魔砲使いになった理由   作:タニアホテル

6 / 24
大きな収穫

 

 なのはは上体を起こすと、右の頬に手を当てそっと目を瞑った。

 今さっきの出来事が脳裏を駆け抜ける。

 

『私たちの思い、なのはに託すよ』

 

 恭也の姿が、美由希の姿が、最後の言葉が、何度も何度も繰り返される。

 任せて。必ず皆が無事に生き残って、笑っていられる未来に辿り着いてみせるよ。たとえ何度やり直すことになったとしても……。

 ゆっくりと目を開く。もう涙はない。

 ベッドから降りて着替える。そして皆がいる食卓へ向かうべく扉のノブに手を添えた。

 なのはの動作一つ一つに、子供らしからぬ、どこか厳かな雰囲気が漂っていた。

 でも、まずはお兄ちゃんとお姉ちゃんに……。

 薄く笑み浮かべると扉を開けた。

 再び世界が動き出した。

 

 

 

 

「おう、おはようなのは。今日はちゃんと一人で起きれ……」

 

 廊下に制服姿の恭也を見つけると同時に駆け寄り、勢いよく恭也の腹に抱きついた。

 よろめく素振りはない。突然のなのはの行動に目を白黒させる。

 

「お、おい。どうしたんだ突然」

 

「……別に、なんとなくだよ」

 

 頭と顔をぐりぐりと押し付ける。宛らじゃれつく猫のようだ。

 不思議に思いながらも恭也はなんとなく、なのはの頭をそっと撫でつけた。

 なのはは、巨大尻尾の怪物と対峙する恭也の後姿を思い出して目が熱くなる。

 もう、そんな危ない目にあわせないから。私がさせない。

 なのははぐっと涙を堪えると、顔を離し恭也を見た。

 

「お兄ちゃん、私がんばるね!」

 

「そ、そうか。よくわからないが頑張ってくれ」

 

 恭也は、突然の言葉に何が何だか分からなかった。とりあえず応援しておく。

 まさか自分のために言ってくれているなんて、恭也は夢にも思わないたろう。

 なのはは、なんだかおかしくなって、ふふっと笑うと「うん、ありがとう」と言って恭也から完全に離れた。

 

「あれ、どうしたの2人して……」

 

 美由希の登場。同時になのはは美由希目掛けて飛びついた。

 

「ぐふっ……。ど、どうしたのなのは?」

 

 丁度、鳩尾になのはの頭がクリーンヒットした美由希は、呻き声を上げたものの、難なく受け止めた。そして怒ることもせず、優しい眼差しでなのはを見た。

 恭也の時と同じく、ぐりぐりと押し付ける。そして胸いっぱいに美由希の匂いを吸い込んだ。無意識に頬が緩む。

 変態と言ってはいけない。それ程、美由希への好感度が高くなっているのだ。すごく安心できるのだ。

 

「ううん、なんでもないよ。ちょっと抱きつきたくなっただけ」

 

 美由希は「そっかそっか」と頷くと頭を撫でる。そして恭也へ「どうなってるの?」と意味を込めて視線を飛ばす。返ってきたのは、首を傾げ両肩を上げる仕草と「俺にもさっぱりわからん」という視線だった。

 なのはは満足すると美由希から離れ、緩んだ顔を引き締めた。

 よし。大丈夫。これで私は1万と2千年は戦っていける。…………本当に1万2千年戦えるって意味じゃなくて、それくらいの意気込みって意味だよ。

 なのはは内心で思ったことに内心で補足を入れた。

 美由希と恭也は、急に雰囲気が変わったなのはを不思議に思った。

 

「時間取らせてごめんなさい。……私、がんばるからっ」

 

「え? ええ。がんばって……ね?」

 

 立ち去っていくなのはを、2人は呆けた顔で見送った。

 その後、士郎と桃子も抱きつかれ、何に対してか分からない、なのはの頑張る宣言を聞かされた。

 桃子だけが動揺もなく、普段と変わらぬ笑顔で会話を発展させるのだった。

 

 

 

 

 バスが来るのを待っている時、なのはは今までの情報を整理していた。

 えーっと。どこから整理すればいいんだろう……。とりあえず一番重要なのは、何かちっちゃな切っ掛け一つで未来は変わるということかな。確かに出来事は同じだけど、今まで3回とも同じ結果なんてことはなかった。つまり、出来事を知っている私が上手く動けば望む未来に辿り着けるってことだね。

