――6年後、霧雨魔理沙は7歳になっていた……。
「ただいま、お母さん!」
家に帰るや否や、リサの寝室に魔理沙は飛び込んできた。
「魔理沙、お帰りなさい……。塾は楽しかった?」とリサはお上品そうな言葉遣いで魔理沙に答える。
「うん! 今日もそろばんとか、漢字とか習ってきた!」
「そう、楽しかったのなら良かったわ……」
優しく魔理沙に微笑むリサ。魔理沙の通っている『塾』とは、学校に近いものである。人里の有志によって数年間だけ経営されていた。後に上白沢慧音が造る『寺子屋』の前身のような存在である。結果から言えば、魔理沙が十歳を迎える前に一度潰れてしまうのだが……。
「ごほっ、ごほっ」とリサは咳き込んだ。それを見た魔理沙は母親を心配して声をかける。
「だ、大丈夫、お母さん!?」
「……大丈夫よ。ほら、このとおり」
リサは両手を上げて健在ぶりをアピールした。……しかし、リサの体は既に限界を迎えようとしている。ここ数年、リサは床に臥せるようになっていた。どんな医者に見てもらっても原因は不明。だが、リサには心当たりがあった。そう、リサが持つ魔法に必要な才能をマリーに移植したのが原因である。移植時にリサの生命力もマリーに渡されてしまっていたのだ。生命力を奪われたリサの寿命はもうすぐそこに迫る。
リサが空元気なことは幼い魔理沙でもわかる。不安そうな表情をする魔理沙と微笑むリサ、二人がいる部屋に霧雨が入ってきた。
「あら、あなた……」
「お父さん!」
二人がそれぞれの呼び方で霧雨を呼ぶ。
「……帰ってやがったか、魔理沙。……リサは体調悪いんだ。寝かせてやれ」
「あなた……。そんなに気を遣わなくてもいいのに……」とリサは言うが、魔理沙は父親の言う通り、リサの寝室から出ていくことにした。
「……うん、わかった。ちょっと遊びに行ってくるね」
「魔理沙、日が暮れるまでには帰るんですよ?」
「うん!」
魔理沙はリサの言葉に元気よく返事をして出て行った。
「……体の調子はどうだ、リサ」
「大丈夫よ、あなた。全然平気……」
「おい、いつまでその気持ち悪い話し方するつもりだ?」
「ぷっふふっ。あっはは。悪い悪いおっさん。でもさ、仕方ねえだろ? 私は魔理沙の前では上品なお母さんで通すつもりなんだぜ?」
「……アホなことはやめとけ。どうせ、すぐにボロが出るからよ」
「やーだね。私は魔理沙には姉さんみたいにお淑やかになって欲しいんだぜ? だから、あの子の前ではこの言葉遣いはやめねえよ」
「……俺とお前との子供だぞ。無茶言ってんじゃねえよ」
「だからこそ、教育が大事なんだぜ。……っ!? ごほっ、ごほっ!」
リサは喋りかけていた言葉を飲み込み、代わりに咳を吐き出す。
「……大丈夫か!?」
心配する霧雨は、リサが咳を抑えようと添えていた手に血が付いているの気付く。リサはその血を見ながら呟いた。
「へへ……、おっさん。どうやら、ボロが出ることはなさそうだぜ? 魔理沙に演技がバレる前に私は逝っちまいそうだからさ……」
「……馬鹿なこと言ってんじゃねぇ……! 俺より先にお前がくたばるわけねえだろ。順序が違うだろうが……!」
「……そうだな、おっさん。私としたことが弱気になっちまってたぜ……」
リサは力のない笑みを浮かべていた。
リサのタイムリミットが迫るある日、魔理沙が人里を歩いていると喧騒が巻き起こる。
「だ、だれか。その男を捕まえてぇ!」
淑女の悲鳴が聞こえる。走り去ろうとする男の腕にはきれいな風呂敷……。どうやら強盗らしい。
「どけぇ! 殺されたくなかったら……、どけぇ!」
男は短刀を振り回し、周囲を恫喝しながら逃げる。狭い人里でこんな騒ぎを起こせば、次の人生はないだろう。しかし、追い詰められた男にそんな理性は働かない。狂った男に傷つけられまいと男から逃げる者はいても、男を止めようとする者は誰もいなかった。……たった一人の少女を除いて。
紅白の巫女装束を着たその少女は黒髪を靡かせて男の前に立つ。年齢は魔理沙と同じくらいか。狂った男は手に持つ短刀で少女に斬りかかる。
「邪魔だ、どけぇ!」
怒鳴り声を上げながら小さな少女を切りつけようとする男。人里から悲鳴が上がる。誰の目にも少女が狂人の凶刃を前に命を奪われると確信した。しかし、その確信を少女は驚嘆に変える……!
