――永遠亭――
「お師匠様! 急患です!」
永遠亭の敷地内に慌てた様子で妖怪兎が駆け込んでくる。その声は敷地内で修行していた魔理沙の耳にも入ってきた。
「えらく騒がしいんだぜ。どんな急患が来たっていうんだ?」
魔理沙は永遠亭の敷地に入る入り口に視線を向けた。すると、無数の白蛇に少女たちが乗せられて運ばれてくる。それだけでも十分に魔理沙には驚愕の光景だったが、その驚愕を上書きするほどに運ばれている少女たちは血だらけの無残な姿だった。
「あ、あいつどこかで見たことがあるぜ……。……そうだ。毎年里の収穫祭のときに呼ばれてる豊穣の神様だぜ」
魔理沙は穣子の顔を見て思い出す。他にも穣子に似た顔の少女も運ばれている。こちらの少女の方がもっと重症度が高そうだ。上衣も下衣も全て血に染まり、腕や足があらぬ方向に曲がっている。もう一人の緑髪の少女も同程度の重傷であるように魔理沙には思えた。
「おーい、月のお医者さん。こいつらを見てやってくれよ」
無数の白蛇を従え、目玉のついた奇妙な市女笠をかぶっている少女『洩矢諏訪子』は敷地に入るや否や大きな声で屋敷に向かって呼びかける。
「……私は医者じゃないわ。薬師よ」と、永遠亭から出てきた八意永琳が反応する。永琳は運ばれてきた穣子たちを一見すると、感想を述べる。
「これはひどいわね……。人間だったらとても生きていられる傷じゃない」
「助からないのかい?」と尋ねる諏訪子。
「まさか。生きていれば助けられるわ。腐っても月の民である私の技術を用いればね」
「そいつは良かった。こいつらは引っ越し先のお隣さんだからね。死なれたら目覚めが悪いからねぇ。ご近所付き合いは大事だろ?」
「引っ越し? ……なるほど。見ない顔だと思ったけど、あなたが妖怪の山に引っ越してくるっていう外の神社の神様ね。『死なれたら目覚めが悪い』とは殊勝な心掛けね。本心からの言葉なら、だけど」
「おいおい、私を計算高いやつだとでも言うつもりかい? 別にこいつらに恩を売っておこうなんざ考えちゃいないよ。こいつらに死なれたら目覚めが悪いっていうのも本心さ」
「いうの『も』ねぇ……。じゃ、多少は恩を売るのも目的ってわけね」
「……月のお偉いさんも人が悪いね」
永琳と諏訪子が問答しているところに幼い見た目の兎耳の妖怪が声をかける。
「お師匠様、くだらないことを言い合っている場合じゃないだろ? いくら神々とはいえ、早く治療してやらないとあいつら本当にお陀仏になっちゃうよ」
兎耳の妖怪『因幡てゐ』が永琳に早急な治療を要求していた。
「そうね。すぐに治療しないとね。……兎たちはこの三柱を手術室へ連れて行ってちょうだい! ……まったく、ついさっき幻想郷の巫女を手術したばかりだっていうのに……。しばらく忙しくなりそうね」
永琳はため息を吐きながら永遠亭の中へと三柱を運ぶ兎たちとともに消えていった。永琳たちを見送った諏訪子は永遠亭の中に入らずに残ったてゐの顔を見ながらつぶやく。
「……あんた、どこかで見たことがあるなぁ。……そうだ。大昔に高草郡を訪れたときに会った兎じゃないのかい?」
「……神様に覚えておいてもらえるとは光栄だね」
「よく言うよ。まだアンタが神様になってない方が私には不思議なくらいだってのに。……えらく若返ったもんだ。あの時はもう少しおばあさんじゃなかったっけ?」
「失礼なことを言うなぁ。……少々化粧をしているだけだよ」
「お、おいお前。アイツらの怪我は誰にやられたんだぜ!?」
てゐと諏訪子の会話を切り裂いたのは魔理沙の質問だった。諏訪子は魔理沙の質問には答えずにてゐに問う。
「なんで、こんなところに人間がいるんだい?」
「ちょっと色々あってね。ここで魔法の練習をさせてるんだ」
「ふーん。アンタも変わったことをするね。何が目的だい?」
「強いて言うなら……ここを守るため、さ」
質問を無視して会話を続けるてゐと諏訪子に苛立ちを覚えながらも、魔理沙はもう一度質問する。
「私を無視してんじゃねえんだぜ!? アイツらは誰にやられたんだぜ!?」
「うるさいなぁ。一応私も神様なんだからさ。少しは敬った物言いをしてくれてもいいんじゃないか?」
「神様? お前みたいなちんちくりんが!?」
魔理沙は驚きのあまり、思ったことをそのまま口に出してしまう。
「ホントに失礼な人間だなぁ。ま、いいさ。あの神たちは巨大な蛇女にやられてたんだ。それを私が助けたんだよ」
「巨大な蛇女……?」
「ああ。今幻想郷には妙な連中が押し寄せているんだろ? 多分そいつらのお仲間さ。力の波長が私たちとは異なっていたからね。あの力は海の向こうのものに違いない」
「やっぱり、あのばあさんの仲間にやられたのか……!」
「娘さん、お前さんあの妙な連中と何か関わり合いがあるのかい?」
「まあな……」
「なるほど。因幡の白兎さんがお前さんを特別視している理由が少しだけ理解できたような気がするよ。……さて、私は妖怪の山に帰るとするよ。まだ身内が残っているんでね。また連中の仲間が襲い掛かってくる予感もするし……」
