劇場版の視聴済み推奨です。
「それでは
「誰かにナンパされても、ついてっちゃだめだからね」
ふたりに背を向けて歩き出す。
急に決まったローマ市内でのライブ。
会場探しは
彼女たちは帰国してからのライブの曲も作らなくてはならず、彼女たちにはそっちのほうがよほど重要だというのに。
そしてダイヤと果南はまるでライブが最初から決まっていたかのように、曲と振り付けを考えるのを手伝ってくれている。
――いや、違う。ふたりに「手伝ってくれてありがとう」なんて言ったら、怒られてしまう。三人で一緒に作っているのだ。二年半ほど前に戻ったように。
私ひとりのわがままのために
しかし三人で丸一日、ホテルや公園、カフェと場所を変えて悩んでも、なかなか曲作りは進まなかった。
日も傾いてきて、いったんひとりずつ考えよう、と私たちは別れた。
母へ向けてあんな
「まだ時間はありますから。よい
ダイヤはそう言ってくれたけれど、私は
歩いていればなにか思いつくだろうか。私は特にあてもないまま街を歩いた。
・
しばらくして私は、ある場所へ近づいていることに気づく。
昨日も観光でみんなと行ったけれど、夕方になるとがらりと雰囲気が変わるらしい。もう一度行ってみるのも悪くない。
それに昨日は目的地まで一直線だったから、途中の街並みや店には目もくれていない。なにか面白いものでも見つかるかもしれなかった。
春とはいえ朝夕はまだ冷える。私は上着の前を留めてから、ゆっくりと歩いた。大きな声でおしゃべりをしながら、観光客たちが私を追い抜いていった。
あたりが薄暗くなってきて私はなんとなく、交差した細い通りへ曲がる。
いかにも観光地らしい大通りとは打って変わって、歩いている人は少ない。静かな通りだった。道に面した店からは明かりが漏れて路面を照らし、建物の壁面の所々には街灯が素敵に輝いていた。
きらめく数々の光を意識せずに、それでも視界の端に入れながら、曲について考える。
母に私のことを、スクールアイドルがくだらなくなんかないってことを、わからせなくてはならない。彼女が頑固なことはよく知っている。なかなかの難題だった。
彼女の好みを考えたら、あまりアイドルらしい曲は向いていないのかもしれない。ピアノを
ふと、通りがかった一軒の店に私は興味を引かれる。窓から見える店内の様子からすると、どうも古書店らしい。
重い扉を開けて中に入った
あとでこの店のことを花丸に話そう。そう思いながら書架のあいだを
店内はしっかりと、暑いくらいに暖房が効いていた。
異国の文字たちに囲まれるのは、わくわくする体験だった。私は残念ながらイタリア語はほとんど読めない。でもむしろ英語よりも、そのわくわくは大きかった。
一角には音楽関係の本も並んでいた。平台には古い音楽雑誌が陳列されている。
棚からランダムに何冊かひっぱり出してみた。ピアノの楽譜、ギターの入門書、文字の並んだ本。あまり曲作りの参考にはならなそうだ。
そんななかに一冊だけ、ほかの本と雰囲気の違うものがあるのが目に留まった。
手に取ってみるとそれは本というよりも
楽譜には印刷されたものと手書きのものとがあって、どのページにもイタリア語で書き込みがしてあった。
たぶん、誰かが楽器か歌の練習のために使った楽譜で――歌詞がついているところを見ると歌だろう――紙はすっかり黄ばんでいた。
私は適当なページを選び、音符を追いながら口ずさんでみる。なかなか軽快なメロディだ。
「あら」
パサリとなにかが床に落ちた。
一枚のカラー写真。かさついた手触りだが、まだ色はしっかりと残っていた。数人の女の子が微笑みながらこちらを見つめている。おそらく私と同年代くらい。
私はパラパラと書類挟みをめくった。最後のページに何枚かの写真が貼り付けられていた。一カ所だけ白く、四角い跡がある。ここから
ページのほかの写真には、一枚目と同じメンバーが写っていた。教室や校舎らしき写真もある。きっと彼女たちの学校だ。
私は自然と顔が
もしかしたら、私たちと同じく部活動をしていたのかもしれない。
どんな経緯でこの書類挟みがここに来たのだろう。記念に買って帰ってもいい。
とりあえず店の人に聞いてみようとして、私は顔を上げた。
その途端、私は強い眠気に襲われた。店内の温かさのせいだろうか。私は思わずあくびをする。
目を開けると、左手にある窓から細く光が差し込んでいた。あわてて書類挟みを平台に置いた。
・
車のヘッドライトだと思い窓へ近づくと、ブラインドの隙間から通りが見えた。光に照らされて白く輝く石畳。照明が
私は急いで入り口から外に出た。
そして、あっけにとられて立ち尽くした。
青い空、白い雲。輝く太陽。頬を風が
一晩中、店で眠っていたのだろうか。いや、それなら店員が起こしに来るだろう。ダイヤや果南からも電話があるはずだ。
取り出したスマートフォンは記憶通りに
きっと――きっと私は、夢を見ているのだ。そう思うしかなかった。
数人の子供がはしゃぎながら通りを走っていく。振り返ると古書店はそのままあった。場所は変わっていない。夢の中なのに、少しだけ安心した。
