なんですよ。毎月の給料日が楽しみで、今度はどんな時計を買おうか、とか。次の休日にはちょっと奮発してスポーツカーをレンタルしようか、とか。そんなことを考えながら日々を過ごしている、みみっちい男なわけです。そんな男の預金口座にね、この取引がこのまま進むと、ある日突然、十億円以上もの大金が振り込まれることになるんです。私のような小市民にとって、十億円とは、人生が下り坂へと陥りかねない、大金なわけですよ。想像するだけで、心臓に悪いとは思いませんか? あなた方、四六歳のおっさんをショック死させるおつもりか!?」

 

「一度に支払うのが健康に悪いということでしたら、分割で振り込みますが?」

 

「そういう問題じゃあにゃあのよ!」

 

「だぁめだ、こりゃ」

 

 堂島が呆れた様子で呟いた。大金を持つのがかえって恐ろしいと庶民感覚を訴える鬼頭と、大きな数字を見ることに慣れているブリュンヒルデとでは、価値観の摺り合わせが上手くいくはずもない。これはもうしばらくかかりそうだ。

 

「山田先生、もう大丈夫ですよ」

 

 高品はスライドドアをそっと閉じた。

 

「商談がまとまるまでにはもう少し時間がかかりそうですね」

 

「先に、応接室にご案内します」

 

「よろしくお願いします」

 

 IS学園の教室に設置されたスライドドアは、機密性に優れている。閉ざしてしまえば、中年男の嘆きの声はもう聞こえない。

 

 三人は鬼頭のことを一旦忘れて、来客者用の応接室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 同時刻。

 

 職員室のある第一校舎から少し離れた場所にある第三アリーナで、一夏は級友たちと自主トレーニングに励んでいた。メンバーは箒とセシリア、陽子とシャルルの五人だ。フランスからやって来た転校生は初日以来、一夏を中心としたグループと行動をともにする機会が多い。同じ男性操縦者ということで、学生寮の部屋が同室となった一夏が、学園に早く馴染んでほしいからと、何かある度に一緒に行動しないかと誘っているためだ。放課後のIS訓練もその一環で、最近はもっぱらこの顔ぶれでチーム・メイクしている。

 

 この日の訓練は、準備運動がてらの模擬戦から始まった。一対一形式のISバトルを順番に行い、その間手が空いている者は試合内容の分析を行う。そうすることで当事者では気がつきにくい各人の問題点を指摘し合い、そこから今日の課題を設定。クリアのため、ひたすら練習に励む、という計画だ。一夏は最初にシャルルと、次いでセシリアと対決し、両方から容赦なく黒星を叩き込まれた。そのときのデータをもとに、本日の訓練内容を練り上げる。

 

 はたして、一夏に課せられた課題は、

 

「ええとね、一夏が僕やオルコットさんに勝てないのは、単純に射撃武器の特性を把握していないからだよ」

 

「そ、そうなのか?」

 

 オレンジ色のパーソナルカラーで彩られた『ラファール・リヴァイブ』を着込んだシャルルの言葉に、同じく『白式』を展開した状態の一夏はショックを受けた様子で呟いた。

 

「一応、わかっているつもりだったんだが……」

 

 この『白式』を愛機とするようになって、一ヶ月半が経つ。その間にこなした試合数は、模擬戦を含めれば百はゆうに超えているはずだ。『白式』には備わっていない射撃武器を相手取ることにも、だいぶ慣れてきたと自負しているが。

 

 そんな一夏のひそやかな自信を、シャルルはばっさり切って捨てる。

 

「うーん、知識として知っているだけって感じかな。さっき僕と戦ったときも、ほとんど間合いを詰められなかったよね?」

 

「うっ……、たしかに。イグニッション・ブーストも読まれていたしな」

 

 先ほどの試合の内容を思い返して、苦い顔つきになる。

 

 近接格闘機の『白式』で打点を得るには、とにもかくにも、相手との距離を詰める必要がある。これに対し、シャルルが採った作戦は、拡張領域から引っ張り出した豊富な銃火器を駆使して、相手の接近をひたすら妨害する、という戦法だった。一撃必殺の威力を持つ『零落白夜』も、近づけさせなければ恐くない、というわけだ。

 

 女子とまごう可愛らしい顔立ちからは想像しがたいが、シャルルは悪辣極まる戦術家だった。性質の異なる多数の銃火器を巧みに使い分け、実にいやらしい銃撃を浴びせてくる。こちらの機動の“起こり”の瞬間に牽制射撃を叩き込んで呼吸を乱してきたり、こちらの進行方向を予測してあらかじめその位置に濃密な弾幕を形成したり、といった具合だ。おかげで先の試合中、自分は終始シャルルの手の内で翻弄されてしまった。起死回生を期して試みた、フェイント機動からのイグニッション・ブーストにいたっては、騙しの仕掛け自体は成功して奇襲の効果が得られたにも拘わらず、軌道を先読みされ、あっさり迎撃されてしまった。

 

「一夏のISは近接格闘オンリーだから、より深く射撃武器の特性を把握しないと対戦じゃ勝てないよ。特に一夏のイグニッション・ブーストって直線的だから、反応出来なくても軌道予測で攻撃出来ちゃうからね」

 

「なるほど」

 

 まったくもってその通りだな、と一夏は得心した様子で頷いた。

 

 シャルルの説明は、これまでにコーチ役を買って出てくれた誰よりも言葉選びのセンスに長け、その上で丁寧だからわかりやすい。IS学園の生徒であれば誰もが当然に持っているはずの前提知識がない、という自分の特殊性を踏まえてだろう、常に平易な語彙と文法を心がけてくれる。その配慮自体も勿論のこと、細やかな心遣いに対する感謝の気持ちが、理解度を押し上げているのは間違いないだろう。以前にも教わったがそのときは分からなかったことも、こうしてシャルルの口から説明されると、腹の底から腑に落ちる。

 

「だからそうだと私が何回も説明したと……!」

 

「私の理路整然とした説明で理解出来ていなかったなんて」

 

「や、二人のあれは、説明になっていなかったよ」

 

 IS操縦者の先輩たちが何か言っているが、無視してシャルル先生の講義に集中する。あと鬼頭さん、その二人にはもっと言ってやってくれ。

 

「でもよ、一口に射撃武器って言っても、銃だったり、ミサイルだったり、色々あるだろ? それ全部をいきなり覚えろって言われても……」

 

「うん。大変だよね。だから、最初のうちは特に遭遇する機会が多い銃から勉強していこう」

 

 そう言うと、シャルルは手の中にブルパップ式のアサルト・ライフルを展開した。『白式』のISコアがすかさずコア・ネットワークから情報を引っ張り出して一夏に伝える。フランス製の五五口径、《ヴェント》アサルト・ライフル。一九七七年にフランス陸軍で制式採用されたFA-MASアサルト・ライフルの基本設計を参考に開発された、ベストセラー兵装の一つだ。銃本体に複数種類の高精度センサーが内蔵されており、射撃の適性に特化したISでなくとも、安定して高い性能を発揮することが出来る。

 

「アサルト・ライフルは初心者からベテランまで愛用者の多い銃なんだ。ISバトルでも、遭遇する機会は多いと思う」

 

 ここで一度、ライフルという言葉の意味について考えてみよう。

 

 ライフルはもともと、銃身内部にライフリングが施されている火器を表わす言葉だ。ライフリングとは、銃腔に彫られた溝のことで、その源流となる技術は十五世紀に発明された。はじめは、銃弾の発射後に銃身内に残留する火薬の燃えかすなどの汚れを、かき出しやすくするために彫られたものだが、この溝に沿って射出された銃弾は弾道が安定し、より遠くまで届くうえ狙った場所に命中させやすい、という予期せぬ効果が得られた。やがてライフリングを刻む目的は、有効射程の延伸と命中精度の向上へと入れ替わり、そのために様々な溝の形が研究されるようになった。

 

 一つの決定版となったのは、複数本を斜めに切る方式だ。ライフリングを斜めに刻むと、銃身内では螺旋の形をとる。銃弾は回転の力を加えられながら筒の内側を通り抜けて銃口より射出される。このとき、回転しながら飛ぶ弾はジャイロ効果によって、空気の抵抗や重力の影響をぎりぎりまで凌ぐことが出来た。かつてなくよく飛び、よく当たるこの銃を、人々はライフルと呼んだ。

 

