この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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ラウラかわいいよラウラ。



Chapter39「愛するということ」

 

 

 

 土曜日の午後二時四五分。

 

 IS学園本校舎、応接室。

 

 レーザー・ピストル《トール》の売買契約について、なんとか話をまとめあげた鬼頭智之がこの部屋の戸を叩いたのは、当初約束した時間から三〇分以上も後のことだった。

 

 自分から呼び出しておいて、相手を待たせてしまった。罪悪感に顔の筋肉を強張らせながら入室すると、インスタントコーヒーを飲みながら待っていたらしい二人が、こちらの顔を見るなりソファから立ち上がろうとする。内調の高品と、弁護士の堂島和夫だ。右手をあげてその動きを制しながら、鬼頭は言う。

 

「お待たせしました。遅れてしまい申し訳ありません」

 

「商談は、上手くまとまりましたか?」

 

 銀糸とまごう白髪の堂島は、にこやかに微笑んだ。こちらの非については一切言及せず、遅刻の原因となった取引の結果をむしろ気遣う言葉に、鬼頭は思わず相好をくずす。

 

「ええ。おかげさまで。双方、納得のいく成果が得られました」

 

「ブリュンヒルデは、相当な強敵だったみたいですね?」

 

「……聞いていたのですか?」

 

「この部屋に案内される前に、少しだけ職員室に立ち寄らせていただきました」

 

「気の強い女性ですよ」

 

 鬼頭は完爾と微笑んだ。

 

「よく言えば気骨隆々。悪く言えば、融通の利かない、頑固な女です。基本的に自分の意見を、曲げるということを知らない」

 

「ですが、その気の強さこそが」

 

「ええ。彼女を、世界最強の座に導いた一因なのは間違いないでしょう。……ああ、山田先生。いま言ったことは、内密にお願いしますよ」

 

 会話の邪魔をしては悪い、と部屋の隅で小さくなっていた山田真耶に微笑みかける。苦笑しながら頷く彼女に小さく礼を言い、鬼頭は、堂島たちとはテーブルを挟んで対面に鎮座するソファに腰を下ろした。

 

「早速ですが」

 

「ええ。本題に入りましょう」

 

 堂島は持参したブリーフケースから一冊のバインダー・ファイルを取り出した。今日の話し合いのために用意した資料の数々だ。その中から数枚のA4紙を取り出し、テーブルの上に並べていく。

 

 A4紙にはタイプされた文章が印字されていた。出版業界の最大手、談講社は週刊『ゲンダイ』編集部に宛てた、抗議の手紙だ。過日の捏造記事に対し、誤った情報を世間に広めてしまったことに対する謝罪と、訂正記事の掲載を求める内容がしたためられている。勿論、こちらの要求を拒否したり、検討する等の時間稼ぎと思われる返答をした場合には、名誉毀損を理由に民事訴訟も辞さない、という意思表示の一文付きだ。

 

「事前に打ち合わせた通り」

 

「はい」

 

「週が明け次第、こちらの文書を、内容証明郵便で発送します。これにより、談講社が我々の要求を受け入れればそれでよし。受け入れなければ、裁判の手続きを開始します」

 

「よろしくお願いします」

 

 鬼頭はソファに座ったまま、両手を膝に添え、頭を垂れる。

 

 堂島は頷きながら、

 

「談講社への対応はひとまずこれでいいとして」

 

「はい」

 

「今後の動きについて、話し合いましょう」

 

 文書の内容の確認だけなら、時間を割いてもらってまで、学園島に呼び出したりはしない。直接顔を合わせたいいちばんの理由は、これからの話題にある。さあ本番だ、と鬼頭は臍下丹田に気合いを篭めた。

 

「今回の事案におけるいちばんの問題点は、すでにかなりの数の人が週刊『ゲンダイ』の捏造記事を目にし、信じてしまっていることです。仮に談講社が我々の要求に素直に応じ、訂正記事を掲載したところで、彼らの認識を改めさせることは困難でしょう。人間は、疑いようのない“事実”よりも、自分にとって都合のよい“真実”を信じたい、あるいは信じてしまう生き物です。大衆にとって、男性操縦者たちは醜聞まみれな方が都合がよい。そちらの方が、品行方正な男よりも読み物として楽しいでしょうから」

 

 堂島はそこで一旦唇を舐めた。正面に座る依頼者の男と、自分たちの会話の内容に厳しい眼差しを向けている高品、そして鬼頭の分のインスタントコーヒーを淹れている真耶の顔を見回して言う。

 

「訂正記事の掲載だけでは、パンチの威力に欠けます。訂正記事を読まない人もいるでしょうし、そもそも談講社が、我々の要求に応じない場合も考えられる。談講社の件とは別に、我々はこの問題に対処するための動きを取るべきです」

 

 真耶が鬼頭の前にコーヒーのカップを置いた。目線で礼を述べるも、二人目の男性操縦者はカップに手を伸ばさない。

 

「論点をすり替えます。人々に、男性操縦者の醜聞なんかよりも、もっと面白い娯楽を提供するのです」

 

「具体的には?」

 

「他のメディアの力を借りるのです。Aという内容の記事に対し、いいやそれは違う。実際にはこうだ、という、内容Bのカウンターをぶつけさせるのです」

 

 捏造記事に対し、当事者が「それは違う」と、声をあげても成算は薄いだろう。むしろ、そうやって必死に否定している事実こそが、記事の内容が正しい証左である、と大衆にとられかねない。

 

 しかしここに、他社メディアが介入すればどうだろうか。当事者対出版社という構図は、たちまち会社同士の戦いへと変じる。自分たちの主張こそが唯一無二の真実である、と、情報の殴り合いが始まる。娯楽に飢えた人々の目の前に、新たなエンタメが提供される形だ。どちらの発信が正解なのか、固唾を呑んで見守ることになる。

 

「鬼頭さんは、『野球と其害毒』という新聞連載の話を聞いたことは?」

 

「いえ」

 

 鬼頭はかぶりを振った。そんなショッキングな表題が振られている記事であれば、一度でも目にしていたら忘れるはずがない。

 

「はじめて聞きます。いつの、何新聞の連載です?」

 

「一九一一年。当時の、東京朝日新聞が連載していたコラムです」

 

 正確には、一九一一年八月二九日号から、九月一九日号まで、全二二回にわたって連載されていた。記事の趣旨はタイトルが示す通りで、当時米国からもたらされ、日本でも熱狂的なブームを生み出していた“野球”という新しいスポーツへの批判をまとめていた。原稿を寄せたのは『武士道』の作者として知られる新渡戸稲造や、旧陸軍大将の乃木希典など錚々たる顔ぶれで、野球自体の注目度が高かった時期だけに、世間の関心を集めることになった。

