【完結】幕間の物語 『贋作者と魔法少女/夢幻虚構結界:冬木』   作:耳 a.k.a 腐れケバブ

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最初は1万5、6000字で仕上げる予定でした。
それが蓋を開けてみればなんと3万字越え。
うーん、何故分割しなかったのか()

そんなわけでバーサーカー戦。一挙に色々詰め込み過ぎたせいでごちゃごちゃしてますが、よろしくお願いします!




第十二節『離別の剣』

泥のような闇が沈殿する地の底であった。

岩の天蓋で月明かりは閉ざされて、代わりに濃密な魔力がこの場を満たしている。

夜の静謐さなんて程遠い。

イリヤにはこの異様な場所を上手く表現出来る語彙を持ち合わせていなかったが───グロテスク、だと思った。

チラリ、と後方を振り返る。

真っ先に視界に飛び込んできたのは、『彼』とクロが漆黒の巨人と剣戟を繰り広げている光景だった。

巨人の足元を飛び回る、美しい2羽の鶴。

黒と白の翼が、バーサーカーの身体を斬り裂き翻弄する。

その戦闘も気にはなる────というか心配で今にも飛び出して行ってしまいそうなのだが、今はそこではない。

その更に奥。そこから、血のように赤い光が漏れていた。

グロテスクだと感じたのはその光によって、この大空洞全体が淡い赤に染まっているからである。

 

 

「何というか··························」

 

 

ここはまるで、身体の中だ。

以前、医療系のテレビ番組で見た事があった。

そのあまりの生々しさに当時のイリヤは思わず目を逸らしたのだが、ここはその光景にあまりにも酷似している。

赤く染まった岩肌は、まるで襞の付いた肉壁だ。

上を見上げればイリヤ達が落ちてきた巨大な穴が顔を覗かせていて、まるで生き物の喉のよう。

そして、極め付けはこの生暖かさだ。

あまり気持ちいいものじゃない、不快感を煽る空気がそっと首筋を撫でていく。

 

 

「ッ·····························」

 

 

深く想像し過ぎたからか。感覚がより鋭敏になり、ゾクリと全身の肌が泡立った。

一瞬の硬直。その生暖かい空気は首筋どころかイリヤの踝、太もも、臀部、腰、腹部、胸、身体の至る所をいっそ淫靡とさえ言っていい手付きで撫でていった。

──────その硬直を、敵は見逃さない。

シャドウサーヴァントの一騎が、イリヤに向かって跳躍した。

 

 

「はぁっ──────!!!!」

 

 

影の剣がイリヤの身体に届く寸前。

銀色の旋風が影の剣を跳ねあげ─────気付けば、シャドウサーヴァントの身体が両断されていた。

金色の髪の束がふわりと舞う。

イリヤを窮地から救ったのはセイバーだった。

イリヤとシャドウサーヴァントの間に割り込んだセイバーは、影の剣を跳ねあげ、瞬時に手首を返し肩から脇腹までを袈裟に両断したのだ。

ここまでの一連の動作の全てが、刹那の間に行われた。

現在進行形で襲われているというのに、その斬撃の美しさにイリヤは目を奪われ、呼吸を忘れた。

──────違い過ぎる。

これが、本物。クラスカードによって齎される力では、あの領域まで辿り着く事は叶うまい。

 

 

「無事ですか、イリヤスフィール」

 

 

「あ、ありがとうございますセイバーさん」

 

 

「その様子では大丈夫そうですね。·················しかし、先程は何か思い詰めたような表情をされていましたが何か問題でも?」

 

 

間近のシャドウサーヴァントを斬り伏せながら、セイバーはイリヤに問いかける。

 

 

「上手く言えないんですけど·····················ここに居ると少し、気分が悪くなるというか何というか················」

 

 

「─────成程、この濃密な魔力にあてられたのですね。聞けば、貴方とミユは元を正せば一般人だという。

普通の人間にとっては、この濃密な魔力が渦巻く(はらわた)は毒にしかなり得ないでしょう」

 

 

《その分、リンさんのような魔術師やセイバーさんのような魔力を糧にして存在している者達にとってはまさにベストプレイスですけどねぇ〜》

 

 

「ふーん、ていう事はお兄さんやクロも?」

 

 

《はい。平時とは違い、魔力の使い過ぎを危惧する必要は無いかと思われます。無論、限度はありますが─────》

 

 

サファイアが感情の起伏に乏しい声音で、相も変わらずふざけた口調のルビーの代わりにイリヤの問いに答える。

するとリンが、

 

 

「アーチャー達の事が心配なのは分かるけど、こっちの戦闘にも集中しなさい。今は何とか均衡を保っているけど、決して余裕がある訳じゃ無いんだからね」

 

 

「う··················ごめんなさい··················」

 

 

「けど、心配になる気持ちは凄く分かる。

····················わたしも、お兄さんとクロが心配·····················」

 

 

そう口にしたのはミユだった。

いつもはサファイアと同様に感情の起伏に乏しい声だが、今はその声音に憂慮の念を感じる。

 

 

「大丈夫、だよね·······················?」

 

 

彼は強い。いつも自分達を守ってくれる。

それに、『約束』だってしたのだ。

カルデアに帰還したら、イリヤと美遊とクロに料理を教えてくれるって、約束した。

彼が約束を破るような人じゃない事を、イリヤは知っている。

 

 

「なのに、どうして······························」

 

 

─────どうして、こんなにも不安になるのだろう。

イリヤはもう一度だけ、後ろを振り返った。

彼とクロには傷一つない。バーサーカーの攻撃を捌きながら、返す刀でバーサーカーに斬撃を叩き込んでいる。

───────大丈夫。負けない。彼とクロの剣は確実にバーサーカーの身体を削り取っている。戦況は優勢以外のなにものでもない。だから、2人が負けるはずがない。負けるはずが、ない。

 

 

「············································」

 

 

─────神様、お願いします。どうか、どうかお兄さんとクロを助けてください。

静かに。そんな行為に意味など無いと分かっていながら、イリヤは2人の無事を祈り続けた。

 

 

 

 

♢

 

 

────頭上を鈍色の戦斧が掠めていく。

余波による風圧が身体を叩く中、俺はその風圧を突き破るように一歩前に踏み込んだ。

左足を軸にし、時計回りに身体を流しながらバーサーカーの太腿辺りを斬り裂く。

やけにくぐもった、鈍い斬撃音。

一瞬遅れて、裂かれた箇所から粘液質な黒い液体が迸った。

しかし。あたかもビデオの逆再生の如く傷が癒えていき、一秒後には何事も無かったかのように傷口は塞がっていた。

先程から、この繰り返し。

何度斬り裂こうとも、泥の鎧を纏ったバーサーカーの身体はたちまち復元してしまう。

幸い、鎧の強度自体は大した事は無い。

故にバーサーカーの体表面に刃が届く事はあった。

しかし────その度に『泥』はバーサーカーの身体を補い、巨躯を変質させていく。

その様はまるで、ウイルスに侵され衰弱しているかのようだった。

 

 

「ッ、キリが無いわね······································」

 

 

「ああ、全くだ。普通に斬り刻むだけでは、傷付けた傍から再生するだけ。ジリ貧にも程がある」

 

 

「なら、どうするの?」

 

 

「·······························前回と比べて、私達の刃が通るほど奴の身体は柔らくなっている。

恐らく、『泥』によって完全に身体が腐り落ちてるせいだろうな。とは言え、この再生力を前にしてはどちらが良かったのか判断に困るが」

 

 

前回は、皮一枚程度しか削れなかった。

それに比べればまだ手の打ちようがあるものの、だからと言って楽観視出来る訳ではない。

斬っても斬っても再生する身体のせいで、俺達はバーサーカーに対して傷一つ負わせていないのと変わらないのだから。

それと、もう一つ──────

 

 

「────俺達が戦った時より、明らかに弱くなっている」

 

 

目の前のバーサーカーは、あの時俺達に振るった速度と膂力には遠く及ばない。

それを手放しで喜べる程、お気楽な頭はしていないつもりだ。

 

 

「それはなんというか·······················妙、ねっ!」

 

 

横一文字に振るわれる戦斧を、俺とクロは上体を反らして避ける。その速度もたかが知れていた。

俺はバーサーカーの戦斧を側面から蹴り上げ、蜻蛉を切るように着地してから同時に予め投影していた干将・莫耶を投擲する。

放られた夫婦剣は重なり合うように弧を描きながら、バーサーカーの胸元辺りに突き刺さった。

微かに、バーサーカーが動きを止める。

その隙に背後からクロが忍び寄り、自身の身体の周囲に浮かせた十数本あまりの剣をバーサーカーに叩き込んだ。

機関銃の弾丸を砂山に向かって連射したかのような子気味のいい音が耳朶を打ち据える。

しかし、その攻撃も再生力の前には歯が立たず、深々と突き刺さった剣を呑み込むような形で泥がバーサーカーの身体を修復していく。

 

 

「効果は無し·······················か。分かってはいたけど」

 

 

「通常の斬撃では効果は無い。水を斬ろうとするようなものだからな。しかし────君の攻撃は今ので終わりという訳では無いのだろう?」

 

 

俺の言葉に、クロがニヤリと口角をつり上げる。

 

 

「当然。水は斬り裂く事は出来ないけど、爆散させる事は出来るわ。例えば、爆弾を仕掛けるとか、ね─────!」

 

 

クロは一度深呼吸をして大気に漂う濃密な魔力を体内に取り込むと、拳を突き出して叫んだ。

 

 

「消し飛びなさい───壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)!」

 

 

「■■ッ!?」

 

傷付いた箇所を再生し、立ち上がろうとしていたバーサーカーの動きが止まる。

苦しそうに呻き、膝を着いた直後。

バーサーカーから目を開けていられない程の凄まじい閃光が迸り、爆炎となって泥の身体を吹き飛ばした。

バラバラと、バーサーカーの身体の破片が四散する。

────壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

自身の宝具を使い捨ての爆弾として用いるという、普通の英霊ならば絶対に用いる事は無い技の名だ。

通常の英霊が使わない理由は多々あるが、その最たるものは至ってシンプルなものだ。

例外はあるだろうが、基本的に宝具とは唯一無二の存在だ。

過去の伝承や神話において己が用いた、英霊にとって相棒とも呼べる武具の総称。

それを、幾ら強力とは言え使い捨ての爆弾にして使おうなどと考える酔狂な輩はそういまい。

だが、俺とクロはその普通とやらには当てはまらない。

爆弾として用いても、俺達は投影魔術によってまた新しく作り直せるからだ。

 

