マタ・ハリが開演の挨拶を終えるのを見計らったロビンフッドの手が、どこを伝って伸びているのかもわからない紐を引いた。
それと同時に公会堂内の灯りが一斉に消え、一瞬パニックに陥りかけた観客達は必然的に、意識と目線を唯一残されていた光源へと、舞台上に張られた巨大な白布へと集中させる。
裏側から煌々と照らされ、まるで自ら光を放っているかのようにさえ見えるそこには、灯りがある間は気付けずにいた人影が立っていた。
観客達のざわめきが収まらないのは、急に灯りを消された驚きを引きずっているからだけではなく、その異様な『人影』に対して戸惑っているからでもあって。
「……あれって。
もしかして、お人形?」
あまりの驚きを心の中で収めきれずに、思わずポロリと零してしまったアビゲイルの一言が、正しくその通り。
後頭部に垂れ下がったとんがり帽子と長い耳、手には剣を携えた影の特徴は、アビゲイルも友達も皆知っている、伝説の勇者様のものに他ならないのだけれど。
二つか三つ重ねれば全体と同じになってしまうくらいに頭が大きくて、手や足は短くて、そもそもそれ自体の大きさがアビゲイルの小さな腕に抱き込めてしまえそうなくらいで。
そんな、後の世の言葉を使用するのならば味のある具合にデフォルメされた輪郭の影が、持ち手らしい細く長い影の先を、白布の下側1/3程を占めている巨大な影の中に隠しながら、ゆらゆらと左右に揺れていた。
観客達の戸惑いと収まりきらないざわめきを他所に、何事もないかのように堂々としたマタ・ハリのナレーションが、公会堂内の暗闇に響く。
「『時のオカリナ』の物語にて、未来の世界で魔王ガノンドロフを倒し、元の時代へと帰ってきた『時の勇者』リンクは、ゼルダ姫に別れを告げて新たな旅に出ました。
時をも越えてしまう大変な旅と戦いの間、ずっと傍にいてくれた大切な友達……妖精ナビィを捜す為に」
その言葉と共に、少年の小柄な影の傍らに、もっと小さな影が現れた。
球のような丸い体に、虫のような四枚の羽を生やし、大きく動かされる細長い影に合わせて少年の周りをひらひらと動き回っていたそれは、不意に彼のもとを離れ、何処とも知れず飛んでいってしまって。
微動だにしなくなってしまった影は、ずっと一緒だと信じていた友達が急にいなくなってしまった少年が、呆然と立ち尽くしてしまっているさまを思わせる。
少年はどれだけ驚き、そして寂しく悲しかったことか。
他人事とは思えなかったアビゲイルは、自身の胸に鋭い痛みが走ったのを感じた。
しかしそれは、ほんの一瞬のことだった。
彩りは白と黒の二色のみ、役者は表情や仕草の変化が人と比べると圧倒的に乏しい人形という、発想と工夫に驚かされはしたものの、慣れてしまえば子供騙しの単調なもののように思えてしまう舞台に突如現れた驚きの変化が、アビゲイルの中にあった憂いを瞬く間に吹き飛ばしてしまったから。
少年の影と、彼の傍らに現れた馬の影を覆いつくそうとするかのような勢いで、瞬く間に乱立した巨木の影。
瞬きの間に、殺風景だった白黒の舞台は、深い森の奥へと変わってしまった。
(凄い……団長さん達ったら、いつの間にあんな仕掛けを用意していたのかしら!!)
