キリのいいところまで、としたら、こうなりました。
その日――、
誤って女性専用車輌に乗り込んでしまった男性が感じる居心地の悪さとは、こういうものなのかもしれない。
IS学園の入学式当日。式典を終え、これから一年間世話になる教室へとやって来た鬼頭は、学習用の椅子に着座するや、四方八方より注がれた視線の集中砲火に、早くも胃を痛くしていた。
世界中でいまだ二人しか見つかっていない男性IS操縦者。色々な意味で注目の的となろうことは覚悟していたが、
――さすがにこれは、想定外だったな……。
両の頬、そして背中に向けられた炯々とした眼光の“圧”を感じながら、鬼頭はひっそりと溜め息をついた。
男性IS操縦者という存在に対し、好奇の眼差しが向けられることは勿論、想定していた。
今年で四五歳になる自分は、彼女たちにとって父親世代にあたる。そんな男が教室内にいることへの異物感からくる、奇異の目線も予想していた。
なぜお前がここにいるのだ。男のお前がなぜ……!? といった、排他の感情をぶつけられる未来も覚悟していた。
しかし、これは予想外だった。
まさかこんな……、
こんな、攻撃的な目線の圧力にさらされるとは……!
試みに、右隣の席に座る少女を見た。嫌悪感も露わな表情で、きつく睨み返される。女の敵め。ぼそり、と呟かれた。鬼頭は肩をすくめ、目線を教壇のほうへと戻した。教室内に充満する険悪な雰囲気を察して、このクラスの副担任だという山田真耶が、おろおろ、としている。
――……この反応は、やはり、読んだんだろうな。
今朝早く、慌てた様子で寮の自室を訪ねてきた千冬との会話を思い出す。
午前五時という時間に、戸をけたたましく叩いてこちらの起床を促した彼女の手には、一冊の週刊誌が握られていた。
寝ぼけ眼をこすりながら、差し出された雑誌の表紙に目線を落とすと、眠気は一瞬で霧散した。
雑誌のタイトルは、『週刊ゲンダイ』。号立ては、四月一五日号。本日発売したばかりの新刊だ。表紙のど真ん中に、今週号いちばんの見所……巻頭特集についてのキャプションが記されている。キャプションには、以下のように書かれていた。
『男性操縦者K氏の本性!? 元学友が語るDV男の離婚騒動』
週刊ゲンダイらしからぬ見出しに、まず驚いた。次いで、K氏とは自分のことかと気づいて、また驚いた。嫌な予感に顔を強張らせながらページをめくり、記事を精読する。そこには、晶子との馴れ初めから彼女と離婚にいたるまでの経緯が、事細かに書かれていた。
一通り読み終えた鬼頭は、深々と溜め息をついた。きついコニャックでも一杯やりたい気分だが、いまから三時間後には入学式だ。さすがにアルコールが抜けきれないだろう、と我慢した。
「……よく出来た記事ですね」
鬼頭はうんざりとした口調で呟いた。
たしかに、書かれている内容のうち七割が嘘と想像で補われた捏造であることに目をつぶれば、読者の意識を紙面に引き込む魅力に満ち満ちた、良い文章だと思う。特に、離婚の原因は自分が妻に振るったDVだったというくだりや、離婚成立後、親権を取られた事実に納得出来ず、かなりダーティな手段を用いて取り返した、というくだりなどは迫真の描写がなされており、読み物としてはとても面白い。
それにしても気になるのは、本誌記者の独占取材に応じてくれたという元学友なる人物の存在だ。
上手な嘘の鉄則は、嘘の中にも真実を混ぜ入れること。こうすることで嘘は真実味を格段に増す。この記事にしても、七割は捏造だが、残りの三割はすべて実際にあった事実に基づき書かれている。晶子との出会いのきっかけが合コンだったことや、離婚の際に陽子たちの親権を向こうにとられてしまったこと、そしてその結果に対し自分が不満を抱いていたことなどだ。こういったリアルな描写があるおかげで、嘘の文章からは圧倒的な説得力が感じられた。事情を何も知らぬ者が読んだならば、十人中の七、八人は信じてしまうかもしれぬ、と危機感を覚えるほどに。
しかし、そうなると、三割の真実を知っていたこの元学友なる人物の正体が気になってくる。
「この、元学友というのが誰なのかは、分かっているのですか?」
