この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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第四話です。

ハイスピード学園バトルラブコメの二次創作にも拘わらず、遅々とした展開で申し訳ない……。



Chapter4「信託の日」

 一ヶ月前――、

 

 

 

 昼休みの到来を告げるチャイムが、室内に鳴り響いた。

 

 名古屋市名東区にある、アローズ製作所本社ビル、パワードスーツ開発室。

 

 鬼頭智之らの理想に賛同し集まったライト・スタッフのほとんどは独身だ。弁当持参者は少なく、昼休みが始まれば社員食堂や外の定食屋などに向かう者たちのため、室内は閑散としてしまうのが常だった。

 

 しかし、その日ばかりは少々事情が異なっていた。昼休みが始まったにも拘わらず、誰もその場から動こうとしない。

 

 技術者たちの眼差しは、等しく二人の男に向けられていた。

 

 鬼頭智之と、桜坂室長。

 

 パワードスーツ開発室の発起人たる二人は、室長用の事務机を挟んで対峙していた。仁王の怒れる眼差しを、鬼頭が真っ直ぐ受け止めている。そのかたわらでは、IS学園の山田真耶が立ち尽くしていた。全身これ怒りの化身と化した、六尺豊かな大男が身に纏う圧倒的な迫力を前に、気持ちが萎縮している。

 

 デスクの上には、一通の白い封筒が置かれていた。表側に、退職願、としたためられている。勿論、たったいま鬼頭が提出した物だ。桜坂の怒りの所以である。

 

 IS学園に行ったきり連絡の取れなかった親友が、今朝、学園の教師と思しき女性を連れて出社したとき、桜坂は詰問こそしたが、その語気に怒りの感情は薄かった。

 

 いったい何があったんだ。どうして連絡をくれなかったんだ。自分も陽子ちゃんも、心配したんだぞ。……しかし、ともかく、無事でよかった。

 

 不安と、それ以上に親友の壮健な姿を我が目で確認出来たことへの安堵で、彼の語調はむしろ優しかった。

 

 それが阿修羅の形相へと変貌を遂げたのは、鬼頭が退職願を取り出してからのことだ。二人の口からIS学園で何が起こったのかを聞かされた桜坂は、もう二十年以上もの付き合いになる友の顔を睨みつけた。

 

「……事情は分かった。IS学園で何があったのか。政府がお前に何を求めているか。この退職願が、俺たち開発室のみんなや、会社のことを思っての行動だということも、理解した」

 

 ドスを孕んだ声で、桜坂は呟いた。平素、作業現場で彼の怒鳴り声を聞き慣れている開発室のメンバーでさえ、胴震いを禁じえない。

 

「たしかに、会社のことを思えば、政府やお前の下した判断は正しいと思う。いまの立場のまま、お前の存在が公表されれば、マスコミ連中以外にも、色々な奴らがアローズ製作所に接触してくるだろう」

 

 その中には、非合法な暴力的政治団体や、冷戦時代に名を馳せたスパイ組織の末裔らも含まれよう。

 

 残念ながら、アローズ製作所に彼ら全員と戦える力はない。

 

「だから、退職っていう手段は、ベストな解答だろうとは思う」

 

 マスメディアからの問い合わせに対しては、「すでに会社を辞めた人間なので詳しいことは分かりません。個人情報保護法にも引っかかるので、在籍時のこともお話し出来ません」と、突っぱねることが出来る。

 

 スパイ連中に対しては、標的に選ばれにくい効果が期待出来るだろう。

 

 鬼頭智之にとって、アローズ製作所は、さほど重要な存在ではなかった。そうでなければ、こんなにもあっさり退職したりしないだろう。この会社から採れるデータは高が知れている。会社の人間を人質に取ったところで、大した効果はあるまい……。そんな誤診が期待出来る。

 

 仮にそう思ってくれなかったとしても、少なくとも時間は稼げるはずだ。たとえば人質作戦を実行する場合、誰をターゲットとするのが最も効果的か。会社との縁が切れている状態では、分析には時間がかかる。その間に、政府と連携して防備を固めることも出来るはずだ。

 

 会社のみんなを守るため、鬼頭が職を辞することの有用性は、桜坂も疑いようがなかった。

 

 しかし――、

 

「なあ、鬼頭……」

 

「ああ」

 

「俺はな、勝手ながらお前のことを、親友だと思っている」

 

「……俺だってそうさ」

 

 単に付き合いが長いから、というだけではない。この男とはともに青春時代を過ごし、夢を語り、肩を並べて戦った。

 

 今日まで生きた日々のうちで、最も辛かったあの時期……。晶子と離婚し、何もかもを奪われ、絶望していた自分を、常にそばで支えてくれたのも、この男だった。

 

 何が、勝手ながら、だ。

 

 お前は、

 

 お前は、俺の……、

 

「俺も、お前のことを親友だと思っているよ」

 

「ありがとうよ。それで、だ。同時に俺はいま、パワードスーツ開発室の室長で、お前の直属の上司の立場にある。俺はお前に、親友としての立場から、そして上司としての立場から、言わなければならないことがある。まずは、友人として、言うぞ」

 

 鬼頭を見つめる桜坂の眼差しが変わった。怒りの炎は消沈し、黒炭色の瞳は憂いで潤んだ。

 

「お前、大丈夫か?」

 

「……どういう意味だ?」

 

「辛そうに見えるんだよ。俺の目に。いまのお前は。無理をしているように見える」

 

「無理なんて……」

 

「誤魔化すなよ」

 

 毅然と言い放ち、続くはずの言葉を遮った。

 

「俺とお前の仲だ。嘘や隠し事はすぐに分かる。

 

 鬼頭、俺にはお前が、自分の本当の気持ちを押し殺して、無理に強気に振る舞っているように見えるぞ」

 

「……」

 

 返す言葉を見失ってしまった鬼頭の横顔を、真耶が心配そうに見上げた。正体もなく取り乱すといった無様こそさらさなかったが、表情からは明らかな動揺が窺えた。

 

「勿論、会社のことが心配っていう気持ちも、まごうことなきお前の本音だろう。けれど、それとは別に、隠している本当の気持ちがあるよな?」

 

 会社に迷惑をかけたくない、と鬼頭は言った。この発言から読み取れるのは、他者へ愛と諦めの気持ちだ。鬼頭自身に対する自己愛はまったく感じられない。自分の気持ちを第一とした、隠された本音がまだあるはず、と桜坂は考えた。

 

「教えてくれ、鬼頭」

 

「……たしかに、お前の言う通りだ。しかし、それを口にすることは……」

 

「鬼頭、頼む」

 

 鬼頭は、深々と溜め息をついた。これは、無理だ。十八歳のときに出会った頃からそうだった。この男には、一度“こう”と決めたら、たとえ相手が大統領であったとしても譲らない頑固さがある。彼のそうした気質は、社会で生きていく上でときに弱点にもなったが、自分はむしろ愛おしく思った。

 

 桜坂自身が豪語した通り、下手な誤魔化しは通用するまい。鬼頭は諦めた表情で口を開いた。

 

「辞めたくないさ。二十年以上、勤めた会社だ。こんな形で、辞めたくはない。俺たちの夢だって、諦めたくない!」

 

 十九歳のあの日、ケンブリッジの安アパートの一室で、目の前の男と夜通し語り合った夢。

 

 自分たちの作ったパワードスーツで、世界中の人々を助けたい。

 

 自分たちの作ったもので、世界を変えたい。

 

 やっと、だ。

 

 やっと、実現に向けて動き出したところなのだ。

 

 こんな理由で、こんな形で、諦めたくはない!

