この小さな世界で愛を語ろう   作:3号機

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十年近く愛用しているマウスが不調。

そろそろ買い換え時かなぁ、としんみりしながら書きました。





Chapter7「タスクフォース」

 

 入学一日目、放課後。

 

 IS学園第八アリーナ、ピットルームにて……。

 

 

 

 フォーマット作業に必要な準備をすべて終えて、鬼頭の搭乗をいまかいまかと待ちわびる打鉄の姿は、まるで五月人形のようであった。源平時代の鎧甲冑を思わせる、大柄で、無骨なデザインは、このスーツが本来は、まさしく防人のための装備であることを静かに物語っている。

 

「それでは鬼頭さん、搭乗をお願いします」

 

 かたわらに立つ真耶に促され、ISスーツ姿の鬼頭は、鎮座するISを椅子のように扱った。

 

 ほんの少し腰をかがめて着座しやすい姿勢を取っている鎧武者に、背中から体を預ける。先端部に五本指のマニピュレータが付いた籠手状の腕部アーマーに腕を通し、傾斜装甲で正面からの打撃を受け流す意匠が凝らされた脚部アーマーに足を通した。かしゅっ、という空気の抜ける音とともに、アーマーが、ぴたり、と肌に吸いつく。まるで、生まれたときから我が身の一部であったかのような一体感が得られ、打鉄とつながっていく感覚に酔いしれた。

 

 以後、装甲は自動的に鬼頭の身体を覆っていった。胸板を守る胴鎧。二の腕と肩の防具。分厚いスカート・アーマーに、耐貫通性スライド・レイヤー装甲製の浮遊シールドが二枚。機体の準備は完了した。

 

「おおっ」

 

 ハイパーセンサーが起動し、三六〇度全方位に向けて、視界が開けた。思わず唇からこぼれた感嘆の吐息に、苦笑せずにはいられなかった。

 

 どこかで聞いた覚えのある声だ、と思ったら、中学一年生のときに、はじめてポルノ雑誌で大人の女の裸体を見たときにこぼれた溜め息と、まったく同じ響きを孕んでいた。

 

「気分は悪くありませんか?」

 

 真耶が心配そうに訊ねてきた。はじめて、ISを起動させてしまったときには、ハイパーセンサーの索敵範囲の精度、外部刺激に対する感度を最大にしてしまい、激しい頭痛に苛まれた。あの場には真耶と、薫子がいた。過去の嫌な記憶のせいか、その声は微妙に震えていた。

 

「……大丈夫です」

 

 鬼頭は彼女を安心させるよう、完爾と微笑んだ。

 

 事前に教科書で予習していたおかけだろう。あのときはどうすればよいか分からなかったハイパーセンサーの調整が、いまは、こう、と思うだけで、いとも容易く出来る。

 

「それどころか、良い気分です。こんなにも広い視野は久しぶり……いや、生まれて初めてのことだ」

 

 四十歳になったばかりの頃、視界に、ほんの僅かな違和感を覚えた。病院で診てもらったところ、緑内障と診断された。幸い、すぐに処置してもらったおかげで、それ以上の進行は防ぐことが出来た。しかし、失われてしまった視界は戻らなかった。

 

 ハイパーセンサーを起動している間は、かつてなくした視界をも取り戻すことが出来た。爽快感を覚えぬはずがない。

 

「立ちます」

 

 屈んだ状態から、すっ、と立ち上がる。数百キログラムにも及ぶ質量物を身に纏っているとは思えぬほど軽やかに、そして力強く動くことが出来た。機体の追従性は、鬼頭の知るXIシリーズの比ではない。

 

「歩きます」

 

 宣言し、薫子たちが遠ざかるのを認めてから、ゆっくりと歩き出した。こちらも、動作に問題はない。アリーナへと続くゲートに向かっていく。フォーマットとフィッティングには、ある程度の稼働データが必要だ。作業はアリーナ内で行われる手はずになっていた。

 

 開放状態のゲートに近づくにつれ、鬼頭は歩調を速めていった。

 

 一歩踏み出すごとに、打鉄が持つすべての要素が、自分という人間に適合していくのを実感する。機体は、急速に動かしやすくなっていった。

 

 ゲートを抜け、アリーナに出た。

 

 第八アリーナは直径が二〇〇メートルもある円形の闘技場だ。ここならば、思う存分、運動することが出来る。

 

『では、鬼頭さん。打鉄で走ってみてください』

 

「分かりました」

 

 千冬からの通信内容を受諾し、鬼頭は打鉄の足を振り上げた。ステージの外縁部分を、ランニングの要領で進んでいく。初めは機体の動作の具合を確認しながらゆっくりと、しかしすぐにペースを上げていく。

 

 十何歩目かで、よろめいてしまった。鬼頭の身体の動きのクセに、打鉄がまだ適合しきれていないがために生じたアクシデント。あわや、転倒! ……というところで、

 

「……ッ!」

 

 咄嗟に、空間投影方式のディスプレイとキーボードを呼び出した。打鉄の姿勢制御系につなぎ、情報を呼び出す。キーボードを素早く叩き、新たな制御方式を機体に導入。脚部アーマーの駆動を無理矢理変えることで、なんとか踏みとどまった。安堵の溜め息が、唇からこぼれる。いまの自分は数百キロからの重量がある。こんなのが倒れたら、たいへんな事故だ。

 

『き、鬼頭さん……』

 

 真耶の、茫然とした声が、耳膜を叩いた。

 

 鬼頭はゆっくり立ち上がり、

 

「申し訳ありません。危うく、転んでしまうところでした。すぐに再開しますので」

 

『い、いえ。お怪我がないようで、何よりです』

 

『鬼頭さん』

 

 真耶に代わって、今度は千冬が話しかけてきた。こちらも真耶ほどではないが、声が僅かに震えている。何をそんなに、動揺しているのか。

 

『いま、何をされましたか?』

 

「何を、と言われても……」

 

 鬼頭は訝しげな表情を浮かべ、訥々と口を開く。

 

「倒れそうになったので、打鉄の姿勢制御系に新しいプログラムを打ち込み、立て直しました」

 

『いつ、そんなやり方を?』

 

「昨日、教科書を予習していたら、機体の姿勢制御に関する項目にぶち当たりまして、どういう仕組みかは知っていました。制御系のどこに問題があるかを調べ、それを改善するプログラミングをしました。ディスプレイとキーボードは、なんとなく、こう、とイメージしたら、出てきてくれました。間一髪でしたよ」

 

『…………』

 

 無言。しかし、ハイパーセンサーが拾い上げたかすかな呼吸音から、感情がかなり揺れ動いているな、と察する。いったい何に対してそんなに……。

 

 はた、と気がついた。よくよく考えてみれば、いまはフォーマットとフィッティングの作業中だ。余計なデータを打ち込むのは不味いか。

 

「……申し訳ありません、織斑先生。どうやらまた、余計なことをしてしまったようですね」

 

 ISについて、自分は失敗をしてばかりだ。一度目はラファールの装甲板が熱くなっていると思い込み、薫子に苦痛を味あわせてしまった。二度目はそのラファールを動かしてしまい、周囲にたいへんな苦労を強いることになってしまった。そして、今回で三度目。自分はいつになったら懲りるのか。

 

 ――今後は好き勝手行動するのは控えよう。

 

 自戒の言葉を胸に刻み、鬼頭はランニングを再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フォーマットとフィッティング、そしてその後の一次移行は滞りなく完了した。

 

 すべての仕事を終えた鬼頭は、金色の指輪を再び右手の中指にはめて、学生寮の1122号室に戻った。

 

 部屋の戸を開けると、まず愛娘のだらしのない姿が目についた。肌着姿でベッドにうつ伏せで寝転がり、苛立たしげに足をバタバタさせている。皺にならぬようにと脱いだ白亜の制服もハンガーにかかっておらず、あまり意味がないように思われた。

 

 娘の気持ちが荒れている原因は明白だ。昼間交わした、セシリアとの決闘の約束について、思い悩んでいるのだろう。

 

「勝てるビジョンが思い浮かばない……」

 

 どうかしたか、と訊ねれば、案の定の答えが返ってきた。

 

 我が身のことを想って沈黙の道を選んだ父の勇気を侮辱され、頭にきてしまった。冷静さを失っていたとはいえ、なんであんな約束を交わしてしまったのか。相手は英国が選んだ代表候補生だというのに。

 

「どう戦えばいいかな……」

 

 ベッドの上に放りっぱなしの女子の制服をハンガーにかけ、埃を払いながら鬼頭は、

 

「お前さえよければ、電話してみるか?」

 

「電話って?」

 

「忘れたか?」

 

 自身も制服を脱ぎながら、鬼頭は笑った。

 

「俺たちには、こういう荒事や、鉄火場で頼りになる友人がいるじゃないか」

 

 幼少の頃から古流武術を嗜み、六尺豊かな体格にも恵まれた、まさしく金剛力士の如き、その男。

 

 彼の名を口にすると、陽子は得心したように頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニット・ストラトス二次創作

 

「この小さな世界で愛を語ろう」

 

Chapter7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……事情は分かったよ』

 

 ラップトップパソコンのディスプレイいっぱいに顔を映しながら、桜坂は重苦しい溜め息をついた。仕事が終わってまだ間もないのか、やけに疲れた顔つきをしている。

 

 インターネット回線を通じてのテレビ通信だ。機密情報満載のIS学園ではあるが、こういった外部とつながる手段を持つこと自体は、生徒たちにも許されていた。国家代表や企業所属の生徒の場合、政府の役人や所属企業の人間と、頻繁に連絡をとる必要があるためだ。勿論、外部に漏れては不味い情報もあるから、盗聴は常にされているが。

 

『……とりあえず、だ。陽子ちゃん、たぶん、お父さんにも言われていると思うことだけど、まず、言わせてほしい。それはちと、無謀だと思うぞ』

 

 仁王の顔つきの桜坂は、険しい面持ちで言った。

 

 パソコンの画面をのぞき込む鬼頭親子の表情も硬化する。

 

『聞けば対戦相手のオルコットさんは、イギリスの代表候補生というじゃないか。対してきみは、IS操縦時間が一時間にも満たない初心者だ。それで勝とうだなんて、無謀というか、もう、相手に対するある種の侮辱だよ』

 