鬼頭の問いに、千冬はかぶりを振った。彼女を含むIS学園の教師たちは、鬼頭の離婚原因と四年前の親権奪還事件についての詳細を知らされている。
「現在調査中です。鬼頭さんの方に、心当たりは?」
「……一人、思い当たる男がいます」
特に注視したのは二人の馴れ初めである、合コンについての描写だ。十九年前、あの場に実際にいなければ知りえぬはずの情報まで網羅されている。あの合コンの参加者で、自分の学友だった人物は、一人しかいない。高校時代のクラスメイトで、合コンの主催者だった加藤浩三だ。
「合コンの席には、加藤も一緒にいました。特別、親しい間柄ではありませんが、縁をつないでくれた恩義から、結婚式にも呼びましたし、離婚の際には報告もしました。彼が情報提供者なら、この記事のクオリティも納得出来ます」
「なるほど。早速、その加藤さんについて調査を日本政府に依頼します」
「お願いします」
「出版社に対しては……」
「名誉毀損で訴えたいと思います。“K氏”などと書いていますが、男のIS操縦者が二人しか見つかっていない現状では、私のことを指しているのは誰の目にも明らかですから」
「分かりました。弁護士への依頼は? もし、依頼なさるのなら、IS学園の顧問からも紹介出来ますが」
「とりあえず、以前、晶子と離婚した際にお世話になった方の事務所と、今日にでも連絡を取ってみます」
堂島弁護士には毎度々々厄介な依頼をしてしまうなあ、とひっそり溜め息をついた。
出版社と情報提供者と思しき人物への対応は決まった。残る問題は、この記事を読んでしまった者たちへの対応をどうするかだ。
ゲンダイは比較的流通量の多い雑誌だ。単に発行部数が多いというだけでなく、コンビニや駅の売店といった、書店以外の取扱店も多い。その分、相当な人数の目に触れてしまうことが予想された。
版元に圧力をかけるよう日本政府に依頼したとして、デジタル版の配信停止や、商品の回収といった指示が徹底されるまでにはかなりの時間を要するだろう。その間に、どれほどの数が売り捌かれてしまうか……。実際、日付が変わってまだ五時間と少々しか経っていないにも拘わらず、デジタル版のDL数は、IS学園がざっと調べた限りで三十万部を超えているという。
週刊ゲンダイは本来、サラリーマン向けの雑誌だ。しかし、今週号に限っては、普段とは違った層の購入も予想される。なんといっても、いま世界で最も注目されている男についての記事が掲載されているのだ。とりわけ、件の男とはこれから一緒に学園生活を送ることになるIS学園の女子生徒たちが欲しがる公算は高い。
「IS学園の教員としては、こんな信憑性不確かな雑誌の記事なんかに惑わされる生徒はいないと思いたいところですが……」
「少なからず、信じてしまう娘は出てくるでしょうね。それほどに、よく出来た記事です」
女尊男卑の考え方が幅を利かせるこの時代、DV男に対する女性からの心証は最悪だ。たとえその背景にどんな理由があったとしても、決して許されない。
「あと三時間もしたら、そういった敵意の眼差しを受け止めねばならないのですか……」
ベッドサイドのミニテーブルに、ケースに入った状態で鎮座するボーム&メルシェを一瞥して、鬼頭は溜め息混じりに呟いた。
「いったい、どれくらいの娘たちが記事を読むでしょう?」
「正直、予想がつきません。鬼頭さんのようなケースは、前例がないので……。最悪、学園の生徒全員が読むことになるかもしれません」
インターネットとSNSの発展・普及が著しい世の中だ。実際に雑誌を購入せずとも、今週号の内容について調べるのは難しいことではないし、情報共有のためのツールも便利なものが揃っている。そして、そういった道具の扱いは、総じて若い子の方が上手い。全校生徒に知れ渡る、とは十分考えられる事態だった。あとは、そのうちの何人が、記事の内容を信じてしまうかだが。
「二年と三年の生徒たちについては、過剰な心配は不要でしょう。みな、自分である程度ものを考えられる連中ばかりです」
というより、自分たちIS学園の教師陣が、一年以上をかけてそのように鍛え上げた。
