東方二次創作 普通の魔法使い   作:向風歩夢

137 / 212
苗字

「おいおい……。美人の狐さん。そんな怖い眼で見ないで欲しいんだぜ?」

 

 リサは冷や汗をかきながら、藍の鋭い眼を見つめる。

 

「博麗大結界を破っておきながら、見逃してもらえるとでも思っているのか?」

「……そんな名前なんだな。あの結界は……」

「どうやって破った? 入ってきたのはお前たち二人だけか?」

「……結界にわずかだけど、裂け目があったんだぜ? わずかとは言え、あれだけ裂け目があれば私とおっさんの二人くらい侵入できるさ」

「……裂け目だと? ……お前、力尽くで結界を破ったわけではないのか……?」

「力尽く、か。私に魔法の力が残ってれば、それも出来たかもな」

「魔法使いか……。なるほど。それならば、巧みに結界内に侵入できたのもある程度納得できるな。……残念だが、この幻想郷はお前たちが思うほど甘くはない。私たちは外部との接触を拒絶している。当然、お前たちも排除の対象だ。死んでもらうぞ?」

 

 八雲藍は袖の中から御札を取り出す。御札はぼんやりと光っていた。藍が妖力を込めているのである。リサはある程度何をされるのか予測しているのか、冷や汗をかき続けていたが、霧雨には藍が何をしようとしているのか、さっぱりわからずただ困惑するだけだった。

 

「来るぞ、おっさん! 避けるんだ!!」

 

 リサは巨体の霧雨の裾を引っ張り、誘導する。霧雨は誘導される方向にダイブした。リサ達の体をかするように、お札から閃光が飛ぶ。閃光は激しい音とともに、石河原の石を真っ黒こげにしていた。もし、リサ達に当たっていればひとたまりもなかっただろう。

 

「ほう、避けるとは。中々やるじゃないか。どうやら、魔法の力がないというのは本当のようだな。お前たちからは一切魔力の痕跡を感じない。むしろ今の一撃を良く避けたものだ」

「へん。私は元々、魔法戦闘に長けた魔法使いだったんだぜ? 視線を見れば、技の特性や規模、狙いは大体わかるんだぜ? 避けるくらいならなんとかなるさ」

「……なんだと? 戯言を抜かすな。ならば、避けることも出来ぬほどの広範囲術で仕留めるだけだ……!」

 

 藍は別の札を取り出すと、妖力を込めた。札はまたも、妖しい光を帯びていく。

 

「藍しゃま、いけません!」

 

 妖術を放たんとする藍を止めたのは、舌足らずな喋り方をする橙だった。

 

「ど、どうしたんだ橙? 私の邪魔をしてはいけないぞ。下がっていなさい!」

「藍しゃま! 紫しゃまが言ってました。人間は殺しちゃダメって!」

「橙……。それは人里に住む人間のことだ。外から入ってきた人間のことではない……」

 

 藍は困ったように橙の質問に答える。

 

「藍しゃま! わたしだって、それくらい知ってます! 紫しゃまが言ってました。外から入ってくる人間は、妖怪が食べてもいいって!」

「わかってるじゃないか、橙。そのとおりだぞ。紫様はあえて、外の世界に見捨てられた人間や、世捨て人、自死を望む者など……。すなわち、外の世界に忘れられた人間が幻想郷に迷い込むように結界を調節しておられる。これは人食を辞められぬ妖怪たちに配慮してのことだ。彼らは人を食えなければ、ストレスを抱えてしまうからね。……これは昔教えただろう?」

「そうです。紫しゃまと藍しゃまに教わりました!」

「ならば、わかるだろう。この人間は殺していいんだ」

「藍しゃま、それはおかしいです。人間は食べるから殺していいのであって、食べないなら殺してはいけません! 藍しゃまは人間食べないでしょ! 藍しゃま、いつも私に食べ物は粗末にしてはいけませんと言ってるじゃないですか!」

「う、いや確かに食べ物を粗末にしてはならないと言っているが、これは違うんだ」

「何が違うんですか?」

「そ、それはだな……」

 

 橙の質問に困窮する藍。藍がどうやって橙に説明しようか悩んでいると、どこからともなく、声が響き渡ってきた。

 

「ふふふふ……。困っているわね、藍。相変わらず、橙の教育に悩んでいるようね」

 

