レイシフトの私的な使用は法律で禁止されています   作:ペニーボイス

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27 〜レイシフト編〜 或る政治将校

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウラジミール・セルゲイが青年共産同盟に入ったのは、彼が熱烈な共産主義者だったからではない。

 彼自身は極々普通な人物で、さらに言えば"()()()()()()()で"怠惰であった。

 出来る限り余計な事はせず、苦労もせず、仕事もせず、のらりくらりと上手くやりたいという…そんな願望を持っていた。

 

 ソビエト・ロシアの政治体制では、青年共産同盟はエリートを目指す上で有利な組織だった。

 父親がソ連共産党員であったウラジミールにとって、少年団(ピオネール)への入団は当然の選択であり、そしてその参加資格は最初から備わっていたのだ。

 彼の父親は息子が熱烈な共産主義者になる事を望んだが、しかしウラジミール自身はといえば"そんなモノ"どうでもよかった。

 彼は分厚いマルクスの著書を読むよりかはゲーテの詩集に触れる方を好むタイプの子供だった。

 

 

 しかしながら、彼は()()()()()()頭の良い子供だった。

 

 

 父親や周囲の人々が詩集を快く思っておらず、彼の"教化"こそを望んでいるのだと理解していたウラジミールは、人々の前ではマルクス主義の優位性を声高に熱弁し、自室に戻ってから詩集に耽るという生活の棲み分けを行うことができる子供だった。

 

 おかげで成長したウラジミールはコムソモール(青年共産同盟)への入団もつつがなくこなせたし、父親や周囲の期待にも応えられる好青年へとなり得た。

 だが、コムソモールの幹部達はウラジミールの二面性を見抜いていた。

 つまり、彼の共産主義への熱心な姿勢は見せかけであり、ドイツ人の詩集に耽ることの方がよほど重要なのだと考えていると断じたのである。

 ウラジミールは出世街道から脱落し、コムソモールでも重要な役割は与えられなかった。

 大粛清の時はどうにか逃れたが、それは地区の党書記係が同名の人物を間違えて収容所送りにしたからだ、と後に知った。

 大粛清の後、周囲からプチブルではないかと陰口を叩かれながら過ごす日々はとても陰惨で苦痛に満ちていた。

 

 

 1941年の6月22日、ドイツ軍がポーランドの"新"国境を越えた時、軍の政治委員として派遣されることが決まった。

 同じ任務を与えられた者達の内、心の底からその任務を喜んだのはウラジミールただ1人。

 ようやく陰口と陰謀に塗れた地区の党組織から離れ、一人前として行動できる。

 前線は危険かもしれないが、今いる場所だっていつ収容所に送り込まれるかも分からない状態なのだ。

 一体何が違うというんだ?

 

 それに、軍の政治委員といっても任務といえば今までと変わらない事だろう。

 部隊の政治統制を行い、逃げ腰の軍人を撃ち殺し、懲罰部隊の連中に向けて機関銃を撃たせれば良い。

 少なくとも自分に危険が降りかかるのは最後の最後。

 それまではゲーテやリルケの詩集を読んでればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在、ウラジミール・セルゲイは2年前の自身をぶちのめしたい衝動に駆られている。

 軍の政治委員というポジションをあまりに軽く見ていた。

 

 

 彼は軍の士官達が練る作戦に口出しをしようとしないタイプの政治将校であり、故に軍将校からの評判は良かった。

 根は優しい性格の持ち主でもあったが故に…また政治将校の役割でもあったが故に…文盲の兵士たちに、懇切丁寧な教え方で識字能力を与えた。

 それらの行いの結果……ウラジミール自身にとっては甚だ遺憾な事に……何かあったときに頼られる立場へと立ってしまったのだ。

 

 

 

「いいかい、同志ボリス。まずは大隊の本部でトラックに乗る。」

 

「トラックに乗る」

 

「そのトラックは駅に着くから、駅で列車に乗る……いいかい、サンクトペテルブルク行きの列車に乗る。」

 

「列車に乗る」

 

「その列車は途中で君の村から程近い駅に止まるから、列車を降りる。」

 

「列車を降りる」

 

