魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

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夕暮れの道

 なのはとユーノは家まで送るとそのまま別れるつもりだった。しかし、車椅子の少女――八神はやてに促され、はやての家に上がった。

 

「なんもあらへんけどゆっくりしてってな! 私、家に同い年の子呼んだの初めてや」

 

 いかにも嬉しげな雰囲気を纏ったはやては、テーブルにお茶を置くと2人の対面に移動した。

 

「それでは改めまして、この度は助けてくださり、そして家まで送ってくださりありがとうございます。助かりました」

「え……あ、そこまでかしこまらなくても……別に大したことはしてませんから。無事で良かったです」

 

 恭しく一礼するはやてに、なのははおろおろしながら思わず敬語で返した。それを見て、はやては笑みを深めた。

 

「そういうわけでな、なんかお礼しよ思うんやけど……そやなあ……2人は何時までおれるん?」

 

 ユーノ横目で、答えにくそうに苦笑いしながら視線を彷徨わせているなのはを見た。

 

「何時まででもいれる、かな……たぶん」

 

 本当なら日が暮れる前に帰ると言うはずだったのだが、残念ながら出てこなかった。

 はやては首を傾げた。

 

「うん? 帰る時間が決まってないうことかな?」

「えっと、なんと言いますか、その……家出中なのです、私」

「…………」

 

 はやてはしゅんと縮こまるなのはから視線を外しユーノを見た。ユーノは特に何の反応もせずお茶を飲んでいた。再び視線をなのはに戻す。

 なのはの様子を見れば、それが冗談ではなく、家族に心配させていることも、帰らなければいけないことも、なのは自身がよく理解していると分かった。

 

「いやあ……その、なんや……そう! 時間気にしなくてもええんやったら夕飯食べてく? ごちそうするで! なんなら夕飯どころかお風呂にも入って……泊まっていってもええよ! 部屋ならたくさん余っとるからな……うん、それがええ!」

 

 はやてはなのはを気遣う表情から一転、良いこと思いついたと言わんばかりに、ぱっと笑顔を浮かべ身体を乗り出した。

 

「いきなり知らない子がそんなことしたら、はやての両親が許してくれないんじゃない?」

 

 ユーノの言葉に、はやては一瞬表情を曇らせたがすぐに笑顔に戻った。

 

「大丈夫大丈夫、気にせんでええよ、一人暮らしやからな。ここの城主は私や! せやから誰の許可もいらん」

 

 はやては胸を張り、わざとらしく偉そうに言った。

 ユーノは少しだけ沈黙したが、はやての大仰な態度にあわせておどけたように言った。

 

「なるほどそれはすごい! なのは、城主様が夕食と寝床を用意してくださるみたいだけど、どうする? 寒空の下で寝なくても良さそうだね!」

「え? あ、うん。はやてが迷惑じゃなかったら……」

「よし決まりや! 今日は泊まっていき。いやあ、わくわくするなぁ」

 

 なのはは、なんだかはやてのペースに巻き込まれていると感じた。別に悪い気はしなかったが、せめて自然体でいようと努めるのだが、考える間もなく進んでゆく会話に出遅れてしまい、どうにも控えめな態度となってしまう。しかもユーノははやてが間に入ったからか、普段とは立場が変わっていた。

 なのははふと、今日が日曜日であることを思い出した。

 

「そういえば今日は日曜日だけど、私たちが泊まったとして、はやて明日学校大丈夫なの?」

「ああ、学校? 私学校休んどる。城を守らなあかんからな! なのはちゃんこそ、大丈夫なん?」

「私も家出中だから」

 

 なのはの言葉にはやては笑った。

 今のは落ち着いて答えることができたかもしれない、と内心喜んでいたなのはは、はやてが笑うのを見て、何かおかしなことを言ってしまったかと、慌てて自分の言葉を振り返った。

 

「そやそや、家出中やったな! 大人しそうなのに、すごい行動力というかなんというか……はちゃめちゃやな!」

 

 はやての言葉にユーノは笑った。

 

「ほんとだよ。なのはには驚かされてばかりだ。口から魂が出ていきそうだよ。おかげで退屈しなくていいね」

「む、私そこまで驚かせるようなことしてません。ふつうだよ、ふつう!」

 

 ようやくはやてが笑っていた理由に気づいたなのはは、自分の観察結果について意気投合する2人に抗議の声を上げた。

 2人はなのはをじっと見つめたあと、お互い顔を合わせて、にやっと笑った。

 

「なんなのさ!」

「いやべつに、なあ? ユーノくん」

「そうだよなのは。べつになんでもないから。なのははふつうさ。ぼくもふつう。はやてもふつう。みんなふつうさ」

 

 無駄に息が合う2人に、自分がなぜこんな立場になってしまったのかこれまでの会話を振り返ってみるが、さっぱり思い当たる節がなかった。

 

「ところで……なのはちゃんとユーノくんはできとるんか?」

 

 突然真顔になったはやては、身体を前に乗りだし、声をひそめて聞いてきた。

 なのはははやてを見つめながら首を傾げた。頭の中で繰り返しその言葉の意味を考えるが、ユーノの声がそれを遮った。

 

「え!? いや、僕となのははまだそんなんじゃないよ!」

 

 ユーノは何をそんなに焦っているのか、早口でしゃべりながら両手を振った。

 なのははユーノの立ち位置が自分と同じになったことを瞬時に理解し、思わずにっと口角を上げた。

 