 なのはは空を見上げて目を細めた。太陽が眩しい。透き通った青に綿菓子のような雲がいくつか浮かんでいる。 

 それと、いろんなお化けと異常現象についてかな。まずはあの私を殺した……お姉ちゃんを殺した……。

 なのはは、ぎりりと歯を食いしばった。握った手がぷるぷる震える。悲しみではない。湧き上がる怒りによってだ。

 あの黒いお化けは絶対に許さない…………。って言ってもどうすることもできないんだよね……。あんなの倒せるわけないじゃん。悔しいことに。でもせめて情報くらい調べておいても損はないよね。ほら、昔の偉い人が敵を知れば最強になれるって言ってた気がするよ。というわけで今日行ってみよう。見つからないように物陰から覗き見てれば多分大丈夫に違いない。

 丁度考えが一段落ついた時にバスが到着した。

 なのははバスに乗りアリサとすずかの顔を見る。その時ふと、2人にとってしまった態度を思い出す。

 自分のために心配してくれた2人を鬱陶しいと思ってしまったこと。アリサを怒らせ、そして謝れなかったこと。そんな自分は親友の資格がないのではないか。

 なのはの不安は大きくなっていく。

 

「おはようアリサちゃん、すずかちゃん」

 

 上手く笑えているかな……? なんだか2人と話すのが気まずい。2人を騙しているようで胸が苦しいな……。

 当然2人が前回のことを知っているわけではない。だから気にする必要などないのだが……一方的になのはが覚えているが故にどうしても負い目を感じてしまう。

 そんな心配を余所に、2人はいつもと変わらぬ挨拶を返し、なのはの定位置である真ん中の席を開けてくれる。

 なのははそこに座る。普段と何も変わらない。それなのに……ひどく居心地が悪かった。自分がここに座ってはいけないような気がした。今すぐに逃げ出したかった。

 

「……どうしたのなのはちゃん? そわそわして」

 

「なんか悩み事でもあるの?」

 

 なのははビクッと体が跳ねた。鼓動が早まる。まるで悪事がばれた時のような気持ちだった。

 咄嗟になんでもないよ、と口から零れそうになったが、寸前で飲み込んだ。

 大丈夫って言うなら心配かけない努力くらいしなさいよ、か……。確かにその通りだ。よし。

 

「ううん。別に悩んでなんかいないよ! 今朝怖い夢見てね、それがあまりにもリアルだったから思い出したら少し怖くなっちゃって……にゃはは」

 

 なのはは全力で顔の筋肉を動かし笑顔の仮面を作った。

 いつものように他愛無い会話が始まる。

 しかし、なのはの心には翳りができていた。

 

 

 

 

 授業は全く聞いていなかった。その間、なのはは暗い気持ちを無理やり隅に追いやり、バス停で行っていた情報整理を再開した。

 今のなのはにとっての最優先事項は、大好きな皆が無事に生き残ることだ。美由希にも託されたのだ。自分のことは後回しで良い。

 確か今日聞こえるはずの少年の声はアイツの声なんだよね。……あれ? 今思ったけど最初に声が聞こえた時、アイツいなかったよね。前回の最後に現れた時には少年声も聞こえなかったし。しかも叫び声は動物の咆哮みたいだった……。ってことは少年の声はアイツの声ではないということ?

 なのはは鉛筆の後ろを口に当て頭をフル回転させる。ノートには現在分かっていることと自分の推理が書き込まれていた。板書なんて知らない。

 そして、最後に一つの可能性が残った。声が聞こえた場所に共通する部分は拾ったフェレットがどちらにもいる。つまり、声はフェレットが出しているというものだ。これは前にも一度辿り着いて破棄した考えだったが今回は違った。

 むむむ。可能性は高いかも。でもフェレットさんが話すのか……。まぁ鳥も話すから不思議ではないのかも? それにあんな意味不明のお化け達や、おっきな樹があるんだから、言葉を話すフェレットさんがいてもおかしくないかな。

 今日のなのはは、どういうわけか非常に冴えていた。もはや迷探偵ではなく名探偵だ。汚名返上である。

 

 助けを求める声はフェレットのもの。

 フェレットは黒いやつに襲われそうになって助けを求めたのではないだろうか。もしそうなら、小さいうえに、黒いやつの視界に入っていないにも拘らず、襲われそうになるということは何かしら関係があるということになる。

