「駆逐艦時雨。入るよ」
入渠ドックの準備を終えた僕が、提督室の扉をノックして中に入ると。
執務机の向こうに座った提督と、彼の周りに群がるたくさんの妖精の姿が見えた。
……相変わらず規格外の好かれようだね。僕はこの鎮守府で建造されてからの記憶しかないけど、一般的な提督がどの程度妖精を侍らせているかは知識として持っている。
普通三~四人も一部屋にいれば多い印象を受けるけど、この提督室にはいつも大体十人前後。今は目算で二十を越えてると思う。それぞれが提督の周囲を思い思いに飛び回ってるものだから、まともに数えられたものじゃない。
「じゃあそういう訳だから。悪いけど、少しだけ外してもらえるかな?」
「了解」
「埋合」
「忘却」
「不可」
「時雨」
「注意」
提督が妖精に呼びかけると、何人かの妖精がそれに応えているようだった。
僕にはそれぞれが一言ずつ単語……というか思念のようなものを送っているように感じられる。
艦載機の妖精とやり取りをすることも多い空母の艦娘は、もう少し具体的に妖精と意思疎通できるらしいけど。
主砲の精度向上を助けてもらうくらいしか接点が無い僕たち駆逐艦には、妖精の考えはほとんど理解できないんだよね。
「あー……うん。善処するよ」
提督がそう言って手を振ると、僕の脇や頭上を素通りして妖精が退出していった。
何度見ても異様な光景だと思う。妖精をここまで意のままに操る提督は。本人に言わせれば命令している訳じゃなく、友人に席を外すようお願いしている、ということなんだろうけどね。
「待たせてごめんね。それで、話って言うのは何だったかな」
少し疲れたような提督に手で座るよう促された僕は、彼と執務机を挟んで対面になるように腰かけた。
「提督の体調の事だよ。大丈夫なの?」
「さっきも言ったけど、ただの寝不足だよ。しっかり休めばすぐ良くなるさ」
「寝不足じゃなくて、寝付けない、って言ったよね? 何か理由があるんじゃないのかな」
僕の指摘に、提督はしまったという表情を見せた。普段はあまり見せない顔だ。取り繕うほどの余裕もないほど具合が悪いの?
「……提督、助けになれることなら話してくれないかな。他の子に聞かれたくないなら、口外しないって約束するから。……それとも、僕じゃあ力不足かい?」
「そんなことは! ……無いんだけど」
心外だというように両手を振る提督だったけど、すぐにばつが悪そうに視線を逸らしてしまった。
……あぁ、少しだけ夕立の気持ちが理解できたような気がする。
目の前に明らかに悩みを抱えた提督が居るっていうのに。
力になれないと。頼られないということは、こんなにもやるせないことなんだ。
提督にはそんな意図は無くて。ただ僕に遠慮してるだけなんだろうけど、僕にとっては同じこと。人のために在れとされた
「提督っ……!」
思いがけず語調が強くなってしまった僕を意外そうに見やってから、提督は諦めたように大きくため息を
「……はぁ。……時雨。最近、他の艦娘の様子はどう見える?」
「どうって……。提督が頑張ってくれてるおかげで、どんどん強くなってると思うけど」
「あぁ、うん。ありがとう……。ただその、作戦以外でというか。僕に対する態度というか……」
なるほど、やっぱり提督も気づいてるみたいだ。
「うん、みんな提督の事が好きだと思うよ。ちょっと部下と上官というには行き過ぎたところもあると思うけど、別に悪いことじゃない」
「そうなんだけどね……こんな、ちょっと前まで一般人だった僕を慕ってくれるのは有り難いんだ。ただその、夕立と響がね……」
「……まぁ。僕の目から見ても、二人は特に提督に……懐いてるよね」
敢えて言葉を濁したけど、あれはもう懐いてるとかそういう次元じゃないと思う。
「うんその、距離感が近くてね。……抱きついてきたりとか」
「男性の提督からすると困ることもあると。なるほどね……。それとなく
一般人上がりとは言え、提督もここまで来たら立派な軍人だ。もし外部から来賓や監査が訪れた時、
そう思って提案した僕に、提督はうなだれて力なく首を振った。
「そうじゃないんだ。……時雨には、僕が鎮守府に来る前の事は話したかな?」
両手を組んだまま俯いて、彼はそんなことを聞いてくる。
「ううん、そこまでは。……あまりご家族と仲が良くないとか、友人はいないとか。知ってるのはそれくらいかな……」
以前、五十鈴さんが提督に鎮守府でやっていく覚悟があるのか、と問いかけた時に。
