レイシフトの私的な使用は法律で禁止されています 作:ペニーボイス
『状況は好転したと見るべきだろう。これで蹴りがつく。』
「お言葉ですが、閣下。当初の計画からは随分と逸れていますよ?」
『構わんよ。大切なのは目的を達成する事だ。…部下を引き連れて現場へ向かいたまえ。そこで悪しき時代に最期のトドメを刺すんだ。』
「………了解いたしました。」
ここはある施設の一室。
頑丈な鍵によって守られた扉は、外部の者を寄せ付けない。
鹵獲したドイツ軍の無線の受話器を置くと、彼は少々首を空回しして一息を吐く。
あの方の振り回しには、もうそろそろ疲れてくるものがあった。
昔からあの方は勇猛果敢、頭脳明晰ではあるものの、何を考えているのかはまるでわからない。
でも、結果は常に良好だったし、それにあの方以上の策士はそうそういないと確信を持って言える。
だから、無線機の前にいる少佐はもう迷ってはいなかった。
彼はNKVD特有の帽章を掲げる制帽を被り、部屋を出て、部下たちのもとへ向かう。
「同志少佐殿!御命令を!」
「人民の敵がここからほど近くにいると密告があった。」
「分かりました、直ちに準備します!」
部下たちが慌ただしく動き出し、少佐も革手袋を嵌めた。
本心を言えば未だ半信半疑。
だがあの方からの命令という事以上に、少佐の直感が情報の正しさを肯定していた。
「………過去の亡霊か」
少佐はそう呟きながらも玄関へ向かう。
NKVDの部下たちが既にソ連版ジープであるGAZ64をその先へと回している。
やがてGAZ64はその助手席に少佐を吸い込んでバルコニーを滑り出て、その後をGAZ-MMトラックが追って行く。
無論、トラックの荷台にはフル武装の男たちが乗っていた。
…………………………………
ソ連兵の武器管理の杜撰さに、俺は内心感謝の意を唱えていた。
おかげで装填済みのTT33自動拳銃を手に入れられたし、邪ン姉さんに至ってはDP28軽機関銃を担いでいる。
どちらかといえば、邪ン姉さんがザクマシンガンみたいな機関銃を手に入れた事の方がかなり重要なのだが……しかしながら俺のような人間なら素手よりかは自動拳銃の一つくらい持っていた方が脅威となり得る。
何故脅威となり得ることが重要かと言うと、これから居眠りしている歩哨でもとっ捕まえて皇女殿下の居場所を吐き出させようとしていたからだ。
殿下は共産主義者共に、家族もろとも殺された。
薄暗くて不衛生なイパチェフ館で横柄な赤軍兵達の虜囚になっていた事は、例えサーヴァントになった後でも忘れ難い屈辱となっているはずだろう。
俺は殿下の堪忍袋の緒がぶち切れる事より、彼女がイパチェフ館での経験を思い出し、精神的なダメージを負う事の方を心配していた。
サーヴァントが心を病まないという保証はない。
仮に殿下に身を守る術があったとして、この陣地中のソ連兵を氷漬けにしたところで病んでしまった心が元に戻るわけがないのだ。
だから俺と邪ン姉さんは先を急いでいた。
殿下を、過去の忌まわしい体験をフラッシュバックさせかねない環境から救出するために。
「きゃああああ!?」
唐突に、俺と邪ン姉さんの耳を女性の悲鳴が劈いた。
その声色には覚えがあり、すぐに殿下の物であることに気がつく。
俺は邪ン姉さんと顔を合わせ、次いで悲鳴が聞こえてきた方向に視線を向けた。
そこには一張の幕舎があり、中では少なくとも2人の人物が動いているような影が見えている。
どうやら片方が片方に襲いかかっているようだ。
戦争において、兵士はありとあらゆる欲求不満に晒される。
殿下の高貴な柔肌はそういった連中の"鬱憤"を晴らすのに打ってつけだろう。
「…!ちょ!待ちなさい、シマズ!」
俺は邪ン姉さんの忠告も聞かずに飛び出した。
殿下が赤軍兵に襲われているとすれば本当に彼女の精神衛生が危ない。
それは間違いなくイパチェフ以上の屈辱であり、ただでさえ当時と似た環境にいる彼女のメンタルにとっては大きなダメージとなる。
だからこそ俺はTT33を前に出して、幕舎まで一気に駆け込んだ------
「…あら?シマズさん?」
「シマズ?…ちょっと!ここは男子禁制よ!」
幕舎を開けた瞬間、俺は凍りついた。
ああ、誤解ないように言っておこう。
