妖忌と幽々子が再び封印の眠りに就き、一刻ほどが過ぎた頃、気を失っていた妖夢が目を覚ます。
「う……。私は一体……? そ、そうです。幽々子様と私はあの死体使いの魔女のせいで瓶に閉じ込められたはず……」
妖夢が周囲を見渡すと散乱したフラスコが地面に転がっている。どうやら何者かが自分を瓶の中から出してくれたらしいことを妖夢は理解する。しかし、周りに人影はない。神経を研ぎ澄ますとわずかな力の残滓が感じられる。それは妖夢の良く知る人間のものだった。
「……幽々子様の力の破片……、そして、これはお師匠様の力……!?」
妖夢は力の残滓の持主が十数年前に白玉楼から姿を消した自身の祖父だとわかり、驚愕する。妖夢は大声を出さずにはいられなかった。
「お師匠様ぁあああ! ……おじいちゃぁあああん!!」
だが、返事はなかった。妖夢の声は冥界の空へと消えていく。
「……おじいちゃんが助けてくれたの……?」
妖夢は呟くが、すぐに従者としての務めを思い出す。
「そ、そうだ。幽々子様はどこに……? まだ瓶の中なの!?」
妖夢は片っ端からフラスコの栓を開けてゆく。いくつ目かのフラスコを開けたとき、傷ついた亡霊幽々子が飛び出してきた。妖夢はすぐに声をかける。
「ご無事ですか!? 幽々子様!!」
「……無事、とは言えないわね。でも、大したことはないわ」
妖夢の問いに顔をしかめながらも笑顔で答える幽々子。その様子を見て妖夢は安堵の溜息を吐く。
「……どうやら、あの魔女は去ったみたいね。……死んだのかしら……? 妖夢、あなたがやったの?」
「い、いえ。私もあの魔女の瓶に閉じ込められて……。どうやら、お師匠様が助けてくれたようなのですが……」
「……妖忌殿が……? ……たしかにわずかながらに妖忌殿の気配が感じられる。でも、何か違和感があるわね……」
たしかに妖忌は凄腕の従者ではあったが、あの魔女を滅するほどであったとは幽々子には思えなかった。もっと、強大な何者かがあの魔女を倒したのではないのかと幽々子は疑問に思う。しかし、そのような巨大な力の痕跡はない。
思考する幽々子の眼前に一片の花びらが舞う。季節外れの桜の花びらだ。興味を持った幽々子はその花びらを人差し指の腹にのせる。
「……さくらの花びら……? なぜこんなところに……?」
幽々子は花びらから西行妖へと視線を変えた。
「……もしかして、あれに眠る何かが……?」
推測と呼ぶにはあまりに突飛な思いつきであった。しかし、何故か亡霊幽々子は根拠のない確信を持つ。
「……妖夢。今度、あれの中に眠る何かを復活させるわよ」
「え!? さ、西行妖のことですか!? あれに触れてはいけないとお師匠様が言っていたような……?」
「構うものですか。きっと、あれに眠る何かが私たちを救ってくれたのよ。何がいるのかこの眼で見たくなったわ」
幽々子は眼を輝かせて西行妖を見つめていた。こうなってしまっては何を言っても聞かないだろうと妖夢は諦め、幽々子に賛同する。
「わかりました。次の春になったら西行妖の花を満開にしてみることにしましょう。今はお休みになられてください、幽々子様。できれば、私も休ませてほしいです。もうぼろぼろ……」
「……そうね。休息をとりましょう。……幻想郷の方もまだ、片が付いていないようだし……。西行妖を咲かせるのはまた今度ね。それにしても久々に死ぬかと思った闘いだったわ」
「幽々子様はもう死んでるじゃないですか」
「ふふ。そうだったわね」
幽々子は微笑むと冥界と幻想郷の境界の方に顔を向け、呟いた。
「悪いわね、紫。今は応援に行けないわ。私も妖夢も負傷してしまった。……冥界に来てはいけないわよ……」
幽々子は遠くで奮闘しているであろう友人に言の葉を贈るのだった。
◆◇◆