 

「そいつを聞いて、安心したぜ」

 

 仁王の顔立ちに安堵の微笑を浮かべて、桜坂は机の上の封筒を手に取った。周りのみなが、あっ、と声を上げる暇も与えずに、中身ごと真っ二つに千切り裂く。

 

 驚愕に目を剥く鬼頭に、桜坂は慈愛に満ち満ちた語調で言った。

 

「お前はまず、俺たちのことよりも、自分のその気持ちを大切にしろ」

 

「桜坂! しかし……」

 

「大体なあ、辞めるにしても、まず俺たちに相談してからにするべきだろうが。一人で勝手に突っ走ってくれるなや。……鬼頭智之設計主任!」

 

 優しい表情から一転、桜坂は語気鋭く言い放った。

 

 役職名で呼ばれて、反射的に背筋を伸ばす。

 

「友人の立場から伝えるべきだと思ったことはすべて言いました。ここから先は、あなたの上司の立場からの言葉です。

 

 私はこれから社長室に向かいます。いま聞かされたことをすべて報告するつもりです。」

 

 鬼頭がISを動かしてしまったこと。IS学園と日本政府がその事実を公表と決めたこと。それによる会社への迷惑を考えて、本人自ら辞表を提出してきたこと。その後の聞き取りで、彼が本心では会社を辞めたくない、と思っていること。

 

「その上で、社長にこう提案します。鬼頭主任を、来年度より三年間、IS学園へ技術研修のため派遣したい、と」

 

「桜坂……!」

 

「勿論、いまの段階ではまだ私個人の考えにすぎません。ですが、社長の承認を得、IS学園側の説得に成功した暁には、鬼頭主任、あなたにはアローズ製作所の社員として、IS学園に出向してもらいたい。我々パワードスーツ開発室のために、ISの技術を学び、盗み取ってきてほしい」

 

「そんな……そんなことが、出来るはずが……!」

 

「鬼頭!」

 

 狼狽する鬼頭に、桜坂は完爾と微笑みかけた。

 

「パワードスーツ開発室が発足したとき、社長は俺たちに言ってくれたよな。全部、俺たちに任せる、ってよ。それに、俺自身こうも言ったはずだ」

 

 開発に必要なものがあれば、じゃんじゃん、言ってくれ。予算だろうが機材だろうが、どんな手を使ってでも用意してみせる。

 

「お前がXIシリーズの開発に専念出来る環境を整えるのが、室長である俺のいちばんの仕事よ。それが必要ならば、社長の説得も、IS学園側への手配も、日本政府との交渉も、全部、やってやる。アメリカのNSA、イギリスのMI6、ロシアのGRU……なにするものぞ! 連中への対抗策も、俺が全部用意する。安心しろ。これでも、MITを二番の成績で卒業した男だ。俺の持てる、全能力を駆使して、お前の行く手を遮る問題はクリアしてやる。だから、な? 鬼頭……」

 

 親友のもとへと歩み寄り、その肩を抱いた。

 

「辞めるなんて、寂しいことを、言うなよ」

 

「桜坂、俺は……」

 

 友の名を呼ぶ鬼頭の声は、震えていた。

 

「頼むよ、鬼頭。この会社にいてくれ。アローズ製作所には、俺には、お前が必要だ」

 

 喉奥を締め、声を押し殺しながら、鬼頭は澎湃と泣いた。男泣きだった。

 

 友の背中を撫でさすりながら、桜坂はパワードスーツ開発室のスタッフ全員の顔を見回した。

 

「みなさん、こんな状況に陥ってしまって本当に申し訳ありません。チームを抜けたい思った人は、いまこの場でも、後でも構いませんので教えてください。止めはしません。みなさんの自由です」

 

 鬼頭がアローズ製作所に籍を置き続けるとなれば、現在の所属部署であるパワードス-ツ開発室は特に注目を浴びよう。いくら桜坂が「なんとかする」と豪語したところで、いまの段階ではただの口約束。近く待ち受けている未来について考えた末の結論が、チームから去ることだったとしても、咎めるつもりはなかった。

 

 結局、その場では誰も名乗りを上げなかった。後から言ってくるかもしれないが、その場合はそのとき考えることにしよう。

 

 桜坂は、おろおろ、と事態の推移を眺めていることしか出来なかった真耶に目線を向けた。IS学園が説得役として派遣したであろう彼女は、鬼頭につられもらい泣き、子鹿のように大振りな双眸を潤ませ、六尺豊かな仁王様を見つめた。

 

「パワードスーツ開発室としては、いま言った通りの考えです。これから社長室に行きますが、IS学園の望む方向には進まないだろうと覚悟しておいてください」

 

「……はい。仕方ありませんね」

 

「なるべく、そちらにもご納得いただけるような形には、したいと思いますので」

 

 冷然と言い放ち、桜坂は開発室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五日後、IS学園と日本国政府は、一人の男の名前を全世界に向けて発信した。

 

 彼らはその男を、国内有数のロボット・メーカーが誇る企業戦士として紹介した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter4

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園への出向が決まってから新学期が始まるまでのおよそ一ヶ月間を、鬼頭は後に、人生四五年のうちで、最も忙しい時期だった、と評した。

 

 アローズ製作所の社員という立場を堅持したまま、IS学園への入学を認めてもらう。この難業を成功させるべく、鬼頭は桜坂と二人、関係各所を何度もハシゴする羽目に陥った。これに加えて、周囲への説明や引っ越しの準備、ISについての事前勉強、設計主任不在の期間に備えた引き継ぎ作業なども同時進行でこなさねばならず、その上で通常業務の完璧な遂行まで求められた。いかに働き盛りの四十代とはいえ、連日これはさすがにこたえた。肉体的な疲労は勿論のこと、精神的にも酷く消耗させられた。

 

 特にストレッサーとなったのは、四六時中つきまとうSPの存在だった。

 

 鬼頭の存在が世間に公表された翌日から、日本政府は彼ら親子に、二四時間体制でSPのチームをつけた。

 

 勿論、鬼頭らの身の安全を考えての措置だろうが、拳銃を隠し持った屈強な男たちが常に側にいるという状況は、思春期の娘を抱える家庭を大いに苦しめた。守られていることへの頼もしさ以上に、息苦しさを感じてしまう。

 

