魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

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プールの竜・前

 今日も目覚ましが鳴る前に目を覚ましてしまった。再び寝ようと思えばすぐに寝れるだろう。むしろ、少しだけ眠い。

 なのはは迷う。このまま眠ってしまうのはとても気持ちが良いに違いない。しかし、魔法の練習をした方がずっと有意義であり必要なことだ。それに昨日ユーノが見せてくれた練習も試してみたい。そう何度も頭の中で繰り返していたが、不思議とそれらが、この束の間の睡眠よりもさほど重要な事には感じられず、いつまでたっても拮抗したままだった。

 どうしようかと布団を頭まで引き寄せながら、眠そうな唸り声を上げた。しばらく足首を動かしたり体の向きを変えたりして、眠らないようにもぞもぞ動いていたが、やがてその動きは止まりピクリとも動かなくなってしまった。

 それから数分が経っただろうか。急に布団をめくり上げたなのはは、がばりと勢いよく起き上がった。しかし、その目はいまいち焦点が定まっていない。

 

「危ない、寝てた」

 

 なのはは枕元で光るレイジングハートに挨拶し首にかけると、綿にくるまれているかのように気怠い体に鞭を打ち、道場へ向かった。

 早速魔法弾を一つ生成すると、持ってきたペットボトルを放り投げてぶつけてみた。イメージするのはユーノが見せてくれた魔法弾の軌跡。

 一発目は良かった。ほぼ想像した通りに弾かれた。続いて回転する的にニ発目をぶつけた。するとそれは、とんでもない方向へと飛んで行き、しんと静まり返る空間に、けたたましい音を反響させながら転がった。

 それを聞いたなのはは飛び上がった。そして慌てて音の原因に駆け寄ると、それを拾い上げ胸に抱き、心臓をばくばくさせながら闇に溶け込むかのように息を殺して、しばらくじっとしていた。今の音のせいで誰か来るのではないかと気が気でなかった。

 別に隠れる必要なんて何処にもない。今のなのはは、家族やアリサすずかになら、魔法のことを見られても見られなくても正直どっちでもいい、と考えている。現にユーノは第三者に魔法を見られているのだから。とはいえ、もちろんわざわざ見せるようなことはしない。ただ見られた場合前のように必死に隠す気はなかった。ジュエルシードのことを除いてだが。

 しかし、それとこれとは別である。なのはは、やましいことなんてしてない、と自信を持って言えるだろう。それでも何故か分からないが、姿を見られないよう隠れなければならない、というような一種の強迫観念によって、なのははつい反射的に身を潜めてしまった。

 

「…………あほすぎる」

 

 その呟きは自分の浅はかなさに対してなのか、隠れたことに対してなのか。

 なのははようやく心拍数が落ち着いてくると、ふうと息を吐いて床に座り込み、ペットボトルを脇に置いた。そして二つの魔法弾を作りだすと黙って魔法制御の練習をすることにした。だがそれは、そっちを動かしこっちを動かしの、しっちゃかめっちゃかな状態だった。両方同時に動かそうとするが、片方ばかりに意識が向いてしまうのだ。

 なのははあまりにも思い通りに行かず、上手く操れない自分に苛立った。三つの魔法弾を簡単に操っていたユーノが、化け物かなにかに思えてきてならなかった。そして、そんな今も部屋で心地よく寝ているであろうユーノに向けて「なんであんな簡単にできるのさ。意味分かんないよ!」と愚痴った。おかげで日が昇る頃にはもう、精神的にも肉体的にもどこか疲れきってていた。

 そんないつもとちょっとだけ違う朝を過ごし、通学鞄とは別に、水着やバスタオルなどが詰め込まれた鞄を持ったなのはは、放課後のイベントに思いを馳せながら家を出た。

 午前授業だけで終わりというのはなんと素晴らしいことか。今日の授業が全て終わってしまうと、なのはは大きく伸びをする。

 もう見慣れた授業じゃない、と嬉しく思ったのは最初だけ。やはり、なのはにとって授業というのは退屈なものに変わりなく、ましてや学校が終わると皆と遊びに行くのだ。戦闘に関することについて考えるのも忘れ、開放的な窓の外、中々進まない時計の針、前の人の揺れ動く頭、ついでに黒板とノートに視線をぐるぐる回し、唐突に襲ってくる睡魔と闘いながら、早く学校終わらないかとそればかり考えていたのだ。

