この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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最後にネタをぶっ込んでしまった。

好き嫌い別れるかも。


Chapter6「怒れる女たち」

 IS学園での生活一日目。

 

 事件が起こったのは、三限目の授業が始まってすぐのことだった。

 

 その端緒を作ったのは、教壇に立った千冬の、次の発言だ。

 

「授業を始める前に、再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決めないといけないな」

 

「織斑先生、クラス対抗戦とは?」

 

 はじめて聞く言葉の意味を知りたいと、鬼頭は質問のため挙手、指名され、疑問を口にした。

 

「入学時点での各クラスの実力推移を測るための競技大会です。各クラスから選抜された、クラスの代表者が参加して行われます」

 

「なるほど。では、クラス代表とは文字通り、その組の代表選手という意味になるわけですね?」

 

「その通りです。ただ、クラス代表には対抗戦以外にも、生徒会や委員会の各種活動にも参加してもらいます。そういう意味では、代表選手というよりは、一般の学校でいうクラス長や学級委員長に近い役職です。原則として、一度決まると一年間は変更ができません」

 

「決め方は?」

 

「基本は立候補式で考えています。自薦他薦は問いません」

 

「なるほど……。織斑先生」

 

 鬼頭は申し訳なさそうに硬い表情を浮かべた。

 

「たいへん申し訳ありませんが、私については、そのクラス代表への選出を免除してはいただけませんでしょうか?」

 

「……どういうことです?」

 

「知っての通り、いまの私の立場は、このIS学園の生徒であると同時に、アローズ製作所の社員でもあります。クラス代表としての仕事と、会社の仕事がバッティングしてしまった場合、どちらを優先するべきなのか……。そういった煩わしさを避けるため、この身はなるべく身軽にしておきたいのです」

 

 性質のまったく異なる二つの組織に、同時に所属するというのは、色々と不都合なことが多い。

 

 IS学園の生徒としての立場を優先するのか、それとも、アローズ製作所の社員として行動するのか。もともと日本政府は、そういった場面を懸念して、鬼頭に会社を辞めるよう要請していた。

 

 しかも、アローズ製作所での自分には、パワードスーツ開発室の設計主任という役職まで、いまやついている。

 

 役職を得るとは、責任を負う、ということだ。自分の双肩には、己や、己の家族のみならず、パワードスーツ部門にたずさわる者たち全員の未来がかかっている。IS学園か、アローズ製作所か、と選択を迫られた場合、自分は迷わず、後者を取るだろう。

 

 そんな立場の上に、クラス長なんて役職をさらに賜った暁には、自分を取り巻く状況はいっそう複雑怪奇なことになってしまう。鬼頭自身は勿論、IS学園にも、アローズ製作所にも、メリットが一切ない事態だ。

 

 ――色々な人へ迷惑をかけてしまうのを承知で、我が儘を通して会社に残させてもらっているんだ。これ以上、厄介はかけられない。

 

 彼にとってクラス代表への就任は、なんとしても避けねばならぬ事態といえた。

 

「なるほど、鬼頭さんの考えはよく分かりました。では、クラス代表には鬼頭さん以外から選ぶことにしましょう」

 

「ありがとうございます」

 

 鬼頭の切々とした訴えに頷くと、千冬は改めて教壇の上から生徒たちの顔を、ぐるり、と見回した。

 

「……それで、誰かいないか? もう一度言うが、自薦他薦は問わないぞ」

 

 そのとき、一人の女子生徒が右腕を元気よく掲げてみせた。先のSHRで、自己紹介の番が回らなかった一人だ。千冬が指名すると、最前列の席に座る一夏を見て言う。

 

「はいっ、織斑くんを推薦します!」

 

「お、俺!?」

 

 まさか自分が指名されるとは思わなかった一夏は、驚いた様子で立ち上がった。クラス中の視線が彼に集中し、うおっ、とたじろぐ。

 

 この人選には、鬼頭も驚きを隠せない。先ほどの千冬の言によれば、クラス代表とはその学級における代表選手のような立場でもある。操縦経験の浅い彼を選出した理由とは、いったい何なのか。

 

 あるいは、学級委員に必要な事務処理能力を見込んでの推薦だろうか。いや、それにしたってこの人選はおかしい。このクラスが結成されてまだ三時間弱でしかない。鬼頭が把握している限り、彼が皆の前で事務に強いという一面を示したことは、一度もないはずだ。

 

 仮にそうだとして、その才能を知っているということは、彼とは以前から付き合いのある人物ということになるが。

 

 ――織斑君の反応を見る限り、それも考えにくい。

 

 自分を推薦してきた少女を見る一夏の表情は茫然としている。これがかねてよりの知り合いなどであれば、もっと違う反応を見せるはずだ。ということは、推薦者の少女は、織斑一夏の能力や才能について、よくは知らないということになる。

 

 ISの操縦技術が未熟なことは明らか。事務処理能力についても未知数。にも拘わらず、一夏を推薦した彼女の思惑が分からない。

 

 さすがに、物珍しさからクラスの広告塔になってくれ、などという無責任な発想から生じた発言ではない、と思いたいが。

 

 一夏に目線を向ける。困惑の様子から察するに、クラス長への就任は彼にとって、望ましい出来事ではないらしい。己自身、この人選には疑問を感じている。ここは助け船を出すべきだろう。鬼頭は再び挙手をしようとして、バンッ、と、机を叩く音に驚き、発生源を振り返った。

 

「待ってください! 納得がいきませんわ!」

 

 立ち上がり、声を荒げたのはセシリア・オルコットだった。可憐な美貌が険を孕み、戸惑う一夏を睨みつける。ちなみに彼とは、二限目が終わった後の休み時間の間に、お互い自己紹介をしていた。

 

「そのような選出は認められません! 大体、男がクラス代表だなんていい恥さらしですわ! わたくしに、このセシリア・オルコットにそのような屈辱を一年間味わえとおっしゃるのですか!?」

