魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

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街中の黒玉・後

 

 もう何回目になるのかは覚えていない。いつからか「なのは、何かあったの?」と聞かれることが多くなってきた。何故そう思ったのか聞いてみると「なんとなく雰囲気が違う」と言われた。

 なのは自身は何ら変わりなく皆と接しているつもりだった。むしろ心配させないように努力している。ちゃんと会話はするし笑顔も作っている。一体何がおかしいのだろうかと考えてみるが結局分からなかった。

 この日もすることは変わらない。黒い化け物を倒すために試行錯誤するだけだ。もうほとんど攻撃パターンは攻略したといってもいいだろう。ただ稀に集中力が途切れてしまい突進を避けきれず当たってしまうことがあるが、そんなことよりも圧倒的な火力不足の方が大きな問題だった。

 最初の頃に比べ魔力制御は遥かに上達した。放つ魔法弾の威力も上がりポコンではなくドスンという肉を強く打ち付ける鈍い音に変わった。しかしながら、それではいつまで経っても倒すことができず最後は体力切れでやられてしまう。これまでの倍以上の時間をかければ、いずれ黒い化け物を貫けるようになるかもしれない。だがそんなの待っていられない。

 

「……この手に魔法を、レイジングハートセットアップ」

 

 なのははもうすっかり見慣れてしまった死装束……戦闘服を身に纏い杖を握りしめる。その顔からは何の感情も読み取れない。これから何でもない作業をするかのように、ただ淡々としていた。

 

(今日は久しぶりに封印魔法を使ってみようか。最初に比べ威力は上がってるはず。でも、もし上手くいかなければ死ぬのが早くなる。まぁ、その程度誤差だし気にする必要もないけど)

「リリカル、マジカル、ジュエルシード封印」

 

 フェレットは教えてもいない封印魔法をいきなり使おうとしているなのはに驚いているが、なのははもう使い方を知っているし現れるタイミングもだいたい分かっている。

 羽根を出現させた杖を振り向きざまに黒い化け物へ向ける。背中に目でもついているのではないかと思う程正確だった。直後、杖の先の空間から桜色の帯が放たれた。それは目標に接近するとぎちぎちと音を立てて縛りあげる。縛る強さが増しているようだ。

 もう一度呪文を唱えて、今度は射抜くための帯を放つ。以前とは違い、放たれた帯は全て黒い化け物へと吸い込まれていった。

 なのはは生唾を飲み込みその様子をうかがう。

 いけるか? 縛っている帯はまだ引きちぎられていない。確実に威力も上がっているはずだ。この魔法が今のところ一番強い。これで駄目なら今の私では打つ手が無い……。

 帯は黒い化け物にぶつかると体表を抉って消えた。化け物は呻き声を上げながらそれを耐え切った。

 

「封印魔法を耐え切るとは……なんて固さなんだ……」

 

 失敗したと判断すると窓縁で呟いてるフェレットを掴み上げフードの中に入れた。柔らかな毛並みが気持ち良い。

 

「しっかり捕まってて。危なくなったらすぐ逃げるんだよ? まぁいつも君は逃げないんだけどね。それとレイジングハート、突進の直撃食らいそうになってもバリアは張らなくていいからね。じゃないと私壊れちゃう」

 

 了解の声を上げるレイジングハートを一撫でし、咆哮しながら帯を引き千切る黒い化け物を見据える。拘束を解いたそいつは怒り狂いながら触手を増やし、なのはに赤眼を向けた。

 

(最初の頃に比べるとかなり威力は上がってる。でも魔力消費と割に合わないな。やっぱりもっと魔法の練習が必要だね……。理想は魔法弾だけで倒せることなんだけど……せめて魔法弾で相手を弱らせて確実に封印できるくらいにはならなきゃ。まだまだ先は長そうだね)

 

 なのはは一気に圧し掛かってきた倦怠を体に感じながら、横へトントンと2歩ステップする。それと同時に黒い化け物が横切り後ろから壁が壊れる音が聞こえた。振り返ることもなくそのまま四方に何もない場所へ移動する。

