魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

3 / 24
止まった心

 

 目覚しのメロディーが部屋に響き渡る。

 瞼を開いたなのはは目覚ましを止めることもせず、目の前の天井をただぼんやりと見詰めたまま一切の身じろぎをしない。

 生きてる。

 それが真っ先に浮かんだ言葉だった。

 目尻から涙がこぼれ落ちる。無表情の顔は次第に崩れていった。眉をひそめ、震える口元はへの字を描いていく。喉が熱くなり嗚咽し始める。

 なのはは顔に布団を引き寄せると横を向き蹲った。脳裏には先程の恐怖、絶望、痛み、そして平和な日常から恐怖のどん底へ叩き落されたショックが何度も鮮明に繰り返されていた。

 目覚ましが止まる。

 

「怖かった……。怖かった……よぅ……」

 

 静まり返った部屋になのはの声が小さく響いた。

 時間を忘れて泣いていたなのはへ扉越しに声がかかる。制服を着た美由希が起きないなのはを起こしにきたのだ。

 「すぐ……起きる……」と返すなのはの声は嗚咽が混じり途切れ途切れだった。いつもと違う様子のなのはに美由希は心配になり扉を開けて確認する。そこには泣き腫らした目をしながらベッドから出ようとしているなのはの姿があった。

 

「ちょ、どうしたのなのは!? どこか具合でも悪いの?」

 

 美由希は慌ててベッドの淵に座ったなのはに駆け寄り手を握る。そして顔を覗き込み尋ねた。

 

「ううん、違う……の。ちょっ……と怖い夢……見ただけ……」

 

 そう答えると再び、落ちる瞬間、ぶつかる瞬間の光景を思い出し感情が蘇る。なのはは怖い夢を見て泣いてる姿など見せたくないと唇を噛み堪える。しかし、涙は溢れ横隔膜が痙攣する。そんな、いたいけな様子を見て、美由希はなのはの頭を胸に抱きよせ優しく撫でる。

 

「あー、よしよし。怖かったね。もう大丈夫だよ」

 

 その優しい言葉に、なのはは堪えきれなくなり声を上げて泣き出した。

 

「怖か……ったのぉ! すごく……すごく怖かったよぉ! もう……絶対だめだと……思ったよぉ!」

 

 なのははしばらくの間、美由希の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。

 それから幾許かすると、美由希は胸に抱くなのはを見ながら「ちょっとは落ち着いたかな?」と尋ねた。

 なのはは顔を少し赤くしながら「うん、だいぶ落ち着いたよ。ありがとうお姉ちゃん」と美由希を見上げて言った。

 大泣きしたところ見られてちょっと恥ずかしかった。しかも理由が怖い夢。もう3年生なのに。しかし、こうしてる抱かれているとすごく落ち着いた。もうちょっとこのままでいたい。

 

「じゃあ、そろそろ朝ごはん食べないとね。遅刻しちゃうよ?」

 

 そう言うとなのはを離し笑った。

 

「そうだった!」

 

 着替える終わると、待っていてくれた美由希の腰に後ろから抱きつく。そして一緒に食卓へ向かった。

 

「ちょっと、歩きづらいよなのは」

 

 美由希は苦笑いするも嫌ではない様子。

 

「えへへ、ちょっとの間だけっ」

 

 なのはの顔はいつも通りの笑顔に戻っていた。

 

「あら、おはようなのは。……何かあったの?」

 

 淡い黄色のエプロン姿をした桃子が食卓に着いたなのはの前に朝食を並べながら尋ねた。

 なのははちょっと困ったように「えーっと」と言うと、恭也を挟んで二つ隣に座る美由希のほうに目を向けた。

 その様子に桃子は首を傾げ、なのはの前に座る士郎は不思議そう腕を組み状況を見守る。そして二人の視線の間に座る恭也は背を反らし少し居心地悪そうに二人を交互に見た。

 美由希はなのはに、にこにこ微笑むと「すごく怖い夢見て、それが夢だって気づいたら安心して少しぼーっとしちゃったんだよね?」と確認するように言うと桃子の方を向いた。

 なのはは、皆自分が泣いたことに気づいてるんだろうなという恥ずかしさと美由希が気を使ってくれたことに対する嬉しさで顔を少し熱くし俯く。

 

「あら、そうだったの。じゃあお母さんが腕によりをかけて作った朝ごはんを食べて、元気出してちょうだい? そうすれば怖い夢なんてすぐ忘れちゃうわ!」

 