 幼少より古武術をたしなんでいる桜坂の言葉だけに、説得力はすさまじい。「やっぱり無理かあ」と、肩を落とす陽子に、しかし、父の親友はそこで口調を改めた。彼女の軽挙を咎める語気は一転、いたわりを孕んだものになる。

 

『とはいえ、まったくの無理、とも俺は思わない』

 

 武芸を修めるこの男は知っている。ISに限らず、スポーツの世界においては稀に、思いもよらぬ番狂わせが起こることがある。

 

 一九九〇年二月、全盛期のマイク・タイソンをリングに沈める男が現われるなんてことは、誰一人予想していなかった。

 

 二〇一五~一六年のサッカープレミアムリーグが開幕する以前に、レスター・シティ優勝の未来を予想出来た者はほとんどいなかった。

 

『そういう番狂わせの中には、素人同然のアマチュアが、歴戦のチームや強豪選手を破った事例も多い』

 

 世界最強の呼び声も高かったイングランド代表が、全員アマチュアのアメリカ代表に敗れたサッカーワールドカップ、一九五〇年のブラジル大会。

 

 大学生の寄せ集めチームをもって、当時無敵を誇ったソ連の男子アイスホッケーチーム“ステート・アマ”を破った、一九八〇年のレークプラシッド大会など。

 

 鬼頭の中で特に印象深い記憶は、二〇〇七年の夏の甲子園の決勝戦だ。野球の世界ではほとんど無名の県立佐賀北高校が、広島の強豪校・広陵を破った、あの試合。八回裏、起死回生の逆転満塁ホームランが左翼席に叩き込まれ、後にセ・リーグで最多勝利と最高勝率のタイトル・ホルダーとなる広陵の野村祐輔投手を茫然とさせた。あのときは会社のテレビで試合の様子を眺めていたが、大人げないと自覚しながらも、モニターの向こうにいる親友と熱中して見入ってしまった。

 

『過去にはそういう実例もあるんだ。初心者のきみが、代表候補生に勝つ。非常に困難なことだろうが、絶対に不可能とは、俺は思わない。

 

 ……もう一度確認するが、陽子ちゃんの相談内容は、どうすればセシリア・オルコットに勝てるか? だったね』

 

「は、はい」

 

『何度聞いても無謀極まりないと思ってしまう内容だ。けれど、そこにコンマ・数パーセント程度でも勝算があるのなら。そして、きみ自身に、苦難の道を進む勇気があるのなら。その可能性を信じ、伸ばすための筋道を作るのが、俺たち大人の仕事だよ』

 

 悄然とした声に対し、桜坂は好戦的に笑った。大振りな双眸、黒炭色の瞳に闘争心の炎が灯る。

 

『よし、分かった。相談に乗ろう』

 

「本当ですか!?」

 

『ああ。ただし、俺が相談に乗ったからといって、絶対に勝てる、というわけじゃない。当然、厳しい試合になるだろう。そのことだけは、覚悟しておいてくれな』

 

「ありがとうございます、桜坂さん!」

 

 陽子は可憐に微笑んだ。母親譲りの美貌の持ち主だ。やはり笑っているほうが美しいな、と感想を抱く自らを、鬼頭は嘲笑した。とんだ親馬鹿だ。

 

「もし、試合に勝つことが出来たら、お礼にデートしてあげますね。現役女子高生とデートですよ!」

 

 人によっては、お金を払ってでもやってみたい経験だという。勿論、熟女好きを公言してはばからない桜坂にそんな趣味はないし、陽子としても冗談のつもりで口にした言葉だろうが。

 

『……うん。冗談で言っているのは分かるんだけど、あの、それ、やめてね。うん。あの、さっきからね。お話の邪魔になっては悪いですからってね。その、部屋の隅でね、桐野君が、この会話、聞いているのよ、うん。あの、いまね、すごいっ、顔でっ、睨まれているんだっ、うん。お願い。それ以上はやめて。うん。ほんと、お願い。桐野さんもね、その昏い水底のような瞳はやめて。うん。恐いから。やめて』

 

 仁王様の顔が、それはそれは辛そうに変貌した。

 

「その……なんていうか、すみません」

 

 鬼頭親子は顔を見合わせ、そして気の毒そうに彼を見つめた。

 

 

 

 その後たっぷり五分ほどをかけて、桐野美久の静かなる熱情をなんとか落ち着かせたらしい桜坂は、三者の間に漂う雰囲気を払拭するべく咳払いを一つ。気を取り直し、『それじゃあ早速、作戦会議を始めようか』と、鬼頭親子に向けて言った。

 

 クラス代表決定戦の日まで、あと一週間しかない。一秒たりとて時間を無駄には出来ぬと、桜坂は今夜中に対セシリア・オルコット戦略の基本方針だけでも決めてしまおう、と二人に提案した。

 

 当事者たる陽子は勿論、鬼頭も否とは口にしなかった。愛娘があんな約束を交わしてしまったそもそもの原因は、自分にある。

 

「その作戦会議だが、俺も参加していいか?」

 

『当然だ。今度の試合で実際に戦うのは陽子ちゃんだが、その勝率を少しでも上げるためには、お前の協力も不可欠だ。手伝ってもらうぜ、お父さんよ』

 

 諧謔を交えた言葉。しかし、鬼頭親子を見据える桜坂の眼差しは真剣だ。

 

『孫子曰く、敵を知り、己を知れば百戦危うからず、だ。まずは彼我の戦力分析から始めよう』

 

 単に武芸者というだけでなく、この男は古今の戦史に精通する戦史マニアでもある。これまでに三千以上もの過去の戦例を調べあげた経験から、およそ戦いと名の付く行為は、実際に干戈を交える前の準備こそ肝要である、という理合を見出していた。

 

 繰り返しになるが、決戦の日まで残された時間はそう多くはない。

 

 効率的な準備のためには、適切な作戦計画が不可欠だ。そして、計画を練るためには、考え方のベースとなる情報が不可欠である。

 

 すなわち、セシリア・オルコットと陽子との戦力分析だ。両者のデータを判明している限り洗い出し、比較し、評価する。そうして得られた評価をもとに、どんな戦い方で挑むかを決める。そしてその作戦に必要な準備を考えていく、という具合だ。

 

『まずは、セシリア・オルコットについて判っている限りのことを挙げていこう』

 

「まず、イギリスの代表候補生ということだな。一ヶ月前に読んだIS関連の雑誌によれば、英国期待の新星だとか」

 

『ああ、その雑誌は俺も読んだ。たしか英国政府から、イグニッション・プランのトライアル機を一機、専用機として与えられているんだったか』

 

 イグニッション・プランとは、欧州連合の間で進められている統合防衛計画の通称だ。連合加盟国で使われる装備を共通の物とすることで、兵站上の負担や、軍事費の高騰を抑えよう、というねらいの計画である。これまでに、戦車などの主に陸軍向けの装備の共通化を図った第一次計画、戦闘機など空軍向け装備を対象とした第二次計画が完了しており、現在は次期主力ISを選定する第三次計画が進行中だった。選定方法は各国からのトライアル方式で、英国からは第三世代機ティアーズ型が参加している。

 

「ティアーズ型の特徴は……」

 

『射撃戦特化、だったかな? あとは、第三世代兵装として、BT兵器を採用しているんだとか』

 

 画面の向こうで、桜坂がボールペンを走らせるのが見えた。手帳か何かに、口にした事柄を次々書き出しているらしい。クリップ部分の特徴的な矢羽根状のデザインから察するに、パーカーのボールペンだろう。イギリスづいているなあ、鬼頭は苦笑した。

 

「BT兵器?」

 

 陽子が疑問を口にした。鬼頭はこの一ヶ月間で詰めに詰め込んだISの知識を披露する。

 

「イメージ・インターフェースによって遠隔操作される、無人攻撃端末のことだ。IS本体から射出された後は独立可動する、飛行ユニットらしい」

 

 BT兵器に使われている技術のうち、鬼頭が特に画期的と思うのは、究極的には微弱な生体電流にすぎない脳波の出力を、無人兵器の無線誘導が可能なほどに増幅する技術を確立させたことと、相手の未来位置についてかなり精度の高い予測を可能としていることだ。

 

 ISは総じて動きが速い。重量級とされる機体や、機動性に難ありとされる機体でさえ、超音速での三次元空戦機動が可能だ。目線で相手の動きを追いながら誘導していたのでは、攻撃を命中させるのは難しい。そこで重要となるのが、相手の未来位置を予測する操縦のテクニックと、そのための補助演算装置の存在だ。BT兵器が実用化できた背景には、これらの未来予測に関する総合的技術の飛躍的な向上があった。

 

「未来位置を高い精度で予測出来る、ということは、BT兵器に限らず、他の射撃武器の命中精度も高い、ということだ」

 

『ゆえに射撃戦特化型。その時々の兵装にもよるだろうが、主に長距離戦に強い機体だろうな。ざっくりしたイメージでいうと、ファンネルを搭載したジム・スナイパーⅡって、感じ』

 

「……なんだ? その、ファンネルだとか、ジム・スナイパーⅡというのは?」

 

「なるほど」

 

「分かるのか、陽子!?」

 

 得心した様子で頷く陽子を、鬼頭は愕然とした表情で見た。

 

 確認したところ、『機動戦士ガンダム』というロボットアニメのシリーズに登場する人型兵器の一体らしい。その旨を聞かされて、そういえばXI-02完成時にもトムが似たようなことを言っていたな、と思い出した。『機動戦士ガンダム』。世間の風評からマニア向けの作品と思い込んでいたが、存外、人口に膾炙したメジャーな作品なのかもしれない。

 

 自分一人だけ会話についていけないというのは寂しい。件のロボットアニメについて、自分も勉強しておくべきなのか、と鬼頭は思い悩んだ。

 

『俺たちが件のIS雑誌を読んだのは、一ヶ月前のことだ』

 

「取材の時期を考えると、少なくともいまから二ヶ月以上前には、オルコットさんは専用機を与えられていた、と考えられる」

 

『一日三時間、週五日の頻度でみっちり訓練していたと仮定すると、操縦時間は最低でも一三五時間だ。機体の扱いに不慣れ、という楽観は捨てた方がいいだろうな。……セシリア・オルコットさん本人については? 代表候補生という以外に、判っていることはないか?』

 

「入学試験の成績はトップだったと聞いている」

 

『優秀だな。他には?』

 

