No Answer   作:報酬全額前払い

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空ジョッキにビール

 

 低層区画のとある闇市は、今日も死人のような人々で静かな賑わいを見せていた。

 数ある闇市の中でも一番マシな此処は、石を投げれば当たるほど……とまでいかずとも、他の闇市より遥かに人が多い。辺りを見渡せば人の姿は至る所にあり、それに比例するように店舗の数も多かった。

 

「……そういやよう、聞いたか」

 

「聞いたって何をだよ」

 

 その一角にある小さな飲み屋で、ボソボソと会話をする男が2人。近くにいる店主すら聞きとりにくいほどの小声は、当然ながら道行く人々には聞かれない。

 

「殺しが起きたんだと」

 

「殺しぃ?おいおい。殺しなんざ、そこの路地裏でも起きてんだろ。今さら騒ぐほどのことか?」

 

「並みの殺しはな。けど今回は違う、殺られたのは人形だ」

 

 無精髭を生やした男の眉がハの字になる。殺したのが人形ならば日常茶飯事だが、殺されたのが人形となると話が違う。

 

「そいつは……珍しいな」

 

「ああ。そいつはもうパーツ単位でバラされて売り飛ばされたって話だ。殺したヤツは儲けたな」

 

 人形が殺されるなんて基本的に起こらない。何故なら、人形の方が人間より遥かに強く、襲ったところで返り討ちにあってしまうのが関の山だからというのが一つ。そして、この街に落ちてくる奴は大抵の場合それなりの場数を踏んできているから経験面でも叶わないからというのが二つ。

 

 雑に説明すればこの二つの理由が主だが、それでも絶対に殺されない訳ではない。

 とはいえ、やはり珍しい事に変わりはなく、そんな訳だから人形のパーツには希少価値による高値が付けられて取り引きされている。一攫千金とまでは言わないが、それでも破格の金額を得る事が出来るのだ。

 

「俺らも狙うか?」

 

「バカ言え。なんで命を投げ捨てるようなマネしなきゃいけねぇんだよ」

 

「冗談だ」

 

 そして今、低層区画ではその話題で持ちきりになっていた。そこかしこで似たような話題がされていて、中には良く分からない尾ひれが付いている話もあるほどだ。

 娯楽も話題も無い低層区画では、何か事件があるとこうして話題が一色に染まる。しかし、殺人事件すら娯楽として扱われてしまうところに、S03に暮らす住民の凶悪度というものが表れているだろう。

 

「……それにしても、なんだかやけに物々しいな」

 

 無精髭の男がちらりと目線を道の方にやれば、警備部隊のレインコートを着た人形が此れ見よがしに歩いていた。

 その身体から殺気が漏れているところを見るに、今話していた内容が関係しているのだろう。とアタリをつける。

 

「今日はやけに見回りの回数が多い。人形が殺された事が関係してんのかね」

 

「いい気味だ。ああいう連中は俺たちが死んでも知らんぷりなくせに、身内が殺された途端にああなりやがる。どうせ替えがきくってのによ」

 

「おいやめろ。聞かれたら殺されるぞ」

 

 慌ててそう言うと、ハッとしたように口を閉じた。元々小声で話していたからか、多少声が大きくなったところで片方の男が危惧していたような事にはならなかったものの、心臓に悪い。

 通り過ぎていく人形の背中を見送りながら、安堵の息と共に縮こまるように座っていた姿勢を直す。

 

「わりぃ」

 

「気をつけてくれよ。お前のダチがアイツらに殺されたのは知ってるけど、お前まで後を追う事はねぇだろ?」

 

「だな……どうかしてた」

 

 咎められた男が髪をガシガシと掻く。悪酔いしか出来ないクソ品質のアルコールで酔いに来たのに、その酔いはもう完全に覚めてしまっていた。

 

「今日はここで飲むの止めるか。このままだと、おちおち酔いも出来ねぇだろ」

 

「だな……」

 