 なのはは帰りの会なる最後の儀式を、かばんの上に突っ伏しながら連絡事項以外の全てを聞き流す。毎日同じ会話を聞き、同じ行動を見て来たからだろうか。それとも、年不相応の過酷な日々に身を置いているからなのか。なのはは日に日に、周りの子の言葉と行動の全てが、どこか稚拙に感じられて、どうでもいいことばかりに感じられて、自分が一人世界から切り離され、ぽつんと孤立してしまったかのような錯覚を覚えることが多くなっていた。といっても、もともとアリサとすずか以外の人たちとは、それほど仲が良いというわけではないため、別に悩むに値しないことだった。

 アリサとすずかへの認識は以前と変わらず、いやむしろ二人と自分の関係について思い悩んだ結果、前以上に掛け替えの無い存在になっていた。それにたとえ二人が幼く思えてきたとしても、なのははきっと、それを良いことに二人をからかうに決まっている。何も問題ないのだ。

 

「なのは早く行こ! ほら、すずかも急いで!」

 

 放課後になった瞬間、アリサが二人を急かす。よほど楽しみなのだろう。なのはにはその気持ちがよく分かった。なのはは前回、アリサ同様学校が終わった瞬間鞄を持ち「そうだよ! すずかちゃん急いで!」とアリサと共に駆け出していたのだから。置いて行かれたすずかは、すぐに二人に追いつき怨嗟の声を零していたのは良い思い出である。

 しかし、今回のなのはは一味違う。教室を飛び出したアリサの後ろ姿を、すずかと共に温かい目で見送った。

 

「アリサちゃん元気だね」

 

「そうだね。でも私は、なのはちゃんも一緒に行っちゃうかと思ってたけど……予想はずれちゃったみたい。置いて行かれたらどうしようかと思ってたよ」

 

 まぁいつものことなんだけどね、と楽しそうににんまり笑うすずかを見て、なのはは今はじめてすずかの視点が分かった気がした。

 

「さ、行こっか。急がないとアリサちゃんいじけちゃうよ? 私だけはしゃいでバカみたいじゃない、二人は楽しみじゃないの、ってね」

 

 すずかはよく分かっている。なのはは、まるで自分とアリサは幼い子供で、常日頃からすずかに見守られているように感じられ、気恥ずかしくなった。しかし改善する気はこれっぽっちも起こらなかった。このままでいいのだ。

 教室を出ると、廊下の少し行ったところでアリサが立ち止まっていた。そして二人が来たことを確認すると、待ちきれないといった風に「早く早く!」と走りだした。なのはとすずかもお互い笑みを浮かべあってから、アリサを追って走った。

 

 

 

 

 ラベンダーのショートヘア、見た感じクールな印象を受ける仕事のできる大人の女性、ノエル・エーアリヒカイト。

 ノエルとは対照的にロングヘアであり、美由希よりも少し年下くらいだろうか。どこかおっちょこちょいな印象を受ける可愛らしいファリン・エーアリヒカイト。

 車でなのはたちを迎えにきたのは、月村家のメイドであるその二人だった。この二人も一緒にプールで泳ぐことになっている。メイドといっても月村家では家族同然の存在であり、とても大切にされている。ちなみに、二人とは関係ないことであるが、すずかの姉である忍は恭也と恋仲にある。だが、残念ながら今日忍は来ない。

 恭也、美由希、ユーノはすでに到着していた。

 なのはは、恭也とノエルが受付で支払いを済ませる姿になんとなく視線を向けた時、ふと、料金表に目が止まった。そして、入場料が自分の財布の中身の半分ほどであることに愕然とするのだった。