「女尊男卑主義者で、なんでか、父さんのことをやけに嫌ってます」

 

『昔、鬼頭に似た男に惚れて手ひどく振られたとか、そんな感じかなあ』

 

 自分に対するあの敵意は八つ当たりか。万が一、そうだとしたら、後日に控えたクラス代表決定戦は、低俗なコメディショーと化してしまうが。

 

「あとは……そうだな、年齢のわりに、胸が大きかった」

 

 鬼頭の横顔を、陽子は冷ややかな眼差しで見上げた。そういえば、この男、あの女に一目惚れしたときも、豊満なバストにまず目線を奪われたとか、ほざいていたな。彼女は自然、自身の胸元に目線を落とした。つるり、としている。目頭が熱くなった。

 

『それは……重要な情報だな!』

 

 ブルータス、お前もか。大人たちを見る陽子の目つきは冷然としている。

 

『胸の垂れ具合はどうだった?』

 

「ブラを着けているだろうから断定出来ないが……わりと上向きだったと思う」

 

『なるほど。つまり、乳房の下の大胸筋はかなり発達している、と』

 

「おそらく。何かスポーツを恒常的にやっているんだと思う」

 

『体力にも優れているわけか。こいつは、ますます手強そうな相手だ』

 

「…………」

 

 少し、ほっとした。なるほど、外見上の身体的特徴に注目した理由は、相手の運動能力を探るためだったか。そうか、そうか。……よかった。大切な父親と、その親友を軽蔑せずにすみそうだ。

 

「ミス・オルコットについての情報は、現在判っている限りでは、こんなものか」

 

『それじゃあ次は、陽子ちゃんについてだね』

 

 為人についてはある程度判っている。問題は、IS関連の能力だ。

 

『オルコットさんは入試の成績トップを誇っていたらしいが、陽子ちゃんは? 差し支えなければ、教えてほしいんだが』

 

「……二六位です」

 

 悪くはないが、誇るほどでもない順位と、陽子は思っている。セシリアの首位と比べれば、口にするのも恥ずかしい数字だ。彼女の声は悄然としていた。

 

 しかし、桜坂はたいそう感心した様子で頷くと、鬼頭の顔を見て破顔した。

 

『お宅のお子さんは優秀ですな』

 

「自慢の娘だよ」

 

「二人とも、お世辞なら……」

 

『お世辞なんかじゃない』

 

 桜坂は力強い語調で断言した。

 

『いまや小学生から受験対策を始めるのが普通と言われるIS学園だ。陽子ちゃんはたしか、中二のときに、受験を決めたんだったよね? それでその成績なら、大したもんだ』

 

 努力の質、そしてそのひたむきさは、代表候補生のセシリアにも負けていない、と桜坂は考えている。そんな努力家だからこそ、ジャイアント・キリングが可能なのだ、と励ました。

 

『ISの操縦経験は?』

 

「入学試験の実技審査のときに一回、一般受験生応援企画とかのイベントのときに二回の、計三回だけです。たぶん、操縦時間のトータルは一時間くらいじゃないかな?」

 

『そのとき搭乗したISの名前は?』

 

「入試のときは、打鉄っていう、国産の第二世代機でした。イベントでは打鉄と、ラファール・リヴァイブっていうフランスの第二世代機に各一回ずつです」

 

『クラス代表戦でどんなISに乗るかはもう決まっているのかい?』

 

「……そういえば、教えてもらってなかったですね」

 

 一緒にあの場にいた父を見る。鬼頭もかぶりを振った。彼の記憶にも、千冬がそのあたりの取り決めについて口にした覚えはない。

 

「学園に配備されている機体数から考えて、打鉄か、ラファールのどちらかを貸し出してくれるだろうな」

 

 どちらもクセのない操縦特性で、扱いやすいISと聞いている。初心者の陽子には、ぴったりの機体だろう。過去に一度でも操縦経験がある、というのも良い。

 

『ちなみに、まだ一時間ちょっとしか乗っていないわけだけど、陽子ちゃん、どっちが乗りやすかったとか、得意な戦い方とか、好きな武器とかって判る? もし、あるんだったら、それを中心に戦術を決めようと思うんだけど?』

 

「すみません。判らないです」

 

『そっか。まあ、一時間と少しじゃ、仕方ないな』

 

 特に気にした様子もなく、桜坂は続けた。

 

 ここまでの情報をまとめると、やはり陽子とセシリアとの間には大きな隔たりがある、ということになる。専用機のティアーズ型もかなり強力な機体のようだ。打鉄もラファールも優秀な機体だが、一人の人間のために最適化された第三世代機が相手では、さすがに分が悪い。

 

 その一方で、わが方には向こうにはないアドバンテージが二つある、と桜坂は結論づけた。

 

『一つは、情報戦ではこちらが圧倒的に優位な立場にある、ということだ』

 

 英国の代表候補生たるセシリアと、鬼頭智之の娘という一点を除いては、特筆するべきことの少ない一般生徒の陽子。セシリアがこちらの情報を得る手段は少なく、逆に有名人の彼女に関する知見を得る方法は多いだろう。幸運にさえ恵まれれば、愛機のより詳細なデータや彼女自身の得意な戦い方といったことも知れるかもしれない。

 

『もう一つのアドバンテージは……、陽子ちゃん、きみには世界最高の頭脳が二人もバックアップについているということだ』

 

 自信に満ち満ちた力強い口調で、桜坂は自らを親指で示した。もう一人が誰のことを指しているのかは、わざわざ言葉にするまでもない。

 

 身贔屓を抜きに考えても、強烈な援護射撃だと思う。普段の言動や態度から忘れがちだが、彼らはMITの卒業者、それも首席と次席の座を争った二人だ。世界最高の頭脳という自賛も、過大な誇張ではない。

 

 そんな二人からの支援を隠しながら、クラス代表戦に向けた準備が出来る。なるほど、これは大きなアドバンテージだろう、と陽子は感心した。問題は、その優位生を自分が活かせるかどうかだが。

 

「それで、どう戦うべきでしょう?」

 

『オルコットさんがどんな戦い方を得意としているかの情報がないから、強力な操縦者を乗せたティアーズ型と戦う、という想定で、とりあえず考えてみようか』

 

 ティアーズ型は遠距離からの射撃戦が得意な機体だ。このような相手と戦う場合、定石は射撃を凌ぎながら間合いを詰め、相手の苦手な近接格闘戦に持ち込むことだろうが。

 

『いや、それはやめた方がいいだろう』

 

 相手の土俵には上がらず、相手が苦手とする戦術で挑む。一般に有効とされる戦い方を、桜坂はあえて推奨しなかった。

 

『近接戦の技術を学ぶのは難しい。たとえば剣の世界では、何十年と稽古を続けていてなお、免許皆伝を許されない者の方が多い。クラス代表戦まで残り一週間しかないんだ。よほど格闘センスに恵まれているか、経験者でもない限りは、近接戦をメインに挑もうなんて考えは、捨てた方がいいだろう』

 

 相手は代表候補生だ。ティアーズ型の特性は別として、セシリア自身の格闘技能はかなりのものだろう。

 

 他方、陽子はといえば、桜坂の知る限り格闘技の経験はなく、また小柄な体つきのせいで、運動全般を苦手としている。近接格闘戦主体の戦い方への拘泥は、かえって彼女の足を引っ張るだろう、と予想された。

 

 また、相手との間合いをどうやって詰めるか、という問題もある。セシリア・オルコットがティアーズ型を受領して二ヶ月以上が経過している。自身の愛機の強みと弱みはすでに把握済みだろう。敵の接近をいかにして防ぐか。対策は万全のはずだ。僅か一週間足らずで身につけた付け焼き刃の空戦機動をもってこれを突破するのは難しいだろう。

 

「格闘戦が駄目、となると、射撃戦で挑むことになるが……」

 

 鬼頭の問いかけに、ラップトップの中の桜坂は首肯した。

 

 射撃戦が得意なティアーズ型に、射撃戦で挑む。一見、相手との力量差をわきまえぬ無謀な試みのように思えるが。

 

『むしろその方が勝算は高いと思う。たとえば銃なら、銃の種類や弾丸の種類で、腕前をある程度カヴァー出来る』

 

 フル・オート射撃による弾幕形成が容易なマシンガンや、複数の弾丸をいっぺんにばらまく散弾銃などは、“当てる”技術の未熟さを補うことが可能だ。牽制射撃で相手の動きが鈍ったところに、ミサイルなどの強力な一撃を叩き込む、といった作戦も取りやすい。

 

『勿論、最低限の知識と技術は必要だ。けれど、訓練に割ける時間が限られていることを考えると、射撃メインの戦術以外の選択肢はないと思うんだよ』

 

「なるほど、お前の考えは分ったよ。しかし、射撃対射撃では、こちらが不利になるのでは?」

 

『そりゃあ、な。射撃に力を入れるのは、初心者の陽子ちゃんでも、代表候補生を相手に“なんとか”戦えるようにするためだ。勝つための方策は別にある。そして鬼頭よ、それには、お前の協力が不可欠だ』

 

「なんでも言ってくれ、桜坂」

 

 鬼頭はパソコンの画面に顔を寄せた。

 

「陽子がこんな苦境に立たされているのは、元をといえば俺のことを想って怒ってくれたからなんだ。この娘のために出来ることがあるのなら、俺は何だってやるぞ」

 

『頼もしい言葉だ』

 

 桜坂は冷笑を浮かべた。

 

『それなら、鬼頭、お前は今日からしばらくの間、父親としての立場を忘れろ。アローズ製作所が誇る、世界最高の技術者として、陽子ちゃんに協力するんだ。お前が技術者の本分を果たすこと。それこそが、勝利の鍵だ』

 

「……なるほど」

 

 鬼頭もまた好戦的な冷笑を浮かべた。

 

 この男はやはり頼りになる。彼のおかげで、陽子のために何が出来るか、そして何をするべきなのかが、はっきりと見えた。

 

「分ったぞ、桜坂。俺は明日から、学園の整備室に篭もればいいわけだな?」

 

『流石、親友。言葉にせずとも分ってくれるか』

 

「ええと、わたしはどうすれば?」

 

 二人だけで通じ合う彼らの様子に、今度は陽子が疎外感を覚えることとなった。彼女は父の横顔と、パソコンの画面と交互に見つめ、怪訝な表情で訊ねた。

 

