登場人物の年齢等の年表は原作漫画を基準としておりますが、その他の設定につきましては漫画・アニメ・オリジナルのごちゃ混ぜ設定になっておりますのであらかじめ御容赦のほどを願います。
非常に拙く稚拙な文面でありますが楽しんで頂けたら幸いです。
序 一刻館の新しい住人
1988年(昭和63年) 4月
一刻館の前で停車したタクシーから降りた五代裕作と妻の響子が玄関前に向かうと、玄関の扉が開いて…二人の帰りを待ちかねた一の瀬花枝,六本木朱美,四谷の三人が裕作と響子を温かく出迎えた。
「五代くん、管理人さん、お帰り…」
「ただいまです、一の瀬さん!」
代表して一の瀬が言葉をかけると、裕作がペコリと頭を下げて会釈する。
「きゃ~~、カワイイっ♪ まるでお人形さんみたい。ねぇねぇ…この子、なんて名前なの?」
「春に香(かお)ると書いて春香(はるか)です」 興奮気味に訊く朱美に、裕作が説明する。
「へぇ~、春香ちゃん…かぁ。五代くんが考えたにしては、いい名前じゃんっ」
「まぁ…響子と相談して決めた名前なんですけどね…」
感心したような朱美に、気恥ずかしそうに裕作は右手の人差し指で鼻の頭を掻(か)いた。
「ほほう…なるほどなるほど、管理人とお二人で考えた御名前ですか? いわゆる愛の共同作業ってヤツですな? いやぁ…五代くんも、まったく以(もっ)てニクい奴ですなぁ」
「まったくだよッ! この、このォ…っ!!」
いつの間にか裕作の後ろに回りこんだ四谷が厭(いや)らしい手つきで裕作の両肩を揉みながら耳元に生暖かい吐息を吹きかけ…、四谷に同調する一の瀬が肘打ちで裕作の脇腹を何度も小突く。
一の瀬たちが裕作をオモチャにしてからかう見慣れた光景に、一刻館(ここ)に帰って来たのだと改めて実感した響子に自然と笑みがこぼれる。
「ばうっ! ばうーっ!」
裕作の傍(かたわ)らに、いつの間にか寄り添った犬の惣一郎さんが『お帰り』とでも言ってるかのように鳴き声をあげた。
愛するべき人達に周りを囲まれて、響子は両腕に抱いた生まれて間もない赤ん坊を母性の溢れた眼差しで見つめて優しく語りかける。
「春香ちゃん、おウチに帰って来たわよ。ここはね…パパとママが初めて出会った場所なのよ……」
愛しげな表情で我が子を見つめる響子に倣(なら)い、裕作や一の瀬たちも温かい眼差しで母親の腕の中でスヤスヤと眠る赤ん坊を穏やかに見守っていた。
……その時であった。突然に春の突風が吹いたかと思うと…その風に乗って運ばれた無数の桜の花びらが、裕作と響子の周囲にヒラヒラと舞い落ちる。それは…まるで、一刻館の新たな住人となった春香を歓迎して祝福してくれているようであった……。
壱 新米ママ響子の育児奮闘記
1990年(平成2年) 4月
春香が一刻館に来てから…2度目の桜の時期が訪れ、春香は2歳を迎えた。
溢れんばかりの愛情を両親や周りの人達から注がれて可愛がられる春香は、健やかにスクスクと成長していった…。
生後8ヶ月で寝返りをうち…1歳になる頃には独りで立ち上がりヨチヨチと歩けるようになり、歯も生え揃ってきた。また知能が発達して知恵もつくと、色々と言葉を覚えて喋(しゃべ)るようになった。
喜怒哀楽と様々な表情を見せては感情表現が豊かになった愛娘に、裕作も響子も…時には驚き時には頬(ほお)を緩めて喜ばせていたのである。
その一方で春香は自己主張するようにもなって、気に入らない事や嫌な事にはワガママ言ったり癇癪(かんしゃく)を起こして、響子の手を次第に煩(わずら)わせるようになっていた。
この日も…春香にお昼寝をさせようとして、響子は奮闘していた。
「やー、やー、ねんね、イヤーーッ! あそぶ、わんわん…そーいちろーさんとあそぶ、あそぶのーーッッ!!」
子供用の小さな蒲団(ふとん)に入れようとする響子の手から逃れようと…春香はイヤイヤと首を振り、手足をジタバタさせて必死に抵抗する。まだ眠たくない春香は、どうやら犬の“惣一郎さん”と遊びたがっているようである。しかし響子も退(ひ)く気はなく、まさしく根比べであった。
「いい春香? ママのお腹の中には赤ちゃん…あなたの弟か妹がいるのよ。春香は、もうすぐ“お姉ちゃん”になるのだから、ワガママばかり言ってないで少しはママの言う事を聞いて…ママを困らせないでちょうだい」
「あかちゃん…??」
響子の言葉にピタリと抵抗をやめると春香は、母親の膨れたお腹を不思議そうに見る。
この時…響子は再び妊娠しており、胎内には新しい生命が宿っていた。昨年の年末に響子は体調を崩したのだが悪阻(つわり)にも似た症状だった為、もしや…と思った裕作に付き添われて時計坂総合病院の産婦人科を訪れて診察を受けたのである。そこで詳しく看(み)てもらったところ、妊娠2ヶ月目である事が判明したのであった…。
4月に入り、妊娠6ヶ月目に入った響子のお腹は大きくなっていた。