もとより、いくつもの難所を見事踏破してIS学園への入学を果たした才女たちばかりだ。不足しているのは様々な分野における知識と、人生経験だけ。それらが補われたいまの彼女たちならば、記事の内容をそのまま鵜呑みにはするまい。文章に論理的な破綻や矛盾がないか、記事の内容のどこまでが事実で、どこからが筆者の想像によるものなのか、丹念に精査した上で、信じるか否かの結論を下してくれるだろう。千冬個人としては、記事の内容を一〇〇パーセント信じ込む者は、全体の一割未満と信じていた。
「問題は、今年入学してきた一年生たちです」
つい先日まで中学校に通っていた娘たちだ。彼女たちもまた才媛なれど、上級生たち比べて、情報の捌き方についての経験が圧倒的に不足している。かなりの人数が、記事の内容を素直に受け入れてしまうものと考えられた。
「全体の四分の一ぐらいは、覚悟しておいたほうがよいかもしれません」
毎年、新入生の中に少なからずいる女尊男卑主義者たちだが、年々その割合が増えているように思う。千冬の見立てでは、今年の新入生のうち五分の一程度は、大なり小なりそのような傾向があるように思われた。彼女たち全員プラスアルファで四分の一とは、決して大げさな数字ではない。
はたして、鬼頭を見つめる彼女たちの目つきは、彼らが想像していたよりもずっと険しく、刺々しく、そして数多かった。
入学式が始まる以前から、まるで親の仇を見つけたかのような険しい目線を四方八方より注がれ続けている。ちらり、とうかがい見たその顔には、視界に映じる男への嫌悪感がありありと浮かんでいた。勿論、みな初対面の相手だ。悪感情を向けてくる理由は限られている。男の身でISを動かした事実が気に入らないか、例の週刊誌を読んだかのどちらかだろうと、容易に想像出来た。
視線の集中は、入学式を終えて教室へ移動した後も変わらなかった。目線の数自体は減ったが、狭い空間の中に押し込まれたことで、その圧力はかえって増したように思える。もしも、視線というものに物理的なエネルギーがあったとしたら、自分は今頃、重圧による息苦しさから窒息していたに違いない。
――ざっと見渡した限り、クラスの半分近いお嬢さん方からきつい眼差しを向けられている。さて、どうしたものか……。
鬼頭は教室内を、ぐるり、と見回し、深々と嘆息した。
結局、朝の短い時間だけでは、生徒たちへの対応について良いアイディアは思い浮かばなかった。
すでに人口に広く膾炙してしまったエピソードや、根付いてしまった認識を打ち消したい、あるいは改めたいという場合、とれる手段は少ない。
最もオーソドックスな戦い方は、まったく新しい話題や考え方、そしてそれらを成立させうる論拠を彼女らに呈示し、きみたちの信じているその認識は間違っている、と認めさせることだ。しかしこの作戦は、よほど上手くやらねば成功しないし、用意した証拠の精度によっては、かえって既存の認識をより強固なものとしかねない危険性さえ孕んでいる。論理性を無視した、ヒステリックな反撃に遭う可能性もある。
かつての西洋世界において、天動説とそれに基づく自然の捉え方は、大多数の人々にとって当たり前の常識だった。コペルニクスの著作『天体の回転について』が発表されたのは、彼が死んだ一五四三年のこと。そこから地動説が一般大衆へと定着するまでには、二百年以上を必要とした。コペルニクスはその著作において、人々を納得させられるだけの証拠を呈示することが出来なかった。ガリレオ・ガリレイは地動説に有利な証拠をいくつも発見してみせたが、戦い方を誤った。結果として、地動説が市民権を得るには、アイザック・ニュートンやエドモンド・ハレーといった人物らの登場を待たねばならなくなった。
今回の週刊誌記事の場合、記事の内容は間違っていると証明出来る証拠は、すぐにでも用意可能だ。当時の裁判記録を取り寄せればよい。恣意的にか、週刊誌ではやたら存在感の薄い間男と、多情な部分が控えめに書かれていた晶子の二人が、一つの家庭をいかにして壊していったのか、克明に記録されているはずだ。
しかし、この証拠を用いて戦うことは、気が進まなかった。間男との一件に触れるということは、智也の死や、陽子への性的暴行について触れるということでもある。鬼頭にとって、そして陽子にとっても忌まわしい記憶だ。好んで開示したい過去ではない。