 

「注目するべきは、河野厚志という人物のインタビュー記事です」

 

 かつては早稲田大学で豪腕投手と知られた、スター選手の一人だ。後に、日本初のプロ野球リーグの創設メンバーの一人となる人物でもある。

 

「『野球と其害毒』の連載八回目の記事です。河野氏からインタビューをして聞き取った話、という体で、野球を糾弾し、選手だったことを後悔する旨の内容が掲載されました」

 

 この記事に対し、怒りともに反論したのが、他ならぬ河野厚志その人であった。東京朝日新聞に掲載された自分の発言は、事実ではない。記者からのインタビューは受けたが、掲載されたようなことは一切言っていない、といった内容の反論文を、ライバルの東京日日新聞(後の毎日新聞)に掲載させたのだ。反論文では最終的に、これと同じものを『野球と其害毒』と同ページ、同サイズの活字で載せよ。さもなくば法的な手続きをとる、と結ばれていた。東京朝日新聞の紙面に、河野氏の反論文が掲載されたのは、その二日後のことだ。

 

「我々も、これに範を取った戦い方をしましょう」

 

「私が河野選手で、談講社が東京朝日新聞。それに対抗しうる、東京日日新聞を探す、というわけですね?」

 

「実は、もう目星はつけているんですよ」

 

 堂島はバインダー・ファイルから新たなA4紙を取り出すとテーブルの上に置いた。国内の主な出版社同士の関係が、わかりやすくまとめられた業界地図が描かれている。

 

「目には目を、という兵法の原則に則るのであれば、週刊誌には週刊誌をぶつけるのが、常套手段と言えます」

 

「ということは、週刊誌を持っている出版社に?」

 

「ええ」

 

 堂島は頷くと、業界地図の一点を指差した。

 

「談講社は国内出版業界の最大手の一つです。これに対抗しうるだけの発信力を持っている会社は、一つしかありません」

 

 日本の出版業界には、君臨する二つの巨大グループがある。かたや、東京都文京区音羽に本社を置いている会社を中心とする音羽グループ。かたや、東京都千代田区一ツ橋の会社を中心とする、一ツ橋グループ。談講社は、このうち音羽グループの盟主たる存在だ。これに対抗しうる会社となれば、一ツ橋を統率するここ以外にない。

 

「一ツ橋グループの盟主、大学館。ここが刊行している週刊『ぼすと』に、カウンター記事を掲載してもらうのです」

 

 談講社の週刊『ゲンダイ』の直接的な競合誌だ。主要な購買層を始めとして、雑誌ビジネスを構成するおよそすべての要素がかぶっている。それだけに、鬼頭の独占取材記事などが載れば、すさまじい影響力を発揮しよう。

 

 堂島は隣に座る高品の横顔を、ちら、と見た。男性操縦者たちに関する情報を統制したい日本政府から派遣されている男は、自分の提案に、渋い面持ちを隠さない。

 

 堂島は構わずに続けた。

 

「勿論、鬼頭さん本人の意思や、日本政府の考えなど、クリアしなければならない課題は多いでしょうが……まず間違いなく、一定の効果が見込めます。談講社が自分たちの非を認めるタイミング次第では、さらなる相乗効果が得られるでしょう。ひとつ、前向きに検討してみては?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter39「愛するということ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 土曜日の午後二時四五分。

 

 IS学園第三アリーナ。

 

 ざわざわ、と喧噪を引き連れてやって来たラウラ・ボーデヴィッヒに対し、同じアリーナで各々訓練に励んでいた一夏たちは、揃って頬の筋肉を強張らせた。

 

 彼女が転校初日にはたらいた暴挙の光景は、みなの記憶に新しい。カツカツ、と長靴の踵を鳴らしながら一夏の前にやって来ると、いきなりの平手打ち。それ自体の理不尽さは無論のこと、突然のことに茫然とする一夏の「なぜこんなことを」という問いを無視して着席する姿の印象が最悪だった。脈絡なく暴力を振っておいて、その理由を問われても無視してくる。まともなコミュニケーションを期待してよい相手ではない。好んで関わりを持ちたい人物ではなかった。

 

 黒いISに身をかためた少女は、地上十メートルの高度をとると、闘技場内を、ぐるり、と見回した。一夏たちの思いとは真逆に、彼らの姿を認めて好戦的に微笑む。接触の気配。

 

 彼女に対し、あえて背中を向けていた一夏だが、ハイパーセンサーの三六〇度視界がたたり、こちらもその表情を見てしまった。構えていたアサルト・ライフルを降ろし、苦虫を噛み殺した表情を浮かべて振り向く。ラウラの小さな唇が、嬉しそうに開いた。

 

「私は運の良い女だ」

 

 驚いたことに、ラウラは『シュヴァルツェア・レーゲン』のマイクをオープン・チャネルにつなげていた。互いにプライベート・チャネルの回線番号を教えていないから当然ではあるが、これでは、会話の内容が第三者にも筒抜けになってしまう。

 

 ――っ!? この女……!

 

 世界でたった三人しかいない男性操縦者と、ドイツの代表候補生の会話だ。おまけに、転校初日に彼女が自分の頬を張ったことは、思春期十代女子特有の情報ネットワークにより、噂話という形で尾ひれはひれがくっつきながら校内に知れ渡ってしまっている。その注目度は抜群だ。事実、アリーナ内にいる誰も彼もが訓練の手を休め、こちらの様子をうかがっている。非常に緊張を強いる状況だ。

 

 こうもみなの耳目が集中している中では、迂闊な行動は許されない。当事者とは関わりの薄い第三者によって、自分たちの言動はすべて批評され、評価され、みなが共有すべき知的財産として広められてしまう危険が伴う。そんな危険極まりない状況を、ラウラは自ら作ろうとしている。

 

 ――この女、いったい何を考えているんだ!?

