魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

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神社の魔獣・後

 緋色の魔法弾が降り注ぐ中、右目にハンマーを突き刺さしたまま一切身じろぎせずに佇む巨大で凶悪なその姿は、夢に出てきそうなほど不気味であった。そしてそこから少し離れた位置で、なのはは天を仰ぎ、白いスカートを揺らし、舞でも踊るかのように動き回っていた。

 幾許かすると魔法陣の色が薄くなり始め、もうすぐ焦げ茶の獣が動き出すことを告げる。

 なんとか避ける方法はないものかと額に汗を浮かべながら必死に思考を巡らせるが、ついに思い浮かばないまま魔法陣が消えてしまった。

 なのはは決死の覚悟をすると、一瞬で残りの魔法弾を脳裏に焼き付け視線を焦げ茶の獣へと向ける。もう既に硬直は解けて動き出していた。

 脳裏に焼き付けた魔法弾の配置を思い浮かべながら空からの攻撃を回避し、それと同時に襲いかかる爪も回避する。直後、鼻先一寸を魔法弾が通り過ぎていった。

 一気に肝が冷えるのを感じながら、なのはは急いで焦げ茶の獣の懐へと飛び込み、残りの魔法弾を防ぐ。そして外に駆け出し焦げ茶の獣から距離を取った。

 心臓がわけがわからない程に荒れ狂っている。自分がとった行動のはずなのに何が何だか分からなかった。全てが一瞬だった。しかし、呆けてる暇は無い。なのはは拡散した意識を焦げ茶の獣へと集中させる。

 自らの力だけで魔力を圧縮し魔法弾を生成すると、焦げ茶の獣の右目でぶら下がっているハンマーに向けて撃ち放ち、その衝撃で地面へと落とした。魔法弾はレイジングハートの補助がある時に比べ生成に時間が掛かったが威力は殆ど変わらないようだった。

 轟音を立てて迫りくる巨大な尻尾を地に伏せ躱し、その次に繰り出される飛びかかりや左右からの猛攻を繰り返し刻み込まれたタイミングで完璧に避けていく。そして足の間を潜り焦げ茶の獣と入れ替わると、地面に転がるハンマーを拾い上げた。

 

「ごめんね、レイジングハート」

 

焦げ茶の獣を見据えままレイジングハートについた砂を袖で拭う。返ってきた言葉は分からないが、おそらく気にしないでとでも言ってるのだろう。

 

「大丈夫、私には妙案があるの」

 

 それはレイジングハートに言った言葉というより、まだどうやって倒すのか考えついていない自分を落ち着かせるための言葉だった。

 再び襲い来る一瞬で命を刈り取る攻撃を掻い潜りながら、いかにこの状況を打開するかを考える。

 魔法発動直前の硬直は短すぎる。その時に封印しようとしても、先に魔法弾に当たってしまうだろう。もっと長い硬直時間を狙わなければならない。つまり魔法を使っている最中だ。

 焦げ茶の獣が大きく後ろに下がった。いよいよ2周目に突入である。これで決めなければ勝ち目はない。

 焦げ茶の獣を魔法陣の範囲内に入れないようにするため、なのはも後ろへ数歩跳躍し距離を空ける。そして、なのはは頭上に魔法陣が展開するのを認めると、魔法弾が降り注ぐ前に出来る限り焦げ茶の獣に近づき、魔法陣範囲外までの距離を縮めた。跳躍魔法により、今までとは比較にならないほど移動距離が伸びたことに、なのはは自分がチートでも使っているような気分になった。

 魔法弾が降り始めると、蝶のように舞いながらそれを躱していき着々と焦げ茶の獣との距離を縮めていく。これさえクリアできればもはや勝利は目前。ミスなんて許されない。普通ならば勝利が目に見えてくるとあまりの重圧と興奮で冷静さを失うところだが、なのはは違う。心には天高く燃え盛る赤い炎を灯し、頭には静かにそれでいて力強く燃える青い炎を灯す。ゲーム人生で培ってきた冷静さで淡々と勝利を目指すのだ。

 

《ごめん、なのは。ここから抜け出せない》

 