自身の身の潔白を証明出来る最大の証拠が使えない。このことは鬼頭らの行動を大きく制限した。
次善の策として、千冬は、まったく関係のないセンセーショナルな話題を呈示することで、みんなの意識をそちらに向けさせよう、という作戦を提案してくれた。しかし、その作戦では根本的な解決にはならないし、そもそもそんな話題をすぐに用意出来るのか、話題に釣られなかった者たちへの対応はどうするか、といった問題が残る。結局、すぐ実行に移せる作戦ではない、と却下せざるをえなかった。
これら以外にも、ああでもない、こうでもない、と頭を悩ませているうちに、いつの間にか太陽は天高く、入学式まであと一時間を切ってしまった。教員である千冬は、式の準備のため部屋を立ち去らねばならず、その後も良案が思い浮かばぬまま、鬼頭は入学式に臨んだ。
その結果が、現在、自分を取り巻く状況だ。
自分の娘と同じ年齢の少女たちより向けられる、敵意を孕んだ視線。視線。視線……。ストレスで胃潰瘍になりそうだ。
「じゃ、じゃあ自己紹介をお願いします。えっと、出席番号順で」
教壇に立つ真耶も、生徒たちが身に纏う異様なプレッシャーに怯えている。なんとかSHRを進めようとしているが、震える声は教室の隅々まで届いたとは言いがたかった。後ろの方の席に座っている娘など、最前列の席の娘が立ち上がってやっと何が始まったのかを察したぐらいだ。
――ご苦労をおかけします。
鬼頭は胸の内で彼女に謝った。
インフィニット・ストラトス二次創作
「この小さな世界で愛を語ろう」
Chapter5
「……織斑一夏です。よろしくお願いします」
最前列、ど真ん中の席。
立ち上がり、教室内を、ぐるり、と見回した織斑一夏少年の第一印象は、年齢のわりにしっかりとした体つきだな、だった。
いまの時代、十五歳で身長が一七〇センチ以上ある男の子は珍しくないが、体つきまで大人びているというのはさすがに少数派だろう。すらり、としたスマートな長身で、肩幅はそれほど広くない。しかし、真新しい制服は皺が、ピン、と伸びるほど張っており、胸板の厚さや腕の太さなどを想像させた。
その立ち姿は背筋が自然に伸びており、美しい。何かスポーツをやっていたのでは? と鬼頭は想像した。
自らの名を名乗った後、深々と腰を折り、頭を上げた織斑少年は、端整な顔立ちを緊張で強張らせていた。やたら目線が窓際のほうへと泳いでいるが、はて、そちらに何かあるのか。
ふと、目が合った。なんとなく、顔の強張りがほんの少し和らいだように見えた。察するに、自分と同じ境遇の男性の姿を認めて、安堵の気持ちを得たか。どうやら彼は、例の週刊誌を読んでいないらしい。
さて、織斑一夏は自分とは別種の緊張感と静かな戦いを繰り広げている様子だった。
周囲を見渡せば、教室にいる生徒たちの大半が、もっと喋ってよ、と熱烈な目線を彼に送っている。その中には、左隣の席に座る陽子の姿もあった。男性が苦手な彼女でも、さすがに彼のことは気になるか。
勿論、鬼頭も織斑一夏には関心を寄せていた。自分と同じく、男性の身でありながらISを操ることの出来る人物。いったいどんな為人をしているのか、興味は尽きない。
そんな期待の眼差しを一身に集める織斑少年は、はじめ、どうしたらよいのか、と途方に暮れた様子だったが、やがて決然とした表情を浮かべた。みなの知的欲求を満たさんと、深く息を吸ってから、口を開く。
「以上です」
「潔いな!」
思わず、口をついて出てしまった。
話すことが思い浮かばなかったから、自己紹介を切り上げた。その思い切りのよさに感心していると、教室の戸が、静かに開いた。黒のスーツを、バシッ、と着こなした織斑千冬だ。女子生徒たちはみな一夏のほうに目線を集中させており、彼女の入室に気づいた者は少ない。
千冬は一夏の背後に立つや、小脇に抱えていた出席簿を少年の頭へと落とした。
パアンッ! と、人体を叩いたものとは思えぬ、甲高い音。
一夏少年が頭を抱えてうずくまるのと、千冬を見る鬼頭の眼差しが鋭さを帯びるのはまったく同じタイミングの出来事だった。
「げえっ、関羽!?」
おそるおそる、振り向いた一夏の頭上で、二度目の打撃音。切れ長の双眸がいっそう険しさを増し、嫌悪感を宿す。
