魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

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空虚な日々

「なのは、そろそろ起きないと」

「……学校行かない」

「え? なに?」

 

 美由希は聞き間違えたかと再び問うが、返ってきた答えは変わらなかった。なのはの言葉を聞いた美由希は困った顔をしながら扉を開けると「でも……」と言う。しかしベッドに入ったまま虚ろな目で天井を見つめているなのはを見て、次の言葉が出てこなかった。何とかできないかとあれこれ考えるが、結局良い案が浮かばなかった美由希は仕方なく桃子に相談しに戻った。

 

「なのは、入るわよ?」

 

 桃子は部屋に入るとそのままベッドに座りなのはを見る。

 

「なのは……学校行きたくないの?」

「……うん。行かない」

「うーん……それは困ったわねぇ」

 

 頭を傾け頬に手を当てた桃子は考える。

 このような場合はどうするべきなのか。甘やかさず無理やりにでも学校へ行かせるべきなのではないか。それとも状態が良くなるまで休ませるべきなのか。桃子にはどれが正しい選択なのか分からなかった。なにしろこのような事態は初めてだ。恭也の時も美由希の時も登校拒否するなんてことはなかった。

 やっぱり学校で虐められているのだろうか。それともやはり体調不良か。

 いくら考えたところで答えなど出なかった。

 

「理由を聞いてもいいかしら?」

「……動きたくない。……動けない」

 

 なのはは今にも消え入りそうな声でそう言うと、光のない目を桃子に向けた。桃子はなのはの目の底までじっと覗き込む。そしてその眼差しからそれが本心なのだと悟った。あらゆる思考、あらゆる意思はなのはのからだから抜け出ていた。

 なのはの余りな様子に、心臓を握りつぶされたかのように胸が苦しくなる。

 士郎から昨日の夕食前の事は聞いている。しかしここまでとは思っていなかった。

 桃子の目が不意に涙で滲んだ。そして、なのはの白く柔らかな両頬を手で優しく包むと言った。

 

「なのは……。あなたは何をそんなに苦しんでいるの? 少しでもいいからお母さんに話してちょうだい? お願い……」

 

 それは懇願。可愛い我が子がこんなにも苦しんでいるのに何もできない。ほんの少しでもいいからその苦しみを自分に分けて欲しい。そんな思いからだった。

 なのはは微かに震えている桃子の手に自分の手を重ねると頬に押し当てた。そして微笑む。

 

「お母さん。私、別に悩んでなんかないよ? 全部夢なの。だからね、私ね、ただ目覚めるのを待ってるだけなんだよ。だから泣かないで? お母さん」

 

 まさかの自分を心配する言葉に、ついに桃子は堪え切れなくなり、目をしばたたかせる。涙の滴が音もなく両頬から伝って流れた。

 一体うちのなのはに何があったというのだ。一体なのはの目には何が映っているのか。それが分からない。悔しくて堪らない。何もできない自分が恨めしい。

 桃子はなのはの言っている意味を理解できなかった。それでもそれが全てなのだと感じ取り、必死になのはの言葉を反芻する。そして一度目を閉じ深呼吸した。

 

「……わかったわ。ゆっくり休んでちょうだい。…………それとねなのは。正直お母さん、なのはの言ったこと自分なりに考えてみたんだけれど……ほとんど分からなかったわ……」

 

 桃子は一瞬、自嘲するように、そして悔しそうに眉をひそめ言った。そして続ける。

 

「だけど、これだけは分かっておいてほしいの。なのは、ここは現実よ。私も士郎さんも恭也も美由希もそしてなのはも……ここにちゃんといるの。今ここにいるなのはも、なのは自身なのよ?」

 

 少し悲しげに微笑むとなのはの頭を一撫でする。そして立ち上がると部屋から出ていった。

 今のなのはにはまだ桃子の言葉を理解するほどの思考力がなかった。しかしそれは、初めて見る母が自分に向けて涙を流す姿と共に記憶に深く刻み込まれていた。

 

「あ、それとねなのは。朝ごはんは皆で食べましょう?」

 

 出て行ったと思ったらすぐに戻ってきた桃子はニコリと微笑んだ。

 なのはは少しの間ぼんやり桃子を見つめた後、こくりと頷くとベッドから降りて桃子と食卓へ向かった。

 

 

 

 