 彼らはまた、鬼頭たちの行動を大きく制限した。警護のためには仕方のないこととはいえ、SPたちは、自分たちの仕事のために、親子の都合をしばしば無視した。たとえば、移動時の送迎がそうだ。移動距離によらず、どこへ行くにしてもリムジンに押し込まれる生活というのは、苛立ちの募るものだった。

 

 ――しかし、そんな生活ももうすぐ終わりだ。

 

 四月になると、鬼頭の周囲はいっそう慌ただしさを増した。

 

 四月一日の時点で、織斑千冬と事前に打ち合わせた入寮日までの猶予は残り一週間。

 

 すでに引っ越しの準備は一通り終えていたが、鬼頭の日常に閑居が入り込む隙はなかった。むしろ、名古屋にいられる時間がいよいよ残り少なくなったことへの焦燥から、彼はXI-02の完成度を少しでも高めるべくいっそう精力的に働いた。IS学園で見たもの、事前学習で得た知識を、わが子同然のパワードスーツに少しずつ落とし込んでいった。

 

 最大の成果は、ISの量子格納技術の応用による部品の小型化に成功したことだった。

 

 すべてのISには機体本体や武装を量子化し、特殊なデータ領域に保存、任意で召喚する機能が備わっている。これにより、ISは質量保存の法則をある程度無視した、重装備を可能としていた。人間より少し大きい程度のサイズでしかないISに、超音速飛行を可能とするほどの機動性や、戦車中隊一個を五分で殲滅しうるほどの火力を持たせられるのも、この技術によるところが大きい。

 

 ――もし、量子格納機能をXI-02に搭載することが出来たなら……。

 

 たとえば、稼働時間の問題について大きな前進が期待出来るだろう。あらかじめ複数個のバッテリーを量子化して保存しておき、いま使っている物の充電が切れたら新しい電池を取り出して交換する、といった運用が可能となる。

 

 パワードスーツ開発室は早速、量子格納技術の研究を開始した。そしてすぐにXIシリーズへの実装を断念した。

 

 物体を量子単位に分解して保存する。再使用時にはデータを読み込み、質量を再構築する。言葉にするのは簡単だが、実際の作業は困難などというレベルではない。量子一つ一つが持っている小宇宙にも等しい莫大な情報量を、速やかに処理しなければならないのだ。

 

 XIシリーズ及び指揮車プロフィアに搭載されたコンピュータでは、性能が絶望的に不足していた。いや世界中のスーパーコンピュータをすべてかき集めたとしても、実用的な領域まで処理速度を押し上げることは不可能だろう。

 

 天才、篠ノ之束博士だけがそれを可能とした。彼女の開発したISコアの性能は常軌を逸していた。世界最高峰のスーパーコンピュータを千台連結させたとしてなお一ヶ月は要するだろう作業を、コンマ数秒でこなしてしまう。

 

 量子化技術はISコアの性能があってはじめて成立するもの。XI-02への実装は諦めざるをえなかった。

 

 その代わり手にしたのが、部品の小型化技術だ。

 

 量子化技術を研究する過程で得られた副産物で、鬼頭たちはこれを〈遼子化技術〉と名付けた。文豪、司馬遼太郎にならったネーミングだ。すなわち、量子化に遼(はるか)に及ばざる技術、の意。

 

 とはいえ、新技術の開発によって、XI-02の性能は飛躍的な向上を果たした。

 

 量子化技術のように、格納時は質量をほぼゼロに出来る……とまでは、さすがにいかないが、遼子化技術の導入により、性能を落とすことなく部品の小型化に成功したのだ。

 

 たとえば、メイン・バッテリーは従来の四分の一の大きさ、重量にいたっては十分の一以下という軽量化を達成した。これにより、ボディ・サイズの大きな変更なしに、バッテリー容量の拡大に成功、稼働時間の大幅な延長につなげることが出来た。

 

 遼子化技術の強みはもう一つある。それは、既存の生産設備でも導入可能な点だ。新たな設備投資をする必要がないため、製造コストの増加を抑えることが出来る他、アローズ製作所の他の製品にも適応出来る利点が見出せた。

 

「名古屋にいる間に成果を挙げられてよかったよ。XI-02のことだけじゃなく、会社にも奉公が出来た」

 

「来年度の人事査定を楽しみにしていろよ。確実に給料が上がるよう、進言しておくからな」

 

 内部構造を改めたXI-02のジュラルミン装甲を撫でながら、鬼頭は満足げに、桜坂は誇らしげに笑った。

 

 そして――、

 

 

 

 入寮日前日の夜、鬼頭は桜坂をマンションの自室に招いた。

 

 明日からはしばらく、自分はIS学園で預かりの身となる。気軽に顔を合わせられるのは今夜が最後だろうと、彼は親友を酒席へ誘った。

 

 酒宴の場に自分の部屋を選んだのは、勿論、SPたちの仕事の利便を考えてのことだ。どこかの料亭で一席設けるとなれば、彼らには大きな負担を強いてしまうだろうし、店側にも迷惑がかかってしまう。自分はもう、無名のピーター・パーカーではない。聴衆の前でマスクを脱いだスパイダーマンなのだ。桜坂は、「紅のうま酒を持っていくよ」と、快く応じてくれた。

 

 化粧箱に入った葡萄酒のボトルを大切そうに抱え持ちながら、桜坂はやって来た。

 

 玄関で出迎えた鬼頭親子、そしてSPたちは目を丸くした。

 

 スーパーの買い物袋を二つも手に提げた桐野美久が、ぴったりと寄り添っている。はて、自分は親友一人だけを誘い、SPたちにもそのつもりで警護を頼んだのだが。

 

「来る途中で一緒になったんだ。事情を話したら、ぜひ、私も相席させてください、ってさ。つまみ、作ってくれるそうだよ」

 

「ぜひ、ご一緒させてください」

 

「うん。おかしいね。鬼頭の家と、桐野さんの家、まったく別方向なのにね。来る途中で会う、とか、どんな偶然だろうね? まるで俺の今日一日の予定をあらかじめ知っていたかのようじゃないか!」

 

 可憐に微笑む美久と、目線で「断れ、断れ」と懸命に訴えかける親友の顔を交互に見比べて、鬼頭は、「どうぞ」と、彼女を手招きした。

 

 せっかく、会社に残ることを許してもらえたのだ。桐野社長の敵に回るようなことは出来ない。

 

 親友の裏切りに愕然とする桜坂の背中を、陽子が慰めた。間男との一件以来、男性を苦手とする彼女だが、彼に対してだけは普通に接することが出来た。

 

 鬼頭は桜坂たちをリビングへと案内した。

 

 寮生活に必要な荷物はすでに発送済みだ。

 

 がらん、と寂しい空間は、しかしすぐに、男たちの笑い声で賑やかになった。

 

 酒盃を傾け合う男たちの話題の中心は、もっぱら、MIT在籍時代の思い出話だった。特に、卒業制作で作ったパワードスーツにまつわる話が多い。どちらかといえば、技術的なことへの言及は少なく、研究に対する往時の自分たちの態度についての苦言が過半を占めていた。

