レイシフトの私的な使用は法律で禁止されています 作:ペニーボイス
1998年、インドとパキスタンは二カ国揃って世界に衝撃を与えた。
まず、インド人民党が選挙公約通りに核実験を行い、パキスタンが報復的な核実験をおこなったのである。
1947年以来、この二カ国は主にカシミール地方を巡って対立してきた。
双方とも軍拡、核開発に勤しんできたし、カシミールでは3度に渡って衝突している。
インドはソ連を味方につけたし、パキスタンは中国を味方につけた。
かのタリバーンがアフガニスタンで政権を握ったのも、パキスタンの支援があってこそで、パキスタンの目論みといえばアフガニスタンに親パキスタン政権を築く事にあったのだ。
※ストーム333作戦の結果生まれたアフガニスタンの共産政権はソ連の息がかかっており、インドとソ連の親密さを考えれば、パキスタンの北側にそういった政治体制が存在するのは安全保障上の重大な懸念であった為。
伝統的とも言えるこの2カ国の対立を、1940年代にイギリスから相次いで独立した時に始まったと言うのは、少しばかり早計ではないかと…少なくとも筆者は思っている。
根はもっと深いところにあり、多少イギリス人が噛んだ部分があったとしても、それだけでイギリスだけに、大英帝国だけにその責任を求めるのは不公平に思える。
極端で不謹慎な言い方かもしれないが…パレスチナの例と同様に、彼らは現地にあった既存の対立関係を利用したに過ぎないのではないだろうか?
少々彼らに同情的過ぎるかもしれないが、イギリス人達はこの地域に進出する際、必然的に少数で多数を支配する必要に迫られた。
そしてその方法を見出したからこそ、この地にユニオンジャックが翻る事になったのだ。
彼らがこの広大な土地とそこに住む人々をコントロールするには、産業革命と最新鋭の兵器ではしばしば不足していた。
だから彼らは…時に"多数の中から"支援を必要とし、そしてそれを得たのだった。
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チェ・ゲバラの肖像写真が貼られた冷蔵庫から、二本の冷えたスポーツドリンクが取り出された。
それを取り出した人物は、その内の一本を俺に向かって投げ渡す。
俺は3時間あまりの作業によって大量の汗をかいていたから、この飲み物は非常に有り難く思える。
そして、俺は有り難く思った時にどうすればよいかという教育を、もちろん学んでいた。
「ありがとうございます、バーイーさん。」
「こちらこそ感謝したい。貴殿のおかげでようやく落ち着けそうだ。ここの空調は少し冷え過ぎる。」
ラクシュミー・バーイーは褐色の額に浮かぶ汗をタオルで拭いながら、こちらにも別のタオルを寄越してくれた。
俺はまたお礼を言って、自身の汗を拭う。
タオルを顔に近づけた瞬間にフレグランスな匂いがして、卑しくもニヤけてしまった表情を隠すために長めに汗を拭った………はいはいはい、正直に言いますよ!くんかくんかしてましたよ!!!
俺自身のゲスさ加減はこの際傍にでも置いといて、インドのジャンヌ・ダルクのお部屋で何をしていたかといえば…ホームズ氏からの依頼を遂行していたところである。
過去の誤ちを穴に埋めてもらうかわりに、俺は彼女の部屋の空調の改造を引き受けたのだ。
改造といっても半ば調整のようなモノで、ただし、俺のスキルの不足から時間と労力を要したものの、最終的には上手くいって一息ついているところ。
俺が作業している間、バーイーさんは脇目もふらずにトレーニングをされておりました。
冷蔵庫のチェ・ゲバラといい、全身汗だくになるまでのトレーニングといい、反乱者というよりは革命家という印象を受ける。
ただし、この褐色美女のトレーニングウェアの着こなし具合は、ジャングルの革命家とは対照的なほどピッシリとしていた。
バーイーさんは肘掛椅子に座り、軽く目を瞑って息を整えている。
スポーツドリンクを二口ほど飲んだ後、俺を対面の肘掛椅子に促した。
もう感動モノのお心遣いありがたき幸せにあります。
「あ〜。やはり改造をお願いして良かった。この…自然な感じ…ジャーンシーを思い出す。」
まあ、俺としては少し暑いくらいなんだが。
普通ならそんな調整くらいリモコンで何とかなると思うんだけど、この施設が建てられた時空調施設を導入した人間は少しでも経費を抑えたかったらしい。
そのおかげで今俺は汗でヌルテカッてる褐色美女をっていかんいかんまた悪い趣味がでてらぁ。
「…ああ、そうだ。貴殿に聞いておきたい事があった。」
「はい?」
「ここへ来た後、書物を読んだ。ジャーンシーが…いや、インドが"あの後"どうなったかという本を。アレは本当か?」
「………すいません、どういう本をお読みになられたのでしょうか?」
「この本だ。」
驚くべき事に、それは世界史の教科書だった。
あの、高校入りたての時に渡される、アレ。
大して中身も見ないうちに机の中にしまってしまうアレである。
何だってこのカルデアの方々は自分の死後の事を気になさるのだろうか。
気になる?