 黒いやつと他の化け物の共通点は明らかに異常。よって何かしら関係がある可能性は高いと思われる。また巨大樹と共に現れたことからも、そちらとも関係しているのかもしれない。

 樹が生えると非常に危険。生える前に避難するべき。

 疑問な点は何故声が遠く離れた場所にまで聞こえるのか。そして何故自分にしか聞こえないのか。

 黒いやつと巨大尻尾は仇。絶対に許さない。

 

 これらが午前の授業全てを放棄して導き出した結果だった。理数が得意なだけあって論理も得意なのだろう。

 なのはは机に突っ伏した。

 つ、疲れた……。きっと頭使いすぎて知恵熱が出てるに違いない。

 手をゆっくりと自らの額に持っていく。

 全然熱くないじゃん平熱だよ……。まぁそれは置いておいて、我ながらなかなか良い感じなんじゃないかな。誰かに褒めてほしい……。誰もいないんだけどさ。

 昼休みが始まり、アリサとすずかがやってくる。

 なのは中で、再び罪悪感が膨れ上がる。しかし、そんな感情などおくびにも出さず、2人と弁当を食べに屋上に向かうのだった。

 

 

 

 

 午後の授業もそっちのけで別なことをしていた。

 

「なのは、一緒に塾に行こう。 ……んー? 何書いてるの?」

 

 すずかと共に、なのはのもとへやってきたアリサがなのはの机の上を見る。

 

「え? 別にただの手紙だよ」

 

 誰かに出すのかと聞いてくるアリサに「それは秘密だよ」と笑いながら手紙を鞄にしまう。

 アリサは、ぽん、と手を打った。

 

「……なるほど。ラブレターね」

 

 大きく頷いて、によによ笑うアリサと「ラ、ラブレター!? 誰に出すの?」と妙に食いつきが良いすずか。

 なのはは何を言われたのか理解できず、口を開けアリサを見たまま固まるが、すぐにハッと気づき必死に否定する。しかし、「分かった分かった。ただの手紙ね」と相変わらず、によによ笑いながら頷くアリサ。すずかも、にこにこ笑いながらなのはを見ている。

 絶対分かってないの!!

 なのはは内心で叫ぶが、もはや何を言っても無駄だと悟り諦めた。

 一つ溜息をつく。

 

「……そんなことより、早く塾に行こうよ」

 

 2人の視線を振り切るかのように、先陣を切るなのはだった。

 

 

 

 

 今までと同じように声が聞こえた。なのはの表情が引き締まる。2人を置いて走り出すことはせず、ゆっくりと歩いて向かう。

 地面にフェレットが蹲っていた。

 なのはは、それの前に近寄る。そして立ち止まると無言で見下ろした。

 後ろの2人もフェレットに気づく。近づいてしゃがみ込むと状態を確認しだした。

 フェレットの様子を観察するようにじっと見つめるなのは。

 私を呼んだのはこのフェレットさんなの……? まだ確信が持てないな。今話しかけたら、アリサちゃんとすずかちゃんに変な目で見られちゃうし……。

 その時フェレットと目があった。それはどこか知性を感じさせるものだった。しばらく無表情のまま見つめあっていたが、途中でフェレットは目を閉じて眠ってしまった。

 なのはは、一人でフェレットに会えるタイミングを考えてみたが、夜しかなかった。

 まぁ、今日は行く予定だったから、その時確認してみよう。でも勝手に動物病院に入れないよね。どうしよ。明日になるとフェレットさんはいなくなっちゃうし……。壁が壊れて逃げ出したところを捕まえてみよっか。すごく危険だけど……私の推理によれば、とても重要なことが分かるはずなの。

 3人はフェレットを動物病院に預けると塾へ急いだ。

 

 

 

 風呂からあがったなのはは自室にいた。

 寝巻きではなく、外出するための服を着ている。そして机に向かい、急いで手紙の続きを書いていた。まだ声が聞こえるまで時間がある。しかし、それよりも前に家を出るつもりだった。

 

「よしっ、完成っと」

 

 鉛筆を机に置くと手紙を手に取り、文を見直す。

 訂正箇所が無かったのか一つ頷く。それを折り畳むと封筒に入れ立ち上がった。

 ちらりと時計を確認してから、手紙をゲーム機のソフト差込口に差し込む。

 なのはは部屋の真ん中で直立すると目を瞑った。深く息を吸い込んでから、ゆっくりと息を吐き出す。

 静まり返った部屋に、秒針の一定のリズムが小さく響いている。

 徐に目を開くと両頬をパァンと叩いた。

 