母親の大きく膨れるお腹に、春香は小さな手でそっと触れてみる。母親のお腹の中に赤ちゃんが入っているのがとても不思議といった感じで、春香はそのお腹を何度も触ってみた。
「あかちゃん…」
「うふふ…そうよ。春香の弟か…妹よ」
「ねぇ、ママ。あかちゃん…いつ、うまれるの?」
「そうね、8月になったらね。だから春香もいい子にして、ちゃんとママの言う事を聞きなさい」
「うんっ、ママ」
もうすぐ姉となるのが余程嬉しいのだろうか…響子の言葉に、素直に従って春香は自分から蒲団の中へと入っていくのである。
「ねぇ…ママ、ごほん…ごほん、よんで」
蒲団に入ると、そう言って春香は響子にせがむ。
「はいはい、ちょっと待っててね…」
そう言って立ち上がると、響子は本棚から一冊の絵本を取り出した。絵本を手にして再び戻ると、蒲団から顔を出す春香の目の前で響子は正座する。
その絵本は、春香が“クマのおじーちゃん”と呼んで甘える響子の父親が、春香の2歳の誕生日プレゼントに買ってくれたもので、春香のお気に入りの絵本であった。
「…イヌのタロウは、森のなかでネコのニャン太と会いました……」
響子の子守唄のような読み聞かせに…、睡魔に襲われた春香は次第にウトウトすると…ほどなくして静かに眠りに就(つ)いた。
小さな寝息をたてる春香の幸せそうな寝顔に、響子は穏やかに微笑(わら)う。
「こうして眠っているだけだと、天使みたいで可愛いんだけどね…」
愛らしい春香の寝顔に、響子は苦笑いを浮かべる。
2歳になった春香は、いわゆる“おてんば娘”であった。元気いっぱいの快活な春香には、響子はいつも手を焼かされていた。おてんばなだけでなく…感情的で意固地なところがあり自分の思い通りにならないと、すぐに春香はヘソを曲げて機嫌を悪くしたりした。
こうした春香を響子の母親の千草律子は、『春香ちゃんって、本当に小さい頃の響子にそっくりね…』と笑い話にするほどであった。
娘が自分と似ているのを嬉しく思う反面、余計なところまでは似なくていいのにと…自嘲して響子は天使の寝顔な春香の頭を優しく撫でるのであった。
「ママ、ママっ! おっき、おっきして……」
どのくらいの時間が過ぎたのであろうか…。肩をポンポンと叩かれる感触と共に耳元で聞こえる春香の声に、響子は目を醒ました。
春香が眠りに就いたあと…ちゃぶ台で出納(すいとう)帳をつけていた響子であったが、いつの間にかに眠ってしまったらしい。
「んぅん…? ごめんね春香。ママ、いつの間にか寝ちゃったの…あらっ?」
自分の背中にタオルケットが掛けられているのに気付いて、響子は驚いた様子で春香を見る。
「まぁ…春香、あなたがママにタオルケットを掛けてくれたの? 有難う春香。ママ、とっても嬉しいわ」
「えへへ♪」
母親に褒(ほ)められて、とても嬉しそうに春香が喜んだ。
「あらっ…? いけない。もう、こんな時間だわ…」
テレビの上に置かれた置時計を見て響子は、目を丸くした。時刻は4時37分を指しており、慌てた様子で長年愛用しているバッグに財布を入れた。
「春香、ママと一緒にお買い物に行きましょうね」
「ママ…はるか、おかし、ほしーの。おかし、かって?」
「もお、仕方ないわね…。でも…すぐに御夕飯だから、いっこだけよ?」
「わーいっ♪ ママ、だいすきっ♪♪」
大喜びする春香を連れて響子は、一刻館から程近い近所のスーパーへ買い物に向かうのであった…。
茜色の夕焼けに染まる空の下では仕事帰りで急いで家路に向かう人や夕飯の買い物の行き帰りする人達が忙(せわ)しく道を行き交い、家々では夕食の準備に勤しむ夕刻の頃…。一刻館の管理人室でも、買い物を済ませた響子が台所に立って、忙しそうに夕食の調理をしていた。時刻は6時5分を過ぎており、7時頃には仕事を終えた夫の裕作が帰宅する時間である。
買い物から戻って…響子は気付いたのだが、小さいタンスの下段の引き出しが開けっ放しとなっていた。開いたままの引き出しの周りにはタオル類やシーツなどが散乱していて、まるで空き巣にでも荒らされた様相だったのである。
しかしそれは、春香の仕業であった。ちゃぶ台の前に座って事務作業中に、ちゃぶ台に突っ伏して不意に眠ってしまった母親の身体に掛け物を探そうとして、春香がタンスの引き出しを開けて中を引っ掻きまわしたのである。それに気付いた響子は、自分の為にしてくれたものだと思い春香を叱(しか)る事はしなかったのである。
その春香は幼児用の小さな折り畳み式のテーブルの前に座って、母親にねだって買ってもらったアポロチョコを食べながらクレヨンでラクガキ帳にお絵描きを楽しんでいた。母親の響子からは虫歯の原因(もと)になるから…と普段は甘いお菓子を控えさせられている春香は、久しぶりに食べるチョコレートにとても上機嫌であった。
ご機嫌な様子でお絵描きする春香に視線を時々送りながら、響子は晩御飯の調理を進めていた。