 螺旋型のライフリングの技術は、工作の難易度からくるコスト面での課題や、弾込めが難しいという短所から、なかなか普及しなかった。しかしその状況も、十八世紀に産業革命が起こったことで工作機械の精度が向上したり、十九世紀前半に装弾のしやすいミニエー弾や紙薬莢が実用化されたことによって、次第に解決していった。

 

 導入ハードルの低下と製造コストの低減により、ライフリングは、小銃以外の火器にも採用されるようになった。拳銃や機関銃といった小火器は勿論、ライフル砲といって、口径が二十ミリを超えるような重火器にもどんどん刻まれるようになった。

 

 このとき、ライフルという言葉に、新しい意味が付与される。ライフリングを持った火器イコール、ライフルという考え方では、拳銃も機関銃も、迫撃砲も榴弾砲も、ライフルになってしまう。そこで、ライフルという名詞の表わす意味が再定義された。今日、一般にライフルといえば、一人の人間が両手で保持し、照準して発射する、肩撃ち銃のことをいう。日本語ではこれの訳語として、小銃、という言葉があてられている。

 

 現代の軍隊において、ライフルは兵士一個人が携行する最も基本的な武器の一つだ。近距離から遠距離までの、広い範囲の射撃をこなせる万能性を持っている。二十世紀前半までは、遊底という部品を手動で操作するボルトアクション方式の動作機構を搭載した物が歩兵銃の主流であった。第二次世界大戦が起こると、遊底の操作を自動的に行う自動小銃の有用性が認められ、末期にはさらにそれを発展させた、アサルト・ライフルが登場する。

 

 アサルト・ライフルは、セミ・オート射撃機構とフル・オート射撃(あるいは、バースト射撃)機構の切り替え機能を搭載したライフル銃だ。短機関銃が得意な至近距離での掃射能力と、従来の小銃が得意な中距離での狙撃能力の両立を目指して開発された。反動の弱い中間弾薬を用いることで、フル・オート射撃時の反動制御を容易にする工夫がなされているほか、第二次世界大戦で頻発した、市街地戦を想定した取り回しやすいサイズと重量の物が多い。また、中間弾薬の採用は兵士一人あたりが持って運べる弾薬量の増加にもつながっている。現代の軍隊でライフルといえば、一般にはこのアサルト・ライフルのことを指す。

 

 IS用兵装としてのアサルト・ライフルは、歩兵銃としてのアサルト・ライフルをIS用にサイズ・アップした銃器だ。トリガー部分に一定の電圧をかけないと引き絞ることが出来ない安全装置が組み込まれているなど、その動作は電子的に制御されている、という違いはあるが、基本的な構造自体に大きな差はない。武器としての立ち位置も同様で、数多あるIS用射撃兵装の中でも、最も基本的なものの一つ、と扱われる。

 

 十年前の『白騎士事件』によってISの兵器としての有用性が実証された後、世界は、このまったく新しい概念の新兵器が扱う武器の数々に、どんな名前をつけるべきか頭を悩ませた。最終的には、究極的には人間が身に纏うパワードスーツだから、として、運用方法や与える効果が似ている場合は、人間用の武器と同じ名前を与える、という指針を示した。たとえば、口径が二十ミリ未満の両手で保持する銃火器には、ライフルの分類名を与える、というふうだ。アサルト・ライフルの場合は、高速機動戦闘中でも取り回しが容易な、扱いやすいサイズをした連射機構を備えたIS用ライフルと定義されている。

 

「人間用のアサルト・ライフルと一緒で、IS用のアサルト・ライフルも幅広い用途に使える武器だから、愛用者はすごく多いよ」

 

「なるほど」

 

「じゃあ、早速練習してみよう」

 

「練習?」

 

「座学もいいけどね。こういうのは、実際に撃つことではじめて気づいたり、理解できることも多いよ」

 

 はい、と《ヴェント》を手渡された。両手にのしかかる、ずっしりとした重み。勿論、心因性の錯覚だ。実際にはパワーアシスト機能があるから、一夏の両腕の筋肉が鉄の重さを感じることはない。はじめて触る銃火器への、心理的抵抗感がもたらす感覚だろう。

 

「あれ? 他のやつの装備って、使えないんじゃないのか?」

 

「普通はね。でも所有者が使用許諾すれば、登録してある人全員が使えるんだよ」

 

 IS用兵装は強力な物が多い。何かの拍子に奪い取られ、再利用させた場合を想定した安全装置だ。これはすべてのIS用兵装に取り付ける義務がある。ISバトルの競技レギュレーションにも記載されている。

 

「いま、一夏と『白式』に使用許諾を発行したから試しに撃ってみて」

 

「お、おう」

 

「おっ。織斑君、ついに射撃デビュー?」

 

 セシリアらとともに自分の課題をこなす陽子が話しかけてきた。身に纏うISは、米国製第二世代機の『スプリット・クロー』だ。生徒からの貸出申請の人気がいまいちな機体だが、それだけに、抽選になったときの期待値が高い。過日の実習でそのことを知り、あえて『スプリット・クロー』の貸出申請書を提出した陽子は、見事その賭けに勝ったのだった。

 

「ああ。……えっ、と、構えは、こうでいいのか?」

 

 他の者たちが普段どのように構えているかを思い出しながら、一夏は《ヴェント》のショルダー・ストックを肩に添えてみせる。三角柱状のハンドガードを左手で下から支え、右手の人差し指をトリガーに引っかけた。

 

「ん……と、脇はもうちょっと締めた方がいいかも」

 

 陽子はロボットアームの先端に取り付けられている、五本指型のマニュピレータで小さなバッテンを作った。シャルルも頷く。

 

「そうだね。あとは、左手ももうちょっと後ろのあたりを支えた方がいいかな」

 

 シャルルは一夏の後ろに回ると、体をくっつけて彼の四肢を誘導した。

 

「火薬銃だから瞬間的に大きな反動が来るけど、ほとんどはISが自動で相殺してくれるから心配しなくてもいいよ。センサー・リンクは出来てる?」

 

「銃器を使うときのやつだよな? さっきから探しているんだけど、見当たらない」

 

「おほう。普通は、格闘専用機でも、最低限の仕様のアプリが入っているはずだけど」

 

「一〇〇パーセント格闘オンリーなんだね。じゃあ、しょうがないから、目測でやろう」

 

「初めての体験だっていうのに、なんてハンディキャップだよ」

 

「ぼやかない、ぼやかない」

 

 自身もセシリアの指導方針からセンサー・リンク機能をあまり使わせてもらえない陽子は、苦笑しながら言った。

 

「じゃあ、いくぞ」

 

「うん。とりあえず撃つだけでもだいぶ違うと思うよ」

 

 周りに他の生徒が飛んでいないか確認した後、一夏は二十メートルほど離れた場所の地面に銃口を向け、トリガーを引き絞った。ドン! と、轟然と鳴り響く発砲音。いつも敵が持っているのと対峙したときと異なり、すぐ耳元、超至近距離で起きた大事件に、吃驚仰天する。

 

「うおっ!?」

 

 驚きの声は、火薬の炸裂音によってかき消された。少し離れた場所で、土煙の噴水があがる。銃弾が地面に命中した証左だ。

 

 心臓が、早鐘を打っているのを自覚した。敵が撃っているのを見るとはまったく異なる衝撃的感覚に、動揺を抑えきれない。パワーアシスト機能で保護されているはずの右手が、じーん、と痺れているような感覚に襲われた。

 

「どう?」

 

 後ろに回ったままのシャルルが訊ねた。

 

 一夏は、ごく、と唾を飲み込んだ後も、言葉をつかえさせながら応じた。

 

「お、おう。なんか、アレだな。銃声が、いつもと全然違って聞こえた」

 

「いつも?」

 

「あ、ああ。ほら、いつもは、相手が撃っている、遠くから聞こえる音だったから。すぐ近くだと、こんなにも違うんだな、って驚いた。……それから、」

 

「それから?」

 

「速い、な。ああ、いや、銃弾の速度かなり速いっていうのは、勿論知っていたんだけど……なんか、予想以上に速かった、っていうか。教科書に書いてあった、秒速一〇〇〇メートルって数字よりも、ずっと速く感じた、っていうか……悪ぃ。上手く言えない」

 

「大丈夫。言いたいことは、なんとなくわかるから」

 

 シャルルの言葉に、陽子も頷いた。

 

「秒速一〇〇〇メートルなんて数字、実際に撃ってみないと、実感が湧かないよね」

 

