「妖怪の山の神だと……?」
ラクタは八坂神奈子の自己紹介に疑問符を浮かべる。
「そうさ。今、守矢神社っていう私たちの社をこの山に引っ越す準備をしているんだ」
「……神社。たしか……、この極東の島国にある宗教施設のことだな。宗教施設を置いてもいないのに、この山を自分のものだと言っているのか? フフ、さすがの我でもそこまで面の皮は厚くないな」
「宗教施設なんて言い方はよしてもらおう。神秘性が失われるだろう?」
「……ふざけるなよ、よそ者め……!」
神奈子たちの会話を切り裂くように天魔は声を上げる。その目は神奈子を睨みつけていた。
「私たちはまだ、お前たちの移住を認めてなどいないぞ……!」
「『まだ』ということはいずれは認めてくれるわけかな?」
「戯言を抜かすな……! この山は妖怪だけで切り盛りしてきたんだぞ。今更、神などを迎え入れてたまるか……!」
「そうは言っても反対している勢力はもうお前たち天狗くらいだぞ? まあ、そもそもこの山で組織的なものを作っていたのはお前たち天狗と河童くらいだったが」
「……貴様ら、河童を手懐けたらしいな」
「ああ。アイツらは賢いからねぇ。私たちが研究の費用を出してやると言ったら、すぐにこの山の神になることを許してくれたよ。今後もアイツらとは良きビジネスパートナー同士になれそうだ」
「知的好奇心だけで生きているアホ河童どもめ……! 易々と懐柔されおって……」
「ま、そういうわけだ。後はアンタたち天狗が認めてくれれば平和的に私たちは移住できる。認めてもらえないかい? 力づくでも構わないが……、そうするとこの幻想郷のお偉い妖怪に目を付けられそうでねぇ。私たちとしてもそれはまだ避けたい」
「……『まだ』ということは、貴様こそいずれは幻想郷で何かおっぱじめる気か?」
「……それこそ戯言だねぇ。邪推はよしてくれ、大天狗」
神奈子は不敵な笑みを天魔に向ける。
「まったく無駄話をしておるな。どうせこの地は我が主のものとなるのだ。この山がお前たちのどちらのものになろうと意味はないというのに」とラクタが呟く。
「おや、まだいたのかい? 鳥の妖よ」
「態度の大きいやつだ。この神鳥ガルーダである我を前にそのような口を叩けるとは」
「神鳥? ただの鳥のくせに偉そうな名前を名乗っているねぇ」
「我の二つ名をコケにすることは許さんぞ? それは我が主の冒涜でもあるのだからな」
「……我が主ねぇ。お前たち西の者はこの幻想郷に侵入して何をするつもりだい?」
「我が主は友人である老魔女の計画に付き合っているだけにすぎん」
「老魔女ねぇ。そいつがアンタらの頭ってわけかい」
「バカを言え。我の主は主(しゅ)だけだ。さて、さっさと死んでもらうぞ? 早く我が主にこの山をお渡しせねばならんのでな」
ラクタは神奈子と天魔の前から姿を消す。彼女は射命丸を軽く上回るスピードで高速移動を開始する。その圧倒的な速さを前に天魔はもちろん神奈子も眼で追うことができない。
「ふふ。我の姿を追えぬ程度の能力しか持たぬくせに神を名乗るとは。片腹痛いとはこのことだな」
姿をくらましたラクタの声が聞こえる。だが、神奈子は神鳥の位置を捉えることができなかった。
「死ぬがいい!」
ラクタは神奈子の眼前に姿を現すと、炎を纏った拳をみぞおち目掛けて打ち放った。
「……なんだと?」
ラクタは予想外の展開に思わず言葉を漏らした。全力の拳は間違いなく、神奈子に直撃した。だが、神奈子はにやりとした笑みを浮かべてまるで堪えていない。
「なるほどねぇ。素早さは大したもんだよ。神である私の眼にさえ写らないほどだ。だが、この程度ではねぇ……」
神奈子はその手に巨大な御柱を召喚すると、そのままラクタを御柱で殴り抜いた。直撃を受けたラクタは悲鳴を残し、空の彼方へと吹き飛んでいった。
「うるさい鳥だが、あれくらいではまだ死なないだろうねぇ。……さて、交渉と行こうじゃないか、大天狗」
「……交渉だと?」
「ああ、そうさ。まだあの鳥妖怪は死んじゃいない。私が代わりに始末してやろう。その報酬として私たちを山に受け入れてもらえないかい?」
「だ、誰がお前らを受け入れてなどやるものか……!」
「強がるねぇ。だがお前さんたちじゃあの鳥妖怪は殺せない、そうだろう? ……私にも秘蔵っ子がいるからわかるさ。お前さんと最後までともに戦ったあのかわいい3匹の天狗を死なせるわけにはいかないだろう? 私の提案を受け入れなければあの若い衆もアンタとともに鳥妖怪に殺されることになる。それは嫌だろう?」