その時…管理人室のドアをコンコンと控えめなノック音がすると、少し間をおいてからドアが開かれた。
「ただいま~」
ノックの主は夫の裕作であった。ボストンバッグを肩に引っ掛けて赤いジャンパーにジーンズ姿といったラフな服装の裕作が仕事を終えて帰宅したのである。
「パパっ、おかえり~♪」
裕作が管理人室(へや)に入ると…お絵描きを中断した春香が裕作の許(もと)へ駆け寄ると、甘えるように父親の足に抱きつく。
「ただいま、春香♪ ちゃんと善い子にしていたかい?」
出迎えたる愛娘を笑顔で応えた裕作は、春香を抱き上げる。
「はい、パパっ…これ、あげる♪」
愛らしい表情の春香が、手のひらに乗せたアポロチョコ2粒を裕作に差し出した。
「…?? このチョコは、どうしたんだい?」
「ママに、かってもらったの♪」
「そうなのかい…よかったね。それじゃあ、有り難くいただくよ」
春香からチョコを受け取ると、そのチョコを裕作は口の中へと放り込む。イチゴ風味のチョコの味が、口の中いっぱいに広がった。
「うんっ、美味しい♪」
「えへへ~♪」
父親の嬉しそうな表情に、春香は笑顔ではにかむ。
春香を抱き抱えたまま裕作は、台所に立つ響子に声をかける。
「ただいま、ママ♪」
「まぁっ…パパ!? 今日は、随分(ずいぶん)とお早いお帰りなんですね?」
裕作と響子は、互いに『パパ』『ママ』と呼びあっていた。結婚した当初は…『裕作さん』『響子』と呼んでいたのだが、春香が生まれてからは『パパ』『ママ』と、呼びあうようになっていた。
「うん…いつも残業して帰りが遅いから、『たまには早く帰って、キミも家族と過ごす時間を大切にしなさい…』って園長先生に言われて、今日は早く帰らせてもらったんだ…」
『しいの実保育園』に保父として勤務する裕作の帰宅時間は、いつも6時50頃であった。普段の勤務時間は夕方の5時…遅くとも5時30分であるのだが、貴重な男手であり他の保母からも頼りにされている裕作は、園児が全員帰って仕事も終わり他の保母たちが帰宅しても、裕作だけは1人残業しては園児達の居るあいだには出来なかった雑務をしていたのである。その為…仕事を終えた裕作が一刻館に帰り着くのは、いつも周囲が暗くなりだす夜の始まる頃であり、夕暮れ時に帰宅するのは稀(まれ)であった。
「まあ…そうでしたの」
夫が早く帰宅したのを嬉しく思う反面…いつもより早い夫の帰宅に、響子は少し困ったような素振りをみせていた。
「でも、弱ったわ。帰りがいつもの時間だと思って…今ちょうど、お夕飯を作っている最中なのよ…」
「いいよいいよ…早く帰れると思わなかったし、それに電話しなかった俺も悪いんだから…」
申し訳なさそうにする響子を気遣うと、裕作は抱っこしていた春香を下に降ろした。
「それじゃあ、それまで春香と一緒に惣一郎さんの散歩でもしてくるよ。春香、パパと一緒に惣一郎さんのお散歩に行こうか」
「うんっ! わんわん、そーいちろーさんのさんぽ、パパといくー♪」
「それじゃあ、ちょっと待っててね…。パパは着替えてくるから」
春香の頭を撫でてから管理人室を出ると裕作は、階段を登って五号室へと向かった。
五号室は、かつて裕作が住んでいた部屋であった。裕作が響子と結婚して、響子と一緒に管理人室に同居してからは…五号室は五代家の衣装部屋兼物置部屋になっていた。隣の四号室の住人である四谷が開けた壁の穴は、響子と春香の共用する大きな衣装箪笥(タンス)によって塞(ふさ)がられた。
かつては自分の住居であった五号室に鍵(カギ)を開けて入ると、裕作は部屋着に着替えてその上からジャージを着込んだ。着替えを済ませて散歩用のクサリを持ち出すと、再び鍵をかけて裕作は五号室を後にする…。
クサリを片手にジャージ姿の裕作が一刻館の玄関を出ると、既に響子と春香が外に出ていて玄関先の犬小屋の前で春香が惣一郎さんとじゃれあっていた。
「お待たせ、春香。それじゃあ…行こっか」
「うんっ、パパ♪」
惣一郎さんの首輪にクサリを取り付けると、裕作は響子に声をかける。
「それじゃあ…ママ、行ってくるよ」
「はい、気をつけて行ってらっしゃい…。パパ、あまり遅くならないでね。いい、春香? パパに迷惑かけちゃダメよ?」
「は~いっ!」
「ばうっ! ばう~ぅ!!」
早く散歩に行きたがっている惣一郎さんが、催促するように吠える。
「そう急かさなくても分かってるよ、惣一郎さん。ほら今から散歩に行くよ」
惣一郎さんに促されて、裕作は手綱のようにクサリをくいっと引っ張る。ゆっくりと歩いて惣一郎さんは大柄な白い体を揺り動かすと、一刻館の敷地から道路へと出る。
「パパっ、はるかも、わんわんのクサリ、もちたい」
「うん、いいよ春香。それじゃあパパと一緒に持とうね…」