 

 セシリアを見る鬼頭の面差しに、悲しげな表情が浮かんだ。彼女とは一限目と二限目の間の休み時間に少し話したが……。そうか、自分に対してやけに攻撃的な態度を取っていたのは、女尊男卑主義者だったからか。

 

 ISが登場して十年。女尊男卑の思想が権勢を得るようになって七、八年。若い娘たちの中には、女性だから偉い、男性だから卑しい身分で当然、という、恐ろしくもシンプルな行動原理を持つようになった者が少なくない。セシリア・オルコットも、そういった人間だったか。

 

 推薦者の真意が奈辺にあるにせよ、男性である一夏がクラス代表へ推薦された事実が、彼女には気に入らなかったのだろう。ましてや、セシリアはイギリスの代表候補生だ。自分の名前がいの一番に挙げられなかったことは、彼女の競技者としてのプライドを大いに傷つけたに違いない。ヒステリックになるのも、無理からぬことといえた。同情の気持ちを禁じえない。

 

 とはいえ、

 

「実力から行けばわたくしがクラス代表になるのは必然。それを、物珍しいからという理由で極東の猿にされては困ります!」

 

 ――これは、不味いな……。

 

 個人の主義主張は自由だ。しかし、仮にも英国の代表候補生という立場の人間が、声高に、性別や、人種について差別的な発言をしているのは問題だ。

 

 セシリアも、難関IS学園を突破するほどの才女である。冷静な状態であれば、自身の信条を公言すればかえって自分の身を危うくすると承知しているはず。

 

 おそらく、彼女自身は男性差別主義者であっても、レイシストではあるまい。そうでなければ、ISのことを学ぶためとはいえ、日本には来なかっただろう。極東の猿云々は、織斑少年を罵倒するため、ついつい口から出てしまった言葉と考えられる。

 

 口から出た言葉は音として耳の奥に残り、また新たな罵倒の言葉を想起させるきっかけとなる。彼女の本来の信条とは別に、次々と、汚らしい語彙が勝手に舌先からこぼれ落ちる。

 

 いまの彼女は、極度の興奮状態にある。自分の発言をコントロール出来ない、あるいは、自分が何を口にしているのか、分かっていない可能性がある。

 

「大体、文化としても後進的な国で暮らさなくてはいけないこと自体、わたくしには耐えが難い苦痛で――」

 

「ミス・オルコット、それ以上はおよしなさい」

 

 止めねばならない。鬼頭の静かな呟きが、セシリアの怒濤の剣幕に差し込まれた。

 

 瑠璃石の瞳に強烈な敵意の炎を灯し、彼女の目線はターゲットを変えた。

 

「あなたは……っ!」

 

「ミス・オルコット、あなたの考えはよく分かりました。要するに、クラス代表は実力で選ぶべきと、そうおっしゃりたいのですね? であれば、それ以外の言葉は不要です。それ以上、ご自身の立場を悪くするような発言はおよしなさい」

 

 男性の身である自分からの注意は、彼女の心に大きな屈辱感をもたらすだろう。かえって激昂の呼び水となりかねないが、誰かが言ってやらねば。

 

 決然と言い放った鬼頭に、セシリアは苛立った口調で応じた。

 

「……たしかに、その通りですわね。いまのわたくしの発言は、わたくしの立場を危うくする上に、日本のみなさんにはたいへん不愉快な思いをさせてしまうものでしたわ」

 

 セシリアは教室内を見回した。彼女を見る同級生たちの眼差しは、等しく険しい。

 

「申し訳ありません。みなさんに、不快な思いをさせてしまいました」

 

 日本式に、深々と腰を折る。留学に際して、日本の文化についてある程度勉強してきたのだろう。

 

 顔を上げた彼女は、眦をつり上げ、鬼頭を睨んだ。

 

「ですが、それをあなたに指摘されるなんて……本当に、不愉快ですわ」

 

 発言の内容に、違和感を覚えた。男性全般というよりは、自分個人に向けられた嫌悪感。はて、先ほどの休み時間に話したときもそうだったが、なぜ、彼女は自分に対し、こうも敵意を向けてくるのか。

 

「……失礼ながら、私たちは以前、どこかでお会いしたことがあったでしょうか?」

 

「どうしてそのような質問を?」

 

「私の勘違いかもしれませんが、ミス・オルコットは私に対して、特に強い敵意を持っているように見受けられます」

 

 鬼頭の言葉に、セシリアは応とも、否とも答えなかった。

 

 ただただ、怒れる眼差しを男の顔に突き立てる。

 

「しかし、私にはあなたからそのような感情を向けられる理由について、覚えがありません。もしかして私に記憶がないだけで、以前、私たちはどこかでお会いし、そのときに、あなたに嫌われる理由を作ってしまったのか、と思いまして」

 

「……たしかに」

 

 セシリアは両腕を組み、忌々しげに言い放つ。

 

「わたくしは、あなたのことが嫌いです。ですがその理由は、あなたからしてみれば、とても理不尽なものでしょう」

 

「というと?」

 

「わたくしたちの間に、過去の接点などありませんわ。あなたのことを知って以来、わたくしが一方的に嫌っているだけですもの。……例の週刊誌の記事」

 

 教壇に立つ千冬、そのかたわらに控える真耶の表情が硬化した。二人の様子を、おろおろ、しながら眺めているクラスメイトたちの面差しも、一様に緊張で張りつめる。唯一、一夏だけが、何のことか分からず、鬼頭とセシリアの顔を交互に見比べていた。

 

「元妻にDVをはたらく最低な男。それだけでも印象は最悪でしたのに、あなたは先ほど、こう、おっしゃりましたわね。記事の内容は捏造だ。自分はそれを証明する手段がある。でも、その証拠を開示することは出来ない」

 