「2週間実家で休養を過ごしたら、逆の順路でここまで戻ってくる。」

 

「戻ってくる。」

 

「そうだボリス。復唱してみろ。」

 

 

 

 政治将校ウラジミール・セルゲイ大尉はもう一時間近くボリス一等兵と"塹壕戦"を繰り広げている。

 自らの幕舎で机を挟んでお互い椅子に座り、幸運な一等兵にかれこれと教え込んでいる。

 ど田舎出身のボリス一等兵は優秀な戦車兵であり、擱座したT34戦車の砲塔を動かしてドイツ軍の三号戦車を3両撃破した。

 その功績により、中隊から彼に向けて特別休暇という褒賞が与えられたのだ。

 だが困ったことに彼は列車の乗り方はもちろんキリル文字の読み方も知らない。

 彼の中隊長から相談されたセルゲイ大尉は、ボリス一等兵に行くべき場所と行うべき行為を教え込んでいたのだ。

 

 

 

「まずぅ、大隊本部さ行くだ。」

 

「うん、そうだボリス。そこで何をする?」

 

「駅さ行ぐトラックさ乗って…」

 

「よし!そうだ、トラックに乗って?」

 

「駅さ着いだら、サンクトペテルブルク行きの列車さ乗っで」

 

「列車に乗って?」

 

わ〝ーが(私が)徴兵された時に行った駅で降りで」

 

「降りて?」

 

「その後家さ帰っで二週間過ごすだ!」

 

「二週間経ったら、どこへ向かうんだ?」

 

「………」

 

 

 

 おっと、雲行きが怪しいぞ。

 ここまで教え込むのに既に貴重な一時間を消費している。

 そのおかげでもうほぼほぼ完璧になすべき行動を彼の頭に叩きこめているはずだ。

 さあ、ボリス。もう少し。

 最後の最後だ、頑張ってくれ。

 

 

 

「……なんだっぺかなぁ……あっ!んだんだ!!」

 

「よし、二週間経ったらどこへ向かうんだ?」

 

んだば、(そしたら)畑さ行ってかっちゃ(母さん)の手伝いすんだべ!」

 

「な ん で そ う な る?」

 

 

 

 セルゲイ大尉は盛大にため息を吐いて天を仰ぐ。

 これまでの一時間は見事なまでに水の泡。

 いったい全体、どうして擱座した戦車で敵戦車を撃破する事はできるのに、列車に乗って帰ってくることはできないんだ!?

 

 もうダメだ。

 セルゲイ大尉はサジを投げる。

 とはいえ、目の前で申し訳なさそうに頭を掻くボリス一等兵を見捨てるわけではない。

 大尉は机の中から何通かの便箋を取り出すと、何人かの人物に向けて手紙を認める。

 大隊本部の佐官、駅長、そして一等兵の地元にある党機関の支局長。

 どれも青年共産同盟時代の"遺産"だった。

 皆大尉自身よりもよほど出世しているが、しかし共にマルクス主義を学び、訓練で汗をかき、笑い合った同期生は現在の階級の差異に関わらず便宜を図ってくれる。

 誰にでも親切に接したセルゲイには、誰もが親切に応えてくれるのだ。

 

 

 手紙をそれぞれの人物に渡すように指示されたボリス一等兵はドギツイ田舎訛りでなんども謝意を述べて幕舎を去っていく。

 セルゲイはふぅっと息を吐きながら手元の紅茶を一口啜る。

 危うく今日1日をまるっと一等兵の為に使うところだったではないか。

 彼は次いで伸びをして、本日提出予定の書類を取り出した。

 ところがそれに手をかけた時、彼の幕舎に新たな来訪者が現れたのだ。

 

 

 

「セルゲイ大尉、セドネフです。…入ってよろしいでしょうか?」

 

「おおセドネフ!お前生きてたのか!いいぞ、入ってこい!」

 

 

 

 行方不明になっていた者が、そのまま行方不明で終わることも決して珍しくはなく、むしろその場合の方が多かった。

 だから大尉はセドネフの帰還に驚いたし、少しだけ喜びを感じていた。

 青年共産同盟出身者にしては過分な程に情に厚いこの政治将校にとって、せっかく敵の手中から脱出してきた兵士を"裏切り者"扱いすることなぞ考えられなかったのだ。

 