 大変ションボリした声でユーノから念話が来た。なのはは無視した。

 そしてついに魔法陣の外へと辿り着く。背後では未だ雨が降り続いている。なのはは急いで焦げ茶の獣に近づくと目を瞑り、宙に固定された床を焦げ茶の獣の顔の側に強くイメージした。するとイメージした場所になのはの身長ほどの大きさで桜色の魔法陣が展開された。

 

《なのは?》

 

 ハンマーに封印魔法を纏わせ魔法陣に跳び乗る。靴と魔法陣の間でコツンという音が鳴った。

 なのはは、戦意に満ちた目で睨めつけてくる焦げ茶の獣を何の感情も読み取れない瞳で見返し、己の行動を定める。

 足を広げ、腰を落とし、床を踏みしめ、ハンマーを構えた。

 恭也が自分を美由希に託した時の姿が、その最後の後ろ姿が、今に至るまでの日々が途切れること無く脳裏を掠める。

 

「お兄ちゃんの無念受け取って」

 

《もしもしなのは、聞こえてる?》

 

 光放つハンマーは緩やかに動き出し一気に加速。桜色の点は線となり焦げ茶の獣の右目を再び貫いた。

 

「ジュエルシード封印!」

 

《おかしいな……ちゃんとつながってるはずなんだけど》

 

 右目から流れ込んだ桜色が体の隅々まで充満し、焦げ茶の獣を体内から焼き尽くす。絶対に勝てないと思ってしまうような圧倒的な恐怖と強さを持つ敵が、今や断末魔を上げ目の前で光の粒となって消滅していく。そして残ったのは2つのジュエルシード。

 なのはは魔法陣から飛び降り、地面に転がるジュエルシードをレイジングハートで回収する。

 激闘だったはずなのに、終わってしまえばどこか呆気無く、何度も繰り返してきた日々がつい最近のことようにも、遠い過去のことのようにも感じられた。

 突然訪れた静寂が耳に痛い。全ては自分の見ていた幻であり実際には何も無かったのではないか、と錯覚してしまいそうになるが、地面の穴や宙に浮いた魔法陣が全て現実に起こったことだと物語っていた。

 レイジグハートがいつものように労いの言葉をくれる。多分労いの言葉だとなのはは思っている。

 

「うん、ありがとう……ところで、この魔法陣どうやって消せばいいんだろ」

 

 少し首を傾げながら、困った表情で先程まで使っていた魔法陣を見つめる。それを聞いたレイジングハートがなのはに何か一言かけてから光った。すると、魔法陣は弾けると光りになって一瞬で消えた。

 

「ありがとうレイジングハート。ついでに服も戻してもらって……」

 

 レイジングハートに服を戻してもらおうとした時、境内の入り口から靴裏が地面に擦れる音が聞こえてきた。反射的にその方向を振り向くと、知らないおじさんが呆けた顔で立ちすくみ、じっとなのはを見ていた。

 なのはの心臓は跳ね上がった。別に一目惚れとか恋に落ちたとかそういうわけではない。ただびっくりしただけである。

 なのはは咄嗟にフードを目深に被りハンマーを両手で抱えると、脇目もふらず今出せる最高の速さでその場から逃げ出すのだった。

 

 

 

 

 なのはは小さくため息をつき、公園のベンチに座った。さすがに服は街に出る前に制服に着替えてある。

 

「……びっくりした」

 

 考えてみれば当然のことだった。空に巨大な魔法陣が2回も出現すれば人の一人や二人来てもおかしくない。むしろ来ないほうがおかしい。おじさんが一体いつから見ていたのかは分からないが、身元がバレることはおそらくないだろう。しかし、境内が穴ぼこだらけになっているため、ニュースくらいにはなりそうだ。

 なのはは俯くと目を閉じる。疲れきった体は鉛のように重く、今にも眠ってしまいそうな勢いだった。しかし、その時ふと思い出した。

 

《ごめんユーノくん。ジュエルシードの封印で忙しかったんだ。ちゃんと封印できたから安心して》

 

《なのは! 無事でよかった! なのはに何かあったんじゃないかと思って、なりふり構わず建物から抜け出してジュエルシードの反応があった場所に向かったんだけど、なんか人がたくさんいて地面も穴だらけだったから、もしかして……その……なのはが暴走体にやられてしまったんじゃないかと思ってたんだ》

 