 なのはは表情変えずに杖を構え空を見上げる。屋根を突き破り飛び上がった黒い化け物が標的を探し捉える。

 今度は後ろへトントンとステップすると顔を袖で隠した。直後、先程いた場所に黒い化け物が隕石かくやと落下した。その衝撃で飛び散った土塊や石が袖に当たる。これらは当たっても痛くはないのだが前に一度、目に直撃して酷い目にあったため対策するようになったのだ。

 腕を下すとすぐさま黒い化け物目掛けて圧縮魔力を纏わせた杖を横から叩きつけた。炸裂した圧縮魔力により黒い化け物が僅かに吹っ飛ばされる。ゼロ距離で魔力をぶつけるためか魔力損失が小さく魔法弾よりも若干強いようだ。

 追撃はせず、すぐにバックステップして距離を取る。そして一度立ち止まると再び数歩後ろへ下がった。すると先程立ち止まっていた地面を触手が空気を裂きながら連打した。

 黒い化け物から一切目を離さず僅かな動きから次を予想していく。なのはは横へステップしバリアを張った。それと同時に突進が猛烈な勢いで通過し、すれ違いざまに放たれた触手をバリアが弾いた。

 フードの中でなのはの髪の毛にしがみ付いてるフェレットは、こんな状況にも関わらず何の動揺も無いなのはの顔を見つめる。その洞察力と基本魔法ではあるが使いこなしていることに対し驚いているのだ。

 本当に魔法初心者なのだろうか。もしかしたら自分よりも才能があるのかもしれない。だがこのままでは負けてしまう。

 そう考えたフェレットはなのはに声を掛ける。

 

「一旦引きましょう。このままではやられてしまいます」

 

 フェレットがなのはの耳元で提案してくる。しかし、なのははそんなこと嫌というほど分かっていた。

 はじめ、なのはは返事をしなかった。それから数秒立ってから、突進を避けながら言った。

 

「逃げてどうするの? こいつは私たちをどこまでも追ってくる。……たぶん」

 

(私の推理では、こいつは魔力に導かれている。そうじゃないとわざわざ動物病院にいるフェレットの所に来て襲う意味がわからない。そう考えるとおそらく、巨大樹の時まで私に何も起こらなかったのは、私が一度も魔力を使ったことがないから。使ってしまった今、何処へ逃げても無駄。それどころか家族を巻き込む可能性が高くなる。だったらここで倒すしかない。それに……お姉ちゃんを殺した相手から逃げたくない)

 

「君は逃げていいんだよ? 君は私よりずっと強いはずだから力が回復するまで逃げ切って、それから戦う方がずっと賢いと思う。私は……戦わなきゃいけない理由があるから引かないけど」

 

 フェレットはどうするべきなのか考えているようでしばらく間が空く。

 

「……もともとは全部僕の責任だ。僕だけが逃げるわけにはいかない。一緒に戦うよ」

「そう。やっぱり君は賢くないんだね。嬉しいよ。でも命は一つなんだから大切にね?」

 

 全部僕の責任という言葉が少し引っかかるが、おそらく助けを求めたせいで自分を巻き込んでしまったと責任を感じているのだろう、と一人納得すると再び戦いに集中する。

 辺りに桜色の光と翠の光が点滅を繰り返す。しかし、戦況は変わらない。そんなことはずっと前から知っていた。いつも通りのことだった。体力切れで動きが鈍くなったところ、黒い化け物の突進が半身を掠め、その激痛に耐える。これもいつも通り。痛みで動きが鈍くなったところに突進が直撃する。

 何度も何度も何度も繰り返してきたいつも通りの結果に終わった。

 

 

 

 

 

「今日で倒す……」

 

 なのはは右手を頬に当てながら目を瞑る。一体脳裏に何を思い浮かべているのか。その表情には何の色もないが声には気迫を感じ取れた。今回は手紙を書いていない。そのことから、なのはの決意がどれ程のものか窺い知れるだろう。