 そんなことを言ったのか!? 自分の横顔を見つめる千冬の眼光が、険を帯びる。

 

「情けない男ですわね。記事にされて傷ついたのは、あなただけじゃありません。あなたの娘……陽子さんだって、深く傷ついているはずなのに」

 

 セシリアは、鬼頭の隣に座る陽子に、いたましげな視線を向けた。

 

「あなたには、戦う義務があるはずです。親として、娘のために。陽子さんのことを思えばこそ、あなたは、身の潔白を証明する手段があるのなら、そうしなければならないはずです」

 

「…………」

 

「週刊誌で書かれたことに反論をする。たいへんな戦いです。きっと、いま以上に傷つくことになるでしょう。それでも、あなたは戦わなければならない。陽子さんのために、立ち上がらなければならない。それなのに、あなたは……!」

 

 そういうことか、と得心する。セシリアの目に己は、これ以上自分が傷つくことを恐れるあまり、娘のために行動を起こさない情けない父親、と映じていたか。

 

 ――そりゃあ、嫌われても仕方ない。

 

 ただでさえ女尊男卑の考え方が行動原理という人物だ。男性というだけでも嫌悪の対象なのに、父親としてもそんな醜態では、憎しみは一入だろう。

 

 さて、自分のことをそんなふうに思っている相手に、いったいどう返答するべきか。

 

 ふうむ、と考え込む鬼頭は、このとき、意識をセシリアに向けすぎていた。

 

 彼女のことばかり考えていたせいで、すぐかたわらの愛娘の変化に、気づくのが遅れてしまった。

 

「何も……」

 

「……陽子?」

 

 唐突に口を開いた陽子に、目線を向けた。

 

 八歳から十二歳まで、両親から満足に食事を与えられなかったことが原因でいまだに華奢なその肩が、ぶるぶる、と、怒りに震えていた。

 

 先ほどのセシリアと同様、学習机の天板を、バンッ、と叩いて立ち上がり、蒼の瞳を睨みつける。

 

「わたしたちのことを何も知らないやつが、父さんのことを悪く言うな!」

 

「なっ……」

 

「陽子!」

 

「さっきから黙って聞いていれば、あなた、何様のつもりだ!? 何の権利があって、他人の家庭の事情に口出しするんだ!?」

 

 陽子は、きっ、と千冬を睨んだ。

 

「織斑先生っ! わたしも、クラス代表に立候補します!」

 

「陽子! 何を言って……」

 

「オルコットさんは、クラス代表には実力のある人がなるべきだ、と言っています。ここは、ISバトルで試合をして、勝った人がなるべきだと思います」

 

「陽子、よしなさい」

 

 腹立ちは分かるし、自分のために怒ってくれているのだ、と思うと、父親として嬉しい気持ちになる。

 

 しかし、その考えは無謀すぎる。おそらく陽子は、試合の中でセシリアに怒りをぶつけ、痛い目に遭わせてやる、と考えているのだろうが、相手は、イギリスの代表候補生なのだ。対して陽子は、ISの操縦経験は入学試験のときも含めて片手で数えられる程度。知識面も、ISについての勉強は中学二年生からようやく始めたという有り様だ。知識。技術。経験。そのすべてにおいて、実力差は歴然としている。勝てる公算は、ほとんどない。

 

「父さんは黙っていて!」

 

 制止の言葉を、はたして、陽子は退けた。

 

「父さんのことも、わたしのことも、智也兄さんのことも……何にも知らないのに、あんなふうに父さんのことを馬鹿にして、侮辱して……絶対に、許さない!」

 

 一度こうと決めたら、梃子でも動かない。この強情さ、いったい誰に似たのやら。

 

 鬼頭は千冬にすがるような眼差しを向けた。こんな私情まみれの立候補など、認めてくれるな。蹴ってくれ。しかし彼女は、陽子の発言に呆れた表情を浮かべるだけで、それ以上のことはしてくれなかった。

 

「……では、候補者は織斑、オルコット、鬼頭の三人だな」

 

「お、俺も入っているのかよ!?」

 

「自薦他薦は問わないと言った。他薦された者に拒否権などない。どんな理由であれ、選ばれた以上は覚悟をしろ」

 

「そ、そんな、千冬ね……」

 

 千冬が出席簿を振りかぶったところで、慌てて口をつぐむ。ちっ、と舌打ちした千冬は、出席簿を教壇の上に静かに置くと、教室内を見回した。

 

「試合の経験を積む良い機会にもなる。代表者決めの方法は鬼頭の提案通り、ISバトルとする。オルコット、異論はないな?」

 

「ええ、勿論ですわ」

 

 セシリアは一夏、そして陽子に好戦的な笑みを向けた。

 

「イギリスの代表候補生、このわたくし、セシリア・オルコットの実力を示す、またとない機会ですもの。男の分際で、動かせるというだけでこの学園に入学してきたお猿さんや、勘違い娘に、わたくしの力、存分に見せつけてあげましょう」

 

「は、はい! 織斑先生、はい! 俺はあります! 異論、あります!」

 

「黙れ。さっきも言ったが、他薦された者に拒否権はない」

 

 マジかよ……。がっくり肩を落とす一夏を無視し、千冬は鋭く言い放った。

 

「勝負は一週間後の月曜、放課後、第三アリーナで行う。試合に参加する三人はそれぞれ、用意をしておくように。それでは、授業を始める」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、鬼頭陽子は自身の机の上で頭を抱えていた。

 

「……どうしましょう? お父様。たいへんな約束を交わしてしまいました」

 

「娘よ、わりと自業自得の結果だと思うぞ」

 

 隣の席に座る父親からの返答からは優しさが感じられない。あんたのために怒ってやったのに……! とは、さすがに自分勝手な考え方だろうが、もうちょっとこう、感謝とは言わずとも、慰めの言葉ぐらいかけてくれたっていいじゃないか。

 