『陽子ちゃんには訓練に集中してほしい。内容については、後でメールなりするからさ。とにかく、ISの操縦経験を積んでほしいのと、射撃についての知識と技術を習得してほしい』

 

「分りました。明日の朝一番に、訓練機の貸出申請書を出してきます」

 

 そこまで口にしたところで、陽子は表情を曇らせた。

 

 学園に配備されている訓練用のISの数は限られている。一般生徒が自主トレ目的でそれら訓練機を使いたいときには、まず貸出の申請を行い、それが通った場合に限り、先着順で順次使用許可が下りていくという仕組みだ。

 

 IS学園に通っている生徒はみな、ISのことを学ぶためにこの学園の門を叩いた娘ばかりだ。放課後の訓練機の使用を巡る争奪戦は苛烈を極めるだろう。椅子取りゲームの参加人数次第だが、クラス代表決定戦までに自分の番が回ってこない可能性も十分にあった。

 

「なかなか使用許可が下りないときには……」

 

『そのときは、通常の射撃訓練を行ってくれ。特に銃の扱いを覚えてほしい』

 

 IS学園には銃火器の扱いを訓練するための射撃練習場が屋内に二箇所、屋外に四箇所の計六箇所設けられている。

 

 兵器であるISの操縦者を訓練する機関とは、すなわち、将来のエリート軍人候補を育てる機関ともいえる。IS以外の兵器にも早いうちから慣れてもらいたいと、学園内にはこうした軍事訓練を行うための施設と設備が充実していた。他にも、爆発物の取り扱いを学ぶため特殊な防火壁で築かれた実験室などがある。

 

 以前、ISの専門誌にそうした旨が紹介されていたな、と思い出し、桜坂は陽子に言った。

 

 さて、陽子とセシリアの試合については、今後の戦略方針をなんとかまとめられた。あとは以降も情報収集と分析を怠らず、計画に随時修正を加えていけばいい。

 

 それはそれとして、鬼頭は、パソコンを起動させたときから気になっていた疑問を、液晶ディスプレイに映じる親友に向け口にする。

 

「ところで桜坂」

 

『んう?』

 

「先ほどから気になっていたんだが、お前、いつもよりも疲れた顔をしているな」

 

 液晶画面の端の方で表示されているデジタル時計を一瞥する。いまは午後八時を回ってすぐの時間帯。アローズ製作所の就業時間は、とっくに過ぎているはずだが。

 

『仕事が長引いたか? それに、いま、パソコンで話しているその部屋、自宅ではないみたいだが?』

 

 親友の背後に映じる景観は、鬼頭も見慣れた、彼の自室のものではない。アローズ製作所本社ビル内の、パワードスーツ開発室でもないようだ。室内にいることは確かなようだが。

 

『ああ、うん……。ちょっとな。色々あって』

 

 桜坂はうんざりした様子で溜め息をついた。

 

『捜査上の守秘義務とかで、まだ詳しくは話せないんだが、俺、いま、警察署にいるのよ』

 

「警察に?」

 

『おう。実は……、帰宅中に立ち寄った本屋でね、万引き捕まえてさ。その供述調書取られているのよ』

 

 嘘だな。口を開く直前、一瞬だけ目が泳いだ。何か上手い言い訳を探そうとして、たまたま視界に映じた万引き防止用の啓発ポスターでも読み上げたに違いない。

 

 しかし、なぜ嘘をつくのか。二十年以上もの付き合いになる自分に、嘘をつく理由は何か? 自分に聞かせたくない理由は何だ……?

 

「それは……大変だったな」

 

 鬼頭は表情硬く応じた。自分に対し、意地悪で嘘をつくような男ではない。その理由は、自分を慮ってのことだろう。とすれば、彼が自ら話してくれるまで待つのが得策だ。実際、彼は、「まだ話せないんだが」と、口にした。まだ、ということは、本当は伝えたいが、いまはそのときではない、という言外のメッセージだ。

 

 あるいは、この場に陽子がいることがネックなのかもしれない。自分には聞かせたいが、彼女の耳には入れたくない内容なのかもしれない。

 

 鬼頭はとりあえず、この場は話を合わせることにした。

 

 そんな大人たちの顔を、陽子は唇をとがらせ、見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の午前七時半、鬼頭親子は一年生学生寮の食堂にやって来ていた。

 

 二人とも、この施設を使うのは今日が初めての経験だ。あらかじめ受験用のパンフレットなどでかなり快適な空間造りがなされていると知ってはいたが、

 

「……ここ、本当に学生寮?」

 

「ウチの会社の社食よりも広いな」

 

と、口にせずにはいられなかった。一年生一二〇名全員が一度に食事を始めたとしても、窮屈さを感じさせない広さを誇っている。それでいながら、テーブルの配置はまるで高級ホテルのレストランのようで、衝立によってちょっとしたボックス席まで出来ていた。

 

 この時間、食堂を利用する生徒はまだ少ない。もう三十分もすればがやがやと賑やかになるだろうが、いまは閑散としていた。

 

 静けさは、鬼頭たちにとっても、また他の生徒たちにとっても、ありがたいことだった。

 

 鬼頭親子は悠々ボックス席を選ぶことが出来たし、他の生徒たちは彼ら二人を避けて席取りをすることが出来た。昨日、出回った週刊誌の内容や、三限目のセシリアとのやりとりは、すでに学年全体に広まってしまっていた。お互いに相手を避けられる環境というのはこの際ありがたい。

 

 IS学園の食堂のメニューは基本的に日替わりで、配膳はバイキング形式だ。各自が好きなものを好きな分量取ればよい。勿論、暴飲暴食や偏食で体調を壊しても、すべては自己責任だが。

 

 鬼頭は銀シャリに納豆、鮭の切り身と味噌汁、浅漬けを少々という和食セットを載せた盆を手にボックス席へ着座した。陽子の選んだメニューもおおむね一緒だ。いかに米を美味しく食べるかを追求した陣容といえる。

 

 鬼頭は箸を手に取り、鮭の切り身をほぐして、唇に寄せた。良い塩加減。やはり米が進む。味噌汁。汁の旨みをたっぷり吸った大根が美味い。ご飯がもりもり進む!

 

 あっという間に一膳平らげ、鬼頭はお椀を持って再び配膳台へ。おかわりをよそい、ボックス席に戻ったところで、

 

「父さん、糖尿病が恐いから、ご飯は二膳までね」

 

 四十過ぎには痛烈な言葉をぶつけられ、鬼頭は、ぐぅっ、と呻いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園における三限目とは、特別なイベントに恵まれやすい不思議な力でも宿しているのだろうか。

 

 学園生活二日目にして、鬼頭は早くもそんなことを考えていた。

 

「織斑、お前のISだが準備まで時間がかかる」

 

 三限目の始業を告げるベルが鳴り終えると同時に、教壇に立った千冬が、最前列の弟に向けてそんなことを言った。

 

 言葉を投げかけられた一夏は、しかしその意味するところが分からず、「へ?」と、呆けた表情を浮かべている。千冬は呆れたように溜め息をついて、言葉を重ねた。

 

「予備機がない。だから、少し待て。学園で専用機を用意するそうだ」

 

 昨日、千冬自身が口にしていたことだが、IS学園には若い教師しかいないというのは本当らしい。

 

 つい先日までISのことをほとんど何も知らずに過ごしてきた一夏に対して、その説明では何も伝わるまい。

 

 ちんぷんかんぷんといった様子の彼を見かねて、鬼頭は口を開いた。

 

「簡単に言えば、学園側から一機、ISを専用機としてきみに預けるってことさ」

 

「はあ……」

 

「私もそうだが、世界でたった二人しかいない男性操縦者の身の安全を守るためと、データ収集用だろう。ただ、IS学園にはいま、きみのために貸し出せる予備機がない。だから、機体が用意出来るまで少し待ってほしい、と織斑先生は言っているんだと思うよ」

 

「ああ、なるほど」

 

 得心がいったと頷く一夏。しかし、その後すぐ生じたざわめきのため、彼の表情はまた困惑で彩られた。

 

「せ、専用機!? 一年の、しかもこの時期に!?」

 

「つまりそれって政府からの支援が出てるってことで……

 

「ああ~。いいなぁ……。私も早く専用機欲しいなぁ」

 

「え? あ、えぇ?」

 

「みんなが大騒ぎするのも無理はないよ」

 

 鬼頭は周りの反応を見て苦笑した。

 

「ISの中枢装置であるISコアは、現在、世界に四六七機分しかない。そんな貴重な物を一人の人間に委ねるんだ。驚きや羨望は仕方のないことだよ」

 

「はあ……。あの、なんでISコアは四六七機分しかないんですか?」

 

 そこからか。若い子と話すのは難しいな、と鬼頭はひっそりと嘆息した。

 

「篠ノ之束博士が、四六八機目以降の製作を拒否しているからさ。ISコアの内部構造は超高度なブラックボックスだ。現状では、篠ノ之博士以外には造れない。その上で、博士は現在行方不明だからね」

 

 ゆえにISコアは貴重。そしてこのIS学園の門を叩いたということは、ほとんどの生徒たちの目標は専用機を得ることだろう。そこまで口にして、一夏はようやく己の立場を自覚したらしい。近い将来手にするであろう専用機に思いを馳せ、どんな機体だろうかという期待と、どう扱えばいいんだという不安から頭を抱えた。

 

 そのとき、二人の会話を聞いていた一人の女子生徒が、おずおず、と挙手した。ちらり、と窓際の席に座る箒に目線をやる。

 

「あの、先生。篠ノ之さんって、もしかして篠ノ之博士の関係者なんでしょうか……?」

 

「そうだ。篠ノ之はあいつの妹だ」

 

 即座の返答に、二つの意味でぎょっとした。

 

 一つは、昨日少しだけ言葉を交わした箒が、篠ノ之博士の実妹だった事実に対する驚きだ。篠ノ之なんて苗字は珍しい。十中八九、関係者だろうとは予想していたが、まさかそんなに近い関係だったとは。

 

 いま一つの理由は、千冬があっさりとその事実を認め、公言したことについて。自分でも勘づいたぐらいだ。篠ノ之箒と束博士の関係が白日の下にさらされることは、いずれは避けられぬ事態だっただろう。しかし、教師の口から明かすのはいかがなものか。

 

