魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

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黒衣の少女

 なのはは突然布団を跳ね除け起き上がると、慌てた様子で携帯電話を広げて日にちを確認した。それからほっと溜息をついて、崩れ落ちるようにベッドに横たわる。そして布団を引き寄せてくるまった。微睡みの中の、この柔らかく包まれる感覚は最高に心地よい。硬い地面にごろ寝していては味わえない安心感に、意識は抵抗なく眠気に攫われていった。

 それから深い眠りに落ちたころ、突然の声に起こされた。

 

「なに!?」

 

 眠りから急に引き戻されたなのはは、何がなんだか分からないといった様子で身体を起こし、焦点の合わない瞳を入り口にいる美由希に向けた。頭は鉛でも入っているのではと思うほど重く感じられ、全く思考が働かない。そして自然と落ちる目蓋と一緒に、がくんと頭も下がった。

 

「ちょっと、そのまま寝ない! 学校休みじゃないんだからね」

「学校……懐かしい響き」

「はぁ、何言ってるのよ」

 

 美由希との会話に、家出する前の時間に戻ってきたように感じた。

 のろのろと学校へ行く準備をして、アリサとすずかのことを考えながら家を出た。

 到着したバスに乗り込むと、変わらない2人の姿が見えた。

 

「おはよう」

 

 なのはは内心の不安を隠しながら、不自然がないようにいつも通りの自分を意識して挨拶した。そんななのはに2人も普通に挨拶を返した。

 しかし、それから会話は無かった。色々聞いてくるかと思っていたため拍子抜けした。

 やはり嫌われてしまったか。それとも口も利きたくないほど怒っているのか。昨日は普通に話してくれていたのに。

 いつまでも無言の2人にそわそわした。

 

「ねえ」なのはは堪らず声を掛けた。

「なに」アリサは短く返事をした。

 

 無視されているわけではないようで心から安堵した。それでは何故いつものように話してくれないのだろうか。きっと聞きたいことだってあるはずだ。朝になって急に抑え難い怒りでも沸いて自分のことなどどうでもよくなってしまったのだろうか。

 

「怒ってる?」

「べつに怒ってないわよ? 私もすずかも」

 

 そしてしばらく無言が続いた。アリサは悲しげに俯くなのはにちらと視線を向けた。

 

「教室でいろいろ聞くから、今のうちにこれまでのことと、反省の言葉を2千字以上考えておきなさい」

「え、2千字も!? 原稿用紙5枚!」

 

 なのはの反応にアリサの口角が微かに上がった。しかし手で口元を隠したかと思うと元に戻っていた。

 

「ちなみに私とアリサちゃん別々の言葉でね。なのはちゃんが逃げる後ろ姿、まるで凶悪な殺人鬼からでも逃げるかのようで、私すごく傷ついちゃった」

 

 すずかが微笑みながら付け足してきた。

 

「あの時は、その……」

 

 2人は、もうここでは話すことは無い、とでもいうように再び無言になった。なのははうなだれた素振りをしたが、自分を嫌っているわけではないと分かりほっとした。

 学校につくと、クラスメイトの驚きの声に若干の居心地悪さと照れを感じながら教室に入った。席に着いて机に教科書を入れる。その行為が、日常に戻ってきたのだと意識させた。

 間もなく、アリサとすずかがやってきた。

 

「さて、まずは反省の言葉から聞こうかしら」

 

 なのははアリサから視線を外し、先にすずかに謝った。

 

「すずかちゃん、あの時は逃げるつもりはなかったんだけど、何を話せばいいか分からなくて、それに怒られるんじゃないかって恐くて、気づいたら走り出してたんだ。ごめん。すずかちゃんのこと殺人鬼だなんて思ってないし、もう逃げたりしないよ。アリサちゃんには、えっと……」

 

 一度言葉を切り、指を折りながら視線を上に向けた。

 

「ごめんなさい×334?」

 

 アリサにはこれで十分だ。なのははいつもの調子を取り戻していた。

 アリサは笑みを湛えたままなのはに手を伸ばした。

 

「へえ、すずかのとは違って素敵な反省の言葉ね。でも許してあげない」

「だって思いつかなかったんだもん! あ、やめっごめんなひゃい!」

 

 なのはは顔を両手で挟まれたかと思うと粘土をこねるかのようにもみくちゃにされた。

 

「まったく、なんで私にはこうなのかしら」

 

 アリサは手を止めると、むすっとしながら、挟んだままのなのはの顔を見つめた。

 

「いいじゃない。私はなのはちゃんとアリサちゃんのやりとり羨ましいよ? なのはちゃん私にはそんなこと言ってくれないし、しくしく」

 

 すずかはハンカチを取り出して目元に当てた。明らかに演技である。

 

「え、だって、ほら、すずかちゃんはアリサちゃんと違って変なことしないから!」

「ふふ、なのは私に喧嘩売ってるのね」

 

 アリサは両腕に力を込めた。なのははそれを敏感に感じ取り、すかさず謝罪の言葉を述べた。

 

「冗談ですごめんなさい」

「はぁ……それで、今まで何してたの」

 

 信じてもらえるかどうかわからなかったが、魔法のことも含めて士郎に話したことをほとんどそのまま伝えた。2人の反応を伺っているとチャイムが鳴り、2人は「また後で」と席に戻ってしまった。なのはは2人がどう思っているのか聞けず、悶々としながら午前を過ごした。

