成り代わりリンクのGrandOrder   作:文月葉月

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黒き聖女の生誕日

 

 特異点を作り出し、フランスの地を怖ろしい竜が飛びまわる異端の戦場へと変えていた黒幕が消え去ったことで、未だ先の見えない旅路の第一歩となる戦いは、カルデアの勝利という形で無事に達成された。

 歓声を上げ、隣の者と手を取り合いながら、皆でその瞬間を喜び合う想像を、誰もが密かに抱いていたのだけれど。

 退魔の聖剣を鞘に収めたその時、その体勢から動こうとしないリンクの後ろ姿が、彼に何と声をかければいいのかがわからないことが、一同の行動を躊躇わせる。

 その空気を構うことなく壊したのは、意外な人物だった。

 『親』と呼んでいいであろう存在との別れに、愛の篭もった祝福の言葉を贈られた黒いジャンヌ。

 俯いた顔を上げ、目元を拳で乱暴に拭い、僅かに赤く染まった目尻を釣り上げた彼女は、立香達が止める間もなくリンクの下へと早足で歩み寄り、その勢いのままに彼の腕を引いて強引に振り返らせた。

 その瞬間にヒュッと喉が鳴ったのは、出そうとした声を思わず、逆に呑み込んでしまったからだろう。

 いきなり腕を取られたことに対して驚いてはいるものの、彼の顔からは既に、あの時確かに見せていた痛みや苦しみは消え失せてしまっていた。

 

 

「…………どうしてよ。

 あんたは、誰にも助けてもらえなかったんでしょう?

 ずっとずっと、何年も、自分以外の誰かのために戦い続けた人生の終わりまで、あの苦しみを一人で抱え続けたんでしょう?

 なのにどうして、そんな、何事もなかったような顔が出来るの」

 

 

 自分が出生の事実を知り、それに絶望していたのは、ジル・ド・レェの本心を知ることが出来るまでの、時間にすればほんの僅かな間だけのことだった。

 ただそれだけで、あんなにも不安で、怖くて、目の前が真っ白になるような、底なしの闇に独り落ちていくかのような気持ちにさせられたのに。

 彼のことだからそんな内心を誰にも言わず、誰にも悟らせず、自分自身の意思で抱え続けたのだろう。

 誰も彼のために怒らなかったし、彼のために悲しまなかった。

 そもそも知らなかった以上、そんな考えは見当違いの八つ当たりに過ぎないのかもしれない……だとしても。

 彼が自分にしてくれたことを、誰も彼にしてあげなかった。

 その事実が、何故かひたすらに悔しかった。

 力を込め過ぎて震えだす拳が、きちんと拭った筈なのに再び滲みだした視界が、その向こう側で嬉しそうに笑うリンクが、どれもこれも腹立たしくて堪らなかった。

 

 

「何事もなかった……そんな訳がないことは、自分が一番よく知っている。

 あの頃は本当に辛かったし、今でも思い出すとかなりきつい。

 ただ単に、『大変だったけどまあいいか』って、『諦めずに生きて良かったなあ』って、そう思えるようになっただけのことだよ。

 何とか乗り越えた先で、たくさんの大切な人に出会えて、その人達とかけがえのない日々を過ごすことが出来たから」

 

「色々と迷ったり強いられたりしたことは確かだけど、それでも俺はちゃんと、あれが俺の人生だったんだって思ってる。

 他の選択肢が無かっただけだって、そう思いたいだけだって、言われても否定はできないけれど。

 それでも立ち止まることはできた、横道に逸れようと足掻くことだってできた、最悪の場合だけど死んで自由になるっていう選択肢だってあった。

 既に決められた道を、それしかない(運命)を……『進む』ことを決めたのは、他でもない、自分自身の意思だった」

 

「嘆くのはいい、憐れむのもいい。

 実際自分でも悲惨だと思うし、『あの時ああしておけば良かった』と、後悔することなんて山積みだ。

 だけど同じ後悔でも、『あんなことしなければ良かった』と思うようなことは、俺の中には欠片も……覚えている限りでは無いんだよ。

 抗えない運命の中で、最初から最後まで全部決められていたと、言われてもおかしくないような不自由さの中で。

 それでも俺は自分で選んだ、自分で決めた。

 これこそが俺の人生だって、例え強がりと思われようとも、実際強がりでしかなかったとしても、胸を張ってそう言いたいから」

 

