レイシフトの私的な使用は法律で禁止されています 作:ペニーボイス
ミルグラム実験という言葉は聞いたことがなくとも、アイヒマン現象という言葉なら覚えがあるかもしれない。
白衣を着た男に指示される教師役となった被験者が、生徒役を相手として、問題を間違える度に電気ショックを与えていくという、あの実験だ。
被験者は全員平凡な人物だった。
サディストでもなければ、実験中に銃で脅されたわけでもない。
白衣を着た男…つまりは実験のスタッフが被験者に電圧を徐々に上げていくように指示をする。
生徒役は実は役者で、電気なぞ感じてもいないが苦しむフリをする。
被験者はこの残虐な行為をいつまで続けるか観察されていて、その経過を記録されているという寸法だ。
この実験の端緒となったのは、かつてヒトラーの命令で東欧における"人種政策"の責任者となっていた1人の男…アドルフ・アイヒマンの存在だった。
この男がモサド(イスラエルの諜報機関)に捕らえられて尋問された時にある事実が明らかになったのだ。
彼は決してサディストではない。
極めて平凡な人物で、実直な公務員で、妻との結婚記念日に花束を買って帰るような愛情を持つ男。
どこにでもいるような、本当に"普通"の一般人。
そんな一般人がただただ命ぜられるがままに、数多くのユダヤ人を手にかけたという事実に数多くの人々が疑問を抱かざるを得なかった。
疑問の答えは『YES』だった。
被験者達は300Vに達するまで電気ショックをやめなかった。
つまり、誰もが、アドルフ・アイヒマンになり得るということが分かったのである。
…………………………………
スーツを着たのはいつぶりだろうか?
記憶にある限りでは、このカルデアという施設に来て以来ということになるだろう。
着任当日、あのレフ・ライノールが笑顔で応対してくれたのを今でも覚えている…その時は奴がIRA並みの爆弾魔などとは夢にも思わなかった。
俺が今スーツに身を包んでいる理由。
加速する体脂肪率のせいで、早くもウエストのサイズが合わなくなっているズボンを無理くり履いている理由は、目の前で繰り広げられているお上品なパーリーに参加する為だ。
ここは『BAR DO LE』。
つまり、元は俺の自室No.1だった場所である。
その少々手狭な部屋が、今では立派なパーリー会場へとビフォー●フターしていた。
パーリーといっても、イビサ島みたいなパーリーをしているわけではない。
若干一名を除いてヤクをやっているわけではないし、エレクトリックなダンスミュージックが流れているわけでもない。
ただし、例えイビサでデ●ヴィット・ゲッ●が生出演している場面に遭遇しても、俺が今体験している生演奏には敵わないかもしれない。
この会場にはピアノソナタのハ長調が流れていて、そしてピアノを弾くのはモーツァルトご本人だ。
普段はウ●コやら何やら下ネタしか披露しない変態音楽家が、今では静かに目を閉じてピアノ演奏に勤しんでいる。
彼がこの状態になる条件は決まりきっており、それは彼が好意を寄せている人物からの依頼だったからに他ならない。
モーツァルトに依頼した人物…及び…このパーリーの主催者たる人物は、今俺の真正面で舌ヒラメのムニエルを美味しそうに食べている。
「う〜ん、やっぱりアマデウスにお願いして良かったわ♪素敵な音色に、素敵なお料理!パーティーはやっぱりこうでないと!」
フランス王妃マリー・アントワネットがパーリーを企画するに至った事の発端はマスターとジャンヌ(ルーラー)によるレイシフトで、白聖女様は王妃様からのお願い事を思い出し、レイシフト先から舌ヒラメを持ち帰って来たのだ。
ただし、フィジカル白聖女の基準は常人のそれとはかけ離れていた。
彼女が持ち帰った舌ヒラメの数は、王妃様と変態音楽家と…それから処刑人の3人で食したとしても到底食べきれない量だった。
そこで王妃様はある事を思いつく。
"3人で食べきれないなら、大勢で食べれば良いじゃない!"