 言語というものは人類が発明した最も偉大なコミュニケーション・ツールだが、同時に、いくつもの致命的な欠陥を抱えている、と鬼頭は考える。ちょっとした言い間違いや、口にしたときの表情などのために、本来伝えたいはずの意図が通じないばかりか、まったく別の解釈をされてしまうことがしばしばある。また、同じ内容の話でも、口にする人間が違うだけで、受け取られ方はやはり変わってしまう。

 

 いまにしたってそうだ。

 

 篠ノ之束は、箒の姉。本人の口から語られるのと、他者の口から語られるのとでは、受け取る側の解釈は異なってしまう。一般には、他者の口から語られる方が、インパクトは大きくなりがちだ。個人情報の問題だってあるのに。

 

 ――これは大騒ぎになるぞ……。

 

 案の定、教室内の喧噪はいっそうやかましさを増した。授業中だというのに、何人もの女子生徒が箒の元へ集まる。

 

「ねえねえっ、篠ノ之博士ってどんな人!? やっぱり天才なの!?」

 

「篠ノ之さんも天才だったりする!? 今度、ISの操縦教えてよっ」

 

 箒の柳眉が、逆立つのが見えた。

 

 不味い、と、鬼頭は慌てて柏手を打った。その昔、芸大の道に進んだ友人から教えられた、掌の中の空気の破裂音が最大となる叩き方を再現した。

 

 バン、と肉と肉を打ち合わせた音とは思えぬ音圧が、教室内を席巻した。耳の奥に、ずん、と響く音だ。教室内のほとんどの者が、びくり、と肩を震わせ、音の発生源へと目線を向けた。

 

「……いまは授業中ですよ」

 

 唖然として静まりかえった教室に、四十半ばの男の乾いた声が響いた。

 

 盛り上がっていたところに冷水をかけられた形の女子たちは、めいめい、困惑や不愉快そうな眼差しを鬼頭に向けていた。

 

 鬼頭は素知らぬ表情でそれらをかわし、千冬を見た。内心では、また悪い評判が広まってしまうな、と胃を痛くしていたが。

 

「織斑先生、授業を進めてください」

 

 表情こそ穏やかで落ち着いているが、その声音は硬い。付き合いの浅い一夏たちは気づけないだろうが、隣の席の陽子だけは、父が感情を表に出さぬよう己を律していることを察していた。

 

 父親の横顔を見つめる彼女の眼差しは、悲しげであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、教室を出た陽子は一人、第三アリーナ近くにある第一射撃場へと向かっていた。先晩、桜坂との作戦会議で想定した通りの事態が起こったためだ。やはり訓練機を使いたい生徒は陽子の他にも多く、彼女の順番が回ってくるのは三日後となってしまった。

 

 いきなり出鼻をくじかれてしまったが、落ち込んでいる暇などいまの自分にはない。気持ちを切り替えた彼女は、射撃訓練はみっちりこなそう、と意気込み十分、勇ましい足取りで廊下を進んでいった。

 

「いま向かっている第一射撃場は屋外型で、拳銃とライフル銃、それからショットガンの練習が出来るみたいです」

 

 スマートフォンのテレビ電話機能を使いながら歩く陽子は、小さな液晶画面に映じる桜坂の姿を見て言った。

 

 アメリカ留学中の趣味はシューティング・レンジに通うことだったと語る彼は、

 

『なら、まずは拳銃の練習からだね』

 

と、一切の迷いなく応じた。当然、陽子はこの返答に対し疑問を抱く。

 

 究極的にはパワードスーツであるISの武装は、一般的な陸軍における歩兵の装備と同じように考えることが出来る。すなわち、主兵装はライフルやマシンガンといった長物で、ハンドガンはサイドアームに過ぎない、という考え方だ。

 

 まずメイン・ウェポンとなりうるライフルやショットガンから触れるべきではないのか。

 

 陽子の問いに、桜坂は『構造が複雑すぎる』と、返した。

 

『過去にちょっとでも銃に触れたことのある人なら、それでもよかったんだけどね。陽子ちゃんの場合は、今日が初めてなわけだから、まずは銃という武器がどういうものなのか、知ってもらう必要がある。そうなると、ライフルやショットガンは仕組みが複雑すぎて、いきなり説明されても理解するのに時間がかかってしまうと思うんだ。それに比べて、拳銃の造りはシンプルだ。まずは拳銃の扱いを通して、銃とはこういうものだ、ってことを知ってもらってから、ライフル銃やショットガンへステップ・アップしてもらおうと思っている』

 

 PDCAサイクルという考え方がある。主に品質管理の分野などで使われる継続的改善手法で、Plan(計画)、Do(実行)、Check(確認・評価)、Action(改善)のサイクルを繰り返すことによって、仕事の精度や生産性、効率を高めよう、という考え方だ。

 

 マツダ自動車の元会長……金井誠太氏は、このPDCAに対する考え方をさらに発展させ、PDマネジメントと、CAマネジメントという概念を生み出した。

 

 すなわち、問題が起きないように先に考えるPDマネジメントと、問題が起きたところで考え、解決を図るCAマネジメントだ。

 

 仕事は先に進めば進むほど、まずいところを見つけやすくなる。PDCAもそれと同じで、PやDの段階では、どこに問題の芽が潜伏しているかを見抜くのは難しい。一方、先に進めば進むほど、発生した問題の解決は難しくなる。仕事の“手戻り”が発生するためだ。

 

 この事実に気がついた金井氏は、PDマネジメントと、CAマネジメントという着想にいたった。

 

 Pの時点でなんとかこらえて、目標設定が妥当かどうか、起こりそうなトラブルは何かを考え、問題の発生自体を抑えようとする“PDマネジメント”を重視し、とにかく仕事を進め、出てきた課題はその都度、力業で解決してしまえ、という“CAマネジメント”に割く時間を減らそうと試みたのだ。

 

 金井氏の考え方はこうだ。マツダ自動車という物作りの現場で問題が起こっているということは、その時点で最初の計画は失敗している。現場の技術者たちは、本来ならばやらなくてもいいはずの仕事に時間とエネルギーを奪われ、疲弊している。勿論、間違いゼロのプランなんてものはあり得ない。これから起こるであろう事態を完璧に読み切ることは不可能だ。

 

 大切なのは、根拠を明確にして、決めることだ。いつ、誰が、どういう理由で決定したのか。責任を問うためではない。誤った決定にいたったのは、どの前提が変わったからなのかを、すぐに分るようにするためだ。こうしておけば、問題発生時に修正するポイントも明確になる。

 

 桜坂も、金井氏のこの考え方には賛成だ。ましてや今回は、クラス代表決定戦までの日数が少ない。

 

 時間は一秒とて無駄に出来ない。CAマネジメントに費やす手間を嫌った彼は、無理な一足飛びは絶対にさせない。一歩ずつ着実に、段階的に学んでいく訓練計画を練っていた。

 

『これから射撃場へ向かうにあたって、守ってほしい約束が三つある。射撃場は、お互いに武装した、見知らぬ人間が出入りする場所だと思ってほしい。端的に言って、とても危険な場所なんだ。自分と、自分の隣で銃を撃っている誰かを危うくしないためにも、いまから言うことを絶対に守ってほしい』

 

「はい」

 

『一つ目、絶対に銃口を標的以外に向けないこと。二つ目、弾丸の装填の有無を必ず確かめること。三つ目、不発弾や、装弾不良といったアクシデントが発生したら、射撃場のインストラクターか、俺に指示を仰ぐこと。決して、自分で解決しようとしないでほしい』

 

 話しているうちに、射撃場の姿が見えてきた。第三アリーナから少し離れた場所に建てられた、かまぼこ型の屋根を頂く体育館のような建物だ。近づくにつれて、ターン、ターン、と銃声が大きくなっていく。

 

 開放された正面出入り口から入館すると、鉄と油、そして火薬の三重奏が織りなす独特な臭いが陽子の鼻腔を犯した。自然と、顔の表情筋が強張るのを自覚する。

 

 館内を、ぐるり、と見回して、カウンターを探した。デパートでよく見るようなショーケースをいくつも並べたカウンターに、ベージュのスーツをきっちり着こなした女性教諭が座っていた。射撃場には交代制で、学園の教師が誰か一人と、日本政府の用意したインストラクターが一箇所につき最低でも二名常駐している。勿論というべきか、外部からのインストラクターもみな女性だ。

 

「あの……」

 

 陽子はスマートフォンを一旦、鞄の中にしまうと、女性教師に話しかけた。ショーケースにはこの射撃場で使用可能な銃の一覧が、パネル展示されている。

 

「拳銃の練習をしたいんです。はじめてなんですけど」

 

「ああ、はい」

 

 二十代半ばと思われる女性教師はカウンター後ろの戸棚から、タブレット端末を引っ張り出した。

 

「このタブレットに、ここの射撃場に置いてある銃の詳細と、貸出状況が表示されるから、まず選んでちょうだい。銃を持つのもはじめてなら、最後に、インストラクター希望、ってボタンを押してね」

 

 差し出されたタブレットをのぞき込む。銃の貸出状況を管理する専用アプリケーションのホーム画面には、まず銃の種類を選ぶボタンが縦に三つ並んでいた。上から、ハンドガン、ライフル、ショットガンの順番。陽子はいちばん上をタップする。

 

 次の画面へと移り、何十挺という銃の名前が、ずらり、と表示された。銃に詳しくない彼女は、内心、悲鳴を上げた。いったい、どれを選べばいいのか。

 

「撃ってみたい銃とかってある? もしないなら、初心者にはこれとか、これなんかがお薦めね」

 

 ベレッタM85FS。九ミリ・ショート弾を八発装填可能な、中型の自動拳銃だ。いわゆる軍用銃ではないが、日本の麻薬取締官などの、軍以外の公的機関での採用実績が多い。九ミリ・ショート弾の名前は、今日、最もポピュラーな拳銃弾である九ミリ・パラベラム弾に対して短いことからついた俗称だ。短小な分、威力は九ミリ・パラベラム弾に劣るが、反動も小さく、女性の細腕でも御しやすいだろう、と考えてのセレクションだった。

 

 もう一挺選んでくれたのは、同じく中型自動拳銃のザウエルP230だ。ドイツのザウエル&ゾーン社が製造する中型ピストルの傑作で、こちらも日本の機動捜査隊など、軍以外の公的機関での採用実績が多い。口径は通常、九ミリ・ショート弾で装弾数は七発だが、日本警察用のJPモデルは、七・六五ミリ弾が八発という仕様だ。この射撃場に置かれているのはJPモデルだ。ベレッタといい、ザウエルといい、日本警察からの借り物だろうか。