 鞄の中に教科書をしまう父を横目で睨む……が、厳めしい顔つきは長続きしなかった。それどころか、思わず笑い出しそうになるのを必死にこらえねばならなかった。智之はいま、IS学園の学生服に袖を通しているが、年齢のせいか、コスプレにしか見えない。まるでそういうサービスを行う店か、男たちの夢がいっぱいに詰まったいかがわしいビデオを見ている気分だ。

 

「……とはいえ」

 

 教科書をしまい終えた鬼頭は、あ~、とか、う~、とか呻きながら机に突っ伏する陽子の背中を優しく撫でさすった。

 

「俺のために怒ってくれたんだ。父さんは嬉しいよ。ありがとうな」

 

「……どういたしまして」

 

 顔を上げずに、呟いた。きっと照れた顔をしているだろうから。

 

 鬼頭は苦笑しながら、目線を前方の席へと向ける。

 

「織斑君も、すまなかったな。巻き込むようなことになってしまって……」

 

「いえ……」

 

 陽子とは違う理由から机の上でぐったりしている一夏は、力なくかぶりを振った。

 

「千冬姉は、一度口にしたことは絶対に覆さない人ですし……。それに、あのオルコットさん、たぶんですけど、鬼頭さんたちが口を挟まなかったとしても、なんやかんや文句をつけて、試合することになっていたと思いますしね。……そういえば」

 

「うん?」

 

「ええと、お二人のこと呼ぶときって、どうすればいいですか? 二人とも、鬼頭さんだし……」

 

「私のことは、智之と呼んでくれて構わないよ」

 

 即答だった。男性に対して苦手意識のある陽子だ。異性から下の名前を呼ばれることに、苦痛を感じるかもしれない。彼女のほうも、「じゃあ、わたしのことを鬼頭と呼んで」と、応じた。

 

 そのとき、授業を終えて退室したはずの真耶が、書類を片手に戻ってきた。

 

「ああ、織斑くん。まだ教室にいたんですね。よかったです」

 

「はい?」

 

「えっとですね、寮の部屋が決まりました」

 

 真耶はそう言って顔を上げた一夏の手に部屋の番号が書かれた紙とキーを握らせた。

 

 手の中の鍵を眺めながら、一夏が訊ねる。

 

「俺の部屋、まだ決まってないんじゃなかったんですか? 前に聞いた話だと、一週間は自宅から通学してもらうって話でしたけど」

 

「そうなんですけど、事情が事情なので一時的な処置として部屋割りを無理矢理変更したらしいです。……織斑くん、そのあたりのことって政府から聞いてます?」

 

 最後の部分は一夏たちにだけ聞こえるよう声をひそめて言った。

 

 一夏が申し訳なさそうに、「いいえ」と、応じと、真耶は困った様子で溜め息をついた。

 

「ううん……連絡に不備があったみたいですね。まあ、そういうわけで、政府特命もあって、とにかく寮に入れるのを最優先したみたいです。一ヶ月もすれば個室の方が用意できますから、しばらくは相部屋で我慢してください」

 

「山田先生、ちょっと待ってください」

 

 鬼頭は険を帯びた表情で声をかけた。

 

「いま、相部屋とおっしゃりましたが……、まさか、女子生徒と一緒の部屋、ということですか?」

 

「……はい。実はそうなんです」

 

「うえっ、マジですか……」

 

 真耶自身、納得がいっていないらしい返答に、鬼頭たちは驚いた。

 

「それは……その、色々と、不味いのでは……」

 

 自分と陽子が一緒の部屋で暮らすのとは、わけが違う。

 

 思春期の男女が二人きりで、一つの部屋の中で寝食をともにする。日本政府も、IS学園も、過ちが起こる可能性を考慮しなかったのだろうか。

 

「そう、ですよねえ……。やっぱり、不味い、と思うのが、一般的な反応ですよねえ……」

 

 鬼頭の言葉に、真耶は深々と溜め息をこぼし、頷いた。

 

「ですが、それが政府からの要請なんです。とにかく、織斑くんの身の安全を最優先にせよ、と」

 

「……この国の政治家や官僚たちは、たまに、とんでもなく阿呆になることがありますね」

 

 大人二人で政府の決断を嘆く。

 

 他方、当事者たる一夏といえば、事の重大さを認識していないのか、別ベクトルの悩みを口にした。

 

「部屋は分かりましたけど、荷物はどうすればいいんですか? 一回家に帰らないと準備できないですし……」

 

「あ、いえ、荷物なら――」

 

「私が手配をしておいてやった。ありがたく思え」

 

 真耶の言葉を遮って、一緒に入ってきた千冬が言った。

 

「ど、どうもありがとうございます……」

 

「まあ、生活必需品だけだがな。着替えと、携帯電話の充電器があればいいだろう」

 

「いえ、それはさすがに……織斑君」

 

 鬼頭は一夏の肩を叩いた。

 

「後で私と陽子の部屋に来るといい。オジサンの使っている物で悪いが、髭剃りの道具とか、男性用のシャンプーとか、貸せる物は貸そう」

 

 IS学園には購買部もあり、そちらには肌ケア用品なども置いてあるが、そのラインナップは基本的に、女性向けの製品ばかりだ。鬼頭たちの入学により、今後はその品揃えも多少変わるだろうが、いまのところは、自分たちで独自の入手ルートを開拓していくしかない。

 

 鬼頭の提案に、一夏は破顔した。自分の髭は薄いほうだが、それでも、朝晩二度のシェービングを怠ってしまうと、顔面は無精髭でたいへんなことになってしまう。

 

「ありがとうございます。……って、あれ? 後で、って?」

 

「うん。私はこれから、用があってね。すぐには寮に向かえないんだ」

 

 愛娘の嘆きにつれない反応しか示せなかったのも、この後、予定が詰まっていればこそ。しかも自分以外にも多くの人間が関わることだから、相手を待たせるわけにはいかない。

 