次は何を見せてくれるのか、どうやって驚かせてくれるのか。
楽しみで仕方がないアビゲイルは、まだ冒頭もいいところだというのに、すっかり舞台に魅せられている。
そんなアビゲイルの表情をこっそりと盗み見た立香は、自身の思惑が上手くいった喜びに拳を握り、噛み締めきれなかったその口からは僅かな声が零れ出た。
(人によっては子供向けなんて思うかもしれないし、実際幼稚園とか小学校の発表会なんかでよくやってる奴だけど。
それそのものは立派な表現の一環なんだから、こうやって工夫しながらガチでやってみれば、それなりのものが出来るんだ)
立香が最初に考えたのは、彼自身も幼いころに学校の授業の一環で制作・披露したことがある、『ペープサート』という技法だった。
絵を描いた紙、もしくは切り貼り折りして作った紙人形に持ち手をつけ、揺らしたり回したり、絵柄を変えた表裏をひっくり返したりしながら演じる、いわゆる『紙人形劇』のことである。
これならば、人の役者が衣装や小物を変えて無理に演じ分けるよりも、より本格的に登場人物を増やすことが出来る。
そこまで考えたところで、上演まで一日も無いという猶予の無さが、思考の進みに歯止めをかけた。
たとえ十分な時間があったとしても、舞台で観客を本格的に魅せられるような人形を作るのは、仕事や趣味で常日頃から親しんでいるような者でもなければ難しい。
なので立香は、ペープサートはあくまで手法に留め、表現としては別のものを用いることにした。
それもまた、幼稚園や小学校でお馴染みの『影画』である。
影として映し出すことが前提ならば、人形は輪郭さえあればいい。
生憎と紙は貴重品だったので、板切れや何か使えそうなものをかき集め、色も塗っていなければ顔も作っていないガラクタ同然の人形を、それでも形だけは何とかなったものを、必要な分だけ用意することが出来た。
更に言えばこの技法なら、背景や演出に特別な効果を加えることも出来る。
今行なわれた、巨大な木々の影を一瞬で映してみせたのもそのひとつ。
あれはそのサイズの書き割りをわざわざ用意したのではなく、それ自体はもっと小さなものを光源に近い位置に差し込んだことで、スクリーンとの間に存在していた距離が影を大きくさせたのだ。
そして今、白布を張った即席のスクリーンには、登場人物ではなく背景の影を動かすことで、深い森の中を馬に乗った少年が進むシーンが演出されている。
しかし、現実的によくよく考えてみれば、いくら影画が工夫次第で様々な表現が可能な技法だとしても、規模が小さな立香一座で、役者を兼ねながらそういうところにまで余さず気を配るのは流石に難しい筈。
そんな疑問の答えは、スクリーンの下側を埋める大きな影の正体、人形の繰り手が潜む為のスペースとして設置された板張りの裏に身を隠しながら、人形を操ることに集中している団員達の背後で、こちらはこちらで背景の演出とその他の雑事に勤しんでいる、愛らしい獣のような姿をした精霊達であった。
立香はそれを、『物語を紡ぐ』という一点においては他に並ぶ者の居ない新顔のキャスターが紡いだキャラクター達であり、戦闘は無理でも劇の裏方くらいならば十分可能だと餞別に渡してくれたものだと説明して、皆はそれで納得したのだけれど。
唯一サンソンだけは、精霊達の主があの死に対して常に怯えている美女ではなく、改めてサーヴァント契約を結んだ早々に頼りにされまくって、『特別ボーナス請求させて下さぁ~い!』と泣き言を上げていた女王であることを知っていた。
兎にも角にも、『使えるものは何であろうととことん使う』という宣言の通り、手段も人手も出来る限りのことと物を費やしながら、どうにか上演まで漕ぎ着けることが出来た。
サンソン曰く、舞台の演目が変わったのは、方針の最終決定権を持っている自分がこちら側になった今回が初めてのことらしい。
この分岐が何を変えるのか、何が変わるのかは、まだ分からない。
今はただ、この劇を少しでも良いものにすることだけを考えようと、立香は改めて意識を切り替えた。
「愛馬エポナと共に、山を越え、川を渡り……ある時勇者リンクは、何百何千年の時を生きてきたとも知れない、巨木の森の中を進んでいました。
そんなリンクの様子を、少し離れたところの物陰から窺う者達がいます。
それは、リンクの友達であるナビィと同じ、小さな丸い体に羽を持った二体の妖精でした」
不穏な気配を感じたのか、エポナの歩みを止めさせ、辺りの様子を窺いだしたリンク。
二体の妖精はそんな彼の視線が逸れた隙をつき、無防備だったエポナの鼻面に、いきなりの体当たりを食らわせた。
嘶きと共に前脚を跳ね上げさせた愛馬の背から、少年の影が敢え無く転がり落ちる。
地面に落ちたまま動かなくなってしまったリンクと、その周囲を飛ぶ妖精達の下に、不気味な仮面を身につけた何者かが甲高い笑い声を上げながら現れた。
「『ヒヒッ、おまえたち上手くやったな!
