東方二次創作 普通の魔法使い   作:向風歩夢

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望んだ愛

◇◆◇

 

「……ここは?」

 

 悪魔貴族ダンタリオンは暗闇の中にポツンと一人立っていた。暗闇の向こうに一点だけ暖かい光が瞬いている。その光はだんだんと大きくなっていった。光に映し出されていたのはダンタリオンの『思い出』……。

 光の中で72人の幼い悪魔がテーブルを囲んで食事を共にしている。72人は全て姉妹……。テネブリスが生み出した者たちである。

 かつての光景を前にしたダンタリオンは思わずつぶやく。

 

「懐かしいですねぇ。この頃はまだ、72人全員が生きていました……。私は71番目に生まれた悪魔。よく他の姉妹と喧嘩していたものです。気付けば姉妹で生きているのは私だけになってしまいましたねぇ……」

 

 光の中の思い出にテネブリスが現れる。

 

「お母様……。この頃は今よりも少しお若かった。私たち姉妹に魔術や体術、知識を授けて下さっていた。厳しくも愛情深く私たちに接してくれている……と思っていましたねぇ……」

 

 光の中の場面が切り替わり、テネブリスの後ろ姿が見える。

 

「これまた、懐かしい光景ですねぇ。私が自身の能力に目覚めて初めて見た人の心はお母様の心でした……。きっと私たち72姉妹への愛情でお母様の心は埋め尽くされている……。まだ幼かった私はそう信じていました。……半分は当たっていましたかねぇ?」

 

 思い出の中のテネブリスがダンタリオンに問いかける。

 

『ワシの心を見て失望したじゃろう? ダンタリオン……』

「いえ、そのようなことは……。我々姉妹への愛をお持ちでないことが残念だった、と言えばそうかもしれません。しかし、失望などはしていませんよ? 納得もしましたし、尊敬に値するとも思いましたかねぇ……。もっともそれ以来お母様の心の中を覗き見ようと思うことはなくなりました。見ても虚しいだけですからねぇ」

 

 ダンタリオンは思い出のテネブリスに語り掛ける。そして、思い出の光は次第に弱まり、消えていった。暗闇に一人取り残されたダンタリオンはふと我に返る。

 

「……私は一体どこにいるのでしょうか? 私は心を閉ざした緑髪の覚妖怪と戦闘していたはず……。……思い出を見たということは夢の中……? 私の心の中ということですか」

「今のおばあちゃんが黒髪さんの大切な人?」

 

 ダンタリオンは声がする方に振り向いた。そこにいたのは、緑髪の覚妖怪『古明地こいし』。

 

「……なぜ貴方が私の心の中にいるのです?」

「ここは貴方の心の中じゃないよ」

「おかしなことを言いますねぇ。私の心の中でなければ、私しか知らないお母様と私とのやり取りが映像に現れるわけがないでしょう。貴方はこの空間が一体どこだとおっしゃるつもりです?」

「ここは私の心の中」

「んん? 何とも奇妙なことを言い出しましたねぇ。ますますあり得ない。なぜ貴方の心の中に私とお母様の思い出が流れるというのです?」

「だって私は妖怪『覚ラレ』だから……」

「『覚ラレ』? 聞いたことのない名のモンスターですねぇ」

「聞いたことがないのは当たり前だよ。私が名付けたんだもん」

「ほう? 一種族一人の妖怪ということですか。中々に珍しい存在ですねぇ。まあ、左利きの人間程度の珍しさですが……。一種族一人の存在だと自称するということは何らかの特殊な能力をお持ちなのですね。もっとも、名前から推測はできますが……。自身の思考が駄々洩れになり人に伝わってしまうという創作話は珍しいものではありません。貴方の『覚ラレ』もそういった能力ということですかねぇ?」

「違うよ」

「んん? では貴方のいう『覚ラレ』の能力とは何なのです?」

「今、貴方も実際に体感しているでしょ? ……覚ラレの能力はサードアイを見た者を強制的に私の心の中……私の精神世界へと引き込む能力」

「ふむ。この不思議な空間が貴方の心の中……。やはりおかしいではありませんか。私の問いの答えにはなっていない! 貴方のおっしゃることが真実とするならば、なぜ私の記憶が貴方の心の中にあるのです?」

「……それは、私の心は精神の海……精神宇宙と繋がっているから……」

「これはまた、奇妙な造語をのたまい始めましたものですねぇ。何ですその精神宇宙というのは?」

「見せてあげる」

 

 こいしがそう言うと、映画のシーン変化のように目の前の空間に写る世界が切り替わる。夜空のような暗闇に星のような無数の小さな光が点在していた。さながら満点の星空のようである。その光景にダンタリオンは思わず感嘆のため息が出そうだった。

 

「美しい……。これが精神宇宙?」

「そう。物理宇宙と対をなす精神宇宙。ここには全ての意識と無意識が内包されている。私の精神も貴方の精神も。だから私も貴方の記憶を見ることができた。この精神宇宙を通じて……」