 

 一夏は訝しげな面持ちでラウラの顔を見た。

 

 この状況で不利な立場に身を置くことになるのは、彼女の方だ。身軽な自分と違い、代表候補生の立場にあるラウラへの悪評は、彼女の背後に控えているドイツ軍や、ドイツ政府に対するものへと転化しかねない。かの国はなんだってこんな女に責任ある立場を任せたのか!? という具合だ。

 

「……なに笑っているんだよ?」

 

 自身の言動も注視されていることへの警戒から、一夏は慎重に言葉を選びながら言った。本当はすぐにでもプライベート・チャネルに切り替えたかったが、ひそかに送り続けている回線番号を記載したテキスト・メッセージに、相手が応じてくれる様子はない。

 

「嬉しいからさ。獲物が両方とも揃っているのは好都合だ。一人々々探す手間がはぶけた」

 

「獲物って、お前……」

 

「貴様のことだ、織斑一夏。そして――」

 

 ラウラは赤い眼差しが向かう先を転じた。

 

「鬼頭陽子」

 

「……え? わたし?」

 

 まさかこの会話の流れから自分の名前が飛び出すとは思っていなかった。だから、ラウラの口にした文字列が自分のことを表わす言葉だと気づくのに、たっぷり一秒もの時間を要してしまった。

 

 茫然とした表情を浮かべて、かたわらの一夏、シャルルと顔を見合わせる。二人とも、かぶりを振ってきた。ラウラが陽子の名前を口にした理由に、見当がつかない様子だ。

 

「なんでわたし?」

 

 こちらも『スプリット・クロー』のマイクをオープン・チャネルにつなげて訊ねた。ハイパーセンサーの三六〇度視界が、野次馬たちの困惑した表情を映し出す。そうだよね。わけわかんないよね。わたしもだよ。

 

「っていうか、獲物って何さ?」

 

「私と戦え、鬼頭陽子」

 

 ラウラの返答は、言葉短く、そして端的だった。それゆえに、陽子はますますわけが分からない。ISバトルを申し込まれているのだろうが。

 

「いや、だから、なんでさ」

 

 陽子は少し苛立った口調で言った。

 

「わたしたちの間に戦う理由とか、ないでしょ」

 

「貴様にはなくても、私にはある」

 

「お前、いま、自分がとんでもなく理不尽なことを言っているって自覚はあるか?」

 

 もう一人の当事者たる一夏が割って入った。ラウラの視線を遮るように、『白式』を陽子の『スプリット・クロー』の前へと移動させる。少し離れた場所で各々の課題に挑んでいたセシリアと箒も、彼女をガードする布陣となるよう両脇に自然と集まった。

 

「先に私と遊んでくれるのは貴様か? 織斑一夏」

 

「なんでそうなるんだよ」

 

「鬼頭陽子の前に立った。自分の方が先だ。お前は下がっていろ。そういう意思表示だろう?」

 

「自分に都合の良い解釈をするな」

 

 一夏は眦を吊り上げぴしゃりと言い放った。ハイパーセンサーの機能で背後にいながらその顔を見た陽子は、姉弟だけあって織斑先生に似た怒り顔だな、と感じた。

 

「理由の有無とかじゃない。気持ちの問題だ。したくないから断っているんだ。俺は、お前とISバトルをするつもりはない」

 

「ふむ。貴様も同じか、鬼頭陽子?」

 

「うん」

 

 一夏の背後で、陽子も頷いた。

 

「わたしも、ボーデヴィッヒさんと戦う気はないよ」

 

「惰弱な」

 

 ラウラは吐き捨てるように呟いた。かと思うと、彼女は不敵に笑い、言った。

 

「だが、それでこそだ。貴様がそうであればこそ、私の考えはやはり正しかったという証明になる」

 

「うん?」

 

 陽子は怪訝な表情で聞き返した。

 

 対するラウラは胸を張り、誇らしげに自説を披露した。

 

「貴様は、ヘア・キトーの娘に相応しくない」

 

「……あ?」

 

 一夏の顔面が硬化した。ハイパーセンサーの三六〇度視界が、背後の彼女の表情の変化を映し出していた。

 

 ラウラは構わずに続ける。

 

「あの人は素晴らしい御方だ。技術者としては無論のこと、IS操縦者としても優れている。有能という言葉は、あの人のためにあるのだろう。そう思わせてくれる御方だ。そんなヘア・キトーの唯一の欠点……いや、汚点が貴様だ、鬼頭陽子」

 

 陽子のかたわらに立つ箒も顔色を青くさせた。はらはらとした心持ちで彼女の横顔をうかがい、ごく、と唾を飲み込む。なんと恐ろしい顔なのか。

 

「優秀な父親と比べて、貴様は何だ? 学業の成績は平凡。ISの操縦技術が突出して上手いでもない。とどめに、その弱々しい気性だ。やはり、私の考えは正しかった。貴様は、あの人の家族に相応しくない。あの人のそばにいる価値が、貴様にはない。あの人から愛される資格が、貴様にはない」

 

 陽子のことを素晴らしいライバルだと公言して憚らないセシリアの米神が引き攣った。陽子に対する侮辱は、自分への侮辱でもある。咄嗟に反論しようとして、喉奥を、ぎゅっ、と引き締めた。自分以上にラウラの言葉に傷つき、そして怒っている存在に気がついたからだ。

 

 「よ、陽子さん」と、震える声が唇から漏れ出た。横顔につきまとう、凄絶な怒気。セシリアの美貌が、今度は恐怖から引き攣った。ラウラを見上げる炭色の瞳が、怒りで燃えていた。

 

「……ボーデヴィッヒさんさぁ。さっきから、黙って聞いていれば好き勝手――、」

 

「ヘア・キトーもそう思ったからこそ、」

 

 静かに呟かれた陽子の声は、話しているうちに興奮を帯び始め、声量を増していったラウラの発言にかき消された。

 

「過去に、貴様たちを捨てたのだろう」

 

「え? それって、え?」

 

「ばっ! お前、それはっ」

 

 転校生ゆえに、鬼頭親子の過去をよく知らない。困惑した表情のシャルルの隣で、一夏が悲鳴を上げた。それ以上口を開くな。制止の言葉が彼の唇から飛び出すよりも先に、ラウラは言った。

 

「軍からの情報で知っているぞ。ヘア・キトーが過去に離婚し、貴様と、貴様の双子の兄の親権を手放したことは。ヘア・キトーはきっと、貴様ら兄妹の存在を邪魔に思ったのだろう。有能な自分のそばに、無能な貴様らの存在は不要。そう考えたからこそ、妻とは離婚し、貴様らの親権を手放したのだ」

 

 ただ一機を除いて、だ。

 

 一夏たちはもとより、このやり取りを遠巻きに眺めている生徒たちも含むすべてのISの警報装置が、一斉に反応した。陽子の着る『スプリット・クロー』の全機能が、戦闘状態へと移行したのを感知した。

 

「そうでなければ、抗ったはずだ。親権を渡すまいと、何が何でも立ち向かったはずだ。そうしなかったから、親権は妻の側に渡った。貴様の存在を邪魔に思ったから、妻に押しつけたのだ。そうに違いない。

 

 それなのに、貴様はヘア・キトーのもとに押しかけた。愚鈍にも、彼が迷惑に思っていることに気づかず、自分の気持ちばかりを優先して、彼に縋り寄った。もっとも、その気持ちは分からないでもないよ。彼ほどの人物を愛さない理由はないからな。だがその愛は、彼には不要だ。その愛は、むしろ彼にとって迷惑になる。貴様の存在は、ヘア・キトーを不幸にする。……その意味では、もう一人の方がわきまえていると言えるな」