 ゆっくりと目を見開く。光の届かぬ深海のように暗い瞳だった。だが、その奥底に絶対の意志がちらとひらめいていた。

 もう一字一句覚えてしまったフェレットの説明を聞き、レイジングハートを受け取る。そしてもうすっかり暗記してしまった起動パスワードをフェレットの後に続けて唱えた。

 バリアジャケットと杖をイメージする。体が光に包まれ、いつもと変わらぬ戦闘服に身を包んでいた。しかしその手に持っている物はいつもと……変わらぬ同じ杖だった。

 

(おかしいな。ちゃんとイメージできたと思ったんだけど……無意識に使い慣れた杖イメージしちゃったかな)

 

「……レイジングハート。思い浮かべたイメージと違うんだけど」

 

 なのはは当惑しながらレイジングハートに声を掛けた。レイジングハートは一言謝ると杖を再構築した。

 柄のデザインはかつてと変わっていない。しかし金色の柄頭は大きく異なっていた。

 レイジングハートを中央に、片側は拳大程の鎚、反対側には反りのある鋭く尖ったピック、先端にはこれまた鋭く尖った円錐が突き出していた。もはや杖などではない。ウォーハンマーだった。

 魔法弾の威力はあれから更に上昇した。それは黒い化け物を怯ませ、肉を浅く抉れるまでになった。しかし、それは致命傷にはならない。撃ち続けていればいずれ弱らせることはできるだろうが、やはりなのはの体力が無くなり攻撃を受けてしまう。封印魔法も致命傷にはならなかった。固い剛毛と外皮に阻まれて威力が減衰してしまう。

 そして、だったら外から体表を突き破りそこから封印魔法を直接流し込んで爆散させてしまえば良いではないか、と閃いたのが前回の最後。

 これはいける。根拠などないが何故か確信できた。自分は天才に違いないと久しぶりに内心で小躍りした。同時にどうしてもっと早くに気が付かなかったのかと落ち込んだ。そうして相応しい武器を考えた結果がこれである。

 魔力を纏わせハンマーを振ってみる。それは緩やかな桜色の弧を描いた。足腰に力の入ったその動作は以前のようにふらふらではなかった。

 なのはは「よし」と一つ頷く。視界に黒い影が映った。

 

「いくよ、レイジングハート」

 

 ユーノを引っ掴むと横へ軽く跳んだ。もう何度となく繰り返した動作。完璧にできるようになるまで数えきれないほど失敗した。今は体力が続く限り失敗は無い。

 空地へ移動するとフェレットをフード中へ押し込んだ。ハンマーを両手で持ち、黒い化け物を待ち構える。

 破壊音と共に黒い化け物が空中に姿を現した。体に刻み込まれたタイミングで、体に刻み込まれた距離バックステップし、顔を横に背ける。黒い化け物の落下で弾かれた石がフードの側面に当たった。

 

「リリカル、マジカル……」

 

 ふと、最初の頃の自分が脳裏を過ぎる。姿を見ただけで恐怖で心臓が激しく脈打っていた。姿を見ただけで恐怖で足が震えた。そして、なすすべも無くやられていた。それが今はどうだろうか。敵を討たんと血が滾る。敵を討たんと手が震える。最初の頃とは真逆の理由で緊張し、全身が汗ばみ、喉が渇く。

 

(今の私はどんな顔をしているのかな……)

 

 自分の顔が愉悦で醜く歪んでいるような気がして不安になった。実際は何の表情も浮かんでいなかった。

 全力の魔力を注ぎ込んだ眩い桜色を纏ったハンマー。なのはは渾身の力を込めて振るった。桜色の残像を残しながら進むそれは、硬直している黒い化け物の巨大な赤眼にグシュという音を立てて突き刺さった。

 始めて感じた確かな手応え。その感触は心地よかった。

 

「ジュエルシード封印っ!」

 

