【完結】幕間の物語 『贋作者と魔法少女/夢幻虚構結界:冬木』   作:耳 a.k.a 腐れケバブ

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大変長らくお待たせしました!
前回の予告通り最終話&エピローグとなります。
予想では「1万5000字ぐらいで終わるだろ‪w」とか思ってたらまさかのこの話だけで3万5000字もいくとは。
予想以上に長かったです‪wエピローグと合わせると4万は確実に越えますね·····················



さて、遂に始まるラストバトル。
果たして戦いの結末はどうなるのか···················最後までお付き合い下さると嬉しいです!





終局『ローレライ』

──────光の帯が天蓋を貫いている。

あたかも、地獄に垂れた蜘蛛の糸。闇を一直線に貫く細い輝きを、俺は身じろぎ一つせず見詰めていた。

声も手ももう届かない。

全ては光の奔流に飲み込まれて消えてしまった。

不思議だ。声も顔も喜怒哀楽の表情も抱き締めた時の感触も、彼女達の全てを思い出せるというのに、もう会う事は無いだなんて。何かの悪い冗談と言われたら、思わず信じ込んでしまいそうだ。

胸に酷い疼痛が吹き荒れる。俺を引き止めんとした嗚咽混じりの声が、いつまでも耳朶から離れない。

表情こそ見ていないが、きっとイリヤ達は泣いていたのだろう。別離の直前、振り返らなくて良かったと心の底から思った。

きっと、その顔を見てしまったら踏み出せない。

動悸する心臓を落ち着かせるため、深く深呼吸をする。

微かに震える指先を無理矢理抑えつけて、光が完全に収束したのを見届けてから再び『地獄』へ向き直った。

 

 

「──────アナタ()って、本当に不器用よね」

 

 

はぁ、と嘆息混じりの声があった。

遠坂凛。彼女は俺の隣に並ぶと、つい先程まで俺が見ていた場所に視線を向けた。

当然ながら、そこには何も無い。

虚ろな闇が首をもたげているだけだ。

 

 

「器用な生き方が出来たのなら、私はこの位置まで辿り着いていない。あの時から。大火災によって元の自分を喪ってから、私は不器用な生き方しか選択してこなかった。正義の味方なんて、その最たるものだろう。もう誰一人喪いたくないなんて、あまりにも傲慢な願いだと思わないか?」

 

 

「じゃあ、『彼』は?正義の味方という目標を捨てた彼の生き方は、アナタから見てどうだった?」

 

 

「───────そう、だな。奴は私以上に器用な選択を出来なかった。他を顧みず己の道を進むという事は、そういう事なのだろう。ただ、その願いが間違っていたかどうかは私には決められない」

 

 

「? じゃあ、どうしてアナタは戦おうとしているの?間違っているかどうか分からないのなら、彼と戦う必要なんて無いじゃない」

 

 

「戦闘が始まる前に奴に向かって放った言葉通りさ。

私はただ、イリヤの願いを踏みにじった奴を許せないだけなんだ。何が正しくて何が正しくないのか、そんな物差しに興味はない。これは、『俺』の戦いだ。他人の定めた善悪の枷など、今は犬にでも食わせてやる」

 

 

確かな意思と覚悟をもって、告げる。

それは己への鼓舞でもあった。

 

 

「随分と自分勝手な正義の味方ね」

 

 

「正義の味方なんてそんなものさ。独善的で矮小で。誰にも理解されない孤独が報酬の裏仕事。

だが、その果てにようやく答えを得た。

─────イリヤに胸を張って誇れるような自分で居る事。

この選択を後悔しない理由なんぞ、それで充分過ぎる」

 

 

自嘲気味に。しかし意志力を込めた声音でそう答える。

遠坂凛は「そっか」、と笑って頷いた。

 

 

「随分と回りくどい言い回しだけど要は、好きな女の子の前ではいつだってカッコイイ自分で居たい。そういう事でしょ?」

 

 

「少々有り体に過ぎる気もするが······················そんな所だ」

 

