古明地さとりは球状の弾幕をダンタリオン目掛けて射出する。だが、ダンタリオンはさとりの弾を難なくかわしてみせた。外れた弾が地霊殿の内壁に激しく衝突する。
「んん! むやみな攻撃です! せっかくの美しいお屋敷が壊れてしまいますよぉ?」
「そんなものは後で作り直せばいいわ。今やるべきはあなたの始末。それがあなたに殺されたペットたちの供養となるのだから」
さとりはダンタリオンに対して弾幕を張り続ける。しかし、一向にダンタリオンを捉えられそうな気配がない。
「……限界ギリギリまで引き付けた上で寸前まで回避方法を思考していない……。……呆れた頭の回転速度と体勢変換速度ね。おかげで動きを読んだ攻撃ができない……」
「んん! さすがは覚妖怪。そのことに気付いていただけるとは! 橋の上で戦った金髪の鬼も『そこには』気付いていませんでした。実にスマートォオオオオ!」
「耳障りな奇声をあげないでくれるかしら。不愉快よ」
「んん! これは失礼しました。しかし、もう分かったのでは? いかに覚妖怪とはいえ、身体能力で遠く私に及ばない貴方が私に敵うことはありえない! 大人しくこの屋敷を私に譲っては頂けませんかねぇ?」
「お断りよ。私は地獄の者たちにこの地底を託されている。よそ者に渡すなんてありえない」
「んんんん! 使命を全うせんとする誇り高さ……! ますますジェントル!」
ダンタリオンは両手を広げ、宙を仰ぎ見ながら叫んでいた。
「素晴らしい! 素晴らしき精神! ……しかし残念だ。こんな素晴らしく優しく真面目な精神を殺さなければならないとは……!」
「何を勝った気でいるのかしら?」
「んん? 貴方こそまだ負けを認めないおつもりですか? まだ策があるとでも?」
「当たり前でしょう? 私はさとり。覚妖怪。その力の真骨頂を見せてあげるわ」
「ほう? 何をするつもりです?」
「簡単なことよ。……あなたのトラウマを抉ってあげる……!」
古明地さとりが話し終わった途端、ダンタリオンの視界がぐにゃりと歪む。歪んだ空間の中、ダンタリオンは冷静にさとりに聞き返した。
「ふむ。これは一体?」
「……テリブルスーヴニール」
さとりの術名宣言とともにダンタリオンの心に不穏が宿る。さとりはダンタリオンに催眠術をかけ、ダンタリオンの心に眠るトラウマを表層に浮かび上がらせ、読み取ったのだ。
「これは……。なるほど、自身の読心能力を最大限効率化するための『催眠攻撃』ですか。実にスマート」
「余裕を見せられるのもここまでよ」
さとりが、手を天にかざす。催眠をかけられたダンタリオンの視界にはさとりの隣に聖職者の姿がいるように映った。
「その女は……!?」と眼を見開くダンタリオン。
「あなたの心から読み取ったトラウマを具現化したもの。この女はあなたの兄弟を次々と始末した『エクソシスト』。そうでしょう?」
「ほう……。その女を催眠で見せることで私の戦意を喪失させようというわけですか。んんんんん! さすがは心を読むことのできるモンスター! たしかにその女は私のトラウマです! 素晴らしい再現力! 実にスマート!」
「…………?」
さとりは首を傾げ、頭の上に疑問符を浮かべる。ダンタリオンの心と態度がトラウマを前にしているとは思えぬほど、冷静だったからだ。しかし、精神攻撃を緩める必要はない。さとりは催眠魔法をかけ続ける。
「……あなたの心はトラウマを前にして乱れていない。なぜかしら? ……まぁいいわ。トラウムをしっかりと思い出せないのならば、想起してあげるだけよ!」
さとりは催眠魔法の出力を上げる。ダンタリオンの精神に、エクソシストが彼女の姉妹である悪魔たちを退治する映像を叩きつけたのだ。だが……。
「んんんん! 非常に残念です。『その程度』でしたか! 期待外れですねぇ!」
ダンタリオンはにやりと笑みを浮かべると、精神上のエクソシストを破壊して催眠状態から自身を解放させる。
「なに!?」と驚愕の表情を見せるさとり。今までさとりがトラウマを想起させた相手はその場から逃げ出したり、錯乱して暴れ出したりすることはあっても、催眠を自分の力で解くものはいなかったからである。それ故、さとりは自身の想起魔法に自信があった。だが、ダンタリオンはそれをあっさり突破したのである。
「ふむ。中々の強度の催眠攻撃でした。たしかにそのエクソシストは我が姉妹を討ち取った憎むべき敵。だが、そのエクソシストは私が殺したのですから。トラウマになどなり得ないぃいいいい!」
「なんですって……?」
「んん! ……本当にトラウマを見せつけられていたら、さすがの私も堪えていたかもしれませんがねぇ」
「……どういうこと? 私は確実にあなたのトラウマを見抜き、再現したはず……。なのに……なんであなたの心には動揺の波が広がっていない……!?」