 酔った勢いに任せて何かを口走り、そのまま射殺されるなんて笑い話にもならない。つい先日見た死体と同じ目には会いたくないと、人形に比べれば遥かに弱い男達は震えた。

 粗末なカウンターに代金を置いて2人は席を立つ。レインコートのフードを目深く被って屋根の下から出ると、すぐに雨粒がフード越しに男達の頭を打ち付けはじめた。

 

「……今日は見えるんだな」

 

 この闇市の道からは、雨脚が弱ければ行政区画を囲っている壁を見ることが出来る。

 見上げるほどの壁の向こうに何があるのか男達は知らない。だが少なくとも、この闇市で流れてるような物よりは良いものが置いてある筈だ。そして人間・人形を問わず、自分たちとは比べ物にならないほど良い生活をしている奴が沢山いるに違いない。

 

 そう思うと、あの壁をぶっ壊してやりたくなるような衝動に駆られる。ぶっ壊して、中のものを全て略奪できたなら、それはどれだけ幸福な事なのだろう。

 

「どうした?壁なんか見て」

 

「いや、デモやテロを起こす奴らの気持ちが分かるなって思っただけだ」

 

 そんな夢物語を頭の中で切り捨てながら、男は壁に背を向けて歩き出した。

 出来もしない夢を見るのは個々人の自由だが、夢を見たところで現実は変わらない。そして高い壁という現実を見ていると、なんだか自分が酷く惨めに思えてしまって嫌だった。

 

 こういった気分を切り替えるには、やはりアルコールが最適だ。飲んで酔えば、少なくともその間だけは惨めな気持ちから逃れる事が出来る。

 酔いが覚めた後により惨めな気持ちになろうとも、その瞬間だけは。

 

「どっかでアルコールを売ってると良いんだけどな」

 

「なら泥棒市場に行くか?あそこだったら質はともかくモノは何かしら手に入る」

 

「そうするか」

 

 そうして歩き出した男達の足は──背中側から聞こえてきた銃声によって、空中で縫い止められるように止まった。

 慌てて振り返ると、どうやら先ほどの人形が何か気に障るものを見つけたらしい。雨のせいで悪い視界の中でも分かるくらいの存在感を放つ銃は、当然脅しで構えられているわけではない。

 

「……急ごう」

 

「ああ」

 

 スタコラサッサと逃げ出した男達の後ろで、また一発の銃声が鳴った。

 

 

 ずずっ、ずー。ずーずー

 

 そんな騒動と同時刻、相も変わらずぐずついた天気の下。廃屋の軒下で、静寂に音を響かせている人形が一体。

 紙パックの飲料を片手に持ちながら壁に寄りかかっている様子は、パッと見ると雨宿りをしている普通の女の子にしか見えなかった。

 

 ここがS03でなければ男に絡まれまくること必至な容姿と身なりは、S03という場所に限って言えば異質なものだ。

 この地区で身なりを整えられるという事自体が一種のステータスとして扱われる事を加味すると、彼女が並みの存在ではないという事実を窺い知れるからである。

 更に言うなら、バーコード部分にグリフィン直営のコンビニのシールが貼られている紙パックを持っているという点でも、それなり以上の身分である事が分かるだろう。

 

 そこまで分かっていて手を出す愚か者はS03では長生きできない。そしてそんな愚か者はこの地区では一握り以下の貴重な存在であり、幸か不幸か出没しなかった。

 出てきてくれれば暇潰しが出来るのに、と残念がる彼女の口から伸びたストローに入り込む空気の割合が増え、それでもまだ口からストローを離さないのは、寂しい口元を誤魔化すため。

 

 ずっずずっ、ずすずずっ

 

 やがて楽しくなってきたのか、何かリズムを刻み始めた彼女の足下には食い散らかされた食品のゴミが散らばっている。

 こんもりと積み上がったそれを見れば、彼女がどれほどの時間をそこで過ごしていたかが何となく伺えるだろう。

 

 ずー

 

「ふぁっ」

 

 ……どうやら、ちょっと力を込めすぎたらしい。手の中で無惨な姿に変貌した紙パックだったものを残念そうに見つめながら、もう空気しか吸い込めないストローを見つめる。

 すーすーという空気を吸い込む虚しい音は、雨音に紛れて消えていった。

 

「んー……」

 