 魔法を解放。黒い化け物の眉間に文字が浮き上がり激しく光った。体を内側から突き破った光が夜の暗闇を桜色に染め上げ、草木に影をまく。

 繰り返してきた日々が走馬灯のごとく駆け抜ける。

 必ず倒すと誓った言葉。それが今まさに実現されようとしている。

 断末魔を上げた黒い化け物は体全体が激しく光り、弾け、そして消えた。

 耳が痛くなるような静寂が辺りを包みこんだ。今さっき起こったことがまるで幻のように感じられた。

 黒い化け物と戦った回数は数えきれない。しかし倒したのは今回が初めてだ。それ故に全然実感がわかなかった。

 ハンマーを両手で固く握りしめたまま、ぼんやりした顔でペタンとその場に座り込んだ。一種の放心状態だった。目の前には菱形の青い宝石が落ちている。

 フェレットが宝石の前に飛び出した。

 

「これがジュエルシードです。レイジングハートで触れて」

 

 まだ興奮から冷めないのか、荒い息でじっと抉られた地面を見つめたまま何の反応も見せない。そんななのはにレイジングハートが声をかける。はっと我に返ったなのはは座ったままジュエルシードへとハンマーを伸ばした。するとジュエルシードはレイジングハートに引き寄せられ溶けるように取り込まれた。

 そしてバリアジャケットとハンマーは光となって霧散し、小さくなったレイジングハートがふよふよと手元にやってくる。

 

「これで……いいの?」

「はい、あなたのお蔭で無事、封印できました。ありがとうございます」

「そう……」

 

 再び抉れた地面を見つめると何を考えるともなく、物思いにふけりながらそこにじっとしていた。

 フェレットはそんななのはを黙って見つめている。巻き込んでしまったことに対して責任でも感じているのだろうか。

 

「私は……本当に勝てたの?」

 

 誰に問うでもなく独り言のように小さく呟いた。

 フェレットがなのはの言葉を理解し返答するよりも先に、レイジングハートが肯定しなのはを褒めた。なのはは「そっか……勝ったんだ」とまるで他人事のように呟いた。

 遠くから聞こえるサイレンの音が徐々に近づいている。

 

「行こっか」

「え?」

 

 震える足に力を入れ立ち上がると、動物病院を離れるべく歩き出す。ふと、何かに気付いたように立ち止まり振り返る。そして先程の場所から動いていないフェレットに「何してるの? 早く行こう?」と声を掛けた。フェレットはどうするべきか逡巡したようだったが頷くとなのはの元へ駆け寄った。

 今まで同じことの繰り返しだった。そのせいか、この現状がなんだか夢を見てるようで、全然実感がなかった。ここから先はまだ一度も経験したことない。本来ならそれが普通のはずだが、今はそれが不思議だった。

 そういえば、となのははフェレットの名前を聞こうとしていたことを思い出した。

 

「私は、なのは。高町なのはだよ。君の名前は何ていうの?」

「え? あぁ、うん。僕はユーノ・スクライア。スクライアは部族名だからユーノが名前です」

「そう、ユーノくんね。可愛い名前。それでユーノくん。いきなりなんだけど、このカゴに入ってくれないかな? 別に肩に乗ってもいいけど」

 

 自転車のスタンドを蹴りながら、カゴを指さす。ユーノは頷くとカゴに飛び込んだ。なのはは「ちょっと揺れるかもだけど我慢してね」と薄く微笑むと、足に力を入れ我が家を目指す。

 

「すみません。あなたを巻き込んでしまいました……」

「別に気にする必要ないよ。私には私の目的があって関わってるんだから。それとなのはでいいよ」

 

 その後に「一緒に死ぬ思いをして戦った仲なんだから」と内心で続けた。

 ユーノは萎れた声で謝るがなのはは全く気にしていなかった。むしろユーノがいなければ化け物を倒すための魔法の力が使えなかった。感謝こそすれ怒る理由などない。

 なのはは探し物をしていたユーノが偶然居合わせた黒い化け物に襲われただけであり、ユーノもまた自分と同じように巻き込まれただけなのだと考えていた。

 ユーノはなのはの目的が気になったのか首を傾げた。

 

「なのはさん……の目的ですか。よかったら聞いてもよろしいでしょうか?」

「……生きて皆と笑いたい。ただそれだけだよ。……そんなことよりごめんね? 怪我してるのに鷲掴みしたりして。……痛かったよね」

 