殿下が赤軍兵に襲われて無残な姿になり、その光景を見て衝撃のあまり凍りついたのでない。
俺が凍りついたのは、幕舎の中で下着姿になっている殿下と、何かしらの着替えの準備を手伝っていたであろう女性兵士の姿を見て、女子トイレに間違って入った中年オヤジみたいな気持ちになったからだ。
「………こ、これは失礼しました。どうやら幕舎を間違えたようで…」
カチャッ
「動くんじゃないよ、このドスケベ。」
思わず後退りする俺の後頭部に冷たい銃身が当たる。
注油の足りない機械のようにゆっくり背後を確認すると、頭をスキンヘッドに剃り上げた女性がいて、ナガン・リボルバーを俺の後頭部に押し当てていた。
カチャッ
「アンタこそ動かないようにすべきね。」
有難い事に邪ン姉さんが後から続いて来てくれたらしく、俺の後頭部にナガン拳銃を押し当てるスキンヘッドのそのまた後頭部にDP機関銃の銃口を押し当てている。
スキンヘッドはチッと舌打ちをしてから銃口を下ろすと、邪ン姉さんに語りかけた。
「話し合おうじゃないか、2人とも。アタシはマリア。マリア・チュルキン。狙撃兵さ。アンタらは一体何者だい?」
「お、俺はシマズ…殿下の従者です。」
「シマズさん、よくご無事で…!」
自己紹介を終えるか終えないかぐらいのタイミングで、皇女殿下から抱擁いただくという身にあまりすぎる光栄をいただいた。
イエス皇女ノータッチの誓いはここに破られ…いや自分からタッチしたわけじゃないからセーフセーフ。
しかしながら殿下の繊細なスベスベ柔肌の、それもとてつもなく大きなウラル山脈が押し当てられるもんだからさぁ大変。
「ででででででdddddd殿下!そそそそそそその、ふふふふふ服をお召しになってくださいいいいいい!」
「壊れたグー●ル翻訳か、アンタは。」
邪ン姉さんの突っ込みを受けつつもどうにか理性を保った俺は、殿下がお召し物を着るのを待って、何がどうなっているのか説明を受ける事にする。
「ある将校の方が彼女を紹介してくださいました。彼女の名はソフィア。私と同じくらい小柄なのに、優秀な狙撃兵なのだそうですよ。」
「は、はぁ。」
「で、アンタが殿下の腰巾着ってわけね。…セドネフが殿下のお皿洗いってのは分かるけど…皇帝陛下はもっとマシなシェフを雇えなかったのかしら。」
「やめときな、ソフィア。…さっきはすまないね。何しろウチの天幕を覗きに来る変態野郎は多いんだ。」
その将校が、メス●キっぽくて仕方ない背の低い方がソフィア、丸坊主の大女がマリアという凸凹狙撃兵コンビを殿下に紹介した理由は分からないが、俺としては早くこの天幕から逃げ出したかった。
こんな女の園のど真ん中とかさ、いるだけで、こう、足元が震えてくるんですよ。
分かっていただけませんかね?
さっき言ったようにデパートの女子トイレに間違って入って、そこから出れなくなったら走馬灯がよぎるでしょ?
今そんな感じなんですよ、俺。
「それで?アンタとその狙撃兵2人がどう関係してくんの?」
邪ン姉さんが腕組みをして殿下に尋ねる。
「将校の方は私に着替えて欲しいと仰っていました…狙われないように、と。」
「確かにアンタのあの服じゃ目立って仕方ないでしょうけど…今更って感じよね。」
邪ン姉さんは気付いていないが、俺としてはその将校がソ連軍の軍服を着させようとしたのはNKVDの目を逸らすためではないかと思える。
それにしても色々とおかしいが。
皇女殿下が今仲睦まじく着替えを手伝ってもらっていたのは、時代の違いはあれど、彼女の一族を抹殺した労農赤軍の兵士である。
カツコフが殿下をここに連れてきたとすれば、殿下もその事に気づかないはずもない。
しかしながら、今彼女達の方を見ると、代官山を練り歩くJKよろしくキャッキャウフフと徒党を組んでいらっしゃるのだ。
「殿下…その、少々よろしいですか?」
殿下は既に家族の仇敵たる労農赤軍の制服に着替えている。
タイトなギムナスチョルカが殿下のお身体を締め付けて、にも関わらずその豊満なウラル山脈は選挙キャンペーンでもやっているのかというほど自己主張をしていた。
ほっときゃ郵便投票にケチをつけそうだし、起訴さえ考えてそうなお胸である。
おまけに革の長靴がサドっぽさを引き立てて…いかんいかんいかんいかん!!
イエス皇女ノータッチ!!