 桃子はなのはに優しく笑みを向けると腕にコブを作る仕草をして言った。なのはは顔を上げ大きく頷き食べ始めた。

 

「ところで、そのものすごく怖い夢ってどんな内容だったんだ?」

 

 恭也が尋ねてくる。

 美由希は小さくため息をついた。

 

「……えーっとね、自分が死ぬ夢なんだけど……」

 

 なのはは出来るだけ感情を思い出さないようにただ淡々と内容を話した。部屋が静まり返る。

 細部まで描写された話から、その光景を想像した4人は少し眉を寄せた。

 

「……それは怖かったわね。でも安心してなのは。ここは夢じゃないからそんなことは起きないわ。……さ、そろそろ行く準備しないとね?」

 

 その言葉にごちそうさまをして支度を始めた。

 そういえば今日は何日だっただろうか。なのははふと考える。夢オチを何度も繰り返しているせいか、時間の感覚がおかしかった。これも全て夢がリアルすぎるのがいけない。そう内心で愚痴った。

 

「ねぇ、お母さん。そういえば今日って何日だっけ?」

 

 見送るために玄関に来ている桃子になのはは靴を履きながら聞いた。

 

「えーっと……ちょっと待ってて。今日は……」

 

 確認して戻ってきた桃子は今日の日付を教えてくれる。なのはは聞き間違えたのかと思い、立ち上がって桃子の方を振り向くと「え? 何日?」ともう一度聞く。しかし返ってきた答えは変わらず、それが聞き間違いなどではないことを確認させられるだけだった。

 なのはは振り向いた姿勢のまま表情も変えずただただ桃子を見つめ続ける。まるでそこだけが時間に取り残されたかのようだった。

 おかしい。そんなことありえるわけがない。完全になのはは思考停止していた。考えようとするが、なにについて考えようとしているのかすら思い浮かばない状態。そんななのはを心配して桃子は「どうしたのなのは? どこか具合でも悪くなったの?」と顔を覗き込んで声をかけるが依然停止したままだ。

 桃子がなのはの前に手を翳す。するとなのはは間抜けな声を出してからようやく我に返る。

 

「うぅん、なんでもないの! 行ってきまーす!」

 

 家から出たなのはは内心でかなり動揺していた。

 これはどういうことなんだろうか。わけがわからない。もしや家族みんなによるドッキリなのではないか。そう考え、カメラはないかと、さり気無く辺りを見渡す。しかし誰かがカメラを向けているわけでも知っている人が隠れているわけでもなく映るのはいつもと変わらぬバス停前の景色。

 なのははため息をついて俯く。

 ドッキリなわけないじゃないか。日付聞いたのは偶然でありわざわざこの日を選ぶ必要もない。

 

「はぁ……」

 

 ドッキリであったならどれだけ良かったか。まさかの2度目の夢オチ。実はまだ夢の中なのではないか。……ありえる。二度あることは三度あり、四度ある可能性も高い。であるならば、ここも夢の世界だとしてもおかしくはない。

 

「でも、そうだとすると私はいつ目を覚ませるんだろ? ずっと出られないままだったら……」

 

 その先を考えてなのはは身震いする。永遠に出られない夢。現実世界で目を覚まさぬ自分。一体いつ終わるのか。そもそも終わりはあるのか。考え出したらきりがないほどの不安に、なのはは奈落の底に落ちていくかのように錯覚した。

 なのはは絶望しかける寸前、一抹の希望が頭を過ぎった。

 

「でも! 今回は前とは全く違う1日かもしれないよねっ!」

 

 もしそうならこれは夢じゃなく現実に違いない。そもそも……。

 なのはの思考加速はバスの到着とともに減速し停止した。

 なのはは前とは違うことを祈りながら後部座席に向かう。

 

「お……はようアリサちゃん、すずかちゃん」

「おはようなのは……どうしたの?そんな引きつった笑み浮かべて……」

「おはようなのはちゃん。具合悪いの?」

 

 これはキタッ! 前と違う! もうこれは私の勝ちだっ!