「誰が三国志の英雄か、馬鹿者」
鬼頭が、はじめて耳にする口調だった。もしかするとこちらの方が、彼女の素なのかもしれない。粗暴な言葉遣い以上に、言葉選びのセンスに眉をひそめてしまう。
「あ、織斑先生。もう会議は終わられたんですか?」
「ああ、山田君。クラスへの挨拶を押しつけてすまなかったな」
「い、いえっ。副担任ですから、これくらいはしないと……」
優しい声音に、真耶の表情が明るくなる。助かった、と緊張状態から解放されて、可憐にはにかんだ。
千冬は教壇に立つと、教室内を鋭い眼差しで見渡した。これも、鬼頭がはじめて見る顔つきだ。世界最強の女傑、ブリュンヒルデの眼光に射抜かれ、女子生徒たちは息を呑む。必然、教室内は静まりかえった。
「諸君、私が織斑千冬だ。君たち新人を一年で使い物になる操縦者に育てるのが仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。逆らってもいいが、私の言うことは聞け。いいな」
鋭く言い放たれた声は、空気を震わす波というより、断ち切る刃といった印象だ。
粛、とした空気が教室内を支配していたのは、束の間のことだった。
誰かが口を開いたのをきっかけに、黄色い声援が鳴り響く。
「キャ――――! 千冬様、本物の千冬様よ!」
「ずっとファンでした!」
「私、お姉様に憧れてこの学園に来たんです! 北九州から!」
「わ、わたしは名古屋から……」
ぼそり、とした呟きが、隣の席から聞こえた。昨日、千冬と会ったときには口にしなかった言葉だ。そうだったのか、娘よ……。
「あの千冬様にご指導いただけるなんて嬉しいです!」
「私、お姉様のためなら死ねます!」
きゃいきゃい、と騒ぐ女子たちを、千冬は鬱陶しげに見た。
「……毎年、よくもこれだけの馬鹿者が集まるものだ。感心させられる。それとも何か? 私のクラスにだけ馬鹿者を集中させているのか?」
「きゃあああああっ! お姉様! もっと叱って! 罵って!」
「でも時には優しくして!」
「そしてつけあがらないように躾をして~!」
千冬は辟易とした様子で溜め息をついた。茫然とした様子の一夏を冷淡に睨みつける。
「で? 挨拶も満足にできんのか、お前は」
「いや、千冬姉、俺は――」
三度目の打撃音。
「織斑先生と呼べ」
「……はい、織斑先生」
順番が逆だろう、と鬼頭は内心吐き捨てた。織斑一夏と千冬の間には、血の繋がりがあるのでは、とは以前から考えていたことだ。このやりとりに対する驚きは少ない。それよりも、言葉よりも先に手が出たことに驚いた。
学校教育に体罰を採り入れているなんて時代錯誤が過ぎる……とは、鬼頭は思わない。
一人の人間を育てるのは大変なことだ。綺麗事だけでは成り立たぬことも多いし、ときには体罰が有用と思われる場面もある。自身、智也と陽子を育てる過程で、何度もその誘惑にかられたものだ。
問題は、千冬が言葉を使った指摘よりも先に手を挙げたことだ。
体罰は、あくまでも“罰”として機能しなければならない。まず、本人に悪いことをしてしまった、と自覚させ、その上で、悪いことをしたらこういう罰を課せられる、という形で行われるべきはずだ。そして、悪いことをしてしまった、という自覚は、言葉をもってなされるべきはずだ。
ところが、千冬の振るまいはどうだ。織斑少年を――少なくとも本人にとっては――いきなり三発も叩き、そうしてからようやく口を開いた。もはやこれは、単なる暴力だ。後に続いた言葉も、自分の暴力を正当化させようとする言い訳にしか聞こえない。
もはやどうにもならぬことだが、鬼頭は陽子にIS学園への受験を認めたことを後悔し始めていた。
そのとき、教室の壁面に設置されたスピーカーから、本日の始業を告げるチャイムが鳴った。
「む。もうこんな時間か。SHRは終わりだが……」
千冬の目線が、三列目の真ん中に座る鬼頭の姿を捉えた。
「鬼頭さんについては、早めの自己紹介が必要でしょう。手短に、お願い出来ますか?」
「……わかりました」
立ち上がると、先ほどまで千冬に向けられていた陶酔の眼差しが、敵意へとその質を変えて、こちらに集中した。中には、好奇や憐憫、いたわりといった感情も見て取れるが、少数派だ。