なんならエミヤさんに渡しても良さそうな気がするのだが、流石に全サーヴァント分には行き渡らなかったらしい。
そこで、王妃様は思い当たる知人達を集めてのパーティーを企画され、同じ貴族家出身の高貴なる方々から俺のような下々の人間にまで声を掛けて、紳士・淑女に相応しい交流会になされたのだった…舌ヒラメを消化するために。
さてさて。
目の前の、対角線の席上にいらっしゃる王妃様のほかに、俺のテーブルには4人の来賓がいらっしゃる。
テーブルは合計3つあり、一般的な夕食会なんかで見る円形のそれなのだが、それぞれの席はより交流が促進されるようにとくじ引きで決められていた。
偶然俺と同じテーブルになったのは王妃様の他に、ロマノフ家のアナスタシア皇女、バートリ家のカーミラ殿下、電気の碩学トマス・エジソンと、何だかよく分からないし面識もないがデキるビジネスマンオーラ全開のおっさん、という壮々たるメンツである。
特にフランス、ロシア、ハンガリー(オーストリア圏)の王室が揃うあたり『カルデアのアウステルリッツ』とか呼びたくなる。
その紳士・淑女のメンツは、それぞれ男性と女性が重なる事のないよう、千鳥の席順で座りながら会話を楽しんでいた。
カーミラ殿下はエジソンと話し込んでいる。
どうやらエジソンは交流に対する直流の優位性を熱い口調で語っていて、カーミラ殿下が時々それに頷きを返していた。
何だか、コンピュータに疎い老婦人に自社のソフトウェアを売り込まんとしているセールスマンのように見える。
かたや、俺の方といえば付け合わせのフリットを突っつきながら、皇女殿下に以前差し上げたカメラの使い方を説明していた。
「ええ、はい。そこのボタンです。押していただけば……ああ、はい。この通り、遠くのものまで写せます。」
「!…中々に便利ですね。父が使っていたモノとは違います。」
「まあ、時代が違いますからね。今ではお父様の使っていた類のカメラは、当時よりも高級品です。」
「ふぅん………時代、ね」
しばらくするとモーツァルトの演奏が終わり、パーリーは休憩のムードに入る。
目の前の王妃様はモーツァルトの元へ賛辞を送りに、カーミラ殿下はエジソンの説得が終わったようで二本目のワインを手に入れにバーカウンターへ。
皇女殿下は"お花を摘みに"行くと仰ったので、俺はエジソンの方を見て目配せをする。
エジソンは俺の意をしっかりと理解してくれたようで、彼はその巨体を上げ、ラガービールで口元を湿らせてから回れ右をした。
喫煙者2人がパーリーの合間にやる事と言ったら決まっている。
"モクモク"するのだ。
俺とエジソンは俺の私室No.2に行き、部屋の電気をつけて換気扇を回す。
2人してタバコを咥えて、それに火をつけた。
「中々に盛り上がってたじゃないですか、博士。直流の"売り込み"はどうでした?」
「うむ…手応えはあったがね。しかしあのご婦人が理解したかと言えば…難しいところだろう。基礎的知識から教えるには、この時間はいささか短過ぎる。」
「教養ある支配層のご婦人ですから、彼女なら理解はできると思いますよ。根気よく続けるのは博士の登録商標でしょう?」
「フハハハハハッ!!今のは傑作だ。テスラにくれてやる予定だった5万ドルを君のものにしてもいい!!」
「すまねえが、2人の内のどちらか。タバコを恵んでもらえねぇか?」
エジソン博士との談笑に夢中になっていたから、さっき同じテーブルにいたデキリーマンっぽいおっさんがこの喫煙所までついて来てるとは気づかなかった。
俺はいくばくか凍りついたが、じきにハッと我に帰って、まだ手元に残っていたタバコの箱ごとおっさんに差し出す。
おっさんはそれを受け取って中身を一本出して火をつけて、そして箱をこちらへ返すついでに手を差し伸べる。
「俺はコロンブス。クリストファー・コロンブスだ。初めてお目にかかるなァ。」
「ど、どうも、コロンブスさん。俺はシマズ、電気技師をしています。こちらはエジソン博士。」
「どうぞよろしく。」
「あぁ、ヨロシク!…しかしまあ。王族貴族の方々とお食事会ってのはァ…毎度の事ながら肩が凝る!タラのフリットが食えて飲み放題って聞いたからきたんだけどヨォ…」
まさかあのおっさんがクリストファー・コロンブスだとは思っても見なかった。
なんたって、普段は悪役全開のオーラ漂わせて髪とか髭とか靡かせているコロンブスが、キチンとタキシードを着込んで髪をオールバックに纏めているんだから。
それにしても、面白いのはこのパーリーに関する彼の反応である。
生前、"新航路を発見"した彼は英雄として扱われ、王族貴族のパーリーにも招待された筈だ。
その時からして、やはり彼には堅苦しかったのかもしれない。
「"新航路の発見"を果たされたのですから、さぞかし歓迎されたのでは?」
「そう!その通り!俺が発見したのは"新航路"だ!"新大陸"じゃねえ!…まあ、確かに歓迎はされた…最初の内はな。イザベル女王も上機嫌だった。」
「ならこういったパーティーの参加回数も多くて当然ですな…でも規模で言えば生前の方が大きいのでは?」
