No Answer 作:報酬全額前払い
(ただし、その愛は指揮官に向いているとは言っていない)
『────』
男の声がした。聞きなれた男の声だ。ここに居るはずのない男の声だ。
なぜ分かるって、それはもう死んだ男の声だから。自分が殺した男の声だから。
聴覚には何も反応がなく、音の波は人間そっくりに作られた鼓膜を揺らしていない。しかし、それは確かに聞こえてくる。
──嗚呼、来たのか。もしかして、リミッターを壊した事に反応して出て来てくれたのかもしれない。
心の中で息を吐く。それは嫌な感じでなく、歓喜が篭っていた。
視界から色彩が消えていく。どんどん灰色になっていく世界の中に、一つだけ色付いたものがあった。
スコーピオンの目の前に、かつて
人はそれを、きっと亡霊と呼ぶ。
彼女の前に亡霊が現れるのは、今回が初めてではない。いつでもどこでもそれは現れる。最後に見た格好で、最後に見た虚ろな目をしながら。
シャワーを浴びていようと、生死の掛かった戦場であろうと、それは見境なくスコーピオンの前に現れ、何かを言うのだ。
でも何を言っているのかは分からない。声はノイズがかったように乱れているから、何を伝えたいのか分からなかった。
どういう訳か口の動きから内容は読み取れず、でも、きっと話してる内容は纏まりがないのだろうという確信がある。彼女の知る彼は何時もそうだったから。
一呼吸前までは不味いレーションに文句を言っていたかと思えば、呼吸の後はこれからキメる薬の話を始める。
昨日の話、ご飯の話、今日の話、薬の話。話題はとっちらかっていて、その全てに統一性がない。
今にして思えば、彼は狂っていたに違いない。当時は気づけなかったが、客観視した今ならば言える。スコーピオンですら、それは断言できた。
そんな彼には、一つだけ芯に決めている事があった。
それは『明日の話だけは絶対にしない』という単純な誓い。
明日があるだの、また来られるだの、そういう未来に関する言葉だけは、文字通り口が裂けても言おうとはしなかった。
この世紀末において、明日というものが間違いなく訪れる保証はないと、本能的な部分で察していたのかもしれない。
あるいは、それまでの人生経験で、そう誓うだけの何かを体験したのか……。
お陰で評判は悪かった。度の過ぎた使い潰しをする指揮官、なんて言われていた事を知っている。
更に言うなら、大金を得たら即日使い切る男だった。宵越しの銭は持たない主義と言えば聞こえは良いが、そのお陰でいつも貧しかったのだ。彼は間違いなく、組織を率いる者としては最低だ。
でも彼女は、そんな彼の刹那的な生き方に惚れ込んだ。
使い捨てで、いつゴミ箱にポイされるか分からない人形は、長く楽しむより一瞬の楽しみを重視する者が多い。スコーピオンもまた、それを重視する一人だった。
酒に、薬に、あらゆる刹那的な快楽に染まって身も心もボロボロになっていく彼に、彼女だけは寄り添っていた。
多くの者が離れていった。最後は人形すらも離反して、やがて彼と彼女だけになった。
この幻覚と幻聴が始まったのは、彼を殺した後からだ。
初めは自分の気が狂ったのだと思った。
次は、何らかの原因で破損した記憶ファイルを無理やり読み込んでいるからバグったのだと思った。
しかしどうも違うらしい。まだ自分は生きていて、狂ってもいない。
今の指揮官になってから与えられた隔離のための個室で考えていくにつれて、やがて一つの結論に行き着いた。
彼は、きっと死んでも自分を忘れられなかったのだろう。自分が彼に心底惚れていたように、彼も自分に心の底から惚れてくれていたのだ、と。
そうでなければ、成仏を忘れてわざわざ会いに来る理由の説明がつかないではないか。
自分がいつまでも彼を忘れられないのと同じように、彼もまた、そうだったのだ。
だから自分も愛を示そう。彼にやったように、出会う人間にこの世で体験できるあらゆる責苦を味あわせて、最後は燃やして殺そう。
彼を焼き殺した時に自分の電脳に刻まれた、あの素晴らしい光景を彼にも見て欲しいから。