 

「じゃあ、ベレッタの方をお願いします」

 

 陽子は迷わず、M85の貸出ボタンをタップした。銃の種類についてはともかく、弾丸の口径については、桜坂から事前に指示を受けていた。

 

「それと、二二口径の銃でお薦めって、あります?」

 

「二二口径……」

 

 現在、製品化がされている拳銃弾の中でも、最小の部類に入る口径だ。主に護身用のポケット・ピストルか、スポーツ射撃用の拳銃に採用されることが多い。

 

 IS学園に射撃場が存在する理由は、未来のエリート軍人を育てるためだ。当然、常備している銃のラインナップも、そのねらいに則した内容となっている。

 

 今日、二二口径の拳銃を制式採用している軍隊はない。

 

 はて、二二口径の銃なんてあったかな、と画面をスクロールすること数秒、女性教師は安堵の溜め息をこぼした。

 

「二二口径だと、これね。コルト・ウッズマン」

 

 その名前は、聞いたことがあった。陽子の好きなライトノベルの登場人物が、愛用している銃だ。

 

「これでお願いします!」

 

 タブレット端末のボタンを力強くタップした。

 

 「ちょっと待っていてね」と、言い残し、女性教諭はカウンターの奥へと消えていった。カウンターの奥には、銃が保管されていると思しきロッカーが並んでいる。やがて戻ってきた彼女の手には、プラスチック製のトレイが握られていた。トレイの上には、自動拳銃が二挺と、弾薬の入った紙箱が二個、防塵ゴーグルとヘッドセット型のイヤー・プロテクターが載っている。

 

「じゃあ、はじめての射撃訓練、頑張ってね」

 

 体育館の中には更衣室も備わっている。硝煙の臭いが制服に染みついてしまうのを嫌う女心に配慮しての設備だ。トレイを受け取った陽子は、真っ直ぐそちらに向かった。

 

 空いているロッカーを探し、白亜の制服からえんじ色のジャージに着替える。中学時代に使っていた物だ。これなら、いくら汚しても、傷つけても、問題ない。

 

 着替えを終えた陽子は、いよいよシューティング・レンジへと移動した。レンジではすでにインストラクターの女性が待ち構えていた。迷彩服を着込んだ彼女は、元自衛官だと自己紹介した。

 

 案内されたのは、畳四畳分ほどの個人用ブースだった。道具を置くためのテーブルと、休憩用の椅子が置かれている。テーブルの向こう側へと目線を向ければ、弾丸をストップするための砂の山が彼方に見えた。そしてその手前に、簡素なベニア板造りのマン・ターゲットが立てられていた。

 

 インストラクターはまず自動拳銃の基本的な構造について解説し、次いで、自分の銃がいまどんな状態なのか、その見方について説明してくれた。トレイの上の二挺の銃口は、いまどちらを向いているか。銃口を向けてよい安全な方向はどちらか。ハンマーは起きている? それとも寝ている? 安全装置はちゃんとオンになっている? スライドは閉じているか、開きっぱなしか。そこまで確認して、はじめて銃を手に取る。そして実弾が装填されていないかどうかを検めるのだ。自動拳銃の場合はまずマガジンを抜き、スライドを引いて、機関部に弾が残っていないかどうかを見る。念のため銃口を標的に向けながらドライファイアし、安全と、トリガー・プルの感触を確かめる。

 

 インストラクターは自らも拳銃を手に、陽子の目の前でそうした安全確認の手続きを実演してみせた。陽子もベレッタM85を教材に、示された手本を真似てみる。手元のM85は安全と結論づけた彼女は、インストラクターの顔を見た。元自衛官の女は、「はじめてとは思えないくらい、手際が良いわね」と、評してくれた。

 

 安全確認を終えた次は、装填のやり方を教わった。銃弾の入った紙箱をカッターナイフで、ざくざく、切り開き、くしゃくしゃに丸められた緩衝材の油紙を取り払う。黄銅色の九ミリ・ショート弾五十発が、発泡スチロールのケースの中で整然と並んでいた。おそるおそる、の手つきで、一発だけつまむ。思っていたよりも、ずっと軽いことに驚いた。こんな小さな、そして軽い物体が、人を殺すほどの威力を発揮するというのか。

 

 弾箱から、銃弾を八発取り出した。M85のマガジンに、一発々々、装填していく。最初のうちは、銃弾が自ら吸い込まれていくように箱型弾倉へと収まっていったが、終盤にさしかかると、弾倉底部のスプリングが存在感を主張し始めた。一発押し込むごとに、指が痛くなってくる。なんとか八発をマガジンに装填し、M85本体へとインサートした。これでスライドを引けば、最初の一発目が機関部へと移動し、発射可能な状態となる。

 

「まだ、スライドは引かないで。安全装置も、オンにしたままで」

 

 待望の、射撃の技術に関する講義が始まった。拳銃の正しい握り方、構え方、照準のつけ方など、基本中の基本を教えてもらう。

 

 映画などによるイメージから、拳銃とは屈強な男たちにのみ許された玩具と思い込んでいた。しかし、実際に握ってみると、M85は陽子の小さな掌に思いのほかよく馴染んだ。M85は全長が一七二ミリ。扱いやすい大きさで、シングル・カラム・マガジンを採用したグリップはほっそりとしており、女の小さな手でも握りやすい。また、銃自体の重量も六二〇グラムと比較的軽く、射撃姿勢を長時間保持したままでも、手首への負担は少なかった。両腕を前へと伸ばしたアソセレス・スタンスを数秒眺めて、インストラクターは「それじゃあ、撃ってみましょう」と、言った。心臓が早鐘を打ち出す。

 

 銃声は射撃場の其処彼処で響いていた。雷鳴のような嘶きに最初こそ驚いてしまったが、インストラクターの説明に耳を傾けているうちに、ちょっとだけ不快な環境音程度の認識へと成り下がっていた。しかし、いよいよ自分も銃声を奏でる側に回ると自覚した途端、周りの銃声が急に大きくなって聞こえた。

 

 防塵ゴーグルをはめ、イヤー・プロテクターを装着する。

 

 額汗ばむ陽子はM85のスライドを引っ張り、放した。スライドが前進し、マガジンの一番上で出番を待ちわびていた一発目を機関部へと叩き込む。おもむろにハンマーが起き上がり、雷管の尻を叩く瞬間を心待ちにしていた。セフティ・レバーを解除。これでいつでも撃てる状態だ。

 

 グリップを握り直し、改めて射撃姿勢を取った。右手の人差し指を、トリガーに引っかける。

 

「じゃあ、まずは一発、撃ってみて」

 

 ジェスチャーを交えながら、インストラクターが言った。

 

 小さく首肯。慎重に、慎重に、人差し指に力を篭めていく。引き金を引き絞るほどに、中のメカニズムが駆動する僅かな振動が掌を撫でた。

 

 その瞬間は、唐突に訪れた。突然、トリガーが軽くなったかと思うと、ハンマーが物凄い速さで振り下ろされていった。パンッ! と、火薬の爆発音。親指の付け根を殴打する、ビシリ、という痛み。掌の中で拳銃が暴れ、銃口がぶれる。マン・ターゲット後方の砂の山で、小さな噴火が起こった。陽子は目をぱちくりさせて、手の中の銃と、砂の山、そして無傷の標的を交互に見つめた。

 

「……これが、銃」

 

 呟き、言葉の意味を噛みしめる。イヤー・プロテクターを着用しているため、自身の声は聞こえない。しかし、興奮で唇が震えているのは分かった。

 

 銃を一旦、テーブルに置き、自分の胸元に手を添えた。心臓が、ばくばく、とやかましい。落ち着くまで、ちょっと時間がかかりそうだ。

 

「さて!」

 

 インストラクターが、両手を叩いた。

 

「撃ち方は分かったわね? あとは練習あるのみよ」

 

 

 

 インストラクターの元自衛官は、陽子がマガジン二個分を撃ち終えたところで、もう安全上の問題はないな、とその場から離れていった。射撃場を利用するのは、陽子一人ではない。他の生徒たちも危険な撃ち方をしていないか見回らねばならないそうだ。

 

 陽子としても、そうしてくれたほうが都合がよかった。

 

 インストラクターが十分離れていったのを確認して、彼女はジャージのポケットからスマートフォンと、ワイヤレス・イヤーホンを取り出した。

 

 通話履歴の画面から、今一度テレビ電話で桜坂を呼び出す。

 

 数秒とせぬうちに、父の親友の仁王様は出てくれた。

 

『あいよ、陽子ちゃん。いま、どんな状況?』

 

「桜坂さん、いま射撃場です。インストラクターの人から基本的なことを教わって、いまは自由に撃ってよい、と言われたところです」

 

『なるほど。いまは、拳銃の練習中?』

 

「はい」

 

『銃の種類は?』

 

「ベレッタのM85っていうのと、コルト・ウッズマンという拳銃をお薦めしてもらいました」

 

『お、どっちも良い銃だね』

 

「そうなんですか?」

 

『M85は各国の警察機関の第一線で活躍する優秀な実用拳銃だし、ウッズマンはもともとスポーツ射撃用に開発された拳銃だ。扱いやすさと命中精度はお墨付きよ。……それで、どう? はじめての拳銃射撃は?』

 

「……とりあえず、M85でマガジン二個分撃ってみました」

 

『結果は? ……って、まあ、その顔を見れば、なんとなく察しはつくけれど』

 

 陽子は無言でスマートフォンをテーブルに置き、画面を標的のある方へと向けた。画面の桜坂が、「最近のスマホはすごいなぁ。あんな遠くまで、よく見える」などと、感心している。

 

 ベニア板のマン・ターゲットは綺麗なままだ。十六発中の七発が標的に命中せず、残りの九発も、かろうじて当たっているというぐらいで、十点どころか七点のゾーンにさえ穴は穿たれていない。

 

『……狙いのつけ方とか、銃の握り方とかは当然教わったんだよね?』

 

「はい」

 

 陽子はスマートフォンを自分へと向けた。

 

『なるほど……たぶん、原因はトリガー・プルと、反動だろうね』

 

「反動は分かりますけど、トリガー・プル?」

 

