「覚悟はできたか? 二人とも……」
テネブリスはリサとマリーに視線を向ける。その表情は笑っているようにも睨んでいるようにも見えた。
「覚悟できてません! って言ったらやめてくれるのか? ……覚悟はとっくにできてるぜ。とっとと始めろよ……!」
「……リサ。この窮地に至ってもなお、虚勢を張ることを止めぬか……。やはり、貴様は『惜しい人材』じゃった……」
「虚勢なんかじゃねえぜ。本心だからな……!」
「……マリーの方は気を保つのがやっとといったところか。……『最高傑作』の依代としてはいささか頼りない精神じゃが、仕方あるまい……」
マリーは青ざめた顔色で、無言のままテネブリスに視線を向けていた。
「姉さん、しっかりするんだぜ!」
「え、ええ……」
リサの言葉に力なく答えるマリー。死の恐怖を目前に、彼女は完全に憔悴しきっていた。
「……インドラ、ルガト。準備するのじゃ……!」
テネブリスはインドの神をルーツに持つ帝釈天=インドラと実験吸血鬼の成功体であるルガトに指示を出す。
「……また、ドーターでもないルガト(実験吸血鬼)を依怙贔屓、か……。何を考えているんだ? あのババァは……」
カストラートが堂の隅で、テネブリスに聞こえないように、声になるかならないかの小さな音を声帯から発していた。
指示を受けたインドラとルガトはリサとマリーをそれぞれ十字架に括り付ける。
「……始めるぞ……!」
テネブリスは持っていた杖でガンと地面を一撞きする。すると、リサとマリーの十字架を中心として魔法陣が展開される。
「……偉大なる御方よ。今ここに、貴方の血を継ぐべき依代を誕生させましょう……! 今、境界を一つに……!」
テネブリスの呪文とともに、魔法陣が光る。そして、リサの十字架の足元には漆黒の空間が、マリーの足元には対照的な眩しい光が召喚される。
「あ、あ……。『私』が吸い込まれる……」
そうリサは呟いた。彼女の全てが漆黒の空間へと奪われるのが感覚で理解できた。リサがこの十数年間の人生で培った魔力、生命力、技量……そして運。全てが闇へと飲まれていく。痛みはなかった。ただそこにはあまりにも大きな喪失感が残ったのである。その喪失感はリサが思っていた以上に辛く、悲しく、寒く、寂しかった。
それとは対照的にマリーの体には『リサの全て』が光から注ぎ込まれる。それは決して温かいものではなかった。充足感とは程遠い、苦痛がマリーを襲う。それは例えるなら、満腹の体にさらに無理やり食事を流し込まれるような、ストーカーから与えられる一方的な愛を何十倍にしたかのような不快感がマリーを襲う。
その充足感とは違う過剰な力の摂取は、苦しく、痛く、熱く、寂しかった。
「あぁあああああああああああああああああああ!!!?」
マリーは注がれ続ける力の過剰な快感に耐えられず大声を上げる。姉の悲鳴を聞かされていたリサだったが、彼女は喪失感で、心配することすらできなかった。
次第に治まっていく光と闇。気付けば、二人を拘束していた十字架は粉々に砕かれ、彼女たちは地べたに横たわっていた。
「……成功じゃ。が、それでもこの程度の『濃さ』か。……これでは到底、必要な『因子』の濃度には及ばんな。……これがワシの限界か。この程度を『最高傑作』とせねばならんとは情けない話じゃ……。……インドラ、リサにトドメを刺せ。残りカスを生かしておく意味はないからのう。……憎しみの芽は摘まねばならん」
「はーい」
インドラはテネブリスの指示に返答すると、ヴァジュラをトライデント状に変形させ、リサに突き付ける。
「残念だったわねー、リサ。……お前のことはそこそこ買っていたんだがー。そうなってはもうおしまいよねー」
インドラはヴァジュラを帯電させる。
「……けて……」
