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……ここは旧都へと入る橋の上。旧都は旧地獄がまだ地獄だった頃に栄えていた繁華街の跡地。かつては地獄ながらに賑わいを見せていたこの地も地獄が移転したのちに時間経過とともに寂れていった。そんな橋の上で二人の少女が何やら佇んでいる。
「ああ。妬ましい、妬ましい」
金髪緑眼の少女が親指の爪を噛み、微かに歯ぎしりをしている。そんな少女を呆れたように見つめる恰幅の良い少女は、はぁとため息を吐いていた。額から赤い角を生やしている長い金髪の少女は緑眼の名を呼びながら質問する。
「今日は一体何をそんなに妬んでるんだ、パルスィよ」
「食事処のご飯の量……」
「は?」
「昨日行った食事処の店主、私の前にいた女のご飯は大目に盛ってたのに、私には普通だった……! あの女が美しかったからよ。妬ましい」
「さすがに気のせいだろ」
「ご飯だけじゃないわ。お味噌汁の量も私より多かった。豆腐の量が明らかに違っていたもの……!」
「く、くだらねぇ……。相変わらずだな、お前さんは……」
「フン。勇儀のようにあっけらかんとしている鬼に、私のように繊細な妖怪の気持ちなんてわかるはずないのよ!」
「……お前、喧嘩売ってるのか?」
苦笑しながら頬を人差し指で掻く『勇儀』と拗ねた様子で橋の欄干に両肘をつき、頬杖する『パルスィ』。
彼女らもまた、旧地獄の住人である。『水橋パルスィ』は妖怪『橋姫』だ。橋を守る女神であるとともに、嫉妬に狂う怨霊的妖怪でもある。
対して、額の赤い角が目立つ長髪で金髪の少女は『星熊勇儀』。彼女は『鬼』である。それもただの鬼ではない。『四天王』と呼ばれる鬼の中でも強者に位置する存在なのだ。
「それにしても暇だねぇ。何か面白いことでも起きないかねぇ」
勇儀は退屈そうに岩で覆われた地底の空を見上げる。
「……面白いかは知らないけど、退屈しのぎになりそうなのが来たわよ」
退屈そうな勇儀にパルスィは気だるげに伝える。
「ほう。一体『誰』だい?」
「さぁ。地上の者なのは間違いないわね」
「ふぅん。キスメとヤマメを突破してきたってわけかい。たしかに退屈しのぎにはなりそうだ」
パルスィと勇儀は姿勢を整え、『侵入者』に備える。侵入者は右手に抱えた本を読みながら、時折ダンスを交えるような小気味いい歩き方で橋に向かってきていた。
「……大分変わり者のようね」と言うパルスィに「お前さんがそれを言うかね」と勇儀は小さく鼻息を漏らす。近づいてきたその女は、シルクハットにモーニング服という幻想郷では珍しい格好をしていた。
「おや、こんなところに橋が……。なるほど、ここがあの土蜘蛛が思考していた旧都……、この地底世界の中心地の入り口ですか。……これはこれは、金髪の美人さんがお二人でお出迎えとは」
片眼鏡のモーニング女は笑みを浮かべる。
「誰もお出迎えなんてしてないわよ。きっといつも誰かに歓迎される人生を送ってきたのね。妬ましい」
「パルスィ、お前なぁ……。……悪いがアンタは招かれざる客ってやつだよ。大人しく地上に帰りな」
勇儀は拳の骨を鳴らしながら、モーニング女に地底から退くように促す。対してモーニング女は軽い口調で指摘し始めた。
「んん。ウソはいけないですよ。角の生えたお嬢さん!」
「私は鬼だ。嘘なんて吐きゃしないよ」
「いえいえ。『大人しく帰れ』と言っている割に、貴方は私と戦いたがっている。その闘争心を隠すことはできません。……しかし、この地底の住人は会う人会う人皆、好戦的だ。少し疲れますねぇ」
「ああ。そういうことか。安心しな。私は嘘をついてないよ。地上に帰らせるのはちょっとお灸を据えてからだからねぇ」