燃え尽きていく身体の内側から垣間見えた、どれほど大きな宝石でも勝てない、この世で最も美しい生命の煌めきを彼と共有して伝えたい。あなたの輝きは、これより凄かったよと。
前方に立つ彼と目線が交わる。彼を境目にして、手前側には色が無かった。
「ぁはっ」
口の端から漏れた声が、当人にも分からぬ感情を乗せて消えていく。
そのまま直進して彼の腹部を貫くように突き進もうとすると、接触するよりも早く、彼にヒビが入った。
あっと思う間もなく、まるでガラスにハンマーを打ち付けたようにヒビ割れ、やがて粉々に砕けて破片が飛び散った。
彼の破片が頬を撫で、赤い軌跡を遺して消える。
いつの間にか、嗅ぎ慣れた硝煙の臭いと色付いた世界が戻ってきていた。
声はもう聞こえない。
「スコーピオンさんの動きが……」
「リミッターを外したわね。あのままだと放置しても二分ってとこかしら」
FALは冷静に分析する。確かにここが外し時だ。ここで勝負を決めなければ、後は押されて死ぬだけなのだから。
尤も、外したところで勝てはしないだろう。その程度で勝てるのならば、指揮官はもう生きていない。
だからこれは、言ってしまえば完全に無駄な行為だった。
人間に近いように作られたためか、機械生命体にしては合理的でない選択肢を取ることも多い人形でも、それが理解できない。
何がそこまでスコーピオンを駆り立てるのか、FALは聞いたこともなかった。まあ、知るつもりもないが。
それは他人の
FALにはFALなりの流儀があり、スコーピオンにもスコーピオンなりの流儀がある。それだけの事だろう。
他人の個室は覗かず、詮索もしない。昔からずっと言われている、生き残るためのコツである。
S03で生きていくには、この一言をこそ肝に命じておくべきだった。
「瞬きせずに見てなさい。10秒もあればケリがつくわ」
前から一体。後ろから二体。合計三体もの特攻野郎が脆弱な人間を目掛けて突進していく。
その内の一体が、FALの見慣れた刃物を取り出した。
「は?」
思わず言葉が出てしまったのは仕方のない事だ。
自分の部屋にあるはずのククリナイフが、スコーピオンの手の中にあるなんて知らなかったからである。
そのククリナイフは既に誰かに使ったのか、赤黒いものが付着しているのが見えた。
「あれ安くないんだけど……」
FALがボヤいた時、おもむろに取り出されたククリナイフはM1895の眉を僅かに動かしていた。
「無謀な特攻じゃな」
二丁のリボルバーが火を噴く。勇敢と称するには些か無謀に過ぎる二体の蠍は、しかし強化された脚力で弾を避けた。
リミッターを壊したスコーピオンは、足を撃ち抜いたとしても止まろうとはしないだろう。
腕があれば這ってでも進むし、今の勢いだと倒れた時のズサーッとした滑りだけで指揮官に到達してしまいそうだ。
だから狙うべきは足ではなく、腕でもない。その頭のみ。
かなり高速で進んできているから、そのチャンスは一度きり。外せば指揮官が死ぬ。
そんな極限の状況でM1895が僅かに見た指揮官は、M1895に背を向けてネゲヴの方を見ていた。
その無防備な背中は、まるで後ろから襲われる事を考えていないかのようで、それが信頼の現れだとM1895は分かっていた。
ならば
(わしはやれる事をやるだけじゃ)
一発だ。
一発だけで、あの頭を撃ち抜く。
口に出さず宣言したM1895は、そのまま意識を可能な限り尖らせた。
先に外した一発で誤差は分かった。後はそれを修正するだけでいい。それに余計な気負いはいらない。結局のところ、これは移動する的を使った的当てだ。
ふっと微かに呼吸をして、自然体のまま引き金を引いた。
そうしてから、その弾丸の行き先を見ずにククリナイフ片手に突っ込むスコーピオンの前に立つ。
「でえいっ!」
縦に一閃、M1895の胴体を切断しようとククリナイフが迫る。
M1895はその軌道を良く見て、それに合わせるように左手に持つリボルバーの側面を突き出した。
スッと斜めに当たったククリナイフは、リボルバーの側面を滑ってズレていく。