 結果として帰り支度がいそいそとしたものになってしまった。

 

「予定って、何です?」

 

「山田先生たちとね、ISのフィッティング作業をするんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園に複数あるIS用アリーナの中でも、第八アリーナは特殊な位置づけの施設だ。このアリーナは通常、一般の生徒たちには開放されておらず、国家代表や企業の専属パイロットなどの限られた一部の者たちだけが、特別な手続きを踏んだ上ではじめて利用を許可される。というのも、第八アリーナは、国家や企業の開発した新装備の試験場、実験施設として機能することを目的に建てられた施設だからだ。

 

 最強兵器ISの新装備とは、今後十年、あるいは二十年間の、軍事的優位性を決定づける要素となりかねない。当然ながら、その情報を欲している者は多い。許可なき者の立ち入りを禁じているのは勿論、機密性を高めるためであった。

 

 鬼頭は第八アリーナに設けられたピットルームの一つにいた。かたわらには千冬の姿があり、二人は四人がけ用の小さなベンチに並んで腰掛けていた。手にはともに紙コップが握られており、コーヒーの良い香りが漂っている。

 

 鬼頭の右手に、金色の指輪はない。

 

 待機状態から鎧武者然とした本来の姿に戻った打鉄は、ピットルーム内に設けられた簡易整備用のハンガーで鎮座している。

 

 その回りでは、真耶の指導のもと、二年生整備課から選抜された、六人からなるチームが、これから行うフィッティング作業のための最終調整を行っていた。

 

 フィッティングという言葉は、たとえばファッション・アパレル業界では着付けや寸法合わせなどと翻訳されるが、ISの分野においては、最適化処理と解釈されるのが一般的だ。

 

 千冬たちの説明によると、ISの中枢装置であるISコアには意識のような存在があり、これには自己進化プログラムが設定されているという。これは、経験を重ねることで自らを随時アップ・グレードする、という機能で、ISを他の兵器とは一線を画す存在たらしめている所以の一つだ。関節部に流れるエネルギーの効率を改善する、といったソフト面の高性能化は勿論、装甲の形状を変更したり、まったく新しい兵装を作り出したり……、といった具合に、ハード面での進化すら可能だという。自らが自らを作り替える機能を持った機械。こんな特性を持つ兵器は、他にない。

 

 さて、この自己進化プログラムが引き起こす現象のうち、機体の見た目すら変わるほどの劇的な変化については、形態移行(フォームシフト)と、呼ばれている。フィッティングはこの形態移行の一つ……一次移行(ファーストシフト)を行う上で、欠かせない工程の一つだ。

 

 一次移行をしている機体とそうでない機体との間には、たとえば同じ打鉄でも、性能には著しい差が生じてしまう。素の状態では十秒かかる仕事が、一次移行済みの機体であれば七、八秒でこなせる、という具合だ。鬼頭の身の安全を何よりも優先したい日本政府が、「彼の専用機に一次移行の処置をせよ」と、学園側に要請するのは当然のことといえた。

 

 一次移行は、フォーマットとフィッティングという二つの作業を経て実行される。まず、搭乗者のデータを打ち込むフォーマット作業を行い、次いで、操縦者にISのシステムを適合させるフィッティング作業を行う。フィッティングが完了すると、一次移行が始まる、という流れだ。現在はフォーマット前の下準備をしているところで、鬼頭は、きゃいきゃい、と騒ぎながら作業する少女らの手元を、興味深く眺めていた。彼女たちをこの場に呼んだのは千冬だ。なんでも、IS整備の教材として使えるのでは、と考えたそうな。ここに来る途中で整備課の教室に立ち寄り、特に勉強熱心と思った六人を選んだのだという。

 

 それゆえか、隣に腰掛ける鬼頭とは打って変わって、生徒たちの一挙一動を見つめる千冬の表情は厳しかった。彼女たちをここに招聘したのは自分だし、その腕を信用してはいるが、万が一の事故が起きては困る、と監督する眼差しは真剣だ。また、彼女たちの中に鬼頭への害意を抱く者がいる可能性を考慮して、不審な行動をとろうとしていないか睨みをきかせたい意図もあった。

 

「あれはよした方がいいと思います」

 

 目線を少女たちの作業風景へと置いたまま、鬼頭は静かに呟いた。若い娘たちの手前、表情こそ穏やかではあったが、その声音は冷厳としている。

 

「あれ、とは?」

 

 応じる千冬の口調も硬質的だった。二人は互いの横顔すら見ないまま、言葉の応酬を続けた。

 

「織斑君への態度のことです。あの出席簿で叩く行為、あれはやめた方がいい」

 

「……生徒たちへの体罰をやめろ、と?」

 

「そうではありません」

 

 鬼頭は小さくかぶりを振った。このリアクション。まさか無自覚だったとは……。呆れから、思わず溜め息がこぼれてしまう。コーヒーを一口すすり、唇を湿らせてから舌鋒鋭く続けた。

 

「織斑先生にとっては体罰のつもりだったのかもしれません。ですが私の目には、先生が織斑君に対し、不当な暴力を振るって悦に浸っているようにしか見えませんでした」

 

「……どういうことでしょう?」

 

 怒気を孕んだ声が、耳膜を叩く。鬼頭はしかし、涼しげな表情のまま応じた。

 

「体罰という言葉の意味をよく考えてみてください。体罰が“罰”として成立するのは、それが正当な懲戒行為として機能している場合のみです」

 

 要点は三つだ。一つは、懲戒の理由が正当なものであるかどうか。二つ目は罪の重さに対して妥当な量刑か否か。そして三点目が、相手の心に、罪の意識と罰則による不快な経験の記憶を植えつけ、再犯防止へとつなげられるかどうかだ。罰という行為の目的の一つは、同じ過ちを二度と繰り返させないことである。

 