「んん。やはり好戦的。……それにしてもお隣の緑眼のお嬢さん。貴方、かなり捻くれた性格のようですねぇ。その心、嫉妬に溢れている……!」
「ええ、生まれ方が悪かったの。妬ましくて妬ましくてしょうがないのよ。良いわね、あなたは。きっと劣等感を抱かずに生きてきたんでしょう? 顔を見ればわかるわ。ああ、妬ましい……!」
「他人を妬んでも貴方が幸せになるわけではありませんよ?」
「わかった風なことを……」
「これは機嫌を損ねてしまったようですねぇ。失礼いたしました。ところで、やはり中心地へ行くことを許しては頂けないようですねぇ。戦うしかないということですか。私は闘争を好まないのですがねぇ……!」
モーニング女は姿勢を低くし、橋を強行突破しようと猛スピードで駆ける。だが、その行く手をパルスィが阻んだ。
「なに勝手に通ろうとしてるのよ……!」
パルスィは緑色の結界を橋の中央に展開し、モーニング女が通れないように仕掛ける。突然現れた障壁にモーニング女は急ブレーキで体を止めた。
「んん。素晴らしい密度の精神エネルギぃいい! 嫉妬心から発生する精神エネルギーを効率よく物理エネルギーに変換している。感情由来の力をここまで上手く操ることができるとは……! やはり世界は広い!」
「ふん。口が止まらないわね。私は口下手だから少しだけ妬ましいわ。……このまま閉じ込めてやる……!」
パルスィは一枚壁だった障壁を上下左右に展開し、モーニング女を閉じ込めるように立方体を形成する。
「んん! 閉じ込められてしまいました。これは厄介。強度の方は如何ほどでしょうか……?」
モーニング女は左手の人差し指を例のごとく槍のように尖らせると、高スピードで伸ばし障壁に激突させた。しかし……。
「んんんん! 素晴らしい! 私の攻撃を受けてもビクともしないとは……!」
「ふん、思ったより大したことないようね。このまま潰してあげる……!」
パルスィは天井部分の障壁をじわりじわりと下げ始めた。
「ほう。そんなこともできるのですか。弱りましたねぇ。どうしましょうか。力尽くでもよいのですが……、それではスマートでない。ですから……こんなのはどうでしょう?」
モーニング女は自身の顔を左手で覆う。顔が銀色の金属液体のように変化し、ドロドロとその形を再構成していった。新たに形成された女の顔を見たパルスィは驚きのあまり、眼を見開く。
「お、お前は……!」
「……お久しぶりですね。橋姫様。相変わらず醜いお姿ですこと」
モーニング女の挑発めいた言葉を聞き、パルスィは顔を紅潮させる。
「あらあら、お顔が真っ赤。私が貴方の男を横取りしたあの時と同じ顔」
「……パルスィ、知り合いか?」
動揺するパルスィに勇儀が声をかける。
「……千年以上前、私の想い人を誑(たぶら)かした女よ!」
感情を露わにするパルスィ。だが、勇儀は落ち着かせるように再び声をかけた。
「ちょっと待て! お前が妖怪化した経緯は聞いたことあるから、私もその女のことは知っちゃいるが、そいつはただの人間だったはずだろ!? 生きているはずが……」
「関係ない!」
ヒステリック気味に叫ぶパルスィ。彼女の眼は憎悪に満ちていた。
「まさか私を虚仮にするために、蘇って旧地獄まで来るなんてね。今宵こそ殺してやる。そのために私は怨霊や妖怪になってまで、生にしがみ付いてきたのだから……!」
「貴方みたいな醜い女に私が殺せるものですか。出直してきた方が良くってよ?」
モーニング女は更に挑発するような言葉を重ねた。パルスィの表情は怒髪天を衝くかのごとき形相となる。パルスィは結界を解き、女にむかって突撃を開始した。
「バカヤロー、パルスィ頭冷やせ!」
怒りのまま動き出したパルスィを怒鳴る勇儀だったが、彼女の耳には届かない。
「お前はこの手で直接殴り殺してやる……! 覚悟しろ!!」