 昼休みになり、3人ははしゃぐ子たちを横目に屋上へ向いながら、朝の話題の続き始めた。

 

「なのはがそう言うならそうなんだろうけど、正直言うとね、魔法とか、あの男の子が別の世界から来たとか、なのはが何かと戦っているとか、まるでゲームかなにかの話でもしているみたいで……まあどっちでもいいわ」

 

 そう言ってアリサは困ったように笑った。

 

「私は魔法のこと信じる! 世の中には不思議なことがあるんだよ! それになのはちゃんに追いつけなかったなんて……あの歩幅、あれはもうどうみても魔法だよ! 私全力だったんだから!」

 

 すずかはその時のことを思い出したのか、少し興奮したように言った。なのはに追いつけなかったことが余程悔しかったのだろう。なのははそんなすずかに苦笑いして頷いた。

 

「うん、ちょっとズルしちゃった。普通に走ったら追いつかれるもん。帰りに少し使ってみせるね。見せた方がはやいし」

 

 なのはは過去にアリサに魔法を見られた時のことを思い出し、口元に笑みを浮かべた。

 

「ちょっと、なに急にニヤついてるのよ」

「え? いや、ちょっと思い出し笑い」

「何を思い出してるんだか。それで戦うって言ってたけど……危険なの?」

「ううん、そんなことないよ」

 

 深刻そうに聞いてくるアリサに、なのはは咄嗟に返した。そして自信に満ちた風を装って、いわゆるドヤ顔しながら付け加えた。

 

「私強いから」

 

 アリサとすずかはなのはの言葉に笑った。

 

「自信満々だねなのはちゃん」

「私強いから、キリッ」

 

 アリサはなのはの真似をしてから、堪え切れないとでもいうように再び笑い声をあげた。

 ツッコミ待ちだったとはいえ、アリサのわざとらしいキメ顔にちょっとイラッときた。

 

「……もうアリサちゃんなんて知らない。いこ、すずかちゃん」

 

 なのははツンとアリサを跳ね除けた。

 

「ああ、ごめんってば。ついつい、ね?」

 

 アリサはじゃれつくようになのはの背にのしかかって謝った。

 ひっついてきたアリサの重みを背中に感じながら、なのははふと冷静になった。以前と変わらない振る舞いをごく自然にしている自分に、まるで興奮してはしゃぐ子供のようだと思った。そしてそう思う自分に、おかしなものだと内心で苦笑した。

 その後、この一週間の出来事をお互い話して昼休みは終わった。

 

「さて、魔法野生児なのはさんはどんな魔法をみせてくれるのかしら?」

 

 放課後、なのはの机の元へやってくるなり言われた言葉に、なのははがーんとショックを受けつつ即座に抗議した。

 

「ひどい! 野生児じゃないもん」

「ごめんごめんわかってるわ」

 

 アリサはよしよしとなのはの頭を撫でた。

 今日一日のアリサは、楽しくて仕方がないという雰囲気がなんとなく漂っていた。最初こそ突き放すような態度だったが、それはきっと、なのはと会える喜びを隠そうとしてのことだったのかもしれない。しかし結局隠しきれずに、こうやって「嬉しくてついつい」からかってしまうのだろう。

 学校から出て塾へ向かう道すがら、なのはは目立たない程度に魔法を使って見せた。

 小さな魔法弾を操ったり、宙に浮きながら移動したり、魔法陣で足場を作ったり。

 アリサもすずかも羨ましそうにそれを見つめた。

 

「なのはちゃん、私たちには使えないんだよね」

「残念だけど2人には使えないんだ」

 

 ユーノの念話に気づかなかったことから2人が使えないことは明白だった。

 

「ねえ、なのは。なんだかこう、炎とか雷を出したり、犬に変身できるとか、隕石を降らせるとかできないの?」

「炎とかは出せないんだよね。そういうのは魔力を炎とかに変えられる能力がある人じゃないとダメなんだって。変身は……ためしたことないや。でもそういう魔法はあるみたいだよ」

 

 ユーノがフェレットに変身しているということは、そんな魔法もあるのだろう。レイジングハートに頼めばできないこともないかもしれない。

 

「本当!? じゃあ子犬になってよなのは!」

「アリサちゃん、そこは子猫がいいと思うよ。ね、なのはちゃん!」

「えっと、今すぐにはちょっと……それにできるかもわからないし」

 

 なのはは詰め寄る2人に困ったような笑みを浮かべながら一歩後ずさった。

 

「それでもいいわ! できたら必ず見せてね!」

 

 2人は非常識な魔法のことなど気にもとめず、期待で満ちた笑みを浮かべていた。そんな2人に、子犬も子猫も2人の家にたくさんいるだろうに、となのはは思った。

 塾から帰り、夕飯を食べ、風呂にも入ってしまうと、部屋にこもり、早速変身の魔法が使えるかどうか試してみることにした。

 

「れいは、帰りの話聞いてたよね。私もユーノくんみたいに動物に変身できないかな」

”任せてください。ユーノにできて私にできないはずがありません”

 

 かわいい。なのははレイジングハートを見ながらそう思った。レイジングハートが話す度に、脳裏で昨日見た小さな少女の姿で再生されてしまう。レイジングハートが妹だったならと途中まで考え、自分は何を考えてるんだとやめた。

 レイジングハートが黙り込んでから数分が経った。いつもならあっと言う間に終わってしまうのだが、今回はそうではないらしい。

 やはり難しいのだろうか。そう思って、声を掛けようとした。

 

”申し訳ありません。もうしばらくかかりそうなので、気にせずにお過ごしください”

「難しいの?」

”いえ、術式が少し長いだけです”

 

 それからさらに時間が経った。あれこれ考えながら待っていたなのはは、眠気でうとうとしていた。

 

”できました!”