「……良し」

 

 なのはは電気を消し静かに部屋を出た。

 

「こんな時間に何処かへ行くのか?」

 

 げげっ、お兄ちゃん……。なんで出てくるの……。

 なのはは後ろから掛けられた恭也の声に固まる。そして油の切れたブリキ人形のようにゆっくりと振り返った。

 そこには怒ってはいないものの訝しげな目を向ける姿があった。

 

「うん? ちょっと出かけてくるだけだよ」

 

「こんな時間に? 一体どこに行くつもりなんだ?」

 

 なのはは内心で舌打ちした。まさか見つかってしまうなんて想定外だった。必死に思考を巡らす。

 あぁああっ! どうしよどうしよ何て言おうっ。すぐに思いつかないよ!

 恭也は無言で腕を組む。目が少し険しくなってきた。

 どうしよどうしよどうしよぉお! 何か言わなきゃ!

 動揺を隠そうと無表情を意識するが、視線が泳いでしまう。 

 

「えっとね……」

 

 その次は何て言うつもりなの私っ!?

 

「ちょ、ちょっとその辺を……さ……」

 

「さ?」

 

「さ、散歩?」

 

 恭也の目が一層険しくなり、片方の眉がつり上がった。

 私のバカぁ! 散歩って何さ! 怪しさ満点だよっ!

 体中から変な汗が噴出す。

 なのはは、恭也の視線にいよいよ堪えきれなくなり吐いた。

 

「ごめんなさいっ! 嘘です! さっき話したフェレットさんが心配で見に行こうって思ってたの!」

 

 理由はともかく行き先は本当である。

 恭也の眉が元に戻る。

 そして明日では駄目なのかと聞いてくる恭也に「今日じゃなきゃ駄目なの……」と返す。上目遣いで、しおらしく言ってくるなのはに、恭也は困った顔で溜息をついた。

 

「わかった。……俺も一緒に行こう」

 

 なのはは理解できず無意識に聞き返した。

 

「だから俺も付いてい……」

 

「駄目!!」

 

 最後まで言わせなかった。

 付いてきたら危険な目に合わせてしまう。それどころか死ぬ可能性だってある。そんな場所に連れて行くことは絶対にできない。これだけは譲れない。目には恐ろしいほどの気迫がこもっていた。

 なのはのあまりの豹変ぶりに恭也は困惑する。

 

「お、おい。どうしたんだよいきなり……」

 

「駄目なものは駄目なの。お兄ちゃんは家で待ってて」

 

 そう言い捨てると踵を返して家を出た。

 恭也は初めて感じるなのはの気迫に、一言も発せずただ呆然と見送った。

 

 

 

 

 水色の自転車に跨り薄暗い道を走り抜ける。目指すは動物病院。

 なのはの顔は先程の力強い表情ではなく、げんなりしたものに変わっていた。恭也とのやりとりで心がぐったり疲れきってしまったのだ。タイミングが悪かったとしか言いようが無い。

 しかし動物病院が近づいてくるにつれ、疲れなど忘れていった。次第に体が強張ってくる。

 もう少しで着くという時、頭に声が響いた。なのはの心臓がドクンと高鳴る。それを切欠に、狂おしいほど脈打ち始めた。一度自転車を止める。

 今ならまだ引き返せる。今なら怖いを思いをすることなく家に帰ることができる。あの化け物に襲われることもない。引き返そうか?

 無意識に右の頬に手を触れる。

 ……冗談じゃない。 私は、あのふざけた生き物と樹の原因を知って、いつか絶対に皆と一緒に生き残るんだ!