「いいことだって、あの頃大変な思いをしておいて良かったって思うことだって、沢山あった。

 ……例えば、今この時。

 辛いだけだった筈の記憶に意味を持たせてくれて、そのおかげで誰かを助けられたんだって、思わせてくれてありがとう。

 俺のために怒ってくれた、俺のために悲しんでくれた、君に会えて良かったよ」

 

 

 そう言ったリンクが、笑いながら伸ばした指に頬を拭われたことで、黒いジャンヌはようやく、自身の涙に気がついた。

 自覚してしまってはもう駄目だった。

 胸の奥から込み上げてきた熱いものが、喉を震わせ、嗚咽を零し、両の目を通して溢れ出す。

 自分のだと思っていたもの全てが勘違いで、何もかもを失くして空っぽになってしまった自分に初めて与えられたもの、本当の意味で自分だけのもの。

 それが、『彼が自分のために怒ってくれた』という事実であることが、なぜこんなにも胸を熱くさせるのか。

 今も変わらず胸の内で滾っている憎しみの炎、それを霞ませかねないと思うほどなのに、その熱を不快だと思わないのは何故なのか。

 生まれたてで、蹂躙以外の人生経験など殆ど皆無で、頼りにできるのは与えられたものの上に酷く偏っている他人の記憶しかなくて。

 この気持ちを正しく解せるだけの知識と経験が、それを的確に余さず伝えられるだけの言葉が今の自分に備わっていないことが、何故こんなにも歯痒いのか。

 それら全て、何もかもが、今の彼女にはわからない。

 そんな混乱の中で黒いジャンヌは、少なくともこれは確かだと思えるものを、混沌と渦巻く想いの中から何とか掴み上げたものを、懸命に言葉へと変えた。

 

 

「わ、私は……私は絶対に認めない。

 あんたのそれが『勇気』だなんて、そんな高尚でご立派な精神だなんて認めない。あんたはやっぱりエセ勇者よ。

 だってただのやせ我慢じゃない、自分自身に言い聞かせて無理やり納得させているだけじゃないの。

 あんたはもっと我が侭になればよかった、我慢した分甘やかしてもらえばよかった、助けた分助けられればよかった。

 もっと弱くてよかった、愚痴でも何でも吐けばよかった、それを受け止めてくれる『大切な人達』がちゃんといたって言うのなら。

 ……何認めてんのよ、ほんと馬鹿じゃないの!?

 こっちはあんたの自慢の人生とやらを全否定してるってのに、どうして笑ってるのよ!!」

 

 

 例え罵声や罵倒の形を取っていようが、そこに込められたものが真っ直ぐな思いやりならば嬉しいのだということが、今の彼女にはまだわからない。

 教えられていなかっただけで、知ったり学んだりする機会がなかっただけで、誰かを思いやれる気持ちをちゃんと持ち得ていた、根は本当に純粋な少女だった……とは言っても、間違いなく敵対していた存在である彼女にあっさりと声をかける、肝の据わった者がいた。

 

 

「ねえ、黒い方のジャンヌ。

 君さえ良ければだけどさ、カルデアに来ない?」

 

「へっ……はああああああっ!!?

 何馬鹿なこと言ってるのよ、私はあんた達の敵だったのよ!?」

 

「気にすることはないって、そんなの定番だから」

 

「何の!?」

 

「……冗談に聞こえかねないような話は、とりあえず一旦置いといて。

 真面目に誘うよ、黒いジャンヌ……このまま消えるの、悔しくない?」

 

「…っ!!」

 

「ジル・ド・レェが、最後に願ってくれたように。

 ジャンヌの偽物でも、他の誰でもない君自身の人生を、もっと生きてみたいって思わない?」

 

「…………思わない訳がないじゃない。

 だけどそんなことは無理よ、いくら願ったって私がまともなサーヴァントとは違うっていう事実は変わらないわ。

 還る座が存在しない以上、私の記録は残らない……私という存在は、もう此れっきりよ」

 

「それは、ちょっと違うんじゃないかな。

 君がジャンヌ・ダルクの暗黒面だって聞いた時に、それを疑うことなく納得したのはどうしてだったと思う?」

 

「………あれだけの仕打ちを受けておきながら、怒ることも恨むこともなかった奴がいたなんて、まともな思考では考えられなかったからでしょう?」

 