「……鬼頭智之です。アローズ製作所という、ロボットのメーカーに勤務しています。趣味は時計とクルマ。隣に座っている陽子とは、親子の関係です。皆さんとは、それこそ親子ほども年齢が離れていますが、気安く話しかけてやってください」
深々と腰を折る。その間も、注がれる目線の鋭さは変わっていないように感じられた。
「鬼頭さんはすでに大学を卒業されている。授業にはIS関連のものだけ強制参加、一般教養は自由参加という、少し特殊な扱いなる。急にいなくなっても、驚かないように。……鬼頭さん、もう結構です」
促され、着座する。視線の集中砲火は依然として激しいが、唯一、織斑一夏少年のみ、きらきら、と輝いた眼差しを向けてくれていた。いま口にした内容の中に、彼の好感に響く要素があったのか。
「それでは、授業を始める」
千冬が、ぴしゃり、と言い放ち、IS学園での生活初日、最初の授業が始まった。
◇
一限目の授業の内容は、ISの基礎理論についてだった。
これが本当に高校生の授業なのか? と、思えるほど、難解な内容だったが、いまのところはなんとかついていけている。
やがて濃密な五十分間の終了を告げるチャイムが鳴り、千冬と真耶は速やかに退室していった。
途端、騒然となる教室内外。というのも、教師たちの監視の目がなくなったことで、廊下には他クラスの女子や二、三年生の先輩らが詰めかけ、教室内ではクラスメイトたちが、たった二人しかいない男子生徒を眺め、ひそひそ、と話し合っているためだ。「あなた話しかけなさいよ」とか、「ちょっと抜け駆けする気じゃないでしょうね」といった言葉が聞こえる。……抜け駆けとは、なんのこっちゃ?
「……さて」
学習机を使うのは久しぶりのことだ。二十数年ぶりにとった姿勢のため凝り固まった筋を伸ばしながら、鬼頭はゆっくりと立ち上がった。
隣に座る陽子も、ぐぐぐっ、と両腕を前に伸ばしながら起立する。
「陽子、父さんはちょっと、織斑君に挨拶をしてくるよ」
社会人の常識だ。挨拶はこちらからするもの。相手に先手を取られては、それはただの返事にすぎない。
「うん。じゃあ、わたしもついて行く」
二人並んで、織斑少年の席へと向かう。先ほどの授業内容で理解の及ばぬ箇所があったのか、一夏は、ううん、と悩ましげな表情を浮かべノートを睨んでいた。
さて、第一声はどうするか。とりあえず彼の前に回り、にこやかに笑って話しかける。
「いま、話してもいいかな?」
彼が顔を上げた。こちらの姿を認め、慌てて立ち上がる。
「え、あ、き、鬼頭さん……ですよね?」
「ああ。鬼頭智之だ。こちら、私の名刺です」
懐から名刺を取り出し差し出した。どう受け取ればよいか戸惑う一夏。かたわらに立つ陽子が呆れた口調で言う。
「父さん、相手、高校生、高校生」
「む。そういえばそうだったな。いやあ、すまない。つい、癖で」
「い、いえ」
「それじゃあ、改めて。鬼頭智之だ。会えて嬉しいよ」
名刺を引っ込め、代わりに、半歩踏み出して右手を差し出す。握手に慣れていないのか、一夏は、おずおず、と手を重ねてきた。硬い掌。苦労を知っている男の手だ。
「お、織斑一夏です。こちらこそ……」
「父さんの娘で、鬼頭陽子です。よろしく、織斑君」
「お互い、この学園では肩身の狭い立場だ。協力し合える関係を築きたい」
努めて優しい口調で語りかけると、一夏は嬉しそうに微笑んだ。
「あ、俺も、鬼頭さんとは仲良くなりたいなって思ってました! あの、さっきの名刺、もらっても?」
「ああ、勿論」
再び名刺を差し出す。一夏はなけなしの知識を総動員して、両手で恭しく紙片を受け取った。株式会社アローズ製作所。その社名を、しげしげ、と眺めていた。
「アローズ製作所って、ロボットを造っている会社なんですよね?」
「ああ、そうだよ」
「どんなロボットを造っているんですか?」
「色々さ。それこそ、工場で使われているようなアーム型ロボットから、重作業用の戦車みたいなやつまでね」
「スゲェ……カッケェなぁ……!」
興奮した呟き。ロボットという言葉の響きに、ある種のロマンティシズムを感じているのか。男の子だなあ、と鬼頭は微笑ましげに見つめた。
「織斑君は……」
「すみません。ちょっといいですか?」