「まだ! そう、まだ、か。なるほどなー。ユーノくんも見た目によらず、か。ロールキャベツやな」

 

 はやてはふにゃりと真顔を崩し、身体を引っ込めた。

 

「かわええもんな、なのはちゃん」

「え、私?」

「な! そうじゃなくて、あ、いや、かわいくないわけじゃなくてえっと……はぁ、やっぱりなんでもない」

 

 反論が思いつかないのか、墓穴にしかならないと悟ったのか、ユーノは言葉を止め、背もたれに寄りかかって脱力した。そしていかにも暑そうな様子で服を掴み前後に動かしていた。

 

「さて、私は腕によりをかけて夕飯の仕度してくるな」

「あ、私手伝うよ」

 

 はやては立ち上がろうとするなのはを制した。

 

「ええってええって。今日は私が作ったもの食べさせてあげたいんや。次は一緒に作ろな」

 

 はやてが行ってしまった後、少しの間沈黙が続いたが、なのはははっと思い出したようにユーノの方に身体を傾け小声で尋ねた。

 

「ねえねえユーノくん、さっきの話ってロールキャベツを作れるかどうかについてだったの?」

 

 なのはは理解できた部分情報と、最後の夕飯の仕度をするという流れから、この会話はロールキャベツの話なんだと予想した。

 

「え、ロールキャベツ? ……ああ、まあそんな感じの話だと思うよ? うん」

 

 やっぱりそうか! なのははまるで難解な問題が解けた気分になり、自分は頭が良いかもしれないと内心で小躍りした。

 

「私ロールキャベツくらいなら、たぶん作れると思うよ。やっぱり手伝った方がいいかな?」

「いや……さっき今日は自分で作ったもの食べさせたいって言ってたし、気にしなくていいと思うよ。ほら気が変わって別のもの作るかもしれないしね!」

 

 ユーノはぎこちなく笑った。

 

 

 

 

 向こうから水を流す音や野菜を切る音が聞こえるだけで静かな部屋だった。なのはの家にあるものより大きなテレビは誰の興味も引けず、画面に暗闇を湛えたまま、部屋の無言の住人となっていた。

 出来立ての巨大な餅にでも座っているかのように柔らかく沈むソファーで、ユーノはこくりこくりと船を漕いでおり、なのははぼうっとしながら視線を宙に漂わせていた。

 ついこの前まで何も進展のない日々を過ごしていたはずなのに、気がつけば何故か出会ったばかりのはやての家に泊まることになっている。普通の日常生活を送っていたのでは、どうやってもこんな展開はありえなかった。この時間は魔法やジュエルシード、その他諸々があって、偶然辿り着いた結果なのだ。苦しいことだらけだったはずのこれまでの時間に、そんな時間があって良かったと思えることがまた一つ増えてしまった。

 そんなことを考えていると、この時間への愛おしさが沸き上がった。なのははその気持ちに身を任せ、立ち上がると台所へ向かった。はやては必要ないと言ったけれど一緒に何かしたいし、してあげたい。漠然とそんな風に思った。

 しかし途中で足は止まった。信じられないものを耳にしたからだ。本当にこんなことがありえるのか? なのはは自分の耳を疑った。だが何度聞き直しても認識は変わらない。愕然とした。

 車椅子に座るはやての姿はカウンターに隠れて見えないが、そこから確かに聞こえてくるのだ。はやてが誰かと話す声が。

 

「ふふ、じゃがいもくん次はきみの番だよ。きみは私となのはちゃんに食べられる今日この日ために生まれてきたのだよ。うれしいよね? はい! 感激っす! どうぞはやて様の思うがままにしてください! うむ、きみの潔さに免じてまずは皮をむいてあげよう」

 

 はやては野菜と話していた。

 カウンターの向こう側は、決して見てはいけないとでもいうように、何か得体の知れない恐怖を感じて覗くことができない。なのはは音を立てないよう後ずさりしてから踵を返し、ソファーに戻った。

 ユーノはなのはが立ち上がった時の揺れで目が覚めたのか、なのはの様子を見ていた。

 

「どうしたの?」

「なんでもない」

 

 なのはは虚空を見つめたまま無表情で言った。私は何も聞いていない。そう心の中で繰り返しながら。

 することがないなのはは、何を考えるでもなく、バリアジャケットを撫でてみたり摘んだりしていた。そしてはたと思う。はやてが見ていない今、さりげなく着替えてしまえばいいのではないか、と。別に着替える必要はないのだが、なんとなく制服の方がいい気がした。

 

「レイジングハート、制服に戻してもらってもいいかな」

 

 快い返事と共に制服に戻った。

 

「べつにそのままでもよかったんじゃない?」

「うん、まあそうなんだけど、なんとなく……あ、靴履いたままだ」

 

 急いで床から足を上げ靴を脱ぐと、玄関に置きにいった。

 

“申し訳ありません。気が回りませんでした”

「いいよ、私もすっかり忘れてたから」

 

 はやてから雑巾をもらい床を拭くと、また何をするでもなくソファーに沈み、漂ってくるおいしそうな匂いを嗅ぎながら夕食ができるのを待つのだった。

 待ちに待った夕食がテーブルに並ぶと、なのはは染み出る涎を飲み込んだ。今なら限界知らずで食べられそうな気がした。

 

「はやて、本当にごちそうになっていいの? 後で返せって言われても返せないしお金もないよ?」

 