 

「合計20本の剣を同時に爆破。一本一本の威力は大した事ないけど、これだけあれば少しは─────」

 

 

数瞬遅れて身体を叩く爆風に目を細めながら、クロは誇らしげに立ち上る爆炎を見ていた。

─────緋色の炎に影が映る。

その影は間違いなくバーサーカーのものだ。

伝わってくる。爆炎越しにこちらを睨んでいる巨人の殺意が、冷たい刃となって身体を穿つ。

先程よりも濃密な『気配』が、バーサーカーの体から放たれていた。

 

「······························そういう、事か」

 

 

「ちょ、1人で納得しないでよ!なに!?なんでアイツあんなにも魔力が強く!?」

 

 

「────これは熱間鍛造(・・・・)みたいなものなんだろう。熱間鍛造とはその名の通り赤熱するまで金属を熱し、柔らかくなった所で上から圧力をかける金属の加工方法の事だ。熱間鍛造をする事によって、通常の鍛造よりも高い硬度と靱性を得る事が出来る。それが今、奴の身体で起きているんだ」

 

 

「つまり、わたし達が攻撃を加えれば加えるほどバーサーカーは強くなるって事···················!?」

 

 

「恐らくな。奴の身体が傷付いていくごとに泥の鎧がバーサーカーの身体を溶かし、大気に漂う濃密な魔力と俺達の攻撃によって生じた魔力の残滓さえ用いて自身の身体を鍛造する。

──────全く、酷いジレンマだ。

バーサーカーを倒すためにはより強力な力で攻撃をしなくてはならないというのに、そうすればするほど奴の力が増していくとはな」

 

見た限りでは、その『鍛造』が始まるのは命のストックが1つ削られた瞬間。

つまりバーサーカーは殺され復活する度に、一つ前のバーサーカーよりも強くなるという訳だ。

命のストックをどれ程有しているかは分からないが、恐らく最高で12程だろう。

─────無論、最終的には柳洞寺の境内で戦ったものよりも遥かに強力なものが出てくるはずだ。

その事実が意味するところは、つまり。

 

 

「■■■■■■■■ッ!!!!!!」

 

「来るぞ、気を付けろ!」

 

「言われなくとも!」

 

 

咆哮と共に、バーサーカーの巨躯が霞む。

その速度は柳洞寺で戦った時と比べればまだ遅いが、つい数分前の奴と比べるとその差は歴然だ。

もしもこのペースで強化されるというのなら────恐らく、あと5回程で柳洞寺で戦ったバーサーカーと同等になるだろう。

 

 

「■■■ァッ!!!」

 

 

振り下ろされる戦斧を、頭上で交差させた干将・莫耶で受け止めた。靴底が地面に沈み込む。

拮抗は一瞬。一息に干将と莫耶を跳ね上げ、バーサーカーはたたらを踏んで後方へ体勢を崩す。

─────なんて不毛。

しかし、攻撃を止めれば勝利への可能性自体が摘み取られてしまう。故に、この攻防の中で何としてでも見付けるのだ。

勝利への道を。皆が生存出来る道を。

────例え。俺という存在の全てを、消費してでも。

 

 

 

 

♢

 

 

「か、は····························っ」

 

喉奥からせり上がるものを、みっともなく吐き出した。

びちゃりというくぐもった水音。

地面にじわじわと浸透していく鮮烈な赤色。

クロはふらつく身体に鞭を打って地面に手を付き立ち上がると、約15m先で繰り広げられている攻防を見据えた。

─────裂帛と共に斬撃が舞う。

赤い外套は、『彼』の身体から流れ出た血でより一層赤く染め上げられていた。

頭からの出血が酷いのか、髪の毛にもかなりの量の血が付着しているのが見て取れる。

瞳に宿すのは怒りと焦燥か。

徐々に傷付き、動きが鈍くなっていく身体を意思の力で無理矢理稼働させ、剣を振るう。

─────しかしその意思を嘲笑うかのように、バーサーカーの戦斧が全てを粉砕していった。

 

「■■■■■■■■■■■■ァッッッ!!!!」

 

 

「おおおおおおッ!!!!!」

 

 

いつもはカッコつけてて、どこか気障な態度を取っている彼からは信じ難い咆哮が放たれる。

それ程、余裕が無いのだ。

─────バーサーカーを殺した回数は、既に八回(・・)にまで及んでいた。

柳洞寺で戦ったやつよりも一回り強い、まさに『最凶』の名を冠するに相応しい狂戦士。

振るわれる戦斧は豪風の如く。例え直撃しなくとも、戦斧が掠るだけで充分な致命傷になり得た。

事実、彼の傷は全て掠り傷(・・・)によるものだ。

肉が深く抉られ骨にヒビが入っていようと、それはバーサーカーの戦斧が掠った『だけ』。

もし直撃すれば、霊基ごと粉砕されて消滅するだろう。

 

「いか、なきゃ··································」

 

 

剣を支えに、一歩進む。

 

 

「じゃないと、あの人は··························!」

 

 

見えているのに。その背中に、手が届かない。

今の自分はただの怪我人。

バーサーカーの拳に殴りつけられ、20mほど先の壁に叩き付けられて動けなくなった足手まとい。

嫌だ。そんなのは、嫌だ。

けど理解している。少女は現実を知っている。

自分が行っても邪魔になるだけだと。

守るどころか、逆に守らせてしまうと。

彼の支えになる。彼の背中を押す。そう大言を吐いておきながら、結局はこうなってしまった。

 

 

「はは····················何よ、うじうじして。やめてよね、わたしはイリヤじゃないんだから······················」

 

 

けど、それが突き付けられた現実というものだった。

自分は力不足だ。そう刻印されてしまったのだから、足掻くだけ迷惑というものだろう。

 

 

「そう、よ。仕方ない··················じゃない。わたしじゃ足手まといだわ。こんな身体じゃ、戦えないもの」

 

 

もう魔力も殆どない。大気に漂っていた魔力の大部分はバーサーカーが吸い取ってしまっている。

─────仕方ない。仕方ないじゃないか。

加勢しに行って邪魔になるぐらいなら、ここで彼の帰りを待った方が良い。大丈夫。彼は強いから、なんだかんだと言いながらわたし達の元へと帰ってきてくれる。

そう考えたら、少し気持ちが楽になった。

クロは身体の支えにしていた剣をカランと地面に取り落とし、そのまま膝を着いてしまう。

けど、それで良い。

自分は待つだけで、それで─────

 

 

「そん、なの····························」

 

 

──────なんて、無様。

戦う前、自分は何を思っていた?

何を思って、この地獄のような戦場に立った?

 

 

「いやだ······························そんなの、いや························!」

 

 

彼は今、独りで戦っている。

あんなにも怖い敵に臆する事なく立ち向かっている。

なのに、だ。自分だけここでのうのうと見ている事なんぞ、許されてなるものか。

──────立たなければ。足手まといだなんて刻印を貼られて、悔しいと思わないはずがない。

役に立たないのなら、どうすれば役に立てるか考えろ。

それが出来ない奴に、ここで嘆く資格はない─────!

 

 

「まずは、魔力·······························待ってて、直ぐに駆け付けるから」

 

 

再び、剣を支えにして立ち上がる。

クロは一度だけ戦場に視線を向けてから、身体をもう一つの戦場へと翻した。

 

 

 

 

 

 

 

「クロ!?その傷大丈夫なの························!?」

 

クロを見たイリヤは深紅の瞳を見開いて、自分も戦闘中だというのに驚愕の声を上げた。

 

 

「少しキツイけど·······················魔力さえあれば大丈夫だと思うわ。という訳で─────」

 

 

「ほえ?」

 

 

ガシッ、とイリヤの両肩に手を置く。

そのまま肩を引き寄せ、耳元で囁いた。

 

 

「魔力供給、お願いね♪」

 

 

「え、い、今ここで!?ちょ、ちょっと待って心の準備が出来てないし今は戦闘中で──────んむっ!?」

 

 

問答無用とばかりにクロはイリヤの背中に右腕を回し、抵抗されないようしっかりとホールドすると、自身の唇をイリヤの唇へと重ね合わせた。

 

「んっ、ふ··············ぁ、」

 

最初は啄むように。上を向く蕾のような小さい唇で、イリヤの唇を()んでいく。

当然イリヤはクロの唇から逃れようと堅く唇を閉ざしてしまうが、そんなガードはクロにとって紙も同然だ。

クロは一度唇を離し、狙いをイリヤの白磁器のように白い首筋へと定めた。

ちろりと僅かに出された赤い舌を、イリヤの首筋に優しく触れるように這わせる。

 

 

「ひゃぁんっ!?」

 

 

首筋に走った生暖かくぬらりとした感触に、イリヤの華奢な身体がクロの腕の中でビクリと跳ねた。

赤い蹂躙は続く。あくまで優しく、わたあめを舌の温度で溶かすような淡い舌遣い。

あまりにも唐突な暴挙に、イリヤの口が微かに開く。

クロはその隙を突くようにイリヤの唇に再び自身の唇を重ね合わせて、舌を挿し入れた。

 

 

「く、くろぉ·····························」

 

 

「大人しく吸われてなさい。これはバーサーカーに勝つために、必要な行為なんだから」

 

 

絡み合う舌と舌。

その行為は年端のいかない少女同士のものでありながら妙に艶めかしく、危うい香りを振り撒いていた。

それから30秒は続いただろうか。無限にも感じられるその交錯は、唐突に終わりを告げた。

クロが唇を離す。舌と舌の間にかかる銀色のアーチ。

イリヤはそれを、ぼうとした表情で見詰めていた。

 

「さて、魔力は充分っと」

 

 

「うう·····················こんな時にしなくても·····················」

 

 

「バカ、さっきも言ったじゃない。これはバーサーカーに勝つためよ。あのままお兄さんだけ戦わせてたら、間違いなくお兄さんは死ぬわ」

 

 

「ッ!」

 

 

ゾクリ、と背筋を冷たいものが伝い落ちた。

死ぬ。お兄さんが、死ぬ?