なにかいいモノ持ってそうか?』」
「彼の名はスタルキッド、悪戯好きな森の小鬼です。
妖精達はそんな彼の友達で、チャットとトレイルといいました。
彼らは、この森を通りかかった者を襲っては、持ち物の中でも特に大切そうなものを奪って困らせるという、性質の悪い悪戯を繰り返していたのです」
ナレーターを務めるマタ・ハリの少々呆れた声色にも構うことなく、リンクの荷物を探ったスタルキッドは、特に大切にしまい込まれていたものを見つけ出した。
期待以上のお宝を見つけて上機嫌な笑い声をあげるスタルキッドに、妖精の片割れが恐る恐る声をかける。
「『き、キレイなオカリナ……ねえスタルキッド、ボクにもさわらせて』」
「『トレイル、お前はダメ、危ない!
落としてケガでもしたらどうする!』」
「『で、でもねえさん、ボクもさわりたい……』」
気が弱いながらも一生懸命に主張する弟と、少々過保護なことを言う姉のチャット、そんな姉弟のやり取りにも構わず戦利品を手に笑い続けるスタルキッド。
それぞれ夢中になっていた彼らは、自分達のせいで落馬した少年が目を覚まし、呻き声をあげながら身を起こしたことにすぐには気がつかなかった。
ほんの僅かな時間とはいえ気を失ってしまっていたリンクは、目が覚めるや否や飛び込んできた光景に目を剥いた。
スタルキッドが彼から奪ったのは、ゼルダ姫から別れ際に託された、時をも操る力を持ったハイラル王国の秘宝。
かつての戦いでも幾度となく助けられた『時のオカリナ』が、怪しい者達の手中にあるという非常事態が起こってしまっている。
鋭い目つきで見据えてくるリンクの存在に数秒遅れて気付き、竦み上がる妖精達と、オカリナを慌てて後ろ手に隠すスタルキッド。
ここで大人しく返していたのならば、その後の騒動の全ては起こらなかったのかもしれないけれど。
……生憎と、そんなことにはならなかった。
スタルキッドはオカリナを返すどころか、先程いきなり驚かされた衝撃を未だ引き摺ってしまっていたエポナの背に一息で飛び乗り、本格的にパニックに陥った彼女ごと一目散に走り出してしまったのだから。
咄嗟にしがみついたリンクを半ば引き摺り、振り回しながら走る彼らの背後で、森の木々の影が凄まじい勢いで通り過ぎていく。
映像を利用した演出によって作り出された効果は、実際に馬が全力で駆けているかのようなスピード感と迫力を、人が普通に演じるのでは到底出せないものを見事に作り出していた。
アクション映画を見ているような心地で息を呑んでいた、アビゲイルとラヴィニアの前で、ついに振り落とされてしまったリンクがの体が痛々しく地を転がる。
しかし彼は、大切な愛馬と姫から託されたオカリナを取り戻す為、ほんの一瞬たりとも止まることなく走り出し、スタルキッド達を追って深い森の更に奥深くへと入り込み……自身の体よりもずっと大きな木のうろに飛び込んだ次の瞬間、真下に広がっていた穴の底へと真っ逆さまに落ちていった。
「『なんだあのバカ馬は、ぜんぜん言うことを聞かないなあ。
あんなの乗ってても仕方がないから捨てといてやったよ、ヒヒッ。
……なんだ、その顔は。
せっかく遊んでやろうと思ったのに……今のオイラに勝てると思っているのか、バカなやつめ!』」
誇り高くて、人見知りが激しくて、自分が認めた者以外を乗せることを嫌がるエポナを、無理に乗り回しておきながら。
スタルキッドの言い草に心底腹を立て、その怒りを躊躇うことなく表したリンクは、しかし次の瞬間、異様な力の存在を感じて背筋を竦み上がらせた。
スタルキッドは悪気はなくとも性質が悪く、本人はあくまで遊びのつもりで、森に迷い込んだ人間を更に迷わせて翻弄するなどの、された方からすれば冗談にならないようなことをするけれど。
こんなおぞましい力を揮えるような、そんな強大で恐ろしい存在では、到底なかった筈なのに。
巨大な両目を光らせる、不気味な仮面をカタカタと鳴らしながら、スタルキッドはその『力』をリンクへと向けて容赦なく放った。
それはもしかしたら、実際にはほんの一瞬のことだったのかもしれない。
永遠にも感じられたかつて無い程の恐怖の時間、『悪夢』と称するに相応しいような光景を潜り抜けたリンクは、呆然としながら水鏡を覗き込み、その中に……慣れ親しんだ自分のものとは似ても似つかない、植物の根や幹のような体を持った『デクナッツ』という種族の姿を見た。
「『さっきのことは謝る、だから一緒に連れて行って!