 なのはは真剣な眼差しではやてを見た。そんななのはの様子にはやては堪らず笑った。

 

「ちょっとなんでそんな真顔なん。別に返してもらわなくてもいいしお金もいらへん。食べてもらいたくて作ったんやから遠慮せんで食べてな」

 

 そんなに真顔だっただろうかと、なのはは顔を両手で挟んで揉みほぐした。

 

「昨日も今日も何も食べてないし、その前はずっと豆腐だったもんね。僕たちにとっては何日かぶりのちゃんとした料理ってことになるのかな?」

 

 ユーノの言葉を聞いて固まっているはやてを、なのはとユーノは不思議そうに眺めた。

 

「え、ちょっと待って。家出っていつからしとるん」

「今日で一週間、かな……うん」

 

 はやては再び固まった。せいぜい昨日か今日、勢いで家出しただけだと思っていたのだろう。浮かべていた幸せ笑顔はすっかり消えていた。

 

「一週間!? 一週間って……えらい根性やな、一体何があったんや、ていうか引き止めておいてなんやけどすぐ帰った方がええで、それ」

「……そうだよね。帰った方がいいよね」

 

 なのはは萎れたようにしょんぼり俯いた。おいしそうな料理が目の前にあるのに、気分はどんより沈んだ。

 はやては動きを止め、後悔するように顔をしかめた。そしてユーノを見て「どうしよう」と声を出さずに口だけ動かして聞いた。ユーノは目を瞑って無言で首を横に振るだけだった。

 

「あー、えっとな……私が言わなくても十分わかってると思うけど、やっぱり家族が心配しとるやろしな」

 

 そしてなのはが頷くのを確認して続けた。

 

「私としてはなのはちゃんにはずっといて欲しいし、泊まっていってほしいのも山々なんやけどな、今回ばっかりは我慢する」

「うん……私も我慢する。また今度ね」

 

 なのはは顔を若干上げると、はやてに視線を向けた。

 

「ああもう、ほんまに良い子やな! まったく、何でこないな子が……はぁ、とりあえず先に食べよ」

 

 はやてが言い終わるかどうかという時、インターホンが鳴った。

 

「珍しい、誰やろ?」

 

 はやては室内機で返事をした。

 

『ごめんください。私、高町士郎というものです。突然申し訳ありません。今、人を捜しておりまして、そのことについて少しお伺いしたいのですが……親御さんはご在宅でしょうか』

 

 はやてはなのはを見た。スピーカの音がなのはにも届いていたようで、なのはは気が気でないというように、どうしようどうしよう、と椅子から腰を浮かしたり降ろしたりを繰り返し、どこか隠れる場所はないかと視線をぐるぐる回していた。完全に逃げ腰だった。

 

「少々お待ちください……なのは」

「はやて、はやて私どうしたら!」

 

 見ている者を奮起させる、暴走体と戦う時の泰然とした姿は一体どこへ行ってしまったのだろうか。そんなもの最初から幻だったのかもしれない。なのはは迷子になってしまった小さな子供のようだった。

 

「落ち着いて。私が傍におるから、一緒にがんばろ?」

 

 はやてはなのはを安心させようと手を握った。口元を震わせるなのはは、はやてを見つめゆっくり頷いた。それを確認するとはやては部屋から出ていった。

 玄関からはやてと士郎の声が聞こえる。嫌にはっきり響く時計の秒針音が、益々身体を強ばらせ呼吸を苦しくした。むこうから高町なのはと言う声が聞こえた。その瞬間なのはの心臓は跳ね、破裂しそうなほど脈打ち、目の前が真っ白になって倒れてしまいそうだった。

 はやてに呼ばれたなのはは、ふらふら立ち上がると部屋と廊下の境界まで進んだ。しかしそこから先に踏み出せない。足は自分のものではなくなったかのように動かなかった。

 自分は絶対に乗り越えられないと思っていた日々を乗り越えたではないか。それに比べたら、こんなのどうってことないだろう? そう言い聞かせるが、士郎の顔を見ることが、視線を交わすことが、声を掛けられることが、ぞっとするほど恐ろしかった。

 はやては動けずにいるなのはの前にくると、「大丈夫だから」となのはの手を取って促す。そのひんやりした手はとても心強かった。

 俯くなのはは、鉛の足を引きずるような気持ちで一歩踏み出した。視界の端に映った大人の影に息を飲み、何を話せばいいのか、どんな顔をすればいいのか、そもそもどうやって声を出せばいいのか、真っ白な脳裏で考え続けた。探るように視線を向けると佇む士郎と目が合い、慌てて逸らした。咄嗟に家出のことを謝ろうとしたが声が出ない。何の言葉もない無言の空間に、今すぐ逃げ出したくなった。

 

「なのは」

 

 静けさの中、士郎の声が響いた。怒気は感じられない。むしろ普段と変わらず優しかった。

 

「帰ろう。みんな待ってる」

 

 声の余韻が耳に残る。なのはは顔を上げて士郎を見た。笑っていた。もう何に悩んでいたのか分からなくなった。思い通りに動かなかった足は急に軽やかになって、引き寄せられるように士郎の元に向かった。

 

 

 

 

 なのはは士郎の腰に寄り添ったまま、「またくるから!」とはやてに手を振り出ていった。

 

「ええなあ」

 

 はやては、丸っこい数字で電話番号が書かかれたノートの切れ端を見ながら感傷に浸った。

 