 憂いを帯びた表情はすぐに消え、ユーノのことに話題を変えた。正直なのははユーノが走り回ったり魔法を放ってる姿を何度も見ているためそこまで心配していなかった。本音と建前というやつだ。

 

「あぁ気にしないでください。怪我は平気です。もうほとんど治ってますから。助けてくれたおかげで残った魔力を治療に回せたんです」

「そんなことにも使えるんだ……。あ、そろそろ家に着くよ」

 

 家の門前に着くと自転車を降りる。そして扉を開けるべく門前に立った。

 手を伸ばした状態でなのはの動きが止まる。

 

「帰って……きたんだ……」

 

 自分にも聞こえない程小さな声だった。

 突然今になって黒い化け物を倒したという事実が、生き残って無事に帰ってきたという事実が心にすっと染み込んできた。同時に胸のうちがどうしようもない程熱くなるのをおぼえる。

 

「どうかしたの?」

「ううん……なんでもない」

 

 門を開け自転車を庭に入れ片付ける。ユーノを後ろに引き連れ玄関に立つ。

 

「ここが私の家だよ」

 

 震える手でゆっくりと扉を開けていく。家の中を覗くと、取次ぎに冷たい眼差しをする恭也が立っていた。

 

「おかえり」

 

 声には若干の怒気が含まれていた。しかし思いがけないその言葉に、なのはは別の意味で身震いする。

 その言葉を聞いた瞬間なのはの胸の中に、これまでかつて感じたことのないような深い感動、思わず胸騒ぎがするような強い衝動がわきおこってきた。

 

「もう暗くなっているのに何処に……」

「た……」

 

 上手く声が出せない。喉が締め付けられているかのように堪らなく熱い。口角は下がり痙攣し始める。視界が涙で霞んできた。

 

「ただい……ま」

 

 その言葉を発した瞬間、胸のなかで必死に抑えていたものが一気にはじけた。今のなのはにとってその言葉を言えることが途轍もなく幸福に感じられた。たまった涙が止めどなく溢れ、頬を伝うと顎で交わり床に落ちていった。

 

「お、おい……すまん、強く言い過ぎた。だからほら泣かないでくれ」

 

 突然泣き出し頻りに涙を拭うなのはにどうすればいいかわからず、焦った顔でおろおろする恭也。叱る気などとっくに消え失せていた。

 

「あら、どうしたの?」

 

 美由希の姿と声を確認した瞬間なのはの体は動いていた。靴を脱ぎすて、恭也の横をすり抜け美由希の元へ駆け寄り、そして抱きついた。

 

「ちょっとなのは、どうしたの?」

 

 どういう状況なのか全く分からない美由希は恭也に視線を向ける。

 

「いや、もう暗いのに内緒で出かけるのは心配するぞと言おうと思ったんだが……」

「なるほど。まぁ良いじゃない。こうして無事に帰ってきたんだし」

 

 美由希は恭也が強く言い過ぎてしまいなのはが泣いてしまったのだと解釈した。

 

「うん、無事に……帰って……きたっ。お姉ちゃんの……かたき……とったっ」

「…………そうなの。ありがとうね」

 

 何のことだかさっぱり分からない美由希だったが、泣きじゃくり涙でぐちょぐちょになっているなのはに目線を合わせると優しく微笑んだ。

 更に涙の量を増やしたなのはは「うん」と頷く。飲み込んだ涙が喉の奥でごくりごくりと音を立てていた。

 美由希はなのはを自分のもとへ抱き寄せると「ほら、泣かないの」とあやす様によしよしと頭を撫でる。その優しい手が、ふしぎになのはの気持ちをやわらげ、たちまち体から力が抜けていったように感じた。

 なのははすすり泣きながら「うん、泣か……ない」と美由希の腰に腕を回し顔を埋めた。

 複雑そうな顔をしていた恭也が玄関前で立ちすくむユーノを見つけた。

 

「イタチ? いやフェレットか? ほれほれ、おいで」

 

 しゃがみ込んで手をくいくいと動かした。ユーノはなのはの様子を見て少し気まずいのか、恐る恐る家の中に入り恭也の手元に近寄る。まさか本当に来ると思っていなかった恭也は「おぉ」と感嘆の声を上げユーノを撫でた。