「うん。本当だ。……でも、これで分かったぜ」

 

「うん?」

 

「銃弾自体は、『白式』よりずっと速いんだな、ってことがさ」

 

 銃弾の発射と『白式』の機動の開始が、よーい、ドン! で、同時に始まったら、とてもじゃないが敵わない。銃を相手に『白式』が間合いを詰めるためには、相手が撃つよりも先に動き出し、相手の照準を定めにくくするための立ち回りが重要だ。

 

「こんなに速いっていうのを考えると、イグニッション・ブーストの使い方にも、もっと工夫が必要だよな」

 

 圧縮したエネルギーを一瞬のうちに放出することにより、猛加速を得る高速機動技術だ。すさまじい加速力を得られる反面、一度発動すると軌道の修正が効かない。だから軌道が読まれてしまうと、より速い銃弾を簡単に叩き込まれ、あっさりと迎撃される。運良く命中を逃れたとしても、撃たれていることに意識が向いてしまい、加速が鈍ってしまう。

 

「命中を恐れて思いきった飛行が出来なくなるんだ。そのせいで、簡単に間合いが開いてしまうんだな。そんでもって追撃を撃ち込まれて、シールド・エネルギーは空っぽに」

 

「アサルト・ライフルが相手だと特に、ね。アサルト・ライフルは、セミ・オートで狙いすました一発を撃ち込むことも、フル・オート射撃で弾幕を張ることも自由自在だから」

 

「ああ。よく理解出来たし、納得もいった。シャルル、これ、もう少し撃たせてもらってもいいか?」

 

「うん。一マガジン使い切っちゃってもいいから」

 

「おう、サンキュ」

 

 今度は空間投影式のCG標的を出力して、そこに狙いを定めた。射撃モードはセミ・オート。五十メートル先の的に向けて、二発、三発と発射する。的に向けて撃ち込みながら、この武器を相手にどう間合いを詰めるのか、作戦を考える。

 

 撃っているうちに、はたと気がついた。

 

 地球の重力下では、弾道は放物線を描くと授業で習った。しかし、こうして自分が撃つ側に立ってみると、その軌道はほぼ真っ直ぐに見える。イグニッション・ブーストと同じ、直線の軌道だ。

 

 ――シャルルは、イグニッション・ブーストは直線的で、軌道予測がしやすいから対処も簡単、みたいに言っていた。ということは、同じように真っ直ぐ進んでいく銃弾にだって、同じことが言えるんじゃないか?

 

 勿論、イグニッション・ブーストと銃弾とでは速さが違う。しかし、直線的に進んでいく、という点に限れば、同じ理屈が当てはめられるはずだ。

 

 ――その銃撃が、どこに向けて発射されたかが分かれば……いや、もっと突っ込んで、どんなたくらみの下で発射されたかまで分かれば、対処出来るんじゃないか?

 

 必中を期して放たれた一発と、当たらずともよいから間合いを開けるために発射された牽制射撃とでは、脅威の度合いはまったく異なる。対処の容易さ、適切な対処法、その後の間合いの詰め方なども当然変わるはずだ。それを見極めることが出来れば、近接格闘機の『白式』でも、勝機を見出せる確率はぐっと上がるだろう。

 

 ただし、銃弾の動きは速い。銃口から叩き出された後に軌道予測が出来ても、対処する時間の猶予がない。

 

 ――だから、相手がトリガーを引き終える前に、相手がどこを狙っているのか、その理由は何なのかを知る必要がある。

 

 そして、そのための技術を、理合を、自分はすでに知っている。剣道の『目付』だ。

 

 剣道の世界では、一眼二足三丹四力といって、なによりも相手を見る力、技術、その心構えが重要視される。互いに竹刀の切っ先を突きつけ合う近距離で激しい攻防動作を展開することになる剣道の試合では、相手が動き出したのを見てから対処法を考え、こちらも動く、という待ちの態度では、勝利を得るのは難しい。相手の動きを先読みし、相手よりも早く動き出すことが肝要だ。

 

 『目付』は、そのための技術体系の総称である。目付とは、すなわち目の付け所の意。遠山、紅葉、観見、二つなど、流儀によって様々な考え方があるが、本質的にはみな同一のことを言っている。一部の動きに心を囚われることなく、相手の姿全体を見よ。身体の動きのみならず、心の動きをも見つめよ。かの剣豪・宮本武蔵が著した『五輪書』には、かくある。観見二つのこと、観の眼強く、見の眼弱く、遠きところを近く見、近きところを遠く見ること、兵法の専也。

 

 嬉しいことに、ISにはハイパーセンサーが搭載されている。相手のことをひっそり観察する手段には事欠かない。目のくばり方について工夫する余地はあるはずだ。

 

「――ところでさ、デュノア君のISって、ラファールのカスタムモデルだよね?」

 

 一夏の射撃練習に意識を向けるかたわら、自身の課題にも取り組む陽子が言った。

 

 彼女が本日の目標に掲げたのは、《トール》以外のビーム兵器の扱いに慣れることだ。

 

 レーザー・ピストル《トール》は、父の鬼才ぶりが十全に発揮された結果、普通の拳銃感覚で扱える武器として仕上がった。しかし、他の技術者やメーカーが開発した、既存の後付け武装は違う。一般には、ビームの出力を求めれば装置は大がかりなものとなり、携帯性を重視すれば威力は低下する。高出力のビームと小型化を両立させた《トール》とは、まったく異なる運用法を学ぶ必要がある。

 

 一夏たち専用機持ちと違い、一般生徒扱いの陽子は、いつでも好きな機体、好きな武装で訓練や試合に臨めるとは限らない。どんな機体、どんな武器でもある程度のパフォーマンスが発揮出来るよう、早いうちから色々な兵装に触れておくべきだ、と彼女は考えていた。

 

 訓練機の貸出申請書にあえて不人気な機体の名前を書いたのも、抽選になったときの期待値が高いことの他に、『スプリット・クロー』が比較的大容量の拡張領域を持っているためでもある。最大積載量こそ後発機のラファールに劣るが、それでも、単機で歩兵一個旅団相当の火力を積むことが出来た。

 

「うん、そうだよ。正確には、カスタム機をさらにいじった機体だけどね」

 

 『ラファール・リヴァイブ・カスタム』は読んで字の如く、ラファールの特別仕様機だ。普段はカタログに掲載されておらず、軍の特殊部隊や国会代表級のIS操縦者などの特別な顧客からオーダーを受けたときにのみ製造される。特定の任務や、特定の一個人の操縦適性に合わせる形で性能を造り込むというその性格上、まったく同じ仕様・性能の機体は存在しないが、一般にはベースとなったラファールの強みである、機動性の高さをいっそう伸ばす方向で調整されることが多い。

 

 シャルルが身に纏うカスタム・タイプも、一見した限りではやはり機動性と運動性に重きを置いた仕様と陽子の視界に映じていた。通常仕様のラファールは、背面部に四枚のマルチ・スラスターを備えているが、シャルル機はそれが大型化している。脚部アーマーのシルエットに大きな変更はないが、通常仕様機よりも軽量化されているらしく、いくぶんほっそりとした印象だ。マルチウェポンラックには姿勢制御用と思しき小型の推進翼が取り付けられており、軽量化との相乗効果により、運動性能は飛躍的に向上しているだろうと予想された。

 

 外見上のいちばんの変更点は、物理シールドの扱いについてだろう。通常仕様機では肩部アーマーを基点にアン・ロック・ユニットとして浮かべていた四枚の物理シールドを、すべて取り外している。その代わりなのか、左腕ロボットアームの下腕部に、小型の盾を一枚だけ装備していた。敵の攻撃は盾で防ぐよりも、避けることを前提に設計されている様子だ。

 

「もともとはデュノア社で研究中の、第三世代機のテストベッド機として用意されたカスタム仕様だったんだ。新しい技術や兵装の運用データを採るための機体だから、IS競技用としてはあまり強い機体じゃなかったんだけど、僕がISを動かせるって分かってから、急遽、競技用に総合性能の向上を目指して再設計されたんだ。だから、正確には『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』ってところかな」

 

「全体的に軽量化されている感じだよな?」

 

 マガジン一個を使い切ったところで、一夏も会話に参加した。

 

「浮いた重量の分、パワーが余っているはずだが」

 

「その分は推進系に回しているんだ。あと、拡張領域の高速化処理とか」

 

「高速化処理?」

 

