成り代わりリンクのGrandOrder   作:文月葉月

79 / 143




ブラックカルデア改善計画

 

「皆さん、お食事を続けながらで構いませんのでご清聴下さい。

 ただ今より、前もってお知らせさせて頂いた予定通りに、第一回カルデア運営会議を始めさせて頂きます。

 ファシリテーター(司会進行役)は、誠に僭越ながらこの私、マシュ・キリエライトが務めさせて頂きます」

 

 

 時間を見計らって聞こえてきたマシュの声に、雑談と食事に興じていた者達がその口と手を一旦止めて振り向いた。

 一般的な企業や集団ならば、こんなタイミングで全体会議を行おうものならば様々なところや人々から苦情が出るのだろうが、生憎とここは、人理存亡の最後の砦であるフィニス・カルデア。

 会議に出席したいのは山々なのだけれど、様々な予定や都合が立て込んでいて摺り合わせるのが難しいというスタッフ達の要望や事情を加味した上で、ならば皆が同じような時間に、高確率で集まることになる場所で、その場所に求められる元々の用事に付随する形で行ってしまおうという『議長』の柔軟な発言に、皆が乗った結果がこの光景だった。

 

 

「そっ、それでは議長、よろしくお願いします」

 

 

 大任を担うこととなり、少しだけ緊張しているらしいマシュの声に応えたのは、いつもより早めに夕食を終えて、準備を万端に整えていた勇者様。

 比較的新参者であり、外見ではなく実年齢で紛れもない少年である筈の彼が、ロマニやダ・ヴィンチという大人の責任者達を差し置いてその位置に立つことを、不満や不安に思う者は誰一人としていなかった。

 彼が何者であったのかを、ハイラル王国においてどのような務めを果たしていたのかを、誰もが知っていたから。

 一人の例外を除いて。

 

 

「凄いなあ、リンクの奴……人前で注目浴びるのに慣れてる感じで、堂々としてて、何か偉い人みたい」

 

「みたいじゃなくて、彼は実際に偉い人だったんだよ。

 魔物の脅威に常に晒されていたハイラル王国において、兵士達の指揮と指導を行う戦術顧問、国の防衛を担うべき要職に抜擢されていたのだからね」

 

「え……ええええっ!?

 国の要職についてたって、あいつが封印されたのって15才じゃなかった!?

 誕生日の手前ギリギリだったとしても若すぎだろ、一体幾つの時の話なわけ!!」

 

「田舎で暮らすただの少年だった彼が、姫を魔物から救い、魔物の特徴と対抗策を綴った本を独学で執筆した実績を認められて、城に召し抱えられたのが12歳。

 その後たった一年で功績を重ね、要職を担うことになったのが13歳という若さ……間違いなく、王国史上最年少だ。

 『ゼルダの伝説』をちゃんと読みなよ、自分のサーヴァントについて色々と知っておくのはマスターの務めだからね?」

 

「最初から少しずつだけど読んでるよ、絵本じゃなくて分厚い原本の方をちゃんと。

 量が多すぎて、あいつの時代の話にまで行くのに時間がかかっているだけだってば」

 

「いや読まないでいいから、必要なこととか知りたいこととかあればその都度俺が教えるから。

 まあいいか、とにかく始めよう。

 今回の議題は、現時点のカルデアにおいてどんな問題点・改善点が存在するのかを改めて確認し合い、その具体的な解決策について話し合うこと。

 どんな小さな不満でも構わない、遠慮なく発言してほしい。

 ……と、普通なら言うところなんだろうけれど」

 

「えっ、リンクさん?」

 

 

 打ち合わせの時には無かった台詞と流れに、いつもの彼ならば決して浮かべないような悪役じみた含み笑いに、マシュを含めた一同が、ザワリと空気を揺らめかせた次の瞬間。

 それらを纏めて吹っ飛ばす勢いのある爆弾を、リンクは一瞬たりとも躊躇うことなく放り投げた。

 

 

「事後報告で申し訳ないけれど、発言内容については既に集め終えている。

 フォウ、おいで!」

 

「フォウフォーウッ!」

 

 

 自身の肩の上に一足で飛び乗ったフォウのふわふわの頭を撫でながら、リンクは長い毛と衣裳で隠されたその首元にもう片方の手を伸ばし、何やら小さな機械的なものを取り出した……その瞬間、ダ・ヴィンチが『げっ』と言わんばかりに表情を引きつらせたことを、ロマニは見逃さなかった。

 

 

「……おーい、ダ・ヴィンチ。

 君は一体、リンク君に頼まれて何を作ったんだい?」

 

「超小型、及び高性能のボイスレコーダーさ。

 物資不足が嵩んでいるこの状況で、あれだけのものを作れるとは流石は私だね☆」

 

「流石は私、じゃない!!