 鬼頭の知る限り、千冬は今日一日だけで一夏の頭を、少なくとも五回は叩いている。すべて彼の目の前で行われた蛮行で、どういう状況だったかはよく覚えていた。

 

「一度目の懲戒理由は、まともな自己紹介も出来ないのか、でしたね。二度目は織斑君が口にした、関羽、というよく分からない発言に対して。三度目は、学校では織斑先生と呼び方を改めろ。四度目は、二限目の始業のチャイムが鳴ったにも拘わらず、織斑君が着席していなかったから。そして五度目が、教科書を間違えて捨ててしまったことを理由としたものでした」

 

 このうち、鬼頭の目に正当な理由と映じるのは、四度目と五度目だけだ。自己紹介で何を話すかなんてことは当人の自由であるべきだし、二度目と三度目については、頭を叩くほどの理由だったかと、疑問を抱いてしまう。学校では公私の区別をつけろ。こんなのは、口で伝えればすむ内容だ。二回目のときの関羽云々については、あの発言のどこに指導の必要性を見出したのかさえ分からない。

 

「そして何よりも問題なのが、懲戒の理由について、頭を叩いた後に口にしていることです。普通、この順番は逆であるべきです」

 

 刑事裁判では、まず罪状を読み上げ、己の犯した罪の内容とその重さを自覚させてから、罰を言い渡す。罪の意識と、その報いとしての記憶があればこそ、人は同じ過ちを繰り返さないよう気をつけようとする。

 

 この順番を逆とした場合どうなるか。今日の一夏の例で考えてみよう。彼からすれば、訳も分からずいきなり頭を叩かれて茫然としているところに、それらしい理屈を聞かされた、という形だ。これでは、先に口で言ってくれよ、と不満を抱くばかりで、自省を促せるはずがない。

 

 また、罰を課した後でその理由を述べても、それは暴力的措置を正当化するための言い訳にしか聞こえない。

 

「個人的には、体罰はその人の人格を否定し、その尊厳を著しく傷つける卑劣極まりない行為だと思います。教育指導のやり方としては、最低最悪の手法といえるでしょう。私も基本的には、そこにいかなる理由があろうと体罰は行われるべきではない、という考えですし、逆に体罰を良しと考える人間のことは信用出来ません」

 

 四日市で暮らしていた頃、陽子と智也は、晶子と間男から日常的に暴力を振るわれていた。このことについて、彼らは後に裁判の被告席で、「あれは躾だった。一種の体罰だった」と、言い訳した。以来、鬼頭は体罰という言葉に対し、並々ならぬ嫌悪感を抱くようになった。

 

 その一方で、彼は、実社会においては、ときに体罰が有効と思われる場面があることも認めていた。

 

 たとえば軍隊の世界では、懲戒理由が正当なものである場合に限っては、体罰も仕方がないと思う。

 

 昔、『コンバット!』という、アメリカのテレビドラマの再放送を見たときの記憶が鮮烈だ。新兵が訓練中に手榴弾の扱いを誤り、安全ピンがはずれた状態のまま手から滑り落とす、というシーンがあった。指導を担当していたサンダース軍曹が慌てて放り投げことなきを得たが、もし投擲が一秒でも遅れていたら、確実に二人死ぬ、という場面だった。こういうときは、体罰も仕方なし、と思う。もっとも、画面の向こうの軍曹は冷静で、新兵を叱るときも手は上げなかったが。

 

「私は、体罰否定論者ですが、その考えを他者に押しつけようとは思いません。織斑先生が指導に体罰を採り入れることに対し、思うことはあっても、それをやめろ、とは言いません。ISは兵器です。兵器を扱う際に、ふざけた気持ちでいてもらっては困る。生徒たちの気を引き締めるため手段として、体罰の有効性は認めましょう。ですが、織斑君に対するあれは、違う。あれは、体罰ですらない。ただの傷害だ。子を持つ一人の親として、やめてほしい、と言わずにはいられません」

 

 コーヒーを飲み干し、鬼頭はようやく千冬に目線をやった。彼女はうつむき、カップを満たす褐色の液体をじっと見つめていた。唇を真一文字に結び、心情の読み取れぬ表情を浮かべている。

 

「……ずいぶんと、好き放題に言ってくれましたね」

 

 刺々しい口調。怒りを向けられても仕方がない。自分はそれだけの指摘をしたのだ、と鬼頭は黙ってその言の葉を受け止める。

 

 しかし、千冬はすぐに語気を改めた。コーヒーを一口飲んで、彼女は苦しげに続けた。

 

「ですが、ありがたく思います。体罰のことも含めてですが、これまで私に、そういう指摘や苦言を呈してくれた人は、いませんでしたから」

 

 おや、と鬼頭は眉をひそめた。千冬の発言の内容に、違和感を覚えたためだ。IS学園の他の教員とは、そういう話をしないのだろうか。

 

「ですが、それでも私は、これからもこのやり方を続けようと思います。体罰のこともそうですが、織斑……一夏に対しても、鬼頭さんが言うところの、ただの暴力を振るい続けてしまうと思います」

 

「織斑先生……」

 

「私は、このやり方しか知らないのです」

 

「それは……、どういう?」

 

「ご承知の通り、ISが発明されてまだ十年程度でしかありません。当然、IS学園の歴史も浅い。私も含めてですが、この学園には若い教師しかいません」

 

 要は、たたき上げのベテランがいない、ということか。だんだんと、彼女の言いたいことが見えてきた。

 

「IS学園の教員のほとんどは、もともと教育者を目指してこの道を選んだ者たちではありません。若い頃にIS競技者として優秀な成績を収めた。引退後、政府から後進の育成に努めてほしい、と打診された。そこでIS学園で働くため、教員免許を取った。私自身も含め、そんな連中ばかりなんです」

 

 高い理想を胸に抱いて教師になったわけではない。周りからそうあるべきと望まれ、その思惑に流されるままに、この職業に就いた。教育書の類いに目を通した回数は両手の指で数えられる程度でしかなく、プロ意識の醸成も不十分なまま、教鞭を握ることになった。