 

「あの頃の俺たちは……」

 

「お互い、未熟だったな。知識も、技術も半端で、カネもなかった」

 

「それでいて、自分たちは万能の存在であると、根拠のない自信を少しも疑わなかった」

 

「世界の広さを知らない糞餓鬼だったな。……いや気づいてはいたのか。世界の広さ、そして何より、自分たちの見識の狭さについて、見て見ぬフリをしていただけだった」

 

「やってみたいアイディアはたくさんあったのに……」

 

「ああ。自分たちの未熟さを棚に上げて、カネがない、設備が悪いとケチをつけて諦めた」

 

 いまの自分たちは、あの頃とは違う。違うと、確信出来る。

 

 アローズ製作所。自分たちの夢を叶えるための最短ルートとして選んだ就職先。ここで働きながら、パワードスーツの設計に必要な知識と技術を学び、同時に資金も貯める。十年ほどで独立し、あとは自分たちの興した会社で勝手気ままに夢に向かって邁進する……。それが、当時二二歳の鬼頭らが思い描いていた青写真だった。

 

 いまにして思えば、なんと浅はかな将来像か。

 

 アローズ製作所は、そんな未熟者二人に現実を教えてくれた。

 

 知識と技術を学ぶ? 資金を貯める? 愚か者めが! たったそれだけの努力で、世界を救う、なんて大きな夢を叶えられると思うな!

 

 自分たちの作ったパワードスーツを世界中に普及させ、一人でも多くの命を救う。立派な夢だ。ぜひとも、実現に向けて頑張ってほしい。そう思えばこそ、お前達の考えの浅さはいただけない。

 

 どんなに素晴らしい製品も、それ一つだけでは世界を変えることは出来ない。数を売る必要がある。そのためには、生産システムと販売システムの両輪を上手く連動させなければならない。いまのお前達に、その構築が出来るか? システムの構築に必要なものは何か、理解しているのか?

 

「せめて二十年、この会社で社会というものを勉強していきなさい」

 

 当時の社長の言葉が、いまの自分たちを作ってくれた。

 

 会社の存在が、自分たちを鍛えてくれた。

 

 いまの自分たちには、知識や技術の他にも、数多くの強力な武器が備わっていると胸を張って言える。

 

「いまの俺たちなら、あの頃、諦めたアイディアも、きっと実現出来る」

 

 鬼頭の呟きに、桜坂は頷いた。

 

 事実、遼子化技術の導入によってバッテリー容量の問題が解決されたことで、学生時代には実装を諦めたエネルギー・ブラスト機構は実用化の目処が立った。それ以外にも、XI-02には当時諦めざるをえなかったアイディアがいくつも採用されている。

 

 のみならず、あの頃の自分たちでは思いつきもしなかっただろう機構も、XI-02には数多く搭載されていた。そのうちのほとんどは、開発室の他のスタッフから得られた発想の産物だ。

 

「それ以上のことだって可能さ。いまの俺とお前、そしてパワードスーツ開発室のみんながいればな」

 

 結局、チームからは一人の離脱者も出なかった。ありがたいと思う一方で、無用の苦労をかけてしまうことを申し訳なく思う。そしてまた、なんとしても彼らの身の安全と生活を守る手立てを講じなければ、と強く決意した。

 

「これからだ、桜坂。これからだよ」

 

 酒盃を唇に寄せる。口の中いっぱいに広がる、苦い味。古のペルシア詩人も愛飲したとされる葡萄樹の娘は、男たちの胸の内からこの一時だけ、不安を取り除いてくれる。

 

「俺たちの夢は、これからだ」

 

「おう」

 

「XIシリーズはもう、俺とお前だけの夢じゃない。開発室のみんなの夢でもある」

 

「ああ、その通りだ」

 

「俺のいない間、開発室を頼んだぞ。俺たちの夢を、守ってくれ」

 

「ああ、任せろ」

 

 力強く頷いて、桜坂は酒盃を空にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、前日――、

 

 

 

 

 

 親友との酒宴から一夜明けて、鬼頭親子は当初の予定通り、IS学園の学生寮入りを果たした。

 

 混乱を防ぐため、生徒たちが学生食堂へと足を運ぶ昼時を狙っての入寮だ。

 

 真耶に案内された部屋の番号は1122号室。離婚歴のある自分への嫌がらせか、と部屋番号を示すプレートを見て、鬼頭は思わず苦笑した。

 

 ドアを開けると、広々とした空間が親子を出迎えた。ベッドが二つ置かれた相部屋だが、それを踏まえても、学生寮という言葉が相応しからぬ広さだ。設備も充実しており、冷暖房完備の上、シャワールームや洗面台、システムキッチンまで用意されている。調度品の備えも完璧と言え、学習机やクローゼットといった家具だけでなく、冷蔵庫や洗濯機などの家電も一通り揃っていた。すべてIS学園側で用意された物だ。さすがは国立と評すべきか。

 

 リビングの中央では、名古屋の自宅からあらかじめ送っておいた段ボール箱が小さな山を築いていた。衣料品や食器などの生活用品を詰めた箱だ。陽子と二人、まずは各々の私物を梱包した箱から開けていく。

 

 引っ越しの作業はスムーズに終わった。学生寮の寮長だという千冬と真耶が、開梱などの仕事を手伝ってくれたおかけだ。彼女たちは作業が一段落ついたところで、「鬼頭さんに渡す物があります」と、告げた。

 

 千冬は学習机の上に、プラスチック製のリングケースと、一冊の本を置いた。広辞苑を思わせる大きさと分厚さで、表紙には、『IS起動におけるルールブック』と、印字されている。

 

 千冬はまず、リングケースの方に手を伸ばした。蓋を開け、中の様子を見せてくる。スエードの谷間に、金色の指輪が挟まっていた。アームの部分が太い、男物の指輪だ。台座にはダイハツのブランドマークのような三角形状の飾りがついている。

 

「これは?」

 

「待機状態のISです」

 

「これが……」

 

 鬼頭は得心した表情で頷いた。事前に渡された参考書にも記述のあった内容だ。ISは量子格納技術を駆使することで、ペンダントやピアスといったアクセサリー状の待機形態をとることが出来る。通常は装身具として持ち歩き、有事の際には即座に機体を召喚……というのが、ISの基本的な運用方法だという。

 

「日本政府からの要請で、鬼頭さんには専用機を与えることになりました。機体は第二世代機の〈打鉄〉です」

 

「父さん、すごいじゃん!」

 

 陽子が興奮した声を発しながらで背中を叩いた。

 

 無理もない。ISの中枢装置たるISコアは現在、世界に四六七個しかなく、しかも開発者である篠ノ之束博士にしか作れない。そして篠ノ之博士は、四六八個目以降の製作を拒否しており、かつ行方不明という現状だ。

 

 すなわち、この世界には現在、ISは四六七機しか存在出来ない。その中から貴重な一機を、特定の一個人に与える専用機という制度は、IS学園の生徒ならば誰もが憧れる栄誉といえた。