『ああ。トリガーを引き絞るときの指の力が、適性じゃないんだと思う。無駄に力みすぎているか、それとも怖々やって弱すぎるか。トリガーにはね、適切な力を、適切な向きから、適切な速度で加えてやらないと、銃が手の中で動いてしまう。ほんの一ミリの傾きが、十メートル先のターゲットを狙う際には、十センチの誤差につながってしまうんだ。

 

 しかも、最近の拳銃はダブル・アクション・トリガーといって、トリガーの動きだけで発射から次弾装填までを行える機構が組み込まれていることが多い。でも、ダブル・アクション式は、トリガー・プルまでの距離が構造上どうしても長くなってしまうんだ」

 

 古いタイプの拳銃は、親指でハンマーを起こすと同時に機関部に次の銃弾を装填し、トリガーを引いて発射するシングル・アクション機構を採用している物が多い。次弾装填の手間が一工程多い分、速射性ではダブル・アクション式に劣るが、命中精度では一般にこちらの機構の方が有利とされる。トリガー・プルの距離が短いため、引き金を引き絞りやすいのだ。手の中で暴れ出す余地が少ないため、安定した射撃をしやすい。

 

『あと、M85はグリップが細くて握りやすいから、かえってトリガー・プルが難しかったりするね』

 

「そうなんですか?」

 

『うん。拳銃を握るときはさ、人差し指が、こう、弓なりにカーブを描きながら、指の腹だけがトリガーに引っかかっている、っていうのが理想なんだ。そういう状態じゃないと、指の力が上手くトリガーに伝わらないばかりか、右方向に余分な力が加わって、銃が動いてしまうんだよ』

 

 陽子は実際にベレッタを握り、人差し指の状態を確認した。指は弓なりにはなっておらず、拳銃のフレームに、ぴたり、と接してしまっている。これでは、トリガーを引っ張るのは指の腹ではなく第二関節だ。弾が装填されていないことを確認した上で、ドライファイア。案の定、横方向に余計な力がかかっていた。

 

 陽子はさらに空撃ちを繰り返した。トリガー・プルの練習だ。トリガーをどれだけ引き絞ればハンマーが落ちるか。そのタイミングの感覚を、掌にすり込む。スムーズに引き絞れるようになるまで、何度も、何度も繰り返した。

 

『あとは反動だね。こいつとどう付き合うかが、銃を扱うときの鍵になる』

 

 重要なのは、力づくで無理に制御しようとしないことだ。あくまで自然体で受け流す技術を身につけねばならない。

 

『というわけで、銃を替えて撃ってみよう』

 

 何が、というわけで、なのか、いまいちピンとこないが、陽子は言われるままベレッタをテーブルに置き、今度はウッズマンを手に取った。優美なシルエットのM85とは打って変わって、前時代的で、無骨なデザインをしている。斜めに傾いたグリップ。肉厚で四角い箱のような銃身。スライドは短く、バレルをカバーしていない。百年以上も昔の哲学による設計だ。

 

 先ほど、インストラクターのお姉さんが教えてくれたことを思い出しながら、銃の状態を確認する。安全と認めた後は、マガジンにピーナッツのような二二口径弾を詰めていった。スプリングの抵抗は、九ミリ・ショート弾のときほど感じない。

 

 陽子の準備を見守りながら、桜坂は説明を続けた。

 

『九ミリ・ショート弾の弾頭質量は約六グラム。M85で発射した場合の銃口初速は、秒速三〇〇メートルってところだ。発射直後のパワーは、二七・六キログラム重。当然、反作用である反動も同じぐらいの力になる』

 

 精確には、スライドの後退速度やマズル・ブレーキなどの反動抑制装置があるため、このパワーのすべてが反作用として襲ってくるわけではないが。

 

『M85の銃身長は十センチもない。秒速ゼロメートルの状態にある銃弾が、銃口を出るときには秒速三百メートルになっているということは、加速度は単純計算で四六〇キロメートル毎秒毎秒オーバー。機関部から銃口までの移動に要する時間は、一万分の六・五秒程度に過ぎない。二七・六キログラム重のパワーがそんな短時間に集中した場合、反動の力は瞬間的に四二トンにもなるんだ』

 

 M85の本体重量は六二〇グラム。銃の重さだけでは、それだけのパワーを殺しきるのは難しい。シューター自身が、技術をもって受け流さねば、銃弾は明後日の方向へと突き進んでしまう。

 

 翻って、ウッズマンの場合は、

 

『二二口径弾の質量は二・六グラム。銃口初速は秒速三七〇メートル。発射直後のパワーは、およそ一八・二キログラム重。ぱっと見た感じ、そのウッズマンはバレルが六インチのモデルだね。ということは、銃弾が通過するまでの時間は一万分の八・二秒。反動の威力は、瞬間最大でも二二・一トンにとどまる』

 

 加えて、ウッズマンの重量は一〇二〇グラム。M85に比べれば、反動の吸収率は高い。

 

 陽子はマガジンに十発をフル・ロードすると、スライドを引っ張った。重い。いかにも鉄の塊、といった印象だ。この重さが、反動を軽減してくれるのか。ウッズマンを両手で支え、真っ直ぐ構えた。

 

『ウッズマンの反動は小さい。驚くほど小さい。だから、当たる。いいかい、陽子ちゃん。きみの腕が当てるんじゃない。ウッズマンが当ててくれるんだ。トリガーに指を置いたら、静かに、ゆっくり引いてみるんだ』

 

 トリガーを引き絞った。コトリ、と手首が僅かに震える。パアン、と乾いた銃声が鳴り響き、マン・ターゲットの九点ゾーンを、ぽつ、と撃ち抜く。

 

 陽子は目を丸くして、小さな桜坂を見た。

 

『ね? 当たるでしょ? ウッズマンは、当たるのよ』

 

 残りの九発を、ゆっくりと撃った。九点、九点、八点、九点、九点、十点、十点……。無心に撃ち続けた。スライドがストップし、弾切れを知らせる。マガジンを抜き、また二二口径弾を十発ロードした。夢中だった。すっかり、射撃の魅力の虜となっていた。楽しい。楽しい! あれほど嫌われていた高得点ゾーンに、弾の方が吸い込まれるように当たる、当たる、当たる……。

 

「桜坂さん! ウッズマン、最高ですね!」

 

『お、おう』

 

 満面の笑みを浮かべる陽子に、桜坂は驚いた表情で頷き返した。こいつはちょっと、意外な展開だ。まさかこんなに夢中になってしまうとは……。鬼頭に何と言おう?

 

 自身もまた射撃の楽しさを知る桜坂は、しかし年頃の娘の趣味としてはどうなのか? と思い悩み、複雑な心持ちで苦笑した。

 

 やがて二本目のマガジンを撃ち終えたところで、桜坂は彼女に言った。

 

『今日の射撃訓練でいちばん伝えたかったことが、反動の影響についてだった。反動をちゃんと制御出来ているときと、そうでないときとでは、命中精度に格段の差が生じてしまうのは、これで分かっただろう?』

 

「はい」

 

『反動への対処は、火薬を使っている銃であれば絶対に避けては通れない問題だ。勿論、ISにはパワーアシスト機構や照準補正装置なんかがあるから、ある程度は無視することも出来るだろう。でもそれは、反動そのものがなくなったわけじゃない。

 

 相手は代表候補生だ。照準の自動補正機能なんかのクセを踏まえた上で、防御行動に取ってくるだろう。そんな試合巧者に射撃を命中させるには、陽子ちゃん自身のスキル・アップが必要だ』

 

「そして、目下いちばんの課題が反動の制御、ってことですね?」

 

『その通り』

 

 最初に九ミリ口径を撃たせ、次いで二二口径を持たせたのも、反動の強さを印象づけるためだった。

 

 陽子は最高の相棒コルト・ウッズマンをテーブルに置いた。寂しげにたたずむM85を再び手に取り、シルエットを眺める。ベレッタ社の拳銃に特有の、上部を大胆にカットしたスライドが目にとまった。クローズの状態でさえ、バレルがかなりの面積露出している。

 

 スライドを引っ張った。ウッズマンのときと比べて、手応えが軽い。この軽いスライドの前後運動だけでは、九ミリ・ショート弾の反動は相殺しきれまい。次いで、トリガーに注目する。二種類の拳銃を撃ち比べた後だからそこ分かる、ウッズマンとの違いを発見した。トリガー・プルの距離が、ベレッタの方が圧倒的に長い。ウッズマンの細い爪状トリガーは初期位置でさえ後ろに下がっているのに、ベレッタの方は前へと突き出している。

 

 実用拳銃たるM85と、競技用ピストルとしての性質を持つウッズマンとの差だった。実用拳銃であるM85は、必要なときにすぐ撃てる速射性と、容易には弾が発射されない安全性の両方が求められる。その結果が、長いトリガー・プルだ。他方、ウッズマンはスポーツ競技向けの拳銃。射撃の精度を高めるために、トリガー・プルは短く設計されている。

 

 握りやすすぎるグリップに、長いトリガー・プル。そして鋭い反動。

 

 これらのことを念頭に、陽子はみたびM85のマガジンに九ミリ・ショート弾を八発装填した。グリップに叩き込み、スライドを引く。カシャン、と小気味の良い音。やはり、スライドは軽い。

 

 グリップの握る指の力を、ほんの少しだけ緩めた。人差し指の腹が、鋭くフックしたトリガーを真っ直ぐ捉える。握り方を変えたことで生じた違和感は、左手を補助とすることで埋めた。

 

 標的に狙いを定める。ウッズマンのときと同様、ゆっくりと、トリガー・プルの感触を意識しながら、人差し指に力を篭めた。ある場所で、突然、ハンマーが落ちた。この場所か。そう思ったときには、手首を鋭い反動が殴打した。着弾は八点ゾーン。

 

 もう一度、引き金を引き絞る。やはり同じ場所で、ハンマーが落ちた。間違いない。ここだ。この位置だ。次からはこの位置まで引っ張ったら、反動に備えればよい。

 

『二七・六キログラム重ものパワーだ。力で押さえ込もうとしても、無駄だ。自然体で受け流すんだ』

 

 グリップから手首へ。手首から肘へ。肘から肩へ。伝導する反動のエネルギーを素直に受け入れ、流す。無理に押さえ込んだり、逆らおうとしたりしない。

 

 トリガーを引き絞る。

 