その言葉は、イリヤの身体を凍らせるには充分だった。

大切な人が死んでしまうかもしれないという恐怖に震えるイリヤに対し、クロはあくまで冷静に言葉を紡ぐ。

 

 

「イリヤ、ここに来た理由はもう一つあるの。幾ら魔力を補充したわたしが加勢した所で、バーサーカーには勝てはしない。当初の想定よりも、バーサーカーはずっと強かった。わたしに任せときなさいって言ったにも関わらず、こんな風に頼むのは情けないと思ってる。だけど、それを踏まえた上でお願いするわ。お願い、わたしと──────」

 

 

その『提案』に、イリヤは目を見開いた。

あまりにも危険。最悪、自分が生命を落とす可能性だってあるかもしれない。

だが、それでも──────その恐怖よりも、イリヤにとっては大切な誰かを失う恐怖の方が、嫌だった。

 

 

「さっきから落ち着きの無い様子で聞き耳立ててるみたいだけど、アナタはどうするの、ミユ?」

 

 

ビクリとミユの身体が跳ねる。

ミユも、イリヤやクロと同じ気持ちだ。

しかし持ち前の生真面目さから、自身に与えられた持ち場を離れる訳にはいかないとでも思っているのだろう。

その生真面目さは美徳だと思うが、自分の感情を抑制してまで発揮する生真面目さはそうとも限らない。

 

 

「ま、強制する訳じゃないから。どうするかはミユ自身が選びなさい。お兄さんに頼まれたからとかじゃなく、ミユ自身がどうするかを、ね」

 

 

言葉を投げて、クロは『彼』の元へと駆け出していく。

イリヤもそれに続いた。

勝手な行動に、リンは呆れたように嘆息する。

 

 

「はぁ、結局こうなるのね。セイバー。悪いんだけど、わたしとセイバーの『2人』でここを食い止めるわよ」

 

 

「り、リンさん·························」

 

 

「いいから、行きたいならさっさと向こうに行く。迷いを抱えたままそこに立っていられると邪魔よ」

 

 

シッシッ、と手で追いやるような仕草と跳ね除けるような言葉に、ミユは苦笑をこぼす。

実に彼女らしい見送り方だ。ミユに要らぬ気負いをかけないようにという配慮が伝わってくる。

 

 

「ありがとうございます、リンさん。必ずバーサーカーを倒して戻ってきますから」

 

 

「それが分かってるなら、私から言う事は何も無いわね。思う存分、アナタのしたい事を成し遂げなさい」

 

 

幾分穏やかな表情でそう言ったリンに深くお辞儀をし、ミユはもう随分と遠くなってしまったイリヤ達の背中を追いかけようと地面を蹴った。その、直後。

 

 

「ミユ。一つだけ、貴女からアーチャーに伝えて欲しい事がある。お願い出来ますか?」

 

 

「は、はい」

 

 

あまり話した事が無いからか、少し緊張してしまう。

イリヤ達と接する上で人との接し方はだいぶ身についてきたミユだが、それでもセイバーのような、どこか浮世離れした人とは話をするのに困窮してしまう。

しかしセイバーの碧玉の瞳はあまりにも真っ直ぐで、そんな緊張は直ぐに霧散した。

一度深呼吸をして、ミユもセイバーの言葉を待つ。

そして、

 

 

「バーサーカーはあまりにも強大だ。見る限り、今のバーサーカーを相手取るには私とアーチャーが手を組んだところで恐らく不可能でしょう。故にバーサーカーを倒そうとするのではなく、バーサーカーを縛っているモノ(・・・・・・・)を取り除く事を優先しなさい。それが恐らく、我々を勝利へと導く唯一の道です」

 

 

 

 

 

♢

 

 

「ねえ、セイバー。どうして私と一緒に戦ってくれるの?」

 

 

その問いは、あまりにも唐突だった。

ここはシャドウサーヴァントが鯨波となって無数に襲い掛かってくる戦場だ。

加えてイリヤスフィール達がアーチャーの助勢に向かった以上、片時の気の緩みも許されない。

それは彼女も────リンも承知しているはずだ。

しかし、セイバーにその問いを跳ね除けるつもりは無かった。その事を重々承知しているはずリンからの、問いかけ。それはきっと、今この場の何よりも優先されるべき事だと思ったからだ。

しかしセイバーが口を開く前に、

 

 

「気付いているんでしょ?私が遠坂凛じゃない(・・・・・・・)事に。なのに、どうして?どうしてアナタは私の傍に居てくれるの?」

 

 

それは、まるで道に迷った幼子のようだった。

────そんな事は、この世界に来た時から知っている。

厳密に言えば、遠坂凛が人間ではないという事に。

何者かによって作られた人形でしか無いという事に。

セイバーは、以前から気付いていた。

 

 

「─────どうしても何も無い」

 

 

だが、それでも誓ったのだ。

それは最初の契約。セイバーは彼女に問うた。

─────貴方が、私のマスターか。

その問いに彼女は頷いた。

それだけで、セイバーが戦う理由には充分すぎる。

 

 

「私は貴女のサーヴァントだ。貴女と共に最後まで戦うと誓った。貴女を守る剣となると誓った。

─────それだけです。貴女が、そして私が何者であろうと私は気に留めない。私はこの戦いにおいて他の誰でもない、貴女と契約したのだから」

 

 

「······················································」

 

 

その言葉に、『遠坂凛』はどれほど救われた事か。

冷たく閉ざされていた心臓が、ドクン、と躍動する。

そうして暫く打ちひしがれた後、

 

 

「─────それじゃあ地獄の底まで、付き合ってくれる?」

 

「無論です。マスター、指示を!」

 

 

凄絶な笑みを浮かべて、遠坂凛とセイバーは戦場を駆け抜ける。最後の最後まで共に戦おうとする、『主従』の在るべき姿がそこにあった。そこに、もうこれ以上の言葉は必要ない。

傍らに『彼女』がいる。

───────そのささやかで暖かな事実だけで。

 

 

 

 

 

♢

 

 

ぐしゃり、と冗談みたいな音が聞こえた。

音の発生源は俺の左腕。

バーサーカーの戦斧を受け止め損なった結果だった。

血が噴き出すとか、折れた骨が腕の筋肉を貫いて、だとか、そんな分かりやすい事態はとうの昔に超えている。

例えるならばそう、折れた傘だ。豪風に煽られて骨組みがひしゃげ、原型を無さなくなった傘。

痛みは感じない。あるのは、ぐちゃぐちゃになった左腕から忍び寄ってくる冷気だけ。

この冷気が全身を蝕んだ時、俺は死ぬ。

痛覚というと熱感を彷彿とさせる者が多いだろうが、これはその痛みよりももっと酷い。

これは、『死』だ。『死』の影が冷気となって全身の血管を巡っているような感覚。

全身が血で染まり両腕はひしゃげ、足もロクに動かない。

視界は赤く明滅し身体は水の中に居るが如く鈍重。

─────唯一の利点は、思考がクリアになる事だった。

痛覚も何もかも、この場では要らない不純物。

ただ剣を振るうだけの機械に成り下がるのならばそんな感覚は必要ない。

となれば、この状況は喜ぶべきものだろう。全ての感覚が失われていれば、何も己を阻むものは無いのだから。

──────ただ一つ。目の前の『敵』を除いて。

 

 

 

「■■■■■■─────ッッッ!!!!!」

 

 

耳障りな咆哮が全身を叩く。

しかし、意に介さず剣を振った。

折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影。振るう。折れる。投影─────

 

 

「······················································」

 

 

身体が冷たい。冷たくて冷たくて。溶けて無くなってしまいそうだった。

だが、それでも止めてはならない理由がある。

後ろにはイリヤが、クロが、美遊が、遠坂が、セイバーが、皆が居るのだ。だからコイツを、ここから一歩足りとも進ませてはならない。

それだけが、今の俺を動かす動力だった。

だが、その身体ももはや限界。

随分と前から防戦一方な、戦いと呼ぶ事すらはばかられる蹂躙だったが、ここに来て身体が軋みを上げたのだ。

 

 

「ま、だ································!」

 

 

血の塊で塞がった喉から、掠れた声が漏れる。

声を出せた事に、自分自身でも驚いた。

だがそれはつまり、まだ自分が戦う力を残しているという事に他ならなかった。

ならば、剣を振ろう。全身に残留する力を総動員して、バーサーカーを止めるのだ。

そう、決意を固めた瞬間だった。

 

 

「お兄さんから、離れなさい──────!!」

 

 

聞き覚えのある声に振り返る暇もなかった。

斬撃は後ろから。一対の鶴翼がバーサーカーの背中を斬り裂いて、鉛色の破片を散らす。

今の自分の状態を忘れ、目を見開き驚愕した。

俺のものより軽度とは言え、バーサーカーによって吹き飛ばされたクロは相当な傷を負っていたはずだ。

なのにどうして─────?

 

 

斬撃(シュナイデン)─────!!!」

 

 

困惑する俺を、第二の驚愕が襲う。

今度の攻撃は頭上からだった。桃色のそれは、魔力砲を刃状に薄く引き伸ばしたもの。

魔力による斬撃はバーサーカーの顔面へと直撃した。

当然ながら大したダメージは与えられてない。

しかし、効果はあった。俺に向かっていたバーサーカーの足が、一瞬だがその歩みを止めたのだ。

そして僅かに空いた、奇跡にも等しい間隙を縫うように。第三の影が俺の身体を攫って、バーサーカーから遠ざけた。

制止を促す間も無く、俺はバーサーカーから数十メートル離れた岩場へと運ばれ、そこに降ろされた。

俺の身体を攫ったのは、美遊だった。

 

「み、ゆ································?」

 

 

美遊は、顔を蒼白にして俺の事を見ていた。

厳密に言うならば、俺が負った傷を、である。

 

 

「酷い·······················こんな、の·······················」

 

 

美遊の琥珀色の瞳から涙がこぼれ落ちる。

何に対する涙かは、朦朧とした頭じゃ分からない。

そして、それについて問答している余裕もまた無かった。

俺は微かに身体を起こして、美遊に向き直る。

何としても、この三人を死なせる訳にはいかない。

故に今すぐ逃げろと伝えなくてはならなかった。

 

 

「私の事は、良い。それよりも早く···························」

 

 

言葉は最後まで続かなかった。

パシン、と。俺の頬を、美遊の手が打ったからだ。

 

 

「どうして、いつも························どうしていつも、そうやって自分の事を犠牲にしようとするんですか!!!!!」

 

 

大粒の涙を零しながら、美遊は叫ぶようにそう言った。

──────痛い。美遊に打たれた左頬が、痛い。

痛覚が消えたはずの身体に、まるで電流が走ったかのような痛みが駆け抜けた。

砂粒ほどしか残っていなかった意識が僅かに引き戻される。止まりかけていた心臓が再び脈動する。

 

 