 

「本来であれば、IS専用機は国家や企業といった組織に所属する人間で、かつ技量に優れる者にしか与えられません。しかし、鬼頭さんの場合は立場が立場ですので。何かあったときに備えての護身用と、データ取りのために、専用機を持ってもらうことになりました」

 

「なるほど……」

 

 鬼頭は、おずおず、とリングケースに手を伸ばした。

 

 金色の指輪を手に取り、しげしげと眺める。一見した限り、何の変哲もない指輪だ。センターを除けばシンプルな造りをしており、アームは加飾のない、つるり、としたデザインをしている。

 

「嵌めてください。それだけで、そのISは鬼頭さんの専用機として登録されます」

 

 真耶の言葉に従い、指輪を右手の中指に通した。するり、と入ったのは束の間、どういう理屈か、アームの部分が伸縮し、鬼頭の指の太さに、ぴったり、馴染むサイズへと変形した。軽く手を振ってみる。指輪は、かっちり嵌まって動かない。日常生活中のふとした弾みで抜け落ちるといった心配はなさそうだ。

 

「これでユーザー登録は完了です」

 

「もうですか?」

 

「はい。これ以降この子は、鬼頭さんの許可なしには誰も動かすことが出来なくなりました。勿論、パワードスーツとしてのフィッティング作業は、別途行う必要がありますけど……」

 

「そちらの方は明日、機材の整った場所で行いましょう」

 

 次いで、千冬は机の上の広辞苑を示した。

 

「こちらは、ISを起動する際のルールブックです。基本的な取り扱い方法や、運用上の法的制約も載っているので、空いている時間に目を通しておいてください」

 

 簡単に言ってくれるなあ、と内心苦笑した。試しに最初の数ページをめくってみるが、どのページにも文字がびっしりと敷き詰められており、しかも紙は一枚々々が昔のわら半紙のように薄い。これは読破に時間がかかりそうだ。

 

 ――しかし、必要なことだ。

 

 最強兵器の扱いのすべてを、個人に委ねるのだから当然だ。

 

 たとえば、拳銃の扱い方をろくに知らない人間が、常日頃から持ち歩けばどうなるか。暴発事故で自分が傷つくだけならまだよい。下手をすれば、まったく無関係の他人を傷つけてしまいかねない。

 

 もし、ISで同様の事故を起こせばどうなるか。ISの火力は、拳銃の比ではない。その何十倍もの被害を、周囲にもたらしかねない。

 

 なるべく早く読み終えねばな、と鬼頭は決然と頷いた。

 

 

 

 

 

 ISの受け渡しを終えた千冬たちは、明日の予定について二三の伝達事項を伝えた後、早々に鬼頭たちの部屋を退室した。

 

 親子の団欒のひとときを邪魔してはならない、という配慮は勿論あるのだろうが、それ以上に、寮母としての仕事が忙しいのだろう。

 

 二人とも、寮長を務めるのは初めてではないとのことだが、今年度はイレギュラーな存在が二人もいる。平年よりも多忙であろうとは、容易に想像が出来た。

 

 千冬たちの退出によって二人きりとなった鬼頭親子は、とりあえず遅めの昼食を摂ることにした。

 

 「今日一日はなるべく部屋の外に出ないようにしてください」という、真耶からの忠告を守って、早速、部屋のシステムキッチンを使ってみた。といっても、荷解の作業で疲れていたことから、こしらえたのはコールド・ミートとサラダ、蜂蜜をたっぷり塗った食パンという、簡素な食事だったが。

 

 食事を終えると、鬼頭は温かいコーヒーをお供に、新しく手に入れた玩具をいじり始めた。ここに来る以前に渡された、IS学園の授業でも使われる教科書に目線を落としながら、右手の指輪を、コツコツ、と左手の人差し指で突く。

 

「……ディスプレイ展開」

 

 低く呟くと、鬼頭の目の前に空間投影式のディスプレイが出現した。金色の指輪が呼び出したものだ。教科書によると、ISには操縦者の思考を読み取り、システム全体に反映する機能があるのだとか。扱いに習熟した者であれば、わざわざ発声せずとも、念ずるだけで出来るようになるらしい。

 

「機体ステータスのチェックをしたい。ディスプレイに情報を表示」

 

 自分はまだ初心者だ。やりたいこと、使いたい機能のイメージを、口に出すことで補強しなければ、ISはその気持ちに応えてくれない。

 

 鬼頭の呟きに応じ、空間ディスプレイに機体情報が表示された。

 

 強化外装・六一式。

 

 和名を、〈打鉄〉。

 

 日本が開発した、第二世代を代表するISの一つだ。

 

 第二世代最高の防御能力と汎用性の高さ、運用面での扱いやすさなどから、量産ISとしては世界第二位のシェア率を誇る。

 

 鬼頭の機体には、日本政府の要請で若干の改修が加えられているらしく、主には次の五点が原型機から変更されていた。

 

 一つ、装甲部分の面積増大。

 

 二つ、安全装備の拡充。

 

 三つ、非常時に備えた、バックアップ用の大容量シールドエネルギーの搭載。

 

 四つ、データ収集用の観測装置の積載。

 

 五つ、上記四点の改修による、量子格納領域の減少。

 

 ――なるほど、この打鉄は、IS競技で勝つための機体ではない、ということか。

 

 要するに、世界にたった二人しかいない貴重なサンプルをなんとしても守るため、防御性能と安定性に秀でる打鉄の強みをさらに向上させる改修を施したわけだ。

 

 その結果、本来、第二世代機の特徴であるはずの、後付け兵装を積載するための量子格納領域が侵食されてしまっている。また、改修によって重量が増しているにも拘わらず、動力装置やパワーアシスト機構などには手を加えた様子がないため、運動性や機動性も僅かに低下していると考えられた。

 

 過日見学したミステリアス・レイディとラファール・リヴァイブのISバトルの様子を思い出す。あの激しい空中機動戦を鑑みるに、これら二要素の性能が低下しているこの打鉄は、IS競技で勝つための機体とは言いがたかった。

 

 もっとも、鬼頭はこれでよいと思っている。

 

 ――俺は今年で四六歳になる爺さんなのだ。ティーンエイジャーに混じってISバトルをするのは無理がある。日本政府も、俺にIS競技者になれとは望むまい。

 

 であれば、自分の専用機はIS競技向けの機体でなくとも構わない。

 

 はじめに千冬が口にした通り、緊急時の護身に役立つ機体でありさえすればよい。

 

 この打鉄を改修した設計者は、そのことをよく理解していたのだ。

 

 ――叶うなら、会って話をしたいものだ。

 

 一ヶ月という短い期間で、これほどの機体を仕上げてくれた。顔も名前も知れぬ人物に対し、鬼頭は感謝の気持ちと、それに倍する尊敬の念を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter4「信託の日」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し前――、

 

 

 

 二人目の男性IS操縦者が見つかった!

 

 件の人物またしても日本!

 

 彼の名は、鬼頭智之!