「ああ、その心。醜い、醜い」
「死ねぇ!!」
パルスィは渾身の力で拳を振り回すが、女は完全に見切っていた。まるでフィギュアスケート選手のように回転しながらジャンプし、パルスィの拳を体ギリギリのところで回避していく。
だが、一発かわされたくらいで治まるパルスィの怒りではない。彼女は何度も何度も、爪を立てた引っ掻きや蹴りなどの攻撃を繰り出す。しかし、モーニング女に当たることは一度もなかった。
「……おかしい」と勇儀はパルスィとモーニング女の戦闘を観察しながら呟く。勇儀にはモーニング女の戦闘能力が飛び抜けて高いとは思えなかった。もちろん人間やその辺の妖怪が勝てるほどモーニング女は弱いわけではないだろう。だが、キスメ、ヤマメ、そしてパルスィが翻弄されるほどに身体能力が高いようには思えない。それなのに怒りで冷静さを失っているとはいえ、パルスィの攻撃がまるで当たらないことに勇儀は違和感を覚える。
「んん。怒りをエネルギーに変える効率性の高さは実にスマート! しかし、怒りに飲み込まれて溺れ、非効率的な肉弾戦に切り替えるのは……スマートでないぃいいいいい!!」
モーニング女はその左腕をハンマーのような形状に変え、パルスィの横っ腹を思い切り殴って振り抜いた。
パルスィのあばら骨が折れる鈍い音が橋の上に響いた。
「がふっ……!?」とパルスィは吐血させられながら、橋の欄干に叩きつけられる。
「パルスィ!?」と叫び、彼女の元に駆け寄る勇儀。
「大丈夫か!?」
「う、ぐぅううう……。妬ましい、妬ましい……! あの女だけは許せない……!」
そう言い残してから、パルスィは瞳を閉じて気絶する。
「おい、パルスィしっかりしろ! ……死んじゃいないみたいだが……このままじゃまずいな……。……とっととケリを着けてやる!」
勇儀はパルスィを橋の端に移動させて寝かせると、モーニング女を睨みつける。
「んん。お仲間がやられて復讐心に燃えるその心! 実にスマート!」
「何がスマートだ。クソ野郎。……お前、一体何者だ? まさか本当にパルスィの恨んだ女が化けて出たってのか? ……そんなわけはないだろう。お前、なんでパルスィが恨んでいる女の顔に変身できる?」
「んん! 正解です。たしかに私はその緑眼のお嬢さんの恨んでいる人間ではありません! ではなぜ、緑眼さんの恨んでいる人間に変身できるのか。……そうですねぇ。貴方への問題にしましょう。解いてみてください!」
モーニング女は言い終わる頃には、その顔を元の片眼鏡付きの顔に戻していた。
「ふざけたヤツだね。……いいだろう。その口割らせてやる!」
勇儀はその大きな掌でモーニング女を上から潰そうとする。だが、女はやはり、これを軽々とかわした。
「……妙なヤツだね。やっぱり身体能力はそこまで高くはないはず。だが、捉えることができない……」
「んん。それではヒントを出してあげましょう。カモーン!」
モーニング女の掛け声とともにどこからともなく、突然複数の人間が現れる。現れた人間たちは皆、『武将』であった。そしてまたも、モーニング女は液体金属を一旦経由した後に、その顔を変化させる。今度は顔だけでなく、体の大きさも服装も変化させていった。
「……お前、その顔は……!?」
「ふふふふふ。久しいな。大江山四天王が一角、『星熊童子』よ……」
「……こんなバカなことがあるかね。……この顔の持主もとっくの昔に死んだはずだ。……『頼光』……!」
勇儀はモーニング女の変化した武将姿の美女を『頼光』と呼んだ。フルネームは『源頼光』。かつて勇儀を含む『鬼』が人間側の傲慢な権力者に反駁したことがある。その時差し向けられた人間側の刺客の首領こそ、目の前にいる武将の美女だった。
「ふふふふ。悪鬼がまだ生き残っていると知り、現世に戻ってきたのさ」