「ほんとう!?」

 

 眠気が吹き飛んだなのはは、レイジングハートに視線を向けた。

 

”まだ満足いきませんが、普通に使う分には全く問題ないでしょう。どうぞ使ってみてください”

 

 なのはは頷き、何の動物に変身するか考えた。

 

「レイジングハート。私動物のイメージがはっきり浮かばないんだけど大丈夫かな」

”初期状態はこちらで設定してあるので、問題ありません。細かい箇所は後で変更することができます”

「そうなんだ。じゃあ、とりあえず猫にでも……」

 

 レイジングハートを手になのはは目を閉じた。全身が桜色の光に包まれると、その大きさは徐々に小さくなり猫の影を作る。

 目を開いたなのはは驚いた。机、椅子、ベッド、なにもかもが巨大になり、知らぬ間に童話の不思議な世界に迷い込んでしまったかのようだった。

 姿見で自分がどうなっているのか確認した。

 

「本当に猫になってる!」

 

 白猫になっている自分に興奮し、両前足の肉球を鏡に突き出して、首や身体を捻ってまじまじと観察した。

 この姿でも普通に話すことができた。ユーノもそうだし、となのはも特に疑問を抱くことはなかった。歩こうとするが、四足歩行に慣れていないなのはの足取りはおぼつかない。

 

「にゃ……にゃあ」

 

 恥ずかしそうに猫の真似をした。そして言い終わると、やっぱり恥ずかしくて、それをごまかすように部屋の中を歩き回った。

 

「そうだ! お姉ちゃんのところいってみよっと」

 

 なのはは一度変身を解いて部屋から出ると、美由希の部屋の前に立った。そしてもう一度猫に変身すると、ドアに猫パンチした。

 すると扉が開き女型の巨人が現れた。美由希である。なのはは蹴り飛ばされないかひやひやした。

 最初、美由希は誰もいないと思ったのか廊下を確認したが、すぐに足下に猫が居ることに気づいた。

 

「あら、かわいい! どうしたの、迷子? というかなんで家の中に……」

 

 そんなことを一人で呟きながら、しゃがみ込んだ。

 なのはは、その様子を面白く思いながら美由希を見上げた。そして差し出された巨大な手に頭をこすりつける。すると気を良くしたのか、美由希はなのはを抱き上げナデナデを開始した。

 ユーノが家にやってきた時のことを思い出しながら、なのはは美由希の手に目を細めた。

 美由希はなのはを抱えたまま、恭也の部屋へ向かった。

 

「ちょっとキョウちゃん。私の部屋に猫がやってきたんだけど、もしかして拾ってきたの?」

「猫? いや、心当たりないが……」

「だよねー」

 

 なのはは2人の様子を見て内心で笑った。

 さて、そろそろ自分の正体を明かそうか。そう思って言葉を発そうとした。が、なんと切り出せばいいか分からなくて考え込んだ。

 

「どこから入ってきたんだ」

「さあ、わかんない。うちで飼えないかな」

「さすがに無理じゃないか? 分からんが」

「飼えると思うよ」

 

 なのはは美由希の胸に顔を埋めながら小声で言った。

 

「なんか言ったか?」

「え、私じゃないよ!?」

 

 美由希はなのはに視線を向けて慌てて言った。

 

「いや、美由希以外にだれがいるんだ?」

「いや、私じゃないって! この子だよ!」

 

 恭也はやれやれといった様子で美由希に笑みを浮かべた。

 

「なにさその顔は、ほんとだってば! ほらもう一回言ってごらん?」

 

 焦る美由希はなのはに優しく言った。それに対しなのはは無言を貫いた。

 

「あれれ、どうしたの? 疲れちゃったのかなぁ? あははは」

「美由希……分かったから、もういい。美由希が正しい。それでいいだろ?」

 

 うんうん、と頷く恭也に美由希は顔を朱に染めた。

 さすがに申し訳なく思ったなのはは声を出した。

 

「あまりお姉ちゃんをいじめないでよ、お兄ちゃん」

 

 2人は無言でなのはを見た。それから美由希ははっとしたように顔を上げて恭也を見た。

 

「……ほら、しゃべった!」

「……」

「ほら! 私嘘なんてついてないよ! 妄想じゃないんだから!」

「いや、それはわかったが、お兄ちゃんお姉ちゃんって言ったぞ、そいつ」

 

 美由希はなのはを掲げてじっと見つめた。

 

「……なのは?」

「あたり……にゃあ」

 

 なんだか美由希に後ろめたさを感じたなのはは、猫の鳴き真似でごまかそうとした。

 

「え、ほんとになのはなの!?」

「なるほど、それも魔法か……」

 

 恭也はなのはの首根っこを掴むと美由希から取り上げ、宙ぶらりんのなのはを残念そうに見つめた。

 

「うちでは飼えないから、かわいそうだけど外で頑張ってもらうしかないな。ダンボールあったかな」

「ひどい! なのはだってば! 捨てないでよ!」

「最近の猫は言葉を喋るから困る。一体どこで覚えたんだか、いや、そもそもどうやって声を出しているんだ」

 