私はゆっくりと歩いた。もともと考えていた場所へ。
大通りへ出て、私は違和感を覚える。夢の中だから? 違う。鼻を突く排ガスの臭い。騒音。車の数が昨日よりもずっと多かった。
さすがに目的地が近づくと交通規制のためか車はなくなり、かわりに観光客が増えてくる。
広場は屋台の群れと人々で賑わっていた。カメラを構える観光客をかわして、先へ進む。
遠くからも下半分だけ見えていたそれが、建物の影から姿を現す。
スペイン階段だ。
優美な137のステップがまるで屋外劇場のように伸びている。その美しさは変わらなかった。
階段のそこかしこでは、大勢の人がジェラートやピザを食べていた。
いつから飲食が解禁されたのだろう。昨日は飲食禁止だったのに。いや、やっぱり夢なのだ。でも、夢の中なら私だって経験してみたい。あの映画のように。
幸い私は財布を持っていた。
私は近くにあった屋台へ向かった。値段を確認しようとして気づく。見慣れた「
カチリ、と私の頭の中でなにかが音を立てた。
通貨記号。車で混雑する通り。ジェラートを食べる人々。
どうやらこの夢は、
そういえば広場でも階段でもスマートフォンを
そういうことなら、できるだけ楽しもう。ジェラートを買うことはできないけれど。
私はもう一度、階段へ足を向けた。
・
少し目を離したすきに、階段の一角に人だかりができていた。
なんだろうと思い、近づく。
階段の上のほう、左右に分かれていく所の中央の踊り場に、何人かの女の子がいた。いずれも私と同年代だ。さらに
そのうちのひとりが私の手をぎゅっと握る。
「Per favore ascolta i nostri live!」
花を一輪、渡してくれた。
「Grazie!」
私はそう言うのが精一杯だった。意味はなんとなくわかった。
ボッ、っと音がしてアンプに火が入った。いくぶん割れた音でアナウンスが流れて、女の子たちが礼をする。一、二……全部で九人だ。
聴衆から上がる拍手。胸元に花を差し込んでから私もそれに加わった。
彼女たちは紅潮した頬で、たがいに
私の胸が高鳴る。
期待通りに曲が流れて、彼女たちが歌い始める。
あの曲だった。
古書店の楽譜で見た、あの旋律。そういえば彼女たちは写真の中の――。
明るくて、楽しそうで、素敵な曲だった。彼女たちの笑顔。そうだ。なんて素敵な夢なのだろう。
広場の、階段のみんなが足を止めて聴き入っていた。
間奏、可愛らしい歓声に目を向けると、隣に幼い女の子がいた。楽しさは彼女にも伝染しているらしい。彼女はリズムにあわせて体を揺らしていた。
私はステージ上の女の子たちと幼女、両方を交互に眺めながら曲を聴いた。
曲が終わり、ふたたびの拍手。
上気した顔の幼女と目があった。私はにっこりと微笑む。彼女も笑い返した。どこかで見た記憶のある女の子だった。
そのとき、背後から大人の女性の声がして、振り向いた私は驚く。母だ。夢のなかにまで――。
私は思わず後を追った。でも、なにもできなかった。
広場から出てすぐ、女性は止めてあった赤いアルファロメオの後部ドアを開けた。女の子が抵抗して、女性が女の子の名前を
はっと気づく。大人の女性は母ではない。祖母だ。
そして女の子が、母なのだ。
母を後部座席に押し込んで、あとから祖母が乗り込みドアを閉める。車はすぐに走り去った。
私は
次の曲が終わった所だった。
・
やがて階段に
母と祖母の姿は夢の中とは思えないほどの存在感を持っていた。それを言ったら女の子たちも。
ふと私は肌寒さを感じる。太陽の光が急に
あの古書店へ行ってみよう。そう思った。
幸い店はすぐに見つかった。
記憶通りの店内。同じ匂い、暖かさ。音楽関係の売り場に、あの書類挟みがあった。
私は震えながら手にする。紙が新品のように真っ白だ。彼女たちの写真はどうなっているのだろう――。書類挟みを開こうとした私を、また急激な眠気が襲った。
すぐに私は意識を取り戻す。窓の外は暗い。
手元の書類挟みは最初に見たときのままだ。最後のページを開く。たしかにそこには、スペイン階段の彼女たちを撮った一枚があった。
これを買うべきだろうか。
しばらく悩んでから、私は棚に戻した。
店を出てホテルに向かう。体はポカポカと温かくて、寒さは気にならなかった。
ホテルの数ブロック手前。
「あ、鞠莉ちゃん」
「
ちょうど彼女も帰ってきたところらしい。
「ええ、せっかくだからいろいろ見ておこうかなって。鞠莉ちゃんもひとり?」
私がうなずくと梨子は微笑んだ。
「それで、曲は作れそうですか?」
「うーん、そうね……」
自問自答する。間違いない。
「あまり私らしくない曲かもしれないけれど……ええ。いい曲になりそうな気がするわ」
「それはよかったです」
梨子は笑みを深くした。ふと私の胸元を見て話す。
「その花、どうしたんですか?」
たしかに一輪の花が私の胸元に咲いていた。
「……いろいろあったのよ。いろいろね」
私が肩をすくめると梨子は面白そうに笑った。