 ユーノの声はどこか湿っぽく、今にも泣き出しそうだった。いや、もしかしたら自分を責めて既に泣いていたのかもしれない。

 なのははユーノが自分を心配してくれたことを嬉しく思うと同時に、今まですっかり忘れていたことを申し訳なく思い苦笑いした。そして公園の景色を眺めながら何と言葉をかけようかと考える。

 

《……おやおや? ユーノ、もしかして泣いておるのか? ふぁふぁふぁ、わしは死なん。たとえ巨大な尻尾で叩き飛ばされ、鋭い爪に切り裂かれ、魔法弾が直撃し、足で踏み潰されようとも、何度だって蘇ってみせる。…………なんてね。心配かけてごめん》

 

《謝らなくていいよ。ジュエルシードも封印してくれたみたいだし、それに何よりなのはが無事でいてくれて本当に良かった》

 

 なのははユーノの言葉になんだか照れくさくなり、無意識に体をもじもじさせ視線をあちこちに彷徨わせた。傍らから見ると一人で公園のベンチに座っている下校途中の挙動不審な少女Aである。

 

《うん……ありがとう。ところでユーノくん今何処にいるの? 迎えに行くよ》

 

 ユーノはまだ神社にいるらしかった。今なのはは神社に近寄りたくなかったが、別の場所を指定してユーノが迷って居場所が分からなくなるのも困る。

 なのははベンチから立ち上がると再び神社へと足を向けた。

 

 

 

 

 ユーノを連れて家に帰る頃には既に日は傾き、夕焼けに染まった空に奇妙な形をした橙色のちぎれ雲が点々と浮かんでいた。

 家に着くと、玄関に恭也が立っているということもなく、ごく普通の帰宅になった。

 相変わらずユーノは人気者だった。なのははその愛でられている姿がなんだか懐かしく感じられ、楽しそうに見つめるのだった。

 夕飯を食べ終わると自分の部屋に行きユーノの寝床を作る。今回は掛け物も準備した。なのははこれでユーノも快適に寝れるだろうと一人頷くと、レイジングハートを机の上に置き部屋を出ようとした。しかし、レイジングハートは点滅しながら浮かび上がるとなのはの手元に戻ろうとする。

 

「どうしたの? レイジングハート。お風呂に入ってくるだけだから、寂しいかもしれないけど我慢して待っててね」

 

 レイジングハートは普段あまり話さないのだが、なにかとなのはと一緒にいようとする。それをなのはは恥ずかしがり屋で寂しがり屋なんだなと解釈していた。

 点滅が止まりおとなしくなったレイジングハートを再び机に置き軽く撫でると部屋を後にした。

 シャワーの音が扉越しに聞こえてくる。脱衣籠の服を見ると恭也が入っていることが分かった。

 なのはは服を脱いであっという間にすっぽんぽんになる。

 

「お兄ちゃん、一緒にお風呂入っていい?」

 

「ああ、いいぞ」

 

 返答を聞くやいなや脱いだ服を拾い集めて籠に放り込み、扉を開け風呂場へと突撃した。恭也はさっきまで体を洗っていたようで、体に付いた泡を流しているところだった。

 さっそく湯船に浸かろうと片足を上げる。

 

「おい、湯船浸かる前に掛け湯くらいしろ」

 

「だってシャワー使ってる」

 

 なのはは上げた足を下して、丁度体の泡を流し終わった恭也を鏡越しに不服そうな目で見ると、呆れたような恭也の視線と重なった。そして「桶を使えばいいだろう」と振り向きざまにシャワーをかけられ、その予想外の攻撃に不覚にも間抜けな声を上げてしまう。

 

「ほら、洗ってやるからこっち来い」

 

「一人で洗えるもん」

 

 そう言ってなのはは恭也の前に座る。

 

「はいはい、髪洗うぞ。ちゃんと目閉じてろよ」

 

 恭也はなのはが頷くのを確認すると頭にシャワーをあてた。

 体も洗い終わると2人で湯船に浸かる。

 

「ふぁああ、良い湯だなぁ。生き返る」

 

 頭にタオルを乗せ天井を向き目を瞑る恭也を、オヤジくさいと思いながら、なのはも反対側で同じようにぐだぁっと湯船に伸びる。

 今は繰り返した日の夜で、風呂から上がると黒い化け物と戦いに行かなければならないような感覚を覚えた。といっても、繰り返した日はいつも一人で風呂に入っているため、恭也を見ればそうではではないとすぐに気がついた。