「行った?」

 

 玄関が静かになったことを確認したユーノが部屋から顔を出した。

 

「うん、残念やけど行ってもうた。2人になったけど夕飯食べよか」

 

 部屋に戻って席につくと、夕食を再開した。

 はやては空席の前にある手付かずのまま残っている料理を見た。

 

「もう冷めてるな。よかったらなのはちゃんの分、食べてええでユーノくん」

「ああ、ありがとう。頂くよ」

「なあユーノくん、なのはちゃんまた来てくれるやろか」

 

 ユーノは、表情を曇らせ視線を下げるはやてをちらと見た。

 

「来ると思うよ。家出して森の中で寝泊まりするくらいだし。夜中に窓から抜け出してでもくるんじゃないかな」

「いやさすがにそこまでするかなあ」

 

 はやてはおかしそうに笑った。

 

「それに森の中って……あの子そんなことまでしてたんか。見た目と雰囲気からは想像もつかんな」

「そうだね。でもよく考えてるよ、いろんなこと。それに心も強い」

「それにかわええしな」

 

 ユーノは頷いた。それから一泊遅れてはやての言葉を理解し、慌ててはやてに視線を向けた。にやっといやらしい笑みを浮かべていた。

 

「あ、いや!」

「うんうん、わかっとるで。2回も引っかかるくらいや。ユーノくんはなのはちゃんのことよう見とるんやなあ」

 

 はやては目を閉じると相変わらず口元に笑みを浮かべたまま何度も頷く。汗を滲ませたユーノは再び何か言おうとしたが、口を噤み料理に視線を落とした。

 

「ところでユーノくんも家に帰らんで大丈夫なんか? 家の人心配しとるやろ。なのはちゃんのお父さんみたいに」

「大丈夫だよ。ちょっといろいろあってね。帰る場所がないんだ。ここに来たのはつい最近だよ」

「なんやユーノくんも家……なるほどわかった! 2人で駆け落ちしてたんやろ? さてはなのはちゃんを誑かしたのはユーノくんやな!? 見た目によらずいけいけやなあ、ユーノくんは」

「いやなんでそうなるの!? 違うから! 言葉通りさ。親も家もないってこと」

「ふぅん……そうか、それは大変やなぁ」

 

 はやてはあっさり引き下がり、それ以上聞こうとしなかった。

 

「家出少女に放浪少年か。困ったもんやなあ。私がいうのもおかしな話なんやけど、保護者がおらへんと何もできひん。お金とか大丈夫なん?」

 

 ユーノは渋い顔をした。

 

「大丈夫……じゃないね。こっち来てからなのはに頼りきりだったし。恥ずかしい話だけどね。それにいつここから移動できるかもまだ分からないんだ」

「ほんなら宛が見つかるまで家におるとええ。部屋も余っとるしな。私一人じゃこの家は広すぎる」

「え、さすがにそこまでは!」

 

 慌てて遠慮するユーノにはやては笑った。

 

「なに、遠慮することない。そもそもほかに手はあらへんやろ? 助けてもらった恩返しもある。それに……なのはに続いてユーノくんまで行ってもうたら、おもろないやん」

 

 はやての表情はほとんど変化していなかったか、ひどく寂しそうに見えた。

 ユーノは少し沈黙した後に頷いた。

 

「わかった。それじゃあ申し訳ないけれどしばらく迷惑かけることにするよ」

「そうか! なんも迷惑じゃあらへん。これからよろしくな!」

 

 一人しかいなかったはやての家に居候が一人増えた。

 

 

 

 

 茜雲が浮かぶ薄暗い帰り道、2つの長い影が仲良く並んでいた。

 なのはは鞄を持ってくれている士郎の太く頑丈な手首を掴んで歩いた。そして家に帰ることの不安と申し訳ない気持ちに息苦しさを感じながら、携帯電話で家に連絡する士郎の声を黙って聞いていた。

 

「夕飯準備して待ってるだってよ。帰ったら一緒に食べよう」

 

 電話を切った士郎はなのはを見下ろして言った。

 

「あ……」

 

 なのはは頷こうとする直前、はやての料理を食べそこなったことを思い出した。

 

「どうした?」

「友達が私のために夕飯作ってくれたのに、一口も食べずに出てきちゃった……」

 

 士郎を掴む手に力が入る。

 あんなにも嬉しそうにしていたはやてのことを思うと、胸が痛かった。帰ったら絶対に連絡しよう、そう思った。

 家の玄関に着くと、なのはは無意識に、士郎の背中に隠れるように後ろへ回った。玄関をくぐる士郎に続いてなのはも家の中に入る。士郎が帰ったことを告げると、奥からとんとんとんと駆ける音が聞こえ、桃子が姿を現した。遅れて恭也と美由希も出てきた。

 

「なのはは?」

「ちゃんといるよ」

 

 士郎は身をひねってなのはがいることを確認させてから、なのはの背を押した。

 

「……ただいまお母さん」

 

 言い終わった瞬間、なのははぎゅっと身体を抱きしめられた。それは、もう絶対に手放さないとでもいうように力強かった。こんな風に抱かれたのいつぶりだろうか。なのはは桃子の匂いに懐かしさと安心を感じた。

 

「ああ、ほんとに心配したんだから! すごく心配したんだから! もう黙って出て行くなんてことしちゃだめよ!」

 