「わたし達だけ··················わたし達だけ助かっても、意味が無いんです。そこにお兄さんが居なきゃ、本当の意味で笑う事なんて、絶対に叶わない。だから、お兄さんはもう少し自分の事を大切に想ってください。お兄さんが死んじゃったら、わたしは、わたし達は·································!!」

 

美遊は、怒っていた。

涙を流して、嗚咽を交えながら感情を爆発させる。

それはいつもは見せない、隠された感情と願いだった。

嗚咽混じりの言葉はここに落ちる前、イリヤに言われた言葉にも似ているように思えた。

別れは辛い。美遊のような少女には、尚更だ。

他人の死というのはその人だけの問題では無い。

その死を悲しむ者が居る。

その死に悔しさを感じる者がいる。

死とは、周りの者にもその重い十字架を背負わせるのだ。

─────この子達を、悲しませたくない。

この子達が泣いている姿など、想像したくない。

泣いている美遊に手を伸ばそうとして、出来なかった。

無理もない。両手はぐちゃぐちゃに攪拌されているのだから。

 

 

「ッ·······················この身体では、頭を撫でて慰める事も出来ない、な」

 

 

力なく笑う。だが、

 

 

「································わたしに、任せてください」

 

 

頬を伝う涙もそのままに、美遊が立ち上がる。

何を、と思う前に。

 

 

「──────地に(またた)く願いの光」

 

 

詠唱(ねがい)が、紡がれる。

途端。美遊の身体を中心に、複雑な紋様が描かれた魔法陣が地面に浮かび上がった。

美遊の足下に刻まれた魔法陣は淡く優しい光を帯びて、美遊の身体を照らす。

間違いない。あれは美遊の───────

 

 

「落ちた月は無垢なる輝きを束ね、天を望む─────」

 

 

僅かに、美遊の顔が苦痛に歪む。

あれは─────美遊の『宝具』だ。

人の願いを無差別に叶えてしまう神稚児としての力を一時的に解除し、限定的に願いを叶えるもの。

マスターから聞き及んでいる。マスター、ひいてはカルデアの願望は人理を守る事だ。

マスター曰くそれのみに焦点を当てる事によって成り立つ宝具であるため、何よりも信頼関係が大切だという。

しかし、マスターとのパスは遮断されているはずだ。

ならば、今の美遊は誰の願いを叶えようとしているというのだろう?

 

 

《気付きませんか、エミヤ様》

 

 

「なに、を?」

 

 

サファイアは感情の起伏に乏しい声を僅かに震わせて、少女の想いを代弁した。

 

 

《あれは美遊様自身(・・・・・)の願いです。遠くで戦うイリヤ様やリン様、そして傷付いたアナタを助ける事。それが、美遊様が胸中で抱くたった一つの願いなのです》

 

 

「····································································」

 

 

─────地獄の底で、蒼く輝く月を見た。

蒼色の燐光を纏う美遊は、あまりにも綺麗だった。呼吸を忘れ、自分が消えかけている事も忘れて凝視する。

それは月。天を地を照らす(さか)さまに浮かぶ月。

少女の願いが込められた月光の輝きは天を越えて、全てを照らす星々に届くだろう。

 

 

「──────星天を照らせ地の遡月(ほしにねがいを)

 

 

月の燐光は全てを照らす輝きとなりて。

バーサーカーを寸での所で押し留めているイリヤとクロ、シャドウサーヴァントを一騎足りとも通すまいと奮起するセイバーと遠坂、そして、消えかけていた俺の命。

少女の願いはその全てを蒼色の光で優しく包み込んで、立ち上がる力を与えてくれる。

力だけじゃない。心も、同じだ。

俺は、俺の命は簡単に潰えていいものじゃない。

誰も失いたくない。それが美遊の願いなら─────

 

 

「は、ぁ····················っ、う··················!」

 

 

《美遊様!!》

 

 

宝具による余波のためか。ガクン、と美遊の身体が崩れ落ちた。そのまま地面に倒れ込む、その寸前。

美遊の身体を、俺は右腕を伸ばし(・・・・・)て寸での所で受け止めた。

 

 

「全く、君も無茶をする···························」

 

 

「それは、お兄さんの方です、よ··················」

 

 

違いない、と二人で笑い合う。

暖かな光が凍っていた身体に、心に、温度を吹き込んだ。

しかし、ずっとこうしている訳にもいかない。

クロが転移魔術を、イリヤが飛行を駆使してバーサーカーを翻弄しているが、いずれ限界は訪れる。

その前に、バーサーカーを倒さなくてはならない。

 

 

「大丈夫です、お兄さん」

 

 

「なに?」

 

 

美遊の言葉に俺は頭に疑問符を浮かべた。

大丈夫、とは何が大丈夫なのだろうか。

 

 

「わたし達を信じてください。お兄さんを助けようと頑張っているイリヤを、クロを、そして────わたしを」

 

 

穏やかな声。その直後の事だった。

 

 

「イリヤ、準備は出来てる?」

 

 

「─────うん、いつでもいけるよ!」

 

 

二人の声が呼応し合う。

先に動き出したのはクロだった。

干将・莫耶を構えながら、バーサーカーへと真っ直ぐに突っ込んでいく。だが、それは悪手だ。

クロの膂力と投影ではバーサーカーの攻撃は受け止められない。あのままでは剣ごと叩き斬られるだろう。

止めなければ、と俺は立ち上がろうとした。しかし俺の外套の裾の先を美遊が手で引っ張り、制止を促した。

何故、という表情を浮かべる俺に対して美遊が浮かべた表情はひどく穏やかなものだった。

 

 

「大丈夫です。だって2人は─────」

 

 

その言葉は、最後まで続かなかった。

理由は唐突に発生した爆発音。

しかも、それはただの爆発では無かった。

──────壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

クロはバーサーカーの戦斧が振り下ろされる直前に、零距離で干将・莫耶を爆弾として利用したのだ。

爆発の直前にクロは後ろへと飛び退いたおかげで直接爆炎に巻き込まれる事は無かったが、余波によって華奢な身体は吹き飛び、ゴツゴツと隆起した地面に叩き付けられて転がった。

それでも、尚。

 

 

「い··············っけえ!!イリヤぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

割れた額から血を流しながら、それでもクロは叫んだ。

自分の役目を果たし、そして次へと託す。

 

「行くよ、ルビー!!」

 

 

《もちろんです、マイマスター!!》

 

 

零距離からの『壊れた幻想』によって、バーサーカーは戦斧を跳ね上げられ体勢を崩していた。

その隙を縫うように、

 

 

《筋系、神経系、リンパ系·······················擬似魔術回路変換、完了!》

 

 

─────上空から、声が聞こえた。

声だけじゃない。膨大な魔力が上空にあるカレイドステッキに束ねられている。

ステッキから今まさに放たれようとしているものは、今までの魔力砲とは格が違うように思えた。

台風を思わせるような魔力のうねり。

その中心地にいるのは、イリヤだった。

まるで、卵の殻を破って飛び立とうとする鳥のよう。

そして遂に、煩わしい殻を破った。不定形に揺らぐ虹色の翼を背負い、少女は天高く飛翔する。

天蓋に迫ろうかという高度まで飛翔してから、イリヤはバーサーカーに向かって一息に急降下した。

地底の澱んだ空気を斬り裂きながら急降下するイリヤの身体は、まるで弾丸のよう。

バーサーカーがイリヤの急接近に気が付き戦斧を引き戻そうとするが、一足遅かった。

既にイリヤはカレイドステッキを振りかぶっている。

そして斧で薪を割るみたいに、一息でカレイドステッキを頭上から振り下ろした。

 

 

多元重奏飽和砲撃(クヴィンテットフォイア)──────!!」

 

 

清らかで荘厳な音色が地獄の底に響き渡る。

イリヤの放った魔力砲は、全ての闇を吹き飛ばす極光となってバーサーカーの漆黒の身体を貫いた。

─────まるで、神話の1ページ。

虹色の羽が舞い地獄に光が瞬く。

魔力砲によって巻き上げられた砂塵のカーテンが、事の行く末を隠していた。

一体、どうなった?バーサーカーは倒せたのか?

─────否。確かにあの魔力砲は強力だった。

だが、バーサーカーを倒せる程の威力は残念ながら無い。

砂塵が晴れて視界が開く。

バーサーカーの身体は健在だった。胸に大きな穴が穿たれているが、あの傷も即座に修復されるだろう。

イリヤ達はあと一手、足りなかったのだ。

 

 

「お兄さん、破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)を」

 

 

しかし、美遊のその言葉が鍵となった。

俺は即座に『破戒すべき全ての符』を投影し、同時に投影していた漆黒の洋弓に(つが)える。

限界まで弦を引き絞り、放つ。

奇妙な形をした短剣がバーサーカーの胸に開いた穴へと辿り着くのと、脅威の再生力によって傷口が塞がったのは殆ど同時だった。しかし、確かに届いた(・・・)

塞がりゆく傷口に吸い込まれるが如く、『破戒すべき全ての符』はバーサーカーに取り込まれたのだ。

─────それは、イリヤ達から受け取った願い(バトン)

美遊からクロ、クロからイリヤ、そして俺へと繋げられた、願いだった。

 

 

「■■■■っ、■■■!?」

 

 

異変はすぐに訪れた。バーサーカーの身体から、ドス黒い瘴気のようなものが溢れ出したのだ。

その瘴気は、バーサーカーの身体を犯していた『泥』。

それが『破戒すべき全ての符』によってバーサーカーの体内から取り除かれようとしているのだ。

 

 

「貴様っ!?」

 

 

遠くから高みの見物を決め込んでいた衛宮士郎が、事の重大さに気付いて立ち上がる。

しかし、今更もう遅い。

バーサーカーを縛る『呪い』は解かれた。

あたかも風船から空気を抜いているかのように、全ての泥がバーサーカーの身体から抜け落ちた。

ドシン、とバーサーカーが膝を着いた。

呪いが解かれた直後であるからか、随分と憔悴しきっているようだった。

 

「っ、あ······························う」

 

 

ふらり、と視界の奥でイリヤの身体が揺れた。

以前、ルビーから聞いた事があった。

イリヤの『宝具』は身体の様々な器官を魔術回路と誤認させて発動する、イリヤの限界を越えた一撃であると。

五つの魔術回路から放たれるそれは星の光に匹敵する程の威力を誇るもののイリヤの身体への負担は尋常ではなく、生身の身体より頑丈な霊基を兼ね備えていると言えど、その影響は目をつぶって良いものでは無いらしい。