 

「……もう一人、って?」

 

 震える声。ラウラはにこりと微笑んだ。一点の曇りもない、晴れやかな笑みだった。

 

「貴様の兄だ。貴様と同様、きっと無能な男なのだろう。貴様と違うのは、その自覚があるかないか。自分のことを無能だと知り、自分の存在が、父親の前に広がる栄光の道における障害物になると自覚していた。だから、貴様と違って押しかけるようなことはしなかった。そうなんじゃないのか?」

 

「箒!」

 

「わかっている!」

 

 陽子の四肢の動きを力尽くで押さえろ。言外の意を受け止めた箒が『打鉄』の両腕を絡みつかせるよりも一瞬早く、『スプリット・クロー』の駆動肢が動いた。

 

 今日の課題はこれと定めて、先ほどまで練習に精を出していたレーザー・キャノン。『展開』したままの状態だった長大な武器をすかさず肩に担ぎ、陽子は、躊躇いなくトリガーを引き絞った。九五〇キロワットの光線が、黒いISめがけて放たれる。

 

 あらかじめそのリアクションを予想していたラウラは、ニヤリ、と笑って左に移動し、銃撃を避けた。すでにこちらも、ISの機能は戦闘状態へと移行している。

 

「先に手を出してきたのはっ」

 

 右肩のあたりに、武装を『展開』した。大型の実弾砲。回転式弾倉を搭載した、八八ミリのリボルバー・レールガン。

 

「貴様の方だぞ!」

 

 リボルバーカノンの回転式弾倉に、電流が走った。一瞬のうちプラズマ臨界寸前まで加熱された液体火薬が爆発し、徹甲弾を電磁バレルへと叩き出す。電磁力の後押しを受けてさらに加速した砲弾は、秒速八〇〇〇メートルの速さで砲口から飛び出した。

 

 不味い。タイミング悪く、箒が背後から飛びかかり、陽子の体を組み伏せてしまった。これでは、反撃の一射を避けられない!

 

 一夏は反射的に前へと飛び出した。この上は、自分の体を盾にして二人を守るしか――、刹那の思考が奔る彼の視界の片隅で、横合いから、オレンジ色の閃光が飛び出していくのが見えた。シャルルの『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』だ。実体シールドを構えている。

 

 ゴガギン!

 

 と、砲弾の弾芯が装甲板を殴打する快音が轟いた。砲弾は、角度をつけて構えられたシールドの表面上を滑り弾かれ、あらぬ方向へと飛んでいく。

 

「……こんな密集空間でいきなり戦闘を始めようとするなんて、ドイツの人はずいぶん沸点が低いんだね」

 

「貴様……」

 

 砲弾を弾いたシャルルの右手には、アサルト・ライフルが『展開』されていた。銃口は無論、ラウラへ向けられている。

 

「貴様も見ていたはずだが? 先に手を出してきたのは、そっちの方だ」

 

「そう仕向けたのはそっちでしょ? きみの挑発は、この場にいる全員が聞いていたよ」

 

 ラウラはアリーナ内を睥睨した。一夏たちだけでなく、アリーナ中の目線が自分に集中していた。

 

 非難の眼差しが、ラウラの頬をくすぐっている。みな、事情はよく分からずとも、ドイツからやって来た転校生の発言が、陽子の心を深く傷つけた。そのことだけは、理解していた。

 

「……ちっ」

 

『そこの生徒! 何をやっている!』

 

 ラウラの唇から舌打ちの音が漏れ出たのと同時に、アリーナ内の各所に設置された館内放送用スピーカーが、一斉に吠えた。騒ぎを聞きつけた監督役の教師が、ようやく放送室に辿り着いたのだろう。

 

「……ふん。今日は引こう」

 

 二度も横やりを入れられて興が削がれたのか、ラウラはリボルバーカノンを格納すると、ピットゲートに向けて身を翻した。この場から立ち去ろうとする背中に、陽子の、喉奥からの絶叫が叩きつけられる。

 

「待て! 待てよ、ラウラ・ボーデヴィッヒ!」

 

「落ち着け、陽子! お前もこの場は銃をしまえっ」

 

「放せ! 放して、篠ノ之さん!」

 

 上から箒の『打鉄』にのしかかられ、陽子は、ばたばた、ともがいていた。拘束を振りほどこうとするも、体術の技術では、とてもじゃないが剣道中学チャンピオンの彼女には敵わない。

 

「あいつ、私だけじゃなく、父さんや、兄さんのことも悪く言った! 許せない! 放してよ!」

 

「お前の気持ちはわかる! だが、いまは! この場では!」

 

「くそっ、放せよ! 放してよぉ!」

 

 悠々と空を飛ぶラウラが、ピットゲートに辿り着いた。中に入り、アリーナから退出していく。安全用隔壁が閉まり、黒いISの後ろ姿が見えなくなった。

 

「あいつ! あいつぅ……!

 

 怒れる瞳も、言葉も、行き場を失ってしまった。

 

 オープン・チャネルによってみなの機体に共有されてしまった悔しげな声が、むなしく響いていた。

 

 

 

 

 

 

 堂島弁護士との話し合いは、彼が出版大手の大学館を利用するプランを提案した後も一時間以上続いた。

 

 議論が紛糾した原因は、高品が二人の会話に参加したためだ。男性操縦者たちに関する情報を統制したい日本政府の考えを改めて説いた上で、彼は堂島案の有効性は認めつつも、出版社と雑誌の選定には一考の余地がある、とした。具体的な会社名や誌名を口ずさむと、今度は堂島が反論を口にする。

 

「同郷通信といい、事件通信社といい、いまあなたが口にされたのは、すべて政府と協力関係にあるマスメディアばかりではありませんか」

 

 言葉を飾らずに表わせば、日本国政府の息がかかった出版社たちだ。その推薦には、打算や下心の存在が見て取れる。

 

 高品が列挙した出版社に取材の話を持ちかければ、なるほど、政府からの強力な支援を引き出せるだろう。たいへんに魅力的な提案だが、同時に、カウンター・インタビューの内容には政府の意向が反映されてしまう公算が高い。

 

 はたしてこれが、鬼頭親子にとっての最善へとつながるかどうか。

 

 弁護士の仕事は、クライアントの利益の最大化、あるいは損失を最小化することだ。政府からの支援を受け入れることで得られるメリットよりも、それによって生じるデメリットの方が上回るようでは意味がない。政府の意向に従ったがために、カウンター情報としてのインパクトが欠けてしまったり、そも政府筋の出版社からの発表ということでかえって読者の不信感を煽ってしまったり、といったリスクを、堂島は懸念した。