 

 大手メディアを中心とした記者会見の場で、日本政府とIS学園の代表者たちが口にしたその言葉は、世界を震撼させた。

 

 記者会見が始まったのは、日本時間で午前八時のことだ。日本人だけでなく、東アジア全域に暮らす多くの人々が、歴史の動く瞬間を、リアルタイムで目撃していた。

 

 各種端末から流れる緊急生放送の様子を目にした、あるいは耳にした人々が、最初にとった反応は様々だった。男性がISを動かしたという事実にただただ驚愕する者。その事実を忌々しく思い憤る者。その事実に男性復権の希望を見出して歓呼の声を上げる者……。

 

 しかし、次いで生じた反応は、多くの者たちの間で一致していた。

 

 すなわち、この鬼頭智之なる人物は何者なのか? とりあえず調べてみよう、と検索サイトにアクセスしたのだ。その人数、日本国内だけで推定三千万人超。海外からのアクセスも含めれば、二億人をゆうに超えていた。

 

 彼らがほぼ一斉に“鬼頭智之”の名前を検索バーに打ち込んだ結果、ネットワーク回線は軒並みダウンした。

 

 通信インフラの不調は記者会見が終わった後も二時間以上続き、あらゆる産業分野に対し深刻なダメージを与えた。特に損害を被ったのは投資家たちで、新規の注文はおろか、損切りの決済注文さえ受け付けてもらえぬ事態を受けて、市場は大混乱に陥った。一連の騒動によって生じた経済的損失は、調査機関によって数字の変動が多少あるものの、おおむね二千~四千億円の間だろうと推測された。

 

 さて、落胆の熱波は、長いリードタイムを経てなんとか検索サイトに辿り着いた者たちにも襲いかかった。

 

 “鬼頭智之”と名前を打ち込んでも、望む結果がヒットしない。電子の大海原よりサルベージ出来たのは、同姓か同名のまったく無関係な人たちの情報ばかりで、これは検索条件にどんな工夫を凝らしても変わらなかった。SNSの類いをやったことがないのかもしれないが、それにしたって、不自然なぐらいに情報が集まらない。

 

 事件は、そんな知的好奇心が満たされない日々の中で起こった。

 

 その道の者たちの間では高名なとあるハッカーが、鬼頭某が籍を置いているというアローズ製作所のコンピュータに侵入を試みたのだ。結果として、彼は会社のファイアウォールを突破出来なかったばかりか反撃に遭い、居場所を特定され逮捕されたのだが、その際に、

 

「あんなに強固な防御は一民間企業ではありえない。国の支援を受けているのではないか?」

 

という言葉を口にした。

 

 日本政府とIS学園が鬼頭智之に関する情報の統制を行っている、という推論が人口に膾炙するのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 鬼頭の存在を明かすと決めてからこの一週間、日本政府とIS学園は、彼にまつわるありとあらゆる情報の把握とコントロールに努めた。

 

 記者会見の日を迎えれば、鬼頭は世界中から注目を集める重要人物となるだろう。

 

 世界中の誰もが、この男はどんな来歴と人格の持ち主なのか、と関心を寄せる違いない。

 

 それが一時の好奇心に行動原理を支配されたミーハーばかりであればよいが、悪意を抱える人間だった場合、たとえば、小学生時代の卒業文集に載せた『将来の夢』といった些細な情報を手がかりに、彼の心身を傷つけないとも限らない。

 

「記者会見の当日までに、なんとしても情報統制の仕組みを整えておく必要がある!」

 

 鬼頭智之の扱いをどうするべきか。その対策会議の席上で、当時の官房長官が言い放った言葉だ。これを受けて、日本政府とIS学園は即座に行動を開始した。

 

 まず、インターネット上にうっすら残っていた鬼頭の痕跡を、目についたものから次々消去していった。

 

 次いで、鬼頭がこれまで歩んできた歴史をつぶさに調べ上げ、彼が過去に関係したあらゆる組織に対し口をつぐむよう協力を要請した。これは海外の教育機関であるMITとて例外でなく、彼らは日本の国家権力には屈しないという態度を取りながらも、卒業生の身の安全を守るために、と快く応じてくれた。

 

 日本政府らが最後に行ったのは、人の口を塞ぐことだった。鬼頭が過去に知り合った友人知人を探し出し、一人ずつ沈黙を守るよう請うたのだ。

 

 勿論、四十年以上も生きている男の、過去の交友関係すべてを洗い出して、その全員にコンタクトを取るなど現実的には不可能だ。鬼頭の情報は、彼が過去に知り合った誰かの口から、世間へといずれ発信されることになるだろう。

 

 しかし、時間稼ぎにはなる。その間に、鬼頭の情報が広く拡散した場合の備えを完璧なものとすればよいと、彼らは考えた。

 

 政府のエージェントらは、まず、アローズ製作所に関わる者たちから接触を開始した。社員は勿論、取引先企業の人間一人々々に対して、ときになだめ、ときにすかして、といった交渉術を駆使して、説得を試みた。併せて、彼らは鬼頭の学生時代の卒業アルバムに記載された名前を、一つ一つ丹念に調べていった。小学六年生のとき担任を務めた教師など、すでに故人も少なくなかったが、七割方と会う算段をつけられた。

 

 高校時代のクラスメイトだったという加藤耕作は、居場所をつかめなかった三割のうちの一人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 加藤耕作にとって、二〇一一年は人生における転機の年といえた。

 

 この年の三月十一日、東日本大震災が起こった。

 

 地震発生当時、福島県にある福島第一原子力発電所では、六基ある原子炉のうち、一~三号機の三基が運転中という状況だった。これらの原子炉は、地震の揺れを感知するや安全確保のため即座に自動停止。次いで生じた停電により外部電源を喪失するも、すぐに非常用のディーゼル発電機が起動して、原子炉内の核燃料の安定化に努めた。

 

 ところが、地震発生からおよそ五十分後に、十三メートル超という高さの大津波が発電所を襲い、地下に設置されていたディーゼル発電機を海水で侵した。津波は非常用電源以外にも様々な設備を使い物にならなくし、核燃料の温度はどんどん上昇。ついには炉心融解……福島第一原子力発電所事故が発生した。

 

 先の戦争での経緯から、核エネルギーに対し過剰なアレルギー症状を持つようになった日本人である。福島の事故について報道がなされると、国内の其処彼処で脱原発、再生可能エネルギーの拡充が叫ばれるようになった。

 

 加藤はこの機運に商機を見出した。

 

 ――再生可能エネルギーの需要は、きっとこれから高まる。商売を始めるなら、いま、だ。

 

 当時、大手家電メーカーに勤務していた彼は、いずれは己も勤め人などではなく、一城の主になってやる、と大いなる野望を抱いていた。

 

 加藤は震災の一ヶ月後には会社を辞め、貯金を元手に事業を興した。太陽光発電の肝というべき太陽電池を製造する会社だ。もともと、加藤は勤めていたメーカーでその分野の仕事をしていたから、製造技術に関するノウハウはすでに持っていた。