提督自身がそんなことを言っていたと思う。
「うん、僕は家族を血の繋がっているだけの他人としか思っていないし、友達も妖精さんだけなんだ。それで、その……。誰かと手をつないだり、抱きしめたり、抱きしめられたり。そういう記憶が全くない」
「うん? うん……」
いったい何の話だろう、と思ったけど、提督にとってはきっと大切な話なんだ。まずは全部聞かせてもらわないと。
「ちょっと前にね、その……、響がね。僕を愛してると言って、自分を抱きしめさせた、というか、そんなことがあったんだ。……誤解を恐れないで言わせてもらうと、とても居心地が良かった。気持ちが落ち着いたんだ。……人の温もりってものを知らなかった僕にとって、響を抱きしめた時に感じた心地よさは忘れられないものだった。響の思いを受け入れられた訳じゃないんだけど……」
提督は落ち着かなさげに、組んだ手の平を握ったり開いたりしながら話している。自分でも何言ってるんだろう、と思いながら言葉にしているのが見てわかるくらいだ。
っていうか響、知らない間に一体何してるんだい……。
「僕は、あまり良くない夢を見ることがある。過去の出来事というか……。
今までは何ともなかったんだけど、その。……人肌の温かさというか、それを知ってから、眠るのがひどく怖くなった。悪夢を見て目を覚ました時、隣に誰もいないのがとても恐ろしく感じられるんだ。……一度そうなってから、ここ最近寝られなくなってね。まさか妖精さんに添い寝してもらう訳にもいかないから」
潰しちゃうからね、と自嘲気味に笑う提督の顔は、冗談を言っているように見えなかった。
……これは確かに、誰にも言えないだろうね。客観的に見れば社会に出た男性が、一人寝が怖くて眠れないと言ってるんだから。
「笑ってくれていいよ。でも、みんなには言わないで欲しいな。恥ずかしいからね」
「……響か夕立に頼めばいいんじゃないかい? 拒否はしないと思うけど」
暗に笑ったりしないよ、という意図を滲ませながら言うと、提督は一瞬呆けたような表情を見せた。そんなに意外だったかな? ……まぁ提督の中にあった、僕がどういう返答をするか、という予想を覆せたのなら少し気持ちいい。
提督は自分に向けられる感情や反応について、悪い方向にばかり予測している気がする。
もうちょっと仲間の事を信頼してほしいな。
「……それは難しいね。仮に二人のどちらかにお願いしたら、僕がその子をどう思ってるように見える?」
「……好意を受け入れてるように見えるだろうね。二人に順番にお願いしてみたら?」
一人にお願いしたら邪推もされるだろうけど、それぞれに頼めば角も立たないんじゃないかな。
「……初期艦ってことに誇りを持ってくれてる夕立。僕に対して
……本当に、相手のことを良く観察しているな、と思う。普通そんなこと考えるかな。男性なら女の子に
それだけ、人の感情を読まないと生きていけない環境だったのか、と考えると不憫でならない。
……僕は提督に対して、そういう感情を明確には抱いていない。
一瞬にして自分を納得させると、僕は続く提案を彼へ口にした。
「……なら、僕が引き受けるよ」
「……え?」
「こういう言い方もなんだけど、夕立や響に比べれば僕は、提督に対する好意が薄い。
偶然提督の不調に気づいて、この件に対して
僕に
僕の提案に対して、提督は迷うような素振りを見せる。
「いや、でも……。時雨は嫌じゃないのかい? 好きでもない男性と一緒に寝るなんて。……それに、他の子が誤解しないとも限らない。これから艦娘はどんどん増えるだろうし」
「言ったよね? 二人に比べれば好意は薄い、って。好きか嫌いかで言えばもちろん好きだよ、提督。提督の不調を癒すために、一緒に寝れば治るって言うのなら、そこに嫌悪感は無いくらいにはね。
他の艦娘が増えた時は、その時に考えればいいさ。別にその子に無理強いするわけでもなし、そこまで気にすることじゃないよ。これはあくまで提督と、提督と寝る艦娘が合意の上かどうかの問題なんだから」
気持ちは揺れてるみたいだけど、彼の倫理観はそう簡単に艦娘との添い寝を許さなかったみたいで。それでもしばらく
「……よろしく、お願いします」
それはどう見ても、据え膳食わぬは、というような男性の姿ではなくて。
「……ふふっ。こちらこそ、よろしくね」
思わず笑っちゃったのは、許して欲しいな。