自分が姿を消した後の世界がどうなったか、そこまで気になる?
…気になるのかなぁ。
俺のような人間なら、仮に今ここでくたばってもこの後の世界なんて気にもならない。
何故ならこの世界にそこまで固執できるモノがないからだ。
気高い志があるわけでもなく、自身の王国を持っているわけでもない。
じゃあ今すぐ死ねるかと言えば話は別だが、しかし、死んでしまった後までこの世界のことを考えているとは思えないのだ。
インドのジャンヌダルク、ラクシュミー・バーイーは大英帝国との戦いの中でその生命を失った。
彼女がインド大反乱の際に立ち上がったのは、イギリス側がいわゆる『失権の原理』を用いてジャーンシー藩王国をイギリス東インド会社に併合した為だった。
彼女の王の間には子供がおらず、王の病没後イギリスはそれを口実に藩王国を取り上げた。
彼女は養子を迎えていたが、認められなかったのだ。
そう、彼女は自身の王国を取り戻すために戦った。
なら自らの没後が気になっても仕方はないだろう。
マスターはわざとか…或いはそうでないのか…サーヴァント達にそういった話をしないようにしているらしい。
だからこそ第三者たる俺に聞いているのだろう。
「本当か、というのは…どの出来事に関してですか?」
「……カシミールを巡って、同じインドの民が争っているという記述だ。」
「大変失礼ですが、彼らはもう同じ国の国民ではありません。片方は自らをインドの民だとすら思っていない。」
「………」
「貴女が亡くなった後、インドはもう一世紀近くイギリスの支配下に置かれた。1947年には独立したが、かつてのムガル帝国は2つに分かれてしまいました。それがインドと"パキスタン"です。」
「…確かに…私は祖国と…民の笑顔を守りたいと思って戦った。だが…その時でさえ…民は決して一束ではなかった。」
ラクシュミー・バーイーは暗い顔をして俯いてしまった。
インド大反乱は別名『スィパーヒーの乱』と呼ばれる。
スィパーヒーとはイギリス東インド会社に雇われたインド人傭兵のことで、一般にはこの大反乱の火種は東インド会社が傭兵に与えた新式銃の薬包だと言われている。
銃に弾薬を装填する際、使用者は薬包を噛み切る必要があったのだが、その薬包には牛と豚の脂が使われているという噂が立っていた。
そして、イスラム教徒にとっては豚肉が、ヒンドゥー教徒にとっては牛肉が禁忌であったのだ。
だがしかし、東インド会社は牛・豚脂の使用を否定したにも関わらず、ブチキレたスィパーヒー達は止まらなかった。
銃の薬包は本当に単なる火種に過ぎず、それを爆発へと昇華させた"爆薬"は全くの他方にあったからだ。
それはイギリス東インド会社、もっといえば大英帝国の統治に関して民衆が不満を持っていたからである。
「マキャベリを読んだことは?」
「…ああ、あるが?」
「マキャベリチックに言えば、"第一次独立戦争"の原因はまさにイギリスにあるという事になるでしょうな。」
「………ふっ、フハハッ!確かに、それはそうだな!」
マキャベリ曰く、貴族の支援を受けた者と民衆の支援を受けた者とでは、国の維持の難易度が異なり、はるかに簡単なのは後者の方だという。
つまり、まず民衆を味方につけ、貴族とはある程度の距離を置きつつ限定的な権力を与えて監視の目を常に向けなければならない。
しかし、イギリスは産業革命によって大量生産した綿製品を流入させて、インドの軽産業を壊滅的な状況へと追い込んだのである。
さらに、インドを植民地化する際、土地所有制度を近代的なモノに入れ替えたりして地方地主を没落させてしまった。
イギリスは貴族と民衆の両方を敵に回してしまったのだ。
マキャベリ的に言えば、民衆を敵に回せば、占領者は遠からず安泰とは言えなくなる。
その上貴族まで切り離したとなれば、もう味方はいない。
反乱は必然だったのだ。
だが、にも関わらずイギリスは大反乱を抑え込んだ。
これには理由があり、彼女が先ほど俯いたのはそれが原因であろう。
「スィパーヒーの乱を抑え込んだのはイギリス人の軍隊だけではなかった。そうですね?」
「…認めたくないがその通りだ。イギリス側に回ったスィパーヒーも少なくなかった。スィパーヒーだけでなく、時には他の藩王国さえ。」
「つまり、アレは"独立戦争"とは程遠かった。」
「ああ。現代の言葉で言えば…
そう、スィパーヒー達が怒りに震えたのは薬包の件のみではない。
東インド会社が雇ったスィパーヒーの中には、アワド藩王国出身の者が多数いた。
スィパーヒー達がメラトで最初の反乱を起こす一年前、イギリスはアワドを併合したのである。