 手持ち無沙汰になってしまった彼女は前に広がる光景を眺めた。

 雨は常に一定のペースで地面を叩き、穴ぼこだらけの道路の至る所に水たまりを作っている。道路脇には途切れる事のない水の流れが続き、排水溝に吸い込まれていた。今更ながら、よく排水施設がパンクしないなと彼女は感心した。

 湿った風が頬を撫で、言いようのない不快感を残して消える。殆どの部位がレインコートに守られているだけに、守られていない箇所に当たるものに若干強めに反応してしまうのは仕方のない事だろう。

 

(人間が生きるには厳しすぎるよね、ここ)

 

 人形である自分ですら少し嫌気がさすほどなのだ。人間にとって、ここは地獄の釜の底であるに違いない。

 何時だったか、このS03の事を"車で行ける地獄の底"と呼んだ奴がいたらしいが、それも尤もだと思った。こんなところに落とされるくらいならと自殺を選ぶ者が多いというのもまた、当然のことだ。

 

 ゆらり、ゆらりとストローの先端を上下に動かすこと数百回。待っていた指示がネットワークを介して届いた瞬間に、彼女はストローを噛みちぎった。

 

「やっと来た」

 

 噛みちぎった際に口の中に残ったストローの残骸を吐き捨て、地面に落ちたストローを踏みにじる。その行為に意味は無い。昔の資料映像(映画)で見てカッコイイと思ったから真似してみただけだった。

 背中を預けていた壁から離れ、立てかけておいた傘を手に取る。バサッと傘が広がる音と共に、このS03では場違いな装いの彼女は雨の中に消えていく。

 

 

 世界が崩壊液に汚染され、国という枠組みが崩壊しかかってから世界に保証という言葉は消え去り、職業、今日のための糧、明日を迎えるための武力、その他諸々……。それらを全て自前で補わなければならなくなった。

 

 しかし当然ながら仕事の供給にも限度があり、更に無人化や人形を用いるという企業の姿勢によって、その供給も段々と細くなっていっているのが現状だ。

 そのため、少しでも銭を得られるのならどんな仕事でも躊躇いはしない者が世界的にも多くなりつつある。

 

 僅かな金を得るためにテロ組織に入り、PMCと敵対して殺される。なんて話はありふれたものだ。真っ当に稼ぐことも、真っ当に生きることも難しい今の世の中は、かつてよりもずっと人の死が身近に存在していた。

 薄暗い路地裏で死体を漁る子供たち。なんて光景も珍しくなくなりつつある。……少なくともS03では、割とよく見るものだった。

 

 限りある物資を巡って争い、その数を減らしていく。ここでも、ここ以外でも当然のように行われている弱肉強食的行為は、世界のどこでだって起こっている事でもあるのだった。

 右手に見える壁が崩れた廃墟から漂ってくる血と臓物の臭いは、そんな世界に喰われた者の成れの果てだ。

 

 その臭いの発生源は気の弱い者が見れば失神ものの惨状だったが、その惨状を何度も自分の手で作ってきた彼女にとって、それは安らぎすら覚えるほど見慣れたものである。

 

 やせ細った野良犬が廃墟に潜り込んでいくのを横目で見ながら、彼女は売春窟へと足を向けた。

 くるりくるりと傘を回転させながら、道路に残った白線を引いた跡の上を歩く。ただそうしているだけだというのに、売春窟に近付くにつれ彼女は人の目線を一身に集め始めた。

 

 彼女が着ているレインコートが警備部隊のものであるというのが目線を集める理由の一つだが、もう一つはやはり傘である。

 レインコートを着ているのに傘をさす、という特長的すぎる外見は、遠くからでも人目を集めやすいのだ。

 

 そしてそれは、彼女が誰かを指し示すトレードマークとしての役割も果たしていた。

 

「ごめん、待った?」

 

 そんな彼女が足を運んだのは、売春窟にある酒場である。警備部隊隊長のトンプソンが頻繁に訪れている事で隊員達の間では密かに有名な此処は、この周辺で一番大きな酒場であり、同時に売春宿でもあった。

 

 そんな酒場のカウンター席の端っこに、待ち合わせていたモシン・ナガンは座っていた。

 

