レイシフトの私的な使用は法律で禁止されています 作:ペニーボイス
わたしは見ていた。
時代の変遷と、人間の変質を。
低劣な身分な人々が傲り昂って、不幸にして御加護を失った高貴な身分の人々を虐げているのを。
人々が寄ってたかって、何百年と続いてきた伝統や歴史を蔑ろにし、全てを正義の名の下に破壊していく様を。
私は見ていた。
かつては高邁とされた存在が日々疲れ果てていく様を。
高貴なる者の務めを一心に果たさんと努力していた人々が、そんな事など知る由もない連中に踏みにじられるのを。
何の罪も犯していないのに、その出生のせいで虐げられ、嘲笑れ、そしてまるで虫を潰すかのように殺されていく過程を。
私は見ていた。
苦悶の叫びを挙げる良心を押さえ込み。
葛藤の中、自身の息を殺しながら。
私は見ていた。
何ができただろうか?
ただただ大きな力に立ち向かうには、私はあまりにも貧相だった。
私は見ていた。
そして今は後悔に苛まれている。
何度も過去を思い出すが、しかし、解決策は出てこない。
こんな拷問があってたまるか。
私は見ていた。
不公平に悪態をつく。
過去に戻れたとして、そこに希望があるならまだマシだろう。
でも私が過去に戻ったところでそこに希望はない。
ただただ歯痒く、ただただ虚しい。
私は見ていた。
そう、見ていることしか出来なかった。
…………………………………
「おブェッ、オエッ、おえええッ!!」
マシュ・キリエライトは昼食に食べたカツレツを、地面に向かって吐瀉する。
酸っぱいナニカが食道を駆け上がり、口はエグみと酸味の不快感で一杯になった。
消化しきれていない豚肉が、ベチャベチャという悍しい音を立てながら地面に伝わり落ちるが、彼女にそれを止める術はない。
「マシュ!マシュ!…大丈夫!?しっかりして!」
「オエッ、おエェッ!…せ、先輩…先輩は大丈夫なんですか?」
「うん、何とかね。キャメロットの件があったから…でも、臭いはこっちの方が酷い。」
ドイツ軍とソ連軍の前線からどうにか離脱したマスターとマシュは、Dr.ロマニの指示を受けながら行方不明のスタッフを探していた。
道中の指示は的確で、その根拠となる判断も妥当なものだ。
こんな近代的な戦場で、戦闘を厭わずに力強くで押し進めば、マシュはともかくマスターが危ない。
だからDr.ロマニは生体反応を避けて通るように指示を出していたのだが…しかし、その途中にとんでもないものに行き着いてしまった。
「オエッ………ハァッ!ハァッ!…ど、ドクター、ここは一体…?」
『どうやら、村みたいだ…いや、正確には"村だった場所"かな。』
「ここで一体何が起きたんですか?…こんな、こんな酷いこと…」
『すまない、マシュ、藤丸君。生体反応の回避に没頭するあまり、この戦争の特性を忘れてしまっていた。…第二次世界大戦の東部前線。この戦場は、過酷な戦闘と共にある残酷な歴史的犯罪が繰り広げられた事でも有名なんだ。』
「その歴史的犯罪って…もしかして」
『そうだ、藤丸君。君も学校で習っただろうけど………『
人類最後のマスター、藤丸立香とマシュ・キリエライトは、虐殺が繰り広げられたロマの村…正確には、荷馬車とテントのキャンプと対面している。
荷馬車は既に焼け焦げて異臭を放ち、地に掘られた壕には無数の死体が投げ入れられて、テントは血で赤く染まっていた。
彼方此方に弾痕があり、死体があり、遺品があり。
そして最後に、空の酒瓶がそこら中に転がっていた。
まるで…生きている事自体が大罪だ、とでも言わんばかりの有様に、マシュもマスターも閉口する以外選択肢がない。
「そ、そんな…どうして…どうしてこんな事を……あんな小さな女の子まで…」
マシュを一番狼狽させたのは、地面に突っ伏して微動だにしない、少女の死体だった。
片手に熊のぬいぐるみを持ったロマの少女は、後頭部に9mmの大穴を開けられて、緑の地面に赤い染みを作っていた。
遠慮という言葉を知らないハエの群れが少女の被弾部を中心に飛び回り、傷口には蛆が沸いている。