「その通り……だから俺は、どっちが本物でどっちが偽物とかじゃなく、俺達とずっと一緒だった聖女のジャンヌも、敵対した魔女の君も、どっちも紛れもない『ジャンヌ・ダルク』だって思ってた。

 そして、そんな俺の考えが『普通』のものならば、同じように『堕ちた聖女』の概念や可能性を想像した人は、多分沢山いるんじゃないかな」

 

「……馬鹿馬鹿しい、あり得ないでしょうそんなこと」

 

「実際あるんだって、『ドリ○ターズ』とか『グラン○ルーファンタジー』とかで結構人気キャラだよ?」

 

「マジで!?」

 

「立香さん、それは本当ですか!?」

 

 

 驚愕のあまりに、軽くキャラ崩壊をしながら目を剥いてしまっていた黒いジャンヌは、その声が二つ重なって響いたことに荒ぶりかけた思考を一瞬で静止させ、もう片方が聞こえてきた方向へと向けてゆっくりと振り返る。

 その先に予想通りの光景を、目と口を開きながら酷く驚いた様子のジャンヌの姿を見てしまった黒いジャンヌの口元が、何度か見た覚えのある邪悪そのものな笑みを浮かべた。

 

 

「へえ~、そうなの……生憎だったわねえ、聖女サマ。

 あんたが如何にお綺麗であろうとも、後の世の人達はそれを信じていなかったそうよ。

 この疑いようもない現実を、一体どう受け止められるおつもりかしら?」

 

「どうだなんて、こんな、こんな…………こんな素晴らしく、喜ばしいことが他にありましょうか!!

 ああ主よ、幾重にも感謝いたします!!」

 

「何でよ!!?」

 

 

 腹と心の底から吐き出された渾身の突っ込み、その後に続けたかった何かしらの言葉は、体を急に引かれ、何やら柔らかいものに顔から飛び込んだことによって妨げられた。

 数秒遅れて抱きしめられたことに気付き、カッとなってその腕を振り払うよりも、記憶に無い『家族』の温かさとはこのようなものかと思わせるような優しい声が、耳に届く方が先だった。

 

 

「だってそうでしょう、もう一人の私。

 あなたという存在は此れっきりなどではなかった、この世界に確かに受け入れられていた。

 あなたの還る場所は、人々の愛と信仰の中に確かに存在していたのです」

 

「……聖女サマの思考回路は訳が分からないわ。

 『堕ちた聖女』という概念のどこに、愛なんてお綺麗なものが存在していると言うの」

 

「あなたがそれを言いますか。

 美しく真面なものだとはとても言えない形の愛を、一身に与えられていたあなたが」

 

 

 ほんの少し呆れ、窘めるような口調でそう言われた黒いジャンヌの脳裏に、鮮明な人影が浮かび上がった。

 彼の所業、その存在はあまりにも邪悪だった……誰に聞いてもそう返されるだろうし、他でもない自分自身だって属性としてそう認識している。

 だけど、そんな彼が自分にだけは間違いなく優しかったことを、形こそ歪んではいたけれど心から愛してくれたことを、今の自分は疑いようもなく信じている。

 優しく、美しく、温かく、分かりやすくもないけれど、それでも確かに『愛』と言えるものがある。

 そんなひとつの真実を、黒いジャンヌは与えられた記憶ではなく、自分自身が得た経験と認識によって手に入れた。

 

 

「人々の信仰と認識の中に、受け皿となり得る概念が確かに存在するのならば。

 存在と逸話を積むことでそれを強化すれば、あなたという不安定な存在を確固たるものにできるかもしれません。

 ……だからここは、どうか立香さんの提案を受け入れて。

 生きたいと願うあなた自身と、あなたに幸せになってほしいと願ったジルのために」

 

 

 自身の腕の中で黙り込んでしまった鏡写しの存在を、ジャンヌはそっと胸元から離し、息を呑む立香と向き合わせた。

 長い長い沈黙が始まる。

 

 

「……」

 

「……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……………………」

 

「……………………」

 

「…………カルデアって、相当な人手不足なのね。

 紛れもない人理の敵だった私にまで、スカウトをかけずにはいられないくらいに」

 

「確かに人員はサーヴァント含めてもカツカツだけど、君を誘いたかったのはそれが理由ってわけじゃ……」

 

 

