「運の力ですって……?」
「そうじゃ。貴様ら妖怪は世界に愛され、その身に莫大な魔力を有しておる。それ故、運の力の本質に気付くことはなかったのじゃろうな」
「……本質……?」
「そうじゃ。貴様は運など、妖精や妖怪が存在するために必要なもの。その程度に思っていたじゃろう? それは半分正解じゃが半分違う。運は妖精や妖怪が存在するためだけに必要なのではない。全ての事象が存在するか否かに関わる重要なファクターなのじゃよ……。貴様も聞いたことがあるじゃろう。マクスウェルの悪魔という現象を……。もっともこの名を付けたのはわしらよりもよっぽど若造なんじゃがのう」
「マクスウェルの悪魔……。たしか、熱力学に反するエントロピー減少の可能性をうたった仮説のことね」
「そうじゃ。通常の物理法則を無視し、エネルギーの平衡を崩す可能性のことじゃ。もっとも、外の世界では完全に否定されておるのじゃがのう。じゃが、マクスウェルの悪魔は実在するのじゃよ。それが『運』じゃ。……運を用いれば少量の魔力でも巨大な魔法を使うことができる。わしが放った炎の魔法のようにな。わしは今、偶然に偶然を重ね、この空気中にあるちりや酸素の濃度が爆発に最適な環境になるように持っていったのじゃ。運を使ってな。つまり、偶然を必然に変える力こそ、運の本質と言える」
「そんなのなんでもありじゃない。反則みたいなものね」
「その反則の力をもってこのコミュニティを貴様は造りあげたんじゃろう? 他者に奪われることを想定していなかったのは迂闊じゃったな」
「ええ。大変勉強になったわ。今度から気を付けることにするわ」
「くく……。『今度』があるとは思えんがのう……」
老婆は再び、杖を振りかざすと、魔法を放出する準備を始める。杖の周辺には巨大な光球が現れた。
「……人間の力を大きく超えた質量の魔法……。やっぱりあなたは人間じゃないわ。化物よ」
「褒め言葉として受取って置くぞ? 空間を操る妖怪よ」
「……そう言えば、まだあなたの名を伺ってなかったわね。よければ、教えてもらえるかしら?」
「いいじゃろう。冥土の土産に教えてやろう。わしの名は『テネブリス』あの世で広めるが良い!」
テネブリスが杖を振り下ろすと高速の稲妻が紫に向かって落とされる。紫は咄嗟の判断で稲妻の直線上にスキマを展開する。
「無駄じゃあ!」
老婆の掛け声とともに稲妻が大きく曲がり、スキマを避けるように迂回する。明らかに自然法則を無視した動きである。老婆はまたしても運の力を使い、己の望む事象を引き出したのだ。あまりにも突飛な稲妻の動きについていけず、紫は何の防御陣も張れず、直撃を受け、その場に倒れ込む。間違いなくただでは済んでいない。死んでしまったことも十分に考えられる。テネブリスの攻撃は魔理沙にそう思わせるくらいに圧倒的であった。
「そ、そんな……。紫が……」
魔理沙は幻想郷きっての実力者八雲紫があっさりと倒されたことに動揺を隠せない。
「さて、ようやくお主たちの番というわけじゃ。出来損ないの娘と夫よ。待ちくたびれたじゃろう? 案ずるな。じわじわと恐怖を与えてから死なせてやるわい……」
老婆の歪んだ笑みに魔理沙は恐怖を覚え立ちすくみ、声を出すこともままならなかった。