キミだって、スタルキッドのことは知りたい筈。
わたし、アイツの行きそうな場所に、心当たりがある。
お願い……弟、トレイル、一人にさせておくの心配』」
呪いによって変化させられた体で、尚も諦めずにスタルキッドを追いかけるリンクを足止めしようとした結果、友である筈の存在を顧みようともしなかったスタルキッドに置いて行かれてしまった、妖精姉弟の姉チャット。
こんな目に遭うきっかけを作った、当の本人の筈なのに。
その勝手な言い草に対して自分は怒ってもいい筈、提案なんか跳ね除けてもいい筈だと、リンクは思っていたのだけれど。
勢いで押し切られ、呆れて溜め息をつきながらも、最終的にリンクは彼女の同行を受け入れた。
居場所の心当たりとやらに、案内をさせる為ではなく。
スタルキッドと共に性質の悪い悪戯をしたとしても、弟の身を一心に案じる優しさを持った……親友ナビィによく似た妖精を嫌いになること、拒み切ることは難しかったから。
動かし方、扱い方の段階からよく分からないデクナッツの体を何とか駆使し、チャットに案内されながらスタルキッドを追ってひたすらに進んだリンクは、世界そのものが変わってしまったかのような異様な光景と感覚を経て、明らかな人工の施設内へと辿り着いた。
石造りの床には苔が、壁には蔦が大量に這っていて、造られてから相当な時間が経っている場所であることが窺える。
水路を流れる水が回す巨大な水車、その真横を通るスロープを登り切った先に見えた大扉。
それを何とか開けようと、元から小柄だったのにそれ以上に小さくなってしまった体で手と爪先を伸ばそうとした、その時だった。
「『大変な目にあいましたねえ……』」
胡散臭いこと極まりない声を突如背後からかけられて、チャットと共に軽く跳び上がってしまったのは。
『幸せのお面屋』を名乗ったそいつは、正しくお面を張り付けたかのような笑みを浮かべる、仕草から言動まで何もかもが胡散臭い男だった。
大切なお面を盗まれて困っていたところにリンクの姿を見かけ、ここまで後をつけてきたという言い分からして既におかしい。
今の今までそんな気配は無かったし……ここまでの道のりは、一介の行商人が思い付きで付いて来られるようなものでは到底なかったのだから。
しかし、男が次に口にした言葉は、途方に暮れてしまっていた今のリンクにとっては、紛れもない光明だった。
「『実はワタクシ、アナタを元の姿に戻す方法を知っているのです。
アナタが盗まれた大切なもの、それさえあれば元の姿に戻してあげますよ。
その代わり……ついでにあの小鬼から、ワタクシの大切な仮面を取り返してもらえませんか?』」
お面屋が現れて以来、チャットの様子があからさまにおかしくなったことには、一応気付いていたのだけれど。
敢えて何も言わないまま、リンクはお面屋との約束を取り付けた。
大扉を開けた先に広がっていたのは、昇り始めたばかりの朝日に照らされる町並みだった。
自分達が通り抜けてきた場所が、その町の中央に位置する巨大な時計塔の機関部であったという事実を噛みしめる間もなく、リンクとチャットは大急ぎで駆け出した。
不気味なお面屋から、この地に滞在が可能なのはたったの三日間だという、見知らぬ地を慣れない姿で訪れる羽目になった身には少々厳しい時間制限をかけられてしまったからである。
チャットの言う心当たりとは、スタルキッドの居場所や行き先を正確に把握しているという訳ではなく、悪戯者のスタルキッドの頭が上がらない数少ない存在、チャットやトレイルの上位存在にあたる『大妖精』の下を訪ねて情報を得るということだった。
しかし、そう提案をしたチャット自身が、町のどこかにはある筈だという大妖精の泉の正確な場所を知らなくて。
ならばと情報収集をしようとしたのだけれど、生憎と今のリンクはデクナッツ。
人間以外の様々な種族も含めて、各地から大勢の人が集まってくる恒例のカーニバルの開催を間近に控えているのと、デクナッツという種族の特徴で商売人として各地を訪れる者が多いという理由から、異種族だからと変に怪しまれるような事態には幸いにもならなかったのだけれど。
むしろ、親の仕事についてきたら逸れてしまった迷子のデクナッツと思われて、保護しようとしてくれた親切な人達の下から逃げ出す羽目になり。
そうして、限られた三日間の貴重な一日目は、慣れない町の中を慣れない体で、ひたすら走り回って終わってしまったのだった。
しかしそれは、全くの無駄足とはならなかった。
今居るこの町、『クロックタウン』の全体像と道筋に関して、ある程度把握出来たのと。
スタルキッドに……その人に対してだけは頭が上がらなかった筈、性質の悪い悪戯をするのが精々の小鬼でしかなかった筈の者によって粉々に砕かれてしまった、大妖精の一部を見つけることが出来たから。
二日目……流石にまずいと、今のスタルキッドは何かがおかしいと、本格的に危機感を覚え始めたチャットと共に、リンクは昨日に続いてクロックタウンの町並みを駆けていた。