 来る。

 

 襲いくるノック・バックを、受け止める。

 

 あらかじめ、そう、と気構えてさえいれば、九ミリ・ショート弾の反動は、さほど強烈とは感じなかった。

 

 パン、という火薬の嘶き。

 

 十点圏のやや右側に命中。

 

 手元に目線を戻せば、M85は長年の親友面をして、手の中に収まっていた。

 

『お見事』

 

 桜坂の賞賛に、陽子は照れくさそうに笑った。

 

「ありがとうございます」

 

『あと、そっちのお嬢さんにもお礼言っときな。さっきから、ずうっと心配そうに見つめていたよ』

 

「え?」

 

 スマートフォンに映じる桜坂は、陽子の背後を示した。

 

 銃をテーブルに置き、振り返って、驚いた。

 

 思わぬ人物の姿に、息を呑む。

 

 イヤー・プロテクターをしていたせいで、その存在にまったく気がつかなかった。

 

「お見事ですわ」

 

 ブロンドの髪が美しいセシリアが、上品な微笑みを浮かべながら拍手をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Chapter7「タスクフォース」 了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時計の針を、少しだけ巻き戻す。

 

 

 

 

 

 IS学園で入学式があった日の翌日の午前七時。

 

 始業二時間前に名古屋市名東区のアローズ製作所本社ビルに到着した桜坂は、三階のパワードスーツ開発室へと真っ直ぐ向かうと、早速、書類仕事を開始した。前日の時点で今日やるつもりでいた案件から順に目を通していき、物凄い速さで処理していく。室長という役職のいちばんの仕事はチームのマネジメントだ。いつどんな要請があってもすぐに行動をとれるよう、なるべく身軽でいたい意図から、彼はほとんど毎朝この時間に出社し、片付けられる仕事を処理していた。

 

 やがて始業の一時間ほど前に桐野美久がやって来たのを皮切りに、他のメンバーも、ぽつぽつ、とやって来た。

 

 出社した彼らは、本日の業務をスムーズに始められるよう準備を進めるかたわら、昨日の野球の試合はどうだったか、とか、三日前に不正献金が発覚した大物政治家の今後はどうなるだろうか、など、世間話に花を咲かせていた。その間も、桜坂は黙々と紙面と対峙していた。人懐っこい性格の室長が会話に参加してこないなんて珍しいな、とほとんどの者が不思議がった。例外は美久と開発室最年長の酒井、そして先日ロードスターを買ったというトムだ。この三人は、仕事に没頭する室長の横顔に、痛ましげな眼差しを向けていた。

 

 そして、始業の五分前になって、最後の一人……滑川技師がやって来た。

 

 このとき、すでに出社していた十一人のうち、桜坂と先述の三人を除いた七人は、またも揃って怪訝な表情を浮かべた。

 

 いつもは十五分前には出社している滑川なのに。今日は珍しいことだらけだな。しかし、滑川技師の右手へと目線を向けた途端、彼らの表情は一様に硬化した。滑川の右手は、包帯でぐるぐる巻きになっていた。

 

 滑川がやって来たのを見て、桜坂はようやく目線を書類からはずした。

 

「滑川さん、怪我の具合はどうです?」

 

「桜坂室長、昨晩はご心配をおかけしました。まだヒリヒリとした痛みがありますが、薬を飲めば耐えられないほどではありません」

 

「あまり無理はしないでくださいね。不味いな、とか、これじゃあ仕事にならない、と思った時点で、早退していただいて結構ですので」

 

 桜坂は滑川にいたわりの言葉をかけると、室内にいる十一人全員を見回した。

 

「始業まであと三分ありますが、少し早めに、朝礼を始めたいと思います。滑川さんの右手のことで、みなさんにお伝えせねばならないことがあるので」

 

 その言葉に、開発室の精鋭たちは桜坂のもとへと集まった。すでに事情をある程度聞かされているらしい美久、酒井、トムの三人は、滑川の身体を気遣う言葉を口にする。

 

「いったい、何があったんですか?」

 

 口を開いたのは、勤続十年目の中堅社員、安藤裕太だった。パワードスーツ開発室では主に、アクチュエータ部分を担当している。

 

 質問を投げかけた安藤は、しかし、すぐに自身の発言を後悔した。うむ、と頷いた桜坂が、とても恐い表情を浮かべていたためだ。仁王の顔つきが、怒りで歪んでいた。

 

「昨晩のことです。会社からの帰宅中に、滑川さんが襲われました。犯人は女性で、道を訊ねるふりをして近づき、液体を引っかけてきたそうです」

 

 液体は酸性の薬品だった。咄嗟に右腕で顔をかばったおかげで最悪の事態は免れたが、盾とした腕は広範囲にわたって火傷を負ってしまったのだという。

 

 酸性の薬品と聞かされて、安藤は思わず胴震いした。もしもその液体が目に入っていたら……。彼ら技術者にとって、視覚を失うことは死刑宣告に等しい。そうならなくてよかった、という安堵。自分が滑川の立場だったら、という恐怖。そして犯人への怒りで、安藤の表情は複雑に歪んだ。

 

「それで、その女は?」

 

「一応、捕まりました。犯人の女は、薬品をかけるとすぐにその場から逃走。滑川さんは痛みに苦しみながらも警察に連絡をしました。警察官二人が現場に向かう途中で、近く公園の水道で薬瓶を洗っている不審な女を発見。職務質問をかけたところ、滑川さんを襲った犯人と判り、現行犯逮捕となりました」

 

 桜坂はそこで一旦言葉を区切った。

 

「問題は、この後です。取り調べを進めているうちに、この女と滑川さんの間には何の接点がないことが判明しました」

 

「それは、どういう意味です?」

 

「つまり、滑川さんを襲う動機がない、ということです。そのあたりの事情について、彼女はこう語ったそうです」

 

 アローズ製作所の社員であれば誰でもよかった。たまたまあの男が一人で人通りの少ない道を使っていたから襲った。鬼頭智之を雇っている会社に、世の女たちがどれほどの怒りを抱えているのか、教えてやりたくてやった。鬼頭智之は悪魔のような男だ。あんな男が、いや、そもそも男の分際でISを動かせるなんて許せない。

 

「…………」

 

 唖然。そして、絶句。安藤だけでなく、他のみなも等しく同様の反応を示した。

 

 なんだ、その理由は?

 

 なんなのだ、それは!?

 

「……つ、つまり、こういうことですか? 犯人の女は女尊男卑主義者で、男の身でありながらISを動かせる鬼頭主任のことが気に喰わなかった。だから、その勤め先の社員に、八つ当たりをした、と?」

 

「あとは、昨日発売した『週刊ゲンダイ』の内容についても言及していたそうです。ほら、あの、鬼頭が前の奥さんにDVをはたらいていた、って記事。あれで義憤にかられたそうです」

 

 言葉遣いこそ慇懃だが、その口調は怒りの感情に満ち満ちている。

 

 親友のことを悪し様に言われたばかりか、そんなくだらない理由で部下を傷つけられたのだ。仁王様の怒りは爆発寸前だった。

 

 しかし、桜坂は怒りを堪えた。一度深呼吸をし、悄然とした面持ちで、自分が選んだライト・スタッフの顔を見回した。

 

「……こんなことになってしまって、みなさんには申し訳なく思います。まさかそんなくだらない理由で傷害事件を起こすような人間が現われるなんて、想像すらしていませんでした。私の思慮が足らなかった。申し訳ありませんでした!」

 

 桜坂は深々と腰を折った。

 

「以前、鬼頭に開発室への残留を願ったときにも言いましたが、この事件を受けて、改めてチームから抜けたいと思った方は、いまこの場ででも、後からでも構いません。教えてください。異動先の部署、あるいは再就職先については、ご心配なく。私の進退を懸けて、みなさんの望む好条件を達成してみせます。……ですが!」

 

 仁王の大振りな瞳が、闘争心の焔で燃えていた。

 

 彼は炯々と燃え盛る眼光でみなを見つめ、切々と訴えかけた。

 

「もしも、もしも! 熟慮の末に、このチームに、そしてアローズ製作所にいていただけるのであれば! 今度は……、今度こそ! みなさんを守ってみせます! この私の、全戦闘力を駆使して、あらゆる敵を排除してみせる!」

 

 女については、いまだ不可解な点がある。すなわち、薬品の入手ルートだ。

 

 警察から聞き出したところ、女の現在の職業はスーパーの店員。過去にそうした危険物を取り扱った経験や、専門知識を学んだ経歴はないという。そんな人間が、どうやって薬品を入手したのか。

 

 ――誰かいるに違いない。女に薬品を渡した、誰かが……!

 

 あらゆる敵を排除すると、心に定めた。

 

 パワードスーツ開発室のみなはもとより、アローズ製作所に勤める全社員、彼らの家族、鬼頭の親類、友人、知人……そのすべてを守るために。

 

 彼らに害意を向けるすべての存在を敵と見定め、排除すると決めた。

 

 さしあたって叩き潰さねばならないのは、今回の犯人の女と、それに連座する誰かだ。女の方はすでに逮捕されているが、女尊男卑の思想が蔓延する現代社会において、司法制度がアテにならないことは親友の件でさんざん思い知らされた。いつ釈放されるか、という態度でいるべきだろ。

 

 ――もう二度と同様の事件が起こらぬよう、見せしめもかねて、徹底的に、叩き潰さねば!

 

 強い決意の炎を胸の内に灯しながら、桜坂は改めて本日の業務について連絡事項を口にし始めた。

 

 

 

 

 

 ……結局、チームからも会社からも、離脱者は一人として現われなかった。

 

 

 

 

 




反動計算について指摘できる方がおられたら、ご教示いただけるとありがたいです。

私、基本的には文系人なもので。

以下、今回やった反動計算のやり方。


① 銃弾のマズル・エネルギーを求め、9.8で割って、単位をkgfにする

② 銃身長、銃口初速から等速加速度を求める

③ ②で求めた等速加速度を使って、銃弾が銃身内を通過するのに要した時間を求める

④ ①で求めたkgfを、③で求めた時間で割る。瞬間最大時の力が求められる


……自分で書いておいてなんだけど、コレジャナイ感がすごい。

ちなみに、最初はWikipediaの自由反動の項目に載っている公式を使おうかとも思ったけど、発射薬の質量と燃焼速度のデータが手に入らなかったので断念。



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