そんな凄惨な光景が、マシュの精神を弱らせていく。
「こんな事…許せない!こんな酷いこと、許せません!人間として!サーヴァントとして!」
『落ち着くんだ、マシュ!感情に飲まれるな!』
「これが落ち着いていられますか、ドクター!?無抵抗な人々を一方的に殺しています!ふざけ半分に、酒なんか飲みながら!」
『落ち着け、マシュ!!!』
「ッ!!………ウッ、ゥウッ」
Dr.ロマニが珍しく声を張り上げて、マシュは幾ばくか落ち着きを取り戻す。
彼女は激しい怒りと深い悲しみを同居させたような顔をしながらも、息を整え、そして泣き始めた。
マシュがこんな状態なのに、まだ冷静を保っているマスターの存在が、Dr.ロマニには有難い。
藤丸立香はマシュの元に歩み寄ってその肩に手を置き、Dr.ロマニはため息を吐きながら、マシュに語りかけた。
『マシュ…この虐殺を行なったのは、恐らくナチス親衛隊の
「………」
『確かに酒瓶がそこら中に落ちている。でも、それはふざけ半分に殺していたからじゃない。そうでもしないと、この辛い任務をこなす事が出来なかった…こんな事をした連中も、やはり1人の人間だったんだ。』
「…………そんなの…そんなの悲し過ぎます。」
『ああ、そうだね。それに狂っている。…こんな場所に誘導してすまなかった。早くスタッフを見つけて、この狂った時代から離脱しよう。こちらが正気を保てなくなる前に。』
…………………………………
マスター達から北に16km
ドイツ軍野営地
夜襲は完全な失敗に終わった。
ソ連兵の波状攻撃はドイツ軍の機銃陣地と105mm軽榴弾砲によって破砕され、陣地前面のキルゾーンは文字通り死体で溢れている。
腕に赤十字腕章を巻いた衛生要員が死体の片付けを始めているあたり、敵の脅威は完全に排除されたのだろう。
だが、陣地内のドイツ軍将兵は皆疲れた顔をしていて、安堵というよりは疲労困憊といった様子だった。
俺は皇女殿下からいただいたハンカチで鼻と口を覆いながらバンカーを出る。
その後ろからは同じく鼻と口をハンカチで覆う殿下が続き、邪ン姉さんもその後から出てきた。
「酷い臭いね。言った通りでしょ、シマズ。恥なんか捨てて、皇女サマにハンカチを借りなさいって。」
「うん、こいつぁあひでぇや。…ありがとうございます、殿下。」
「………いいえ、その…私の方こそお礼を言わせて。………ずっと側に居てくれて………ありがとう」
!!ッといかん、尊死する。
こんなところで尊死なんかしたら前面で死んでるソ連兵達にあの世でリンチされそうだ。
冗談はさておき、殿下も邪ン姉さんも俺も、昨夜はもちろん一睡もできなかった。
おかげで我々も随分とくたびれた顔をしているはずである。
そのせいか、ハンカチで鼻を覆う俺に、安っぽい紙巻タバコが差し出された。
見れば我々よりも遥かにやつれた顔をしたホフマン軍曹だ。
「吸えよ、ロシア人。そんな可憐なハンカチは、此処じゃなくて別の所で使うべきさ。」
可能な限りハンカチを手早くしまい、軍曹からタバコを受け取って火をつける。
もう、何というかタバコが吸いたくて仕方がなかった。
だから火をつけて煙を吸い込み、ふぅっと深く吐き出して初めて皇女殿下の存在を思い返す。
うっわ、やっちまったよ。
わざわざハンカチまで貸してくれた殿下の横でなんて事してんだよ。
ちったあ気を回しなさい、なんでなんの抵抗もなくこういう事しちゃうかなぁ。
自分への呆れと共に、傍の皇女殿下を顧みる。
あわよくば、「申し訳ありません」的な謝罪をしようとしたのだ。
だが、顧みた先にいる皇女殿下は俺の喫煙なんか構ってもいないようだった。
彼女の視線は、ある一点に向けられて、そこから微動だにしない。
その視線の先を見る。
3人のソ連兵が大勢のドイツ兵に囲まれて歩いていた。
ソリの高い制帽を被った将校を先頭に、モーゼル銃を持った兵卒達が捕虜を引っ立てているようだ。
向かう先は収容所か銃殺か…考えたくもない。
「………捕虜が?」