 霧雨たちの目の前の空間が切り裂かれる。切り裂かれた空間から出てきたのは、これまた金髪の美女だった。霧雨は次から次へと起こる摩訶不思議な現象を前にして呆気にとられる。美女は紫色の前掛けをしており、藍と同じような服装をしていた。扇子を片手に現れたその美女を前にし、藍と橙は頭を垂れる。

 

「紫様、申し訳ありません。御見苦しいところをご覧に入れてしまいました」

「良いのよ、藍。貴方と橙とのやり取りは私の心を癒してくれているのだから……」

「紫しゃま! 聞いてください!」

「こら、橙。無礼だぞ……!」

「気にしないわよ、藍。どうしたの、橙。言ってみなさい」

「ありがとうございます、紫しゃま。紫しゃま、藍しゃまったら悪いんですよ。人間を食べないのに、人間を殺そうとしたんです。おしおきしてください!」

「お、おい、橙……。違うと言っているだろう……!?」

 

 橙の主張に困惑する藍の姿を見た紫は思わず頬を緩める。扇子で口元の微笑みを隠しながら紫は口を開いた。

 

「そうね、橙。確かに藍が悪いわね」

「ゆ、紫様まで……!? た、戯れが過ぎます……!」

 

 狼狽える藍の言葉を受け流し、紫は続ける。

 

「外から入ってくる人間には『種類』があることを、橙にちゃんと教えていない藍が悪いわ。橙、外から来る人間は殺さなければならない者と殺さなくていい者、そして生かさなければならない人間の大きく分けて三種類がいるのよ。見分け方を教えておきましょう。生かさなければならない人間とは私が幻想郷に入ることを『許可した人間』、これは言わなくてもわかるでしょう?」

「はい、紫しゃま!」

「殺さなくても良い人間……つまり、野良妖怪たちに食べさせて良い人間は先ほど藍が説明した通り、あえて緩めた結界から入ってきた『世捨て人』。殺さなければならない人間は無理やり、『結界を破った者』よ。わかるわね、橙?」

「……紫しゃま、橙には『よすてびと』と【結界をやぶったもの】の違いがわかりません!」

「ふふふふ……。わからないことはちゃんと聞く。橙は素直ね。私が藍を『式』にしたときとは大違い……」

「ゆ、紫様!? 昔のことを橙に話さないでくださいよぉ……」

 

 先ほどまで藍が醸し出していた『張り詰めた空気』が緩んでいる。そう感じた霧雨はリサに声をかける。

 

「お、おい。今なら逃げ出せるんじゃねぇか? クソガキ。情けねぇ話だが、あの狐の尻尾を生やしたヤツはバケモンだ。人間が勝てる相手じゃねぇ。逃げるなら奴らが油断してる今しか……」

「……無理だ、おっさん……」

 

 リサが若干俯くように下を向く。額には冷や汗が流れていた。心なしか体が震えているようにも見える。

 

「……どうした、クソガキ……?」

 

 霧雨はリサの様子がおかしいことに気付く。だが、すぐにその原因を霧雨自身知ることになる。

 

「橙、教えてあげましょう。殺さなければならない人間と殺さなくてよい人間の見分け方を……!」

 

 紫の瞳がほのかに光る。紫はその身体から妖力を発散し、リサたちに浴びせた。妖力は重力となり、リサと霧雨に襲い掛かる。

 

「うっ……!?」

 

 霧雨は自身の体に降りかかる力に耐えられず、正座のような形で跪く。もちろんリサも同様だ。眼前の金髪の人外の眼が妖しく光る。リサと同様に霧雨もまた、気付いたのだ。紫なる存在の前に自分たちなど、巨象の足元をうろつく蟻に過ぎないのだと。霧雨の本能が、もう逃げたくても手段がないのだと脳と体に警告してくる。

 

「見なさい、橙」と紫は橙に呼びかけて、「この人間たちの眼、まだ死にたくない、生きたいと光輝いているでしょう? 迷い込んでくる世捨て人の眼はこんな輝きを放たない。これが人間を見分ける方法よ」と続けた。

 

「紫しゃま。私には眼の輝きなんて、よくわかりません」と困ったように尋ねる橙に紫は「いずれ、経験を積めばわかるようになるわ」とだけ答えた。

「紫しゃま! じゃあ藍しゃまの言うように、この人間たちは殺さないといけないんですね!」

 

 橙はその手の爪をより鋭くし、戦闘態勢を取る。彼女は紫と藍に褒められたくて仕方ないのだ。率先して、霧雨たちを殺そうとする。その表情は笑みで埋め尽くされていた。

 