 

一松の気恥しさを感じながら、俺は答える。

すると遠坂凛がニマニマと妙な笑みを浮かべながら、面白がるように俺の顔を覗き込んでいた。

じろりと()めつけてみるも効果はない。

ひとしきり笑ってから、遠坂凛は顔を上げた。

 

 

「──────それじゃ、気持ち程度の餞別をあげるわ。後ろ向きなさい」

 

 

「餞別だと?君が私に?」

 

 

怪訝な顔をする俺に、遠坂凛は「良いから!」と有無を言わさぬ様子で俺を急かす。

怪訝な気持ちこそ晴れないものの、彼女が俺に何か危害を加えるとは思えない。

俺は大人しく遠坂凛の言葉に従う事にした。

念の為、いつでも防御行動に移れるよう神経を研ぎ澄ませてから俺は遠坂凛に背を向けた。

背中越しに、微かに躊躇うような気配を感じる。

何を躊躇っているのかは分からない。

だが躊躇いを感じているという事は、無理をしているという事なのだろう。

ならば、無理をする必要は無いと伝えなければ。

そう思って振り返ろうとした瞬間。

 

 

「ふん!!!!」

 

 

「ッ!?」

 

 

背中にとんでもない衝撃が走る。

その衝撃は背中から全身へと電撃の如く伝播し、俺は一瞬の間だけ息を詰まらせた。

遠坂凛が俺の背中を掌で打ったのだと気付くまで、そう時間はかからなかった。

念の為、と警戒していたにも関わらずマトモに掌打をくらったのは背後に立っていた遠坂凛の躊躇う気配に意識を割いていたからである。

それと、まさかという気持ちもあった。まさか本当に俺へ攻撃してくるとは、思っていなかったのだ。

今度こそ振り返ろうと身体を捻る。

──────その時だった。

遠坂凛に打たれた背中を中心に、何かが流れ込んでくる。

それは一瞬で俺の全身を駆け巡り、俺の霊基を満たした。

魔力。それも、かなり純度の高く濃密な。

通常の魔術師はおろか記憶にある遠坂凛の魔力の総量を遥かに越える魔力量に、俺は目を丸くして驚く。

 

 

「これは、一体···································」

 

 

「言ったでしょ、餞別をあげるって。ちょっと強引なやり方だけど、私の魔力を出来る限り叩き込んでみたわ。どう?なかなかのものでしょ?」

 

 

「待て。これは明らかに君の魔力の総量を超えている。どうやってこんなデタラメな量の魔力を························」

 

 

言いかけて、ふと思い至った。

──────『令呪』。

マスターが有する、サーヴァントに対しての絶対命令権。

本来ならばサーヴァントを律するためのものに過ぎないが、令呪とはあくまで膨大な魔力の結晶だ。

使い方を工夫すれば、自身のサーヴァントを一時的に強化する事だって造作もないだろう。

しかし、俺と遠坂凛の間には何の契約もなされていない。

なのにどうして、俺に魔力が譲渡されているのだろうか。

そんな俺の疑問を察したのか、

 

 

「別に難しい事は何もしてないわよ?一度令呪を全て解放して、それを今やったみたいにアナタの霊基に叩き込んだだけなんだし。私の元の魔力に併せて令呪三画分。これでかなりの魔力量になったはずだけど、どう?」

 

 

「·····················································」

 

 

自身の身体を流れる魔力に身を委ねる。

かつてない程の魔力量に、霊基が驚いているようだ。

──────悪い兆候では全くない。

それどころか、寧ろ。

 

 

「──────ああ、悪くない。これ以上ないぐらいの餞別だ」

 

 

「そう。それじゃあ、一つだけお願いを聞いてくれるかしら?」

 

 

「こんな餞別を受け取っておきながら何もしないというのは流石に気が引ける。良いだろう。私に出来る事ならば、可能な限り努力する」

 

 