 桃子は一度体を離し、潤んだ瞳の焦点をなのはに向け、断固とした口調で言った。瞳の奥底まで覗き込まれるかのような厳しい視線に、なのはは口元が震え出すのを感じた。恐い。叩かれたり怒鳴られたわけでもないが、そう思った。親に叱られたことなど殆ど無いため、叱られているという事実自体に萎縮してしまう。

 

「心配かけてごめんなさい」

 

 震える声を絞り出した後、なのははもう一度、桃子からの力強い抱擁を受けた。

 一週間ぶりに見る母の姿はなんだか少し痩せているように見えた。

 

 

 

 

 本当に久しぶりに家族揃っての夕食を終え、風呂にも入り、一週間を乗り越えたことに喜びを覚えたのも束の間、なのはは家族に自分の行動についてどう説明しようかと頭を悩ませた。これまでの長い時間の中で何度か考えることはあったが、具体的に言葉に出して説明するとなるとうまく考えがまとまらなかった。

 そうこうしているうちに、家族からの無言の視線を浴びる中で説明することになり、そうなると余計に緊張して考えがまとまらなかった。

 

「別に怒っているわけではないよ。なのはが嘘をついていないというのは今日証明されている。ただ何故それが分かったのか、何が起こっているのか、何故出ていかなければならなかったのか、詳しく話して欲しいんだよ」

 

 士郎に優しく諭され、緊張が幾分和らぐと、以前恭也に話したように話せばいいと思いついた。

 それでもうまく考えをまとめられず、思い浮かんだ順に言葉を並べていく。ジュエルシードのこと、暴走体のこと、魔法のこと、魔法を使える世界のこと。そして夢で見たという嘘。

 魔法のことを説明しながら実際に使ってみせると、「イメージと違う」と言われただけで意外にもすんなり受け入れられた。

 一通り話し終わると、答えられる質問には答え、もう少し詳しい話を聞くため今度ユーノを連れてくることを最後に約束し、家族会議は閉会した。

 イメージと違うと言われた魔法だが、興味を引かれたのか恭也が後で稽古に付き合ってくれと言ってきた。何かしら役に立てるのならと了承したが、でも痛いのと苦しいのは嫌だよ、と釘を刺しておいた。

 説明を終えたなのはは、なんだかぐったりと疲れてしまった。しかし、これでずっと悩んでいた家族との問題が解決したと考えると、梅雨明けの青空のように気分は晴れやかで、全身は風のように軽やかになった。

 なのはは自室に戻るとベッドに座り部屋の中を見渡した。あとはもう寝るだけなのだが、その前に何かしたい。でもとくに思いつかない。そんな状態だった。ふと視線を移した先に携帯電話があった。

 

「そうだった、電話しないと」

 

 手に取り確認してみると電源が切れていた。なのはは電話を充電器に繋いで勉強机の前に座った。

 

「メールきてる」

 

 家出した日から2日続けて送られたアリサとすずかからの心配のメールだった。おそらく実際に家に来て携帯電話が置きっ放しになっていることを知り、それ以降はメールを送るのを止めたのだろう。こうやって自分のことを気にかけてくれる友人がいることに嬉しさを感じた。そして改めて、自分だけが2人のことを友達だと思っているわけではないと自信が持てた。

 なのはは画面を見つめたまま動きを止め、何とメールを打とうか考えた。

 きっと怒っているに違いない。2人から逃げた日のことを思い浮かべながら溜息をついた。いろいろ言い訳を考えながら、指が動くままに文を書いた。

 

 なのは帰還しました

 

 一瞬、こんなテキトウなメールで大丈夫だろうかと送信するのを躊躇ったが、勢いに任せて送ってしまった。アリサとすずかならこんなメールでもきっと大丈夫だろう。

 

「よし、次ははやてに」

 

 最初に何て言おうか、どんな話をしようか、とあれこれ考えを巡らせながら紙を見て番号を入力していると、すずかから電話がきた。

 

「え、電話!? 何話せば……」

 

 メールで返ってくると思っていたなのはは、あたふたしながら電話に出た。

 

『なのはちゃん!』

『すずかちゃん……えっと、3日ぶりだね』

 

 すずかの返事は無かった。なのはは、やはり怒っているのだろうかと不安になりながら、おずおずと声を掛けた。

 

『すずかちゃん?』

『もう……帰還しましたじゃないよ。心配したんだからね』

『ごめん。明日からまた学校行くから、大丈夫だよ』

『そっか。無事なのを確認できて良かったよ。いろいろ聞きたいことはあるけど、たぶん今アリサちゃんが通話ボタン連打してるだろうから、明日学校でね』

『それは無いと思うけど……。うん、明日学校で。心配してくれてありがとう』

『ふふ、心配するのは当然だよ。それじゃあ明日。逃げちゃだめだよ?』

『……』

 

 何か言おうとする前に電話は切れた。想像以上に短い通話だった。1分も話していないんじゃないだろうか。

 なのはがほっと一息つこうとした時、再び電話がなった。アリサからだった。

 

『なのは!』

『アリサちゃん……あまり興奮するとはげ』

『興奮なんてしてないわよ! 今まで何処行ってたのよ! それに帰還しましたってなにさ! もっと他に言うことがあるでしょう! あと一緒にいた男子だれよ!』

 

 なのはは電話を耳から少し遠ざけて苦笑を浮かべた。

 

『えーっと……まあ色々ありまして、そんなこんなで無事帰ってこれたといいますか』

『…………なのは明日学校くるわよね?』

 