 

「あ、この子この前のフェレットよね? ユーノって名前だっけ。よしよし、ユーノもついてきたのね。……もう怪我は直ってるみたいね」

 

 アリサはユーノを顔の前まで持ち上げ少し眺めた後、手のひらの上に乗せ毛並みを楽しむかのよう撫でた。

 

「その子、フェレットなんですか? ちょっと違うように見えますけど。でもおとなしいし可愛いですね。私も撫でてみていいですか?」

 

 ファリンはアリサからユーノを受け取ると嬉々として撫でたが、恭也たちが戻ってくるとアリサの手に戻した。

 アリサはユーノを抱くと、意気揚々と皆と更衣室へと向かう。その時、何故かユーノは手から抜け出そうと身体を捩り始めたが、アリサに叱られますます拘束が強くなってしまった。ユーノはなのはに助けを求めるかのように視線を送るも、なのははそれに気付くことは無かった。ならば自分の力で抜け出すしか無いとでもいうように、なのはから視線をはずし力を振り絞った。しかし抜け出すことは叶わず、皆が服を脱ぎだしたところで、ユーノはついになのはに念話を送った。

 

《なのは! なのはっ! 僕は恭也さんの方に行くよ!》

 

《え、どうして? いいじゃんべつに》

 

「なのは、ユーノがめちゃくちゃ暴れるんだけど。私嫌われてるのかな?」

 

「そんなことないと思うよ? きっとユーノくんも早く泳ぎたくて仕方ないんじゃないかな?」

 

《ちがうよっ!》

 

「なるほど。ユーノ! もう少しだから我慢してなさい!」

 

 一体ユーノは何をそんなに必死になっているのだろうか。もしや恥ずかしがっているのだろうか、フェレットなのに。なのはは少し考えたが、まあいいか、と服を脱ぎ捨てロッカーに押し込めると水着を着た。その時、レイジングハートをどうしようか少しばかり悩んだが、付けて行くことにした。

 ここの施設には流れるプール、飛び込みプール、温泉プールなどがあり、屋内のため外の天気や気温に左右されることもない。平日だからか、それほど混んでいるわけではないようだ。

 

「よし、流れるプールに行きましょう」

 

 アリサの提案になのはもすずかも異議を唱えること無く賛成した。そして、なのはは恭也に三人で泳いでくると告げた。

 

「あ、私も皆と一緒にいきますね」

 

 そう言ってファリンもなのはたちに加わった。その理由は楽しそうだから、と言うよりは見守るという意味合いが強いだろうが、ファリンが大人組の中で一番小学生組と気が合うのも確かである。

 アリサは周りに人が泳いでいないことを確認すると「二人とも見てなさい! 私の華麗な飛び込みを!」といって飛び跳ねると、バンザイをしながら足からプールに沈んでいった。

 

「アリサちゃん、飛び込みはダメだよ! それと残念ながら私のほうが華麗かな!」

 

 そう言うやいなや、なのはもアリサの後に続き、鼻を摘みながら水面に向かって跳躍し尻から落ちた。どちらも華麗とは言い難い。「なのはちゃんも飛び込みしてるよ」とツッコミながら二人に続いたすずかの飛び込みこそが、真の飛び込みであり華麗だった。

 見ていたファリンに危ないと叱られるが、三人はそれすらも楽しいとでもいうように、顔を見合わせて笑った。

 

「ねえ、流れに逆らってあそこまで先に泳いだほうが勝ちね」

 

 そんないかにも子供っぽいことを提案する自分に、自分は何を言っているのだろうか、バカなことしているな、となのはの冷静な部分が呆れ困ったように笑うが、身体は楽しさに身を任せ泳ぎだす。犬かきで。

 

「私に勝とうなんて一万年早いわ!」

 

 アリサは両手を伸ばすと顔を水面に付けたままバタ足を始めた。水面から一切顔を上げないため「アリサちゃん、泳ぐの苦手じゃん」というなのはの言葉を聞くことはない。

 