 なのはは内心でガッツポーズする。自分はついに運命に打ち勝ったのだ。そして今から現実世界に生きる、と。

 お花畑になっているなのはの頭の中を知る由も無い二人は本当に心配そうに顔色を窺う。そして「大丈夫! 平気だよ!」と一気に元気になったなのはの返事に唖然とするしかない二人であった。

 

「……突然元気になったわね。まぁ良いことなんだけどさ」

「うん! 私はね、夢の世界の住人だった。でも、もう夢はいらない。私は現実に生きるんだ!」

「……へぇ、なのはは夢の世界の住人だったんだ。それはすごいわね。……がんばって現実に生きて! 応援してるわ」

「なのはちゃん……」

 

 いかにも気分良いですというように左右の足を上下に振り自分の世界に入るなのは。そんな彼女は二人に生暖かい目を向けられていることに気付かなかった。

 昼休み、なのはは自分の席に座っていた。しかし彼女の様子はただの抜け殻のように心此処にあらず、目は虚ろ、そして小さくうわ言のように何かをつぶやいていた。

 うそだ。うそうそうそうそっ! どうして? 自分は現実に戻ったはずなのにどうして! どうしてまた繰り返している?

 もはやわけがわからなかった。

 

「また、怖い思いするのかな。いやだな……。はぁ…………なんだか……全部……どうでもよくなってきちゃった。どうせまた夢オチだ」

 

 なのははこの先、起こるかもしれない絶望を考え始める寸前、全ての思考を放棄した。

 そんな時なのはの体は大きく揺す振られる。

 

「なのは! しっかりしなさい!一体どうしちゃったのよっ。 悩み事があるなら私たちに言いなさいよっ」

 

 アリサが必死に、そして悲しそうに言った。

 

「そうだよなのはちゃん! ほんとにどうしたの?」

 

 すずかもなのはの突然の様子に心配する。

 なのははそんな二人を一瞥しただけですぐに視線を戻した。

 

「大丈夫だよ。平気だから。心配しなくていいよ」

 

 どうせ夢だ。自分もアリサもすずかも全て幻。全てがどうでもよかった。

 

「そんなの嘘! 今なのはが平気じゃないことくらいわかるわよっ!」

「なのはちゃんすごく苦しそうだよ? 私、少ししか力になれないかもだけど手伝うし相談にも乗るよ? だから……」

「ごめん、ちょっと調子悪いみたいなの。保健室行って来るね」

 

 普段は嬉しくて堪らない2人の気遣いだが今はなんだか非常に鬱陶しく感じたなのはは、無理やり口角を上げすずかの言葉をさえぎった。そして「私もついて行く」という二人に「大丈夫。一人で行けるから」と2人を教室に残し保健室へ向かった。2人はどうすることもできなかった。

 

 

 

 

 なのはは早退した。本来なら家の人を呼ばなければならないのだが、2人とも仕事が忙しくて迷惑かけたくない、お金あるからタクシーで帰りますと無理やり押し通した。しかし、なのははタクシーを呼ばずに徒歩で帰宅した。

 徒歩だと学校から家まで少し遠い距離にあるが、気が付いた時にはもう家の前だった。

 なのはは靴を脱ぐとそのまま廊下に仰向けになった。天井をただぼんやりと見つめる。

 本当は分かっていた。でも、もしかしたら違うかもしれないと考えないようにしていた。だけど同じだった。変に期待したのがいけなかった。今日は間違いなく黒い奴に襲われた日。これで3回目。

 なのはは1回目のことを思い出す。声が聞こえて、フェレットを拾って、黒い奴にやられる。それは昨日のことのように鮮明に思い浮かぶ。続けて2回目も同じように。しかしそこには今朝感じたような恐怖はなかった。ただそんなことあったなという無感動。

 それから幾許かの時間が過ぎるとあの声が聞こえた。

 

"たすけて"

 

 あぁ、もうそんな時間か。

 なのはただぼんやりとその声を聞いていた。ただの音としか捉えていなかった。まるで時計が時間を知らせるために鳴っているかように。

 それからしばらくすると玄関の扉から鍵を差込む音が聞こえた。

 

「あら? 鍵閉め忘れたのかしら」

「ははっ、そんなこともあるさ。でも気をつけなきゃな」

 

 桃子と士郎が扉を開けて入ってくると廊下で仰向けになっているなのはを見て固まった。体調が悪くて倒れているのかと心配した2人は慌ててなのはへ駆け寄る。

 焦った顔で安否を確認する2人になのはは起き上がり「おかえりなさい。何処も悪くないよ。ただ寝そべってただけ」と生気のない笑みを浮かべ返事をする。しかしその様子は傍から見るとどう考えても大丈夫なようには見えない。