 カーテンは開けられることなく仄暗い空間を作り出していた。眠ったように静かなその空間で時計の秒針の音だけが一定のリズムを響かせていた。

 なのはは一日の大半を自室のベッドの上で過ごした。何を考えるでもなく仰向けになり、ただじっとしていた。そうしていると、いつの間にか意識を手放していた。そして、しばらくして目を開いたかと思うと、突然飛び起きて携帯電話を開く。変わらぬ日付、変わらぬ着信履歴、変わらぬ受信メール。はのはは両手をだらりと放り出しベッドの横の壁に寄りかかる。徐々に体勢は崩れ、もとの位置に仰向けになる。そんなことを繰り返していた。

 夕方になると家族の内の誰かが部屋に来て話をして行く。会話ではない。なのはの答えが一言で終わってしまうため、一方的に今日あった出来事や思ったことを話すだけだ。なにか一つでもなのはの心に届いてほしいと願いを込めて。

 夕食も皆と一緒に食べる。みんななのはのことを気遣ってくれる。なのはに元気になってほしいと思うのと同時に、なのはの状態の酷さに心を痛めるのだった。

 夜にはアリサとすずかから電話がきた。内容は覚えていない。ただ適当に受け答えをしていたらいつの間にか通話が終わっていた。本当にどうしようもない。

 なのはは日中も寝ているせいで朝も夜も関係なくなっている。

 深夜の真っ暗闇とカーテンの隙間から零れる月明かりが入り混じるベッドに、なのはは昼と変わらぬ様子で仰向けに長くなっていた。

 目が覚めてから一体どのくらいの時間が流れただろうか。なのはは、ふと、前にやっていたゲームの映像が頭に思い浮かんだ。

 のそりとベッドから上半身を起こすと、徐にベッドから立ち上がった。テレビに電源を入れ音量を下げた。そしてゲームを起動した。

 別にやろうと思ったわけではない。ただなんとなく体が動いただけ。

 そして明かりもつけずに、テレビの前にすとんと女の子座りをすると、コントローラーを手に持ち、相変わらず虚ろな表情で画面を見つめ、前回の続きからやりだすのだった。

 

 《私を本気にさせたな! 死の世界へ行くがいい! ……な、なぜ死なん!?》

 《まだまだ! まだまだ死ねんのじゃ! この命、燃えつきても! わしは 貴様を 倒す!!》

 《怒りや憎しみで私を倒すことはできぬ!》

 《……怒りでも……憎しみでもない……!!》

 

 なのはは、ぼーっとしながらストーリーを進めていく。

 何の感慨もない。

 部屋がゲームのBGMとコントローラーの操作音で満たされる。

 気がつけば夜明けも近くなっていた。

 なのははデータを保存すると電源を切り、再びベッドに身を滑り込ませるのだった。

 

 

 

 

 この日も昨日とほとんど変わりなかった。違ったのは担任の先生が家に来たことくらいだ。「なのはさん、何か悩んでいることがあったらいつでもいいので先生に相談しにきてくださいね?」と心底心配そうに言ってきたが、なのはとしてはどうでもよかった。だから、最近身についた適当な受け答えをしてお引取りしてもらった。

 なのはは昨日と同じように深夜に目が覚める。携帯電話を確認してから、しばらくじっと天井を見つめていたが、なにか思い出したかのように起き上がるとゲームを始めた。

 

 《間に合った! このまま 帰ったんじゃ かっこ悪いまま 歴史に 残っちまうからな!》

 《ふっ……なにを ごちゃごちゃと……お前から 始末してやる!》

 《上等だぜ! この俺様が……倒せるかな?! …………お前のおじいちゃん強かったぜ!》

 《……おじいちゃん。》

 

 なのはは足が痺れてきたので無意識に体勢を変えた。……足に電流が流れた。

 

「あ……」

 

 言い表しようもない感覚に襲われ、ビクンと跳ねた拍子に、なのはは不覚にも握っていたコントローラーを引っ張ってしまった。

 ゲームのBGMがただの騒音に変わる。画面はノイズが走り、止まっていた。

 足の痺れを和らげるためなのか、ゲームが止まってしまったことに対してなのか、それとも両方なのかわからないが、なのはは口を少し開きぼんやりと画面を見つめたまま動きを止めた。