「……なるほど。パルスィもこんな不快な気分だったわけだ。偽物と分かっていても胃がムカムカしてきやがる。だが、あえて言わせてもらうぞ。何が悪鬼だ。てめえらが大人しく暮らしていた私たちに、ちょっかいをかけてきたんだろうが。歴史は勝者が作るってのは良く言ったもんだよ。……なるほど、現れた他の武将の姿も良く見れば頼光四天王と呼ばれた女郎どもそっくりだ。どこまでもおちょくってくれるじゃないかい」
「大江山の悪鬼どもよ。再び我らが正義の前に散ってもらうぞ? かかれ、皆の衆!」
源頼光の姿となったモーニング女の指示で、動き出した頼光四天王。彼女たちは勇儀が対峙した当時と同じ武器を手にしていた。刀、弓、鎌、斧……。それぞれが自分の得意武器を持っている。
「……どんなからくりか知らないが、良くできた偽物じゃないか。……全員ぶっ潰してやる!」
勇儀は本来近距離戦闘が不得意なはずの弓を持つ武将に狙いを定め、さらに距離を詰める。
「まずはお前から片付けてやるよ!」
勇儀は弓の武将の腹部を殴りつける……が。
「なに!?」
驚愕の表情を浮かべる勇儀。彼女の拳は弓の武将の体を貫通する。しかし、手ごたえは全くない。雲を掴むような感覚に勇儀が戸惑う中、弓武将は表情ひとつ変えずに勇儀に向かって弓を射出する。
「うあ!? っぐ!?」
放たれた矢は勇儀の肩口に突き刺さった。痛みに苦悶の表情を浮かべる勇儀。
「どういうことだ……!? なんで私の拳がすり抜ける……!?」
「取り乱しているな、星熊童子! だが、考える隙など与えんぞ?」
源頼光の姿を象(かたど)るモーニング女は口調も完璧に模倣すると、頼光四天王たちに更なる攻撃を加えるようジェスチャーで指示を出す。
斧、刀、鎌をそれぞれに持った頼光四天王の内3人が勇儀に斬りかかった。勇儀は斬撃をかわしながら呟く。
「くっそ……! 相変わらず、人間のわりに腕が立つ。だが、私もお前たちにやられてからの千年、伊達に生きてきたわけじゃない。やられるわけにはいかないね!」
勇儀は頼光四天王たちに拳や蹴りを繰り出す……が。
「……また!? 手応えがない……!?」
確実に当たったはずの攻撃に手応えがないことに勇儀は驚愕を隠せない。そんな勇儀の心の隙を突き、頼光四天王たちはそれぞれに遊戯に対して剣戟を喰らわせた。斬りつけられた勇儀は少なくないダメージを受ける。特に刀の傷は深く、勇儀の片腕を飛ばしていた。そして、そんな手負いの勇儀に追い打ちをかけるように弓の武将が勇儀の腹部に矢を放ち貫通させる。
「んんんん。酷い有様ですねぇ。もう戦えないでしょう? 大人しく敗北を認めてはいかがです?」
源頼光の姿をしたモーニング女は口調を元に戻し、勇儀に白旗を上げるように提案する。しかし、勇儀は痛みに悶えながらも何かに気付いたように目を見開いた。
「うっ、あっ……!? ……そういうことか、小賢しい真似してんじゃないよ……! ああああああああ!!!?」
勇儀は残った腕で自分の脚を渾身の力で殴りつけた。激しい痛みが勇儀を襲う。だが、そのおかげで『まやかしの痛みと傷』から解放されることができた。
「んんんん! 素晴らしい!! よもや私がかけた『幻覚』に気付くとは! 実にスマート!」
すでに勇儀の視界から『頼光四天王』は消えていた。彼女たちに負わされた傷や怪我も綺麗さっぱり勇儀の体からなくなっている。そう、頼光四天王はモーニング女が見せていた『幻覚』だったのだ。
「……道理で私の攻撃に手応えがなかったはずだ。高度な幻術を使うじゃないかい……」
勇儀は精神的ダメージが酷かったのか、ぜえぜえと息切れを起こしていた。幻覚から目覚めるために殴った足が赤く腫れあがってもいる。