しかしそれは、昨日のような当てもなく逃げ惑うものではなく、確かな目的を見据えてのもの。
その場で漂うことしか出来ない程に、小さく弱々しい姿と化してしまっていた大妖精。
彼女を連れて、町の北側に位置する郊外の泉へと急いだリンクとチャットは、飛び散ってしまった欠片の全てを揃えて無事に元の姿と力を取り戻すことが出来た大妖精から、スタルキッドを捜す為の助言を貰った。
町の外の小高い丘に建っている天文観測所、そこに居る者ならばスタルキッドの居場所を知っている筈、と。
すぐさま向かおうとしたのだけれど、町の四方に配置された門番は皆善良かつ真面目な人達で、人間だろうが異種族だろうが関係なく、身を護るすべを持たない子供を一人で町の外に出す訳にはいかないと、断固として立ちはだかられてしまった。
そんな状況を打破するきっかけとなったのは、町の子供達だった。
天文観測所をアジトにして遊んでいる彼らは、門を使わない秘密の通路の存在を知っていたのだ。
町中を使い、ほぼ丸一日を費やして盛大に行われた鬼ごっことかくれんぼの末に、満場一致でリンクのことを認めた彼らは、地下通路を通る為の暗号を快く教えてくれた。
これでスタルキッドを捜せる、ぐずぐずしないで早く行こうと急かすチャットの声は、途中から認識出来なかった。
大切な愛馬の行方は未だ知れず、この体と状況では捜しにも行けず。
オカリナだって、あのスタルキッドのことだから、既に興味を無くして捨ててしまっていてもおかしくはない。
今の今まで溜まり続けていた心労に、二日間に渡りほぼ走りっぱなしだった疲労までもが重なった体が、ついに限界を訴えた。
クロックタウンでの二日目は、ゆっくりと暗転する意識と視界の中で、意味はわからなくても酷く焦っていることだけは伝わるチャットの声と共に終わりを迎えたのだった。
ゆっくりと開かれた視界と、なかなかハッキリしてくれない意識の中で、三日目の太陽が既に大分傾いてしまっていることに気付いたリンクは、次の瞬間に大慌てで飛び起きた。
戸惑いながら、まだ時間はあると、もう少し休んでもいいのではないかと言ってくれるチャットの気持ちは、それ自体は本当にありがたかったのだけれど。
万が一にでも間に合わなければ大変なことになると、この身が元に戻らなくなる程度のことでは済まなくなると。
幼いながらも勇者として、激戦を越えてきた経験と勘が、うるさい程に告げていた。
水路も兼ねていた地下通路を走り抜けて辿り着いた先、天体観測所には、そこの主らしき老人がいて、空も大地もどこまでも見渡すことが出来そうな巨大な望遠鏡が据えられていた。
老人に頼んで望遠鏡を使わせてもらい、クロックタウンを隅から隅まで見渡したリンクは、ついに見つけ出した。
町の中心にある巨大な時計塔、自分達が最初に現れたその場所の頂上で、天を見上げ、何やら招こうとしているかのような異様な動きを繰り返すスタルキッドを。
すぐさまここから駆け出し、彼の下へと向かおうとしたその身と思考は、スタルキッドが見上げる空へと向けてふと望遠鏡を動かし、その先にあるものを見つけたことで凍り付いた。
いくら必死だったとはいえ、目の前の問題を片付けることに夢中になってたとはいえ、あんなものが頭上に迫っていることに、どうして今の今まで気付けなかったのか。
クロックタウンを丸ごと呑み込み、圧し潰すことが出来てしまいそうな巨大な岩の塊が……本来ならば遥か空の上にある筈の月が、怒りの形相に歪んだ人の顔にも見える表層を露わにしながら、手を伸ばせば届きそうだと錯覚しそうな程に大きく、近くなっていた。
気のせいだと、あり得ないと、そんな願望を抱く余地も無いまま、リンクは確信を抱いてしまった。
あれは間違いなく落ちてくると……そうなった暁には、真下にあるクロックタウンだけでなく、町を中心とした一帯が消滅してしまうと。
それを為そうとしているのは、スタルキッドなのだと。
一年の間に一回、カーニバル前日の夜のみに開くという扉を潜り、リンクとチャットはスタルキッドの下へと急いだ。
どんな理由、どんな思惑があろうとも、もはや悪戯では決して済まされないことを、彼は行なおうとしてしまっている。
何が何でも止めなければと、そんな一心で辿り着いた時計塔の最上部。
見上げた夜空、毎夜見慣れた黒ではなく毒々しい赤で染まるそれを、埋め尽くさんばかりに迫る月の真下。
迫る終焉を、もはや気のせいだなんて思い込めない圧力と地鳴りの中で……スタルキッドは、捨ててはいなかったらしい時のオカリナを片手で玩びながら、リンクだけでなく友達である筈のチャットにまで、おぞましい仮面越しの冷たい眼差しをぶつける。
そんな彼の背後から、スタルキッドのもう一体の友達、妖精姉弟の弟トレイルが飛び出した。
「『ねえさん…っ!!』」
「『トレイル……良かった、無事だった。
スタルキッド、もういい加減にしないか!!