「く……。……お、お前いつから私たちのことを見ていた……!?」
「私は軍神だからね。戦略に長けているのさ。確実に効果的な攻撃ができるように機会を伺っていたのよ」
「……物は言いようだな」
「さて、どうする? 私はお前たちが死んでも大して困りはしないさ。だが、なるべく穏便に引っ越しを済ませたい。なぁに、心配することはないさ。何もアンタから山の治者の座を奪い取ろうってんじゃない。私たち守矢神社を受け入れてくれさえすればそれでいい。悪い話じゃあないだろう? ……おっと、帰ってきたみたいよ」
神奈子の視界の先の空中には空彼方に吹き飛ばされたはずのラクタの姿があった。戻ってきたラクタは思わぬ神奈子からの激しい攻撃に怒りを覚えているのだろう。元々紅い体毛に覆われた鷲頭をさらに赤く染めていた。
「……この天狗の集落ごと燃やし尽くしてくれる……!」
ラクタは掌を神奈子たちのいる方向に向けると、火球を作り出す。今にも放たんという様子だ。
「おやおや。とんでもないエネルギーだね。今開発中の地獄鴉並みじゃないか」
「何をのんきなことを言っている!? あんなものを叩きつけられれば、お前だってただじゃすまないだろ!?」
「そうでもないさ。私はあれくらいなら耐えられる」
「なんだと……」
「さ、もう時間がないようだ。どうする大天狗! 私たちを受け入れるか、受け入れないか!」
ラクタの火球はさらなる力を集めていた。放たれれば天狗の集落は灰になるだろう。天魔は小さく口を動かした。
「く、くそ。仕方ない。ああ、認めてやるよ。お前たちはこの山の神だ。ただし、妖怪の山の長は私だ。それは譲らん……!」
天魔が八坂神奈子を妖怪の山の神として認める発言をしたとき、ラクタの火球が解き放たれる。
「我をコケにした愚かな神と妖よ。肉片残さず灰になれ!」
巨大火球は神奈子目掛けて落ちてくる。
「約束を違えるなよ。大天狗!」
神奈子は火球に向かって手をかざす。途端に晴天だった空が雲に覆われ嵐が起きる。強烈な嵐は火球の落下を押しとどめた。さらに巨大な雹と豪雨が火球に向かって集中的に降りかかる。突然の異常気象に見舞われた火球はその熱を奪われ消え去った。
「わ、我の火球が雨風ごときに……!?」
「雨風ごときとは聞き捨てならないねぇ。いつだって天災は人間の予想を超えていくものさ」
「青髪ぃ。貴様何をした!?」
「大したことはしてないさ。少々、『乾』を創造しただけだよ」
「乾? 乾とはなんだ!?」
「簡単に言えば……そうだねぇ。『天』のことかな。私は天候を操り、生み出すことができるのさ。どうだい、神らしいだろう?」
「天候を操るだと……!? 我が主のほかにそのようなことができる者がいるとは……! 主にお伝えせねば……!」
ラクタは神奈子からの逃走を試みる。しかし……。
「う!? な、なんだこの風は!? 元の位置に押し戻されて……!?」
「どうだい、風の蟻地獄は? 自慢のスピード移動もそれでは生かされまい」
神奈子は空気をコントロールし、ラクタが逃走できないように渦巻き状の暴風を作り出していた。逃げ場を失ったラクタは困惑した表情で神奈子に視線を向ける。
「……妖怪の山に手を出したのが間違いだったな。この山の神としてお前に天罰を下してやろう……!」
神奈子は天に手を掲げる。
「青髪ぃ! 何をするつもりだぁああ!?」
「天における最強の自然現象をお前に与えるのさ。心配するな。一瞬で終わる」
ラクタの頭上に黒々とした雨雲が発生する。その雲からはビリビリと稲妻が蓄えられていた。神奈子は大声とともに裁きを下す。
「これが神の雷だ! 神に逆らった愚か者よ!」
雨雲から放たれた巨大な雷がラクタに直撃する。神奈子の言う通り、一瞬の出来事だった。眼も眩む閃光が収まった時、既にラクタの姿はなかった。あまりの高圧な電流にラクタの体はチリ一つ残さず消滅したのである。
「久しぶりにはしゃぎ過ぎてしまったな」
神奈子はほほをぽりぽりと人差し指の先でかく。
「……化物め。……だが、なんとか助かったみたいだな」
天魔は眉間に皺を寄せながら、とりあえずの危機の脱出に安堵する。しかし、妖怪の山に現れた新たな神の脅威を前にして素直には喜べない大天狗なのであった。