魔女集団『ルークス』。彼女らは魔法の森の片隅で、溜まり場というにはあまりに大掛かりな建物を魔法で出現させ、拠点としていた。その拠点で魔理沙のおばであるマリーは眉間にしわを寄せて苦悶の表情を浮かべる。
「……プロメテウスさんも……」
お母様である『テネブリス』に報告するのは気が重かった。しかし、ルークスの幹部である『ドーター』のトップに立つ自分の役目だと割り切った。
「お母様、ご報告が……」
「どうしたのじゃ?」
「……プロメテウスがお亡くなりに……、いえ、消滅されました」
「プロメテウス……。ああ、あの人造人間か。あれが消滅しようとどうなろうと知ったことではないが……、務めは果たしていたのか?」
「……はい。任務は全うしております。消滅されたのはその後です」
「ならば、何も問題ないではないか。報告の必要はない」
やはり、そう答えるか。とマリーは憤りを覚える。この魔女『テネブリス』はそういう女なのだ。自分の目的以外には何の興味もない。自分の作り出した『プロメテウス』が死んでも何の感情も覚えないのだ。マリーはプロメテウスを不憫に思う。プロメテウス自身もテネブリスを敬愛していたわけではない。そのことをマリーも承知している。がそれでも、だ。
「まあ、珍しい個体ではあったな。魂を持たぬ人造人間として生み出したにも関わらず、何故か自分のことを人間だと思い込み、元から魂がないのに、自ら魂を捨てたと認識しておったからのう。妄想に憑りつかれた変わった個体じゃったわ。狂っておったのかのう?」
狂っている、たしかにそうだとマリーは心の中で思う。だが、それは元からではなかったに違ない。自分が魂のない虚の人造人間だと知った彼女は自分を騙すことにしたのだ。魂がないという恐怖を覆い隠すために。彼女がフラスコを多用していたのは自身がフラスコから生まれたからだろう。きっと彼女はフラスコに思い入れがあったのだ。無意識に母性を求めていたのかもしれない。……マリーは報告を続ける。
「……グループ2も壊滅いたしました……」
「グループ2じゃと!? あそこにはルガトがいたはず! まさかルガトも死んだというのか!?」
マリーは頷く。テネブリスには珍しく部下を失ったことに感情を高ぶらせる。しかし、それは部下が死んだこと自体に対して激昂しているのではないことをマリーは知っていた。
「ルガトは数少ない『友』候補じゃったというのに……! 別の友候補を探さなくてはならぬではないか……! ……カストラートは何をしておったのだ!?」
「カストラートく……、……カストラートはルガトさんに吸血され、死亡しました」
「……実験吸血鬼の管理しかできぬくせに。最後まで大した役にも立たずに死んだわけか。友候補であるルガトを失う失態まで演じおって。奴を奴の一族から保護するときに要した労力を返して欲しいくらいじゃ……! 任務くらいは達成したのであろうな!?」
「は、カストラートも任務を終えてから死亡しております」
「最低限はやってから死んだか。ならば良い。……それで、ルガトをも倒した相手とは何者じゃ? ワシが殺してくれよう……!」
「……カストラートとルガトさんは複数の敵を相手にしていました。中でも特筆すべきは『黄色の髪をした吸血鬼』ではないかと」
「黄色の髪、じゃと?」
「はい。それも2体です」
「ほう。ルガトを失ったが、友候補となりうる『本物の吸血鬼』が2体も……。くく。やはり、このコミュニティを最後の地に選んだのは正解のようじゃな。……殺すのはやめじゃな。その2体、時が来ればワシ自ら迎えにいくことにしよう」
テネブリスは先ほどまでの怒りを失い、むしろ新たな『友候補』の出現で上機嫌になっていた。
「それで、マリーよ。準備は進んでおるのか?」
「はっ。滞りなく」
「ならばよい。……もう少し、もう少しじゃ」
テネブリスは顎を少し上げ、虚空を見つめて呟くのだった。