 それじゃ分からないわよバカにしてるの、と怒られると思っていたのに予想外の返答だった。それになんだかアリサの声が低くなったように感じた。

 

『その予定だけど……行きたく』

『そう、じゃあ明日会いましょう。逃げたら許さないから』

『……』

 

 返事をする間もなく通話は切れた。すずかもアリサも逃げられたことを根に持っているのだろうか。

 

「明日大丈夫かな」

 

 不安げな言葉とは裏腹に、なのはは自然と笑みを浮かべていた。電話で話してみた2人は記憶の中の2人と何も変わっておらず、またいつも通り自然に話せる気がした。

 明日はずっと謝れなかったことも謝ろう。そんなことを考えているとメールが来た。

 

 無事でよかったわ

 

 アリサからのメールだった。

 

 心配かけてごめん。明日会いましょう

 

 返信し終わると、なのはははやてに電話するために番号を入力した。数回のコールの後、はやての声が聞こえてきた。

 

『はい、八神です』

『もしもし、はやて。なのはだよ。今大丈夫?』

 

 はやては、まさかその日のうちに電話が来るとは思っていなかったようで驚くと同時に喜んでいた。なのはは折角作ってくれた夕飯を食べることができず申し訳ないと謝り、家に帰るきっかえを作ってくれたことにお礼を言った。

 

『なのはちゃんは律儀やな。なのはちゃんの分はユーノくんがおいしいおいしいはやての料理は最高だ、言うて全部食べてくれたから安心して』

 

 はやてはおかしそうに笑った。そして弾む声で、また作るからいつでもおいで、と言ってユーノと代わった。

 

『もしもし』

『あ、ユーノくん、あのね……魔法の事話しちゃった』

『そっか。使えない世界で教えるのは色々まずんだけど……ま、仕方ないよね』

『それで、ユーノくんに詳しく話を聞きたいってお父さんに言われた』

『え!? ……いや、まあ当然だね。いつがいいかな』

 

 明日は塾があるため無理だが明後日は特に何もない。別に土日でもいいのだが、こういうことはできるだけ早いほうがいいだろう。

 

『……明日は無理だから明後日とかかな』

『じゃあ明後日で』

『学校帰りに迎えにいくね』

『了解。あ、それと念話についてなんだけど』

 

 ユーノははやてに聞こえないように声を潜めた。

 

『これからは念話する時は僕だけに送って。そうじゃないとはやてにも聞こえる可能性があるから。やり方は分かるよね。それとここからじゃなのはの家まで距離が遠すぎて使えないみたいだから、何か他の方法考えないといけない。まあ明後日会った時にでも考えよう』

 

 なのはが賛成したのを確認すると、ユーノははやてと代わった。

 

『明後日の学校帰りにはやての家に行ってもいいかな?』

『うん、ええよええよ! 楽しみに待っとる!』

 

 はやてとの通話も終わると、なのはは大きく体を伸ばした。それから机の上に置いていたレイジングハートを手に持ち、ベッドに向かった。

 

「つ、か、れ、たーっ!」

 

 なのははベッドにダイブし、枕に顔をぐりぐりと押し付けた。

 

「疲れたよー」

 

 枕越しのくぐもった声を上げながら足をばだばたさせる。それからぴくりとも動かなくなったかと思うと、手を開いてレイジングハートを見つめた。

 

「ねえねえレイジングハート。私いいこと思いついちゃった! 魔法の練習のためにレイジングハートが作ってくれる世界があるよね。そこでレイジングハートも人の姿になれると思うの」

“それは……素晴らしい考えです。なぜそんな簡単なことが思いつかなかったのでしょうか! 早速実験してみましょう大丈夫です落ち着いて下さい私は冷静です”

 

 なのははレイジングハートの様子に笑った。何気なく思いついたことだったが、予想以上に喜んでもらえたようで嬉しくなる。

 そのまま眠れるよう部屋の電気を消しベッドの上に横になると、レイジングハートに意識を委ねた。

 

「いかがでしょう?」

 

 目を開くと、なのはは自室のベッドに座っており、目の前には妙齢の女性が顔を上げ胸を張り、どうだ、と言わんばかりの態度で立っていた。乙に澄ました顔をしているが、嬉しくて仕方がないという雰囲気がひしひし伝わってくる。

 

「レイジングハートだよね? ちゃんと人の姿になってる! でも……なんだかお母さんに似てるように見えるんだけど……気のせいかな」

「ご主人様とご主人様のお母様を参考にしました」

 

 レイジングハートは佇まいを崩し、なのはと同じ色、同じくらいの長さの髪を指で摘んでみせた。その様子は、買ってもらった新しい服を褒めてもらいたい子供のようだ。

 身長はなのはより三十センチほど高く大人の身体だった。そしてなのはと桃子のような優しさを前面に出した顔つきとは異なり、凛としていてかっこいい容貌だった。なのはとは色が違うだけの子供っぽい寝間着は、その容姿と大きなギャップを生んでいたが、ある意味今のレイジングハートにはぴったりだ。

 

「変ですか?」

 

 不安そうに表情を曇らせるレイジングハートを見ると、落ち込ませるようなことなんて言いたくない。そもそもその姿を変と言ってしまえば、すなわち、なのは自身と桃子の容姿が変ということになってしまう。だれも幸せにならない。

 