 

 その上で、経験さえ乏しいという有り様だ。まともな指導方針など策定出来るはずもなく、結果自分は、体罰という安易な手段に頼らざるをえなかった。

 

「……昔、ちょっとした事情から、一年ほど教師の真似事をすることになりました。そのときの生徒たちにいちばん有効な手段が、体罰でした。そのあと、IS学園で教鞭を執るようになったとき、生徒たちにどう接してよいか分からなかった私は、昔有効だった体罰指導に走りました」

 

 自身も含め、若い教師ばかりという環境だ。方法論について相談出来る相手は皆無だった、と千冬は呟いた。自分の体罰指導に苦言を呈してくれる者はなく、また己もそれ以外のやり方を知らないがゆえに、何年も何年も、同じことを繰り返す羽目に陥ったという。

 

「一夏についてもそうです。これも、詳しい事情は話せないのですが、私と一夏には、両親がいません。一夏がずっと幼い頃に、私たちを置いて家を出て行きました」

 

 そういえば、と鬼頭は過去を振り返った。

 

 ブリュンヒルデとして名を馳せていた現役時代、千冬のもとには各種マスメディアからの取材が殺到していたが、彼女の家族構成について報道されることはついぞなかった。彼女自身が隠そうとしていたのは勿論、日本政府による報道機関への圧力もあったのだろう。

 

「幼い一夏を、私は必死に育てました。でも、当時の私は所詮子どもで、出来ることには限界があって……。一夏にはこうあってほしい、こういうふうに育ってほしい、と思っても、上手くいかなくて……。苛立ちから、手を上げてしまうことも多かった。その上、子どもの私には、さらに幼い一夏を納得させるだけの言葉が思い浮かばなくて、いつの間にか、口よりも先に手が出るようになっていました」

 

 陽子や智也が幼かった頃のことを思い出す。大人の自分たちですら、彼らを育てるのには手を焼いた。当時、小学校の高学年か、中学に入ったばかり頃の千冬にとって、それは辛い日々だっただろう。

 

 人間は環境によって作られる。思春期の最も多感な時期より体罰指導と親しく付き合ってきた千冬は、大人になって、それに頼るようになってしまった。自身、このやり方はいけない。このままではいけない、と思い悩みながらも、周囲へ相談することも出来ず、自分はこのやり方しか知らないから、と自分自身に言い訳しながら、この指導方針を貫き通してきた。

 

 凄惨な過去を聞かされて、鬼頭は束の間、かけるべき言葉を見失ってしまった。

 

 慰めの言葉をかけるべきか。いや、それでも自分は千冬のやり方を認められない、と追い打つべきか。あるいは――、

 

「……よく、頑張りましたね」

 

 色々と思うことはあるが、ひとまず、彼女のこれまでの努力を認めてやるべきか。

 

 気づけば唇からこぼれ落ちた言葉に、鬼頭自身、一瞬、戸惑った。

 

 考えがまとまるよりも先に、自然と、舌先が言葉を選んでいた。そうか、と得心した表情で頷く。いまの話を聞かされた、自分の素直な気持ちが、これだったか。

 

 顔を上げ、茫然とこちらを見つめる千冬に、鬼頭は微笑みかけた。

 

「先ほども言いましたが、私は、体罰が嫌いですし、先生の織斑君への態度には、強い嫌悪を感じます。ですが、そういった気持ちとは別に、いまの話を聞かされて、思ったのです。この目の前の女性の、今日までの頑張りをねぎらいたい。決して、手放して褒められるやり方ではないけれども、あなたが頑張ってきたということだけは、認めたい。そう思いました」

 

 何様のつもりだ、と反撃されるのは覚悟の上。鬼頭はあえて千冬を、自分よりも二十歳近く若い、未熟な若者として扱った。この学園において、自分は生徒で、相手は教師。つまり目上の人間だが、そんな立場の違いについていちいち考えながら言葉を選んでいては、自分の気持ちは伝わらない、と思った。

 

「織斑先生、あなたの一夏君を想う気持ちは、十分、伝わりました。あなたは本当に、弟さんのことが大切なのですね」

 

 大切に想えばこそ、手を上げてしまった。それが癖になり、いまでもまだやってしまう。

 

「ただの暴力ではなかった。その裏には、しっかりと愛情があった。そのことが知れて、よかったです」

 

「鬼頭さん……」

 

 そのとき、打鉄の調整をしていた一団から、一人の女子生徒が飛び出し、こちらに向かってきた。黛薫子だ。鬼頭とは一ヶ月ぶりの再会である。

 

「織斑先生、鬼頭さん、フィッティングの準備が整いました」

 

「ありがとうございます、黛さん」

 

 薫子は一ヶ月前にはじめて顔を合わせたときと変わらぬ態度で鬼頭と接してくれた。

 

 聞けば、彼女も週刊ゲンダイの記事には目を通したという。にも拘わらず、態度を変えないでくれたのはなぜか。打鉄を委ねる際、鬼頭が訊ねると、彼女は快活に微笑みこう言った。

 

「週刊誌の記事を読むよりも先に、鬼頭さんと会っていましたからね。鬼頭さん、私が戦闘を終えたばかりのラファールの装甲に手を触れたとき、火傷したんじゃないか、って、すごく慌ててくれたじゃないですか。そんな、人の痛みについて想像出来る人が、DVなんてするわけない。すぐに捏造だって分かりました」

 

 記事を読んでも、鬼頭への嫌悪感は生じなかった。むしろ、週刊誌が出回ったことで彼が心を痛めてはいないか、と心配になった。IS整備の実習の機会を逃したくない、という思いは勿論本物だが、それとは別に、鬼頭のことを元気づけたい、という考えから、整備員に志願したという。それを聞かされて、鬼頭は思わず目元を覆った。年齢を重ねるほどに、涙もろくなって困る。