「もとがテストベッド機だからね。基本装備をはずして、その分、拡張領域の容量を大きめに取っているんだよ」

 

 シャルルの言によれば、通常仕様機の二倍ほどもあるという。ただでさえ大容量なラファールが、さらに倍とは……! だが、それなら納得だ。それほどの拡張領域、十全に活かした際の重装備時には、莫大な情報量を扱わねばならない。操縦者の技量にもよるだろうが、通常仕様のラファールの処理能力では、量子変換した兵装の出し入れだけでも一苦労だろう。それを嫌っての高速化処理か。

 

「ねえ、ちょっとアレ……」

 

「ウソッ、ドイツの第三世代型だ」

 

「まだ本国でトライアル段階だって聞いてたけど……」

 

「はぇ~すっごい黒い…」

 

「お~ええやん」

 

 不意に、アリーナ内がざわつき始めた。

 

 声が聞こえた方向に目線を向けると、自分たちがいまいる場所からはかなり離れた位置にあるピット・ゲートから、一機のISが入場してきたのが見えた。ハイパーセンサーが自動で視界を補正。拡大し、ピントを合わせる。黒いIS。シャルルと同じ日にこの学園にやって来た転校生、ラウラ・ボーデヴィッヒと、愛機シュヴァルツェア・レーゲンのコンビだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter38「やって来たもの」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三年と、三ヶ月前――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二次世界大戦後の一九四九年五月、ボン基本法の制定をもって、敗戦からの再スタートを切った西ドイツの政体は、連邦共和制と決まった。その後東西冷戦が終結し、生き別れ状態だった兄弟国との悲願の統一がなされると、連邦州の数は十六となった。これらの州は、総体である連邦共和国を構成する一員であると同時に、各々一個の独立国(Land)としても扱われる。連邦州はそれぞれが州独自の政府を持ち、憲法を持ち、強力な地方自治権を持っていた。教育や文化政策、警察機構の整備なども、その権限の対象だ。

 

 これに対し、連邦政府が権限を持つのは、連邦全体の公益に関わる部分の政策だ。具体的には、外交、軍事、通貨、関税、航空輸送、郵便や電気電信、州警察の活動を補完する機関としての連邦警察の整備などが挙げられる。これらの組織は、州法に優越する連邦法によってその活動を統制され、連邦法は、経済法、労働法、社会法、交通法、民法、刑法、財政法などによって構成されている。

 

 ドイツ連邦警察は、州警察の制度では対応が難しい国境線や重要施設――連邦機関や航空、鉄道など――の警備、州警察に対する集団警備力の提供などを主任務とする、警備警察組織だ。もとの名前を連邦国境警備隊といい、文字通り国境線の警備のための組織として一九五一年にスタートした。その後、任務の範囲はどんどんと拡大し、二〇〇五年の法改正を経て現在の名前、組織体制へと改編される。首都ベルリンの隣町、ポツダムに本部を置き、全国を九個に区分した管理局のもと、七七箇所の事務所と、十個の機動隊、そして最強のカウンター・テロ部隊GSG-9を持っている。

 

 

 

 ヨーロッパを代表する工業地帯……ルール地方を擁する、ドイツの西側ノルトライン=ヴェストファーレン州。かつて西ドイツの首都であった文教都市ボンは、この州の南端に位置している。そのボンの街から北東八キロメートルの地点に、ザンクト・アウグスティンという小さな町がある。面積三四平方キロメートル、人口五万五〇〇〇人という小都市ながら、かつての首都の隣町という立地から、西ドイツ時代より政府の重要施設が集まる街だ。ドイツ統一軍の兵站施設や、ドイツ社会傷害保険労働安全衛生研究所などがそうだが、とりわけ存在感を放っているのが、連邦警察の庁舎である。

 

 ザンクト・アウグスティンに設置された警察署は、警察署本体もさることながら、広々とした駐車場や大型ヘリをも収容可能なヘリポート、広壮な造りをした訓練場などを併せ持つ巨大な施設だった。特に訓練施設の充実ぶりが素晴らしく、体力錬成のための運動場の他に、拳銃から小銃まで広範な銃火器の練習が可能な射撃場、さらにはキル・ハウス設備まで備えている。キル・ハウスとは屋内戦闘を学ぶための訓練施設のことで、警察機関が用意する場合は、立てこもり犯との攻防を想定して建てられることが多い。主に一般の住宅や商業街のビル、内部が入り組んだ工場などを模して建てられる。

 

 ザンクト・アウグスティンのキル・ハウスは、運動場わきの広場に建てられていた。連邦警察の前に立ちはだかる、考えうるあらゆる状況を再現出来るよう、一階建ての平屋から六階建てのビルディングまで、大小様々な形態の建物が立ち並んでいる。そのうちの一つ……四階建てのオフィスビルに見立てた建物を、銃で武装した、三十名からの男たちが取り囲んでいた。

 

 その姿を一言で表すならば剣呑、それに尽きた。全員が戦闘服に身を包み、その上に防弾ベストを着込んでいる。口と鼻を覆うタイプのフェイスマスクで顔を隠しているため、その表情は一人としてうかがえないが、目出し部分からのぞく双眸は等しく、ぎらぎら、と輝いていた。

 

 防弾仕様のヘルメットには射撃用のゴーグルがバンドで引っかけられている。警官たちのうち、十五人はゴーグルを下ろして建物へのアプローチを試みていた。およそ半数の八名が屋内に侵入し、残る七名は外で見張りを担当する。あとの十五人はゴーグルを鉄帽の縁の上に載せ、少し離れた場所から、同僚たちの演習の様子をじっと見つめていた。どうやら十五名で一班を構築し、交代で突入訓練に励んでいるようだ。

 

 突入する彼らの身のこなしは、総じて俊敏だった。みな、よく鍛えられた屈強な戦士と見て取れる。三キログラムあるMP5サブ・マシンガンを軽々と操りながら、八人の勇士たちは犯罪者たちが立てこもる屋内に次々に侵入していった。

 

 事前の情報活動の成果により、相手の人数とおおよその装備、どの部屋にいるかはわかっていた。問題は、敵が銃で武装していることと、人質をとられていることだ。狡猾な四人のテロリストどもは二グループに別れ、二階と三階の大部屋に、それぞれ五人の人質とともに立てこもっている。一方の部屋を先に制圧し、次いでもう一つ部屋へ、という作戦では、後回しにした部屋の奴らが逆上し、人質を殺害する恐れがあった。突入は二部屋まったく同時に行う必要がある。

 

 八人は、こちらもグループを四人ずつの二つに分けた。犯人のいる部屋からは死角となる非常階段を静かに駆け上がり、所定の位置につく。窓のない長い廊下。二メートル進んだところにある角を曲がり、そこからさらに十メートルを進めば、大部屋の出入口に到達できる位置。三階突入班のリーダー、ハンス・ブルックハルト上級巡査は、短機関銃のセレクターをセーフティから、単発射撃へと切り替えた。突入開始の合図は、三階の彼が発することになっている。ハンスはショルダー・ベルトから吊り下げているトランシーバーを手に取ると、通信スイッチを押し、低い声で、「Los! Los!」と、呟いた。

 

 男たちの大腿筋が爆発した。音を吸収するゴム底のブーツが上下に激しく躍動し、狂暴なる一団を目的地へと送り届ける。

 

 大部屋の内と外とを隔てるドアは閉まっていた。戸には縦長でスリット状の窓があり、窓にはすりガラスがはめ込まれている。

 

 班員の一人がウェストポーチから粘土の塊を取り出した。窓の存在に注意しつつ、ドアの隙間にちぎってつめる。プラスチック爆弾の代わりだ。テロリストたちがドアの開閉に反応して作動するトラップを仕掛けているかもしれないから、爆発でトラップごとドアを吹き飛ばす作戦だった。

 

 爆弾を仕掛けている間に、ハンスは革紐から手榴弾を一つもぎ取った。手榴弾といっても、非致死性のスタン・グレネードだ。レバーを握りこみ、セーフティ・リングを引き抜く。爆弾を仕掛けた男と目を合わせ、こく、と頷き合った。

 

 爆弾が爆発した。そういう想定で、彼らは動いた。素早くドアを押し開け、スタン・グレネードを放り投げる。五万ワットの閃光と、一六〇デシベルの轟音が、人質と犯人の視聴覚を一時的な機能不全へと追い込んだ。ハンスたちは姿勢を低くしながら突入した。彼らの手元で、凶悪犯たちに向けられたMP5が火を噴いた。