 

 操業一年目の業績は好調だった。震災の翌年に政府が創設した固定価格買取制度も、太陽光発電の普及を後押しした。国内総発電量のうち、太陽光が占める割合は、二〇一一年時点で一・六パーセント。それが翌年には三・二パーセントまで伸ばしていた。

 

 歯車が狂い出したのは、創業二年目……二〇一二年の中頃のことだ。太陽電池の製造に欠かせない原材料の一つ……ソーラーグレードシリコンの価格が、ゆるゆると値上がりし始めた。

 

 加藤の会社を含む先達の成功を受けて、太陽光ビジネスは儲かる! と、新たな競合相手の参入や、もともと太陽電池を製造していた大手メーカーが増産といった事態が相次いだ。需給バランスのシーソーが一方に傾き始めたことにより、シリコンの価格は上昇。太陽電池の製造原価を押し上げた。

 

 原価が上がれば、当然、利益率は下がる。これは、加藤たちのような新興の企業にはかなりの痛手だ。収益性を維持する最もシンプルな手法は値上げをすることだが、それをやると、他社製の安い太陽電池との競争に勝てない。

 高価格・高品質を売り出す戦略も難しい。加藤が会社を興して、まだ一年と少々でしかない。他社製品を圧倒するほどの技術力の蓄積はまだなく、会社は、企業としてのブランド力に乏しかった。顧客に、高い金を払ってでも欲しい! と思わせることは難しいだろう。

 

 値下げにいたっては論外だ。大手のメーカーは大量生産によるコスト・ダウンを得意としている。彼らと同じ土俵に上がって、勝てるわけがない。

 

 値上げも値下げもしづらい状況の中、シリコンの価格はゆっくりと、しかし確実に上昇していった。

 

 日々変動するシリコン価格のチャート表を眺めながら、加藤は焦りを募らせた。

 

 ――このままシリコンの価格がどんどん上がっていったら……。

 

 自分たちの会社が生き残る道はなくなってしまう。なんとか収益性を保てているいまのうちに、何か手を打たなければ。

 

 焦った加藤は、事態打開の策として、シリコンの調達に関して十年もの長期契約を結ぶ、というカードを切った。

 

 要するに、先物取引に手を出したのだ。

 

 太陽光ビジネスの発展と拡大を信じて疑わない加藤は、シリコン価格は今後長期的に上昇していくだろう、と予想した。安いいまのうちに長期契約を結んで、リスク・ヘッジを目論んだのだ。

 

 ところが、シリコン価格は加藤が長期契約を結んだ二〇一三年の二月以降、またゆっくりと値下がりしていった。供給量が需要に追いついてしまったためだ。

 

 もともと太陽光電池用のシリコン価格は二〇〇九年以降、長期的には下落基調が続いていた。

 

 いくつものファンダメンタルズ要素が複雑に絡み合い、相互に作用し合った結果で、特に大きな原因としては二つ挙げられる。

 

 一つは、世界経済の減退による需要減だ。世界金融危機により、太陽光ビジネスの牽引役だった欧州市場の成長が鈍化、ソーラーグレードシリコンの需要が消失してしまった。

 

 もう一つの原因は、景気減退以前から計画されてきた多結晶シリコンの生産体制が完成したことだった。

 

 シリコンの価格は、二〇〇八年まではむしろ高騰していた。需給バランスのシーソーは需要の側に傾いており、一キログラムあたり五〇〇ドルもの値がついていた。供給量の不足をなんとかせねばと考えた人々の投資により、二〇〇九年頃から、生産設備は本格的な稼働を開始した。

 

 供給量の増大と、需要減。この二つの要因が相乗効果をもたらし、シリコン価格は下落した。特に最初の二年は暴落と評せるほどで、一キログラムあたりの価格は五十ドルまで下がった。

 

 原発事故に端を発する太陽光ビジネスの活性化という不測の事態は、太陽電池市場に、シリコンの一時的な品不足をもたらした。しかし、シリコン・メーカー各社はこれにすぐ反応。いまや持て余し気味の生産能力を存分に活かせる機会が到来した、と増産に励んだ。その結果、価格の上昇はすぐに頭打ちし、後はゆるゆると下がっていった。

 

 シリコン価格の下落は、加藤たちの会社を大いに苦しめた。

 

 長期契約を結んでしまったことで、彼らは十年もの期間、相場よりも割高な買い物をし続けねばならなくなってしまった。

 

 その他方で、ライバルたちは安い値段で原料を仕入れ、製品化の際にはその安さを販売価格に反映させた。

 

 競合他社の製品よりも販売価格が高く、それでいて品質や性能面で圧倒的に優れているというわけでもない。

 

 熾烈なシェア争奪戦が繰り広げられる中、加藤の会社の太陽電池は、顧客からの支持を得ることが出来なかった。

 

 

 

 長期契約が終了した二〇二三年の三月、加藤の会社は、すでに死に体と化していた。

 

 割高な買い物による十年間の損失は一三〇億円にも達し、この損を少しでも取り返すため販売価格の据え置きをせざるをえず、結果、他社との競争に敗北。二〇二〇年には三期連続で赤字を計上してしまい、銀行や投資家たちから、倒産の危険がある会社と見なされるようになった。不良債権化を恐れた彼らは、資金を出し渋るようになったばかりか、貸付を早期に返済するよう要求してきた。収益性はますます悪化し、借金返済のためには資産の売却を避けられなくなっていった。資本金はどんどんと痩せ細り、業績はいっそう悪化していった。

 

 二〇二三年度の上半期決算で、会社が債務超過の状態に陥っていることが判明した。その額、二五億円。もはや自力での経営再建は不可能と判じた加藤は、一縷の望みを託し民事再生法を申請。しかし、これは提出された再建計画に具体性がないと棄却され、結局、二〇二四年の一月、彼の会社は倒産した。債務超過の分については、加藤の個人的な資産と、太陽光電池の製造に関する特許の数々を売り払うことでなんとか完済した。

 

 

 

 会社倒産後の加藤は、日ごと困窮していった。

 

 借金の支払いが終わったのは、会社としての借りた分のみの話。彼個人としての借入は、いまだ返済の義務が残っていた。主には、会社の業績がまだ好調だった頃に購入した家のローンなどだ。会社の債務超過を少しでも解消出来ればと、件の邸宅はすでに手放していたが、代金の請求だけは毎月欠かさずやって来た。

 

 ――とにかく、仕事を探さなければ!