その仮面を持ち主に返せ、それを手に入れてからお前はおかしくなった!!
おい、スタルキッド、聞いているのか!?』」
怒っているからだけでなく、心配しているからでもあるチャットの言葉に、スタルキッドは一切の反応を示さない。
代わりに声を上げたのは、おかしくなってしまったスタルキッドとこの状況が怖くてたまらない筈なのに、精一杯の勇気を振り絞ったトレイルだった。
「『沼、山、海、谷にいる四人の人達……早く、ここに連れてきて!!』」
「『よけいなこと言うな、バカ妖精!!』」
「『ああっ、弟に何てことを!!
スタルキッド、貴様それでも友達か!!』」
それまで、何を言われても何も返そうとしなかったスタルキッドがいきなり激高し、振り上げたその手のひらが、トレイルの小さな体を張り飛ばした。
大切な弟を痛めつけられて激高し、それでも友情の存在を訴えたチャットにとって、スタルキッドは本当に大切な友達だったのだろうけれど。
「『……まあいいさ。
いまさらアイツらが来ても、オイラに敵うわけないさ……ヒヒッ』」
残念ながら、今のスタルキッドにはそうではなかったらしい。
リンクも、チャットもトレイルも、誰一人として顧みようとしないまま、頭上に迫る月を見上げるスタルキッド。
その体……否、仮面から、リンクを呪いでデクナッツにした時のものと同じ、禍々しい魔力が迸った。
「『止められるものなら、止めてみろ!!』」
上空から降り注ぐ圧力が更に増し、地が揺れる轟音が激しくなった。
仮面の魔力に呼び寄せられていた月が、ついに自ら落下を始めてしまったのだ。
猶予はもはや、ほんの数分すらも残されてはいなかった。
もうお終いだと、今更出来ることは何も無いと……羽ばたく気力すらも失いかけてしまっていたチャットの隣で、リンクはまだ諦めていなかった。
この三日間の奮闘の中で使い方を覚えた、デクナッツという種族が持つ能力のひとつを、魔力を消費して作り出す泡を、月を招くことに集中しているスタルキッドの無防備な背中へと向けて吹き出す。
油断していたところに想定外の衝撃を食らったスタルキッドは、その手で玩んでいたものを、時のオカリナを取り落としてしまった。
すかさず飛びついたリンクの手の中へと無事に収まった、ようやく取り戻すことが出来た、ゼルダ姫との大切な思い出の品。
その瞬間、リンクの脳裏には、ゼルダ姫が別れ際に奏でてくれた旋律が蘇っていた。
『時の勇者』と称される彼の力を、真の意味で発揮する為の曲を。
「『何を思い出に耽っている!!
しっかりしろ、この状況でオカリナなんて取り戻したって何の役にも立たない!!