 恭也の体には士郎と同じように無数の傷跡が刻まれていた。剣術の修練でこうなったらしいが、一体どんな修練をすればこんなに傷がつくのかなのはには想像もつかない。そんななのは自身も、本来なら恭也や士郎に勝るとも劣らぬ傷を負っているのだが、目覚めると治ってるため本人は気づいていない。

 

「ねぇ、お兄ちゃんはお父さんみたいに体に傷がたくさんあるよね。痛くて逃げだしたいと思わなかったの?」

 

 なのははいつだったか士郎にした質問を恭也に投げかけた。もしかしたら別の答えが返ってくるかもしれないと思ったからだ。

 

「……この傷は俺の誇りなんだ。父さんの剣術を受け継ぐ者としての。それに確かに痛かったが、守りたいもの……守りたい人がいるから逃げるわけにはいかない。そんな痛みよりも大切な人が傷つき、失うことのほうが死ぬほど痛い」

 

 恭也は顔を上げなのはを見つめると優しげな笑みを浮かべた。そんな恭也を士郎に似ているなと思いながらぼーっと見つめていると「そのうちなのはにも分かるさ」と笑い、再び天井を見上げ目を瞑った。

 なのはは湯船の淵に腕を組みそこに頭を乗せ目を瞑った。そしてそのまま寝てしまうのではないかと思われるような声で言った。

 

「お兄ちゃんあのね、実は私同じ日を何回も繰り返してるんだよ」

 

「……へぇ、それはすごいな」

 

 何故急にこんなことを話し出したのかなのは自身でも分からかったが、きっとこれも運命なのだろうと思い続けた。

 

「うん。今この街はね、別世界から流れ着いた古代遺産のせいですごく怖いお化けが出るんだ。私が見たのは黒い毛玉みたいなやつと、家と同じくらい大きな体で巨大な尻尾を持つ犬みたいなやつと、翼で空を飛び回り太いビームを撃つなにかと、海鳴市を壊し尽くすような巨大樹たちかな。そのお化けたちのせいで私は死んじゃうんだけど、目を覚ますと昨日に戻ってるんだ」

 

「……それは大変だな」

 

「うん、死ぬほど大変だよ。それでね、ある時別の世界からやってきたフェレットさんが私に言うんだ。君には資質があるって。何の資質か分からないから聞いてみるとね、魔法の資質だって言うの。初めて聞いた時、私もうびっくりしちゃった。でね、その魔法でお化けたちを封印してほしいって頼まれるんだけど、魔法ってすごく難しくて、使うだけで封印できると思ったら大間違い。全然威力が無くてダメージ与えられないし、バリアは砕かれるしですぐ死んじゃう」

 

「……どうやって倒すんだ?」

 

「まずは攻撃を一つ一つ攻略していって、次に懐に飛び込みハンマーを目に刺して封印魔法を内側に流しこむんだ」

 

「……随分と恐ろしい倒し方するんだな。それに魔法使いなのにハンマーで接近戦か」

 

「うん、魔法弾で倒せたら楽でいいのにね。…………ねぇお兄ちゃん、友達に酷いことをしてその時謝る機会を見逃しちゃったの。そしたら友達はもうそのことを覚えてなくて、今まで通り変わらず接してくれるんだ。謝ろうとするけれど、そんな自分を友達が知った時、もう友達じゃないって言われるのがすごく怖くて言い出せないの。すると、どうせ友達はそのことを知らないんだからこのままでいいじゃないかって考えちゃうんだ。どうすればいいんだろう」

 

「その友達はなのはを捨てるような酷い友達なのか? ……それとなのはが逆の立場だったらどうするんだ? なのはは何のことか覚えていないが、その友達がなのはと同じ状況で同じことをしてきたことと、今そのことについて悩んでいることが分かった。なのはだったらどうする? お前なんか友達じゃないと言い捨てるか?」

 

「……そんなことしない」

 

 なのはは顔を上げると恭也を見た。恭也も顔を上げなのはを見る。その時頭に乗っていたタオルが湯船に落ちた。恭也は視線をそのタオルに移し「それが答えだ」と言いながら掬い上げたタオルを湯船の外で絞った。そして再び頭に乗せると天井を見上げ目を瞑った。