 そう言って身動きのとれないなのはを指でつついた。

 

「ほれほれ、勝手に入ってきたお仕置きだ。お、そうだ忍のところで躾けてもらうか。きっと厳しい猫社会に揉まれて逞しく育つだろう」

「ちょ、つつかないで!」

 

 我ながら良い考えだと頷く恭也に、なのははいやいやと手足を振り回した。

 

「ほら美由希、責任をもってもとの場所に戻してこい」

「2人はほんとに仲がいいね」

 

 美由希はなのはを受け取ると、毛並みを楽しむように撫でながら恭也の部屋を出た。

 

「魔法ってなんでもありなんだね。ちゃんと元に戻れるの?」

「戻れるよ」

「そっか、戻れなくなってたらどうしようかと思ったよ……それより」

 

 美由希はそのまま自分の部屋に入った。

 

「もう少しその姿で遊ぼ?」

 

 それから、美由希が満足するまで全身を撫でられ続け、その後、他の動物にも変身できるのかを試した。その際、レイジングハートの紹介をし、眠くなるまで2人と一機で雑談をした。

 その夜は久しぶりに美由希と一緒の布団で眠った。

 

 

 

 

 次の日、アリサとすずかに変身できたことを伝えた。

 

「本当!? 犬になれる?」

「うん、なれるよ」

「猫には!?」

「猫にもなれるよ」

 

 学校に着くなり、2人に背を押されながらトイレへ行き、狭い個室の中、動物の姿に変身してみせた。

 

「ねえなのは、放課後わたしんちによっていかない? ごちそうするわ!」

「ドックフードはいらないよ」

 

 なのはは疑うような視線をアリサに向けた。

 

「アリサちゃんのところじゃなくて私の家にこない? 紹介したい子がいるんだ」

「私、今のところ猫のお友達は募集してないよ」

 

 2人の熱烈なオファーに軽くため息をついた。

 

「それに私、友達の家に行かないといけないから、また今度だね」

 

 2人はなのはの言葉に固まった。そして2人同時になのはに背を向けると、頭をつきあわせた。

 

「な、なのはちゃんに友達だってよアリサちゃん! 私、私どうしたら! いい子紹介しようと思ってたのに!」

「大丈夫、大丈夫よすずか。落ち着きなさい。思い当たる人物なんて一人しかいないわ。きっとあの男子よ」

「男子……もしかしてデート!?」

「ばっ、そんなわけないじゃない! そんなの私が許さないわ」

「あの、普通に聞こえてるんですけど」

 

 確かに思い浮かべてみても、友達と呼べる相手はアリサとすずかくらいなものだった。否定できない。しかしそんな反応されるとチクチクと心にダメージをくらってしまう。それにデートじゃない。

 

「アリサちゃんが言うようにユーノくんと会うけど、もう一人とも会うんだ。女の子だよ」

 

 なのはがはやてのことを簡単に説明すると、2人は興味を示した。

 

「なのはと仲良くしてくれるなんて、なんて良い子なのかしら! 仲良く慣れそうな気がするわ」

「ねえアリサちゃん、私泣くよ?」

 

 そんなに自分は仲良くしにくい性格をしているのだろうかと思ったが、仲の良い人だけに言う、アリサのちょっとした冗談だと分かっているため軽く流す。

 

「今日行ったら2人のこと話してみるよ。たぶん、うちにつれてきてって喜ぶと思うよ」

 

 なのはは嬉しそうに笑うはやてことを脳裏に思い浮かべた。

 放課後、2人と別れてはやての家に向かった。

 

「いらっしゃい、なのはちゃん! はいってはいって」

「やあ、2日ぶり」

 

 はやてに促されて家に上がった。

 

「ユーノくん、はやてに今日私の家にくるって伝えた?」

「伝えたよ。あ、聞くの忘れたんだけど、なのはのお父さんとの話が終わったら、帰るってことでいいんだよね?」

「多分それでいいんじゃないかな。住むところが決まってなかったら、泊まっていけって言われるかもしれないけど、もう決まってるし。あ、今の時間だと夕飯食べていったらって言われるかも。どうする?」

 

 ユーノとはやては顔を見合わせた。

 

「もし、ご馳走してくれるいうなら食べてくるとええよ。その時は連絡してくれると助かるわ」

「わかった、そうするよ」

 

 それから、なのははアリサとすずかのことを伝え、今度一緒に遊ばないかと聞いてみた。

 

「遊びのお誘い! ああ、私は夢でもみとるんやろか! もちろん私はオーケーや! でもその……私なんかが行って大丈夫やろか」

 

 はやては不安そうに表情を曇らせた。

 

「大丈夫だよ、2人とも優しいから。もし、はやてに何か失礼なことしたら、私が怒ってあげる」

「ふふ、それは頼もしいな。私はいつでもええから、日にち決まったら教えてくれると嬉しいわ」

 

 笑うはやてになのはは頷いた。

 アリサとすずかのことや自分のこと、今日の学校での出来事など、少しだけはやてとおしゃべりをして一息つくと、携帯電話で士郎に連絡してから、ユーノと一緒に家に向かった。

 家の玄関に着くと、ユーノは何度も深呼吸していた。

 

「やばい、緊張する。死んじゃいそう」

「いろいろ聞かれるかもね」

 

 なのははユーノの緊張を解そうとするでもなく、むしろ面白そうにその様子を見ながら玄関の戸を開けた。

 音が聞こえたようで、すぐに士郎がやってきた。

 