ああ、神様、時の女神様……誰でもいい、お願いだから時間を止めて!!』」
チャットの叫びは、追い詰められた絶望の中で思わず口走っただけのもので。
時が止まるなんてことが本当に起こるだなんて、実際にはこれっぽちも思ってはいなかったのだろうけれど。
その言葉は間違いなく、どうすればこの状況を打破出来るか、掴み損ねたものを取り戻せるかの手掛かりとなった。
デクナッツの体では、オカリナを構え、吹くことは出来ない……だけど。
オカリナを取り戻し、旋律を思い出した今の自分ならば絶対に奏でられる筈だという確信が、デクナッツという種族が固有に所持しているラッパとなって展開した。
色々な理由で言葉を失ってしまっているチャットには構わず、楽器と音色は違えども慣れた様子で奏でた旋律が、終末を迎えた世界に響き渡る。
視界どころか、世界そのものが瞬く間に白く転じ、何処まで続いているのかもしれないその空間を、果てしなく落ちていくような不思議で不安定な感覚を経た先で。
リンクとチャットは、覚えのある光景の中の、覚えのある場所に……まだ町に人がいて、賑やかだった頃のクロックタウンに、自分達がこの地を訪れた三日前の朝に降り立っていた。
時を遡るという、妖精の身でさえ到底信じられないような奇跡の体験に呆然としながらも、懸命に己を取り戻したチャットは、『オカリナを取り戻した暁には元の姿に戻る方法を教える』と言っていたお面屋のことを思い出した。
急いで会いに行ったお面屋は、リンクがオカリナを取り戻していることを知ると、彼がスタルキッドからかけられた呪いを解く方法を約束通り教えてくれた。
何でも、リンクはただ単に姿を変える呪いをかけられたのではなく、無念の死を迎えたデクナッツの魂を取り憑かされてしまっていたのだそうで。
お面屋から教えられるままに奏でた『いやしの歌』は、死んでも死にきれない未練と哀しみに囚われていたデクナッツの魂を癒し、残された魔力は仮面となって零れ落ちて。
足元に転がったそれを思わず目線で追いかけたリンクは、人の足がそこにあることに気づき、慌てて全身を見回した。
元通りの、見慣れたハイリア人の姿を無事に取り戻したことをようやく認識出来たリンクは、大きく肩を落としながら心からの安堵の息を吐き出した。
この三日間で、既に随分とリンクに絆されていたチャットは、そのことを純粋に喜んでくれたのだけれど。
残念ながら、安堵と喜びの時間はそう長くは続かなかった。
自分はちゃんと約束を果たしたのだから、あなた達も……と言って、例の仮面を求めて手を差し出してきたお面屋に、二人揃って固まってしまったから。
「『何てことをしてくれたんだ!!
このままあの仮面を野放しにしていたら、大変なことになる!!』」
笑顔を豹変させながら詰め寄ってきたお面屋に対して、約束をすっぽかしてしまって申し訳ないと思う気持ちは確かに、多少はあったのだけれど。
これで終わらせてしまわない為、希望と可能性を繋ぐ為に、戻ってくることのみに必死だったあの状況では無理もないだろうと、弁解をしたいのが本音であった。
しかしそんな不満は、半ば恐慌状態に陥ってしまったお面屋が話を進めるごとに、少しずつ萎んでいってしまった。
彼が口にした『仮面』の真実は、正しくとんでもないものだったのだから。
『ムジュラの仮面』とは、かぶった者に邪悪な魔力を与える呪いの仮面。
それによって引き起こされる災いを恐れ、遥か太古に封印されたと伝えられている、恐ろしい伝説の仮面。
スタルキッドが、ほんの悪戯のつもりでお面屋から盗み、軽い気持ちで身につけてしまったあれがその『ムジュラの仮面』だと、手に取った瞬間のおぞましさを忘れられないお面屋は確信していた。
そしてリンクとチャットは、彼のそれを杞憂だと、考えすぎだと笑うことは出来なかった。
ムジュラの仮面が呼び寄せた『災い』……世界が終焉を迎えかけた恐ろしい光景を、伝説が事実であったことを、彼らはその目で見てきたのだから。
どうかムジュラの仮面を取り戻してほしいと、あなたならば必ず出来ると。
必死に頼み込んでくるお面屋に、リンクはすぐさま頷いた。
例え、誰に何も言われなかったとしても、自分自身の意志で動くつもりでいた。
お面屋の言う通り……大人の体が、魔王を倒した神剣マスターソードが無いとしても。
『時の勇者』であることだけは決して変わらない自分にならば、それが出来る筈だと思ったから。
「こうして、『時の勇者』リンクの新たな戦いが始まりました。