 

 

 

 キル・ハウスからぞろぞろと出てきたハンスたちは、外で待機していた七人を集めると、見物していた十五人の前に立った。ハンスは攻撃の全局面を事細かに説明した。突入作戦は五分間の出来事であったが、事後報告は一時間かけても終わらなかった。

 

「全体としては上手くいったと思う」

 

 ハンスは最後に突入作戦をそう総括した。

 

「しかし、いくつかの課題も見いだせた。今回の作戦では、突入班の動きが止まる場面が多かった」

 

 二階と、三階の部屋に同時に突入するために、一方がもう一方の動きを待たねばならない瞬間が何度かあった。テロリストたちからすれば、襲撃のチャンスだ。

 

「今回の設定状況では、テロリスト側の人数が少なく、館内を見回る偵察役の派遣が出来なかった。おかげで見つからずにすんだが、相手の人数が、たとえば倍の八人もいたら、三階側の突入班が配置につくのを待っている間に、二階の突入班は見つかって攻撃を受けていただろう。当然、作戦は失敗だ。人質にも被害が出た蓋然性が高い」

 

「あとはバランスの問題だね」

 

 次に突入作戦に従事する十五人のリーダー……ライナー・ブロッホ主任巡査も頷く。

 

「二階くらいの高さだと、窓から飛び降りて逃げることが可能だ。ばらばらに逃げられると、七人では追いきれない危険がある」

 

「だからといって、突入班の人数を減らすと、」

 

「そう。今度は犯人の制圧に時間がかかる。時間がかかればその分だけ人質の身を危険にさらすことになる」

 

「そうかといって、多すぎても駄目だ。屋内での銃撃戦は、同士討ちのリスクが高い。……次の演習では」

 

「ああ。大いに参考にさせてもらうさ」

 

 肝要なのは、突入作戦に直接参加しない外の見張りにも、陽動という形で援護させることだろう。ライナーはゴーグルを下ろすと、「まあ、見ていてくれよ」と、言った。背後の十四人に向けてハンド・シグナルを発し、一か所に集まるよう促す。作戦実施前の最後のミーティングを始めようとしたところで、ハンスのトランシーバーが通信波の受信を知らせた。

 

 

 

「うちの情報部隊が、気になる情報を入手した」

 

 訓練中にも拘らずハンスを監督官室に呼びつけたオスカー・ボーゼ警察監督官は、開口一番、険を帯びた面持ちでそう言った。口髭を生やした、スキンヘッドの中年男性だ。若い頃に日本の柔道で鍛えたという体も大きく、強面でこちらを睨む姿からは、威圧的な迫力が感じられる。

 

 戦闘服は着こんだまま、フェイスマスクとヘルメットだけを脱いだいでたちのハンスは、日焼けした顔に怪訝な表情を浮かべた。細面で、いくらか鷲鼻の青年だ。警官として気力体力ともに漲る三一歳。目の前のオスカーとは、ちょうど一回り歳の差がある。

 

「テロリストに関する情報ですか?」

 

「いいや」

 

 オスカーは厳しい顔つきのままかぶりを振った。

 

「隣町で、妙な動きをキャッチした、という話だよ」

 

「ボンですか」

 

 ハンスは自分たちがいまいる場所から南西八キロメートルにある芸術の街を思い浮かべた。

 

「ボンというと……連邦空軍ですか」

 

「うん」

 

 オスカーは重苦しそうに頷いた。大きな体を揺さぶって、背後の書類棚から分厚く膨らんだバインダー・ファイルを取り出す。

 

「まずは前提知識の共有から始めよう。アメリア・クンツェ総括監督官は知っているか?」

 

「勿論」

 

 ハンスは頷いた。

 

「有名ですからね。面識はありませんが」

 

 ポツダムの連邦警察本部に自身のデスクを持つ、女性警官だ。三年前に三六歳という異例の若さで、金色の階級章を肩にすることを許された、キャリア組の中でも抜きん出て優秀な超新星。三九歳のいまは総括警察監督官(Leitender Polizeidirektor)の地位にあり、再来年の今頃には局長への昇進がほぼ確実視されている、将来有望な警察官僚だ。

 

 もっとも、ハンスが有名だと評する所以は、出世の速さや能力の高さ、実績からのことではない。連邦政府が推し進める、女性の活躍推進政策の代表的成果物として、組織の内外に顔を見せる機会が多いためだ。政府は自国の施策が上手くいっている証左として、アメリアに広告塔としての役割を期待した。彼女はその要求によくこたえ、いまやドイツで最も有名な連邦警察官の地位を得ている。

 

「クンツェ監督官がどうかしましたか?」

 

 ハンスは二週間前に発行された警官向けの広報誌の表紙を飾っていた写真のことを思い出した。高い頬骨、目尻の上がった大きな目。重そうな黒髪は真っ直ぐに垂れ、先のあたりが内側にウェーブして肩にかかっている。彫刻のような美しさは顔立ちのみならず身体つきにも表れており、連邦警察の野暮ったい制服越しにも、ウェストの細さや脚の長さ、そして胸の豊満さがうかがえた。政府が彼女を積極的に起用するのは、女性という点は勿論、この美貌にも理由がある。実際、アメリアの写真を新人警官を募集するホームページのトップ画像に設定したところ、その年の採用試験の受験者の人数は男性で五パーセント、女性で十二パーセントも増加した。増えすぎて各州の州警察から、何人かこちらによこせと冗談混じりに言われた、とは人事部勤務の知り合いから、酒の席で聞かされた話だ。

 

「上の連中がクンツェ監督官を広告塔として利用したいのは知っているな?」

 

 ハンスは首肯した。

 

「彼らはそのために、監督官に出来るだけ手柄を上げさせてやりたい、と考えているわけだ」

 

「それも知っていますよ」

 

 ハンスは渋面を作った。

 

「有名な話ですから」

 

 アメリアが有名なのには、もう一つ理由がある。三年前に参事官候補生に昇進したときから、彼女には常に黒い噂が付きまとっていた。すなわち、アメリア・クンツェの有能ぶりをアピールしたい政府の意向により、活躍の場を用意されているのではないか、という疑惑だ。

 

 アメリアが参事官候補生になってひと月も経っていない時期に、こんなことがあった。彼女が指揮を執る国境警備隊の部隊が、ポーランドへ違法な出国を試みる男を捕まえた。どういうわけか、取り調べは彼女自らが行い、その結果、男が高度に組織化された自動車窃盗団の一員だということが判明した。

 

 取り調べを終えたアメリアは、独自のルートを駆使することで、翌日には各方面からの資料を手元に取り揃えた。男の証言と照らし合わせることで、やがて窃盗団と、アルバニア・マフィアを母団体とする巨大な自動車密輸シンジゲートとの相互関係を看破してみせる。ただちに州警察と合同の捜査本部が設置され、窃盗団を壊滅するための作戦が計画された。陣頭指揮を執るのは、勿論アメリアだ。窃盗団はまず販売ルートを寸断され、次いで拠点を制圧され、身動きのとれない死に体のところを、一人、また一人と捕縛されていった。総勢三一名の犯罪者集団が全滅したのは、最初の男が逮捕されてから僅か二週間後のことだった。

 

 政府はアメリアの活躍を大々的に喧伝した。国民はこの美しき参事官候補生の勇姿に熱狂し、喝采を送った。その一方で、ハンスたち警察官は、新聞の第一面で自信たっぷりに微笑む彼女の写真に訝しげな眼差しを向けた。あまりにも上手くいきすぎている。

 

 一人目の逮捕と、彼を取り調べたことで窃盗団の存在が発覚したことについては、運が良かったと納得できる。しかし、その後の動きの速さと首尾の良さは、どう考えても異常だ。資料集めに費やした時間。シンジゲートとのつながりを見出すまでにかかった時間。そこから州警察との協力体制を築き、作戦を立案、具体化し、実行した。これらのことを、たった二週間でやって見せた。あまりにも手際が良すぎる。

 

『最初から窃盗団の存在とシンジゲートとの関係を知っていた上で、以前から合同捜査本部開設の根回しを進めていなければ、不可能な速さだ』

 

 いつしか警官らの間で、一連の逮捕劇はアメリア・クンツェのために用意された脚本ではないかと噂されるようになった。さすがにマッチポンプとは言わないが、以前から内定を進めていた窃盗団をわざと泳がせ、アメリアが参事官候補生になったタイミングで、功績を上げさせるために捕えさせたのではないか、というのだ。