…夕暮れの空を背景に夕焼けの陽を浴びる夫と幼い娘と愛犬の後ろ姿が次第に遠ざかり小さくなっていくのを見送る響子は、その姿が完全に見えなくなるまで…その場に留(とど)まって見送ったのであった……。
弐 響子の想い…
5月…。ゴールデンウィークも過ぎたある日のこと…。管理人室を訪れていた一号室の住人の一の瀬花枝が、管理人業務で忙しい響子に代わって、春香の遊び相手をしてくれていた。
一刻館に夫と二人で暮らす一の瀬花枝は、一刻館の住人では唯一の育児経験者なのである。一の瀬夫人は夫との間に『賢太郎』という名前の今年で19歳になる一人息子がいる。その息子も今年の春には大学生となって、…現在では一刻館に住む親元を離れて、違うアパートを借りて独り暮らしをしているのである。
一の瀬は初めての子育てに戸惑い苦労する響子の悩みや相談を親身となって聞いては、色々と助言をしたり赤ん坊の世話の仕方を手取り足取りの実践(じっせん)形式で響子に育児指導したのである。
酒とタバコをこよなく愛し…ウワサ話と詮索(せんさく)するのが生き甲斐のお祭り騒ぎが大好きな賑やかな性格であり、他人の領分にも平然と踏み込むお節介な性分なのが“たまにキズ”な一の瀬だが…響子にとっては善き育児の先生なのである。
一刻館内の見廻りや清掃等で響子が業務に励むさなか、管理人室では留守を任された一の瀬は春香に絵本を読み聞かせたり、昔ながらのアヤトリやお手玉といった遊びで春香を楽しませたりしていた。
「一の瀬さん…お茶お持ちしましたので、休憩にしましょうか…」
時刻が午後2時をまわり…仕事が一段落して管理人室に戻った響子がお茶とお茶請けを載(の)せたお盆をちゃぶ台に置くと、部屋の片隅で春香を寝かしつけていた一の瀬にお茶を薦(すす)める。
「あぁ…ありがとさん。ちょうど春香ちゃんが眠ったところだから、頂くとするかねぇ」
小さい蒲団に入って静かな寝息をたてる春香の頭を撫でながら、一の瀬は響子の言葉に同意する。
先程まで…一の瀬と鬼ごっこをして管理人室(へや)中を駆け回っていた春香は、フカフカの蒲団の中で幸せな寝顔をして気持ち良さそうに眠っていた。
『どっこらしょ…っ』と座蒲団(ざぶとん)の上に胡座(あぐら)をかいて腰を落ち着けると、一の瀬は肩の力を抜いて楽な姿勢で寛(くつろ)いだ。一の瀬が座ると、ちゃぶ台を挟んで向かい合わせで正座して座蒲団に座った響子は、一の瀬の前に湯呑みを置いてお茶を薦める。
「それにしても、春香ちゃんは元気がいいねぇ。ご近所さんの春香ちゃんと同じくらいの子の子守りもしてるけどさ、春香ちゃんみたいに活発な子は中々いないから春香ちゃんと遊ぶのはホントに疲れるよ…」
響子が差し出した湯呑みに口をつけてお茶を啜(すす)りお茶請けの大福餅を頬張って一息つくと、おどけて一の瀬は言う。
「一の瀬さんには、いつも春香の相手をして下さって…本当になんとお礼を申したらよいものか、言葉がみつかりませんわ…」
改(あらた)まって感謝の言葉を述べて頭を下げる響子に、一の瀬が気恥ずかしそうに笑う。
「よしなよ管理人さん…あんたとあたしの仲じゃあないか。困ってる時はお互い様なんだし、そう改めて礼なんか言われると背中がムズ痒くなっちまうよ」
誤魔化すように一の瀬は、湯呑みに再び口をつけるとお茶を啜り飲む。
「春香ちゃんと遊ぶのは、あたしはキライじゃあないよ? 春香ちゃんの相手するのは結構、楽しいからね…」
部屋の片隅で小さな蒲団に入ってスヤスヤと眠っている春香に、優しい表情で一の瀬が見守る。
「つい、この前までオッパイしか飲まない赤ん坊だと思ってたのに…それがいつの間にやら、こんなにも大きくなったんだから…。子供の成長ってのは、ホントに早いねぇ……
「えぇ…本当、そうですね」
一の瀬の言葉に同意して響子も、慈愛(じあい)を湛(たた)えた優しい母親の顔で愛娘を温かく見守る。
「そんな春香ちゃんも…もうすぐ、お姉ちゃんとなるんだねぇ……」
感慨(かんがい)深そうに呟(つぶや)いて一の瀬は、響子のほうに向き直ってエプロン越しからでも目立つ響子の大きくなったお腹を見る。
「今、7ヵ月目だっけ…? あんたのお腹もずいぶんと大きくなったもんだねぇ…」
「はい…お陰様で。このまま順調にいけば、8月の中頃には生まれる予定です」
「まぁ…昔っから妊娠して生まれるのは、十月十日ってゆうくらいだから…そんなモンかねぇ。ところで管理人さん? 次は、男の子と女の子のどっちが欲しいんだい!?」
目を輝かせて、興味津々に一の瀬が訊いてきた。
「まぁ最初は春香ちゃんだったから…次は男の子が欲しいのかい? そうしたら五代くんも、やっぱり嬉しいんだろねぇ…でも、春香ちゃんからすれば、弟よりも妹のほうが喜ぶのかねぇ?」
「実は…お腹の中の子は、もう男の子だと判っています」
「えぇ…ッ!? そりゃ本当かいっ!」
ポッと頬を赤らめる響子の告白に、一の瀬が吃驚(びっくり)する。