 自分のやりたいことがやれればいいタイプの天才はこれだから厄介なんだ、頭がいいんだから行動した結果どうなるのかくらいちゃんと考えてほしいよ!!

 あれがボイスレコーダーで、フォウにくっつけてたってことは、つまり……」

 

「お察しの通り。

 ここ何日か、フォウにはいつもの通り、何食わぬ顔でカルデア中を歩き回ってもらった……これを動かしっぱなしにしながらね」

 

 

 小悪魔の笑みを浮かべながら片目を瞑ったリンクに、その場にいた者達の多くが絶叫を上げた。

 激務のさなかにふと気が抜けて、疲れもあって普段ならば到底出せないような本音や愚痴的なものを零してしまったタイミングで、視界の端に白いモフモフが横切ったのが気のせいではなかったことと、それが意味するものに気付いてしまったから。

 

 

「佐々木、アレを回収してきなさい!!

 いくら相手が勇者リンクとはいえ、刺し違える覚悟で挑めばそれくらいは出来るでしょう!!」

 

「そのあからさまな反応から察するに、至極しょうもないことを聞かれてしまったようだな。

 強者との死合いの末に散るのは確かに本望ではあるのだが、そのような情けない理由でというのは御免被るよ」

 

「メディアさん、それと今過剰反応した人達には悪いんだけど、既に中身は確認してあるから」

 

「嘘でしょ!?

 だったら何で今、その白毛玉からわざわざ出したのよ!!」

 

「演出」

 

 

 輝かし過ぎて、むしろ憎たらしくなる程の笑顔であっさりと言い切ったリンクに、敢え無く撃沈してしまった神代の大魔女を、情けないと笑える者はいなかった。

 身の程を知ることなく下手に突っ込んだりすれば、自分も同じような末路を迎えるのだということを自然と察してしまえたから。

 

 

「……そういえば、彼の逸話にあったねえ。

 前もって色々と仕掛けやら根回しやらを整えておき、相手が取るであろう行動や発言をも推測して加味した上で、場の空気や流れを自分の手元に持ってくるのが得意だったって。

 彼自身が国や民のためを第一に考える善人だから良かったものの、同じような手腕を下手な野心家や独裁者が持っていたら、間違いなく碌なことにはならないよ」

 

「正しく今現在、碌なことになっていないしね……」

 

「失礼だな!

 俺だって、この会議が真っ当に進められる状況にあったなら、こんな強引な手段には出なかったよ!」

 

「……どういうこと。

 何か、僕達が気づけていない懸念事項でもあったというのかい?」

 

「それだ、自覚していないってのが一番性質が悪い。

 俺が普通に、困っていること、辛いと思っていることを教えてくれと言ったとして、それを素直に、『この程度何てことない』とか『わざわざ言うようなことじゃない』と自己判断せずに口にしてくれた人が、果たしてどれだけいたことか。

 だよね……睡眠や休憩の時間を削りに削った上に、それを栄養剤の過剰摂取で誤魔化してまで、何でもない振りをしているドクター・ロマン」

 

「…っ!」

 

「例え体は誤魔化せたとしても、俺の目は無理だよ」

 

 

 真剣な表情と静かな声色で、リンクが再び投げ込んだ爆弾は、居合わせた者達にゆっくりと静かな衝撃を与えていった。

 明らかになったその事実に、本当の意味で心から驚いていたのは、一生懸命に守られていた立香とマシュくらい。

 その他の、大多数の者達は、驚きこそしたもののすぐに受け入れたり、通り越して納得してしまうような者ばかりで。

 人員や設備の物理的な不足という現実的な問題を補うための、スタッフ一人一人の過剰労働がまかり通っている上に、人類という種の歴史が続くかどうかの瀬戸際なのだからと、一番大変な思いをしている子供達の負担を少しでも軽くしてあげなければと思うばかりに、それらを口にするどころか、問題だと認識することすら密かに、無意識に禁忌とされてしまっていた。