「ッたりめぇよォ!スペイン王室のパーティーとは訳が違う。…ただ、王室が気前良かったのは最初の内だけだったがな…連中は段々冷淡になっていった。」
クリストファー・コロンブスはため息混じりにタバコの煙を吐き出した。
彼の喫煙ペースは私の倍近い速さで、手に持つ紙巻タバコは早くもフィルターに迫っている。
俺は2本目を差し出しながら、素朴な疑問を投げかけた。
「あれだけの奴隷を連れ帰り、植民地の基礎造りまでしたのに?」
「考え方のちげぇだな。イザベル女王はスペインが発見した土地の民は全てカトリック教徒たる権利があると見做していた。あの女王は異教徒相手の苛烈な収奪は良しとしてたが、"カトリック教徒"から収奪…ましてや殺し、嬲り、奪いまくるなんて我慢ならなかったんだろう。」
「女王は同じスペインの民として扱っていたんですか?」
「ああ、意外かもしれねぇが。それに、入植地での経営も失敗して、バルトロメウの奴じゃ治りがつかなくなった…おかげでスペインから査察官がやってきて、俺達の"黄金探しの冒険譚"が敬虔なカトリック教徒の女王様に伝わっちまったわけよ。」
彼の言う、"黄金探しの冒険譚"とは今の世にも伝わる…悪名違い征服者としての彼の所業の事だろう。
彼はカリブ海にスペインの植民地を作るために、そこにいる住民を片っ端から殺して回った。
大勢の先住民を殺しに殺し回った割には、その戦果自体は芳しくない。
先住民達はコロンブス達が想像していたよりも遥かに少ない量の金銀しか持っていなかったし、先程コロンブス自身が述べたように、せっかく作った植民地も劣悪な環境のせいで入植者が反乱を起こすのを止められなかった。
3度目の航海のあと、彼と、その弟であるバルトロメウはスペイン本国から送られた査察官に逮捕されている。
彼の人生の転落はそこから始まったと言っても過言ではないだろう。
コロンブスは早くも2本目を吸い終わらんとしている。
彼はタバコを吸う為に作られた機械か何かだろうか?
幸いな事に、俺のタバコの箱にはまだ15本残っていて、物欲しげな彼にもう一本渡しても困る事はない。
コロンブスは3本目を受け取って、慣れた手つきでチェーンスモーキングを行う。
行いながらも、なぜか俺の方を不思議そうな目で見ている。
「どうしました?」
「……マスターに奴隷云々の話をすると露骨にクズを見るような目をされるんだが…」
「そんな事をお気になさるようには見えませんが?」
「まぁな!!…この時代じゃあ奴隷はよくない事になっているらしい、ってことだろぉ?だが、俺はそれが良しとされる時代に…」
「それに選択肢もなかった。先住民達が持っていた財宝の数は、あなた方の想像を遥かに下回っていた。人生を賭けた大挑戦の果てにようやく陸地に辿り着いたのに、何もなかったとは口が裂けても言えない。」
アメリカ出身の発明家が突如として口を挟んだので、俺とコロンブスは少々驚きつつもエジソンの方を振り返る。
エジソンも手にするタバコを吸い終わりかけていて、やがてフィルターに迫る火を消して、吸い殻を灰皿へと捨てた。
「そんな顔をするな、諸君。クリストファー・コロンブスは航海者にして商人だった。地球が球体だなんてマトモに信じられていなかった時代に、先見の明と勇気を持って大西洋に出たんだ。
「……その通り!よぉくお分かりのようだなァ!アンタ気に入ったよ!」
コロンブスは2度目の航海の後、病に臥せる。
快調を取り戻した彼の最初の仕事は、彼が不在の間好き放題やっていたスペイン軍の略奪を、より効率的にやる為に略奪を組織化する事だった。
"黄金探しの冒険譚"の使命にスペイン海軍も加わると、海軍は先住民達にノルマを貸すようになったのだ。
3ヶ月以内に所定の量の金を持ってこなければ、手首を切り落とす、と。
エジソンも、言うなれば実業家。
数多くの発明は彼に富をもたらしたが、コロンブスの"新航路の発見"という発明はコロンブスが期待したほどの富をもたらさなかったのだろう。
だからこそ奴隷を扱う商人ともなったのだ。
イザベル女王と同じで、コロンブス自身敬虔なカトリック教徒であったものの、彼らの価値観には大きな違いがあったのだ。
女王は奴隷を求めていなかった。
コロンブスが奴隷を女王に送った時、女王はそれを送り返し、査察官まで送っている。
だが、コロンブスには必要だった。
何故ならそれが、富をもたらす存在だったからだ。
もし、
ふと、そんな考えが浮かぶ。
人生を賭けた大勝負の先に待っていたものが期待していたものに達していなかったら?
俺はどうしただろうか?
…間違いない。
俺だってコロンブスのやったようにしたに違いない。
現代の価値観を持ってしても、俺はそう結論する。
奴隷が商品価値を持っている時代なら、俺は間違いなく、彼らを追い立て、殺し、捕らえて、売り捌く事だろう。
そうでもしないと、大航海のリスクとは釣り合わない。
ややもすると、誰でも虐殺者になり得るかもしれない。
誰もがアドルフ・アイヒマンになり得るように。
俺も、交流担当の頑固爺も、カルデアのマスターも。
そう考えると、少しゾッとした。