「はい。先週に病院で診察してもらった時に、医師(せんせい)から超音波(エコー)画像の赤ちゃんを見せて頂いて…その時にオチンチンが映っていたんです」
「そうかい…オチンチンが映ってたのかい。そりゃあ良かったねぇ…。さぞかし五代くんも、大喜びしたんじゃないのかい!?」
我が事のように喜んだ一の瀬が、響子を祝福する。
「それで…もう名前を考えたりしてるのかい?」
「いえ…それは、まだです。生まれるのは、まだ先ですし…その辺は裕作さんと追々と決めるつもりです」
「なんだったら、あたしが名付け親になってあげるよ?! 男の子だし…どうせなら、カッコいい名前が良いねぇ。今風にすれば、『大地』とか『太陽』とかさ…でも、『太郎』とか『一郎』とかの昔からの定番な名前も捨て難いねぇ…。ウチの『賢太郎』みたいに、太郎の上に一字当てはめるってのも悪くないかもね」
名付け親気取りの一の瀬が、頭に思い浮かべる名前を次々と口に出していく。一の瀬の候補に挙げる名前に、響子も耳を傾(かたむ)け聞き入っていた。
「そうだっ! 一郎で思い出したんだけどさ、とっても良い名前があったのを忘れてたよっ…!!」
「どんな名前なんです…!?」
良い名前が閃(ひらめ)いたのか満面の笑顔で一の瀬が手をポンッと叩(たた)く。気になる響子も両手をちゃぶ台に着いて身を乗り出すと、思わず一の瀬に食いついた。
「『惣一郎』…ってのは、どうだい?!」
「えっ…?! 惣…一郎ですか?」
一の瀬の口から飛び出した名前に、顔色が変わった響子に…言い様のない衝撃が全身に駆け巡(めぐ)る。
惣一郎(そういちろう)…
響子が決して忘れる事の出来ない名前…。
心の底からの愛を捧げる響子が最初に夫と呼んだ最愛の男性(ひと)の名前であり…、結婚後わずか半年たらずで天国へと旅立った前の夫・音無惣一郎の名前であった。
「そうだよ、惣一郎だよ…。爽やかで響きも良い名前だし…それに、その方が音無のジイさんも、きっと喜ぶだろう?」
確かに一の瀬の言う通りなのかも知れないと、響子は思った。
惣一郎とは死別しても亡き夫に操(みさお)をたて貞操(ていそう)を守り通した響子は7年あまりを未亡人として時を過ごした。そんな折…管理人として一刻館に赴任した響子は五代裕作と出会い、裕作の人柄と優しさに次第に心惹かれてゆき…7年間の紆余曲折を経て響子は裕作と再婚したのである。それからは惣一郎に対する想いや短い夫婦生活を過ごした思い出を響子は心の奥深くに仕舞い込んで意識をしないようにしたのである。
裕作と再婚して、音無の家から籍を抜いたとはいえ…響子は音無家との縁も所縁(ゆかり)も切れた訳では無い。亡き惣一郎の父親である音無老人を今でも響子は『お義父さま』と呼び慕い…惣一郎の姉夫婦を義姉兄(きょうだい)と慕って、その娘である元・姪の郁子との関係も良好なのである。また音無の親族とも、良好な関係が続いているのであった。
医師より胎内の胎児が男児であると告げられた響子は、産まれてくる子に『惣一郎』と名付けたいと秘(ひそ)かに想っていた。
惣一郎と愛しく呼びながら、抱きしめる夢を響子は何度も見ていたのである。
そんな素敵な想いを馳(は)せる響子であったが、それと同時に…現在もっとも終生の愛を誓って捧げる愛しい男性の優しく微笑む笑顔が脳裏に鮮明に浮かんだ。果たして…彼は、どんな反応を示すのであろうか…と。
これからも音無家との絆を末永く結ぶ架け橋となると、歓迎してくれるのであろうか…それとも、亡き夫をいつまでも忘れられずに未(いま)だに引き摺(ず)る未練がましい女だと呆れて愛想を尽かすのであろうか……。
相反する二つの想いが葛藤(かっとう)して複雑に絡み合って、響子の心を痛烈に締め付ける。
「裕作さん……」
『五代響子』として一生涯を裕作に捧げて、残りの人生を裕作と共に歩み…彼に添い遂げる覚悟を決めていた響子が、苦悩を滲(にじ)ませた声で愛する夫の名を呟(つぶや)く。
そんな響子の胸中を察した一の瀬が、申し訳なさそうに俯(うつむ)いた。
「ゴメン、五代くんの気持ちを考えてなかったよ…。いくら死んで10年も経(た)ったとはいえ…女房の前の旦那さんの名前を自分の息子につけるのは、五代くんからしたら色々と複雑になるんだろうね…。なのに、勝手に盛り上がったりして悪かったよ…」
「いいえ、お気になさらないで下さい…。一の瀬さんに悪気が無いのは知ってますし、それに私たちの事を想って一生懸命に考えて下さっているのは伝わっておりますから…」
バツが悪そうに落ち込んだ一の瀬に、優しく言葉をかけて響子は一の瀬を気遣う。
「ははっ…ありがさん……。まぁ五代くんの事だから…きっと息子に、良い名前を考えて付けてくれるさ…」
「えぇ…そうですね」
漸く明るい表情を取り戻した一の瀬が朗らかに笑うと、つられて響子も微笑む。
