幸せの始まりはパン屋から   作:小麦 こな

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第26話

「そう、独り言。息子の名前に込めた意味を、ね?」

 

美香さんの口から出た言葉は、私にとって興味深いものだった。

みゆき君がうちのお店で絵を描いていた時、「俺の名前にはある意味が込められているんだ」って言っていたのを思い出したから。

 

「そもそも、私たちは母子家庭なの。分かりやすく言えばシングルマザーね。父親は私が幸を身籠った時に何処か行った。望まれない妊娠だったのよ」

 

始めて知った家庭状況に奥歯を噛みしめた。自然と指先にも力が入って、強く空気を握りしめていた。

もちろんみゆき君の父親の行動に怒りを覚えたと言う理由もあるけど、そんな家庭状況を感じさせないみゆき君の振る舞いに心を痛くしたと言う理由もある。

 

今、美香さんと歩いている道はクリスマスイヴの日にみゆき君と歩いた道と同じはずなのに、見え方が全然違っていた。

昼と夜と言う違いは言わずもがな、なんだけどもっと賑やかだったような感じがするのだけど。

 

「そんな家庭状況だから、息子にはある願いを込めて出産したわ」

「ある願い……誰かを幸せにする、とかですか?」

「そうね……でも『幸せ』って難しいでしょ?何を幸せに感じるかは人それぞれ、十人十色だから」

「たしかにそうですね」

 

たしかに難しいよね。

私はバンドをしているからドラムを叩いている時、演奏をしている時に幸せを感じるとしても、今隣を歩いている美香さんには幸せに感じないだろうし。

 

「そう、人それぞれだから『幸せ』という言葉を上辺だけでしか理解していない人がほとんどなのよ。それは寂しい事だから」

 

美香さんの言葉はスッと心の中に入っていったけど、魚の骨が刺さったように引っかかってこそばゆい。

多分、私も「幸せ」をしっかりと理解していないんじゃないかな。だって何が幸せなのか分からないから。

 

「だから自分で『幸せ』をしっかりと答えられるようになってほしくて、幸と名付けたの」

「そうなんですか」

「そう。自分が『幸せ』とは何か分かれば、他人にも共有出来るでしょ?」

 

「あら、独り言をこぼしていたら我が家の前まで来たわね」と美香さんは少しおどけた感じで言った。

目の前には2階建てであろう、屋根が茶色の一戸建ての家があって、表札には「与田瀬」と書いてあった。珍しい名字だから間違えようもないよね。

この家には美香さんとみゆき君、そして美香さんのご両親で暮らしているんだとか。

 

「ささっ、遠慮無く入って頂戴」

「お、おじゃましまーす……」

 

遠慮無く、なんて言われても緊張するものは緊張する。みゆき君の実家だと言う事もあるし、もうすぐ現実と向き合わなければいけないって思っているから。

 

美香さんに案内されてある一室に連れて行ってもらった。その一室には……。

 

「やっぱり、本当だったんだ……」

 

私の目に入ったのは部屋には似つかない装飾とギラギラと黒光りした仏壇で、その前には中学校の卒業写真だろうか、ニヤニヤ顔とよく似たニコニコ顔のみゆき君の写真が飾られていた。

 

美香さんはお線香に火をつけてから「幸、沙綾ちゃんが来てくれたわよ」とお線香の煙のように消え入りそうな声でつぶやいていた。

私は持ってきたクリームパンをみゆき君の遺影の近くにソッと置いた。

 

ちらっと美香さんの方を向いたけど、美香さんは私に出会った時のような涙目では無く口角を上げてにっこり微笑んでいるようだった。

 

「沙綾ちゃん、ちょっとここで待っていてくれる?」

「あ、はい。分かりました……」

 

そう言い残して美香さんはそそくさと部屋から出て行ってしまった。

一人になった私は正座をしてまっすぐみゆき君の写真を見れる位置に移動した。不思議と涙が出ないのはまだ現実には受け止められていないからなのかな。

 

だって後ろから「だーれだっ!」とか言ってちょっかい出してきそうな気がするんだもん。もしくは仏壇の下から「びっくりした?実は生きてましたー」って言いながら出て来るとか?