 真意を誤解されては堪らないと、慌てて弁明しようとした立香の声は、彼から見てジャンヌを挟んだ向こう側で笑いながら、口元に人差し指を当てていたリンクの挙動によって止められた。

 その意味、理由を察した立香が、その顔に満面の笑みを浮かべることとなるのは、そのすぐ後のこととなる。

 

 

「『竜の魔女』たるこの私の力が必要だと、そこまでして望むと言うのならば。

 その……応えてやるのも、吝かではありませんけれど」

 

「……ああそうだ、助けてほしい。

 俺達に、カルデアに、人理に、どうか君の力を貸してくれ」

 

 

 努めて邪悪そうな表情を作りながら、満足げに鼻を鳴らしてみせた彼女は、想像すらしていないのだろう。

 誘われて嬉しかったけれど、応えたかったのが本心だけど、それをあからさまに喜んでみせるのは癪だし、軽く意趣返しをしてやりたいという子供じみた内心が、ものの見事に見抜かれてしまっていたことを。

 満足げに胸を張った彼女の姿が、見た目よりもずっと幼いものに見えて仕方がなくて、込み上げるものを必死に堪えた者は多かった。

 

 

「そこまで言うのならば仕方がないわ。

 この私が、魔女たるジャンヌ・ダルクが、不甲斐ないカルデアの為に力を貸してあげるとしましょう」

 

 

 望んだ言葉をようやく得られて、殆ど反射で固く拳を握り、それを突き上げながら歓声を上げ……かけた立香の挙動が、中途半端なところで凍り付いた。

 仲間となることを、カルデアへと共に帰ることを承諾してくれた筈の彼女の体が、端から光の粒子となって徐々に消滅していっているのだから。

 

 

「ジャ、ジャンヌ、どうして!!

 何が起こってんの、俺何か間違えた!?」

 

「落ち着きなさい、予定調和よ。

 あんた、私が聖杯から作られた存在だってこと忘れてないでしょうね」

 

「それとこの状況に何の関係が!?」

 

「……センパイ。

 大変な事態の連続だったので無理もありませんが、忘れてしまっているようなので今一度説明をします。

 特異点を修正するためには、それを作り上げた黒幕を倒すだけでなく、発生の原因である聖杯を回収する必要があるのです。

 今回の場合、黒幕はジル・ド・レェ……そして、回収すべき聖杯とは恐らく、黒いジャンヌさん自身のこと」

 

「つまり、聖杯を手に入れて人理修復の工程を先に進めるためには、どうしても私は一度消滅しなければならないのよ」

 

「……クー・フーリンやエミヤ達は、冬木の記憶を持ったまま来てくれたけど、それは本当ならあり得ない筈のことだって言っていた。

 カルデアに戻ってから改めて呼んだとして、今ここにいる君自身が、君のまま来てくれるって可能性はどれくらい?」

 

「さあね、私には分からないわ」

 

「…………ごめん。

 俺、そんなつもりじゃ」

 

「謝らなくていいわよ、あんたに器用な真似はできないってもうわかっているんだから。

 言っておくけどね……僅かな奇跡に期待してもいいんじゃないかって、駄目だったとしてもそれはそれでまあいいかって、思わせてくれたのはあんたなのよ?

 ……胸を張りなさい、この私のマスターでしょう」

 

 

 グッと言葉を詰まらせ、両目を溢れる一歩手前まで滲ませながらも懸命に拭い、精一杯に笑ってみせてくれた立香に、黒いジャンヌもまた、感謝の気持ちを込めた精一杯に素直な笑みで応える。

 既に半分以上が消えてしまった体で、これが最後と思って動かした視線の先に、切なさと希望が半々になっているような顔を揃って浮かべている者達の中でただ一人、心配することなんて何もないと言わんばかりに笑っている奴を見つけた。

 

 

「またな、魔女のジャンヌ」

 

「……ええ。

 またね、エセ勇者様」

 

 

 その言葉と笑顔を最後に、完全に消滅した黒いジャンヌ。

 彼女が今の今まで立っていたところに、甲高く硬質な金属音を立てながら落下した『聖杯』を、無言で歩み寄ったマシュの手がしっかりと掴み上げた。

 




予想外に長くなってしまったので、区切りのあるところで一旦分けました。
今年の夏イベが始まるまでに、何とか第一特異点を終わらせたいと思います。


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