「ほう。ここは冥界というわけですかぁ?」

「違うよ。ここは冥界でも天国でも極楽浄土でもない。あれらは魂が集まる場所の一つでしかない。魂もまた、霊子を媒介とした精神の受信機でしかないの。この精神宇宙には純粋な精神しかない。原子にも霊子にも影響を受けない純粋な世界。知ってた? いずれは魂にも崩壊は訪れるの。そして魂に宿った精神はこの精神宇宙に還元される。……いいえ、その表現も違うね。この世界にある精神が魂という形で特別に物理世界に顕現していると言った方がより正しい表現だと思う。この世界で光っている星のように見えるものは物理世界に顕現している意識の光」

「……中々理解しがたい説明ですねぇ。ここはアカシックレコードのようなものだとでも言うおつもりですか?」

「概念は似ているかもだけど、そんなに良いものじゃないよ。物理世界にいずれ終焉が訪れるのと同様に、この精神世界にも終焉は訪れる。アカシックレコードなんていう永遠に記録をおさめることができるものなんてこの世にはないの。結局、永遠なんていう概念は精神の脆弱な知的生命体が作り出した精神安定剤のようなものでしかない。……来るよ。覚悟した方が良いよ、黒髪さん……」

「来る? 一体何が来るというのです?」

「……感情(エモーショナル)バースト。私はそう呼んでる」

 

 次の瞬間、ダンタリオンの精神に強烈な何かが襲い掛かってきた。ダンタリオンの心を引きちぎらんと吹き荒れる強烈な感情の暴風雨。彼女の心に様々な感情が一気に流れ込む。

 

「な、何ですか、これはぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!? 心が熱い!? いや、寒い!? 痛い!? 辛い!? 悲しい!? 嬉しい!? 暖かい!? 寂しい!? 冷たい!? 虚しい!? 罪悪感!? 充実感!? 感動!? 高揚!? 絶望!? 恋!? 憧れ!? 孤独!? 憂鬱!? 喪失感!? 恐怖!? 嫉妬!? 怒り!? 喜び!? 諦念!? 後悔!? 緊張!? 興奮!? 安心!? ……愛!? ぐ、くぁ!? ああああああああああああああああああああああああああ!!!?」

 

 永遠かと思われるような一瞬がダンタリオンの心を通過する。感情の暴風雨が過ぎ去った後、ダンタリオンは無理やり止められていた息を再開させるが、その呼吸は過呼吸となっていた。

 

「はぁ! はぁ! は、あ、が……!? い、今のが感情バースト……?」

「……そう。物理宇宙に置けるガンマ線バーストに似た感情的現象のひとつ。この精神宇宙では似たような現象が常にどこかで発生しているの」

「……くっ!? なぜ、貴方は平気そうな様子で立っているのですかぁあああああ!?」

「……それが私の能力だから。この精神宇宙を構成する空間こそが私たちが無意識と呼ぶ領域。私はそんな無意識を操る能力を持っているの。物理法則を制御できる術者がいるように、精神法則を制御できる者もいるというだけの話。それが私なの」

「物理法則を制御できるように……だと? 神にも近い力を持っているとでも言うおつもりですかぁ!?」

「そんな大層な能力じゃないよ。この精神世界から身を守る術を持っているというだけ……。また来るよ」

 

 再び訪れる感情バースト。ダンタリオンはその直撃を受けることになる。

 

「うくぁああああああああああああああああああああああ!?」

 

 悲痛な叫びを上げるダンタリオン。強烈な苦しみをダンタリオンに浴びせるだけ浴びせた感情バーストは過ぎ去っていく。

 

「が、が……。な、なぜです!?」と問いかけるダンタリオンに「何のこと?」とこいしは問いかけ返す。

「なぜ、貴方の心が精神宇宙などという壮大なものと繋がっているのかと、聞いているのです……!?」

「わからない」

「何ですとぉ……!?」

「生来から繋がれる要素は持っていたのかも。私もお父さんやお母さん、そしてお姉ちゃんと同じ覚妖怪だから。でも、きっかけは間違いなくお父さんとお母さんが殺されたからだと思う。きっとあの時、私の心の殻は壊れて精神宇宙と繋がってしまったの。そして同時に覚ラレとしても目覚めてしまった。私の心を通じて精神宇宙を覗いてしまった村の人間の男たちは皆狂い、自ら死を選んだ。自分の覚ラレとしての力に気付いた私はすぐに瞳を潰したわ。お姉ちゃんに覚らせるわけにはいかなかった。精神世界に干渉できる能力を持つお姉ちゃんが私の心を覗いたら、生き地獄を見ることになると直感で理解したから。その時は推測でしかなかったけど、今貴方が私の判断が正しかったと証明してくれている」

「私が証明している……!?」

「うん。貴方もまた、精神世界に干渉できる術を持つ者。半端に干渉できるが故に狂うこともなく、精神を保っていられる。そのせいで感情バーストに苦しみ続けることになった。妙な好奇心と探求心のせいでその身を滅ぼすことになったのよ」

