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――幻想郷と外の世界の境界近く――
「では頼んだわよ。藍、橙」
「はい、紫様」と藍と橙は紫に畏まる。紫はスキマに入り、どこかへとワープして行った。残された藍と橙は互いに目を合わせる。
「……橙、大仕事だぞ。幻想郷……いや、外の世界の命運をも握りかねない紫様からのご命令だ。失敗は許されない」
「はい、藍しゃま!」
「しばし別行動だ。……橙ちょっとこっちに来なさい」
藍は橙を呼び寄せると軽く抱きしめ頭を撫でる……。
「どうしたんですか、藍しゃま?」
「……大きくなったな、橙。もう私がいなくてなっても大丈夫なはずだ……」
「……藍しゃま?」
「さぁ、仕事をしよう」
「はい、藍しゃま!」
二人は散開し、それぞれの目的地へと向かうのだった。
――永遠亭――
ところ変わってここは永遠亭。ここの兎たちが何らかの「異常」に気付き、狼狽えていた。兎たちは異常の中心である枯山水の美しい中庭に集結する。兎たちの中に一人だけ混じった元月の民……、薬師『八意永琳』が口を開いた。
「……てゐ。間違いないのね? ここで姫様と霧雨魔理沙は須臾の世界に入り込んだのね?」
「間違いないのねと聞かれれば一瞬の出来事だから多分そうとしか答えられないけど……、最後に見たのはここで合ってるよ、お師匠様」
てゐの答えを聞いた八意永琳は中庭を見やる。……中庭は空間がぐにゃりと歪んでいた。歪みのまま固定されているわけではなく、正常状態と歪み状態をグラデーションするように交互に繰り返していた。永琳は空間に手を触れてみる。
「……結界のようになっているわね。入るのは困難か……。姫様の『永遠と須臾を操る程度の能力』で造った空間がこんな状態になっているのは初めて見るわね。いつもの姫様なら私たちが感知することもできずに須臾の世界の出入りを終わらせるもの」
「お師匠様、どうします? 何か不測の事態が起こっているのは間違いありません。姫様を助けなくては……」
永遠亭唯一の月の兎『鈴仙・優曇華院・イナバ』が永琳に具体策を求める。
「……しばらく様子を見ましょう。須臾の世界を壊し、強引に姫様を引きずり出すことは容易だけど、それは姫様の身を保証できるものではない……」
「我々はここで指を咥えているしかないということですか?」
「今のところは、よ。落ち着きなさい鈴仙」
「そうそう、短気は損気って言うだろ?」
因幡てゐが鈴仙を茶化すようにくつくつと喉奥を鳴らしながら、永琳の意見に賛同する。鈴仙はてゐに馬鹿にされたような気がして兎耳をピクつかせるが、師匠である永琳の手前、グッと堪えることにした。
「てゐ、大人げないわよ」
永琳がてゐに苦言を呈するのを見た鈴仙は、師匠が自分のことを弁護してくれたことに対して嬉しそうな表情を見せる。そして軽快な様子で永琳に乗っかるように、てゐに口撃し返した。
「そうよ、そうよ。大人げないわよ、てゐ!」
永琳はそんな鈴仙を見てはぁとため息を吐く。
「鈴仙、そういう子供染みた発言はやめなさい。そんなことだから、てゐに面白がられていじられるのよ」
「八意様! 表に例の不老不死の人間が……」
永琳たちの会話を遮るように兎妖怪の一匹が報告する。
「……不比等の娘が? 今、姫様は取り込み中だと言って追い返しなさい。話の解らない者でもないでしょう?」
「いえ、それが……。『輝夜でなくても良い。医者でも幹部の兎でも良いから話をさせろ』と……」
「あら、珍しい。いつもの子ども喧嘩をしに姫様に会いに来たわけではないのね。解ったわ。すぐに表に向かいましょう。……何用かしら?」
永琳たちは迷いの竹林に繋がる玄関口へと足を運ぶ。そこには紅いもんぺを着た白髪の少女が立っていた。少女の名は『藤原妹紅』。大昔に『蓬莱の薬』を口にしてしまったことで不老不死となってしまった人間である。……平然そうに立っていた妹紅だが、彼女の様子がどこかおかしいと、元月の民の賢者八意永琳は一目で看破する。
「……珍しいわね。貴方が弱っているなんて。何があったのかしら?」
「さすがは月のお医者様。何でもお見通しってわけね。ちょいと酷い目にあってさ。ついさっき目が覚めたところなんだよ」
「……蓬莱人が気絶させられたの? ……例の奴らが関わっているのかしら?」
「やっぱり、もう知ってたか。……妙な連中が幻想郷に入って来てるらしいが……、私以外にもやられたヤツがいるのか?」