「せっかくの昼下がりなんだし…湿っぽいのはもう無しにして、愉しくお喋りを楽しもうじゃないか。春香ちゃんも眠っていることだし、エロエロな話でもするかねぇ…?」
「んもぉ、一の瀬さんったら…まだ真っ昼間ですよ!? そういった話題は自重して下さいなっ」
「ガハハハ…なにムキになって怒ってんのさ、管理人さん? 冗談だよ冗談…」
真っ赤に顔を染めて羞(は)じらう響子に、一の瀬が意地の悪い含み笑いをする。
羞(は)じらう響子の反応に目で愉しむ一の瀬に、響子は幼子のように拗(す)ねる。
「人をからかって困る様子を楽しむだなんて…悪趣味にも、ほどがありますよ!?」
「あはは悪い悪い、エロ話はおいといて…せっかくの昼下がりなんだし、もっとお喋りを愉しもうじゃないか。お茶飲んでお菓子を食べながら…お喋りするってのも、主婦の立派な嗜(たしな)みのうちだよ」
それから一時間後に春香が目を覚まして起きるまでの暫(しば)しの時間…響子と一の瀬は和やかな雰囲気の中、たわいのない話題で花咲かせて盛り上がる。時折、一の瀬が卑猥な話題をするのだが…その場の雰囲気に、響子も咎(とが)める事なく笑って一の瀬の卑猥なエロ話に聞き入っていたのであった……。
参 春香と東京の祖父母
梅雨も明け…日の出と共に蝉時雨(せみしぐれ)が騒がしくなり、本格的に夏の到来を迎えた7月も中旬のとある日曜日…。
一刻館の管理人室に、のんびりとする休日の朝が訪れる。
午前の7時30分…日々の仕事疲れが溜まっている裕作は、蒲団の中で未(いま)だに安眠を貪(むさぼ)っていた。
蒲団にくるまり惰眠(だみん)を貪る裕作の所に、春香がやって来て蒲団の上に乗っかると小さな両手で蒲団越しにユサユサと裕作を揺さぶって起こそうとする。
「パパ、パパ…あさ、あっさ。おっき、おっきっ!」
「うぅ~ん…春香ぁ、パパはまだ眠いんだから…あと…10分、いや…あと5分、寝かせてくれよ……」
「むうぅぅ~~」
ミノ虫のように蒲団に丸まって起きようとしない父親に、不満げに唇を尖らせた春香が蒲団からわずかに覗かせる裕作の頭をペチペチと叩き始める。
「まんま、まんま、おっきしてまんまたべないと、ママ、プンプンするよっ?」
「痛ッ…!? 痛たた…っ! 起きる、起きるからっ! だから春香、パパを叩くのはヤメてっ!」
容赦のない春香の攻撃に、裕作も白旗をあげて降参した。漸く蒲団から上半身を起こした裕作は、大きく背伸びして眠気を飛ばす。
「おはよう、春香」
「パパ、おねぼーさんっ!」
「あはは…ゴメンゴメン」
プーッと頬を膨らませる春香の頭を裕作が宥(なだ)めて撫でると、すぐに機嫌を直した春香は笑顔でちゃぶ台で朝食の用意をしている響子の所へ歩いていった。
「ママぁ、パパ、おっきしたよ♪」
「まぁ春香、パパを起こしてくれて有り難うね」
「えへー♪」
母親に誉(ほ)められる春香は、とても嬉しそうにはにかむ。
蒲団から起き上がった裕作はパジャマを脱ぐと、蒲団の横に響子が用意して置いといてくれた部屋着に着替えた。
「ふわぁ…おはよう、ママ」
「おはようパパ…やっと、起きたのね」
欠伸(あくび)をしながら裕作は、ちゃぶ台に朝食を並べる響子に朝の挨拶をする。
「ハハッ、どうせなら…キミに優しく起こしてもらいたかったかな…」
苦笑いして裕作が春香に叩かれた頭をさすると、呆れたように響子が微笑(わら)う。
「もぉ…まだ寝ぼけてるいるの? もう朝御飯の支度は出来ていますから、バカなこと言ってないで早く顔を洗ってきて下さいな」
「へいへい…」
「パパっ! その『へいへい』…ってのは春香がマネするからヤメてって、いつも言ってるでしょ!」
茶碗にご飯をよそいながら、響子は嗜(たしな)める。近頃の春香は何でも大人のマネをしたがるので、最近の響子は裕作の言葉使いに口煩(うるさ)くなっていた。
「ゴメンゴメン…気をつけるよ」
平謝りして裕作はタオルを手にすると、管理人室を出て廊下の流し台で顔を洗う。
洗顔を済ませて再び管理人室に戻った裕作は、朝食の用意が出来ているちゃぶ台の前に胡座をかいて座った。裕作が座ると、続いて春香と響子もちゃぶ台の前に座って食卓を囲んだ。
「それじゃあ…いただきます」
「はい、いただきます…」
「いたらきまーすっ♪」
手を合わせて裕作が号令すると、響子と春香も手を合わせて食前の挨拶をして朝食を食べ始めた。
今朝の献立は、ご飯に納豆とワカメと豆腐の味噌汁に…オカズは目玉焼きと焼き鮭と茄子(ナス)の浅漬けであった。朝はしっかりと食事を摂(と)るという事で、五代家の朝食は決まって和食である。
「やっぱり朝はママの作った味噌汁を飲まないと、一日が始まらないよ」
味噌汁を啜り飲む裕作が、ほっこりとした表情をする。
「おサカナ、おいしー♪」
行儀良く座ってご飯を食べる春香は箸(はし)を上手に使って、焼き鮭の切身をほぐして食べていた。裕作も響子も指先が器用なので、両親譲(ゆず)りに娘の春香も指先が器用であり2歳になる頃には上手に箸を扱えるようになっていた。