「んん! 幻術に対抗するために、自身の体を傷つける……。物語では決して珍しい展開ではありませんが、実際にするのは並大抵ではない勇気が必要となる。まさに言うは易く行うは難し。だが、貴方はそれを成し遂げた。実にスマートォオオオオ!!」
「何がスマートだ。……お前、なんで頼光四天王をあそこまで忠実に幻視させることができたんだい?」
「戦い始める前に言ったでしょう? 問題です。解いてください。もっとも、貴方が解く前に私が勝つでしょうがねぇ。……どうやら、貴方には姿を変えても大した精神的ダメージは与えられないようです。やめとしますか」
女は元のモーニング服に片眼鏡の姿に戻る。
「嫌がらせはもう終わりかい?」
勇儀の問いに女は片眼鏡を修正しながら答える。
「嫌がらせとは失敬な。私は勝つのに最善を尽くしているだけのこと」
「何が最善だ。それを嫌がらせって言うんだよ」
「……果たして本当にそうでしょうか?」
「なに?」
「圧倒的な力の差。それを見せつけられる前に敗北を認めさせることの方が人道的だと思いませんか?」
「どういうことだ? 何を言っている?」
「あなたはこうお思いのはず……。『なぜ身体能力の劣るこの女に私の攻撃が当たらないのか』と。確かに私は体を動かすのが上手くはありません。しかし、あなたに身体能力で負けているとも思っていないのですよ。……貴方に私を攻撃することはできません」
「面白い冗談だ」
「ではやってみてください」
「言われなくても」
勇儀は拳を握ると、モーニング女に攻撃を開始した。
「おらぁ!」
「んん! 素晴らしい速度! んん、しかし無意味ぃ!」
モーニング女はぎこちない身のこなしで勇儀のパンチを避けている。一度だけではない。勇儀が何度攻撃しても、モーニング女は動きを見切っているかのように避け続ける。
「……なんでだ!? スピードも私の方が圧倒的に速いはずなのに……!? なぜ当たらない!?」
「んん! 傲慢とも捉えられかねない自身に対する自信。実に素晴らしい! 実際、貴方のスピードとパワーは私がこれまで対峙してきた妖怪(モンスター)の中でも上位に食い込むでしょう。驚異的と言って良い……。だが、相手が悪かったですねぇ」
「おしゃべりなヤツだね。……これならどうだ!」
勇儀はモーニング女の足元が隙だらけなのを看破し、ローキックを繰り出した。女は瞬間的に飛び上がり蹴りを躱す。体が宙に浮いた女に向けて勇儀は渾身の拳を放った。
「空中なら、素早い動きはできないだろ? 大人しくノされな!」
勇儀の拳はモーニング女の腹部に直撃した……かに思われた。
「んん! ナイスな連携技だ。しかーし!」
「なに!?」
勇儀は何度目かわからない驚嘆の声を上げた。勇儀が打ち抜こうとした女の腹がぱっくりと割れたのである。女の腹部は金属液体のように変化し、空洞を作り出したのだ。何もない空間となった女の腹部。そこに向けられていた勇儀の拳は空振りに終わった。
「……とんだびっくり人間だな、お前」
勇儀は腹部を元に戻しながら飛び退いた女に向かって言葉を紡ぐ。
「ええ。人間ではなく悪魔ですから……。さて、もう私に敵わないのはわかったはず……。そこを退いて私を旧地獄の中心に行かせてください」
「やなこったね」
「んん! 私は体を自由に変化させることができる。貴方の得意な肉弾戦では倒せません! それがまだわからないとは……スマートでないぃいいいいい!」
「気色悪い奇声を上げてんじゃないよ。お前を倒す策がないわけじゃない」
「ほう?」
「喰らわせてやるよ。私の拳を……!」
そう言うと、勇儀はモーニング女と距離が離れているにも関わらず突きを繰り出す構えを見せる。
「……なるほど」とほくそ笑むモーニング女。
「喰らいな。私の全力の一撃を!」
勇儀はその場で拳を突き出した。勇儀の拳圧は巨大な空気砲となり、モーニング女に襲いかかる。インドラの配下、神鳥ガルーダの技にも似た技だ。だが、威力はガルーダも上回るであろう巨大な風圧がモーニング女に迫る。