 

「やはりここは、政府との付き合いが薄い出版社を選ぶべきです」

 

 やおら応接室は、男三人が、ああでもない、こうでもない、と侃々諤々意見をぶつけ合う討論会の場となった。やがて高品も含む全員の意見がある程度まとまりを見せたのは、真耶が淹れてくれた二杯目のコーヒーもすっかり冷めてしまった、午後四時前のことだった。

 

「すっかり話し込んでしまいましたね」

 

 堂島弁護士が左手のロレックスに目線を落としながら言った。第六世代モデルのエクスプローラーⅠ。冒険者のための時計とされる無骨なデザインを、五五歳の紳士は自然に着けこなしている。

 

 画になるなあ、と感心しつつ、自らも愛用のボーム&メルシェを、ちら、と見た鬼頭は、「堂島先生は、この後は?」と、訊ねた。

 

「真っ直ぐ名古屋に帰ります」

 

 堂島は隣に座る高品の顔を見た。

 

「飛行場で、帰りのヘリが待ってくれているようなので。……ところで、」

 

 堂島は自らの足元に目線をやった。仕事用のブリーフケースとは別に、白い手提げの紙袋が床に置かれている。

 

「渡すタイミングを見失っていました。実は、鬼頭さんにお土産があるんですよ」

 

 堂島は白い紙袋をテーブルの上に置いた。縦横ともに三十センチ未満の、それほど大きくないサイズだが、マチの部分がかなりゆったりと取られている。何か箱型のものが入っているらしく、四隅が、ぴん、と張っていた。

 

「IS学園に引っ越されてからもうすぐ二ヶ月。そろそろ、故郷の味が恋しい頃じゃないかと思いまして」

 

 差し出された紙袋を受け取り、思わず破顔した。黄色基調の折り箱に、筆文字印刷が力強く躍っている。鬼頭にとって懐かしく、そしてお馴染みのパッケージだ。

 

「ぜひ、陽子さんと一緒に楽しんでください」

 

「重ね重ねありがとうございます」

 

 今夜の酒の肴は決まった。相好を崩しながら礼を述べ、椅子から立ち上がる。それを見て、堂島と高品もゆっくりと腰を上げた。

 

「飛行場までは?」

 

「学園側が、島内連絡用のEVカーで送迎してくれます」

 

「なるほど。ちなみに車種は?」

 

「行きは日産のサクラでした。おそらく帰りもそうでしょう」

 

「ははあ、なるほど。……お見送りしましょう。いえ、送迎しましょう」

 

「それ、鬼頭さんがハンドル握りたいだけですよね?」

 

 コーヒーのカップを片付ける真耶が、じっとりとした目つきで睨んできた。「ばれました」と、鬼頭は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。

 

 応接室を退出した四人は堂島弁護士と高品を見送るべく本校舎裏手にある荷物の搬入出場へと向かった。校舎内に物資を運び入れるための作業スペースで、大型重機の駐停車が可能な駐車場が併設されている。島内連絡用の車輌群も、普段はここに待機していた。

 

 鬼頭が見知った顔と遭遇したのは、その途上でのことだった。

 

 第三アリーナのある第二校舎との連絡路から本校舎側へとやって来る、ラウラの姿を見つけた。向こうもこちらの存在に気がついたようで、鬼頭の顔を見るなり、ぱぁっ、と嬉しそうに表情を輝かせる。カッカッ、と、軍靴の踵を小気味よく鳴らしながら走り寄ってくる。

 

「ヘア・キトー!」

 

「フラウ・ボーデヴィッヒ」

 

 堂島らにことわると、鬼頭も頬の筋肉を緩めて迎えた。見た目が幼げなラウラが自分のもとへ駆け寄ってくる姿は、彼に懐かしい日々の記憶を思い起こさせる。

 

 対照的に渋い面持ちなのが高品だ。ボーデヴィッヒといえば、楯無から報告のあったドイツの代表候補生だ。日本政府の命を帯びてやって来た男は、男性操縦者が他国の重要人物と親密そうにしている様子を目の当たりにして、必然、頬の筋肉を硬化させた。

 

「第二校舎から、ということは、訓練あがりですか?」

 

「そんなところです。そちらは、昨日言っていた?」

 

「ええ」

 

 鬼頭はかたわらに立つ堂島を示した。

 

「こちら、私がお世話になっている弁護士の堂島先生です」

 

「堂島です」

 

 堂島は少しだけ膝を折って目線の高さをラウラに合わせた。握手のために右手を差し出す。

 

「よろしくお願いしますよ、ミス・ボーデヴィッヒ」

 

「……なぜ、私の名前を?」

 

 差し出された掌を、ラウラは警戒した眼差しで睨みつけた。面識のない相手から、突然名前を呼ばれた。いったいどこから情報が漏れたのかと、一転して顔をしかめる。

 

「鬼頭さんから、あなたのことはうかがっています」

 

 対する堂島は完爾と微笑んだ。

 

「ドイツからやって来た、とても可愛らしく、とても優秀な代表候補生だと聞いていますよ」

 

「優秀……それを、ヘア・キトーが?」

 

「ええ。言っていましたよ」

 

 堂島の首肯を受けて、ラウラは破顔した。鬼頭が自分の優秀さを認めてくれている。嬉しい気持ちが胸いっぱいに広がっていくのを感じた。握手を求める右手を両手でそっと挟み込むと、ぶんぶん、と縦に激しく振るう。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒです。こちらこそ! よろしくお願いします、ヘア・ドージマ」

 

「え、ええ。よろしくお願いします」

 

「ヘア・キトー、商談の方は上手くいきましたか?」

 

「まあ、なんとか」

 

 最後まで渋い表情を崩さなかった世界最強の女の顔を思い出し、鬼頭はこちらもほろ苦く笑った。レーザー・ピストルを高く買い取りたい学園側と、製造コスト相応の金額で売れればよいと考える男の熾烈な攻防戦の結果は、客観的に見て、引き分けと評すべきだろう。結局、鬼頭は改良型の《トールA1》二十挺を学園側が提示した金額で売ることを受け入れた。一方で、学園側はバッテリー百個を破格の安さで買い取ることを承諾した。両者がぎりぎり合意可能な妥協案で、どちらも腹の底から納得しているわけではない。

 

「改良型の《トールA1》は、明日から学園の武器庫に配備され、貸出可能な武器のリストに載る予定です。これで、争奪戦とやらも少しは解消されるとよいのですが」

 

「私も、試し撃ちがいまから楽しみです」

 

「そのときはぜひ忌憚のない意見を聞かせてください」

 