「おかえり」

「ただいま」

 

 士郎はユーノに視線を向け笑みを浮かべた。

 

「こんにちは、ユーノくんだね。なのはの父親の士郎だよ。わざわざ足を運んでもらって悪いね。どうぞ上がって」

「はい。お、お邪魔しまーす……」

 

 恐縮するユーノは小さく控えめな声を出しながら、足音にすら気を配るかのように慎重に家の中に上がった。

 客間には既に3人分の座布団が敷かれてあり、なのはとユーノが並んで座り、机を挟んだ対面に士郎が座った。

 座って間もなく、桃子がやってきて士郎の前にお茶を、なのはとユーノの前に冷えたオレンジジュースを置いた。

 

「そう緊張しないで、ゆっくりしていってね」

 

 桃子はユーノに微笑むと部屋から出て行った。

 

「大体の話はなのはから聞いているよ。それで今回ユーノくんに来てもらったのは、話の確認ともうちょっと詳しく聞いてみたいと思ったからだよ。いいかな?」

 

 それから、なのはが話したことの確認と主にジュエルシードのことについて話した。ジュエルシードの危険性、対処方法、それを管理する組織の有無など。そしてユーノの行動について思ったことを一言二言ほど述べた。

 

「それで、これからどうするつもりなんだい?」

「このまま、なのはと2人で封印を続けようと考えています」

「それはなのはとユーノくんがしなければならないことなのかい? すぐにでも助けを求めにいくべきじゃないか?」

「これは魔法でしか対処できません。それにいつ現れるかも分かりません。助けを求めるのにも何日か時間が必要です。もし戻ってくる間に現れたとしたら、なのは一人で相手することになってしまいます。暴走体にならならずに封印できる場合と、暴走体になってもそれほど強くない場合なら、なのは一人でも大丈夫ですが、どうなるか予想が付きません。それに結界を張れなければ街への被害も出ます」

「なのはもそれに納得しているのか?」

「納得してるよ、全部」

 

 士郎は頷くなのはを無言で見つめた。なのははその射抜くような視線に耐えられず視線を落とし俯いた。

 

「危険だってことは嫌なほどわかってる。それでもやらないと……嫌でもやらないといけない」

 

 やらなければ今ここにいることさえできない。なのはは心の中で呟いた。

 士郎は「そうか」と一言だけ言った。そして腕を組んで視線を下げると、しばらく無言になった。

 

「ユーノくん、私が代わりにそっちの世界へ行って助けを求めることはできないのか?」

「え!?」

 

 ユーノは素っ頓狂な声を上げて固まった。なのはもびっくりして士郎を見つめた。

 

「可能ですけど……」

「なら方法を教えてほしい。できれば明日の朝にでも行こうと思う」

 

 ユーノは考えこむように視線を落とした。問題点を考えているのだろう。そして間もなく士郎を見た。

 

「わかりました。いろいろと説明しなければならないことがあります。それと準備や確認もありますので、朝には無理ですが明日のうちには行けると思います。それでよろしいですね」

 

 こうして士郎が助けを求めに行くことが決まった。

 なのははユーノが家に泊まることになったことをはやてに伝えた。士郎は桃子に事情を説明し、ユーノと夜遅くまで話し合っていた。

 夜が明けて、なのはは昨日と同じように登校準備をした。

 

「なのは、しっかりな」士郎は靴を履くなのはに言った。

「うん、お父さんも気をつけてね。いってきます」

 

 士郎が出発するのを見届けたかったが、その気持ちをぐっと抑えて、なのはは学校に向かった。

 これから父が向かう世界はどんな場所なのだろう? SF映画に出てくるような、車が空を飛んだり、たくさんのロボットが普通に街中を歩き人の生活に溶け込んでいる、科学が発展した世界なのだろうか。それともあらゆることが魔法によって行われる世界なのだろうか。なのははここではない別の世界の光景をぼんやり想像しながらその日を過ごした。

 それから3日経った。その間、士郎が関わったことにより気を引き締めたなのはとユーノは、放課後の時間を使って魔法の練習をしたり戦術を考えていたりした。ジュエルシードの反応は無かった。

 学校でアリサとすずかに、はやてを誘って土曜日に遊ぼうと言われた。最初、父ががんばっているのに遊ぶなんて、と誘いを断ろうとした。しかし、家に引きこもっていたからといってジュエルシードが現れるわけでもないし、この一週間2人に心配かけたことへの謝罪の気持ちもあり、少しだけならと遊ぶことにした。ユーノもこれに同意してくれた。

 そして今、すずかの家に遊びに行く前に、はやてを迎えにいく途中だった。

 街中を抜け、大通りから外れ、入り組んだ住宅街に入った。少しばかり歩くと、通りに黒い服の少女が見えた。眉を寄せ立ち止まり周りを見渡したかと思うと、首を傾げ、太陽に煌めく金髪の長いツインテールを揺らして再び歩き出す少女。見た感じなのはと同じか少し上くらいの歳だった。

 そのどこか困った様子に、どうしたのだろうかとなのはは疑問に思った。そして声を掛けるかどうか悩みながら歩みを進める。困っているなら助けてあげたい。でもいきなり知らない子に声を掛けるなんて緊張する。しかも外国人の可能性が大。そのまま知らないふりをしようか本気で悩んだが、内気な心をねじ伏せて、思い切って少女の背中に声を掛けた。

 