平日よりも遅めの朝食を終えると…響子は後片付けと洗い物をして膝に春香を座らせる裕作は、金曜日の仕事帰りに立ち寄った駅前のレンタルビデオ店で借りてきたドラえもんのビデオを春香と一緒に視聴していた。
「どらえもんっ♪ どらえもっん~っ♪」
父親の膝の上に座る春香は、ワクワクとした表情でテレビに釘付けとなる。ドラえもんは、春香の大好きなアニメのひとつである。それこそ瞬(まばた)きするのも忘れて、春香は夢中でテレビに映るドラえもんを視(み)入っていた。
そこに、洗い物を済ませた響子が飲み物を持って来る。裕作と自分にはカフェオレを春香には牛乳をそれぞれの飲み物をちゃぶ台に置くと、響子も正座をして裕作と春香と一緒にアニメビデオを視聴する。
これまでアニメとかには関心の無かった響子であったが春香との共通の話題が持てれば…と、最近では響子も春香と一緒にテレビやビデオのアニメを視るようになった。
裕作たちはアニメのビデオ鑑賞を楽しみながら、まったりと休日の午前中を過ごしていた。
テレビに置かれた時計の時刻が10時20分頃を指した時…、管理人室のドアがノックされる。
「うん? 誰か来たみたいだね…」
膝の上に春香を乗せている裕作が首だけ動かして、ドアのほうに視線を向けた。
休日の午前中に誰かが管理人室に誰かが来るのは珍しく、たまに一刻館の住人がガス等の設備の不具合を見て欲しいと言いに来るぐらいである。
「あたしが行きますわ」
臨月の大きなお腹を抱える響子がちゃぶ台に両手をついて立ち上がると、ドアのほうへ向かった。
「はーい、どちら様ですか」
多分…一の瀬さんあたりがガスの調子をみて欲しいと言いに来たのだろうと…そう思ってドアを開けた響子であったが、そこに居た訪問者に響子は思わず驚きの声をあげる。
「お、お父さん?! それに、お母さんも…」
「…!? お義父(とう)さんとお義母(かあ)さんだって…?」
響子の驚いた声に、慌てて膝に乗せていた春香を降ろすと裕作もドアにへと向かった。
ドアの向こう側には両手いっぱいの手土産を抱えた響子の両親が並んで立っていた。驚いた様子で出迎える娘と義理の息子に、響子の父はニンマリと笑い…響子の母は苦笑いを浮かべるのであった。
「連絡して頂ければ、お迎えに上がりましたのに…」
「もう、お父さんっ! 来るなら来るって、電話くらいしてよねっ!」
義理の父親に恐縮する裕作に対して、響子は父親に文句を言った。
「何を言う響子。可愛い孫娘に…1分でも1秒でも早く会いたいのだぞ? いちいち電話なぞしてられるかっ?!」
孫娘の春香を膝の上に乗せてご満悦な響子の父に、悪びれる様子はなかった。その春香は大好きな祖父の膝に座って、祖父がお土産に持ってきた犬のヌイグルミを手にして大喜びであった。
「春香…おじいちゃんにちゃんとお礼を言いなさい」
「“クマ”のおじーちゃん”、ありがとー♪」
「もぉ…春香ったら! クマのおじーちゃん…じゃないでしょっ!」
母親に促(うなが)されてお礼を言う春香であったが、『クマのおじーちゃん』の呼称に響子が春香を嗜めた。
「まあまあ響子、春香にそう呼ばれるのをワシは気に入っておるぞ?」
響子の父はご満悦な表情で言う。
メガネを掛けた強面の面構えで恰幅のいい身体の熊みたいな風貌の響子の父だが、春香の前では常に愛嬌たっぷりの笑顔をしており、春香は母方の祖父をそう呼んでいた。孫娘にそう呼ばれるのは満更でもない響子の父は、実に嬉しそうであった。
「おじーちゃん、だーいすき♪」
甘えて抱きつく春香に、響子の父はだらしなく頬を緩ませる。
「アハハッ…そうかそうか、おじいちゃんも春香が大好きだぞぉ♪ ん~チュッ、チュッ♪」
満面な笑顔の響子の父は、春香の顔中にキスの雨を降らせた。
「きゃはっ♪ くすぐったい~♪」
祖父のキスの雨に、春香は嬉しそうに黄色い声をあげる。
孫娘を溺愛する夫の姿に、響子の母・律子はクスリと微笑(わら)う。
「まさに親バカならぬ、祖父(ジジ)バカよねぇ…」
母親の律子の言葉に、同意する響子が微笑して頷き裕作は苦笑いを浮かべる。
正午近くとなり…時計を見て時刻を確認した響子が、少し困った顔をした。
「でも弱ったわ…お昼は冷蔵庫の中の物でご飯を作るつもりだったから、お買い物に行ってないの…」
「なら、お昼は出前をとろう。響子、ちょっと電話を借りるぞ」
そう言って電話を拝借した響子の父は、馴染みの寿司屋に出前を注文するのであった。
「ちょっとお父さん! こんなにも頼んだの?!」
…数十分後に寿司屋より届けられた出前の量に、響子は呆気(あっけ)にとられた。
いっぱいの寿司が並べられた大きな寿司桶が三つと船盛りの刺身や天ぷらに、ビールと日本酒とジュースの瓶が数本と…昼食というよりも宴会でもするような量と豪勢な内容であった。