 

 窃盗団を壊滅させた後も、アメリアは順調すぎるほどのペースで経験と実績を積み上げ、とんとん拍子で出世していった。彼女が提案する組織の改善計画は、奇妙なまでに好意的な態度を示す上司らの、満場一致の賛成によって速やかに実行され、そのことごとくが成功していた。一方犯罪に対しては、彼女の前に立ちはだかるのはいつも凶悪な組織犯罪だったが、どういう判断なのか、彼女はいつだって下準備にかける時間を疎んだ。それでいて、彼女が主導した作戦はそのほとんどが相手のツボにはまり、数多の犯罪者たちが怨嗟の溜め息をつくことになった。アメリアが大活躍をするその度に、ハンスたちの疑念はいっそう深まっていった。口さがない者など、そもそも彼女が高級職になれたのは、昇進試験の結果に政府の連中が下駄をはかせたからだ、とまで口にする始末だ。

 

「連邦政府はクンツェ監督官を、女性のための新時代の先頭を進むリーダーとして宣伝したいのだよ」

 

 オスカーは苦い口調で言った。

 

「そのために、政府はまた、クンツェ監督官に大きな仕事を任せることにした」

 

「それは?」

 

「これはまだ、対外的には伏せられている話だ。連邦警察では、部長クラス以上の者にしか知らされていない。例外は、警察部長から直接話を聞かされた私と、いまからこの話を聞かされるお前だけだ」

 

「承知しました」

 

 この部屋で聞かされたことは、決して口外してはならない。言外の意図を正確に読み取ったハンスは、その先の言葉を促した。

 

「第二回IS世界大会『モンド・グロッソ』の、本戦大会だ。政府はクンツェ監督官に、大会期間中のミュンヘンの警備態勢の計画作成を命令した」

 

 ハンスは得心した様子で頷いた。三ヶ月後の開催を控えた世界大会は、ドイツで三番目に大きい都市で行われることが決まっている。一九七二年のミュンヘン・オリンピックの会場跡地の公園を再開発して築かれた闘技場は、著名建築家の協力を得て素晴らしいスタジアムに仕上がったと聞いている。

 

「いまから見せるのは、人員配置についての草案第一稿だ」

 

 オスカーは手にしたバインダーから、計画概要を記した書類と、付属資料として何枚もの地図を取り出した。地図はミュンヘン全域の拡大図だ。街のどの場所に何人の警官を配置するかが、事細かに記載されている。

 

 ハンスは受け取った地図を、しげしげ、と眺めた。連邦警察全職員のおよそ三分の一に相当する一万二〇〇〇人と、各州警察からの応援二万人。計三万二〇〇〇人が、無駄なく、無理なく、そして隙なく配されている。犯罪リスクの高い本戦会場の周辺や選手たちの宿泊施設、空港や、各国の要人が宿泊するだろう高級ホテルのある場所には人員に厚みを持たせる他方で、一般の国民や観光客が殺到するだろう地区には、各人の連携を前提に、連絡がとりやすい距離を意識した配置がなされていた。どこかでトラブルが発生すれば、隣接するエリアを担当する者がすぐ応援に駆けつけられる体制が整えられている。少ない人数でも死角や警備の空白地帯が生まれないようにする工夫や冗長性が、地図からは見て取れた。

 

「この地図を見てどう思う?」

 

「すごいですね、これ」

 

 率直に、感想を述べた。怪しい噂話の絶えない監督官だが、基本的には優秀な人物だ。

 

 それに、この配置図からは情熱が感じられた。ミュンヘン・オリンピックのときのようなテロリストは勿論、掏摸の一つも見逃すまい、とする断固たる決意が。

 

「まるで蜘蛛の巣だ」

 

 犯罪者だけを絡めとる蜘蛛の巣だ。ひとたび足を踏み入れたら最後、決して逃れることの出来ない警備網。

 

「これなら、少々手直しするだけで、すぐ実戦で使えるものになるでしょう」

 

「実際、部長たちの反応も上々だったよ。ところがだ」

 

 オスカーはバインダーから、別の地図を取り出した。やはりハンスに手渡して言う。

 

「ちょうど一週間前に提出された、草案第二稿だ。こいつをどう思う?」

 

「……クンツェ監督官は、風邪でも引かれたのですか?」

 

 ハンスは辛らつに吐き捨てた。先ほどと打って変わって、熱病にうなされながら描いたとしか思えない完成度だ。第一稿で見られた良さが失われてしまっている。

 

 人員の配置場所そのものは、第一稿とほとんど変わりない。変わってしまったのは、重点警護地点の数だ。観光名所を中心に、七箇所も増えている。これのために、第一稿の時点では十分な人数が置かれていた他の重点警護地点の守りが、少々手薄になってしまっている。もともとその地点を見回る予定だった警官を、新たに追加した重点地へ割いたためだ。

 

 特に、ミュンヘン中心部の高級ホテル街が酷い。ミュンヘンのホテル街は、中級からエコノミークラスが集中している中央駅の周辺と、高級ホテルが多い市中心部の二箇所ある。中心街にはホテルの他に、観光名所の新市庁舎やレジデンツ博物館、州立歌劇場などがある。

 

「バイエリッシャー・ホープなんて、新たに加えられた州立歌劇場とレジデンツに人を割いたせいで、第一稿の半分くらいの人数しかいないじゃないですか」

 

 一八五二年創業の、ミュンヘンを代表する高級ホテルの一つだ。モンゲラ宮殿など、いくつかの建物をつなぎ合わせた上で改装しており、客室の内装はアンティーク調からモダンなものまでバラエティ豊か。大会の期間中は、世界中の要人の利用が予想された。特に重点的に守りを固めねばならない場所の一つだ。

 

「何事も起きなければ、この人数でも問題ないでしょうが。……それとなによりも、第二稿では我々GSG-9の存在が、完全に無視されている」

 

 連邦警察GSG-9。ドイツ連邦警察が世界に誇る、ヨーロッパ屈指の戦闘力を持つ対テロ特殊部隊だ。戦闘中隊三個を中心に、情報部隊や装備研究部隊といった各種の支援部隊から構成される。ここザンクト・アウグスティンに本部を置き、平時は対テロ作戦の研究と訓練を。有事の際には、ドイツ警察に強力な対テロ作戦能力を提供することを、主要な任務としている。

 

 草案の第一稿では、GSG-9の三個中隊から各五名ずつを選抜し、大会期間中現地に設置する予定の、作戦司令部に常駐させる旨が記載されていた。目的は勿論、精兵を置くことによる戦力の強化と、対テロ作戦の専門家の意見をいち早く現場に反映させるためだ。テロリストの攻撃によって人員の配置を変更せねばならなくなったときなどに、彼らの発言は大きな助力となるだろう。また、現地の警察力だけでは事態の解決が難しい事件が発生した場合に、ザンクト・アウグスティンのGSG-9本隊にスムーズに連絡を取り次いでもらうための、いわば交換台としての役割も期待されていた。

 

 ところが、新たに提示された第二稿には、GSG-9の存在が排除されていた。五名ずつどころか、隊員は一人としてミュンヘン市内には置かない。代わりに下される予定の指示は、即時出撃可能な態勢は維持しつつ、ザンクト・アウグスティンで全員待機していろ、というもの。少数精鋭の特殊部隊は、一箇所にまとまっていればこそ、その真価を発揮出来る。新たな命令の根拠として紹介された酷い理屈に、ハンスは眩暈すら覚えた。

 

「クンツェ監督官は、時季外れのインフルエンザにでも罹患しましたか?」

 

「熱病よりも、もっと厄介な事態に巻き込まれているかもしれん」

 

 オスカーはハンスの言葉遊びを引用した。

 

「第一稿が提出されたのが三週間前。第二項の提出が一週間前だ。この間の二週間のうちに、クンツェ監督官の身に何があったのか」

 

「なるほど」

 

 ハンスは頷いた。

 

「ここまでが前提で、ここからが本題、というわけですね?」

 

「少し、話題を変えよう」

 

 オスカーはバインダーから一枚の写真を取り出した。街中を手をつないで歩く、若いカップルの写真だ。男は二十歳前後、女の方は十代半ば。隠し撮りらしく、二人ともカメラの方を見ていない。アングルも、右斜め前からと奇妙だ。撮影日はちょうど三週間前。撮影時間は、午後七時半と遅い時間帯。

 