「あいつらが妖怪の山に……? おい、神様! 私も連れて行ってくれ! あいつらには借りがあるんだ……!」
「おいおい、冗談言わないでくれよ。ただの人間を連れて行って何の役に立つっていうんだよ。むしろ足手まといだ」
「バカにするんじゃねえぜ。今の私は限定的だけど魔法も元のように使えるようになったんだ。戦えるんだぜ!」
「……どうやらお前さんの格好を見るに魔法使いか何かみたいだけど……やめときな。中途半端なやつほど命を落とすからね」
「霧雨魔理沙、私も守矢の神様と同感だよ。まだ実践をするには早すぎる」
諏訪子に賛同するように因幡てゐが魔理沙に声をかけた。
「まだ、安定して運脈を見つけることもできないはずだ。それはアンタ自身がわかっているだろ。それでも行くって言うんなら腕の骨を折ってでも止めるよ?」
てゐが魔理沙に鋭い眼光を向ける。殺気にも似た圧をてゐから向けられ、魔理沙はビクっと動きを止める。
「兎さんの言うとおりだ。あんな規格外の連中と人間が渡り合うには相当図抜けた能力がないと無理さ。……そうだね。『ウチの子』くらい才能に溢れてないとね」
諏訪子はにやりと不敵に笑う。『ウチの子?』とオウム返しで聞き返す魔理沙の言葉に「なんでもない。忘れてくれ」と言い残して諏訪子は妖怪の山へと戻っていった。
「焦るなよ、霧雨魔理沙。いずれアンタの力が必要になる」
「でも……」と魔理沙は唇をかみ、拳をプルプルと握り締める。
「……今、修行相手を依頼しているんだ。ものぐさな人だから修行を付けてくれるのにもう少し時間が要るだろうが待ってろよ。それまで変な気を起こして永遠亭を飛び出したりするなよ?」
てゐはそう言うと、どこかへと去っていった。
魔理沙はてゐに言われた通り、永遠亭を出ることなく魔法の修行を再開した。……1時間ほどしたころだろうか。永遠亭から複数の影が出てきた。秋姉妹と鍵山雛の3柱と永琳である。
「ありがとう。あなたのおかげで助かったわ」
秋静葉が三柱を代表して永琳に礼を述べる。
「お礼はあの引っ越してきた新入りの神様に言ってちょうだい。……あなたたちもう山に戻るの?」
「……ええ。侵入者たちにあの神聖な山を汚させるわけにはいかないもの」
「……神様も大変ね。健闘を祈ってるわ」
一言二言会話を交わすと、秋姉妹と鍵山雛は空を飛び去っていった。妖怪の山へと帰ったのだろう。
「すごいな。あんなに重症だったのに……もう全快するなんて……」
そこまで独り言を呟いてから魔理沙ははっと気づく。そして永遠亭の中へと戻ろうとする永琳を呼び止めた。
「おいお医者さん待つんだぜ!?」
「……どうしたのかしら?」
「なんでアイツらは全快してるんだよ!? さっきアンタと話をしてた神様なんて霊夢よりひどい傷で意識もなかったはずだ! どうして霊夢より早く回復してるんだよ!?」
しばしの沈黙を経て永琳が語り出した。
「…………比較的力が弱いとはいえ、さっきのやつらは神様だからね。人間の巫女さんと一緒にはできないわよ」
「ウソだ!」
魔理沙は反射神経的に反論する。永琳が言葉を選んでいることは沈黙が証明していたからだ。魔理沙の観察眼が一定以上あることを察した永琳は騙すことは不可能だと判断したのか喋り始める。
「……そうね。たしかに嘘よ」
「なんで霊夢は眼を覚まさないんだぜ!? もしかしてお前手を抜いて治療してるんじゃないだろうな!?」
「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。私は全ての患者を平等に治療する。誰かに特別手厚く治療することもなければ、もちろん手を抜くこともない」
「じゃあ、なんで霊夢は……!」
「生きる意志のないものに治療の意味はない」
永琳は音を短く切り、強い口調で魔理沙に伝える。
「ど、どいういうことだよ……?」
「私たちがどんなに高度な治療をしても患者に生きる意志がなければ助からないということよ。私たちにできるのは生きることの手助けだけ。その患者が助かるには何よりも患者自身の『生きる意志』が求められる」
「じゃ、じゃあ霊夢には生きる意志がないっていうのか……?」
「……治療は完全にうまくいっている。体の状態も元以上に治癒しているわ。ということは……そういうことなんでしょうね」
「ふ、ふざけるんじゃねぇぜ……!」
魔理沙はギリギリと歯ぎしりする。その苛立ちの相手は自分でも永琳でもない。魔理沙は気付くと永遠亭内へと走り込んでいた。向かった先は意識不明の霊夢の姿が見える集中治療室前……。
「おい霊夢、ふざけんじゃねえぜ!」
魔理沙は窓越しに霊夢に叫ぶ。
「生きる意志がないだって? お前このまま死ぬつもりかよ!? ……絶対許さないんだぜ。私はまだ一度もお前に勝ってないんだ。勝ち逃げするつもりか!?」
魔理沙は霊夢向かって悲痛な大声を上げる。だが当然のごとく、その声に霊夢が反応することはなかった。
「頼む。帰ってきてくれよ。私はまだ助けてもらったお礼をお前に言えてないんだぜ……?」
魔理沙は祈るようにつぶやくのだった。