「邪魔なのはアンタの方よ……。私は行きたくもないお遣いを頼まれて虫の居所がわるいの。邪魔しないでちょうだい。……封魔陣!」
少女がお札をかざすと、男の足元が光り輝いたかと思うと、光の柱が男を包み、閃光を伴って爆発した。男は衝撃で白目を剥き、泡を吹いて気絶する。
「あ、あの不思議な光に巫女装束……。もしかして、博麗の巫女!?」
雑踏の中から誰かが叫ぶ。霊夢はフンと鼻息を出しながら踵を返すと、博麗神社の方角を向いて歩き出す。少女は近づきがたいオーラを放ち、人里の民を寄らせなかった。
「す、すごい。なんなの、あの子。何をやったんだろう!?」
魔理沙も霊夢のことを遠目で見ていた。魔理沙は霊夢が放った術に目を奪われる。魔理沙は近くにいた中年の男性に聴く。
「ねえ、おじさん。あの子の出した光……。あれ何!?」
「さあなぁ。妖術ってヤツじゃねえのか?」
「ようじゅつって何?」
「何って言われてもなぁ……。ああ、アレだ。魔法ってやつじゃないか?」
「まほう……。そうか、アレがまほうかぁ……」
幼い魔理沙は、この時まだ見習い巫女だった霊夢の術を見て、魔法に興味を持つようになったのだった。
以降、魔理沙は魔法にまつわる本を好んで読むようになる。運こそない魔理沙だが、それ以外はリサ譲りの才能を持っていた。魔理沙は本を読めば読むほどに知識を向上させていく。
霧雨とリサはそんな魔理沙の頑張りを複雑な感情で見守っていた。
「……魔理沙は魔法使いになりたいの……?」
ある朝、リサは魔理沙に尋ねる。
「うん!」と魔理沙は元気に答えた。
「そう……」
微かに顔を曇らせたリサ。その表情を敏感に察知した魔理沙は問いかける。
「お母さん、なんで元気なさそうなの? 私が魔法使いになるのイヤ?」
はっと気づいたリサは笑顔を作ると、魔理沙の言葉を即座に否定する。
「そんなはずないでしょ! お母さん、魔理沙が魔法使いになってくれたら嬉しいわ!」
「ホント!?」
「本当よ!」
「じゃあ、魔法使いになる。私、大きくなったら、すごい魔法使いになるんだ!」
魔理沙は母親に自分の夢を語る。
「魔理沙ならきっと凄い魔法使いになれるわよ。博麗の巫女さんのお墨付きだもの」
「博麗の巫女?」
「ええ、博麗神社の巫女さんが言ってたの……。魔理沙は魔法を修める者になるってね」
「その人ってすごいの?」
「……ええ。結局一度しか会うことはなかったけど……。間違いなく凄い人だった……」
「じゃあ私、絶対魔法使いになれるね!」
「……ええ。そうね……」
リサは魔理沙に眉尻を下げた笑みを送る。その眉間にわずかな皺が寄っていることに魔理沙が気付くことはなかった。
「じゃ、わたし魔法の練習してくる。もう少しで簡単な魔法が使えるようになりそうなんだ! できるようになったら一番にお母さんに見せるからね!」
言い残して、魔理沙はリサの寝室から出て行った。入れ替わりになるように霧雨がリサの寝室に入ってくる。
「どうだ、体調は?」
「……全然大丈夫だぜ、おっさん……」
「大丈夫そうな口調には聞こえねえな。どうした? 少し落ち込んでるみてぇだが……」
「……おっさん。私、魔理沙に嘘吐いちまったよ……」
「……嘘?」
「ああ。『魔理沙ならきっと凄い魔法使いになれる』って言っちまった……。……博麗の巫女さんは、魔理沙が魔法を修める者になるって言ってくれてたけどさ。歳を重ねるたびにそんなことはないって実感してくるよ。あの子には運がない。運は魔法を発動するのに絶対に必要な才能。この幻想郷にいるなら、幻想郷に溢れる運が魔理沙を魔法使い『もどき』にはしてくれるかもしれない。でもそれは、もどきであって本物じゃあないんだ……」
「…………」と無言で霧雨はリサの話を聞き続ける。
「苦しいな、おっさん。魔理沙に夢を諦めろって言うべきなのかな? 私にはそんな度胸ないよ。魔理沙に悲しい思いさせたくない……」
「……お前が悩む必要はねえ。お前は魔理沙にとって優しい母親で居続けろ……。憎まれ役ってのは父親がやるもんだ。……リサ。アイツに魔法の道を歩ませるか、歩ませないか。その判断は俺がやる」
「……おっさん?」
「アイツに魔法の才能が無いと思ったときは俺が魔法を辞めさせる。お前は魔理沙の夢を応援し続けてやれ」
「おっさんにだけ憎まれ役任せるわけにはいかねえよ!」
「……リサ。魔理沙の前では上品な母親でいるって決めたんだろ? お前は魔理沙の心の中でいつまでも綺麗なままでいてくれ。それが俺の願いでもある……」
「おっさん……」
リサは涙ぐむ。霧雨の言葉はリサの死を覚悟しているものだった。霧雨は間もなく死ぬであろうリサがわざわざ魔理沙に嫌われるような真似をする必要はないと伝えたのである。リサの涙は霧雨の気遣いと魔理沙への申し訳なさからくるものだった。
……数か月後、リサは永遠の眠りに就く。リサが魔理沙の魔法を見ることはついに一度もなかった。
魔理沙は派手な魔法を好むようになった。デカいだけの無駄な魔法と揶揄するものもいる中、魔理沙は自分のポリシーを貫き続ける。……大きくなければ……派手でなければ意味がないのだ。天国の母親にも見えるような巨大な魔法でなければ……。