 今は辛うじて保たれていたとしても、このまま何も変わることなく続けられていけば、絶対にどこかで破綻してしまう。

 そんな不安定極まりない土台の上に成り立っているのが、今のカルデアだった。

 

 

「……僕達のことを気遣ってくれた君の気持ちは、本当に嬉しいよ。

 だけどねリンク君……例え無茶だとしても今くらいのことをやらないと、現実的に、カルデアが立ち行かなくなってしまうんだ」

 

「確かにそれは受け入れるしかない現状だよ、潔く認める。

 だけど、『だから仕方ない』と諦めて……『問題なんかじゃない』と、『自分なら大丈夫だ』と開き直って、壊れるまで無理を続けるのは絶対に違う。

 改善すべき問題点なんだってことをちゃんと認めて、辛いってことを共有して、助け合いながら、少しずつでも何とかしていくべきなんだ。

 分かっていても難しいと、仕事の方を今すぐ楽には出来ないって言うなら、せめて……『栄養バランスが大事なのは分かるけど、それでも一度くらいはお饅頭でお腹いっぱいになりたい』っていう願いくらいはたまに叶えて、元気を補充したっていいじゃないか」

 

「うわーっ、思ったより碌でもない呟きを聞かれてた!!

 お願いだから忘れてリンク君、気が緩んだ瞬間に思わずポロっと零れただけの戯言だから!!」

 

「お腹いっぱい、食べたくないの?」

 

「そりゃ食べたいよ、大好物だもの!!

 だけどこんな切羽詰まった状況で、そんな下らない願いごとに時間や労力を割いてなんていられないよ」

 

「下らない願いなんて無い、願いに優劣なんて無い。

 他人がそれを自分の価値観で蔑んではいけないし、自分自身で貶めるなんてそれ以上に以ての外だ。

 それがドクターの願いなら、それを叶えることでドクターが幸せになれるなら……俺は叶えてあげたい、ドクターに少しでも元気になってもらいたい」

 

 

 …………嗚呼、この子はその想いを積み重ねた末に世界を救い、独り眠りについたのか。

 碧玉の瞳に真っ直ぐに見据えられながら、その向こうに何処までも純粋な輝きを見つけながら抱いたそんな認識は、恐らくは彼という存在の本質を捉えたもので。

 切なさに、遣る瀬無さに堪らなくなってしまったロマニは、しかし次の瞬間、頭から引っ繰り返るのを寸でのところで持ち堪えたことで、自身にそこそこの反射神経が備わっていたことに、思いがけず気付くこととなった。

 

 

「だから俺は、メディアさんが俺をモデルにした人形を作りたいとか、着せ替えしたいとか言うのも別に構わないし、身体情報のデータが欲しいなら協力するよ」

 

「マジで!! いいのっ!?」

 

「施設の復旧作業とか、魔術関係のアドバイスとか、いつも頑張ってくれてるしね」

 

「よっしゃあああああっ!!

 力とやる気がこの上なく漲ってきたわ、日々の潤いというものはやっぱり大切ね!!」

 

「あと、そのついでで構わないんだけど、ひとつお願いしていいかな」

 

「……内容によるわね、何がお望みなの?」

 

「面子の詳細までは、音声の質が悪くてちょっと把握しきれなかったんだけど……何人かが集まって、俺が本気で女装しているところを是非とも見てみたい、疲れなんか絶対に吹っ飛ぶって、熱く語り合っているやり取りの記録があって。

 俺としてはその効果に正直疑問なんだけど、やる分には別に構わないし、それで元気になってくれるんなら嬉しいから、メディアさんさえ良ければ衣裳を作って貰えないかなと」

 

「全力を尽くさせてもらいましょうか!!」

 

「待て待て待て待てそれは流石に聞き捨てならない、いくら何でも自分自身を安売りしちゃだめ!!

 つーか誰だ、そんな会話を恥ずかしげなくしていたのは!!」

 

「あっ、特定出来た一人はダ・ヴィンチちゃんだったよ」

 

「レオナルドオオオオッ!!!」

 

「純粋に美を追求するだけの健全な集まりさ、遵守すべきNoタッチのボーダーはちゃんと心得ているよ!?」

 

「言い逃れを聞く気は毛頭ない、いいから他のメンバーについて洗いざらい吐け!!」

 

「我が身可愛さに同士を売るなど出来るものか!!