 鬼頭は微笑を浮かべた。切れ長の双眸が、技術者としての好奇心から、ぎらぎら、と輝く。

 

「次回の改良や、次に何か作るときの参考にしますので」

 

「勿論です。レポートにして提出いたします」

 

「そこまでしっかりしたものでなくてもいいのですが。……ところで、」

 

 先ほどから、気になっていることがあった。腰近くまで伸びている、ラウラの長い髪。輝く銀糸の先端あたりに、埃の塊が絡みついている。アリーナからここまでの道すがら、どこかで引っかけてきたのだろう。

 

「髪に埃が絡んでいますが」

 

「む」

 

 指摘を受け、自らの髪を一房手に取る。つま先で引っ掻いて取ろうとするが、普段の手入れ不足がたたってか、埃は毛先の微細なささくれに引っかかってしまい、なかなか取り除けない。だんだんと眉間に皺が寄り、眉尻がつり上がっていく。苛立ちが募っている様子だった。

 

「む、む、むむむむむ……!」

 

「ちょっと失礼」

 

 このままでは怒りにまかせて髪の毛ごと強引に引き千切りかねない。

 

 見かねた鬼頭はラウラの掌に自分の手をそっと重ねた。五本の指をヘアブラシに見立て、髪の毛の流れに沿って繰り返し梳いていく。毛の表面にへばりついている埃をゆっくりと、丁寧に滑り落としていった。

 

「はい、取れましたよ。……堂島先生、どうかしましたか?」

 

「いやあ」

 

 かたわらの堂島がにやにや笑いながら自分たちを見ていることに気がつき、鬼頭は怪訝な面持ちとなった。名古屋からやって来た弁護士の男は、にやけ面のまま言う。

 

「陽子さんと同じ歳の女の子相手だからでしょうか。そうしていると、まるで親子のようだな、と思いまして。微笑ましい光景に、つい笑いがこみ上げてしまいました」

 

「親子、ですか?」

 

 今度はラウラが訝しげに眉をひそめた。眼帯で隠されていない方の右目が、堂島の顔を真っ直ぐに見上げる。

 

「私と、ヘア・キトーが、ですか?」

 

「はい」

 

 堂島はゆっくりと頷いたが、ラウラはいっそうの不可解さから頬の筋肉を硬化させた。自分の日本語が拙いせいだろうか。彼の言っていることが、理解出来ない。

 

「あの、それはどういう意味でしょうか? ああ、いや、親子、という日本語が何を指しているかは私にも分かります。しかし――、」

 

 続く言葉に、堂島の瞳が僅かに動揺した。

 

「私とヘア・キトーの間に、血のつながりはありません。それなのに、親子のように見えたとは、なぜなのでしょうか?」

 

 十五歳という年齢に比して、幼さを感じさせる問いかけだ。普通、十五歳といえば、思春期の盛り。自分自身の内なる世界の変化や、外からの刺激に対する感受性が特に高まる時期のはず。自然、その場の空気感や雰囲気から言外の意を推理し、次のコミュニケーションへとつなげる術を、僅かなりとも身につけ始めているはずだが。

 

 ましてや、ラウラは軍人だ。鬼頭によれば、ドイツ連邦空軍の大佐だという。堂島は軍隊の制度について詳しくないが、一般の会社組織でいう部長とかに相当する階級だということくらいはわかる。すなわち中間管理職だ。上司、部下、同輩と、様々な関係性の相手とのコミュニケーションが求められるし、それが出来なければ務まらない役職のはず。

 

 ところが、ラウラの言動からはそうした特別な立場に起因する対人経験の豊富さがまったく感じられない。それどころか、年齢相応の最低限のコミュニケーション能力すら身についていないように見える。これで少佐? と、思わずにはいられなかった。いったい、どういうことなのか。連邦空軍の人事評価の基準が、世間の常識と大きく乖離しているだけなのか。それとも、個人の特性に由来する、何か特殊な事情ゆえのことなのか。

 

 それはそれとして、これは少々困ったことになったぞ、と堂島は口の中で呟いた。

 

 自分はラウラの髪を梳く鬼頭の姿を見て、親子のようだ、と感じた。こうした感性のはたらきを、誰にでもわかるよう改めて言語化するのは難しい。感性とは、その人がこれまでに何を見て、どう感じ、その考えをどう評価されてきたか。そしてそれに対し、自分はどう思ったか。そういった経験の蓄積によって形作られるものだからだ。自分と同じ経験を持たない相手に、これを言って聞かせられるだろうか。堂島は重たい唇をゆっくりと押し上げた。

 

「血のつながりだけが、親子関係の証ではありませんよ」

 

 堂島は努めてやさしい言葉遣いと、ゆっくりとした口調を心がけた。

 

「むしろ、なまじ血のつながりがあるせいで、取り返しのつかないところまで親子仲が悪化したケースもあります」

 

 弁護士なんて仕事を長くやっていると、そういう理由で親子関係が破綻してしまった事例を目にする機会は多い。同じような係争問題でも、血のつながりさえなければ。最初から赤の他人であったならば、こうもこじれることはなかっただろう、と思わされる事案ばかりだ。

 

「私があなたたちを見て親子のようだ、と感じた理由は、お二人の姿から、親子愛や、家族愛に近いものを感じ取ったからでしょうね」

 

「家族愛、ですか?」

 

「ええ」

 

 堂島は首肯した。

 

「ミス・ボーデヴィッヒ、あなたの鬼頭さんを見る眼差しには、尊敬の念と、喜びの気持ちが感じられました」

 

 堂島の言葉に、ラウラは「当然です」と、鼻息を荒くした。

 

「ヘア・キトーは優れた技術者であり、操縦者です。そのヘア・キトーが気にかけてくれている。私にとっては嬉しいことです」

 

 そんな回答を期待していたわけではないのだが。返答を苦笑でもって受け止めて、堂島は、ついで鬼頭を見た。

 

「あなたを見る鬼頭さんの目からは、おさなごを見守るかのような優しさが見て取れました。これはもう、お互いに愛し合っている状態だと言えます」

 

「愛し、合う? ヘア・キトーが、私を?」

 

「あなたもですよ、ミス・ボーデヴィッヒ」

 

 堂島は完爾と微笑んだ。

 

「愛とは、与えることです。与えるというのは、何も物質的なことばかりではない。もっと精神的な、たとえば、自分自身を与える。そういったこともいいます」

 

 自分自身を与える。自分の大切なもの、自分という人間を形作っている構成要素……自分の喜び、自分の興味・関心、理解や知識、ユーモア、悲しみといった、自分の中に息づいているすべてのものを、与える。

 