「アリサお嬢様は随分と強気ですね。しかしながら私の勝ちに揺るぎありません」

 

 ファリンはもはや勝ちが確定したと言わんばかりの意気込みで平泳ぎを始めた。

 

「三人とも……流されて……るよ!」

 

 すすかはクロールを始めると、息継ぎしながら、どんどん遠ざかっていく三人に向けて言い放った。水の流れなどものともしないその泳ぎは、競泳選手のようであった。

 そんな四人を、ユーノはどこかぼんやりしながらプールサイドで眺めるのだった。

 

 

 

 

 どのくらい息を止められるかということで、死んだふりをしながら水面を流れてゆく、ファリンを含めたなのはたち四人。おかしな光景である。

 なのははまだまだいけそうだったが、ちょっと苦しくなってきたため、早々に諦め身を起こした。皆はまだ水面に頭と背中を浮かせたまま流されており、なのはがビリのようだ。

 なのははそのまま後ろに倒れ込むと、力を抜いて身体を浮かせた。流れていく天井の模様を目で追いながら、何を考えるともなく、楽しい、気持ちいい、という感情にただ心を委ねた。今までの繰り返してきた日々は一時の悪い夢であり、今はもうすっかりそれから覚めてしまったように感じられた。

 ユーノは少し歩きまわってくると言って何処かに行ってしまった。そんなユーノになのはは、居心地悪いのだろうか、と無理やり連れてきたことを申し訳なく感じた。

 ユーノが感じてる責任は自分よりも大きいのだろう。しかしだからといって、そればかり思いつめるのは良くないと考えての行動だったのだが、それは自分の現状が基準であり、それがユーノに当てはまるとは限らない。なのはは余計なお節介だったのかな、と少し落ち込んだ。

 

「ぷはっ! もう無理限界! はぁ、また負けかぁ。ま、なのはに勝ったからよしとしましょう!」

 

「チッチ、アリサちゃん、私は手加減したのだよ。本当なら……!」

 

 なのはの言葉は、ジュエルシードの反応が脳裏を走ったことにより途切れた。なのはは瞬時にそれを理解し、一気に血の気が引いた。心臓が止まってしまいそうなほどの焦りで身体も固まってしまう。どうして今。皆がいるのになんで。どうすればいい。それだけが頭で繰り返され、思考は停止したまま身動きが取れなかった。

 

「ふふ、そういうの何ていうか教えてあげましょう。負け犬の遠吠えっていうのよ? ……なの」

 

 混乱して頭の中がぐちゃぐちゃになっていた時、瞬きする程の時間で世界が切り離された。周りから人は消え去り、なのはのみがぽつんと取り残されている。そこでようやく、はっと我に返り、ジュエルシードのことに意識を向け、自分がなすべきことを考え始めた。

 

《なのは、ジュエルシードが現れたみたいだ。結界を張ったから、とりあえずは外に危険はないよ》

 

 なのはは少しだけ安堵すると、急いでプールから上がりレイジングハートを起動した。

 

「なのは」

 

「ユーノくん、この結界っていつまで持ちこたえられる?」

 

「僕の魔力が続く限りはとりあえず大丈夫。でも、結界張るのに使ったからあまり余裕はないかな……」

 

 それを聞いて、なのはが苦虫を噛み潰したように顔を顰めようとした時、屋内全てのプールから水が急激に溢れ、瞬く間に床を水浸しにした。信じられない程の速さで水位が上がっている。なのははユーノを持ち上げると、急いで宙に足場を作り飛び乗った。そしてユーノをフードの中に押し込めた。

 一体これから何が起こるのか見当もつかない。なのはの身長よりも頭一つ深いくらいだろうか。そのくらいの高さまで水が貯まると水位の上昇は無くなった。プールの深さを加えると3メートル近くにもなるだろう。