「そんなことないよ。かっこいいお姉さんって感じかな」

「そうですか! ふふ……お姉さん」

 

 レイジングハートは誇らしげに口角を微かに上げた。なんだか鼻歌でも聞こえてくるようだった。

 こうして見ると想像していた以上に感情豊かであることがわかった。言動と仕草と表情の変化。一つ一つの変化は小さいのに、なぜかわかりやすい。

 

「……あのねレイジングハート、その姿もすごく素敵なんだけど、一回だけでいいから私のイメージした姿になってもらえたりしないかな?」

「ご主人様の……? ええ、もちろんです。任せて下さい」

 

 レイジングハートは一度姿を消して、なのはからイメージを受け取ると身体を再構築した。

 

「これでよろしいでしょうか? あの……ご主人様。大人の姿ではなく子供の姿なのですが……それに犬のような尻尾まで……」

「うん、すごくかわいいよ! 思った通り!」

 

 さっきのレイジングハートの姿をなのはよりも幼くした姿、髪はなのはよりも短くなっていた。

 なのはは居ても立ってもいられず、立ち上がってレイジングハートのもとまでいくと、体温まで再現されているレイジングハートの柔らかい両手を取った。もし叶うのなら、今すぐこのまま何処か一緒に出掛けにいきたい気分だった。

 恥ずかしがり屋で甘えん坊、そして自分を慕ってくれる可愛い妹分。真面目な表情と口調とは裏腹に素直に反応する尻尾。まさになのはが思い描いていた通りだった。

 レイジングハートは握られた手をじっと見つめたまま硬直してしまった。なにやら後ろからばさばさと音が聞こえる。なのはがレイジングハートの後ろを覗くと、激しく左右に揺れる尻尾があった。

 

「あぁ……尻尾が勝手にっ、あのご主人様……尻尾が止まりません」

 

 わざわざ報告してくるレイジングハート。ここはレイジングハートが生み出している世界なのだから制御出来ないはずがないのだが、それほど動転しているのだろう。どうしたらいいか分からず、あわあわと恥ずかしそうにする仕草はひどく愛らしいものであった。

 

「大丈夫だよ。全然恥ずかしいことじゃないから、ね?」

 

 駄目だ、かわいすぎる。姿や仕草はもちろんなのだが、最早レイジングハートの存在そのものが可愛かった。なのはは抱きしめてぐるぐる回りたい気持ちを不屈の心で抑えこみ、微笑みながらレイジングハートの瞳を見つめ、安心させるように優しい声音で言った。その途中、すずかも自分にこんな風に言うことがあるなと思い出していた。

 

「座ってお話しよ」

 

 すっかりお姉さん気分のなのはは、レイジングハートの手を引いてベッドに腰を下ろした。

 

「人の体で動くのはどんな感じ?」

「身体の動きは想定通りです。ただ残念ながら触覚……痛みや痒みといったものはよくわからないです。もちろん数値としては分かるのですが……一体どのような感覚なのでしょう」

 

 レイジングハートは握ったり開いたり、曲げたり伸ばしたり、頬をぺちぺち叩いたりつねったりした後、不思議そうに首を傾げた。

 なのはにはまず、数値として、というのがよく分からない。そもそもコンピュータや魔法がどういうカラクリで動いているのかもまるで理解していないのだから。それでもレイジングハートのために何か良い案は浮かばないかと頭を捻ってみた。

 

「触った時に、嬉しいとか、楽しいとか、好きとか、その逆の楽しくないとか、嫌いとか、そういうのを結びつければいいんじゃないかな?」

「なるほど。ご主人様は天才です。……あの、ちょっと叩いてもらってもよろしいでしょうか」

「え?」

 

 無言で固まるなのはをレイジングハートが真剣な顔で見ていた。

 

「立ったほうがいいですか?」

「いや、そうじゃなくて、叩くのはちょっと……。つつくくらいならいいよ」

 

 こんなに可愛いレイジングハートを一体誰が叩けるというのか。叩けるわけがない。なのはは手をのばすと、叩く代わりにレイジングハートの頬をぷにぷにした。

 

「ぁ……」

 

 レイジングハートは吐息ともつかない小さな声を零すと、焦点の定まらない瞳を虚空に彷徨わせ、とろんとした恍惚の表情を浮かべた。すると一瞬、部屋の景色が消え、全てが真っ白になった。

 

「レイジングハート……大丈夫? もしかして痛かった?」

「大丈夫、です。むしろその逆です。これは……危険ですねとても。細かい調整が必要です」

 

 なのはは何がなんだかさっぱり分からなかったが、レイジングハートが納得したのならそれでいいかと気にしないことにした。

 ふと、飴玉でもあげたら喜ぶだろうかと思ったが、残念ながら手元にないので試すことはできない。

 

「ねえねえ、そういえばレイジングハートって名前を縮めるとレイハだよね。れいはとなのは。なんだか姉妹みたいだね」

 

 そう笑いかけると、レイジングハートはまるで雷に打たれでもしたように固まってしまった。その様子に、もしかして機嫌を悪くしてしまったかと、なのはは不安になった。悪気はなかったが軽率だったかもしれない。

 

「気に入らなかっ」

「私は今かられいはです」

 

 レイジングハートは勢いよくなのはに振り返りそう言った。尻尾が忙しなく揺れだしたところを見れば、どうやら喜んでいるらしい。そうと分かるとなのはも嬉しくなった。

 