「ん? リサ、お前何を喋っているのー」
「……助けて……。姉さん……」
「ぷっ、あっはは。助けを求めるなんてお前らしくない。ましてや臆病者の姉に求めるとはな。所詮はお前も脆弱な『人間』だったというわけだな。失望したぞ、リサ。我が神雷で今すぐ楽にしてくれる……!」
インドラが神雷をリサに与えようとしたときだった。ヴァジュラに帯電されていたはずの雷がインドラの意思に反して、失われたのである。
「……なんだ? なぜ私の雷が消えている……?」
インドラは気付く。マリーを見ていたルガトが吹き飛ばされていることに。ルークスのメンバーたちは、ルガトが不可解な力で堂の壁に叩きつけられている光景を目の当たりにし、何が起こったか理解できず混乱し、ざわめきだっていた。
ざわめきとともにフラフラとマリーが立ち上がる。
「……リサ、ごめんね。私、お姉ちゃんなのに何にもできなくて……。だから、せめて死なせない……。リサは絶対に死なせない。リサは外の世界で幸せにならなくちゃいけない……!」
「……マリー、ワシに逆らう気か……?」
テネブリスが圧倒的なプレッシャーを放ちながら、問いかける。
「……私は臆病者です。逆らうなんてしない。逃げるだけです……!」
マリーは、インドラの足元に横たうリサに向かって走り出す。
「インドラ。マリーを止めるのじゃ。リサを渡すな……!」
「当たり前でしょー? ……マリー、少し力を得たからって勘違いしなでよねー。ヴァジュラの雷で……なに!?」
インドラは驚愕の表情を浮かべる。雷が生成されないからだ。
「なぜ、我の雷が発動しない……!?」
思わず神口調になるインドラ。
「うわぁああああああああああああああ!!」
マリーはインドラに体当たりすると、リサを抱えて、走り逃げ出した。
「……魔法を使っていないのに軽々とリサを運んでいる……!? 能力が上がったのは魔法の力だけではないようだな……! だが、相手が悪すぎたな、マリー。私の『物理法則改変能力』の前にはどんな妖怪も魔女もひれ伏すのだ……。貴様の周囲の物理法則を変えさせてもらうぞ……!」
インドラはマリーに向かって手を翳す。しかし、マリーには何の変化も現れない。
「……なぜだ!? 私の改変能力が効かないだと……!? ……まさか……お母様にも匹敵する『境界を操る程度の能力』に目覚めたとでもいうのか……!?」
驚愕するインドラを後目にテネブリスは『ふむ』と顎に手を触れる。
「理想には遠く及ばぬ『最高傑作』ではあるが、そこそこに『因子』の力を使うことができるようじゃな」
逃走を図るマリーの前に、ルークスの魔女たちが立ちはだかる。
「どいてちょうだい……!」
マリーは意図してか否か、境界を操る程度の能力を駆使し、自分たち姉妹とそれ以外の人間を分かつ結界を体の周囲に展開する。力のない魔女たちはマリーが近づくだけで次々と吹き飛んでいった。
「んんんんん! 調子に乗らないで頂きたい! お母様から逃げるとは言語道断! 今すぐに止まって頂きましょう……!」
マリーの行く手をドーター『ダンタリオン』が堂の出口前で阻む。
「私の読心能力を持ってすれば、あなたの行動はお見通しですよぉ? さぁ、その心の中を覗かせなさい。いかに貴方がお母様と同じ能力を持つといっても所詮は人間。トラウマを想起させ、心を折って差し上げましょう……!」
ダンタリオンはマリーの心を覗こうとする。が、無駄だった。
「ほぉ! これは驚きです。まさか、心にも境界を張ることができるとは……! さすがはお母様と同じ因子を持つ者! 実にスマートォオオオオオオオオオオ!」
「退いてください、ダンタリオンさん……!」
マリーの炎魔法を受けたダンタリオンは一瞬の隙を見せてしまう。マリーはその隙を突き、堂の外へと飛び出すのであった。