 突然、遠く離れた水面から、蛇のように細長い水色の身体をもった暴走体が姿を現した。その胴体は直径1メートルはあるのだろうか。その身体は見るからに固そうな鱗を纏い、光の加減で虹色に輝く、翼のようなヒレが身体の随所に見られた。イラストで見るドラゴンのような精巧な顔つきをしており、不覚にも恐怖を感じるより、格好いいと思ってしまう。

 宙で停止した水竜の周りに、水面から浮かび上がってきた1メートル程の水球が、いくつも設置される。そして水中の至る所に水色の魔法陣が浮かび上がった。完全になのはたちを敵として捉え、戦闘態勢であった。

 

「あんなのを封印しようとしてたのか僕は……なのはの言うとおりだった」

 

 ユーノの声にはどこか諦めが感じられた。昨日のなのはの言葉も思い出しているのだろう。しかし、なのはの頭の中はそれどころではなく、なんとしてでも倒さなければならない、という思いで埋め尽くされていた。敗北すれば結界は解かれ、なのはにとって大切な人たちに被害が及ぶことになってしまう。なのはたちがいたせいで。

 あまりの責任の重さと後悔で、今にも泣きそうになるのを必死に堪え、戦うために敵を見据える。絶対に逃げるわけにも、負けるわけにもいかない。一切のことを考えず、勝つことにのみ集中しなければならないのだ。

 

「大丈夫。絶対倒す」

 

 ユーノはなのはの顔を見た。肩からではその表情は見えない。だが、怯えや諦めなど一欠片も感じられなかった。ただひとつの事に対し意思を固めた、心奪われる見惚れる横顔だった。さっきまでの歳相応で無邪気な表情との差が、ユーノには衝撃的であり、そして活力を与えた。

 

「なのは、あの魔法陣の上にいかないように。あれは捕獲魔法だ。当たるとまずい。……まずは移動できるよう、魔法陣の無いところに足場を作ろう」

 

 もうユーノの声に弱々しさは無かった。

 屋内とはいえ、今まで戦ってきた場所に比べ相当広い。なのははいつ発射されるか分からない水球に意識を向けつつ、いくつか足場を作ろうとした。しかし、二つ目を作ろうとした時、ついにその水球は放たれ、なのはは反射的に今さっき作った足場へ跳んだ。高速で飛んでくる水球だが、なのはは少しだけ余裕を持って避けられた気がした。実際は跳び移るのとほぼ同時に弾着し、元の足場は壊された。タイミング的には一秒も差はない。それだけなのはの感覚が鋭敏になっているのだろう。

 だが、水球は一発だけではない。なのはは着地するのと同時に、次の足場を展開、その足場に跳び移った。跳び移る途中、魔法陣の発動範囲を通過したのか、水中から水色の鎖が高速で伸び、なのはの横を通りすぎていった。

 攻撃はおろか、息をつく間もない。そもそも、飛んでくる水球に意識を割きつつ、魔法陣にも意識を割き、尚且つ真上を通らない道筋を瞬時に判断できていること自体が、なのは自身でも信じ難いことだった。

 数回そんなことを繰り返し、なのはが少しへばり始めた時だった。次の足場に着地する直前に水球が発射されてしまった。着地したなのはは、それから目を離せず、じっと見つめながら自分が詰んでしまったことを確信した。

 やられるわけにはいかないのに。絶対に倒さなければいけないのに。どんなに意思を強く持っていても奇跡なんて起こらず、力がなければ守ることもできず、ただ惨めにやられてしまうのだ。なのはは自分自身を呪った。

 そんななのはの考えを遮るように、桜色と碧のバリアがなのはの前に展開され、凄まじい衝撃と水が弾ける音とともに水球を防いだ。しかし、桜色のバリアより外側に展開された翠のバリアは罅だらけで、とてもじゃないが二発目は防げそうもない。

 なのはは状況を上手く理解できていなかったが、自分が助かったことを知り、機会を逃すまいと反射的に新たな足場を作って跳んだ。

 

「ぐっ、危なっ! なのは、これやばいって! 一発食らっただけで砕かれる寸前だよ……」

 

「ありがとう、ユーノくん。すごいね。それとレイジングハートも」

 