「お気づきになりませんか? まぁ無理もありませんか。『我々』と同じ能力を持っているモンスターは少ないですからねぇ。これまでに自分と同じタイプの相手と貴方は交戦したことがなかったのでしょうから」
「……『我々』? あなた、まさか……!?」
「ようやくお気づきになりましたか。やはり、心を読めるモンスターは心を読めるが故に観察力が鈍る。かつての私を見ているようですよ!」
「……お前も覚妖怪なの!?」
「失敬な! 私を貴方たちと同様の低級モンスターと一緒にしないで頂きたい! 私は悪魔! お母様が生み出しし、崇高な悪魔貴族! 貴方がたとは格が違うのですよ!」
ダンタリオンは左手の指の先を槍のように尖らせ、さとりに向けて射出する。槍と化した指はさとりの頬をかするように伸びながら、壁に突き刺さる。
「ほう、私の指の軌道を読み、わずかに頭を動かし避けましたか。思ったよりは身体能力があるようですねぇ……」
さとりはかすられた頬から血を垂らしながら、ダンタリオンに問う。
「……どういうこと? あなたの心に攻撃の意志は全くなかった。なのに攻撃している……?」
「んんんん! やはりその程度。本当に残念な覚妖怪だ。それならば、特別サービスです。面白いことをしてあげましょう。どうぞ、私の心を存分にお読みください!」
「……なんですって?」
「どうぞ、どうぞ」
さとりはダンタリオンの思惑通りに動かされることに嫌悪感を覚えるが、さとりがこの戦闘に勝つには、心を読むしかない。不快感を露わにしながらも、さとりはダンタリオンの心の内を読み解く。
『左手を槍にして腹部を突き刺す。左手を槍にして腹部を突き刺す』
それがダンタリオンの心の内だった。さとりが自分の心を読んだことを確認した上で、ダンタリオンは突然こんなことを言い出した。
「さて、私の心を存分に読んで頂いたところで『問題』です!」
「問題……ですって?」
「ええ。これから私は貴方にどんな攻撃を加えようとしているでしょうか!?」
「……ふざけているのかしら?」
さとりは苛立ちを表に出しながら、もう一度ダンタリオンの心を読む。『左手を槍にして腹部を突き刺す』という心に変わりはない。
「『左手を槍にして腹部を突き刺す』なんでしょう?」
「なるほど。では攻撃して差し上げましょう」
ダンタリオンがさとりに詰め寄る。さとりはもう一度心を読む。ダンタリオンの『左手を槍にして腹部を突き刺す』という心境に変化はない。さとりは自身の正面に結界を張り、攻撃に備えた……が。
「んん! がら空きぃ!」
ダンタリオンは左手を槍にすることはなかった。代わりに右腕をハンマー状に変化させ、さとりの横っ腹を殴打する。さとりの華奢な体からボキッという乾いた音が鳴り、あばら骨が粉砕される。悲鳴を上げながら、うずくまるさとりにダンタリオンは愉悦の笑みを浮かべて見下していた。
「残念でしたねぇ」
「か……は……!? ど、どういう……こ……と? 心と行動が一致していない……!?」
「まったく未熟なモンスターですねぇ」
ダンタリオンはさとりの胸倉を掴んで持ち上げる。
「心を読める敵に遭うかもしれない……。そういう想定を全くしていなかったようですねぇ。その証拠に貴方の心は何の装備もしていない。丸裸だ。スマートでない!」
「装備……? 丸裸……?」
「そう! ……私は偽りの心を作り出し、私と同タイプの能力を持つ者に敢えて見せているのです。つまり、貴方の見た私のトラウマ、行動予定は全くのデタラメというわけですよ。そして、真なる心は障壁で覆い、見えないようにしているというわけです」
「そ、そん……」
「そんなこと『あるわけがない』ですか?」
「う……!?」
さとりはダンタリオンに心を見抜かれたことに動揺する。人の心を読むことはあっても、読まれることなどなかったさとりにとって、初めて感じる嫌悪感だった。
「人に心を読まれることを気持ち悪いと思いましたねぇ? どうです? 自分と同じ能力を自分に使われるというのは? ……そうですか、私に対する嫌悪感と同時に自身に対する嫌悪感も湧いているようですねぇ。良かったじゃないですか。なぜ貴方が嫌われるのか身を持って知ることができたのでは? 知識とは本を読むだけでは手に入らない。自分で体験した時こそ本物になるのですから!」
「ペラペラと……喋らないで……!」
「ほう。身体能力でも、読心能力でも劣っているっていうのにまだ私に勝てる気でいらっしゃるとは……。さすがですね、お姫様。それでこそ壊し甲斐があるというもの!」
「な、なにをするつもり……?」
「貴方と同じことですよ。貴方のトラウマを抉り出し、再起不能にしてあげましょう!」
「うっ……!?」
さとりが抵抗を試みようと藻掻くが、もちろん無駄なことだった。ダンタリオンは視線をさとりの瞳に合わせる。さとりはダンタリオンに心の内を見られることになるのだった……。