イリヤの身体はふらふらとたたらを踏んで倒れようとする。それを阻止すべく、俺は瞬時にイリヤの元まで駆けてその華奢な身体を抱きとめた。最近、こういう役回りばかりだなと苦笑しながら。

 

 

「おにい、さん?」

 

 

「ああ、そうだ。全く、美遊といいクロといい君といい、本当に無茶してくれるな」

 

 

「それはお兄さんでしょ······················もう」

 

 

口振りは不満そうに。しかしイリヤは嬉しそうに俺の胸に身体を預けて、そのまま目を閉じた。

身体に異常は見られない。気絶している、というよりも宝具の影響で眠ってしまったらしい。

俺は苦笑しながら、イリヤの頭を起こさないようにそっと撫でてやった。

 

 

「本当に、危なっかしいんだから·························」

 

 

近付いてくる2つの足音。クロと美遊は疲労の残っている表情で、しかしどこか嬉しそうに微笑んでいる。

 

 

「すまないな。君達には迷惑をかけた」

 

 

「迷惑だなんて、言わないでください。これはわたし達の願い。わたし達が、心の奥底から望んだ事なんですから」

 

 

日向に溶けるような、穏やかな笑顔を美遊は浮かべる。

その願いに俺は助けられた。

あのままではいずれ死んでいたであろう俺を、イリヤと美遊とクロは助けてくれた。

ああ、俺は最初の計算を間違えていたのだろう。

初め、俺はバーサーカーには絶対に勝てないと思っていた。だがそれは表層的な強さでしか測っていなかったのだ。

彼女達の本当の強さは、他にある。

可能性を切り捨てるんじゃない。可能性を掴もうとする、有り体に言えば子供らしいその在り方。

それこそがイリヤ達の強さ。

絶対に諦めないという、心の強さだった。

 

 

「──────君達には、負けたよ」

 

 

「えへへ、少しはわたし達の事を見直してくれた?」

 

 

「ああ、それどころか私の完敗だよ。子供の成長とは本当に恐ろしいものだな。しかし、どうやって『破戒すべき全ての符』が有用だと気付いて───────」

 

 

「··································良くも、やってくれたものだな」

 

 

声がした。声の主の方に、俺達は一斉に振り向く。

そう、まだ戦いが終わった訳では無い。

むしろ戦いはここからだ。

バーサーカーは王を守る盾に過ぎなかった。その盾を打ち破った今、俺達と相対するのは無論、王自身である。

 

 

「それはお互い様だ。いきなりこんな檻に閉じ込めてくれた返礼は高く付くぞ」

 

 

「はっ、お前達が俺に勝てるとでも?無限の魔力を有する俺の投影に不可能なんてありはしない。

─────ただ一つ、あの子を取り戻す事以外はな。

だが、今日でその不可能も終わる。

そこの(イリヤ)を渡せ。そうすればイリヤを生き返らせる事が出来る。俺の願いは、ようやく成就する·················!!」

 

 

「······································言葉では無駄か。分かってはいたが、もう貴様は戻ってこれない域にまで到達してしまったらしい」

 

 

イリヤを一度地面に下ろし、俺は両手に干将・莫耶を握りしめて前に出る。

コイツを殺すのは俺の役目だ。

イリヤ達の手を煩わせる必要は無い。

 

 

「本当はイリヤの身体は無事な方が良いが·················先程の一撃はなかなかどうして侮れない。

大事な局面であれをやられちゃ困るからな。イリヤには悪いが、動けなくなるまで、多少痛め付けさせてもらうぞ」

 

 

「ッ、貴様······························!!!!!」

 

 

「保護者気取りも大概にしろ、贋作者。

ああ、だが安心してくれて良い。お前は真っ先に殺してやる。喜べよ、お前はイリヤが血を流す所を見なくて済むんだからなぁ!!!!」

 

 

「衛宮、士郎ぉぉおおおおおおおお!!!!!!」

 

 

怒りのままに地面を蹴り、疾駆した。

投影した剣は数十本ほど。それらの剣を身体の周りに滞空させたまま衛宮士郎に向かって走る。

─────応じたのは、同じく剣だった。

投影にかかった時間は僅かコンマ一秒。

その刹那程しかない時の間に、奴は末恐ろしい事に三百(・・)もの剣を投影してみせた。

 

 

「ッ·······················熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!!」

 

 

自分では無く、後方にいるであろうイリヤ達を守るために光り輝く花弁の盾を展開する。

直後、激突。暴風だなんて生温い。奴の投影した剣郡は、瀑布の如き勢いで光の盾を掘削する。

盾を展開しながら剣を投影し射出するが、奴の猛攻の前にはそれも無意味に終わった。

─────圧倒的、魔力の差。

ここに来てその力量の差が浮き彫りになる。

 

 

「·····································だから言ったんだ。勝てると思っているのかと。この力を誇るつもりは無いさ。この力はおぞましいものだからな。だが、この力がイリヤを救う事に繋がるというのなら、俺はどんな悪魔にだって魂を売る。当然だろう?俺はイリヤを、愛しているのだから」

 

 

「ッ········································」

 

 

剣群はその勢いを増していくばかりだ。

切っ先は容赦なく盾を削り、破片を散らす。

 

「お兄さん──────!!!」

 

 

「来るな!今来たら、この盾が破られれば君達が·················!」

 

 

花弁に、魔力を全力で叩き込んだ。

急激に失われていく魔力に視界が明滅する。

今は拮抗しているものの長くは保てない。

恐らく保って、あと一分。度重なった戦いに、魔力はその殆どを使い果たしていた。

それに比べて衛宮士郎、奴の魔力は無尽蔵だ。

どう足掻いても奴より俺の魔力の方が先に尽きる。

そうなれば、どうなるか。

結果は既に見えている。奴の剣は全てを蹂躙し、地獄を血肉で染め上げるだろう。

それだけは何としてでも避けなければならない。

何でもいい。魔力になりそうなものを己の身体から全て引き出すのだ。血液でも魂でも何でも良い。

不可能は承知の上だ。だがそれでも身体と魂、己が存在の全てを賭して、凌ぎる──────!!

 

 

「がっ、あ·································!!!!」

 

 

この盾は俺自身に他ならなかった。

俺の全てを注ぎ込んで展開された盾である。

故に、この盾の消失は俺という存在の『死』だった。

意識が、きえる。自己はもう砂粒ほどしか残されていない。

その時だった。

 

 

「──────言ったでしょ。一人で勝てないのなら」

 

 

「みんなで、押し返す────!」

 

 

クロと美遊が、俺の背中に手を添えた。

流れ込んできたのは魔力だ。その魔力は微力ながらも暖かく、魔術回路を通して身体が赤熱する。

─────不思議だ。絶対に不可能だというのに、この子達を見ていると本当に出来てしまうんじゃないかという錯覚を覚えてしまう。

 

 

「は、全く。私らしくない───────」

 

 

自嘲気味に笑ってから、再び魔力を練り上げる。

枯渇した魔力は、美遊とクロのおかげで息を吹き返した。

だが、これで二人と少し後ろで気を失っているイリヤは運命共同体となったわけだ。

益々、ここで折れる訳にはいかない。

例え不可能だとしても。

命ある限り、その手を伸ばし続ける。

─────だが、それでも徐々に盾は削られていく。

細かな穴が穿たれ、剥離していく。

保てる時間は、残り10秒ほど。

ひび割れた盾は卵の殻を剥がすように、徐々に俺達の姿を曝け出していく。

 

 

「■■■■■■■───────!!!!!」

 

 

「な····································」

 

 

驚愕の声は果たして、誰のものだっただろうか。

まるで俺達が展開している盾を守るかのように、バーサーカーは奴が射出した剣群の前に身体を晒していた。

そして、奴の剣が牙を剥く。

数なんて数える事すらおぞましい。

こちらに向かって来ていた剣の全てを、バーサーカーはその身で受け止めていた。

夥しい程の鮮血が迸る。だがバーサーカーは膝を着く事もなく、ただ衛宮士郎を睨んで耐えていた。

腕が千切れ飛び、内臓がボタボタと落ちても、なお。

バーサーカーは大切な『誰か』を守るように、あたかも彫像の如く屹立していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────それは全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

─────そしてそれは、あまりにも唐突に。

その声に誰もが息を呑み、驚愕した。

その少女は身の丈程もある盾を携えていた。

バックラーに十字架を合わせたような、無骨でありながら流麗さも内包した盾。

その雪花のような盾には見覚えがある。

しかし、有り得ない。彼女がここに居るはずがない。

だとすれば、俺が見ているものは幻か。

グルグルと頭の中を疑問符が飛び交う俺達を置き去りに、その少女は盾を掲げて、叫んだ。

 

 

 

 

「顕現せよ!いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)────!!」

 

 

少女はバーサーカーよりも前に出て、その巨大な盾で瀑布の如く牙を剥く剣群を弾き返す。

あれは、幻なんかじゃない。

本物だ。見間違えるはずがない。

彼女は剣群を弾きながら、くるりとこちらを振り返る。

淡く紫がかった髪の毛がふわりと舞い、どこか儚さを感じさせる横顔が緋色の光景の中で鮮烈に浮かび上がる。

──────マシュ・キリエライト。

カルデアに居るはずの彼女はまるでタイミングを見計らっていたかのように、颯爽と俺達の事を助けに現れた。

あまりの驚愕に維持していた『熾天覆う七つの円環』が空気に溶けるように霧散していく。

マシュは淡く微笑んでから、

 

「──────無事ですか、皆さん!」

 

 

「マシュ!!」

 

 

「マシュさん!!」

 

 

「はい、マシュ・キリエライトです!遅くなりましたが、ようやく救援に参上しました!!」

 

 

俺達の無事を確認し、マシュは綻ぶような笑顔を見せる。

その笑顔の、何と頼もしく映る事か。

マシュが居るという事は、つまり─────

 

 

「もちろん救援は私だけではありません。皆さんエミヤ先輩達のために────」

 

 

マシュが言い終える前に、もう一つの影が現れた。その影は巨大な旗をはためかせて、俺達の前に着地する。

纏っているのは、まるで着ている者の潔白さを表すかのような、清廉かつ鮮烈な白い装束。

そして─────闇の中で一際存在感を放つ、金色の髪。

それは女性であった。

地獄のような戦場に身を置いているにも関わらず、否、戦場に身を置いているからこそ、その女性の美しさは克明と際立ち、闇に鮮烈な純白の華を咲かせていた。

──────聖女、ジャンヌ・ダルク。

ジャンヌは右手で握った旗を手の中でくるりと回すと、胸元で抱き抱えるように旗を構えた。

 