 ユーノの言葉で状況を理解する。ユーノはバリアが砕かれそうになったことに焦っているが、なのはにとっては一発でも防げたこと自体に驚愕である。そして、やばいのは十二分に理解している。

 

「だけど、もう魔力がほとんど無い」

 

「命を燃やしてでも作って……死なない程度に」

 

 冗談じゃない。ユーノの魔力が無くなれば一体誰が結界を維持するのか。しかしユーノが先に死ぬのも困る。たとえなのはが先にやられたとしても、ユーノが永久に生きていれば問題ないのだ。無理な話ではあるが。とにかくユーノには魔力が尽きてもらっても困るし、死んでもらっても困るのだ。

 いつまでこんなことを続ければいいのか、とバテバテになりながら、諦めそうになる自分を叱咤しながら避け続けていると、ついに水球は止んだ。

 なのはは様子を伺うため立ち止まろうとするが、水竜が水中に潜り込んだかと思った瞬間、長い線が猛烈な速さでなのはに迫った。それが視界に映るやいなや、危険予知の警鐘が激しく鳴り響いた。そして、立っていた足場が下から突き破られるのと、なのはがなりふり構わず全力で横に飛び退いたのは同時だった。

 宙を舞いながら足場を作っていないことに気が付き、急いで展開する。しかし、放物線を描いて移動していたなのはの身体は急激に下へと引っ張られ、水中に消えた。

 何が起こったのか分からなかったが、口と鼻に入ってきたのが空気ではなく水であったことに、なのははこれ以上ないほどパニックになった。レイジングハートすらも手放し、空気を求め出鱈目に手足を動かそうとするが、絡みつく鎖のせいでそれすらもできない。苦しくて、息を全て吐き出してしまった肺を膨らませようとするがそれは叶わず、流れこんでくる大量の水を飲みこむしかなかった。喉は熱くなり、心臓の音がはっきり聞こえる。徐々に目の前がチカチカ白くなり、意識が薄れ始めた。一分も経っていないのに数分に感じられた。

 そんななのはの口元に柔らかい何かがあてがわれ、渇望した空気が流れ込んできた。それは一瞬であり、しかし薄れた意識を呼び覚ますのには十分であり、再び苦痛が蘇った。

 もう頭の中には、負けられないという考えなど浮かばなかった。まだ続くのか。早く殺してほしい。目の前の苦しみから逃れたい。それだけで埋め尽くされていた。その願いが届いたのか、突如背中から衝撃を受け、完全に意識は無くなった。

 

 

 

 

 なのはは空気を求めて激しく胸を膨らませると、それと同時に目を開いた。戻っていた。

 何度か荒い呼吸を繰り返し、それが次第に落ち着いてくると、涙が目尻から零れた。頭の中はぐちゃぐちゃで、もうわけが分からなかった。全てが嫌になった。そのまま死にたかった。

 なのはの心は、今日は何も起こらないと、完全に無警戒で無防備な状態だった。とても楽しかった。それ故に、ジュエルシードが現れ、自分とユーノがいたせいで皆を巻き込んでしまった、そして守ることができなかったという事実が、凄まじいまでの反動となってなのはの心を粉々に打ち砕いた。更に窒息の苦しさが追い打ちを掛けた。

 なのはは、ぐるりとうつ伏せになったかと思うと、枕に顔を押し付けた。押し付けた顔と枕の間から喉を締め付けたような小さな嗚咽が零れた。それは次第に大きくなり、終いには喉がはち切れそうな程の胸いっぱいから出る叫びに変わった。このどうしようもない激情と苛立ちを発散するべく、握った拳をベットに何度も叩きつけた。しかしそれは、無力さを示すかのように簡単に弾き返され、なのはを余計に苛立たせた。枕の横で時間を告げるために鳴り出した耳障りな携帯電話を、勢いよく払い除けた。微妙な抵抗となって体に纏わりつく不快な布団を、足で激しく蹴飛ばしベットの外へ放り出した。