 なのはは、ずっと闇に包まれていた心の奥底の空間がぱっと明るくなったような気がした。やはり話して良かったと心から思った。そして感謝の言葉を述べようと口を開こうとしたその時、

 

「それにしても……主人公なのはは魔法使いで時間逆行も御手の物か。……そりゃあすごい」

 

と恭也は口元に笑みを浮かべてくくっと笑った。続けて「なのはは作家の才能があるな。物語でも書いたらどうだ」と再びくくっと笑った。

 なのはは最初からこうなるだろうなと予想していた。別に反論するつもりもない。悩み相談に乗ってもらっただけで満足だった。

 

「作家さんか……うん、そうだね。考えておく。でも私国語ダメなんだ」

 

 しかし、それではちょっと悔しい。そんな小馬鹿にしたように笑わなくてもいいではないか。

 なのはの中に悪戯心が芽生えた。こんなことを考えるのは随分と久しぶりかもしれない。

 なのはは両手を組み、上を向いて目を瞑っている恭也の方向へ向けた。

 

「ねえねえ、お兄ちゃん見て見て」

 

「んー? なんだ?」

 

 恭也が頭を起こすのと同時になのはは組んだ手を圧縮した。すると放物線を描いて放たれた水が恭也の顔面を直撃する。なのははニヤニヤと笑みを浮かべながら恭也を見た。

 恭也は一瞬呆けた顔をしたが何をされたのか理解すると、一度タオルで顔の水滴を拭って優しい笑みをなのはに向けた。そして左右握り拳を作り水面に浮かべると、交互に圧縮を繰り返した。

 

「どうかしたのか? なのは」

 

 弾幕となって襲ってくる水に、なのははなすすべもなく被弾しまくる。

 

「お、お兄ちゃん、連射とかずるいよっ」

 

「あぁ兄妹で争うことになるなんて……こんなはずじゃなかったのに。世界はなんて残酷なんだ。俺は妹を救うことすらできないのか」

 

 恭也は棒読みをしながら心底悔しそうな表情を浮かべるという、なんとも器用な真似をしながら頭を横に振ると、再び天井を見上げた。しかしその間も弾幕を張る手は止まらない。

 なのはは顔に掛からないように後ろを向こうと身を捩るが、恭也の両足が腰をがっちりと挟んでいて身動きがとれない。兄は鬼畜だった。

 

「言ってることと……やってることが……。ちょっと……ごめん謝るから許してっ!」

 

 恭也の攻撃が止む。なのははほっと胸を撫で下ろすと顔の水滴を手で拭う。そして「大人げないなぁ」と呟き口を尖らせた。良い仕事をしたとでもいうように口元に笑みを浮かべ目を瞑っている恭也は、その言葉に何の反応もしなかった。

 なのはは恭也がやっていた片手水鉄砲を真似してみる。しかし、なかなか上手く飛ばすことができず低く唸った。腕が疲れると早々に諦め、黙って浸かることにした。

 じっと恭也を見る。いつかの後姿が脳裏に浮かぶ。本当に頼りになる兄である。なのはは視線を恭也から外すと思い出を懐かしむかのように目を伏せた。

 天井にぶら下がった水滴が湯船に落ちて、ぴちょんという音が風呂場に反響した。

 

「お兄ちゃん……ありがとうね」

 

「……顔をびしょびしょにされたことがそんなに嬉しかったか?」

 

 頭を起こした恭也はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。なのはは視線を恭也に戻すと両手を組んだ。

 

「違うよ、お兄ちゃんのばか」

 

 なのはは水鉄砲を恭也の顔に放ち、そのまま湯船から出た。

 

「先に上がるね」

 

「なのは……今度釣りにでも行くか」

 

 立ち止まったなのはは一瞬呆けた顔をして恭也を見る。何故急にそんなことを言い出したのかは分からないがそれも良いかなと思った。そして今からする約束が無くならないことを願った。

 

「…………いいよ。でもムカデみたいなの触りたくないからお兄ちゃんがつけてね」

 

 恭也は顔をタオルで拭うと、少し眉を寄せて困ったように、そしてどこか物悲しげに微笑むなのはを黙って見送るのだった。

 その晩、なのははベッドに疲れきった体を投げ出すと、ユーノとほとんど話すことも無く深い眠りに沈んでいった。

 長い1日がやっと終わった。

 

 

 

 


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