「ああ。ソ連兵はあいつら以外皆死んだ。逃げ出した者は誰一人いなかった。
ホフマン軍曹もタバコを咥えて火をつける。
煙を吸うと、それを吐き出しながら火のついたタバコで陣地前面の死体の山を指し示す。
「アレを見てみろ。全員こっちに向かって倒れてやがる。砲兵の仕事が後少しでも遅かったら、俺たちは殺されていた。」
「なんてこった…」
「ロシア人は諦めない。例え目の前に機関銃があっても降伏せずに突っ込んで来るんだ。…あの3人はよほど"運が悪かった"んだな。」
軍曹の言葉に頷きながら再び殿下に目を向けると、彼女は未だに捕虜の方を見据えている。
捕虜達を連れている将校はよほど苛立っているようで、配下の兵卒達に声を荒げて指示を出していた。
兵卒達もそのせいでイラついているようで、捕虜を銃床で追い立てるように突っついている。
殿下が…少なくとも俺からするとかなり衝撃的な行動に走ったのはその時だった。
彼女はフレグランス極まりないハンカチをその場に捨てると、豪華な衣装に泥が跳ねるのも気にせずに走り出す。
邪ン姉さんが後を追い、俺も制止の言葉をかけようとするが彼女は止まらない。
将校が怪訝な顔をしながら殿下を睨み、兵卒達が銃を彼女に向けたが、殿下は止まる事なく捕虜の一人の目の前に躍り出た。
「…………」
「………!?」
無言で立ち尽くす皇女殿下と、何か驚いた顔で目を見開く捕虜。
邪ン姉さんと軍曹と俺は自然と彼女の後を追っていて、その背後2mの距離で脚を止めた。
軍曹が手を振って兵卒達の銃口を下げさせたが、将校はそれが面白くないのか声を荒げる。
"なんだ貴様!"
でも、誰も将校の機嫌なんか気にしてはいない。
何故皇女殿下が急に走り出し、そして止まったのか。
この捕虜は何者なのか。
我々にはそれだけが気がかりだった。
やがて、皇女殿下が、この突拍子もない行動の理由を、口にした。
「……レオニード?」
赤軍兵士の捕虜は口をアングリと開け、目をひん剥いている。
何かしらのパニックに陥っているのが手にとるように分かる。
事実、彼は殿下のお言葉にこう返したのだ。
「……ッ…バカな!バカな!バカなバカなバカな!!…アンタは、アンタは死んだ筈だ!」
「いいえ、私は今ここにいる。あなたに会えるとは思っていなかったけど…生きていたのね、本当に良かった。」
皇女殿下が笑みを浮かべている様が、後ろからでもわかる。
だが赤軍兵士の態度はその180度逆だった。
おずおずと後退り、目を見張ったまま首を横に振っている。
まるで、何か出会したくないものにでも…
「レオニード、ここの責任者に言って、あなたを解放してもらえるように…」
「やめろ、やめてくれ。」
「………?どうしたの、レオニード?」
「アンタは…アンタはッ、違うッ!!アンタはニセモンだ!!ふざけんな!!俺によるんじゃねえ!!」
赤軍兵士が暴れ始め、直後に兵卒の銃床打撃を後頭部に喰らう。
モロに打撃を受けた赤軍兵士はその場に倒れ込み、ほかの兵卒によって運ばれた。
軍曹が将校に、この捕虜達の処遇を聞いてくれた。
「こいつらは銃殺ですか、少尉殿?」
「バカ言え、弾の無駄だ。例の如く、まずは尋問からさ。で、無駄飯喰いだと分かったら…」
将校が首を掻き切る動作をする。
どうやらこの赤軍兵士達の命はそう長くないらしい。
彼らはどう見ても将校や下士官には見えない。
軍事的に有意義な情報など期待もできない事だろう。
皇女殿下は突然の拒絶があまりにもショックだったらしい。
俺は茫然としたまま立ち尽くす彼女に歩み寄り、話を聞くことにする。
あの赤軍兵士がいったい何者で、殿下とどういう関係があるのか。
「大丈夫ですか、殿下。」
「……ええ。きっと、彼も気が動転しているのだわ。」
「失礼ですが、彼は何者なんです?」
殿下はこの問いに答えるために、少し目を閉じて間を開けた。
まるで遥か昔の良き時代を思い出すかのように。
「レオニード・セドネフ…私達のお皿洗い、アレクセイの遊び相手……イパチェフ館から、ただ一人生き残った生還者よ。」