「んんんんんんん! 素晴らしい!! 私に逃げる場所を与えぬ広範囲かつ高火力の技……! 実にスマートォオオオオ!」
モーニング女は叫びながら風圧の中に消えていった……。その体をバラバラにされながら……。
「はぁ……、はぁ……。どうだ……!」
拳圧を放出するのは相当な体力がいるらしく、勇儀は息切れを起こしていた。
勇儀が勝利を確信したその時、勇儀の腹部に鋭い痛みが走る。
「え……!? か……はっ!?」
勇儀は空気とともに口から鮮血を吐き出す。腹部には槍状となった銀色の金属液体が背中から腹にかけて貫通されていた。
「んんん! 油断は良くありませんよ?」
「なんでだ……? たしかにお前は吹っ飛んだはず……。なんで私の後ろに……!?」
「少し考えればお分かりでしょう?」
「……しまった……。また、幻覚を……?」
「その通り! 貴方が技を仕掛ける前に幻術をかけたのです。そして私は貴方の背後へ移動。んん! 実にスマートな回答です!」
言いながら、女は勇儀の腹から槍となっていた自身の左腕を引き抜く。引き抜かれた痛みでその場で気を失いかけそうになる勇儀だったが、持ち前の根性でなんとか意識を保っていた。
「んん! それほどの傷を受けながら、まだ立っていいられるとは……。素晴らしい!!!!」
「……いい加減、その癇に障る奇声はやめてもらおうか」
「ふむ。まだ私に勝てる気でいるとは。なんという闘争心溢れるファイター。良いでしょう、その闘争心を折って差し上げましょう!」
突き抜かれた勇儀の腹部からは大量の血液が流れ出ていた。次の一撃が最後になる。勇儀は全ての力を右拳に込める。
「んん。残っている力の全てを込めたその右拳。避けるのは野暮というものでしょう。私も全身全霊でお答えしなくては!」
モーニング女はその左腕をまたも変化させ、筋骨隆々なものに変貌させた。
「うらぁああああああああああああ!!」
「んんんんんんんんんんんんんんん!!」
両者はその拳をぶつけ合った。……一本の腕が体からはじけ飛び、宙を舞う。腕を弾き飛ばされた者の悲痛な悲鳴が旧都にこだました。声の主は……星熊勇儀であった。
勇儀はそのまま、前のめりになるように倒れてしまう。
「あ……、が……、うぅ……」
「んん! 素晴らしいパワーでした。さて、では中心地に向かうとしましょう。ところで、この地獄の中心地はどこなのですか?」
「うぐぅううう……」と苦しむ声しか出せない勇儀に問うモーニング女。
「なるほど。地霊殿という場所があるのですか。そこがこの地底世界の中心……。ではそこに向かうとしましょう」
勇儀は薄れゆく意識の中で疑問に思う。なぜ、このモーニング女は勇儀が答えていないのに、地霊殿というワードを口から生み出したのか。
勇儀ははっと気づき、声を絞り出す。
「……問題の答えが分かった……。お前、まさか……、『読める』のか……?」
「ほう。んん。やはり貴方は素晴らしい! 『正解』です」
「……だから……、私や……、パルスィの仇に……変化することができ……たのか。お前……何……者……?」
「んん! これは失礼しました。まだ、私の名をお教えしていませんでしたねぇ。私の名は『ダンタリオン』。お母様が生み出しし、崇高なる悪魔の最後の生き残り……。では先を急ぎますのでこれにて」
モーニング女『ダンタリオン』はシルクハットを外して胸に当てると、勇儀にジェントルマン風のお辞儀をして旧都の中へと去っていく。まどろむ意識の中、勇儀は届かぬと分かっていても声に出さずにはいられなかった。
「……逃げろ、さとり。こいつにお前は勝てない……」
勇儀は届かぬ言葉を言い切ると、その意識を失ったのだった。