「クンツェ監督官は、警察学校を卒業と同時に入籍している。彼女の家は名門で、幼い頃からの許嫁との婚姻だそうだ。彼女は二四歳と、二六歳のときに、それぞれ長女と、次男を産んでいる」

 

 これもアメリア・クンツェにまつわる有名な話だ。政府が彼女を広告塔に起用した理由の一つで、連邦警察は安心して子育てができる職場ですよ、というアピールのためだそうな。

 

「写真の娘は、クンツェ監督官の娘なんだ」

 

 ハンスは写真の二人を、まじまじ、と見つめた。なるほど、母親によく似た美しい娘だ。二四歳のときに産んだ子どもということは、いまは十四か、十五歳。まだ未成年者だ。相手の男は、それを承知で連れ歩いているのか。それもこんな遅い時間帯に。

 

「この写真はどこで?」

 

「ヴィルヘルム通りだ」

 

 オスカーは写真撮影にいたった経緯を説明した。

 

「たまたまその場に居合わせた情報部隊の、部隊長が撮った」

 

 GSG-9は自前の情報部隊を持っている。ドイツ国内外のテロリストに関する情報を収集し、分析するための補助機関の一つだ。

 

「きっかけは、まったくの偶然だった。国内に潜在しているテロリスト予備軍への対策の件でな、ベルリンの警察本部の者たちと直接話し合う必要があるからと、部隊長を向かわせたんだ」

 

 ザンクト・アウグスティンからベルリンまでは、直線距離でも四六〇キロメートル以上ある。交通手段には飛行機と鉄道の二種類あるが、鉄道はロートハール高原やハルツ山地を迂回しなければならないため時間がかかる上、乗り換えも多い。一般的には、ケルン・ボン空港からベルリン・ブランデンブルク空港へひとっ飛びするルートが選ばれる。

 

「当初の予定では、会議は四時間程度で終わるはずだった。ところが、議論が紛糾し、予定の時間を大幅にオーバーしてしまった。部隊長が庁舎を出たとき、時刻はもう一八時を回っていたそうだ。いまから急いで空港に向かっても、ザンクト・アウグスティンに到着するのは真夜中だ。ただ疲れるだけと判断した彼は、その日はホテルに一泊して、翌朝、こちらへ戻ることにした。

 

 さて、そうなると目下の課題は、夕食をどうするかだ。滅多に来ることのない街だ。せっかくだからと、ポツダム広場の方まで足を延ばした彼は、そこで、クンツェ監督官の娘が、夜の遅い時間に、若い男と一緒に行動している姿を目撃した。監督官の娘は、まだ十四、五歳だ。相手の男は、どう見ても二十歳は過ぎている。危険な匂いを感じ取った部隊長は、二人の後をこっそりつけた。二人はモール・オブ・ベルリンでショッピングを楽しんだ後、付近のバルで食事をし、その後はホテルに向かった。男の方は彼女の腰に腕を回し、いかにも親密そうな様子だった

 

 この時点で、部隊長が懸念したのは二つのことだ。一つは勿論、法律違反についてだな。わが国では未成年者を夜間に連れ歩いたり、性的関係を結んだりすることは、基本法で禁じられている。警察幹部の娘が、そんな事態に巻き込まれたと世間に知れてしまった場合に、どんな影響力を発揮するか。部隊長はまずそこを考えた。

 

 次いで考えたのは、男が相手のことを、クンツェ監督官の娘だと承知の上で手を出しているかどうかだ。つまり、一種のハニー・トラップの可能性を疑ったわけだな」

 

 何か大きな犯罪行為を計画している不逞の輩が、警察機関の情報を得るために幹部の家族を籠絡しようとしている。そんな可能性を考えた部隊長は、すぐに直属の上司であるオスカーと連絡をとった。事態を重く見たオスカーは、ザンクト・アウグスティンのボスであり、GSG-9の最高司令官でもある警察部長に、情報部隊長が見たものを報告した。そこではじめて、オスカーは警察部長の口から、クンツェ監督官が秘密裏にモンド・グロッソの会場警備の計画立案を任されていることを知らされたのである。

 

 男の狙いはIS世界大会にあるかもしれない。オスカーは部隊長にそのままベルリンに残って情報収集をするよう命令した。一ヶ月前のことだ。それから一週間後に草案の第一稿が提出され、さらにその二週間後に、第二稿が提出された。若い二人が日に日に関係を深めていく様子を聞いていたオスカーは、第二稿に目を通すや、男の狙いに対し確信を強くした。

 

「これは、部隊長が送ってきた報告書だ」

 

 オスカーはバインダー・ファイルからまた別の紙資料を取り出した。

 

「ここには、彼がベルリンで見聞きしたことが書かれている。詳細は、あとでじっくり読んでもらうとして、この場では四つ、要点を話す」

 

 要点その一。クンツェ監督官と娘の親子仲について。

 

 よくある話だ、とオスカーは最初に総評を口にした。学業優秀にして品行方正な弟と、そうではない姉。両親をはじめ、周囲の大人たちは弟ばかりを可愛がり、年齢の近い者でさえ、慕っている。そんな状況が面白くない姉は、彼らの関心を自分に惹き寄せたい気持ちから、非行に走ってしまう。

 

 普通の親であれば、気づいた時点でどうしてそんなことを、と彼女の気持ちを問いただしただろう。しかし悲しいかな、彼女の親は警察の幹部だった。アメリアは彼女が非行に走った背景や動機については触れることなく、行為に手を染めたその一点だけをなじった。親の職業を何だと思っている? お前のせいで、母さんのこれまでの努力を台無しにするつもりか!? 咄嗟に飛び出した保身の言葉にショックを受けた娘は、僅かなお金だけを手に、反射的に家を飛び出してしまった。彼女がいまの彼氏と出会ったのは、そんな家出の最中のことだったという。

 

 オスカーは次いで、部隊長が調べ上げた男の素性について語った。

 

「エットレ・ラッビアという、二二歳のイタリア人だ。ミラノ大学の医学生で、学年は四年生。ベルリンには、フンボルト大学に留学生としてやって来ている。実家が相当太いのか、滞在先のマンションは、フリードリヒ・シュトラーセ駅にほど近い、家賃十五万ユーロの高級物件だ。そこに、クンツェ監督官の娘と、二人で暮らしていた」

 

「いた、ですか」

 

「ああ。いた、だ」

 

 つまり現在、件の家に二人の姿はないということか。では、いったいどこに? オスカーは構わずに続けた。

 

「家出に至るまでの経緯から、当時、クンツェ監督官の娘の自己肯定感は非常に低い心理状態だったと考えられる。そんなときに現われた、自分に愛を囁いてくれる、しかも年上の男だ。十四歳の自分に、二二歳のエットレが夢中になっているという状況は、少女の自尊心を大いに刺激したことだろう。彼女はエットレからもっとたくさんの愛を引き出そうと、甲斐甲斐しく尽くした。二人が深い仲になるのに、大して時間はかからなかったそうだ。

 

 さて、ここまで話したエットレという男だが、部隊長の調べによって、その経歴はまったくのでたらめであることがわかっている」

 

「と、言いますと?」

 

「まず、ミラノ大学の医学部に、エットレ・ラッビアなどという学生は在籍していない。フンボルト大学が、この時期にイタリアから留学生を迎え入れた、という事実もなかった。入国管理局にも問い合わせてみたが、エットレ・ラッビアなる人物の入国記録は確認出来なかった」

 

「……その調子では、エットレ・ラッビアという名前や、イタリア人であるという国籍も、怪しいところですね」

 

「実際、私や部隊長も偽名だと考えている」

 

 オスカーは右手の人差し指から薬指までを立てた。

 

「要点その三、だ。部隊長が彼らの身辺調査を始めてからちょうど二十日後、エットレ・ラッビアとクンツェ監督官の娘が、二人揃って行方をくらませた」

 

 増員とともに二四時間体制で部屋を監視していた部隊長からの報告によれば、近隣の住人や親しい友人など、誰にも、何も告げることなく、ある日突然に、マンションの部屋を引き払ったという。午前五時という朝早い時間に、仲むつまじそうに手をつなぎながら家を出た二人は、通りでタクシーを拾うとベルリン・ブランデンブルク国際空港へ向かった。追跡できたのはそこまでで、イタリア行きのエアバスA320に搭乗後、彼らの行方はまったく分からなくなってしまった。

 