 すまない諸君……せめて君達だけでも、リンク君の艶姿をその目と脳裏に焼きつけてくれたまえ!!」

 

「ドクター、ダ・ヴィンチちゃん!!

 皆さんも落ち着いて下さい、一応ですけど会議中です!!」

 

 

 当初の目的をすっかり忘れてしまったらしい一同が、混沌と化した騒ぎを繰り広げる中で……リンクが浮かべていた確信犯の笑みに気付くことが出来たのは、肩の上のフォウだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやーそれにしても、まんまと一本取られてしまった。

 まさか彼の本命が、私達が騒ぎの中で疲れ果てて思考力が緩んだ隙に、別口でまとめておいたメインの案件を、きちんと全体会議を経て承認されたものだという大義名分までつけた上で通してしまうことだったとは」

 

「申請書類には確かに僕のサインがされているのに、全く覚えていないのが怖いよ……」

 

「これが彼自身の勝手な私欲と都合にまみれたものならば、手続き自体が正式なものを経ていようとも文句を言ったり、何とか覆そうとする者も出たのかもしれないけれど」

 

「……内容自体は隅から隅まで、僕達の負担をどうすれば減らせるか、どう工夫すれば無茶な仕事ぶりを控えてくれるのかを、一生懸命突き詰めたようなものだったからねえ」

 

 

 

 

 

『はい、じゃあ一通り読み上げます。

 まずひとつ、朝昼晩の食事は、きちんと時間を取って食堂で食べること』

 

『食堂でって……サンドイッチとかの軽食を、仕事場に持ち込むのもダメなの?』

 

『ダメです。

 その辺りを義務付けることで、仕事モード入りっぱなしだったスイッチを適度に、明確に切り替えさせるという意味合いと狙いがあります』

 

『どうしても手が離せない時があると思うんだけど……』

 

『その辺りある程度仕方ないのはわかっています、時間まで厳守しろとは言いません。

 多少前後にずれても構わないから、とにかくきちんと、三度の食事と休憩を取って下さい。

 食堂に名簿を置いて、食べ終わったら自分の名前のところにチェックを入れてもらう形で、その旨をきちんと管理させてもらうので、不摂生を重ねている人はすぐにわかります。

 本当に忙しい時とか、大事な時なら多少は目も瞑るけれど、あまり酷いようなら指導対象にしますからそのつもりで』

 

 

 

 

 

「他にも色々と……『常に仕事中のようで気が休まらなくなる上に、折角の自由時間や休憩時間を切り上げてまで仕事に戻りかねないから、プライベートの時間にまで制服を着っぱなしにするのは禁止』とかいうのもあったね。

 で、どんな気持ちだい? その決まりごとを守る以前の問題で、そもそも私服というものを持っていなくて、なけなしの白衣(仕事着)を着回していただけだった。

 ……それ以外にも、リンク君が提示した改善案の悉くに抵触してしまっていた、要注意対象筆頭のロマニ君」

 

「分かっているのに聞かないでくれ、思い出したくもない。

 ………あんな言葉、もう二度と聞きたくないし、もう二度と言わせたくもないよ」

 

 

 

 

 

『前線で、フランスの地で……怪物やサーヴァント達を相手に戦うのは、確かに大変でした。

 だけど私達は、リンクさんやジャンヌさん達、そして他でもないドクター達に助けてもらいながら、最初のオーダーを成し遂げたんです。

 大変だったけれど、それと同時に、嬉しいことや楽しいことだって沢山あったんです。

 私は、それを悪いことだったとは思わないし……皆さんが同じように、この大変な状況の中で、僅かに残った嬉しさや楽しさを見つけようとすることが、悪いだなんて絶対に思いません』

 

『一生懸命に助けてくれた、俺達を少しでも楽にしようと頑張ってくれたドクター達が、誰にも助けを求めることなく無理をしていたら、自分達は楽をしてはいけないなんて思っていたら、その方がずっと嫌だよ。

 俺達を、無理をする理由になんてしないで……俺達がそれを望んでいるって、喜ぶだなんて思わないで』

 

 

 

 

 

 立香とマシュが……自分達が何としても繋げたいと願っている人理の、未来の象徴と言うべき子供達が、心の底から悲しくて悔しそうな声と表情で言ったそんな言葉が、ロマニを始めとしたスタッフ一同の胸に、見えない風穴をぶち抜いた。