「鬼頭さんはあなたに、自分の中に生まれた優しさの気持ちを与えました。やさしい手つきで髪を取り、埃を取り除くという行為は、言ってしまえば、そういう表現なのです。そしてその優しさは、あなたの内面世界に、少なからず変化を起こしたはずだ。その変化が、今度はあなたの中に、尊敬と、喜びの気持ちを生んだ。

 

 そして今度はそのあなたが、鬼頭さんに尊敬と、喜びの気持ちを贈っているのです。あなたからの贈り物もまた、鬼頭さんの中にあたたかな気持ちの変化を起こしています。気がついていますか? あなたを見る鬼頭さんの目は、だんだんと優しさを増しているのですよ」

 

 ラウラは鬼頭の顔を見上げた。切れ長の双眸に、慈しみの輝きが宿っている。

 

「愛し合うとは、そういうことです。与えることで、相手の中に変化を生み、その変化がやがて、相手からの与える、を生み出す。そうやって考えている二人が、互いに自発的に、そして能動的に与え合う。それが、愛し合うということなのです」

 

「……ヘア・キトーは」

 

 堂島が与えた言葉もまた、愛の一形態だった。彼の言葉はラウラの内面に、新しい変化を生み出していた。彼女は少しの間黙考し、鬼頭を見上げて、静かに言った。

 

「私を、愛してくれているのですか?」

 

「はい。勿論」

 

 鬼頭は完爾と微笑んだ。

 

「陽子よりもですか?」

 

「それは……比べられるものではないなあ」

 

「なるほど。そうですか」

 

 困った表情で答えた鬼頭に、ラウラは可憐に笑ってみせた。

 

「ヘア・キトー。察するに、ヘア・ドージマを送る途中だったのでは? お時間は大丈夫ですか?」

 

「む」

 

 言われて、鬼頭は左手首のボーム&メルシェに目線を落とした。堂島自身も、ステンレスモデルのエクスプローラーⅠを見て、むむ、と眉間に皺を寄せる。

 

「おっと、もうこんな時間ですか」

 

「少し、話しすぎましたね」

 

 内閣情報調査室の高品が言った。日本政府の人間としては、男性操縦者とドイツの代表候補生が親密そうにしている光景を見るのは気が気でないのだろう。ラウラの方から言ってくれたことで、こころなしかほっとしている。

 

「私のために、時間をとらせてしまいました。こちらのことはもういいですから、早く行ってあげてください」

 

「そうですか?」

 

 そう言いながらも、鬼頭の表情からはうきうきと喜びの気持ちが見て取れる。まるで遊園地のアトラクションの順番待ちの列に並ぶ子どものような顔だ。送迎車の運転が楽しみで仕方ない様子だった。呆れた目線を向けてくる真耶に微笑みかけ、鬼頭は言った。

 

「ではお言葉に甘えまして。皆さん、参りましょう」

 

 

 

 その場を去りゆく大人たちの背中を、じぃっ、と見つめながら、ラウラは不敵に微笑み、自らに言い聞かせるかのように、ひっそりと呟いた。

 

「そうか。ヘア・キトーは、私を愛してくれているのか」

 

 それは想像するだけで嬉しいことだった。彼に認められている。彼の気持ちが、自分に寄せられている。その実感に、あたたかな気持ちが、胸いっぱいに広がっていくのを自覚する。

 

「そして、私もまた、ヘア・キトーのことを愛している」

 

 堂島弁護士からの評を受けるまで気がつかなかったが、二人は相思相愛だったのだ。

 

 少なくとも、自分よりも鬼頭との付き合いは長い彼が、親子と錯覚するほどには、仲睦まじげに見えたという。

 

「……嗚呼、嬉しいことだ。幸せなことだ。あれほどの人物と、親子に見られるなんて」

 

 だからこそ、陽子のことが許せない。

 

 天才、鬼頭智之の唯一の汚点。彼にまとわりつく羽虫のような存在。血のつながりがある。たったそれだけの理由を根拠に、彼のそばにいることを許されている女。凡人のくせに。彼から、愛されてもいないのに。娘であることを認められている女!

 

 ――そうだ。ヘア・ドージマも言っていたではないか。血のつながりだけが、親子の証ではないと。

 

 奪ってしまおう。強く、そう思った。

 

 鬼頭陽子。あの女から、鬼頭の娘という地位を、奪ってやろう。

 

 鬼頭の娘には、自分の方が相応しい。自分の方が、彼に愛されているのだから。

 

「……そのためにも、やはりお前は、彼の目の前で潰さねばならん。鬼頭陽子」

 

 先ほど第三アリーナで交わした、陽子とのやり取りを思い出す。あんな安い挑発に乗るような女だ。機会はいくらでも作れるだろう。

 

 近く訪れるだろうその瞬間を想像し、ラウラはいっそう幸せな気持ちに浸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter39「愛するということ」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三年と二ヶ月、そして二五日前――。

 

 愛知県名古屋市名東区、〈アローズ製作所〉本社ビル。

 

 

 

 

 

「……というわけで、ドイツへは一緒に行けなくなった」

 

 親友の鬼頭智之から、「始業前に話がある」と、所属部署のオフィスから休憩室へと連れ出された桜坂は、そこで事の次第を聞かされて、残念そうに溜め息をついた。

 

「まあ、予想はしていたけどな」

 

「本当にすまん。桜坂」

 

「謝るようなことじゃないさ」

 

 頭を垂れる鬼頭に、仁王の顔の桜坂は完爾と微笑んだ。

 

「むしろ、いまの状態の陽子ちゃんをほっぽって、一緒にドイツに行こう、なんて言い出したら、俺が怒っていたところだ。何を考えてやがる、ってな」

 

 義理の父によるレイプ被害。そして、そのことを伝えて助けを求めようとした母親からの、裏切りの暴力に耐えきれずに家を飛び出した陽子が、実父である鬼頭のもとで保護されるようになって五日が経っていた。

 

 心身ともに深い傷を負った娘のケアで忙しいのはもとより、堂島弁護士とともにこれから身を投じることになる、親権を取り戻すための戦いがいつまで続くか分からない現状では、とてもではないが、三ヶ月後の約束は結べない。ドイツへは、他の誰かを誘って行ってほしい。そう言って謝罪する鬼頭に、桜坂は無論、理解を示した。

 

「いまは、陽子ちゃんとそばにいてやれよ」

 

「ありがとう、桜坂」

 

「しっかし、誰を連れていこうかねぇ」

 

 桜坂が取得した『モンド・グロッソ』決勝戦の観戦券は、ペア・チケットだ。勿論、一人で観戦しても何ら問題はないはずだが、せっかく二人分の料金を払って手に入れた品だ。どうせなら、誰かと一緒に使いたい。

 

「誰かアテはいないのか?」

 