 心配かけないように我慢してるのではないか、もしくは学校で何かあったのではないかと思った桃子はもう一度問い詰めるがなのはは「本当に何もないし大丈夫だよ。心配しないで」と言うとそのまま自分の部屋に向かってしまった。

 2人は言葉を発せずただその後姿を見つめることしかできなかった。

 部屋に戻ったなのはは制服のままベッドに仰向けになっていた。先程と同じくただぼんやりと天井を見上げたまま。まるで精巧に作られた人形のように身じろぎひとつしない。

 コンコン。扉のノック音が響いた。

 

「なのは、入るよ?」

 

 なのはは扉を開けて入ってくる士郎にゆっくりと視線を向ける。士郎はあまりに無機質なそれに、本当にあの天真爛漫ななのはなのかと思わず息を呑んだ。

 そして「どうしたのお父さん?」とかけられた言葉に士郎はそれはこっちの台詞だよと内心で呟いた。

 

「いやね、なのはがちょっとぼんやりしてたからさ……何か考え事でもあるのかと気になってちゃってね」

 

 士郎は少しおどけたように笑いそう言うとベッドに腰をかける。ベッドのマットが少したわんだ。

 

「ううん。別に何も考えてないよ」

 

 そう言うとなのはは天井に視線を戻す。

 士郎は困った。なのはの状態を見て、おそらく本当に何も考えていないのだろうと気付く。返す言葉が見つからない。

 

「ふむ……じゃあ、心配事でもあるのかい?」

 

 たった今何も考えていないと言った矢先にこの質問。士郎はこんなことしか言えない自分に辟易した。

 案の定なのはは「何も無いよ」と返す。しかしその後に「ただ……」と続け視線を士郎に向ける。

 

「何もかもどうでもよくなっちゃったのお父さん」

 

 そう感情の抜けた笑みを浮かべてなのはは言う。士郎は頭をハンマーで殴られたかのような感覚をおぼえた。

 こんな状態になってしまう程の問題を抱えている小学3年生の我が子。一体何について悩み苦しめばそうなってしまうのか。一体何が彼女をこんな状態にしてしまったのか。そして、そんな思いを我が子にさせてしまっていること。それに気付かなかった自分。相談に乗ることすらできない自分。果てしない無力感。士郎の胸中は悔しさと自責の念で埋め尽くされた。

 士郎は「そうか」と一言言うとしばらく無言でなのはの頭を優しく撫でる。

 

「……そろそろごはん食べようか。お腹空いただろう? 制服から着替えたらおいで」

 

 無理やり微笑むと最後になのはの頬を撫でて立ち上がり部屋を後にした。

 

 

 

 

 なのはは普通に夕飯を食べている。しかし美由希と恭也の2人は戸惑う。なのはの纏う雰囲気が異常だからだ。今までこんなことは無かっただけにどうすればいいのかわからない。

 

「な、なのは。今日は学校どうだったー?」

「……別にいつも通りだったよ。ただ早退しちゃった」

「え?」

 

 美由希の質問に対する返答に4人は声が重なった。 

 桃子が箸を止め尋ねる。

 

「ちょっとなのは、早退したの? やっぱり具合が悪かったんじゃない?」

 

 早退の理由は仮病だ。なのはにとって初めての仮病。なのはは何と言おうかと一瞬悩むと「もう平気」と適当に返した。

 その後の質問も適当に返すと「ごちそうさま」と言い席を立つ。残った4人は顔を見合わせるのだった。 

 戻ったなのはは夕食前と同じくベッドに横たわっていた。

 携帯電話が鳴る。そして数秒たってからようやく気付いたようにのろのろと手を伸ばして確認する。

 アリサからだった。

 話の内容の大部分はなのはの具合の心配で最後に付け足されたように午後の授業と塾のことだった。

 

『じゃあ、また明日ねなのは。おやすみ』

 

 そして通話を終わる。

 メニュー画面に戻るとメールが何件か着ていた。アリサとすずかからのメールでなのはの体調を気にするものだった。

 しばらくするとすずかからも電話が来る。内容はアリサとほとんど変わらなかった。

 大好きな親友からの電話、メールのはずなのに何も感じない。

 携帯電話を閉じたなのははぼんやり考えた。

 私は親友失格だ。自嘲するなのはの頬に涙が伝った。

 

 

 

 




 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。