今度は自分が彼に話題を振る番だ。そう思い口を開いたところで、別方向から声をかけられた。
見れば、長い墨色の黒髪をポニーテールに結わえた少女が、一夏を睨み、立っている。たしかクラスメイトの娘だ。名前は、自己紹介が中断されてしまったため、分からない。
「……箒?」
驚いた様子で一夏が呟いた。彼女の名前だろうか。
「織斑君の知り合い?」
陽子が訊ねると、一夏は首肯した。
「あ、ああ。こいつは篠ノ之箒といって、俺の幼馴染みなんだ。……まあ、会うのは久しぶりなんだけど」
「久しぶり、とは?」
今度は鬼頭が訊ねた。
「俺たちが小四のときに、箒のやつは引っ越しと転校をして、それっきりだったんですよ。IS学園を受験していたとかも知らなくて、俺も、入学式のときに箒だって、気づいたところなんです」
「なるほど」
鬼頭は箒の顔を見つめた。ふむ。表情や雰囲気から察するに、久しぶりに再会した幼馴染みと二人きりで話したい、といったところか。
ならば、と彼は、そして左手首のボーム&メルシェに目線を落とす。
「まだ時間はあるな。織斑君、彼女はきみと二人だけで話したいらしい。私のことは気にせず、行ってくるといい」
「え、でも……」
「私とは次の休み時間にでも話せばいいさ。小四のときに別れてきりというと、五、六年ぶりの再会だろう? お互い、積もる話があるはずだ。旧交を温めてきなさい」
一夏は鬼頭と箒の顔を交互に見て、戸惑い気味に頷いた。「廊下でいいか?」と、訊ねる彼女にも頷いて、歩き出した彼女の背中を追う。
「……あれ、たぶん、箒さんも読んでいるね」
教室から出て行く二人の後ろ姿を見送りながら、陽子が呟いた。
箒は一度も鬼頭に目線を向けなかった。極力、彼の姿が視界に収まらぬよう努めていたように見えた。
織斑君は久しぶりに再会した幼馴染みの久闊を叙するにいたった。
他方、自分といえば周りの女子生徒たちの態度に胃を痛くしている。
同じ男性操縦者なれど、学園生活の前途は対照的だな、と鬼頭はひっそり嘆息した。
まだ一限目が終わっただけだというのに、早くも疲労感の滲み出る中年男性の背中を、冷ややかな眼差しが見つめていた。
「ちょっと、よろしくて?」
若い人たちの間で流行りのフレーズなんだろうか、と背後からの声に反応し、鬼頭は振り向いた。
白人特有のブルーの瞳が、鬼頭を冷たく睨み上げる。知っている顔だ。といっても、こちらが一方的に知っているだけ、という相手。セシリア・オルコット。イギリスの代表候補生だ。一ヶ月ほど前に目を通したIS関連の雑誌に、英国期待の新星と、顔写真つきで紹介されていたのを覚えている。鮮やかなブロンドの髪は、二ヶ月以上前に撮影されたときよりも長く、腰のあたりまであった。
「構いませんよ、ミス・オルコット」
腕を組み立っているセシリアに、鬼頭は愛想よく微笑んでみせた。
「こちらも、あなたには早めに挨拶しておこうと思っていましたので」
己と同じ境遇にある一夏の次に、友好的な関係を築きたいと思っていたのが彼女だった。
代表候補生とは、国家代表IS操縦者の候補生という意味だ。世界中から才媛を集めたIS学園にあって、その能力は傑出していると考えてよいだろう。彼女からはたくさんのものを学べるはず、と鬼頭は考えていた。
「あら、わたくしのことはご存知でしたのね」
「国家代表や代表候補生のみなさんは、全員チェックしていました。同じクラスになるとは思いませんでしたが……お会いできて光栄です」
宝石のような青い瞳を真っ直ぐ見つめ、半歩踏み出しつつ右手を差し出した。西欧人にとっての握手の文化は、日本人にとってのお辞儀に相当する。西洋のマナーブックには“正しい握手のやり方”という項目があるほど重要なコミュニケーション手段で、これに応じない場合、相手に対し敵意を持っていると解釈されてもおかしくはない。
はたして、セシリアは両腕を組んだまま。差し伸べられた右手に対しては、冷たい一瞥を向けるのみだった。態度から察するに、彼女もまた、例の週刊誌を読んだのだろう。セシリアの鬼頭を見つめる眼差しは険しいが、彼女を見る陽子の目つきも鋭かった。
行き場を失った鬼頭の右手が、やおら下ろされていく。