 自分の弱さ、浅はかさ、死ぬ苦しみ、身の周りで起こる不条理、そしてそれらを突きつけられる運命を引き当てた自分。何もかもが腹立たしく、苛立たしく、自分の身すらも引き裂きたくなった。

 そんな時、いつもと変わらない美由希の声が聞こえ、部屋の扉がそっと開かれた。なのはは美由希を認識した瞬間、申し訳ない気持ちで胸が締め付けられ、押し付けた枕に更に涙を染み込ませた。合わせる顔なんてなかった。

 

「どうかしたの?」

 

 美由希はなのはの様子がどこかおかしいことに気が付き、恐る恐る声を掛けるが返事は無く、しゃくり上げた拍子に身体をびくっと跳ねるだけだった。ベットに腰掛け、黙ったままなのはの様子を伺う。

 

「ご、めん、おね、えちゃん」

 

「なのはに謝られることなんてないと思うんだけどなぁ」

 

「わたし、じゃ、や、ぱり、むり、だよ」

 

 枕で声がこもっている上に、つっかえつっかえで少し聞き取りにくいがちゃんと分かった。しかし、何について謝っているのかさっぱり分からない。

 美由希は何て言葉を掛けようか悩んだが、結局思いつかず、少しでもなのはの気持ちを和らげようと頭を撫でた。だが、その優しい手は余計になのはの罪悪感を膨れ上がらせ、思考を掻き乱した。

 なのはは堪らず身を起こすと、苦しみに満ちた目を涙で潤ませながら、力無い声で吐き出した。

 

「わたし、じゃ! まもれ、ない! たどりつけない、んだよ! やっぱりわたしに、は、無理なんだ」

 

 見ている方がどうしたらよいのか分からなくて泣き出しそうになる痛々しい様子に、美由希はそっとなのはを抱き寄せた。なのははそれに抵抗すること無く身を任せた。

 一度止まった目覚ましが再び鳴り出し、場違いな音色を響かせる。美由希は止めるべきか一瞬だけ悩んだが放っておくことにした。

 

「守ることに失敗しても、守ってもらった方はそれだけでも感謝してるんじゃないかな? 逆になのはがそのことで悩んでるって知ったら、守ってもらったことを後悔するかもしれないし。どうしても辿り着かなきゃいけない所なのに詰まってしまったら、別の道を探してみるっていうのはどうだろう。少し休憩してみるのもありかもね。いい考えが浮かぶかも」

 

 目覚ましが止まり再び部屋が静かになった。

 なのはは美由希の言葉の意味について考えられなかった。何も考えず美由希に身体を預け、頭を撫でる手を感じながら胸から聞こえる心音を聞いていた。不思議なことに、さっきまでの激情は徐々に消えてゆき、代わりに柔らかな安らぎが心を満たしていく。前回の苦しみも罪悪感も何も無い。どこまでも見渡せるかのように、すっと心が澄み渡っていく。

 辛いし苦しいけれど、それでも辿り着きたい。これまでの暴走体を倒した時のように、いつか必ず上手くいく。そんな前向きな考えもぼんやりと浮かんできた。

 

「まだまだ、私はがんばれる」

 

 なのはは漠然とだが分かった気がした。何の思いにも囚われず、しんと心が静まった状態。きっとこれが、諦めずに戦い続ける上で最も重要な精神状態なのだろう、と。

 

「そうだよ、なのははできる」

 

 私の妹だからね、と戯けた口調で続けた。自分で言って恥ずかしかったのだろう。

 なのははゆっくりと美由希から体を離した。まだ時々、悲しみの名残りで肩を跳ね上げたが、涙はもう乾いていた。

 

「ありがとう」

 

「うん、元気になってよかったよ。さ、早く着替えないと遅刻しちゃうよ?」

 

 なのはは着替えながら、これからするひとつの大きな決断について考える。

 全てのことを一つの課題に集中させること。それが諦めることなく目的を達成する最短の方法だった。

 

「絶対に辿り着く」

 

 なのはは小さく呟いた。

 


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