「ふ、ふふ。身を滅ぼす? まるでもうこの世界から私は脱することができないとでも言いたげなご様子」

「その通りなの」

「何ぃ?」

「もう貴方はこの精神世界から逃れることはできない。精神世界に干渉できる貴方はこの世界の深いところまで潜り込んでしまった。もう貴方は精神的特異点の『事象の地平面』の内側に入ってしまっているの……」

「また、解るような解らないような造語をぉおおおおお!? 一体何が言いたい!?」

「アレを見て」

 

 声を荒げるダンタリオンを制すように、こいしは精神宇宙の中心を指さした。中心に向かってゆっくりと意識の光が吸い込まれている。光の動きに気付いたダンタリオンが口を開いた。

 

「光が一点にゆっくりとだが確実に集まっている……?」

「そう。あの一点こそ精神的特異点。物理宇宙の特異点『ブラックホール』と似たもの。全ての精神はいずれ特異点に集まり終焉を迎えることになる。物理宇宙と同様の終わりを精神宇宙も迎えるのよ」

「ククク。フフフ。この精神宇宙。物理宇宙と根本的には同じというわけですねぇ。貴方の言う『事象の地平面』とは物理宇宙におけるシュワルツシルト半径のことを言っていたわけですか。ブラックホールから脱するのに必要な速度が光速を越える場所。今私がいる場所が精神宇宙におけるシュワルツシルト半径の内側というわけですねぇ? なるほど。それは逃げようがない……」

「……冷静さを取り戻したみたいだね、黒髪さん。……私はこの精神宇宙を自由に移動できるの。でもそれは私だけに与えられた能力。貴方を連れて動いてあげることはできない。……どうする?」

「くく。『どうする』というのはこういう意味ですか? 決して逃れることのできぬ精神宇宙で感情バーストの恐怖と戦いながら生き長らえるか、潔く死を選ぶか」

「……うん。この世界は物理宇宙に生身の体を持ったままの者が存在するには過酷すぎるもの。精神体だけになれば苦痛も和らぐわ」

「そして、いつかも解らぬ精神が一つとなる終焉の時をこの空間で待ち続けるというわけですか……。クク、ククク。もちろん答えは『結構です』ですねぇ!」

「恐怖と隣り合わせのまま生きていくの?」

「まさか。私は恐怖と隣り合わせで生きていくつもりもなければ、宇宙の終わりを待つつもりもありませんよぉ?」

「……どうするつもりなの?」

「あそこには全ての意識・無意識が集まっているのでしょう? であれば! あそこにこそ私の求める答えがあるはずぅううううううううううう!!」

 

 ダンタリオンは奇声を上げる。彼女の片眼鏡には精神的特異点が写り込んでいた。

 

「……正気なの? あの中がどうなっているかは私にも解らない。永遠の苦しみがあるかもしれないのよ?」

「んんんん! 構いませんんんんんん!! どうせ逃れられぬ運命ならば、自ら飛び込むのも一興でしょう!」

「体はどうするの? 生身の体を残したまま精神的特異点に飛び込むつもりなの? その苦痛はきっと計り知れないものだと思うよ?」

「んんんん! 言うまでもないことぉ!! 私がお母様から頂いた体を捨てるなどあり得ないぃいいいいいいいいいい!!」

「……そう」

「んん! 心残りがあるとすれば……、貴方をお母様の手土産に出来なかったことくらいでしょうかねぇ。精神宇宙を自由に行き来できる存在をお母様にお伝え出来ればよかったのですが……。致し方ありません。それでは失敬。またお会いしましょう」

 

 ダンタリオンはこいしに別れを告げると、精神的特異点へと向かって飛び去って行った。こいしはそれを見送る。特異点に近づくにつれ、ダンタリオンの体に異変が生じていく……。

 

「んん! 私の身体が、精神が、引き伸ばされていくぅうううううううう!? 時間も引き伸ばされていくぅうううう!? これが特異点!? この先にいるのですか、我が姉妹たちよ! ともに見つけようではありませんかぁ! 我々が本当に欲していたものをぉおおおおおおおおおお!!」

 

 ダンタリオンは奇声を上げ、特異点へと堕ちていった。彼女の欲するものを探して……。

 

 

◇◆◇

 

 

「……バカな人」

 

 現実世界に戻った古明地こいしはぽつりと呟いた。彼女を磔にしていたダンタリオンの槍は液体となっていた。彼女の眼前には人の形ではなくなり、サッカーボール大の球体状に保持された液体金属。持主の精神が消え去ったダンタリオンの抜け殻。持主が抜けた今もまだ生命活動を続ける液体金属に古明地こいしは憐れみの表情を向ける。

 古明地こいしはペット用の水槽に水を入れ、銀色の球体をその中に浸けた。

 

「……水槽の脳ですらない哀れな生体。……せめてこの宇宙が終わるまで飼ってあげる。それが貴方の望みでしょう?」

 

 古明地こいしは自室に持ち込み、机の上にダンタリオンの入った水槽を仮置きした。こいしは球体に向かって喋りかけた。

 

「特異点の先に貴方の望んだ愛(モノ)などあるわけがないのに……」

 

 こいしはダンタリオンの抜け殻をその眼に写しながら、自室の扉を閉めて出ていくのだった……。


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