 

 鬼頭はベンチから立ち上がり、白亜の学生服の上着を脱いだ。次いでベルトをはずし、スラックスを脱ぐ。

 

 群青色のISスーツが露わとなった。IS操縦時に着用が推奨されている、特殊なフィットスーツだ。肌表面の微弱な電位差を検知することによって、操縦者の動きをダイレクトにISに伝える機能を備えている。これを着ているのと、そうでない状態とでは、機体の追従性に大きな差が生じるという。

 

 鬼頭が着用しているのは、腹の部分が露出したツー・ピース仕様。被覆範囲は、トップスが胸板から首回り、肩から手首まで。ボトムスは腰から下全域という具合だ。フィットスーツというだけあり、ボディ・ラインがくっきり浮き出ている。

 

 四十半ばの男の肉体を前に、薫子は、はあっ、と溜め息をこぼした。彼の身長は一七五センチ、現代日本においては、雲を衝くような大男とは呼べぬ身の丈だ。

 

 しかし、鬼頭の身体は大きかった。首は太く、胸板は分厚く、両腕はロダン彫刻のような逞しさを宿していた。着痩せするタイプだったんだな、と薫子は胸の内で呟いた。

 

「……とても、四十代の体とは思えませんね」

 

 ベンチに座ったままの千冬が言った。鬼頭ははにかんで、

 

「ISスーツを着ると、腹を見せねばならないということは分かっていましたから。この一ヶ月間で、絞り込みました」

 

「……思った通り、いい体してるじゃねえか」

 

 照れくさそうに、薫子が呟いた。

 

 耳の奥でやけに残る、ねっとりとした口調に、既視感を覚える。

 

 はて、どこかで聞いたことがあるような……。過去の記憶を掘り起こし、ああ、と得心する。

 

 一時期、陽子がはまっていた、インターネット上の動画投稿サイトだ。ヘッドホンをつけた彼女が、スマートフォンの画面を食い入るように見つめていたのを覚えている。ヘッドホンの隙間から、聞こえてきた男性の声。たしか、この後続いた言葉は、

 

「……やはりヤバい、だったか」

 

「!?」

 

 なにやら衝撃を受けた様子で、薫子が、びくり、と胴震いした。

 

 おや、違ったかな、と小首を傾げながら、鬼頭はこれから相棒となる機体のもとへと歩み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter6「怒れる女たち」了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名古屋市名東区にある、アローズ製作所本社ビル。

 

 その地下駐車場で、桜坂はパワードスーツ開発室の部下である田中・W・トムと、一台のスポーツカーを挟んで向き合っていた。

 

 マツダ自動車の、ロードスターRSだ。ボディ・カラーはソウルレッド。トムが二週間前に、中古車市場で手頃な価格かつ状態良好な車両を手に入れたらしい。

 

 親友の鬼頭と同様、クルマ好きの桜坂は、ある日の昼休みの際にその話を聞かされて、「いいなぁ、俺も乗ってみたいなぁ」と、呟いた。すると、トムは「なら、今度会社帰りにドライブでもしましょうか?」と、提案してくれた。そのドライブ当日が、今日というわけだ。

 

「せっかくですし、屋根ははずした状態で走らせましょう」

 

 幸い、本日の名古屋は雲一つない快晴。仕事を終えた午後六時現在は、月明かりが優しい空模様だ。オープンカーであるロードスターの魅力を、存分に味わうことが出来よう。

 

 トムの提案に桜坂は嬉々とした表情で頷いた。今日のドライブでは、まずトムがハンドルを握り、その後少しだけ、桜坂が握らせてもらう手はずになっている。

 

 二人はコクピットに乗り込むと、早速、エンジンを始動させた。最高出力一三二馬力、一・五リッターのエンジンが、快音を奏でる。聞いているだけで胸がわくわくする、男心をくすぐるエンジン音だ。桜坂の期待は膨らんだ。

 

「それじゃあ、出発!」

 

 サイドブレーキを解除し、クラッチペダルを緩めながら、アクセルを踏み込む。スムーズに走り出したところで、

 

「桜坂室長!」

 

と、地下駐車場に、酒井仁が駆け込んできた。パワードスーツ開発室の最年長、部材や素材のエキスパートだ。桜坂たちの姿を認めるや、慌てた様子で駆け寄ってくる。

 

「酒井さん、どうしました?」

 

 トムに車を止めさせ、桜坂はロードスターを降りた。顔面蒼白の酒井を見て、すわ何事かっ、と、仁王の顔つきを厳しく硬化させる。

 

「たったいま、開発室の電話に警察から連絡が入りました。滑川君が、帰宅中に襲われたそうです!」

 

「なんだと?!」

 

 相手が年上だということも忘れて、桜坂は目を剥いた。

 

「いったい、どういうことです!? 滑川さんは無事なんですか!?」

 

「私もまだ、詳しくは聞いていません。滑川君はいま、東区の警察署で保護されているようです。警察からは、責任者と話がしたい、と言われました」

 

「分かりました」

 

 桜坂は運転席のトムを見た。金髪の青年の顔つきも、険しいものになっている。

 

「トム、行き先変更だ。頼めるか?」

 

 自分は今日、トムのロードスターに乗せてもらうつもりだったから、愛車を連れてきていない。頼れる部下は、「任せてください」と、快く応じてくれた。

 

 頷き、桜坂は酒井の顔を見た。

 

「私はこれから、東区警察署に向かいます。電話で伝えられる情報には、限界がありますから。直接、状況を確かめてきます」

 

「分かりました。お気をつけて」

 

 助手席のドアを閉める。赤いロードスターはスムーズに走り出し、地下駐車場を後にした。

 

 とんだドライブになってしまったなあ、と、桜坂は奥歯を噛みしめた。

 

 

 

 

 

 

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