イエス皇女ノータッチィィィイイイ!!!
なけなしの自制心をかき集めつつ、俺は殿下に忍び寄る。
皇女殿下を2人のソ連兵から遠ざけると、彼女のフレグランスな髪の匂いを出来るだけ嗅がないようにしながら耳打ちをした。
…何故匂いを嗅がないのかは察して欲しい。
ドーテーは下手をするとそれだけで●つのだ。
「…殿下、誠に申し上げにくいのですが、ここは……」
「……ええ、存じています。ここは共産主義者の軍営。私の家族の仇敵ですね。」
「では何故」
「何故こんな格好をして、赤軍兵とあんなに楽しそうに会話をしているのか?…彼女達は赤軍兵ですが、決して共産主義者ではありません。」
「は…い?」
「…まず、ソフィア。彼女のお父様は多くの土地を持つ富農でした。でもそのせいで彼はNKVDに逮捕された…土地は没収され、家族はコルホーズに入れられて…お父様は帰ってこなかったそうです。」
「………」
「それにマリア。彼女の家族も隣人の密告によって離散してしまったそうです。…2人とも共産党に対しては大きな憎悪を抱いています。」
「…殿下、それは……チャンスとは考えませんでしたか?この時代、ソビエト共産党を憎んでいた人間は彼女達以外にもたくさんいました。大粛清や農業集団化、スターリンの政策の皺寄せは常に国民に被せられていたんです。…俺が言うのは変ですし、時代の改変を望んでるわけでもありません。……でも、でももし、俺が殿下の立場なら…少なくともドイツ国防軍と協力して」
「勿論です、シマズさん。私がその手を試さないとでも?」
え、ちょっとまって、殿下。
まさか2人に直接誘いをお掛けになったの?
仮にも赤軍兵にドイツ側に寝返る話を直でしたの?
デンジャー過ぎないかい、それは。
「…正直、軽率だとは思いましたけど、その手はセドネフや将校の方にも試しました。彼らも共産党のやり方には不満を持っていたようです。」
「では…ドイツ国防軍に連絡しましょう。ウラソフはともかくげーれんなら」
「うふふふふふふっ!シマズさん、あなたは私を止めるべき立場ではないかしら?もし成功してしまったら人理は大きく変わってしまうのですから。」
「あっ」
「でも、ありがとう…私の事を思ってくれて、ちょっと嬉しく思います。………彼らも、そしてソフィアやマリアも、YESとは言いませんでした。」
「そりゃロシア語でYESはdaですから」
「違いますよ。彼らはドイツ軍には協力できないと。」
「共産主義者が憎いんでしょう?なら何故拒絶するんです?」
「…………シマズさん。私は大切な事を忘れていました。」
殿下は目を瞑り、優しく微笑んだ。
どれだけ俺が鈍い人間でも彼女が何かに想いを馳せていることは容易に見て取れたし、それが家族の事であるというのも理解できる。
「…ロマノフ家のツァーリ達は、祖国を外敵から守る使命を果たしてきました。タタール人の支配から逃れて以来、私たちはこの国を守ってきたのです。」
「………」
「ナポレオンの時もそう。先祖代々受け継いで来た地に侵略してきた敵と通じるのは、祖国への裏切りです。」
「殿下、ここはもう殿下の知るロシアでは」
「ええ、今は違うかもしれません。でも、いずれこの国の民達は自身の手で共産主義者を倒すはず。外敵のチカラを借りる必要はありません、ドイツ軍は排除しなければならない。」
ロシアの社会主義革命は、国家の近代化と引き換えに夥しい犠牲を国民に強いるものだった。
何千万という国民が死に、収容所に送られ、離散してしまった。
だが、それでもバルバロッサ作戦が始まると、彼らの殆どはドイツ軍に協力することより"スターリンの名の下に"戦う事を選んだのだ。
勿論、ヒトラーの人種政策もあろう。
勿論、共産主義の強力な体制もあろう。
しかし、それを考慮したとしても、ウラソフのロシア解放軍には限定的な数の兵士しか徴収できなかったのだ。
ロシアはタタールと呼ばれる遊牧民に支配された歴史がある。
俗に"タタールのくびき"と呼ばれるこの時代は、ロシア史において少なくない影響を残した。
ロシア人はスターリンの為に戦ったのではない。
彼らはタタールのくびき以来の、祖国の危機のためにこそ立ち上がったのだ。
「…シマズさん、帰りましょう。私たちのいるべき場所へ。私たちはここにいるべきではありません。」
皇女殿下がそう言って微笑む。
その笑顔に魅了された時、幕舎の外ではNKVDの車列が急停車した。