 

「主の御業をここに。

我が旗よ、我が同胞を守り給え───────」

 

 

凛、と響く声だった。紡がれる詠唱に時が止まったかのような錯覚さえ覚える。

その詠唱に呼応するかのように。純白の旗が黄金に光り輝き、淡い燐光を放ち始める。

ジャンヌは詠唱を紡ぎ終えると、胸元に構えていた旗を天を突かんばかりに強く掲げた。そして、

 

 

「───────我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)!!」

 

 

宝具の真名を解放する。

黄金の光芒が降り注ぎ、俺達をヴェールのように包み込んだ。それを見届けてからマシュは盾を下ろして、足元を覆うヒールの着いたサバトンを音高く鳴らしながら、こちらに駆け寄ってきた。

 

 

「良かった···························皆さん、無事なようで何よりです」

 

 

「危ない局面ではあったがな。それより、君とジャンヌ・ダルクはどうやってここに──────」

 

 

「ダ・ヴィンチちゃんのおかげだよ。ダ・ヴィンチちゃん曰く『何者かが道を開いてくれた』らしいんだけど、詳しい事は聞いてない。まずは仲間を助けに行くのが先決だと思ったからね。久しぶり、エミヤ。無事···············ではなさそうだけど元気そうで、本当に良かった」

 

 

 

それは、聞き覚えのある声だった。

黒色の髪と微かに青みがかった群青の瞳。

華奢とまではいかなものの細身の身体に沿うようにフィットしている黒と白のツートンカラーの戦闘服を纏っており、右手の甲の部分だけくり抜かれたグローブからは朱色の『令呪』が煌々とその存在感を主張していた。

──────そう。彼の者こそ、我が忠誠を捧げる(マスター)に他ならない。

彼は群青の瞳に穏やかな光をたたえて、安堵の声をこぼしていた。

 

 

「マスター···························迷惑を掛けて、済まなかったな」

 

 

「迷惑だなんて思ってないよ。エミヤ達は仲間なんだ。盗られたら取り返す。そんなの、当たり前の事だろ?」

 

 

違いない、と苦笑する。

そう言えばこういうマスターだった。

暫く離れていて忘れていたが、つくづくお人好しなマスターだと思う。

しばし再会を喜ぶ俺達だったが、ダ・ヴィンチの立体映像が目の前に現れた事によって一度中断する。

 

 

《あー聞こえてるかな?再会を喜ぶのは良いんだけど、残念ながらその時間もあんまり無いみたいなんだ。あそこで剣をポンポン投げつけてくる『敵』は倒そうとせず、まずはこの世界から抜け出す事を優先しよう!》

 

 

「え、脱出·······················できるんですか?」

 

 

その疑問の声は、美遊のものだった。

マスター達がこうしてこの世界に介入出来ている以上、入口があるのなら出口もあるのが道理だろう。

前述の通り、衛宮士郎の魔力は無尽蔵だ。

今はジャンヌの宝具が剣群を受け止めてくれているが、その宝具もいつまでも保つという訳では無い。

ならば一刻も早く、この世界から抜け出した方が安全性は確保出来るだろう。

ダ・ヴィンチの言葉を信じるのならば時間は限られているようだし、一刻も早く行動を開始した方が良い。

 

 

《思わぬ『協力』があったから脱出自体はそう難しい事じゃないさ。ただ、先方も簡単には逃がしてくれないだろうね。どんな理由があってエミヤ達を攫ったのかは分からないし知りたくはあるんだけど·················まあ、流石に空気を読んで撤退行動に徹させてもらうよ》

 

 

「了解です。けどその前に─────」

 

 

マスターは傷付いたバーサーカーの元まで歩いていくと、令呪の力でバーサーカーの傷を癒した。

 

 

「ふう、ヘラクレスは無事保護完了っと」

 

 

「······························それでは、やはり」

 

 

《おや、気付いていたのかな?このヘラクレスは本来私達と共に戦う仲間、カルデアに居たヘラクレスだよ。最初はカルデア中が驚天動地に見舞われていたものさ。なんせ、うちのサーヴァントが六騎(・・)も忽然と姿を消してたんだから》

 

 

『六騎』────俺、イリヤ、美遊、クロ、ヘラクレス。

そして最後は、

 

 

アルトリア(・・・・・)は、あそこだね。って、なんだあの馬鹿げた数のシャドウサーヴァントは!?」

 

 

「マシュ・キリエライト、アルトリアさんの救援に向かいます!マスター、指示を!」

 

 

半ば予想していた答えだった。

セイバー、アルトリアの元へと駆けていくマシュとマスターを視線で追ってから、再び衛宮士郎へと引き戻す。

奴の感情は憤怒で染め上げられていた。

カルデアからの妨害は流石に予想の埒外だったのだろう。

 

 

「っ、邪魔をするなカルデアァァァァァァァ!!!!」

 

 

「··································································」

 

 

無数に降り注ぐ剣の波。無尽蔵の魔力を有していようと、衛宮士郎は衛宮士郎のままだ。

ただ剣を投げつけてくるだけの攻撃など、決して破られる事の無い強力な盾を備えておけば大した事は無い。

奴が自分自身で斬りこんで来ない限り、この膠着状態はいつまでも続くだろう。

 

 

「いきなり過ぎて頭が追い付かないんだけど························救援が来たって事は助かったって事で良い、のよね?」

 

 

「多分、良いと思う。けれどまだ安心は出来ない。あの人が何かを仕掛けてくる可能性だって──────」

 

 

「──────フ○ック。何だ、あのふざけた魔力量は」

 

 

とても子供には聞かせられないようなスラングと共に現れたのは、長髪を携えた男だった。

この場には似つかわしくない(それを言い始めたらイリヤ達の魔法少女の衣装も大概ではあるのだが)スーツを纏い、その上に赤い外套を羽織っている。

肩からは黄色い肩帯を下げ、既に吸い口が切り落とされたいかにも高級そうな葉巻を左手の親指と人差し指で挟んでいた。その葉巻の煙の香りだろう。

独特な、しかし決して不快ではない芳醇な香りが鼻腔を擽る。だが美遊達のような子供の前での煙草は流石に宜しくないと思ったのか、懐からシガーケースを取り出し、手馴れた動きで収納する。

─────諸葛孔明。

そしてまたの名を、ロード・エルメロイII世。

 

 

「君も来ていたのか、ロード・エルメロイ」

 

 

「Ⅱ世を付けてくれ。私にその名はまだ重い」

 

 

眉を顰めて彼は顔に刻まれた(シワ)をいっそう深くする。

だがそれも一瞬の事。すぐさま彼は双眸を細めて、衛宮士郎を観察するように見据える。

黒瞳に映るのは鈍色の剣群。彼は嘆息しながら、

 

 

「あれが全て投影魔術によるものだと·······················?

君の投影で少しは慣れたつもりだが、アレはそれ以上の化け物だな。本来の投影魔術とは逸脱している。だが、君と根本は同じか。才能、というよりそういう属性なのだろう。しかし、あの速度であの量の投影を行使しているというのに魔力が尽きる様子が無いのは一体························」

 

 

「う、んん·································」

 

 

エルメロイII世が何やらぶつぶつと俯きながら思案していると、不意に銀の鈴を鳴らすような呻吟があった。

それがイリヤのものであると気付いた瞬間に、俺は彼女の元へと駆け寄った。

イリヤは地面に手を突いて、ゆっくりと緩慢な動きで華奢な身体を起こす。

薄ぼんやりとした瞳で辺りを見渡す。そしてたっぷり5秒程かけた後、紅の瞳が驚愕に見開かれた。

 

 

「なっ、何事!?」

 

 

「カルデアからの救援が来たんだ。まだ絶対に安心出来るという訳では無いが、格段に状況は良くなった。このまま巻き返す事も決して不可能では無いだろう」

 

 

「カルデアから························!?じゃあ、わたし達帰れるの!?お兄さんと一緒に、みんなと一緒に!」

 

 

「だから安心はまだ······················いや、そうだな。そう出来るように、わたし達も力を尽くすとしよう」

 

 

「うん!」

 

 

イリヤは元気良く頷いて、その勢いのまま立ち上がろうとしたがすぐにバランスを崩してしまった。

 

「あう·························た、立てない··························」

 

 

《霊基の再臨もしきっていませんからねぇ。やはり今の状態でのあの技は危険でしたか〜》

 

 

「ま、あれだけの威力の魔力砲だもの。本当ならもっと大惨事になってただろうし、そう考えるとまだマシよね。ほら、手貸してあげるから頑張って立ちなさいな」

 

 

「うん·····················ありがとう、クロ」

 

 

クロから差し伸べられた手を取り、イリヤは立ち上がる。そして、衛宮士郎へと紅の瞳を向けた。

 

 

「っっっっ、どいつもこいつも!!!邪魔だ!!邪魔なんだよ!!!無関係の奴が次々と出しゃばって来やがって!!!殺してやる!!邪魔する奴等全員殺してやる────!!!」

 

 

怨嗟の声が地獄に響き渡る。

イリヤは心配そうな表情を浮かべていた。

クロは胸中から湧き上がるやるせない気持ちを抑えるように、唇を噛み、美遊は悲しそうに瞼を伏せて、顔を俯かせていた。表情こそ三者三様だが、抱いている気持ちはきっと同じだろう。

─────あの人を、救えないのか。深い絶望の檻に囚われた彼を救い出す事は出来ないのか、と。

だが残念ながらそれはもう叶わない。奴はもう戻ってこれない所まで、堕ちてしまったのだから。

それを、3人は理解していない訳じゃない。

理解していてなお、手を差し伸べようとしているのだ。

俺たちの間に沈黙がおりる。

事情を把握していないであろうエルメロイⅡ世も、怒り狂うあの姿には何か想う所があったのか、口を引き結んだ険しい表情で、その慟哭を見据えていた。

 

 

 

「───────ふははははははははは!!!!