「橙! お前が殺す必要はない。子供がやることではない……! 手を出すな!」

 

 橙が霧雨たちを殺そうと笑みを浮かべた姿を見て、藍は慌てて制止した。まだ幼い橙が自分たちに褒められたいという一心で人を殺そうとしている。それを藍はよしとしなかった。藍は、かつての自分のように良心を欠いた倫理観を橙が持ってしまうかもしれない、と思うと嫌悪感が募る。橙には純粋でいて欲しいと、藍は願っていた。

 紫は自身の『式』である八雲藍の教育者としての『成長』を目にし、思わず微笑んだ。そして続ける。

 

「橙、この人間たちを殺す必要はないわ。この二人は『許可した人間』になるのだから……」

「……紫様!? この者たちを幻想郷に住まわせるおつもりですか……!?」

「ええ。何か問題があるかしら……?」

「新たな人間を外部から移住させるのならば、賢者たちにも了承を得る必要があります。紫様の独断だけで行うのは……」

「あら? 私も賢者の一人よ。それに自分で言うのも何だけど、賢者の中でも私は上層に位置している。意見が通らないことはないわ」

「しかし……」

「……先日、人里で疫病が流行り、人口が減少していることは藍も承知しているでしょう? 外から人間を調達しないといけないことは明確。ならば、目の前のこの人間たちは適任だわ」

「適任というのは……?」

「幻想郷の住人のほとんどは、元来からこの地にいた人間をそのまま住まわせている。それ故、塩基配列のパターンが少なすぎるのよ。それこそ疫病が流行ってしまった理由。この少女を見なさい。珍しい生来からの金髪に白い肌。人里に足りない要素をふんだんに持っている。男の方も人里では見たことのないくらいの巨漢。新たに住まわせる人間としてはこれ以上なく適任ではないかしら?」

「…………わかりました」

 

 胡散臭そうな笑みを浮かべた紫の説明に一応納得のセリフで回答した藍はふうと溜息を吐く。

 

「また、他の賢者から嫌味を言われそうです」と藍はぼやいた。

 

 紫は強制的に跪かせている霧雨とリサの二人に視線を向けると、「そういうことだから」と言って妖術を解いた。

 

「……俺達は殺されないで済むってことか……?」

 

 霧雨の問いに紫は口元を扇子で隠しながら、微小に頷く。

 

「少なくとも、私たちからはね。でも、気を付けなさい。貴方達を殺すかもしれない連中はこの幻想郷には山ほどいる。そいつらに見つからない内にさっさと人里まで行くことね。『一応』、人里の人間に妖怪や人外の類は手を出してはいけない決まりになっているから」

 

 霧雨の問いに答えながら、紫はリサの方に視線を向けた。その表情は興味津々といった様子だ。霧雨は紫の姿を見て思う。「どうやら、俺が生かされたのはクソガキのおまけらしい」と。笑みを浮かべた紫はリサに向かって口を開いた。

 

「金髪のお嬢ちゃん。あなた、お名前は……?」

「え? えっと……リサ」

「そう。リサというのね。……あなた、言ったわね。結界の『裂け目』が見えるって。それはいつから?」

「……生まれたときから。双子の姉さんも見えるんだぜ」

「珍しい体質ね。結界を見ることができる術者はいくらでもいるけど、裂け目まで見える術者は少ない。あなた、もしかして……。……あなたの苗字を教えてもらえるかしら?」

「みょ、苗字は……」

 

 リサが言い淀む。リサに苗字はない。赤ん坊のときに攫われ、リサという名前だけを与えられて生きてきた。そのことを知る霧雨は横から口を挟む。

 

「金髪さん、こいつ赤ん坊のときに攫われたんだ。だからこいつに苗字は……」

『ないんだ』と霧雨が続けようとした時だった。リサが小さな声で恥ずかしそうに呟いた。

 

「……霧雨」

「あぁ?」とリサがなんと言ったのか聞こえなかった霧雨は確認する。いや、正確には聞き取れていたが、リサの言葉に耳を疑ったからもう一度聞きなおした。

「……霧雨」

「お前、何言ってやがる。頭おかしくなったか?」

「お、おかしくなんかなってねーよ! ……なぁ、別にいいだろ? おっさん……」

 

 リサは顔を赤らめ、眼を伏せるように頭を俯き加減にしながら、霧雨の袖をその小さな手で握り締めた。心なしか涙目になっているようにも見える。

 そんなリサの様子を見て察した紫は微笑を浮かべながら、リサの元に移動する。

 