「ううん、全く。ウォッカを一本空けた程度よ」

 

「それってまあまあ待たせたって事でしょ」

 

「いや。この嬢ちゃん、10分足らずで空けやがったぞ」

 

 店主の言葉によると、本当にそれほど時間は経過していなかったらしい。

 だが、いくら人形といっても10分でウォッカを一本空けるなんてと思う。少なくとも自分はやりたくない。出来ないとは言わないが、罰ゲームでもなければやらない。

 

「マスター、いつものね」

 

「それよりSPAS、遅かったじゃない。やっぱり見回り長引いたの?」

 

「うん。その分お給料は貰えるから良いけど、退屈だったよ。メイワクな話だよね」

 

 注文を入れたSPASの前に出されたのは、ジョッキに注がれた缶ビールである。

 追加で出された何かの肉を齧りながら仕事の愚痴を垂れ流す姿は、かつて良く見られた仕事終わりのサラリーマンのそれに酷似していた。

 

「仕方ないじゃない。いくら私たちだって、不意を突かれたら呆気なく殺されるんだから。誰もが貴女みたいなバカ装甲じゃないのよ。あ、マスター?私にもビール」

 

「あいよ。……人形が殺された話か?」

 

「あら、知ってたのね」

 

「知ってるも何も、この地区は何処も彼処もその話題で持ちきりだ。知らねぇ奴はもう居ねぇよ」

 

「そんなに?」

 

「ああ。それにしても珍しい事があったもんだな、どこの馬鹿だ?グリフィンに正面からケンカ売ったマヌケはよ」

 

 モシン・ナガンの前にも豪快にジョッキが置かれ、店主も話題に入ってくる。

 嬉しそうにしながら一息で半分以上飲み込んだモシン・ナガンを横目に、SPASは肩をすくめた。

 

「さあ?なんか殺される直前のデータが保存されてなかったみたいで、犯人像すら分からないんだって」

 

「おいおい……それ大丈夫なのか?」

 

「大丈夫じゃないに決まってるよ。だから今そこら中がピリピリしてる」

 

 通常、人形は殺される直前までのデータをデータベースに送信して記憶を補完する。そしてそれは基本的に常に行われるもので、死ぬ前から送信を止める事は無い。

 だが、その送信を絶つ方法も無い訳ではない。それは、人形の電波を遮断するジャマーを用いることである。

 

 データの送信を止める方法は基本的にこれ一択であり、それをされたという事は、つまり相手が対人形を意識して行動しているという事の証明でもあった。

 

「相手は確実に私たちを狙ってる。わざわざジャマーなんて用意してるのが証拠」

 

「心当たりは……ありすぎて分からないわね」

 

「まあアンタら、色んなところから恨み買ってるからな」

 

 むしろ恨みを買っていないところを挙げた方が早く済む程度には、グリフィンは各地で恨みや嫉みを買っている。

 それは企業として成功したが故に同業他社から向けられる嫉妬だったり、あるいは人形の存在に嫌悪感を抱く人間至上主義者たちだったり、挙げはじめればキリがない。

 

「まあこっちとしては飲みに来る固定客さえ居るんなら何でもいいけどよ」

 

「店長のそういうストレートなところ、私好きよ」

 

 モシン・ナガンが空にしたジョッキが、次の瞬間には当たり前のように注がれたビールでなみなみと満たされる。

 阿吽の呼吸とでも言うべき無駄な連携に、SPASは感心したような、それでいてどこか呆れたように息を吐いた。

 

「それにしても、ジャマーか……厄介なモノを持ち出してくる」

 

「お前らには良く効くらしいな。そのジャマーとやらを使われて、人形の死体が5個も並んだらしいじゃねぇか」

 

「……個数までバレてるとか、ちょっとウチの情報管理ガバガバすぎない?」

 

「どこから漏れたんだか」

 

 そう言って、モシン・ナガンとSPASは同時にジョッキを空にした。

 

この先どんな感じで進めましょうかね?

  • 既存キャラの掘り下げ
  • 新キャラを出す
  • 世界観とかを詳しく描写する

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