マスターに懇願された故、つまらん贋作者(フェイカー)風情の救出に渋々赴いてみたが、なんだ。これまた随分と面白いモノが居るではないか!」

 

 

 

突然の哄笑に、その場に居た全員が驚き振り向く。

─────それは、数多の黄金を身に纏った男だった。

網膜を鮮烈に灼く金色の髪。

その下に灯る双眸はイリヤのそれとは異なり滴る血を彷彿とさせ、見る者に畏怖の感情を与える。

屈強ながらしなやかな肢体は神が命を吹き込んだ彫像のようで、芸術品のように整い過ぎていた。

口元には己以外の全てを見下すような凄絶な笑み。

妖艶ささえ感じさせる笑みはしかし、向けられた者には不幸以外の何物でもないだろう。

─────英雄王、ギルガメッシュ。

人類最古の英雄であり、千里を見透す『目』を持つ裁定者。

 

 

「よい。そこの道化に免じ、(オレ)をこのような陰気な場所に出向かせた非礼は水に流してやる。感謝するがよいぞ、贋作者(フェイカー)及び面妖な衣装を纏ったそこの女共よ」

 

 

「···················································」

 

 

「····················································」

 

 

思わぬ登場に、俺は頭痛に堪えるようにそっと頭を抱えた。エルメロイⅡ世も同じような反応をしている。

イリヤ達は突然現れたヘンな人に呆然と。

今なお衛宮士郎の剣群を受け止めているジャンヌ・ダルクは誰にも聞こえない程度にそっとため息を漏らした。

──────唯一、異常なまでの敵意を向けるものが一人。

 

 

「ギルガメッシュ────────!!!!!」

 

 

衛宮士郎。

かつて英雄王に愛する者を殺された過去を持つ者。

 

 

「ほう、良き憎悪だ。その憎悪、たかが数年で醸成されるようなものではあるまい。その憎悪がどのようにしてここまで純度を高めていったか気にならない訳でも無いが···························ダ・ヴィンチとやらが言うには穿孔が閉じるまでの刻限が迫っているらしいのでな。ここは大人しくマスターの命に従うとしよう。なに、その時までならば一手興じてやらんでも無い。王である我にその醜い剣の切っ先を向ける事を、特別に許してやろう」

 

 

ふはははははははははは!!!!!!!

と再び哄笑が上がる。その態度に、奴が激昴するまでにそう時間はかからなかった。

だがギルガメッシュは気にした様子もない。

ただ愉しそうに、口角を吊り上げて笑っていた。

 

 

「貴様ら雑種は()く失せよ。そこで旗を掲げる聖女とやらもだ。邪魔する者は我が至高の財宝でもって跡形も無く消し飛ばしてやる故、そのつもりでいるがよい。それよりいつまでその粗末な旗を掲げているつもりだ旗振り娘!疾く失せろと言っただろう!!」

 

 

「は、旗振り娘························それってもしや私の事ですか!?」

 

 

「他に誰が居る。もう良いから疾く失せろと言っているのだ!それ以上拘泥するというのなら貴様から我が財宝の錆に変えてやる!」

 

 

これ以上ギルガメッシュの怒りを買うのは不味いと考えたのか、ジャンヌは『宝具』を解いて後方へと退がる。

当然、今までジャンヌが弾き返していた分の剣が雨粒の如くギルガメッシュ目掛けて殺到する。

 

 

「──────ふん、貴様も贋作者と同種か。

だが偶には一興よな。精々、この我を愉しませるため存分に足掻くが良い」

 

 

ギルガメッシュの背後に、黄金の波紋が広がる。

それはあたかも、黄金の湖畔に無数の金塊を投じたかのようだった。その波紋はギルガメッシュが有する『宝物庫』、その『門』に他ならない。虚空に浮かぶ無数の波紋がより一層揺らいだ瞬間、波紋から無数の宝具がその姿を顕にし、剣の群れに向かって一斉に射出された。

黄金と鐡が激突する。

轟音が耳をつんざく。緋色の閃光が弾け、互いが互いを喰らい尽くさんと相剋し合う。

それは、地獄を燦然と照らす花火のようだった。

 

 

「─────仕方ありません。急いでここから離れましょう。彼は後ほど回収するとして、ルートの確保を優先します」

 

 

こうなってしまってはギルガメッシュは止まらない。

ジャンヌはそう判断したらしい。無論、俺もそれに賛成の意を示した。

 

 

「でも、どうやって脱出するんですか?」

 

 

「ダ・ヴィンチはこの世界に来る際に空間にカルデアとこの世界を一時的に繋ぐ『孔』を開けた。

それは道のないトンネルみたいなものでね。

ジャンヌ・ダルクの言うルートの確保とはその道のないトンネルに道を作る作業の事だ。そのための術式は既にダ・ヴィンチがデータとして圧縮してくれている。後は布陣し起動させるのみだが、その『孔』が再び閉じるまではあまり時間に余裕がない。もう一度こじ開けるのもほぼ不可能。故に、こうして急いでいるという訳だ。時間が過ぎてしまえば、この世界に一生閉じ込められてしまうからな。それだけは、何としても避けなければならない」

 

 

エルメロイⅡ世の説明に、クロと美遊はなるほどと頷きイリヤは微妙な顔付きで頷いていた。

とにかく、あまり時間は無いという事だ。

 

 

「術式の圧縮データを持っているのはマスターだったか?」

 

 

「そのはずです。しかし、一つ問題が。

どうやらあのシャドウ・サーヴァントは無限に湧き出てくるもののようです。マスター達を呼び戻してから布陣してとなるとこの距離ではどうしても邪魔が入ってしまいますが····························」

 

 

「·······························仕方ない。多少運の要素が絡むが、こちらで何とかしてみよう。手伝ってくれ、アーチャー。君の投影魔術が必要だ」

 

 

 

 

 

 

♢

 

 

 

「よし、これで──────終わり」

 

 

エルメロイⅡ世、と呼ばれていた男の人が言っていたこの世界とカルデアを繋ぐ『孔』へ術式を通す作業が終わったらしく、マスターが額を汗で拭った。

理屈は良く分からないが、後は全員が地面に敷かれた魔法陣の上に立ち、刻まれた術式を起動させるだけらしい。

─────終わりが近いからか。

この世界で過ごした日々を思い出す。

本当に色んな事があった。

最初はお兄さんに近付く事が怖くてロクに話せなかった。だけど徐々にお兄さんとの距離も縮まって、信頼して、信頼されて。辛い事も沢山あったけれど、この生活はイリヤにとって、とても楽しいものだったと今は思える。

 

 

「······························あの人、どうなっちゃうのかな」

 

 

《士郎さんの事ですか?》

 

 

「うん。わたし達が帰っちゃったらあの人、独りぼっちになっちゃうんだよね?」

 

 

我ながらその考えはどうかと思う。

あの人はイリヤの命を奪おうとした。ただの道具として、イリヤの命を使おうとしたのだ。

なのに、不思議と憎くない。

それどころか、この後の彼が心配でさえあった。

 

 

《変な事考えないで下さいね、イリヤさん。お気持ちは分かりますけど、これを逃せばもうカルデアへと帰る道は失われてしまうんですから。それに、今は大きい方のギルガメッシュさんが相手をしているようですし、迂闊に近付くと危険ですよ?》

 

 

(オレ)を呼んだか、奇怪な魔術礼装よ」

 

 

いつの間にか、背後に大きい方のギルガメッシュが立っていた。驚いたルビーはひいっ!?とイリヤの背中に隠れてしまう。

主を盾にするステッキにほとほと呆れながら、イリヤはちらりと大きい方のギルガメッシュを一瞥する。

なんというか、大きい方のギルガメッシュはもの凄く偉そうで、話しかけるのが躊躇われた。

それに、この人は『イリヤ』の命を奪った張本人である。

厳密に言うと違うのだが、それでも目の前で傲岸不遜な笑みを浮かべるギルガメッシュと前述のギルガメッシュは同質の存在と言っていいはずだ。

そんな人と普通に接しろと言われて出来るほど、イリヤは大人では無かった。

しかし恨んでいるかと問われれば、それは難しい所だ。

そもそもの話、そんな権利はイリヤには無い。

何せ実際に何かされた訳では無いのだ。

イリヤにとって目の前のギルガメッシュはあくまで『窮地を救ってくれた金ピカで偉そうで変な人』、という位置づけに帰結するものであり、感謝はすれどその逆は無い。

だから何も気にする必要は無いのだが、そこまで潔く折り合いが付けれるような人間だったならば、『彼』に「君の兄と私は同一の存在では無いのだから勝手に重ねるな」、なんて指摘をされる事も無かっただろう。

結果、イリヤはギルガメッシュの視界に入らぬよう出来るだけ身を縮み込ませる事ぐらいしか出来なかった。

 

 

「ギルガメッシュ!あの人との戦いは!?」

 

 

「生憎と時間切れでな。命を奪う所までは行かなかったが、あの様子では彼奴(あやつ)も暫くは動けまい。それより、贋作者とあのデミ・サーヴァントはどうした?」

 

 

「エミヤ達ならシャドウ・サーヴァントの足止め中。今から呼びに行くから少し待ってて!」

 

 

「刻限もすぐそこまで迫ってきている。急げ、我とてこんな陰鬱で娯楽の一つも無い場所に監禁されるのは流石に許容出来ぬぞ?」

 

 

愉しげに笑って、彼は近くの岩場に背を預けた。

先程から意外と時間を気にしていて、態度とは裏腹にもしかして真面目な人なのかと思ったがどうやらこの場所に監禁されるのはごめんだという理由があったかららしい。

すぐに行ってくる、と言い残してマスターは走り去っていった。

 

 

「·······················································」

 

 

いつまで経っても心に小さな、しかし鋭い棘が残っている。気付けばいつも、『彼』が居る方向に瞳を向けていた。

 

 

「仕方、ないわよ」

 

 

「クロ·····························」

 

 

「わたし達じゃあの人は救えない。彼を救えるのはもう死んでしまった、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという名の少女だけなんだから。わたしでもアナタでもミユでも無い。あの人は『イリヤ』の面影だけを求めている。もう、あの人にはそれしか無いのよ。多分わたし達がこの世界から去ったとしても、彼は止まらないと思うわ。イリヤを生き返らせる(・・・・・・・・・・)。まるで、それだけをインプットされた機械みたいにね」

 

 

淡々とした口振りとは裏腹に、クロはどこかやるせない表情をうかべていた。

瞳は諦念と悔恨の間で揺れている。幾度となく胸中から湧き上がり、そして霧散していった問答。それは結局、答えが出せないまま終わりを迎えようとしている。

本当にこのまま幕を閉じて良いのか。

イリヤの頭の中で、そんな自問自答がグルグルと回っていた。

 

 

「──────どうした。浮かない顔をしているようだが、もしや何か身体に異常でも?」

 

 

いつの間にか、後ろに彼が立っていた。彼は心配そうにイリヤの顔を覗き込んでいる。

こんな時でも変わらない彼に嬉しくなって、思わずクスリと小さな笑みがこぼれた。

その笑顔の意味を正しく汲み取ったのか彼は軽く咳払いをしてから視線を後方へ投げて、

 