 依然、体は緊張し、心臓も早鐘のごとく鳴り響いている。恐怖もある。しかし迷いは無かった。

 なのはは自転車をから下りると道路脇に置いた。曲がり角から頭だけを出し動物病院前の通りを確認する。前のように街灯に照らされる黒い化け物はいなかった、動物病院の敷地へ入るべく移動した。門をくぐり建物に近づくと窓を覗いていく。

 ケージのある部屋を見つけると窓を開けようと手を伸ばした。当然ながら開かない。どうしようかと一瞬悩むが、フェレットが話せる可能性があることを思い出す。コンコンと窓をノックする、予想通りフェレットが反応しケージから顔を出した。

 その時、室内を照らしていた街灯の光が異様に大きな影に侵食されていく。窓に二つの赤い点が映った。

 瞬時にそれが何なのか理解する。心臓が跳ね上がった。

 

「逃げてっ!」

 

 その声となのはが横に飛び込んだのはほぼ同時だった。

 壁と窓ガラスが破壊される凄まじい音が耳を劈く。

 すぐさま起き上がり状況を確認した。黒い化け物は室内に突っ込み姿が見えない。なのはは壁にあいた大きな穴から目を離さずに、しかしできる限り急いでその場から離れようとする。

 心臓は壊れてしまいそうなほどに収縮を繰り返す。息が乱れる。ただ以前と違い恐怖で体が動かないということは無い。頭も冷静だ。

 これからどうするか。なのはは思考を巡らせる。

 まさかこんなに早く現れるとは思わなかった……。出来事は同じでも必ず同じ時間に起こるわけではないということかな。どちらにせよ気づかれたのはかなりマズい。逃げることに集中するか、少しでも情報を集めて次に生かすか……。

 あと少しで動物病院の門から出られるという時に、フェレットが穴から走り出してきた。それを追って黒い化け物が突進する。フェレットは高く跳躍すると回避した。黒い化け物は勢いそのままに生えていた木に激突した。しかし巨大樹の時のように体を歪ませることはなかった。それどころか、その時よりも太い木なのにも関わらず簡単に圧し折り、その周辺を大きく陥没させていた。フェレットは難なく着地するとなのは目掛けて走ってくる。

 げげっ! なんでこっちに来るのさ!? 君が囮になってくれないと観察できないじゃん!

 なのはは苦渋に満ちた表情でフェレットを見つめる。

 なのはの前に立ち止まったフェレットは「来て……くれたの?」と喋った。しかしなのはは表情を変えずに無言で見下ろす。

 幾許もしないうちに黒い化け物が動き出し再びこちらに視線を向けた。正確にはフェレットに。

 なのはは即座に気持ちを切り替えると柔らかな毛並みのフェレットを鷲掴みにして敷地の外へ走り出した。鷲掴みは可哀想だとは思うが今はそんな余裕などない。先程立っていた場所が深く抉られた。

 なのはは自転車のカゴにフェレットを放り込むと全力で立ち漕ぎをし始めた。すぐに足が辛くなってくるが少しでもフェレットから情報を聞き出そうと耐える。

 

「ちょっと君っ。あの黒いお化けが何なのか知ってる?」

 

「君には……資質がある。力を貸して欲しい」

 

 時間が無い。その上に息が苦しくて足も辛い。そんな状況で質問に対し的外れな答えを返すフェレットに苛立ちを覚える。しかし資質という言葉が気になり聞き返す。

 返ってきた答えを要約すると、探し物のために別の世界からやってきたが、力不足で全然捗らない。だから資質を持ったなのはに自分の力を使って協力して欲しい。もちろんお礼はする、というものだった。

 相変わらず質問に対する答えが返ってこないが、なかなか有益な情報がちらほらと零れてくるので黙って聞いていた。

 

「僕の持っている力をあなたに使って欲しい……僕の力を……魔法の力を」

 

 なのはは一瞬呆気に取られる。冗談でも言っているのかと思ったがすぐに受け入れた。

 たしかにそんな摩訶不思議な力があるとするなら、これから起こるわけの分からない事態も納得できるかも……。しかもそれを使う資質が私にはある? ははっ……なんてこった。

 頬がピクリと痙攣した。

 

「どうすれば使えるの?」

 

 尋ねながら黒い化け物が着いてきていないかと振り返る。後ろにはいなかった。しかしその上空にいた。しかも飛び掛る寸前だった。

 フェレットは「これを」と言って首にかけてある赤い宝石のネックレスを銜えて差し出そうとしていた。なのはは急ブレーキを掛けてフェレットを掴み上げると自転車から降りる。それと同時に黒い化け物が少し前方に落下した。全力で自転車を漕いだせいで足に力が入らなかったなのはは、その衝撃でへなへな座り込んでしまった。

 ちょっと……逃げるのは難しいかな……。今回はたくさん重要な情報が手に入ったし無駄ではなかった……でもここで諦めるのも格好悪いよね。もう少し頑張ってみようか。……それに死ぬのはやっぱり怖い。