この後、彼と妖精チャットは妖精トレイルの助言を思い出し、クロックタウンの四方に存在する、『沼』『山』『海』『谷』での冒険を繰り広げていくことになります。
……その物語は、またいずれ。
今宵の公演は、ここまでとさせて頂きます。
お集まりの皆様、本日はどうもありがとうございました」
今度は一体、どんな仕掛けを使ったのか……一斉に消えた時と同じように、一斉に灯って公会堂内を照らし出した灯りの中で。
マタ・ハリが最後の挨拶を行ない、白布の裏で影を操っていた団員達が、表に出てきて礼をしても。
最初に始めた誰かに続いた観客一同の拍手が公会堂内を埋め尽くしても、アビゲイルはまだ、現実へと戻ってくることが出来ずにいた。
それ程までに素晴らしかった、正しく非日常の大冒険だった。
呆然と開いた口が塞がらないまま、瞳だけがキラキラと輝いているアビゲイルの様子に気づいた立香が、不意に両手を上げて人々の注目を集めながら声を張り上げた。
「『時の勇者』の冒険、『ムジュラの仮面』の物語は、まだ始まったばかり。
次の公演が叶うのならば、我々はまた、彼の話を紡がせていただく所存です。
ご期待とご声援を、皆様どうぞよろしくお願いいたします」
その言葉に続いた盛大な拍手に、今度はアビゲイルも加わった。
自分が手を叩く音が、他の全員のそれを上回ればいいと、力と心を込めて懸命に打ち鳴らした。
彼女は気付いていなかったけれど……彼女の傍らには、柄ではないと躊躇いながらも、今の自分は気付かれないのだからと開き直って、お面の下の頬に僅かな赤みを差しながら、たどたどしく拍手を打つ親友の姿だってあった。
一回目の公演が大好評だったおかげで、二回目の公演の開催がこの日のうちに決定し、歓喜と興奮のあまりに眠れない夜を過ごすこととなるアビゲイル。
『狂気』の日々は、今はまだ遠いところにあった。
実際に『ムジュラの仮面』の冒頭をプレイしながらの執筆でした。
以下、今回の公演における配役です。
時の勇者リンク
台詞、特定の配役に関しては無し。
マタ・ハリのナレーションや、周囲にいる他の人物の言動や反応によって描写が行われ、人形を動かすのはその都度、手の空いた者が順番で努めていた。
主人公に関しては、観客の感情移入や想像を促す為にも、敢えて詳細なキャラ付けは避けた方がいいという立香の考えと、実際に当人を知っている為に演技がし辛いという団員達の都合が上手く噛み合ったのが理由。
妖精チャット
哪吒が担当。
本来のチャットはちょっときつめなツンデレなのだけれど、その性格や台詞の演技が哪吒にとっては、劇の出来に支障が出そうなレベルで難しかったので。
あまり無理をせず哪吒自身の素に寄せた結果、原典に比べて大分、素直に優しく真面目なチャットになった。
妖精トレイル
マシュが担当。
普段は気弱だけれど、いざという時に声を上げられる確かな気概を持っているというイメージにピッタリだった為、予定されていたナレーターの役割をマタ・ハリと交代した。
もの凄く頑張った。
スタルキッド
ロビンフッドが担当。
元の声を忘れそうになる程に見事な声色で、呪いの仮面に操られた性質の悪い悪戯坊主、それも人間ではないという難しい役柄をこなしてみせた。
ちなみに、エポナ(馬)の鳴き真似を担当したのも彼で、流石の器用さには全員が改めて脱帽した。
お面屋
サンソンが担当。
かなり強烈なキャラクターなのでどう演じたものかと困っていたところ、『普段の振る舞いはマリーを相手に感極まっている感じ、豹変した時はそんな幸せ空間にいきなり割り込んできたアマデウスに対する第一声のような感じで』と言われて『解せぬ』となった。
大成功だった。
背景の切り替え、その他効果などの演出
メディア(キルケー)が精霊達を指揮。
人を騙し、惑わすことを得意とする魔女、しかも大魔女としての相応のプライドを持ち得ている身なだけあって、本職の映画監督もびっくりのセンスと拘りでもってこなしてみせた。
熱が入りすぎていたのを自覚して、後で少し恥ずかしくなったのだけれど、皆から口々に褒められて感心されたのが嬉しくて、次があったらまた頑張ってみようと考える(チョロい)。
その他、町の人々など
各自で少しずつ担当。
人形劇がどんな感じのものなのかは、神トラ2の壁画をイメージしていただければと思います。
あの絵柄、味がある上に個々の特徴に関してはきちんと押さえていて、何気に好きなんですよね。