 それに気づいた美由希もなのはに抱きつかれたままユーノに近寄る。

 

「あら可愛い! フェレット?」

 

「うん、今日話したフェレット。ユーノくんっていうの」

 

 なのはは顔を少しだけ離し片目でユーノを確認するとくぐもった声で言った。そして再び顔を埋める。

 美由希は「なるほど、なのははこの子が心配で様子を見に行ったのね」と納得した。

 

「それにしても逃げもせず家の前で待ってるなんて賢いなお前」

 

 恭也は両手でユーノを持ち上げじっと見つめると「母さんに見せたら悶絶しそうだな」と苦笑しながら呟いた。

 

「確かに……とりあえず中入ろっか」

 

 恭也の予想通り桃子はユーノを見た途端、狂喜乱舞した。それは宛ら、なのはのお花畑思考をそのまま体現したかのようだった。

 恭也と美由希は呆れ、なのはは美由希に抱きつき顔を埋め、士郎はユーノにお手をさせる。

 とても平和な夜だった。

 

 

 

 

 部屋の扉をノックする。手には枕が握ってあった。

 

「あらどうかしたの?」

 

 顔を出した美由希を見る。すると訪ねた理由を言うことが急に気恥ずかしくなり、しどろもどろになった。

 美由希はなのはが持っているものに気付くとすぐに理解した。

 

「いいよ。でも私、朝練するから朝早いんだけど……大丈夫?」

「うん、大丈夫。気にしない」

 

 なのはは顔を上げると枕を抱きかかえ嬉しそうに頷いた。

 部屋に入って美由希の枕の隣に自分の枕を並べる。そしてベッドにもぐり込んだ。

 そこは限りない安らぎを与えてくれる優しい匂いで満ちていて、なのははぼっと気が遠くなるような気がした。

 美由希は急に思い出したのか「ユーノはいいの?」と聞いてきた。

 

「もう寝ちゃった。起こすのも可愛そうだからそのまま」

「そっかそっか。じゃあ電気消すよ」

 

 電気を消すと美由希がベッドに入ってくる。なのははそれを待ちわびたといわんばかりに美由希に寄り添った。

 暗闇に包まれた部屋に心地よい静寂が流れる。

 

「……朝なのはを見た時ね、急に大人びてるというかなんというか……変わった雰囲気を感じたんだけど、やっぱりまだまだ子供だね」

 

 美由希はなのはと向かい合うと嬉しそうに笑った。

 

「だってまだ3年生だもん」

 

 そう言って美由希の胸に顔を押し当てる。美由希の暖かな体温を感じ安心する。他愛ない会話をしながら、この幸せな時を止めてしまいたいと思った。

 気づかぬうちに胸の奥底で凝り固まり、一点の影となっていた何かがゆっくりと解されていくような感じがした。

 この優しい夜、なのはは果てしない幸福に包まれながら眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 なのはの部屋に置かれたバスケット。その中で寝ていたユーノは、瞼越しに幾度となく点滅する光を感じて目が覚めた。

 一体なんの光だろうかと顔を上げるとハンカチの上に置かれたレイジングハートからだった。

 わけがわからず、つい声をかけてしまう。

 

「ど、どうかしたの? レイジングハート」

 

 点滅が止まる。少し間が空いてから「別になんでもありません」と返された。そして再び点滅を始めた。

 わけがわからないっ! ユーノは心の中で絶叫した。

 これ以上何と声を掛ければいいのか分からないため無視して眠ることにした。

 

(………………寝れない。)

 

「あのさレイジングハート……。点滅するのやめてもらってもいいかな? その……眠れなくて」

 

 点滅が止まる。少し間が空いてから「さっきまで寝ていたではないですか」と返された。そして再び点滅を始めた。

 一体何だっていうんだ! 再びユーノは心の中で絶叫するとバスケットに敷かれてあるタオルにもぐり込んで固く目を閉じた。

 結局レイジングハートの点滅は朝なのはがやってくるまで続くのだった。

 

 


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