「おそらくは、我々が身辺を嗅ぎ回っていることに気がついて、急ぎ行動を起こしたのだろう。クンツェ監督官があの第二稿を俎上に載せてきたのは、その二日後のことだ」

 

 その間に、エットレ・ラッビア本人あるいは彼の仲間たちから、監督官に何らかのはたらきかけがあったのは間違いないだろう。監督官の娘に目をつけた情報収集能力や、高級マンションの家賃、さらに出国時の手際の良さから、エットレが手厚いバック・アップ態勢に支えられていた公算は高い。彼らは、組織だ。監督官の娘はそいつらの仕掛けたハニー・トラップに引っかかり、母親への人質にされてしまったと考えられた。

 

「最後に、要点その四だ」

 

 オスカーはハンスに、十数枚の写真を手渡した。どれも同じ場所、同じ被写体を、異なる時間帯、異なるアングルから撮影したものだ。写真の中心にはエットレ・ラッビアの姿があり、どこかのバルのカウンター席で酒を飲む瞬間がフィルムに切り取られている。おそらくは尾行中に隠し撮りした写真と思われた。カメラに対して目線を向けているものは一枚もない。

 

 ハンスはエットレよりも、その隣の席に注目した。どの写真にも、同じ顔の男が座っている。雰囲気作りのためだろう、店内の照明が絞られているせいで細かな顔立ちは見えづらいが、自分と同じ、三十代前半くらいの印象だ。

 

「二人がフリードリヒ・シュトラーセ駅近くのマンションで暮らしていた頃の話だ。エットレは平日の日中、家を留守にしがちだった。留学生という設定に真実味を持たせるためだろう。大学や、大学病院に行くと称して、頻繁に出かけていた。勿論、実際の行き先は別の場所だ。大抵の場合は、ベルリン市内をあちこち遊び回っていたみたいだが……その中に、かなりの高頻度で立ち寄るバルの存在に気がついた。いま渡した写真は、そこで撮影した物だ。

 

 気づいたと思うが、いつも、エットレの隣に、同じ人物が座っている。部隊長が見ていた限り、特に親しげな様子はなかったそうだが、それでも、会う度に数言、小声で会話する程度の素振りは見られたそうだ」

 

「何者です?」

 

「連邦空軍の軍人だ」

 

 ハンスは得心した様子で頷いた。監督官がはじめに言った、隣町の様子がおかしい、という言葉の意味が、わかり始めてきた。

 

「エミール・バレニー大尉だ。空軍指揮幕僚監部本部勤めの、参謀職の一人だ」

 

「……つまり、形としてはこういうことですか。エットレ・ラッビアを名乗る自称イタリア人とともに、クンツェ監督官の娘が行方をくらませた。その後、監督官の様子が明らかにおかしくなった。おそらく監督官は、娘のことでエットレ本人あるいはその仲間たちから脅されている状況だと考えられる。そしてエットレは、ベルリン滞在中に、わが国の連邦空軍の上級軍人と、頻繁に接触していた」

 

「敵の目的は不明だが」

 

 オスカー監督官は、エットレ・ラッビアらを明確に敵と評した。

 

「連中の狙いが、三ヶ月後のモンド・グロッソ開催期間中にあるのはほぼ確実だ。しかもその企みには、連邦空軍も関わっている。空軍が警察の動きの邪魔をするなんて、前代未聞の事態だ。極めて重要な、そして秘匿性の高い、“政治”目的のことと思われる」

 

「政治……」

 

「そうだ。つまりは、テロリズムだ」

 

「俺たちの敵です」

 

 ハンスは好戦的に微笑んだ。ハンサムな彼が凶暴に笑うと、喉奥が、きゅっ、とすぼまる“すごみ”が感じられる。

 

「私をここに呼び出した理由は……」

 

「現時点で、この連中に対し、我々に出来ることは少ない」

 

 連邦警察は、捜査権を持たない警備警察組織だ。いくら怪しいからといって、これから隣町に乗り込んで、家宅捜索を行うことは許されない。また、クンツェ監督官の娘の件についても、いま時点では独自に情報を掴んだGSG-9が、やはり独自の判断で調査を進めている段階にすぎない。人質救出作戦の準備と実行は、監督官自身の口から助けを求める声があがらなければ。

 

「しかし、それは望みの薄い未来だ。おそらくは娘のことで、余人に助けを求めれば彼女の命はない云々脅迫されているだろうからな。また、連邦空軍が単独で行動しているとは考えにくい。おそらくは連邦空軍に好意的な幾人かの政治家が動いているはずだ。彼らが問題が発覚しないよう、圧力をかけていると思われる」

 

「監督官からの要請は期待出来ない」

 

「うん。こちらから積極的に敵組織を攻撃することは困難だ。よって、」

 

「はい」

 

「積極的防御の作戦でもって、これを迎え撃つ。わがGSG-9は、監督官とは別に、独自の警備計画と、作戦を実行に移す。大会の開催期間中に何が起こっても即座に対処出来る態勢を構築する。……ハンス・ブルックハルト上級巡査」

 

「はっ」

 

 ハンスは戦闘ブーツの踵を打ち鳴らして姿勢を正した。

 

「大会の開催まで残り三ヶ月だ。これから三ヶ月の間に、作戦に必要な人員・物資・情報・システムを準備する。まずは戦闘中隊から十名と、さらにバック・アップ部隊から十名の計二十名を選出し、スペシャル・ユニットを編制する。ハンス、きみはその部隊の指揮を執れ」

 

「了解しました」

 

「人員の選抜は、きみに任せる。きみが最も力を発揮しやすいメンバーを揃えろ。ユニット結成後、準備が整い次第――少なくとも、モンド・グロッソが開催される二ヶ月前までには――ミュンヘンに移動しろ。現地に活動拠点を築き、現地の情報を収集し、大会に備えて訓練に励むのだ。またその際には、きみの判断で警備に必要と考えられる装備を現地に運び入れろ」

 

「武器は、どの程度まで?」

 

「スナイパー・ライフルまでは許可する。ただし、実際に発砲する際には、」

 

「勿論、細心の注意のもと、使用するべきか否かを判断します」

 

「うん。それで構わない。……ハンス」

 

 オスカーは眉間に深いクレヴァスを刻んだ顔で、憂いの篭もった口調で言った。

 

「何の因縁だろうか。モンド・グロッソの会場は、よりにもよって、あのミュンヘンだ」

 

 一九七二年、ミュンヘン・オリンピック人質事件。世界中からの注目が集まるスポーツの世界大会の場で事件は起こり、当時のドイツ警察は敗北した。そしてその結果、GSG-9は創設された。

 

 いままた、同じミュンヘンの地で開かれようとしている、あのとき以上に巨大な世界的スポーツ・イベントが、邪悪なる企みを腹中に抱え持つ者どもに狙われている。

 

「今度こそ、守るのだ。連邦空軍を敵に回すことになったとしても構わない。今度こそ、我々ドイツ警察の手で、守るのだ」

 

 惨劇は、そして過ちは、二度と繰り返させない。

 

 断固たる決意を胸にハンスは頷くと、持っていた写真の男たちを睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 ザンクト・アウグスティンのGSG-9本部でハンス・ブルックハルトが闘志を滾らせていた、ちょうど同じ時間。

 

 日本国、三重県伊賀上野の地で、一組の親子が再会の喜びからかたい抱擁を交わしていた。

 

 鬼頭智之と、鬼頭陽子。

 

 三年ぶりに顔を会わせ、声をかけ合い、互いの肌に触れ合った。

 

 会えなかった時間を埋めるように。

 

 一度、掌からこぼれ落ちてしまった親子愛の存在を確かめるように。

 

 父と、娘は、互いの背中に腕を回し、強く、しかし優しく、相手の体を抱き寄せ合った。

 

 

 

 

 




独自解釈要素、『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅠ』



オーバーラップ版文庫第二巻のカラーページ部分に紹介されていた『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』の解説について。
以下引用

機動性に優れるカスタムⅠに大幅な改修を~

引用終了


……カスタムⅠって何よ?
今後登場するのかな、とも思いましたが、どうやらそんなこともなさそうな感じなので、この際、独自解釈で設定を起こしてみました。
お話しの本筋に関わる部分ではないので、さらっと書きましたが、要はトヨタ・ヤリスにおけるGRヤリスとか、ヴォクシーにおける煌とか、そんな感じのイメージ。

今後もこういった細かい設定部分で独自解釈を挟むことになるだろうと思います。
なるべく、世界観が破綻しないよう努めますが、ご容赦を。




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