 

 急ぎ探して得た再就職先は、家電の修理業者だった。四十代を迎えてからの中途採用だったが、月収は手取りでおよそ三十万円とまずまずの給与が保証された。知識と経験だけがものを言う修理工たちの世界で、加藤の技術は燦然と輝いていた。

 

 それでも、以前に比べれば収入ははるかに減ってしまった。三十万円の給与も、その半分以上が借金の返済で消えていった。ここからさらに、アパートの家賃や水道光熱費、携帯電話の利用料金といった固定支出を差し引くと、毎月の生活費は六万円ほどしか残らない。

 

 四十代の独り暮らしで、この予算は正直、苦しい。勿論、貯金など出来ようはずがない。不意の病気一発で、生活はあっという間に破綻するだろう。

 

 病気に罹ってはならない。怪我をしてはならない。会社を、一日とて休んではならない。

 

 加藤は、そんな気の休まらない怯えの日々を、もう二年近くも続けていた。

 

 この苦しみから解放される方法は、一つしかない。

 

 ――カネだ。もう一度経営者になりたい、なんて贅沢は言わないから、せめて、心の平静を保てる程度のカネが欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『週刊ゲンダイ』の現編集長……古沢貫一は、来週発売予定の最新号の校正刷りを精読して、満面の笑みを浮かべた。

 

 我ながらよく出来ている。特に、巻頭記事の特集が素晴らしい。ライター自身も、この十年でいちばん筆のノリが良かったと自賛していただけに、読者の目線を誌面に釘付けにする魅力に満ち満ちている。独自ルートで入手した写真の印刷映えもバッチリだ。

 

 ――今回の号は実売も期待出来そうだ。

 

 電子書籍が年々発行部数を増やし、国民の活字離れが懸念されている現在のわが国の出版業界は、内外から不況の状態にある、と見なされている。特に酷いのが雑誌で、出版業や書店業に携わる者たちの間では、出版不況というよりは雑誌不況、というのが共通の認識だった。古沢が編集長を務める『週刊ゲンダイ』も、かつては発行部数一五〇万部を誇る雑誌だったが、昨年は五十万部を大きく割り込み、実売数にいたっては、四十万部にぎりぎり届かぬほど、売れ行きは低迷していた。

 

 『週刊ゲンダイ』は、五十年代に起こった出版社系週刊誌ブームの中で創刊した、古株の週刊情報誌だ。ホワイトカラーのサラリーマン向け週刊誌のパイオニアで、後発の週刊誌はすべて、ゲンダイの影響を少なからず受けているといっても過言ではない。政治スタンスはその時々の編集長によって変わり、右寄り、左寄りと、一概にはカテゴライズ出来ない複雑性を持っている。

 

 九十年代末から二〇一〇年にかけて、『週刊ゲンダイ』は、歴代の編集長の独善と暴走により、発行部数を大きく減らしてしまった。この十数年の間には七人の編集長がいたが、彼らは一様にして前任のやり方を批判し、先任者が長い時間をかけて築き上げた仕組みを同じぐらいの時間をかけて壊し、その上で自分のやり方を編集部のみなに押しつける……ということを繰り返した。ただでさえ外部環境が悪い中、上司に翻弄されてばかりの編集部は疲弊し、必然、売上は低迷していった。一時は発行部数が三十万部を割り込み、廃刊の危機にさえ瀕した。

 

 こうした現状を憂いた者たちが立ち上がったのは、二〇一〇年代以降のことだ。この年から就任した編集長たちは、まず、先の十数年で消耗しきっていた編集部の立て直しを行い、次いで発行部数の回復に励んだ。古沢が編集長に就任したのは二〇二三年のことで、この前年の発行部数は四二万三〇〇〇部。彼は自分が編集長を務めている間に、五十万部までもっていくぞ、と目標を掲げた。

 古沢は硬派路線での誌面作りを得意としていた。メイン・ターゲットであるサラリーマン層が好む政治や企業ネタに強く、逆に芸能ゴシップなどは不得手としている。最新号の巻頭特集は、どちらかといえば芸能ゴシップ寄りの内容で、古沢にとっては冒険だったが、印刷所から上がってきた校正刷りの出来栄えは、そんな彼を満足させるものだった。取り上げたネタそのものの集客力、そして記事の完成度……。新規の読者を呼び込めるかもしれぬ、と期待が募る。

 

 ――今号については、増刷りも期待出来そうだな……!

 

 週刊誌や月刊誌といった刊行形態を問わず、通常、雑誌というものは重版がかからない。時折、付録が特集記事の内容などが人気で版を重ねることもあるが、ほとんどが少部数印刷の例外だ。

 

 しかし、今度の最新号に限っては、発売前からその期待が募った。なにせいま、いちばんホットな話題の男に関する特集記事を組んだのだ。

 

 彼については、サラリーマン層どころか、世界中の老若男女が注目している。

 

 いま世界で最も有名な男。

 

 それでいて、世界中の誰もが、彼のことをよくは知らず、知的好奇心を満たされぬ苦しみに苛まれている。

 

 この状況で、売れないはずがない。

 

「儲けさせてくれよ、鬼頭智之さんよぉ」

 

 二ページ見開きで掲載された、世界で二番目に発見された男性IS操縦者の顔写真を眺めて、古沢はにんまり微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 鬼頭の情報を欲する世間と、鬼頭の情報を持ちカネを欲している加藤。そして、両者の橋渡し役となりうる、週刊誌の編集長。

 

 彼らが出会ったとき、鬼頭の身の回りはまた、慌ただしさを増していくのだった。

 

 

 

 

 

 




オリジナルIS

打鉄 Ki ver.1.00

型式 強化外装・六一式 鬼頭智之仕様
世代 第二世代
国家 日本
分類 近接両用型
装甲 耐貫通性スライド・レイヤー装甲
仕様 防御シールド高速修復
主な兵装 近接ブレード〈葵〉
     アサルト・ライフル〈焔備〉
     その他、後付兵装多数……

 IS学園と日本政府が鬼頭に与えた専用機。

 貴重な生体サンプルであり、国家の重要人物でもある鬼頭の身の安全を最優先とし、第二世代最高の防御性能を誇る量産IS〈打鉄〉に改修を施し、使用している。

 ベースとなった打鉄はIS学園所有の訓練機で、標準仕様の機体。主な差異は、

● 装甲部分の面積増大。胸部、上腕部に新造アーマーを増設。
● 安全装備の拡充。
● バックアップ用の大容量シールドエネルギーの搭載。競技用が切れてもシールドの展開が可能。
● データ収集用の観測装置の積載。
● 上記改修による、量子格納領域(=搭載可能な後付兵装)の減少。

 といった具合で、操縦者の保護と稼働データの取得を目的に、防御性能と生存性が高められている。

 その一方で、パワーアシスト機構やスラスターなどの足回りには一切手を加えていないため、装甲の増設や装備の追加による重量増から、運動性・機動性は若干ながら低下している。また、量子格納領域の拡大なども行われていないので、第二世代機の特徴である後付兵装の多様さを自ら捨ててしまっている。これらは手抜きではなく、納期まで一ヶ月未満という状況の中で完成を急がせたための妥協である。ただし、鬼頭本人は気に入っている。

 鬼頭曰く、IS競技で勝つための機体ではないが、いまの自分にはこれで十分。










 ……そう、いまの自分には。

 いずれこの機体に満足出来なくなったとき、自身技術者である彼がさらなる改修、改造を加える可能性は、極めて高い。



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