「お嬢ちゃん、大変ねぇ。その想い、かなり頑張らないと成就しないわよ。その男、かなりの朴念仁のようだから」とリサの耳元で囁いた紫は、声の音量を戻して続けざまに言い放つ。

 

「……さぁ、二人とも早くいきなさい。この辺りは妖怪たちが多い。もたもたしていたら殺されるわ。……あなたたちの狙いは合っているわよ。この川を下った先に人里はある」

 

 言いながら、紫はスキマを展開した。そして、藍、橙とともに去ろうとする際(きわ)に霧雨たちに忠告する。

 

「ようこそ幻想郷へ。……幻想郷は全てを受け入れる。それは残酷であるということの言い換え。お二人がこの過酷な世界を生き抜くことを願っているわ」

 

 その言葉を残して、八雲紫とその一行はスキマを閉じて消え去った。

 

「……なんだかわからんが助かったな……」

「ああ、完全に殺されると思ったぜ……」

 

 安堵する霧雨の問いにリサが答えた。しばし呆然と立ち尽くしていた二人だったが、リサが思い出したように目を見開く。

 

「あ!? しまった!!」と紫たちが去った石河原で大声を出すリサ。

「どうしたんだクソガキ。でけえ声出しやがって……。びっくりするじゃねえか!」

「……ルークスとかお母様とかのこと、今の妖怪に伝えるべきだったぜ。どうやら、このコミュニティ……幻想郷で結構偉い奴だったみだいだし……」

「んなもん、またどっかで会ったときに伝えりゃいいだろ。……さ、さっさと人里とやらに向かうぞ。また、あんな化物みたいなやつらに遭遇したら適わねえからな」

 

 歩み出そうとする霧雨にリサが後ろから声をかける。

 

「な、なぁおっさん。怒ってないか……?」

「あぁ? 何に怒るってんだ?」

「みょ、苗字。私が霧雨って名乗るの……。勝手に決めちゃったからさ……」

「何で怒る必要があるんだ。てめえがどんな苗字名乗ろうが知ったこっちゃねえよ、クソガキ。にしても俺と同じ苗字にしたいだなんて、てめえも変わってやがんな」

「……え?」と言葉を失うリサ。

「どうせ苗字を付けるんなら、もっと偉そうなのにすりゃあ良かったのによ。織田とか豊臣とか徳川とか……」

 

 霧雨の言葉にリサは顔を真っ赤にして眉を吊り上げた。

 

「うっせぇな! おっさんのバーカ! バーカ、バーカ!! 妖怪に食われて死んじまえ!」

 

 リサは早歩きで霧雨の横を通り過ぎると川下へと向かっていった。

 

「何いきなり切れてんだ。あのクソガキ。おい、待て。ガキが一人で勇んで進んでんじゃねえよ!」と慌てて霧雨リサの跡を追う霧雨。

 ……結局、リサと霧雨が八雲紫と邂逅する機会は以降一度もなかった。もし、異変前にリサが紫に『ルークス』や『テネブリス』のことを話せていれば、また違った結末を迎えていたのかもしれない。しかし、それが叶うことはなかった。

 

 

 

――マヨイガ――

 

 

 

 リサ、霧雨と別れた直後、マヨイガへと移動した紫たち。そこで藍が紫に尋ねる。

 

「……紫様」

「どうしたの、藍?」

「なぜあの二人を生かしたのですか?」

「言ったでしょう? 人里の人口を増やすためよ」

「それだけではないはず。紫様はあのリサと名乗る少女が『裂け目』を見ることができることに興味を持たれていたご様子……。それが関係あるのですか?」

「……藍。主人の意向を慮り汲み取ることと、心中を勘繰ることは似て非なる真逆の行為よ?」

「……申し訳ございません。お許しください、紫様……。しかし、あまり私情をお挟みになり続けますと、紫様のご立場が危うくなりかねない、と私は心配しているのです」

「……進言感謝するわ、藍。以降気を付けることとしますわ。……藍、あなたの言うとおりよ。これには多少の私情が入っている。……あの娘はもしかしたら、私にとって大切な……。……いずれ、話すこともあるでしょう。さ、一度妖怪の山に行ってくるわ。橙を家に送ってあげないと。藍、あなたは先に帰っていなさい」

 

 結局、紫は藍に真意を告げることはなかった。紫は藍をマヨイガに置くと、橙を送るべく再びスキマの中へと消えていったのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。