「あの、お困りですか」

「え? あ……はい。今どこに居るのか分からなくなって……」

 

 振り返った少女は透き通る赤い瞳の焦点をなのはに合わせた。端正な顔立ちで人形のように可愛らしく、なのはは言葉を忘れて見入ってしまった。それからはっとして、なるほどと頷き返した。少女の目的地を尋ねると、とくに行き先は決まっていないらしく、ふらふら歩いていたら迷ってしまったようだ。

 

「大通りに戻るには、この道を戻って……私が案内するよ。一緒にいこう」

 

 説明するより連れていった方がいいと判断し、自分で案内することにした。少女は突然の提案に驚いたようで言葉を詰まらせてから頷いた。

 静かな子だった。会話するつもりがないというより、何か話そうとしても何を話せばいいかわからない、といった風だった。

 なのはは横目で少女を見た。すごく可愛い。見る度にそう思った。

 

「この辺にくるのは初めてだった?」

「え? うん、最近この街に来たから」

「そうなんだ。引っ越し?」

「うん、用事があって……この辺りに住んでるの?」

「そうだよ。歩きだとここから少し遠いけどね」

 

 短い会話をしているうちに大通りに辿り着き少女と別れた。

 来た道を引き返し、はやての家へ向かった。玄関前でチャイムを鳴らすと、インターホンから楽しみな気持ちを隠せないはやての声に促され、家の中へ入った。はやてはすでに準備万端だった。

 アリサたちと会うのを渋るユーノを、なのはとはやては半ば強制的に連れて家を出た。はやてが扉に鍵を掛ける寸前、ユーノは家の中に戻り、「忘れ物だよ」と手に持ったツバの広い帽子をはやてに渡した。

 はやての家からすずかの家まで、歩いていくにはそれなりの距離がある。最初すずかは車を出そうかと聞いてきたが、なのはと徒歩で行きたい、というはやてからの希望で断ったのだ。

 なのはははやての隣を歩いた。はやてが乗った車椅子をユーノが押して歩く。ユーノは段差がある度に車椅子の前輪を浮かせた。

 青空には大小様々な綿雲が浮かび、影の明暗で立体的に見えた。はやてはその雲を目で追い、時々頬を撫でる微風を受けて心地よさそうに目を細めた。そして、やっぱり徒歩で正解だった、と嬉しそうに笑った。なのはは父のことを考え、遊ぶことに罪悪感を感じていたが、はやての笑顔を見ると和らいだ。

 なのははすずかに、もうすぐ着くことを携帯電話で伝えた。

 すずかの家の門前に来ると、メイドのファリンが出迎えてくれた。はやてとユーノはその敷地と建物の大きさに驚き、手入れの行き届いた庭を物珍しげに観察していた。

 なのはは2人の家に遊びに来る度に、アリサとすずかは自分とは住んでいる世界が違うのだと実感した。自分が2人と仲良くできていることを不思議に思うことがあるが、同時に誇らしくもあった。

 屋敷に入ると、ファリンははやてを抱き抱え室内用の車椅子に移した。

「車椅子あったんですか?」なのははファリンに聞いた。

 

「ふふ、はやてさんが遊びにくるということで買ってきたんです!」

「ええ! わざわざ買ってくるなんて……気を使ってくださり申し訳ないです」

「いいんですよ。それと私には敬語じゃなくてかまいません。どうぞ楽になさってください」

 

 萎縮するはやてにファリンは笑みを返した。

 案内された部屋に入ると、すずかとアリサがテーブルを前に座っていた。そして部屋のあちこちに猫が転がっていた。

 

「いらっしゃいなのはちゃん。後ろの2人は、はやてちゃんとユーノくんね? なのはちゃんから話は聞いてるよ。どうぞくつろいで」

「ええ、歓迎するわ! それと……ユーノくんもね、よろしく」

 

 アリサははやてに微笑んだ後、視線でその命を奪おうとでもいうように、ぎろりとユーノを見た。

 

「えと、その、よろしくね? アリサさん……とすずかさん」

 

 ユーノがアリサの名前を呼んだ瞬間、アリサの視線の鋭さが増しユーノは笑みが引きつった。

 

「ありがとう! 私も2人のことは聞いとる。誘ってくれて嬉しいわ。よろしくな。それにしても、アリサちゃんもすずかちゃんも想像してた以上に美少女やなあ。なのはちゃんもそうやし、メイドさんまで……やっぱり類は友を呼ぶんやろか。な、ユーノくん?」

「なんで僕にふるのかな、はやて」

「その美少女たちから私のなのはを連れて逃げたのよ、このユーノという男は! ああ、思い出しただけで悔しい!」

 

 荒ぶるアリサをなのはが、まあまあと宥めた。それから思い出したようにアリサとすずかに「魔法のことは今回は無しで」と伝えた。はやては首を傾げたが、アリサが別の話題を振るとすぐに忘れてしまった。

 少しして、ファリンが飲み物とお菓子をテーブルに置き、一礼すると再び部屋から出ていった。

 馴染めなかったらどうしよう、というはやての最初の心配は結局無駄だった。ユーノはほんの少し居心地悪そうな様子だったが、旧知の仲だったかのように話は弾んだ。途中すずかに、「この子紹介したかったんだ。友達になってあげて」と子猫を渡された。なのはは、それは猫同士の友達になれということなのか、と考え苦笑いを浮かべた。