 しばらくすると、なのはは四つん這いでゆっくりとゲーム機のもとへ行き、リセットボタンを押した。ゲームが始まらない。もう一度押す。……始まらない。

 なのははゲーム機の前に座り込むとソフトを抜き取り息を吹きかけた。そして再び差し込み電源を入れる。……動いた。

 始まったのを確認すると、なのはは画面を見つめながら、ごくりと唾を飲みコントローラーを手にした。

 

 《ニューゲーム  EMPTY EMPTY EMPTY EMPTY》

 

 なのははそっと電源を切った。

 そのままテレビも消し、床に転がっているクッションを拾い上げて胸に抱くとベッドに潜り込んだ。そして横に蹲り、クッションを口元に押し当てて目を閉じるのだった。

 

 

 

 

 この日は学校が休みでアリサとすずかが家に来た。一応親友なので追い返すわけにもいかず、部屋へ招いた。

 

「ちょっと待ってて。飲み物持ってくる」

 

 アリサとすずかを部屋に待たせ、大儀そうな足取りで部屋を出て行った。

 白い小型のテーブルを前に座る二人はあれは本当になのはなのかと唖然としていた。電話で話してはいたが実際に会ってみると纏う雰囲気が想像以上にどんよりしていた。

 

「ごめんね、こんなものしかなかくて」

「気にしなくて良いわよそんなこと」

「ううん、ありがとねなのはちゃん」

 

 しばしの沈黙。

 アリサは今のなのはを見て思う。電話でも担任からも体調が悪くて休んでいると言われたがそれは嘘だ。心配事や悩み事によって今の状態になっているのは一目瞭然だ。そこまで考えたときアリサの中でふつふつと怒りがわき上がってきた。なぜ親友である自分たちに相談しないのか。自分たちには本心を告げられないのか。そこまで頼りない存在なのか。自分たちに少しも相談してくれないなのはに怒りがわく。何かに悩んでいるであろうなのはの力になってあげられない自分に怒りがわく。

 アリサは鋭い目つきでなのはに言う。

 

「なのは、本当は具合なんか悪くないでしょ」

「あ、アリサちゃん……」

 

 すずかが、おろおろしながら口を挟むがアリサは止まらない。それどころか膝立ちになりテーブルに手をつくと、向かい側のなのはの方へ少し身を乗り出した。

 

「その様子見れば心配事や悩み事かなんかで苦しんでるのが丸分かりよっ!」

「私悩んでなんか……」

「っ! そんなのその状態なんとかしてから言いなさいよ、このばかちんっ! いかにも私、悩んでるんです困ってるんですって雰囲気醸し出してんじゃない! 大丈夫っていうなら心配かけない努力くらいしなさいよっ! なんで何も話してくれないのよ!? そんなに私たちには話したくないことなの!? 私たちじゃ全く頼りにならない? ……少しもなのはの力になってあげられないの? 何か困ったことがあるなら話してよ、なのはっ」

 

 勢いは徐々になくなり最後には涙で湿った声になっていた。そんなアリサになのはは悲しげな顔で「ごめんねアリサちゃん」と一言だけ答えた。

 アリサは睨み付けるような、しかし今にも泣き出しそうな目でなのはを見つめながら、力なく座りこむと唇をかみしめた。膝の上で握る手は白くなるほど力がこもっていた。一瞬の沈黙の後、アリサは目の前のコップを手に取ると一気にの飲み干し立ち上がった。

 

「そんなに悩みたいなら一人でずっと悩んでなさいよ! もう知らないっ! 帰る!」

「アリサちゃんっ……」

 

 アリサはそのまま出て行ってしまった。なのははアリサの飲み干したコップを悲しげに見つめてぼーっとしている。すずかは相変わらずおろおろしていてアリサの出て行ったほうと、なのはを交互に見やっていた。

 

「なのはちゃん……」

「……アリサちゃん怒らせちゃった。ほんとどうしようもないね……私。親友失格」

「そんなことないよ! アリサちゃんにとっても私にとってもなのはちゃんは大切な親友だよ! アリサちゃんもちょっと言いすぎ……。アリサちゃんと話してくるね」

 

 すずかもアリサの後を追いかけ部屋から出て行ってしまった。

 早く覚めないだろうか。取り残されたなのはは、そればかりを考えていた。

 それから1時間ほどすると、すずかが戻ってきて「アリサちゃんのことは大丈夫だよ」と伝えると帰っていった。

 