「ええ。個人情報保護の観点からは逸脱するでしょうけど……、博麗の巫女もやられてるわ。結構な重症でね、今もここで治療中よ。他にも妖怪の山の秋神や厄神もやられたみたいでね。治療したわ。ちなみに神様たちの方はもう全快して、もう住処に帰ってる」
「博麗の巫女もやられているのか……!? 慧音のやつにも伝えておかなきゃ……。……私が気絶させられた相手は褐色銀髪で不老不死の魔女だった。もしかしてお前たちも襲われてるんじゃないかと思って顔を出したんだが……、元気そうでなによりだ」
「あら? 私たちのことを心配してくれたってことかしら? いつも姫様を殺そうとしてるのに……」
「……フン。輝夜を殺すのは私だからね。他の奴らに殺されちゃ堪らないだけよ」
「まったく……。姫様もあなたも素直じゃないわね。……あなたが襲われたっていう不老不死の魔女。褐色銀髪って以外に情報はないのかしら?」
「……不老不死だから当たり前と言えばそうかもしれないけど、異常なまでの回復力だった。私の炎を受けてもすぐに火傷が治っていたからね。……あと、そいつらの組織名はルークスと言うらしい」
「……ルークス。ラテン語で『光』ね……。魔女に似合わない言葉じゃない。どんな意味が込められているのかしらね」
「さぁね。……私が知っている情報はそれくらいしかない。じゃあな。早く人里に行かないと……」
妹紅は情報提供という体(てい)の永遠亭安否確認を終えると永遠亭を立ち去ろうとする。もっとも、妹紅が伝えた褐色銀髪の魔女『プロメテウス』は既に白玉楼の亡霊『西行寺幽々子』によって倒されているのだが……。
踵を返した妹紅はピタリとその足取りを止める。何かの気配を察知した妹紅は永琳に確認をとった。
「……お医者さん、気付いたか?」
「ええ。どうやら鼠がここを嗅ぎ付けたようね。……くるわよ。てゐ、優曇華!」
竹林の茂みから数十人の少女姿をした兎妖怪が飛び出してきた。てゐ率いる永遠亭の兎ではない。流線形の耳を出せる穴あきヘルメットをかぶり、銃を手にしている兎妖怪の格好を見た鈴仙は驚きを隠せない。
「こいつらは……『玉兎』!? 月の兎がなぜここに!? しかも、こんな大人数!?」
「疑問は後でゆっくり考えればいい! 鈴仙、今は撃退のことだけ考えなよ! 出てこい、お前たち!」
因幡てゐが号令をかけると、永遠亭の中から一斉に兎妖怪たちが集まってきた。
「奴ら、銃を持ってる。気を付けなよ、お前たち!」
てゐは部下である兎妖怪たちに注意喚起をすると自身も戦闘態勢に入る。敵兎の一匹が銃の引き金を握った。乾いた発砲音とともに射出された数発の弾丸がてゐに襲い掛かる。
「すぐに頭(リーダー)を潰そうってわけかい? よく鍛えられた兵隊さんだね。でも私はそう簡単にやられる兎じゃないよ!」
てゐは球体状の結界を発現させると、弾丸を受け流す。そして、受け流すにとどまらず、小柄な体を活かして相手兎の懐まで潜り込むと敵の腹を蹴り上げた。
てゐ以外の兎たち、そして妹紅も応戦する中、鈴仙ももちろん戦闘に参加する。
「優曇華! 無駄遣いしちゃダメよ?」
「大丈夫ですよ、師匠。こいつらぐらいなら能力を使わずとも追っ払えます!」
師匠である永琳の忠告を守りつつ、鈴仙はピストルのハンドサインを作ると、人差し指から赤色の光線を連射する。光線は次々と相手の玉兎を捕らえ、戦闘不能にしていった。
「どう、私の弾幕は? 並の玉兎じゃあ私には勝てないわよ」
勝ち誇る鈴仙の側頭部を狙うように竹林の影から一匹の玉兎が銃を構えていた。どうやら、表に出てきた玉兎たちはデコイ。彼らの狙いは油断したところを撃ち抜くことのようだ。
だが、その程度の策を見破れぬほど、『永遠亭の頭脳』は甘くない。
「調子に乗るなといつも言っているでしょう、鈴仙。そんなことだからいつまで経ってもてゐを越えられないのよ」
言いながら、鈴仙の師匠『八意永琳』は術で顕現した弓を手に取り、矢を放った。矢は鈴仙の側頭部を狙い撃とうとしていた玉兎の胸に突き刺さる。玉兎が悲鳴を上げたことで初めて鈴仙は自分が狙われていたことを知る。
「す、すいません、師匠……」
「謝っている暇もないわよ、優曇華」
八意永琳は竹林から視線を外さない。悪意を持った輩がこちらに向かっていたからだ。竹林の影から現れたのは……、銀髪の美女。
「あ、貴方は……」
眼を見開く永琳に対してその女は口を開いた。
「お久しぶりですね、八意思兼様。一体何千年ぶりでしょうか?」
「貴方はイワナガ姫……!?」
イワナガ姫と呼ばれたその美女は蓬莱山輝夜の和風ドレスに似た服を靡かせ、上品な佇まいで微笑むのだった。