「やはり……時を止められるのね。移動と攻撃の瞬間が全く見えなかったもの。予想はしていたけど、まさかね……」と永琳は頬に冷や汗を伝わせる。
「うふふ。思兼様、それでも私と戦うおつもりですか?」
「ええ。あなたの時を止める能力、驚異的ではあるけど絶望的ではないようだから……!」
「へぇ……。強がりますわね、思兼様。私たち山祇(ヤマツミ)姉妹が地上に堕ちるのをあなた様が止められなかったのは、他ならぬ私の妹のサクヤ姫にあなた様が敵わなかったから……。忘れたわけではございませんよね?」
「そうね。きっと今でも私はサクヤ姫を止めることはできないでしょう。でも、あなたなら止められそうだわ」
「……馬鹿にされたものですわ。……私はもう妹を越えたのです!」
イワナガ姫に眉間にうっすらと皺が寄る。眼と眉も吊り上がっていた。永琳は知っていた。イワナガ姫がサクヤ姫に劣等感を抱いていたことを。能力的に敵わないイワナガ姫の心を揺さぶり隙を作る……。天才薬師は強者でありながら、弱者の戦法も熟知していた。心の平穏を崩されたイワナガ姫は時を止め、永琳の肩口を切り裂こうと扇子を振り下ろすが……。
「くっ!?」と狼狽えるイワナガ姫。
扇子を振り下ろした先には矢があった。永琳はイワナガ姫の攻撃を完全に予測し、ガードするように矢を構えていたのである。そして、イワナガ姫の時を止める限界が訪れた。再び流れ始めた世界で永琳は見事に扇子を矢で防ぐ。
「うふふ。さすがは思兼様。私の攻撃を一度ならず二度までも……」
「……イワナガ姫。やはり、あなたの時止めはサクヤ姫には届いていないわ。私ごときに攻撃を止められているのがその証拠……」
「……うるさい……! 私の攻撃を止めるのが精いっぱいのくせに……!」
イワナガ姫は三度時を止めて、永琳に攻撃を仕掛ける。だが、これも受け止められてしまった。時止めから解放された世界で永琳は諭すようにイワナガ姫に語りかける。
「……私はあなたをよく知っている。次にどんな攻撃を仕掛けてくるのか、高確率で予測できるのよ。だって、あなたの師匠だから……。……あなたは非常に短い間しか時を止めていられない。そうでなければ、私の予測ガードを掻い潜って攻撃できるはずだもの」
「……だから何だというのですか? 所詮、貴方は予測で私の攻撃を防ぐことしかできない。その確率とやらも無意味になるほどに攻撃を加え続ければ良いだけのこと……!」
イワナガ姫は再三にわたり、攻撃し続けた。八意永琳はその天才的頭脳をフル回転させ、攻撃を予測し、防御し続ける。しかし、どこまで精度を高めたとて予測は予測でしかない。何百回目のイワナガ姫の扇が永琳の右大腿部を深く傷つけた。
「うぐっ……!?」
うめき声を上げる永琳にイワナガ姫は愉悦の笑みを浮かべる。
「うふふ。見てごらんなさい。攻撃し続ける者と守り続けるしかできない者とが争えば、こうなるのは当然の帰結」
永琳は大腿部を手で抑え、圧迫止血を試みていた。だが、血はなかなか止まらない。
「ふふふ。そうなってはもう素早く動くことはできないでしょう? 切り刻んで差し上げますわ!」
イワナガ姫は一挙攻勢に出る。永琳の体中に扇による切創が刻み込まれていった。なす術なく、イワナガ姫の言いように傷つけられる永琳……。
「うふふ。さすがは月の民……。豆腐のように脆い地上の人間とは比べ物にならないほどに肉体が強固。ですが、さすがの思兼様とて、もう限界のはず……。もう敗北を認めてくださいな。そうすれば、命だけはお約束しますわ。お母様は有能な者を欲しています。思兼様ほど聡明なお方ならお母様も歓迎するはず……」
「……わかったわ。私の敗北を認めましょう……」
意外な永琳の反応にぎょっと眼を見開くイワナガ姫。昔の永琳なら弟子の挑発とも取れる言葉を真に受けることはなかったはず。師匠が変わってしまったことに若干の戸惑いを見せるイワナガ姫は少し引き攣った顔を無理やり微笑に歪めた。
「こ、これは計算外でしたわ。まさか、本当に思兼様が降参を口にするなんて……。地上に堕ちて、腑抜けになってしまわれたのですね。ですが、お母様の元に来れば、思兼様もかつての誇りを取り戻されるに違いありませんわ……」
「何を勘違いしているのかしら。私はあなたたちの仲間になるつもりはないわ」
「……何をおっしゃっているのですか?」
「言葉通りの意味よ」
「敗北を認めるが、仲間になるつもりはない。ではこのまま死をお選びになるということですか?」
「いいえ、死ぬつもりもないわ」
「……敗北を認めるが死ぬつもりはない。だが、仲間になるつもりもない……。……そんな理屈が通るとお思いなのですか!? やはりあなたは地上に堕ちて変わられてしまった! 心底失望いたしましたわ!!」
「本当に貴方は勘違いをしているのね。私は今も昔も『私たちの勝利』を目指しているだけ。『私』が敗北しても、『私たち』が勝てればそれで良いのよ」
「何をおっしゃっているのですか!? 貴方はこの運脈を司る屋敷のトップであるはず。貴方の敗北は貴方たちの敗北ではありませんか!?」
「教えたはずよ、イワナガ姫。先入観を持ってはいけないと。……この永遠亭の最大戦力は私ではない」
「……何ですって? ……そうか。たしか貴方は赫夜の姫と地に堕ちたと聞きました。その姫が貴方たちの隠し玉ということですわね……!?」
「たしかに姫様も私を越えうる力を有していらっしゃるわ。でも、姫様でもない。……イワナガ姫、あなたは自分に劣等感を持つあまり、自分より下等な者が力を持つはずがないと思い込んでいる。教えてあげましょう、その考えが過ちだということを……! ……優曇華! 全て『許可』します。この姫を躾けてあげなさい!」
「……はい、師匠」
返事をした鈴仙・優曇華院・イナバの目が真っ赤に光る。
「何ですって……? まさか、この兎が……?」と永琳にイワナガ姫は問う。
「ええ、そうよ。この鈴仙・優曇華院・イナバこそ……月が捨てたこの兎こそ、我らが永遠亭の最大戦力。……優曇華、観察結果を」
「はい。永遠亭を含む迷いの竹林全てを覆うように結界が張られています。おそらく、この結界内でのみ、イワナガ姫は能力を発揮することが可能なようです」
「そう。やはり、特定範囲内でのみ発動する能力だったのね。……結界は破れそうかしら?」
「……難しそうですね。この結界、命を賭して張られています。あのイワナガという姫、かなりの覚悟を持ってお師匠様との戦いに臨んでいたみたいですね」
「であるならば、正面切ってあの子を倒さねばならないということね。……頼んだわよ、優曇華」
「はい!」
永琳と鈴仙の会話を聞いていたイワナガ姫は扇で隠した口元で歯ぎしりしていた。
「舐められたものですわね。この私に兎をあてがう……? 良いでしょう。思兼様ご自慢のそのペット、すぐに殺処分して差し上げますわ!」
イワナガ姫の銀色の長髪は怒りのオーラでかすかにふわりと浮かび上がるのだった。