「いやなに…この前、競馬で遊びのつもりで千円だけ賭けてみたんだが、それが高額配当になってな…」
得意気な響子の父の隣では、呆れる律子が溜め息をつくのである。
「ほら裕作くん…遠慮せんと、もっともっと呑んで」
「は…はぁ、頂きます」
上機嫌な響子の父から、コップが空になるたびに裕作が恐縮した様子で何度もお酌(しゃく)を受けていた。
「おすし、おいし~♪」
祖母の律子の膝に座っている春香は、ワサビの抜かれたお寿司を美味しいそうにパクパクと食べている。
「良かったわね~春香ちゃん、美味しい? お寿司いっぱい有るから、たくさん食べなさいね」
「うん、おばーちゃん♪」
日曜の正午の昼食は…まるで、宴会のような賑やかな様相であった。
管理人室から漏れる賑やかな声と酒の匂いに…ハイエナのように嗅ぎつけた一の瀬や四谷や朱美が管理人室にやって来るのではないか…と、戦々恐々とする裕作であったが各々(おのおの)予定や都合があったのか…この日、この三人が管理人室を訪れる事はなかったのである。
只今の時刻…午後8時47分。正午から始まっていた宴会は未だに続いて、ますます盛り上がっていた。
「裕作くんっ! キミも男なら、もっと呑んでっ!」
顔を真っ赤にして酔っぱらい状態な響子の父は、執拗に裕作に絡んでいた。
「あの…お義父さん、そろそろお開きとしません? お義父さんだって、明日お仕事がありますし…そろそろお帰りになりませんと…」
昼食や夕食の出前を御馳走になった手前、裕作はやんわりと義理の父親を諭(さと)す。
「んん? ワシの事を心配してくれるのかね? 嬉しいねぇ、こんな優しい婿(むこ)をもってワシは日本一の幸せ者だ…。だが、心配いらんぞ。明日は有給をとってあるし、それに今夜は一刻館(ここ)に泊まるつもりだから…裕作くんも安心して今夜はとことん呑み明かそうじゃないか!」
義父の言葉に裕作が困惑する様子をみせると、すかさず律子と響子が助け船をだした。
「あなたっ、いいかげんになさいっ! 裕作さんは、明日お仕事なんですよッ!!」
「そうよっ! お父さんは有給で休むからいいけど…、裕作さんはお休みじゃないのよっ!!」
律子と響子の厳しい声によって…こうして、正午より続いた管理人室での宴会は強制的に幕を閉じたのである。
翌日、寝坊こそ免(まぬが)れたものの…酔いが抜けないまま、裕作は朝を迎えた。
「ははは…9時になったら、おじいちゃんと一緒に銭湯に行こうな。朝の一番風呂は気持ちいいぞぉ~♪」
「うんっ♪ クマのおじーちゃんと、いっしょにおふろ、はいる~♪」
裕作よりも呑んでいたはずの響子の父は、二日酔いの素振りもみせずに春香を抱き上げていた。
出勤の時間となって、裕作は一刻館を出る。
背中越しに義理の父親と愛娘の声を聞きながら…二日酔い状態の重い身体に自ら鞭(ムチ)をいれると裕作は、しいの実保育園へと出勤するのであった……。
其の一 終
拙い作品に関わらず、最後まで拝読して下さいまして有難うございました。そしてお疲れ様でした。こんな作品でありましたが、少しでも楽しんで頂けたのならば幸いに思います。
さて…前書きでも触れましたが、パチンコ版めぞん一刻4約束のプレミアムエピソード『約束の向こう側』…やっと生で見る事ができました。もうひとつのプレミアムエピソード『結婚披露宴』は何度も生で見ているのですが、漸く『約束の向こう側』を実際にホールで拝見できて良かったです。響子の名台詞と云えば「お願い一日でいいから、あたしよりも長生きして…ひとりでは生きていけそうにないから」が有名ですけど…、『約束の向こう側』のエピソード終盤で約束を果たして自分より長生きしてくれた五代に響子は「約束を守ってくれて…ありがとう」って言うんですよね。パチンコ版限定とはいえ、これも響子の隠れた名台詞だと思います。
休日ともなれば休日のパチ屋で、朝一から1パチの甘めぞん4約束を全ツッパしている甲斐もあり、これでパチンコめぞん一刻4約束のエピソードはあらかた見たのですが、唯一見てないエピソードが『チャペルウェディング』なんですよね。これまで15連したのが最高で…エピソード『P.S一刻館』を2回ほど見たのですが、未だ『チャペルウェディング』は見れてません(エピソード解放までいくものの…エピソードを見る前に青図で当たり時短中に引き戻せずにそのまま通常に戻るパターン…)。はぁ…確変突入の低い甘デジで『チャペルウェディング』なんて見れるんかいな……。それよりかミドルタイプが設置してるパチ屋を探したほうが早いかもと思う、今日この頃です。ともかく撤去されるまでは、エピソードコンプリート目指して頑張って打ち続けるぞと思います。
なんかパチンコスレみたいな後書きとなりましたが、今回はこの辺で失礼します。
2019年 2月16日
妄想中年