そのまま勢いよく左腕を振れば、ククリナイフの軌道が右側に大きく外れていった。
まさかパリィまでされるとは思わなかったスコーピオンの驚いた顔が至近距離に現れる。それにM1895はニッコリと笑いかけながら、右手のリボルバーを発砲した。
「老兵を甘く見るから、そういう目に遭うのじゃ」
この程度はお手の物よ、と動きを止めたスコーピオンに言ってリボルバーをホルダーに仕舞う。
さて、こちらは済んだとネゲヴの方を見れば、向こうも丁度片付きそうであった。
これはスコーピオンに限った話ではないが、ネゲヴにタイマンで勝てる人形は少なくともS03には存在しない。
というのは、そのボディのスペックがケタ違いに高く、それに経験という牙が上乗せされてしまっているからだ。
彼女を構成する内部パーツにどんなものを使っているのかは知らないが、誰がどう見ても既存パーツより遥かに性能が良いものを使っている事に疑いの余地はない。
そして、その規格外のボディスペックから引き出される身体能力は、リミッターを破壊して自滅覚悟の能力向上を行ったスコーピオンに並走する程だった。
しかも涼しい顔でそれを行っているところを見るに、まだ余裕がありそうである。
そんなネゲヴは、撃ちきったらしいPPKを投げ捨ててスカートの内側から何かを取り出したところだった。
右手に装着されたそれは、ギラリと凶暴な輝きを放ちながら解放の時を待っている。
それは、一撃必殺の代名詞にして、ロマンの塊とも呼ばれる近接武器。
当たれば殺せるが外せば死ぬ。そんな分かりやすいリスクとリターンを提示するコレは、過去に幾人もの人間を虜にしてきた魔性の武器だ。
つまるところパイルバンカーである。
いつものスカートに隠れる太ももに装備している携帯用パイルバンカーは、まるでネゲヴに元から与えられていた武器だったのではないかと錯覚させられるほど似合っていた。
それが獲物を捉えた。
食い破られたスコーピオンが、被弾箇所を中心に上と下に分かれる。
リミッター破壊の影響で既に痛みは感じないが、それでもスコーピオンは残念そうに天井を見上げていた。
(ああ……)
もう指も動かない。それがリミッター破壊の代償なのか、それともパイルバンカーで食い破られたせいなのか、もう判断がつかない。
(今回も駄目だったかぁ)
すぐ真横に、どくどくと擬似血液を放出している下半身がある。
そのすぐ近くに転がったポーチにぶら下がっている焼夷手榴弾を撃ち抜かれ、そのまま焼却されたのだった。
あれがS03の最高戦力。
あれが指揮官の最も信頼する人形。
そして、あれが最上位勢の争いか。とSPAS-12は畏れと感心が入り混じったような息を吐いた。
そうしてから手が濡れている事に気付いて手元に目線を落とすと、そこには握り潰された缶コーヒーの無惨な姿がある。
「あちゃー……」
やっちゃったか、と近くのロッカーからモップを取り出しながらSPASは先の戦いを振り返った。
やはり昔からの古参だけあってか、スコーピオンもM1895も凄まじい強さだった。もしあそこに立っていたのが自分だったなら、きっと30秒と持たずに骸に成り果てていただろう。
だがそれより気になったのはネゲヴの方だ。
最後に見せたあの機動力は、民生機では到底出し得ないはずのものである事を、その出自からSPASは分かっていた。
しかし、特殊部隊用に調整されたSPASよりも更に上のボディスペックなんて有り得てはいけないはずである。SPASよりスペックが上にいってしまうと、それは"民生機"という括りから逸脱してしまうからだ。
(……ああ、これ詮索したらヤバイ奴だ)
そこまで考えて、ちょっと触れてはいけない部分に気付いたSPASはその思考を放棄した。
彼女の
でもとりあえず言えるのは一つ。
「あそこに立ってたのは全員バケモノだってことね……」
あの三体がいるなら、どんな相手でも負ける気がしないのは確かだった。
この先どんな感じで進めましょうかね?
-
既存キャラの掘り下げ
-
新キャラを出す
-
世界観とかを詳しく描写する