 そうして楽しんでいると、突然ジュエルシードの反応があった。なのはとユーノは動きを止め、顔を見合わせた。

 なのはは立ち上がると、すずかの耳元に口を寄せ、

「ジュエルシードが現れたからユーノくんとちょっと行ってくる」と呟いた。

 

「はやて、ごめん。私とユーノくんちょっと外行ってくるね。ついて来ちゃダメだよ?」

 

 なのはとユーノは部屋から出ると、なのはは戦闘服を纏いながら反応のあった方角へ向かった。

 それは屋敷から少しばかり離れた敷地内にあった。

 

「なんでこんな近くに出るの!?」なのはは声を荒げた。

 

 プールでアリサとすずかを巻き込んでしまった時の記憶が一気に蘇る。

 絶対に負けるわけにはいかない。そう思いながらも負けてしまった時のことがチラついた。今回もそうなのではないか。何度も浮かでくるやられてしまう光景を、以前の自分とは違う、もう負けることなんてない、と振り払った。

 ユーノは結界を張った。ジュエルシードが小さな宝石から、全長3メートルほどの豹のような姿に変化した。四肢は毛皮ではなくウロコのような表皮に覆われ、大きく鋭い鈍色の爪が地面に突き刺さっていた。

 

「なのは、僕たち以外に魔法を使える誰かが結界の中にいるみたいだ」

「え?」

 

 どういうことだとなのはが尋ねようとした時、黒い影が暴走体の真上に飛来した。その影は暴走体に急降下すると、黄色い光を放つ透き通った硝子のような刃を叩きつけるように振り下ろす。その刃は暴走体の表皮を切り裂いた。

 

「あ……」

 

 なのはは突然の出来事に動きを止め、その光景を見つめた。黒のワンピース水着のようなものに裏地が赤の黒マント……おそらくバリアジャケットなのだろう。手には少女の身長より少し長いポールウェポン、黄色い宝石の嵌めこまれた黒いグレイブが握られていた。彼女は何時間か前に出会った道に迷っていた少女だった。

 なぜ水着なのだろうか。そんな一番最初に浮かんだどうでもいい疑問は、道案内してあげた少女が同じ魔法使いであったことへの驚きと、目の前の戦闘に一瞬でかき消された。

 暴走体は素早く飛び下がりながら琥珀色の魔法弾を幾つも作り出し少女に向けて放った。そして宙に足場を作りながら出鱈目な線を描いて少女に接近した。

 少女は直線的に飛んでくる魔法弾を苦もなく避けると、手に持つグレイブを横に構え、最後の間合いを詰めようと飛びかかる暴走体を迎え撃つ。僅かに立ち位置を横にずらしてから一歩前へと踏み込み、横を通り抜ける暴走体に黄色に輝く刃を撫で付けた。そしてそのまま身を翻すと、首から腰まで切り裂かれ地面を転がる暴走体に飛び乗り、一層輝きを増した刃を深く突き立てる。すると突き刺さった傷口からバチバチと紫電が溢れ空気中を踊った。それから間もなく暴走体は光の粒となって消滅し、一つのジュエルシードと微かなオゾン臭が残った。

 少女は魔力で作られた黄色の刃を消し、黒い刀身となったグレイブをジュエルシードに近づけた。ジュエルシードは刀身の付け根に嵌めこまれた黄色い宝石へと吸い込まれていった。

 なのはは動くことも声をかけることもできず、その姿を黙って見つめていた。完全に少女に惹きこまれていた。まさかあの時の道に迷っていた静かな少女が魔法使いで、しかもこんなに格好良いなんて!

 少女はなのはの方へ視線を向けた。なのはと目が合ったと分かると真顔を崩し、少し恥ずかしそうにしながら口角を僅かに上げた。そしてすぐに視線を逸らすと、ふよふよと宙へ飛び、何事も無かったかのように去ろうとした。

 

「そのジュエルシードをどうするつもり?」

 

 ユーノは結界を解きながら少女の背に向けて尋ねた。

 少女は振り返ってユーノを見つめて少しの間沈黙した。

 

「わからない」

「それはとても危険なものなんだ」

「そうなんだ……ありがとう、気をつけるね」

 

 ユーノは少女の返答に呆けた。そして帰ろうとする少女を慌てて呼び止めた。

 

「いや、ちょっと待って! きみはジュエルシードを集めてるのかい?」

「集めてる……まだ一個だけど」

 

 まだ一個しか持っていないことに恥ずかしさを感じたのか、控えめに言った。そしてグレイブに嵌めこまれた宝石に視線を向けてから、さっきのがその一個ですよ、というように小さく揺らして見せた。

 なのはは少女と話すユーノを見て、自分も彼女と何か話したいと思った。しかし何か話そうとすればするほど、思考は空回りするばかりで何を話せばいいかすぐに思い浮かばなかった。道案内する時はそんなことなかったのに。今の自分が恨めしかった。このままでは行ってしまう。そう考え、思い切って呼びかけた。

 

「あの!」

 

 少女は視線をなのはに移して、微妙に首を傾げた。

 なのはは少女の視線が自分に向いただけでドキリとした。急いで話題を探していると、少女の持つグレイブに目が止まる。これだ! なのはは光を見出した。

 

「その武器かっこいいね!」

 

 もっと他に言うことがありそうなものだが、今のなのはには藁にも縋る思いで見つけた話題だった。しかし言い終わるかどうかという時、なのはたちと少女の間の空間が歪み、黒髪の少年が現れて話は途切れた。