 

 

 

 なのはは深夜に目が覚めると今日もゲームタイムに突入する。

 ゲーム機の前にちょこんと座るとゲームソフトを抜き、四つん這いになりながら他のソフトがしまってあるテレビの下の棚へ向かった。目当てのソフトを探すが暗くてよく見えないことに気付いたなのはは、テレビの電源を入れチャンネルを変えると画面の明るさで探しだした。

 テレビの光に照らされた薄暗い部屋に、がちゃがちゃという音だけが響く。

 ソフトを探し出したなのはは、取り出したソフトをしまい、チャンネルを切り替えると、のろのろとゲーム機のもとへ戻り、それを差し込んだ。

 電源を入れる。…………。ソフトを抜き息を吹きかけもう一度試す。ゲームが始まったことを確認すると定位置へ座った。

 

《ふ……、もう俺は何もやる気力がないよ。もともと俺は人の心にゆとりがあった平和な世界にのっかって生きて来た男……。そんな俺に、この世界は辛すぎる。それに翼も失ってしまった……》

 《世界が引き裂かれる前に、あなたは私達と必死に戦ってくれたじゃない? あんな辛い戦いに……》

《でも、もう俺は夢をなくしちまった。》

《こんな世界だからこそ、もう一度、夢を追わなければならないんじゃない? 世界を取り戻す夢を……!》

《ふふ……あんたの言うとおりだぜ。付き合ってくれるか? 俺の夢に……。…………羽を失っちゃあ世界最速の男になれないからな。また夢を見させてもらうぜ。  ファルコンよ》

 

 セリフとBGMになのはの心がピクりと反応した。なのはは、じーっと画面を見つめたまま時間の流れが止まっていた。しばらくすると流れはもとに戻り何事もなかったかのようにゲームを再開した。

 

《ファファファ!!! どうしたそんな顔をして! このわしが、死んだとでも思っていたのか!》

《おっしょうさま……よくご無事で……》

《おやおや? お主、もしかして……泣いておるのか??? ファファファ! わしは死なん! たとえ、裂けた大地に、挟まれようとも、わしの力でこじあける!》

 

 おっしょうさま、かっこいい。なのはは漠とした思考でそんなことを思った。

 気がつけばもう朝になっていた。眠たげな目で電源を切ると立ち上がり一つあくびをする。そして、もぞもぞとベッドに潜り込んだ。

 

「……おやすみ」

 

 なのはは日の出と共に眠りに落ちた。

 

 

 

 

 昼過ぎ、突然部屋が揺れた。なのはこれに心当たりがあった。

 ベッドからむくりと起き上がるとベッド脇のカーテンを開く。外の光に一瞬目を細めた。なのははそこに巨大樹が乱立している光景を予想した。外を確認する。しかし、そこに予想した光景はなかった。なのはは窓の方向が違うことを忘れていた。

 次第に突き上げるような揺れに変わってきている部屋の中で、なのはは、しばらくぼーっと外を見る。外の景色を見ることが随分久しぶりに感じた。往来には逃げ惑う人々の姿があった。なのはは映画のワンシーンを見ているような感覚を覚えた。

 やがて興味を失ったなのはは、カーテンを閉めるとボフッと音を立てて再度ベットに寝転んだ。

 揺れはかなり強くなっている。幾許もせずにここにも根を張るだろう。なのははぼんやりと天井を見つめながら、ただその時を待つ。

 

「なのはっ! なにぼんやりしてるんだっ逃げるぞ!」

 

 勢いよく開かれた扉と共に運動着を着た恭也が入ってくる。

 なのはは思い掛けない事態に起き上がると目を白黒させる。しかし恭也はそんななのはを気にも止めず「乗れ」と背を向けしゃがんだ。戸惑うなのはは「早くっ」と急かされ混乱したまま恭也におぶさる。

 

「急いで急いでっ!」

 

 玄関に行くと恭也と同じような格好をした美由希が待っていた。

 恭也はなのはを一度下ろし靴を履くように言う。履きおわると再び恭也の背に戻る。

 

「それじゃあ行くぞ」

 

 恭也はパジャマ姿のなのはを背負い、美由希と共に家を飛び出した。

 

 

 


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