 セドネフが恭しく大尉の幕舎に入ってくる。

 少々緊張した様子で、可能な限り姿勢を正さんとしているようだった。

 そうする理由はよく分かる。

 

 

「お久しぶりです、大尉」

 

「ああ、久しぶりだ。それにしてもよく生きて帰ってきたなぁ!…よくぞ戻った!」

 

「実は…お恥ずかしながらお願い事がありまして」

 

「うん、心配するな。君の行方不明届は出していない。…つまり、上のお偉方には君が捕虜になった事なんて知られちゃいないんだ。君の中隊長とも話はつけてある。戦死確認の取れていない者は全員そうしてあるのさ。」

 

「ありがとうございます……ですが、実はお願い事というのは…その件ではなくて」

 

「ほほう。我儘な奴だな……冗談だ。せっかくナチの魔窟から生きて帰って来たんだ、多少の願い事なら聞いてやる。…ほら、紅茶でも飲むか?」

 

「いえ、遠慮します…それで…その…お願い事というのは……」

 

 

 セドネフが幕舎の入り口を少し開ける。

 "なるほどな"

 セルゲイ大尉は紅茶を口に含みながらも、セドネフの"お願い事"を多少予測する事ができた。

 恐らく、脱出途中どこかで民間人と合流したのだろう。

 そしてその民間人をどこか安全な場所に避難させる便宜を図ってくれということに違いない。

 今まで何回かそういう事があったし、セルゲイ大尉は自身のコネと手腕を最大限駆使してそういった期待に応えてきた。

 辻褄合わせにトコトン苦労するのだが、それで部隊の士気を維持できるのならやる価値はある。

 こちらが恩恵を与えれば、向こうは恩恵で返してくれる事が大半なのだから。

 心配事や憂いがなくなれば、兵士達もそれだけ戦闘に集中できるのだ。

 

 

 セドネフが開いた入り口から、1人の女性らしき人物が入ってきた。

 ほほう、セドネフ。

 お主もやりよるのお。

 いったいどこの避難民を連れてくるかと思えば、そんなうら若き女性を………

 

 

「私はロマノフ家皇女、アナスタシア!」

 

「ブフオオッ!!」

 

 

 大尉は口に含んでいた紅茶を口と鼻から吹き出した。

 あまりに盛大に吹き出したせいで本日提出予定の書類が紅茶塗れになってしまったし、気道に入り込んだ紅茶を排除する為に咳き込むハメになる。

 

 

「ゲッホ!ゲホゲホッ!!」

 

「た、大尉!?大丈夫ですか!?」

 

「………!」

 

 

 大尉は自身を案ずるセドネフをそのままに、幕舎の入り口へ歩んで行ってそこから首を出し、周囲の様子を伺った。

 幸いなことに、辺りに他の人間はいない。

 セルゲイ大尉は確認を取ると、困り果てた…絶望に近い顔でセドネフの元へと戻ってくる。

 

 

「お前いったい彼女をどうしたいんだ!?」

 

「大尉殿…無茶なお願いとは承知していますが、どうか彼女を保護」

 

連れてくるところが違うくない!?彼女を助けたいんでしょう!?助けたいのに政治将校のところに連れてくるバカいる!?ロマノフ家の皇女殿下を政治将校のところに連れてくるバカいるの!?お前アレか!?サイコパスか!?

 

「先任と相談したんです。セルゲイ大尉なら大丈夫だろうって。」

 

 

 政治将校ウラジミール・セルゲイは軽い目眩を覚えて椅子に座り込む。

 今までやってきた事が見事に裏目に出やがった。

 確かに部隊の兵士たちのために、大尉は自身の持てる全てを駆使して尽くしてきた。

 それ自体は間違いのない行為だし、後悔もしていない。

 だけどやり過ぎた。

 まさかこんなのまで頼られるとは……つーか先任曹長、厄介事を押し付けやがったな?