「今日はこのまま一緒に寝よ、れいは」

「え、一緒に……?」

「あ、でもこのまま寝れるのかな。全然眠くならないけど」

「大丈夫です。すぐに眠くなります。どうぞ横になって下さい」

 

 言われた通り横になった。隣にはいつの間にか枕が1つ増えていた。

 徐々に部屋の明るさは弱くなり、やがて真っ暗になった。すると、今まで感じなかった眠気の波が緩やかに押し寄せてきた。

 

「れいはもおいで」

「それでは……失礼、します」

 

 緊張しているのかちょっとだけ強張った声だ。

 

「そんなに端っこにいたら落ちちゃうよ? もっとこっちおいで」

「はい……」

 

 控えめな返事をすると、もぞもぞとなのはに寄ってきた。向かい合うなのはとレイジングハートの距離は、息遣いが感じられるほど近くなった。

 

「こうやって一緒に寝れるなんて夢みたい」

「物理空間ではありませんから夢と変わりません。ですがそんなことは些細な事です」

「そうだね、些細なこと」

 

 なのははうとうとしながらも、眠ってしまわないように、のろのろと思考を回転させた。

 

「やっとここまでこれたね。れいはと仲良しになったら、これまでが嘘みたいに進んじゃった」

「たとえ私がどうこうしなくても、ご主人様なら必ずここまでこれたと確信しています。私はただのきっかけでしかありません」

「ううん、れいはがいつも私のこと支えてくれていたこと、今ならちゃんとわかる。だからここまでこれたんだよ。それとご主人様じゃなくてなのはだよ?」

 

 なのはは目の前にあるレイジングハートの手を、宝物でも扱うように両手で包んだ。

 

「これからも一緒にいてくれると嬉しいな」

「……もちろんです。私はずっとそばにいます。あなたのそばに」

 

 レイジングハートはなのはが眠ってしまったのを確認すると、なのはの手にそっと額をくっつけ目を瞑った。

 街灯の光がカーテン越しにほのかに照らしだす薄暗い部屋で、赤い宝石がただじっと、なのはの枕元に寄り添っていた。




ちょっとおまけ

 レイジングハートはなのはの言葉を聞いて固まった。その一瞬、これまで何度も思い描いてきたあらゆる欲望が、炎を吹き上げ一気に駆け巡った。
“それは……素晴らしい考えです。なぜそんな簡単なことが思いつかなかったのでしょうか! 早速実験してみましょう大丈夫です落ち着いて下さい私は冷静です”
 冷静ではない状態を冷静だと勘違いする程に、レイジングハートは興奮していた。部屋の中を……いや、次元世界の隅々まで駆けまわり、触れることのできる全ての物、果ては存在しない空想のなにかに対して、いかにこれが喜ばしいことであるかを、気が済むまで語りたい気分だった。だがそれはできない。これからその理想郷ともいうべき素晴らしき世界を堪能するという大仕事があるのだ。
 レイジングハートはなのはの意識と繋いだ。
「いかがでしょう?」
 安心を与える母性あふれる存在。甘えることができ、頼ることができ、気を許せる存在。なのはにとって姉のような、母のような自分。そんなイメージと、大好きななのはと一緒がいいという気持ちが混ざり合った結果がそこにはあった。
 もしかしたら似合っていないかもしれない。なのはの様子を見て、急激に不安が膨らんだ。もっと慎重に行動するべきだったと後悔した。もし変と言われたらあまりの恥ずかしさと自己嫌悪で自分を壊してしまうかもしれない。
「お姉さんって感じかな」
 お姉さん! 今自分は「お姉さん」と言われたのか!? なのはに言われた単語を内心で何度も繰り返した。理想の自分との合致に、飛び跳ねてその喜びを全身で表現したい気持ちが沸き上がった。しかしそんな自分をクールに笑い飛ばす。自分はお姉さんなのだからそんな子供じみた真似をするわけがない、と。すると、益々かっこいいお姉さんになった気がした。
 誇らしさの中、決して叶うことのなかったあんなことやこんなことをこれからどんどん達成していこう、と意気込んでいると、なのはから別の姿になってくれと頼まれた。レイジングハートは特に何の疑問も抱かず、むしろなのはのイメージした姿になれることを喜んだ。
 そして自分の姿を認識して絶句した。
 こんなはずではなかったのに! レイジングハートは理想とは程遠い自分の現状が、恥ずかしくて恥ずかしくて逃げ出したかった。
「すごくかわいいよ!」
 恥ずかしいのに、かわいいと言われたことが嬉しい。恥ずかしいのに、手を握られたというだけで、どうしようもないほど嬉しくて身動ぎできない。そして恥ずかしいのに喜んでしまう自分と、暴れだす尻尾が悔しくて仕方がない。
 これまで何度もなのはの姿形を再現し、それに触れたことも触れられたこともある。しかし、それは所詮自分の想像通りの動きでしか無かった。なのは自身の意志が宿り自分の制御を離れて動き出した今、もはやそれは本物と変わらず、なのはの肌が自分のひとがたに触れる度にその感覚にくらくらと酔いしれてしまう。何も考えることができなくなってしまう。
「大丈夫だよ、全然恥ずかしいことじゃないからね?」
 なのはの自分に向けられた眼差しと声に、何もかもが蕩けてしまいそうになった。
 そしてふと思う。それら全て、本来自分が言うべきセリフであり、するべき振る舞いなのに、どうしてこうなった、と。


続きません。

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