 

……みゆき君。私、まだみゆき君から「幸せ」って何かまだ聞いていないんだけど。美香さんから貰った良い名前なんだから名前に込められた使命ぐらい(まっと)うしてよ。

 

みゆき君の仏壇の前で目をつぶり、手を合わせながら愚痴をこぼしてしまったけど遺影のみゆき君はニコニコしているからオッケーだよね。

 

「お待たせ、沙綾ちゃん」

「あ、美香さん。……それ何ですか?」

「うんこれ。沙綾ちゃんに見せたかったの」

「私に?」

 

部屋に戻って来た美香さんはきれいな額縁に入った四角いものを手に持っていた。特に大きいわけでも無いが小さいわけでも無い。そうだね、みゆき君がうちのお店で描いていた水彩紙ぐらいの大きさかな。

 

……待って。多分美香さんが持っている物はみゆき君がうちのお店で描いていた水彩紙と同じぐらいどころか、全く同じように感じる。

まだ確信は無いのだけど、第六感と言うか脳が私に叫びかけているから恐らくそうだ。

 

「……見て、沙綾ちゃん。うちの息子にしてはきれいに描いているでしょ?」

「あ……あっ……」

 

美香さんが額縁の裏返して私に絵が見えるようにしてくれた。

そこに描いてあったのは。

 

「この絵はね、コンクールで入賞した絵なの」

 

私はあの時、ただ練習の為に絵を描いているんだと思っていた。

私はあの時、パンを中心においしそうな絵を描いているんだと思っていた。

 

でも、違ったんです。

額縁に入った水彩画には、レジ越しで立っていて、とっても良い笑顔をした私が書いてあったんです。ほんと、水彩画に見えなくて「写真だよ」って言われても違和感がない位良く描けていて……。

 

女性を描いたってみゆき君は言っていたけど、私だったんだ。

私、こんなにかわいく笑えないよ?みゆき君、盛りすぎだって。

 

「沙綾ちゃん、この絵を持ってくれる?そして題名と作者名を見て欲しいの」

「あ、はい。お借りします」

 

受け取った絵は、見た目より軽く感じてすぐに消えてしまいそうな雰囲気を出していたから私は一度、絵をギュッと抱きしめた。

 

ふわり、と絵の具のにおいがした気がした。近くで見ると細かな色使いで、繊細なタッチで描かれていることを知った。

その後私は絵の下の方に視線を移していく。

 

「み、美香さん。これって……っ」

「そうね、きっとそう」

 

私の瞳から一筋の涙がスーッと流れ落ちていった。

一粒落ちれば、堰を切ったかのようにポロポロと涙が落ちていく。

 

部屋の中はさっきまで静かだったのに、私の嗚咽が響き渡るようになっていた。

ぐすっ、ぐすっ。

 

私の目はもうぼやけていてしっかりとは見れないけど、こう書いてあったんです。

 

 

題名 「幸せの始まりはパン屋から」

作者  よだせ 幸

 

 

 

「与田瀬幸……よだせ、幸……幸せだよ。……バカみたい」

 

どうして、生きている時に私の目の前で言ってくれないの!?そんなの、ずるいよ……。

今、「幸せ」の意味が分かったらみゆき君の死を認めることになっちゃうじゃん!!

私、君の前では泣きたくない。笑顔でいたいの。

 

「沙綾ちゃん、我慢しなくて良いのよ……こっちおいで」

 

美香さんが私の近くまで来てくれて、両手を広げながら優しく言ってくれた。

私は美香さんの胸の中に入ると、今まで頑なに閉じていたふたが外れた。

 

「ばか……ばかぁ!うっ、うっ……!もっと君と話したかった!もっと君のそばにいたかったよぉ!ううっ、ぐすっ……まだ私、ちゃんと君に好きって伝えてないのに……っ!立派になったら会いに来てくれるって言ったじゃん!どうして死んじゃったの!帰って来てよ……うっうっ、うわぁああああ!ぐすっぐすっ……うわあああ」

 

----「幸せの始まりはパン屋から」----

 

 




@komugikonana

次話は4月12日(金)の22:00に公開します。

新しくこの小説をお気に入りにしていただいた方々、ありがとうございます!
Twitterもやっています。よかったら覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!!

~次回予告~
日差しが容赦なく照り付ける8月15日の昼間はとても暑い。私はやっと目的の場所にたどり着く。ふふふ、わざわざ来てあげたんだから喜んでもらわないとね?
「久しぶりだね。元気にしてた?」

~豆知識~
よだせ幸……みゆき君がコンクールに出した時のペンネーム。「よだせ幸」を反対から読むと……!?ほんと、バカみたいですね。
ちなみに第9話でみゆき君はこう言っていました。「作者名もちょっとだけ変えた。作者名も作品の一部にしたかったからね」

~次回作予告~
僕、佐東正博(さとうまさひろ)は羽丘経済大学に今年入学した。僕は過去のトラウマで人が怖いんだ……。
さて、あなたは正博君にどんな「イメージ」を抱きましたか?

小麦こな4作目となる新小説「image」が4月22日(月)22:00公開決定!!
ヒロインは宇田川巴です。過去最大級の伏線が仕掛けられているこの作品を、見逃すな。

~感謝と御礼~
今作品「幸せの始まりはパン屋から」の通算UAが3.5万を突破しました!
そしてそして!感想数がもうすぐ200という大台を突破しそうなんです!これもたくさんの読者さんの応援のおかげです!
感想は気楽にドンドン書いてくださいね。待ってますよ!!

では、次話までまったり待ってあげてください。

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