インド大反乱は様々な複合的な要因が絡み合って起きたモノだが、内戦的側面も大きい事も見逃してはならないだろう。
先程彼女が述べたように、東インド会社と手を組んで利益を得ていた藩王国はスィパーヒーを援護するどころか潰しにかかったのである。
イギリスがユニオンジャックをインドに立て続けられたのは、藩王国間の利害関係をうまく利用したからだ。
結果的に、この大反乱はイギリスのインド支配を確固たるモノにするという皮肉な結果をもたらした。
東インド会社に代わってイギリス政府が本腰を入れて植民地化を推し進めるようになったのだ。
「私の戦いがもし成功していたら…民に笑顔は戻っただろうか?」
「にえきらないかも知れませんが、俺にも分かりません。…ムガル帝国はイスラム系の王朝で、しかし、インドではヒンドゥー教が多数を占めていた。この時点でインドのイスラム教徒とヒンドゥー教徒の衝突は運命づけられていたと考えるべきでしょう。」
「遅かれ早かれ、民達はお互いに諍いを起こしていたということか…」
「すいません、何か、こう、ズケズケといってしまって…コレはお返しします。」
「いいや、気にしないでくれ。遠回しに時間をかけて言われるよりは、貴殿のように率直に言ってくれる方が良い。」
ラクシュミー・バーイーはそう言って、俺から高校世界史の教科書を受け取った。
インド独立闘争の旗手として見られている彼女だが、ついにジャーンシー藩王国が彼女の元に戻る事はなかった。
だが、彼女はその後も人々の記憶に残り続け、近代インドの英雄として影響を与え続けていく。
『インドのジャンヌダルク』という二つ名は………
俺はとんでもないことに思い当たって、つい彼女から目を逸らした。
「………?どうした?」
「いいえ、なんでもありません」
「隠さないで話してくれ。隠し事は嫌いだ。」
「………ご自身の二つ名についてどう思います?」
「……………」
俺はとんでもない事に思い当たった。
本当にとんでもない事に。
ラクシュミー・バーイーはジャーンシー城で奮闘したものの、近代装備を前面に押し出すイギリス軍に敵わずカールピーで他の反乱軍指導者と合流する。
だが、他の指導者達はイギリスとの落とし所を探っていた。
"民の笑顔のため"、徹底抗戦を貫くべしとする彼女と指導者達は当然意見が合わず、彼女は煙たがられたのだった。
それは…彼女が女性であったという事にも起因する。
スィパーヒー…アワド出身のスィパーヒー達が反乱を起こした理由は、新支配体制が旧支配体制よりも有害だと感じたからに他ならない。
イギリスと東インド会社はインドの産業を破壊し、伝統的な制度にも手をつけた。
つまり、反乱軍のスィパーヒー達は旧秩序の復活を望んでいたのだ。
立ち返って、ラクシュミー・バーイーはどういった存在か?
西欧諸国の歴史・法律に精通し、乗馬ズボンを履いて、最新式の銃を使いこなす"女性"指導者…
反乱が成功したとして。
彼女は他の藩王や権力者にとって歓迎される存在だっただろうか?
自身よりもカリスマ性のある者の存在を、他の指導者が見過ごすだろうか?
新しい知識と技能を持った、反乱軍指導者達=旧秩序への
褐色の貴婦人は俺の頭の中を読み取ったらしい。
不敵とも言える笑みを浮かべ、スポーツドリンクを数口飲みながらこう言った。
「賭け事やクジは嫌いだ、どうせ当たらない。」
「はぁ…」
「何かにつけて、自身の不運っぷりを体感させられるときは山ほどあるが…幸運だったと感じる時もある。」
「………」
「……………私は敵弾に斃れて、
ラクシュミー・バーイーは肩をすくめ、自虐気味にそう言った。
どこか寂しそうな彼女の表情は、それが決して望まぬカタチであっても…限られた選択肢の中では最良のモノだったのだろうという事を語っていた。
俺はそんな彼女の姿に、民衆の抱いた希望の一筋を見たような気がする。
そしてその直後には…椅子が壊れてスポーツドリンクを頭から被る事になった不運な褐色美人をも見たのだった。
インド大反乱の原因はその他にも色々色々色々とありますが書ききれませんでしたごめんなさい。
イギリスのインド統治に関してもう一つ皮肉な事実を挙げるとすれば、インドのナショナリストがイギリスの教育によって育てられたという事でしょう。
イギリスはインドの統治をより効率的にする為に、現地のインド人の中にエリート官僚…"インド高等文官"を求めました。
その結果、イギリスはインド人に近代的教育を与える事になりました。
確か…スバス・チャンドラ・ボースもそんな人の1人じゃなかったかと思います。
記憶違いだったらすいません汗