 

「シャドウサーヴァントはロード・エルメロイII世の石兵八陣(かえらずのじん)によって足止めをくらっている。脱出するのなら今のうちだ。いつでも動けるように準備をしておいてくれ」

 

 

彼の言葉に少し表情を引き締めて頷く。

気付けばマスターやマシュも一同に足並みを揃えており、いよいよ時が近付いている事を暗に物語っていた。

マスターの傍にはセイバーの姿も見える。

しかし、リンの姿はどこにも見えなかった。

 

 

「お兄さん、リンさんは···································」

 

 

イリヤの問いに、彼は少し言葉を詰まらせる。

だがその拘泥も一瞬の事だった。

 

 

「─────彼女は、ここに残る事を選択した。

事の終わりをしっかりと見届けたいと、そう言っていたよ」

 

 

「─────────」

 

 

終わりを見届ける。それは、なんの終わりなのだろう。

この戦いの終わりか。それとも、

 

 

「準備、整いました!!いつでもカルデアへ帰還出来ます!」

 

 

「よし!ご苦労さま、マシュ。このタイミングを逃せばもうカルデアへ戻る事は出来ない。さあ、早くみんな魔法陣の中に!もう時間が無いぞ!」

 

 

マシュと急かすようなマスターの声で我に返る。

マスターがガッツポーズと共に喜び、それが伝染していって歓喜の声が重なっていく。

見ると、マシュが立っている場所の少し奥に半径5m程の巨大な魔法陣が敷かれていた。

複雑な紋様が描かれ、淡く発光している。

イリヤは安堵した。何はともあれ、ようやく帰れるのだ。

ようやく安心して、皆と笑い合える。

この世界から離れる事に一松の寂しはあるけれど、それでも今は、喜びの方が遥かに勝っていた。

促されて、全員が続々と魔法陣の上に立つ。

最後は彼で、彼が魔法陣の中に足を踏み入れた瞬間、淡く発光していた魔法陣が強い光を放ち始めた。

遂にマスター達が起動させたのだろう。

きぃん、きぃん、と断続的に銀食器を鳴らすかのような音が聞こえる。不思議な、しかし不快ではない音色にしばし身を任せた。

 

 

 

「イリヤ」

 

 

そんな時だった。穏やかな声で、彼に呼ばれたのは。

 

 

「クロ、美遊」

 

 

その声は優しいがどこか寂しげで、不安になる。

─────その直後だった。

彼はイリヤとイリヤの右隣に立っていたクロ、そしてイリヤの左隣りに立っていた美遊を一挙に抱きしめた。

強く、しかし優しく。逞しい両腕が3人を包み込んだ。

だが当然ながら嬉しさよりも先に驚きが先だった。

 

 

「え、え·······················!?」

 

 

「お、お兄さんいきなりこんな··························」

 

 

「あ、あう·······························」

 

 

突然の事に目を回す。それはマスター達も同じようだった。嬉しいか否かと言われれば120%嬉しいのだが、あまりにも不意打ちで上手く言葉が回らない。そんなイリヤ達に向かって、彼は穏やかな口調で訥々と話し始めた。

 

 

「3人共、良く頑張ったな。今ここに私が立っていられるのは、君達が最後まで諦めず奮闘してくれたおかげだ。

──────本当に、ありがとう」

 

 

耳許で囁かれる言葉がくすぐったい。

彼の腕の中は陽だまりのように暖かくて、疲労と傷の痛みが残留する身体が段々と癒されていく。

それに何といっても、幸せだった。

彼の体温がこんなにも近いというだけで、イリヤの鼓動は軽やかにリズムを刻み始める。

 

 

「ううん、お兄さんこそ。今わたし達がこうして居られるのはお兄さんのおかげなんだから。だから、本当に─────」

 

 

語尾が消失する。気付けば、イリヤは泣いていた。

きっと、安堵したからだ。

あまりにも過酷な戦場で、皆が生きて戻ってこれたのだ。

その奇跡を、本当に良かったと思う。

彼は少し驚いた素振りを見せた後、そっとイリヤの目元を拭ってくれた。

恥ずかしさと嬉しさが混ざりあって、何だか不思議な気持ちになる。

 

 

「はぁ、全くしょうがないわねイリヤは。気持ちは分からなくもないけど」

 

 

「うん。実際、危ない場面も多かった。それでもこうして、全員でここに居る。それがすごく···················嬉しい」

 

 

噛み締めるような2人の言葉。

彼はその言葉を黙って聞いていた。穏やかな表情を崩さぬまま、しかし、何故か少し申し訳無さそうに。

きぃん、きぃんという音が更に大きく、高く反響する。

マシュが「あと30秒で、カルデアへの転移が完了します」とマスターに報告していた。

 

 

「けど、この生活も終わりか·······················色々と大変でなし崩し的に始まった共同生活だったけど、振り返ってみると楽しかったわね。お兄さんはどう?小学生の女の子3人と一緒の魅惑の共同生活、楽しかった?」

 

 

からかうようなクロの言葉に彼は苦笑する。

 

 

「その言い方は語弊を生むからやめて貰おう。現にマスターが凄い勢いでこちらに興味を示している。

······················だが、そうだな。私も楽しかった。数多の危険はあったものの、あの生活も今となってはかけがえのない思い出だ。ふむ、これで終わりだと思うと、少しだけ寂しさを感じてしまうな。自分らしく無い感傷だが」

 

 

「ううん。それは違うよ、お兄さん」

 

 

泣き顔もそのままにイリヤは顔を上げて、彼の琥珀色の瞳を真っ直ぐ見詰める。

 

 

「ここでの生活は終わっちゃうけど、カルデアに帰ってもこの関係は終わらずに続くんだもん。

だから終わりじゃない。むしろ、ここからなんだから」

 

 

「っ·········································」

 

 

彼はその言葉に驚いて、何故か辛そうな顔をした。

そして彼は、より強くイリヤ達三人を抱きしめる。

微かな疑問はそれによって霧散し、再びその暖かさの中に埋没していく。

 

 

「·····························カルデアでの生活は、楽しい事ばかりじゃない。困難という名の高く厚い壁が立ち塞がる事もあるだろう」

 

 

イリヤは、彼の声が僅かに震えている気がした。

彼の顔が見たくて顔を上げようとしたけれど、強く抱きしめられていてそれは叶わなかった。

彼は、そのまま言葉を続ける。

 

 

「だが、安心して欲しい。君達ならばきっとどんな困難だって乗り切れる。私は、()は、そう信じている。

だから──────」

 

 

彼はイリヤ達に回していた腕を、おもむろに離した。

「残り10秒です!」、というマシュの声がどこか遠い。

その時だった。トン、と。微かに、地面を蹴る音がした。

彼の身体がそのまま後方に流れる。

そう。魔法陣の外側に(・・・・・・・)

 

 

「お兄さんなにを───────」

 

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 

イリヤの語尾は彼の詠唱によって消失した。

そして連鎖するように、彼と魔法陣の間に切り立つ崖の如く幾本もの剣が屹立した。

それは壁であった。イリヤ達が魔法陣から離れられないようにするための、巨大な壁。

 

 

「お兄さん何してるの!?早く戻らないと·····················」

 

 

「──────済まない」

 

 

クロの慌てた声に対して、彼の声は酷く落ち着き払ったものだった。まるで、初めからそうするつもりだったとでも言うかのように。

 

 

 

 

「俺にはまだ、やり残した事がある。カルデアへ戻る事は出来ない。その責務を果たすまで、戻るわけにはいかないんだ」

 

 

 

有無を言わさぬ様子でそう言い、彼は投影した破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)を自分に突き刺した。

マスターとの間に交わされた契約を断ち切ったのだ。

 

 

「エミヤッ!?」

 

 

「ダメです先輩!もう、魔法陣が···························」

 

 

駆け寄ろうとしたマスターを、マシュが取り押さえる。

何が起きているのか、理解できない。

どうしてマスターはあんなにも必死になって彼のもとへと駆け寄ろうとしたのだろう。

どうしてクロと美遊は瞳を涙を濡らして、必死に彼に呼びかけているのだろう。

分からない。理解出来ない。ただ、分かるのは。

─────交わした『約束』が果たされる事はもう無いという、冷然たる事実のみ。

 

 

 

「お兄さん、ダメ······················行っちゃ、行っちゃやだよぉ·················!」

 

 

イリヤの声に、彼は辛そうな表情を浮かべた。

だがそれも一瞬の事で、すぐに彼は表情を引き戻して再び『地獄』へと舞い戻ろうと歩を進める。

その背中はどうしようもなく孤独で、今すぐ彼の隣に行きたいのに、行かなくてはならないのに、それが出来ない。

焦燥感でイリヤの心臓が弾け飛びそうになる。

早くしないと術式が完全に起動してしまう。

それは、つまり。

永久に彼と会えなくなるという事だ。

 

 

「待って、待ってお兄さん──────!!!」

 

 

悲痛な叫びは、しかし届かない。

彼はもう振り返る事をしなかった。ただ、一言。

 

 

「─────『約束』。守れなくて、済まなかった」

 

 

彼自ら、終わりを告げる。

直後、光の奔流がイリヤ達を包み込んだ。

彼の笑顔が銀色の光に溶けていく。

必死に、喉が裂けそうなぐらい彼の事を呼んだ。

けど、もう届かない。声も手も。何もかも。

それでも、呼ばなくてはならないと思った。

彼の事を。そうすればきっといつもみたく仕方ない、と言って戻ってきてくれるはずだから。

 

 

 

 

「お兄さん───────!!!!!!!」

 

 

 

 

視界が全てホワイトアウトする。

溶けていく視界の中。

最後に彼は「ありがとう」、と囁いた。

光芒が吹き荒れる。泣き崩れるイリヤの声も、全て渦巻く光に掻き消されて行く。

まだ抱きしめられた時の感触を、温度を覚えていたい。

──────だけどその感触は徐々に薄れていってしまって、やがて消えてしまった。

その事が、まるでもう会えない事を意味しているようで。

 

 

 

 

 

 

 

─────最後に、もう一度だけ名前を呼ぶ。

嗚咽混じりのその声が、彼に届く事はついぞ無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、最終話。
エピローグと共に2話連続投稿にするつもりです。
エミヤの、そして衛宮士郎の選択の結果を、どうかここまで付き合ってくれた皆様に見届けて頂きたいです。

それでは、また次回!
文字数多くなって本当にすみません!‪w
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