 3人の視線が少年に集まる。見たところ、なのはたちより2、3歳上に見える。肩に棘のついた黒いコートを着ており、手には黒い杖を持っていた。少年は辺りを見渡してから、一番近くにいるユーノに視線を向けた。

 

「戦闘は……終わってしまったようだね。来るのが遅れて申し訳ない。僕は時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンという者だ」

 

 少年が言い終わる前に少女は身を翻して勢い良く飛び去ってしまった。

 

「あ……」

 

 なのはは吐息ともつかない小さな声をこぼす。先程まで少女がいた空間を見つめ、何も話すことができなかったことに肩を落とした。

 誰かと通信でもしているのか、少年はぶつぶつ呟いていた。

 

「時空管理局! きっと士郎さんが呼んでくれたんだよなのは! 上手くいって良かった!」

 

 ユーノはなのはに振り向いて心底安心したように言った。少女が行ってしまったことより、助けが来たことの方が大きかったのだろう。街なんて簡単に壊せる代物を、自分たちだけで相手にしなければならない重圧から開放されるのだから当然かもしれない。

 

「お父さんが……」

「その通りだ。きみの父、士郎さんもすぐにこっちに来るから安心するといい」

 

 なのはも士郎が無事戻ってくることと、ようやくこの命がけの戦いから逃れられることに胸の靄が晴れるのを感じた。その代わりに、立ち去ってしまった綺麗で可愛くて格好いい少女のことを想うのだった。

 

 




ボツ案
 金髪の少女が暴走体と退治した。様子を伺うかのようにじっと構えている。しかしよく見ると槍の先が微かに震えていた。
 それを見てはっとしたなのはは、少女の横をすり抜け一歩前に出ると、数発の魔法弾を宙に生成しハンマーを構えた。少女はそんななのはを、状況が飲み込めないというように呆けながら見ていた。

「任せて」

 なのはは振り向くこと無く、後ろの少女に向けて静かに言った。
 その言葉に自分は舐められていると感じたのだろうか。少女はきゅっと唇を真一門に引き締め、槍を強く握ると、先ほどのなのはと同じようになのはの横をすり抜け構えた。その手はもう震えていない。
「必要ない」少女は透き通った冷たい声でなのはに言った。
 少女は飛び立ち、真昼の太陽のような魔法弾を暴走体の真上にいくつも撃ち放った。
 魔導師の少女というものは皆このような……強大な敵に立ち向かう勇敢さを持っているのだろうか。それともなのはと黒衣の少女が特別であり、確固とした信念により獲得できた強さなのであろうか。いずれにしても、逃げること無く自ら戦い行く姿は、それが例え幼き少女だとしても、見ている者の心を奮い立たせる。





 鋭く放たれた魔法弾は、黒衣の少女の直ぐ横を通り過ぎていった。

『ご主人様……今の物理攻撃です』

 黒衣の少女は驚いた表情をしたまま、無言の時間が流れた。通り過ぎていった時に少し当たったのか、腕から赤い傷跡が現れ、血がゆっくりとふくらんでいった。黒衣の少女はその傷を指で撫でそれに視線を向けた。それが再びなのはに向けられた時、その目は冷たく光っていた。

「え……どういうこと?」
『魔法には魔力を実体化させ物理ダメージを与える方法と、実態を持たず魔力の源であるリンカーコアと魔力の流れる箇所にのみダメージを与えるものとがあります。後者の場合、体を損傷させること無く相手を気絶させられるため、対人戦で用いられます。いわゆる殺傷設定と非殺傷設定というものです』
「なにそれ知らない」
 少女が氷付いたような冷たい沈黙をやぶった。





 なのはは直ぐ様体を起こし構えようとするが、黒い影が目の前に迫ったかと思うと、突然、胸に衝撃と激痛が襲った。なのはは堪らず悲鳴を上げた。見ると、病人のように真っ青な顔で、ぎっちりと目蓋を閉じ、俯きながら、なのはの胸にグレイブを突き立てる黒衣の少女がいた。
「死ぬわけにはいかないんだ……」
 感情を押し殺したように低く、どこか悲しげな呟きがなのはの耳に届いた。
 黒衣の少女の腕から滲み出る鮮血は、肘まで流れると一粒の雫となり、ぽたりとなのはの純白のバリアジャケットに吸い込まれていった。なのはは胸に突き刺さるグレイブから、決して小さくない振動を感じ取った。そしてそれが何なのかを理解した瞬間、初めて黒い化け物と対峙した時の場面が一気に脳裏を駆け抜けた。
 なのはは今でも傷を負うことが怖いが、死んだとしてもやり直せる。やり直せば痛みは消えるし、傷もなくなる。しかし黒衣の少女はなのはと違って死ねば終わりだ。傷を負えばすぐには治らないし、完治しないこともある。その恐怖は如何程のものだろうか。もし黒い化け物と初めて対峙した時、今のように魔法が使えたとして、自分は彼女のように勇敢に戦えていただろうか。未来に辿り着くために誰かを傷つけることを、その場で迷わず決断できただろうか。
 なのはは黒衣の少女の覚悟を感じ取り、全力で生きていることを感じ取り、美しいと思った。
 黒衣の少女はグレイブを一息に引き抜くと、なのはと視線を合わせること無くマントを翻し立ち去った。
 なのはは薄れる意識で、そういえばユーノもそうなのかもしれないな、と今になって気がついたのだった。

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