鬼頭は努めて平静を装いながら口を開いた。
「それで? 私に何か、ご用でしょうか?」
「ええ。世界にたった二人しかいない男性IS操縦者にご挨拶を、と思いまして。それともう一つ……」
形の整った唇から紡がれる口調は丁寧だが、声音は攻撃的だ。
「あなたに、お訊ねしたいことがあります」
「なんでしょう?」
「『週刊ゲンダイ』という雑誌は、ご存知かしら?」
鬼頭たちの様子を遠巻きに眺める女子生徒たちが、等しく息を呑んだ。週刊誌記事の内容を信じている者たちも、不信感たっぷりの者たちも、まさか本人に直接、真偽を確認するつもりなのか、と驚きを隠せない。
「……ええ」
セシリアの問いに、鬼頭は深々と頷いた。
「よく、知っています。毎週欠かさず購読しているわけではありませんが、気になる特集が載っているときなどに買っていますよ。たとえば、今日発売したばかりの最新号とか」
「あら、すでに読んでいたのですね」
「ええ」
「それなら、話は早いですわ。あの記事の内容は、本当のことですの?」
返答するまでに、一秒ほど時間を必要とした。セシリアの意図がどうあれ、クラスメイトらが聞き耳を立てている状況だ。ここは慎重に言葉を選ばなければならない。
「三割は本当のことです。私に離婚歴があることや、一度目の裁判では元妻の側に親権を取られてしまったこと、その後取り返したことなどは、事実です。残りの七割……たとえば、私が元妻に対しDVをはたらいていた、という部分などは嘘……というより、雑誌記者による捏造ですね」
さて、この言を聞いたクラスメイトたちは、どう反応するのか。自分の言葉を信じてくれるか。それとも、いまの発言こそ嘘である、と断じるか。そして目の前の少女は? セシリア・オルコットは、どんな反応を示す……?
鬼頭の耳目は、周囲のどんな些細な変化も見逃すまい、聞き逃すまい、と奮い立った。
「いま、あなたの言ったことを、証明する術は、ありますの?」
自分を見つめるセシリアの眼差しは、変わらず冷たい。というより、変化がない。鬼頭はここで、おや? と、彼女の態度の不自然さを訝かしむ。
自分から質問し、それに応じた。何らかのリアクションをとって然るべきはずなのに、この変化の乏しさはいったい……。もしや、週刊誌に書かれていたことの真偽は、彼女が本当に知りたいことではないのか? 彼女にとって、記事の内容が正しいかどうかは、本当はどうでもよいことなのでは? 関心の薄い事柄についての返答だったから、リアクションも薄かったのか? そうだとすると、彼女が本当に知りたいこととは、いったい何だ……?
セシリアを見る鬼頭の顔から、とうとう笑みが消えた。かつてMITを首席で卒業した男の頭脳が、少女の真意を探らんと高速で回転する。
「勿論です」
「なら、その証拠を示してくださいます」
「それは……」
ちらり、とかたわらの陽子を一瞥した。鬼頭は切れ長の双眸に強い意志の炎を灯し、毅然と言い放つ。
「出来ません」
「……いま、なんと?」
「出来ない、と言いました。週刊誌の内容のうち三割は本当で、七割は捏造。それを証明する手段は、たしかにあります。しかし、その証拠を呈示することは出来ません」
「週刊誌は、お読みになったのですよね?」
「はい」
「とても酷い書かれようでしたわ。あなたの人格を否定し、これまでの行いを侮辱し、あなたの名誉を傷つける内容でした」
「読んでいて吐き気がしましたよ」
「それでも、ですの?」
「はい」
「身の潔白を証明したいとは、思いませんの?」
「思いますよ、そりゃあね。ですが、出来ないものは、出来ないのです」
正確には、やりたくない、だが。
裁判資料の取り寄せと公開は、陽子を傷つけることになる。親として、それだけは出来ない。
「なるほど」
束の間、瞑目し、セシリアは得心した様子で頷いた。
「あなたという人間が、少しだけ、分かったような気がしますわ」
落胆。失望。再び見開かれた双眸は、鬼頭に対する嫌悪感に満ち満ちていた。
「情けない男」
言い捨てて、踵を返した。
教室内に設置されたスピーカーが、二時限目の到来が迫っていることを知らせる予鈴の鐘を鳴らす。
若者は難しいなあ、と鬼頭はほろ苦く笑った。
Chapter5「少年たち」了