 

 

「お願いします、どうか…どうかっ!」

 

「いや、どうかっつわれてもなぁ」

 

 

 セルゲイ大尉は久々に戦意を喪失するという言葉を体感したような気分になった。

 今度ばかりはどう処理していいか分からない。

 

 

 最も単純な方法はセドネフの頼みを無下にして皇女殿下を殺してしまう事だろう。

 セルゲイ大尉の腰にはTT33自動拳銃がぶら下がっているし、別に一兵卒の依頼を無下にしてもそんなに部隊に影響はない。

 目の前の女の子がどれだけ高貴な立ち振る舞いをしていようとも、どれだけ可憐な姿形をしていようとも、セルゲイは保身のためとなれば必要な処置を下す覚悟がある。

 

 

 だが、問題は彼女を射殺した場合、その保身自体が危うくなりかねないという点である。

 もしセルゲイが何も知らない駆け出しの熱烈共産主義者なら皇女殿下を処刑して鬼の首でも取ったかのように上層部へ報告するだろう。

 だが、セルゲイの見立ててでは、それは長生きできない結果をもたらす事になる。

 

 そもそもニコライ2世の一家は1918年に処刑された事になっている。

 内戦後しばらくアナスタシア皇女の生存説が流布したのは、革命勢力側が民衆の反感を恐れたためのプロガパンダに過ぎないのだ。

 こんな戦時中に、そんなことを掘り起こそうもんなら猜疑心の強いスターリンが何を言い出すか分かったもんじゃない。

 

 まず、当時皇帝の処刑に携わっていた人々は…もし生き残っていればだが…処刑される。

 次に、皇女殿下を処刑した側も処刑される。

 何故って?

 大昔に処刑されたハズの"死人"が、当局の目を逃れて伸び伸びと生き延びていた事が分かったのだ。

 誰かが責任を負わされる。

「反革命分子を長年匿っていた」なんて言われたら…まず間違なく生きては帰れない。

 上層部連中に引き渡したって同じ事だろう。

 

 

 

 こんな時、セルゲイ大尉は自身の保身のためにどうするべきか算段を決めていた。

 "事なかれ主義!"

 共産主義体制では最も手堅いやり方であり、後々この社会が停滞することになった原因ではあるが。

 しかし今は現状をうまく維持して、臭いモノには蓋をしてから地下100メートルにでも埋めてしまった方が良い。

 

 意を決したセルゲイ大尉は、厄介事を持ち込んできた張本人にこう告げる。

 

 

 

「セドネフ、狙撃班のあいつを呼んでこい。うん、そうだ、ソフィアだ。今すぐ呼んでこいっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺と邪ン姉さんはソ連軍に捕まってから殿下とは引き離され、監房の檻の中に入れられた。

 だが思ったよりかはマシな対応だった。

 流石にトミーガンとピストルは取り上げられたが、タバコとライターはそのままにされたし、時計も奪われなかったのだ。

 シベリアに直送されると思ってたのだが。

 

 

「くそっ!あいつっ!やっぱり最初から裏切る算段だったんだわ!」

 

「早く助け出さないと…」

 

「助け出すって、どうやって?あの裏切り者は私達を檻の中に閉じ込めたのよ?…ホンット…人間ってのはつくづく愚かな生き物ねッ!」

 

 

 邪ン姉さんが檻の扉を八つ当たりとばかりに蹴飛ばす。

 バンッ!………ギギギィ………

 

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「…開いた?

 

 

 俺はとりあえずそそくさと扉に駆け寄って、邪ン姉さんに蹴り飛ばされただけで開いてしまった檻の扉を元の位置に戻して手で支える。

 直後に2人のソ連兵が監房の前を通って歩いて行った。

 あっぶねえ。見つかるとこだった。

 それにしても管理と警備がザル過ぎるだろ

 

 

「ふ、ふふん♪まあ、私にかかればこんなモンよ!」

 

「サーヴァントェェェ…」

 

「これで皇女サマの下まで行けるハズ。タイミングを見計らって、助けにいきましょう。」

 

 

 

 何分か経ったあと、ソ連兵は誰一人通らなかったので俺と邪ン姉さんは監房の外へ出た。

 とにかく、今は殿下の所在を見つけなければならない。

 銃殺隊の前に並べられる前に救出できることを祈りつつ、我々は歩を早めていった。

 

 

 

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