 少しでも休んでしまえば、気を抜いてしまえば、自身の楽しみのためなんかに貴重な時間を費やしてしまえば、それが巡り巡って……自分のせいで、人理の崩壊が確定してしまうのではないか。

 そんな不安が、多かれ少なかれ誰の中にも存在していたことに、一同はようやく気が付けた。

 

 自身の体に鞭打って、無茶を押し通すことで、少しだけ安心できた。

 これだけ頑張っているのだから大丈夫だと、これだけ頑張っても無理だったならばそれはもう仕方がないことだと。 

 そんな後ろ向きな、いざその時が来てしまった際に潔く諦めるための心の準備をしているかのような、方向違いの努力を違和感なく押し通すために、『立香やマシュのため』というお綺麗な理由を掲げ上げる。

 彼らを助けたい、出来る限りのサポートをしたいという、これっぽっちも嘘が無い純粋な想いの裏に、そんな歪んだ思惑があったことを誰一人として、当人達から指摘されるまで気付かなかった。

 気付いてしまったリンクは、それを見過ごせなかったのだ。

 膨らみ続けていた風船に盛大に針を叩き込んで、それが破裂した結果巻き起こった混乱に乗じる……を通り越して利用するほどの度胸と強かさで以って、彼が計画を強行してくれなければ、無意識の内に凝り固まってしまっていたスタッフ達の思考回路を改善させるのには、もっと長い時間と手間がかかったことだろう。

 

 

『そもそもの話になるけどね、個人がちょっと休憩を取っただけ、ちょっと自分の楽しみを優先しただけ、ちょっと失敗しただけですぐに、挽回しようと頑張る余地もなく終わってしまうような世界だなんて、言っちゃ悪いけどもう手遅れだよ。

 そんなことは無いのなら、まだまだ大丈夫だって言うのなら、もっと信じよう。

 世界は、人の歴史は、数えきれないほどの人達が長い時間をかけて、命と想いを繋げてきた軌跡は、簡単に焼き尽くせるほどに弱くないって。

 俺は信じてる……最後の瞬間まで決して諦めずに、奇跡を信じた人達の声が、伸ばした手こそが、俺をここに呼んでくれたんだから』

 

 

 その言葉に全力で頷いた立香とマシュが、明らかに根を詰めすぎな者や、見てわかる程に疲れている者を積極的に、半ば引きずるような勢いで食堂まで連行してくる光景が、今や新たな日常になろうとしている。

 前は酷く張り詰めていたと、随分と穏やかになったと明確に感じられるほどに一変した空気の中で、また一人引っ張ってきた立香とマシュの、元気な声を聞きながら。

 健康面を考えれば明らかに良くはないけれど、それでもたまにはいいだろうと言って笑いながら、エミヤが用意してくれた山盛りの饅頭を遠慮なく口いっぱいに頬張りながら。

 

 

「こんな状況でも、幸せだなあって………僕も、僕でも、思っていいのかなあ」

 

 

 立香達が聞いていたならば、『当たり前だ』と言って怒りだしそうなことを、本当に何気なく呟いたロマニ。

 その表情は、今にも蕩けそうな、情けない顔だと笑われそうな、本当に幸せそうな笑顔だった。

 そんな彼の下に、リンクが環境改善を更に進めるための新たな提案を持ち込んでくるのは、それがまた別の騒動のきっかけとなるのは、まだもう少しだけ先のこととなる。

 




「ドクターの、お腹いっぱいの饅頭の願いは、エミヤが叶えてくれた。
 メディアさんには人形作りの許可を出したし、ダ・ヴィンチちゃん達のは衣裳待ちだし……現状で何とか出来るのは、これが限界か」


 故郷の料理を食べたい。
 外で思いっきり走り回りたい。
 家族や友人に会いたい。
 そういった、本当ならとても細やかなものの筈の、願うまでもなく叶えられる筈のことこそが。
 今のこの状況においては、到底手が届かない夢物語だった。


「絶対に忘れない、絶対に叶えてみせる。
 どれだけの時間が、どんな手間がかかったとしても、必ず。
 ………だから、今はせめて」


 自身の手の甲を押し頂きながら、リンクが人知れず祈りを捧げた、その日の夜。
 例外なく誰もが、とても幸せな夢を見たという。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。