「ううん……なんといっても、場所が外国だからなあ」

 

 地元のナゴヤドーム戦のチケットが手に入ったから一緒に行こう、なんていうふうに、気軽な気持ちでは誘えない。日帰りは無理だから何泊かすることになるし、そのスケジュールを押さえるのがまず大変だ。家庭を持っている相手であれば、家族の了解を得ねばならない。パスポート取得の問題もある。声をかけてよさそうな相手は限られた。

 

「彼はどうなんだ? ほら、千葉にいるという、並行同位体の……」

 

「あいつも家庭のある身だからなあ。……ってか、この間ちょっと話したんだけどな」

 

「うん」

 

「どうやらいま、奥さんが二人目妊娠中らしいんだ」

 

「それは誘いづらいな」

 

「そうなんだよぉ」

 

「ううん。……それなら、」

 

 不意に、鬼頭は名案が思い浮かんだとばかりに目を輝かせた。

 

「桐野さんはどうだ?」

 

「……おい待て鬼頭。なんでそこで桐野さんの名前が出てくるんだよ?」

 

 親友の口から飛び出した名前に、桜坂は思わず目を剥いた。

 

「いや、ほら、彼女独身だし。誘いやすいかな、って」

 

「いや、そうだけどさあ。そうじゃ、ねぇだろ? 女の人だよ? そいでもって、俺、男の人ですよ?」

 

「何か問題が?」

 

「いや、問題しかねえだろ」

 

 桜坂は苦々しい口調で言った。夫婦どころか恋人でもない男女二人が、仲良くドイツへ旅行。倫理問題のびっくり箱のようなシュチュエーションだ。

 

「何かあったらどうするんだよ」

 

「何かあることを期待して言っているんだけどなあ」

 

「あん?」

 

「いや、実は、先日、桐野社長から、社長室に呼び出されてなあ」

 

「おう」

 

「それとなく、お前と桐野さんがくっつくよう配慮してやってくれ、と言われてしまって……」

 

「それとなく、とは!?」

 

「いや、面倒くさそうだったから、あからさまにやります、と応じたんだ」

 

「そっちを面倒くさがるなよ! くっつくよう配慮、のところを面倒くさがれ! ってか断れ!」

 

「いやあ、桐野社長の気持ちを考えると、無碍にも出来なくて」

 

 同じ娘親としての共感がはたらいた結果だった。社長室に呼び出された鬼頭は、そこで社長直々に、こんな話を聞かされたのである。

 

『想像してみてくれ。自分の娘……中学生の娘が、だ。ある日突然、年上の、それも十歳以上も年齢差のある、二十代後半の男性を好きになった、と言い始めるんだよ。年齢的に、思春期によくある、憧れのお兄さん願望というか、大人の恋愛に憧れる気持ちというか、そういうものだと思うじゃないか。数年も経てば落ち着くだろう。いずれは年齢相応に、同じ年頃の男の子との恋愛欲求を抱いてくれるだろう、って思うじゃないか。

 

 それが、何年経っても変わらないんだよ。十代どころか、二十代になっても、言っていることが変わらないんだ。桜坂さんのことが好き。あの人は天使。慕っています。あの人の役に立つことが私の人生、私の生きる意味、私の幸せだ、ってね。あ、やばいな、って思うじゃない? この気持ちは、ガチだ、って思うじゃない?

 

 もし、この恋の結末が悲劇的なものになったら、反動で、一生恋愛出来なくなるんじゃないか、って危機感を覚えたんだよ。うん。桜坂君とくっつかなかった場合、婚期を逃すどころか、結婚願望そのものが消滅するんじゃないか、ってね。うん』

 

 同じく娘を持つ親だ。切々と訴えかける桐野社長の肩を、鬼頭は涙ながらに抱きしめ、気がつくと協力する旨を口走っていたのである。なおこの二人、三年前の時点では、近い将来、美久が桜坂に対して日常的にストーキング行為をはたらくようになる事実を知らない。

 

「というわけで桜坂、お前、桐野さんと一緒に、ちょっくらドイツまで行ってこい」

 

「何がというわけなんだ!? っていうか、桐野さんの都合とか気持ちは?!」

 

「彼女が断ると思うか?」

 

「……いいや、ないな」

 

「スケジュール問題については安心しろ。社長直々に、総務部に掛け合って有給を取らせてくれるそうだから」

 

 鬼頭はにっこり笑って桜坂の肩を叩いた。

 

「だから、な? 行ってこい。あ、俺への土産はBMWのグッズで構わないぞ? たしか決勝会場が設置されるオリンピック公園のあたりには、BMWの博物館があったはずだ。会社ロゴの入った手帳とかあったら、よろしく」

 

「ずうずうしい! チクショウ、ずうずうしい!」

 

 

 

 

 三年と四日前――。

 

 羽田空港発ミュンヘン国際空港行きエアバスA350の機内にて、仁王の顔の超人は頭を抱えていた。隣の席では、嬉々とした表情の桐野美久の姿がある。

 

「天使様と一緒に旅行だなんて、私、とても幸せです」

 

「……なしてこげなことになったんや」

 

 あの後、自分の意思とは関係なしに、事態はどんどんと進んでいってしまった。

 

 気がつくと自分と美久のドイツ旅行の話は、本社どころか日本全国津々浦々、〈アローズ製作所〉の全支店、全工場に知れ渡り、周囲からは「いよいよ年貢の納め時ですか」とか、「お土産楽しみにしていますね?」と、声をかけられるようになった。もう二人で行くしかない。そんな状況に追い込まれていた。

 

「二人でたくさん思い出を作りましょうね」

 

「ははは、そうね。ソウネー」

 

 東京からミュンヘン国際空港までは、一四時間以上という空の旅となる。ドイツに到着後はミュンヘン市内のホテルにチェック・インし、現地を観光しつつ二泊。三日目に主目的たる『モンド・グロッソ』決勝大会を観戦して、四日目に帰国の便に乗り込む、という旅程だ(ちなみにBMW博物館には二日目に足を運ぶ予定)。たっぷり余裕のあるスケジュールゆえ、いつ、何が起こってもおかしくない。

 

 ――桐野社長に対し、足を向けて寝れなくなるような事態だけは避けなければ。

 

 ひそかな決意を胸に抱きながら、桜坂は隣の席の美久の横顔を、ちら、と見た。観光ガイド本を膝の上に置いて楽しそうにしている彼女の無邪気さに、ひっそりと溜め息をついた。

 

 

 

 

 

 

 





ちなみに『モンド・グロッソ』の会場設営地にミュンヘンを選んだのは、ドイツでオリンピック的なことするんだったらやっぱりここだろう、というわりと浅い理由からです。
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