 なのはは歯を食いしばり立ち上がる。ふらふらだが動けないわけではない。黒い化け物を見据える。まだ動けないようだ。どうやら衝突した直後は短い時間ではあるが硬直するらしい。

 

「で、なんだっけ」

 

「こ、これを使って……」

 

 差し出された赤い宝石を手に取る。これを持って目を閉じ、心を澄ませ、フェレットの言った言葉を繰り返せばいいらしい。

 ……いやいや無理でしょこんな状況で! 馬鹿すぎるよ! そんなの私にだってわかるよ!?

 なのはは黒い化け物を見つめたまま渋い顔をする。黒い化け物がこちらを振り向く。

 この状況を抜け出すための方法を必死に考える。しかし全然思い浮かばない。もう駄目かと諦めかけた時、美由希の姿が思い浮かんだ。

 ……これしかない。運動のできない私じゃあ無理かもしれないけど諦めたくない。大丈夫。私はお父さんの子供でお兄ちゃんとお姉ちゃんの妹なんだから。絶対できる。できなきゃ死ぬ。できたとしても左右の紐みたいなやつに気をつけなきゃ。

 右手に宝石。左手にフェレット。黒い化け物が動き出すと同時になのはも動いた。ほとんど勘だった。体を捻りながら横に避けようとする。イメージするのは美由希の動き。それはあまりにも拙い動きだった。だが服を掠りながらも辛うじて成功した。、そのまま、なのはは重力に任せ地面に這いつくばった。その背中のすぐ上を鋭い風切り音が通過した。そして衝突音。

 なのはは顔を上げ確認する。心臓がこれ以上ないくらい脈打っている。

 

「……で、できた」

 

 い、生きてる! やったやった! やればできるじゃん私!

 自然に嬉々とした表情に変わる。しかしこうしてはいられないと急いで立ち上がり、宝石を握ると目を閉じた。そしてフェレットに続きを促す。動物なので表情は分からないが、ずっと握られっぱなしだったせいか声に力が無いように思われた。

 

「……風は空に、星は天に。そして、ふくちゅの……不屈の心はこの胸に!…………やりなおし?」

 

 顔を青くしたなのはがフェレットと顔を見合わせる。沈黙。

 い、一回くらい間違っちゃってもいいじゃん! どどどどうしよう! もう無理だよ! うぅ……せ、せめてフェレットさんだけでも。

 慌てふためくなのはは急いで結論を出すとフェレットを掴み上げた。そして塀の向こうへ全力で放り投げた。何かを叫びながら飛んでいく姿を見送ってから、なのはは深呼吸した。少しだけ冷静になる。フェレットはこれで無事に生き残れるだろうと安心した。この世界を旅立つ覚悟を決める。

 黒い化け物はなのはの方を向く。なのはも振り向くと不敵な笑みを作った。

 

「ふっ、収穫はあった。もうこの世界に用は無い……」

 

 なのはは目を瞑る。

 黒い化け物は動き出した。なのはは……横に身を捻った。

 やっぱり怖いぃ! 死にたくないよぉお!

 なのはは涙目になりながら再び辛うじて避けきってみせた。

 再度宝石を手にして目を閉じる。

 

「…………なんだったっけ。忘れちゃった……」

 

 冷や汗が止まらない。フェレットを呼ぶが反応が無い。顔面は蒼白だ。

 黒い化け物を見やる。相手もなのはを見やる。時間さえも見守っているかのような静けさ。そして黒い化け物が動き出した。なのはは身を捻る。が、突進は来なかった。その代わりに鞭のように振るわれた2本の触覚が音の壁を破りなのはの背中に吸い込まれる。

 一瞬の静寂の後、なのはは肉を引き裂かれる激痛に思わず叫び声をあげてのたうちまわる。経験したことがない、気が遠くなる程の激しい痛みだった。今までは痛みを感じる間もなくやられていた。それが普通だと思っていた。だがそれは大きな間違いだった。

 泣き叫んでも転げまわっても痛みはなくならない。なのはは涙を浮かべて歯を食いしばりただ只管痛みに耐える。

 黒い化け物は飛び上がると狙いを定める。そして、今その痛みから解放してやるとでも言うように咆哮を上げるとなのはに迫る。

 なのはは痛みから解放された。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。