「ああ、その点に関しては安心しなさい。これは、アナタにしか出来ない事だから。

───────私の代わりに、あの『馬鹿』を一発ぶん殴ってきなさい。目が覚めるぐらい、思いっ切りね」

 

 

トン、と遠坂の突き出した指が俺の胸に触れる。

この戦いが始まる前。

その時の彼女の言葉を思い出した。

─────こんな事態を引き起こしたバカを、ぶん殴る。

責任重大な役目だ。しかし、

 

 

「承知した。君の願いは、必ずや私が遂げてみせよう」

 

 

今日はやけに誰かの願いを背負う日だ、と。

そう思い苦笑を浮かべながら、俺は遠坂凛にそう答えた。

 

 

 

♢

 

 

 

「··························頑張りなさい」

 

 

遠ざかっていく赤い背中に、遠坂凛はポツリと呟きをこぼす。その声は、あまりにもか細い声だった。

─────『消滅』は、四肢の末端から。

『令呪』という、この世に己を繋ぎ止める楔が無くなった以上、遠坂凛という少女の亡霊である自分は消滅するしか無い。それが定められた『運命(Fate)』であり、選択の結果だ。

黄金のリボンとなってほどけていく自分の身体を、どこか他人事のように見詰める。

消滅、即ち死ぬ瞬間になっても恐怖は感じなかった。

ただ、残念だなと思う事はある。

─────この戦いを、見届けられない事。

それが出来ない事だけが、無念だった。

だが『想い』は託した。

後は彼が、遠坂凛の願いを遂げてくれる。勝ち目は限りなく薄いというのに、不思議と彼を信じられた。

きっとそれは、『約束』したから。

彼が誰かと交わした『約束』を破るような人じゃない事を、知っている気がしたからなんだと思う。

そんな事を考えているうちに末端から始まった消滅は徐々に加速していき、遂に人の身体としての原型は消えた。

後数秒も経たず、遠坂凛の魂は完全に消え去るだろう。

だから、その前に──────

 

 

『─────絶対に、約束を果たしなさい。私との約束だけじゃない。貴方が誰かと交わした約束を全て。じゃないと、鼻の穴にガンドぶち込んでやるんだから』

 

 

発せられた声は音にならず消えていく。

だが、確かに彼へ届いたはずだ。

そう確信して、遠坂凛はゆっくりと瞼を閉じた。

ようやく休める、と。

安堵の感情を抱きながら、深い眠りの底へ落ちていった。

 

 

 

♢

 

 

 

荒涼とした大空洞の中を進んでいく。

戦闘による余波のためか。所々壁が崩れ落ち、凹凸のある地面は無惨に捲れ上がっている。

相変わらず光は届かない。

閉じた世界はあたかも牢獄のようで、感覚を麻痺させる。

遠坂凛はあの場に残った。自分が戦場に立っていると邪魔だろう、という遠坂凛の配慮だ。

だが、想いはここにある。遠坂凛から受け継いだ想いは、今なお俺の身体を駆け巡っている。

──────そうして、辿り着いた。

大きく隆起した丘陵の上。

そこに、深い影を纏った奴は佇んでいた。

 

 

「································諦めて、たまるか」

 

 

俺の来訪に気付いたのか。

奴は憎悪を滲ませた白濁の双眸を俺に向けて、

 

 

「何度妨害されようと、変わらない。俺は俺という存在が朽ち果てるまで何度でも、何度でも··························!」

 

 

声帯さえも壊れたのか。砂鉄を擦り合わせるかのような不快な音が、耳朶に噛み付いてくる。

奴の変貌はそれだけじゃなかった。

琥珀色だった瞳は腐り落ちたかのように白濁し、四肢の形が出来損ないの粘土細工のように歪んでいる。

俺は直ぐに、その理由に行きあたった。

英雄王────ギルガメッシュは言っていた。

殺してはいないがあれでは暫く動けまい、と。

つまりギルガメッシュは衛宮士郎の四肢を斬り落とし、衛宮士郎はそれを補うために『泥』を用いたのだ。

ならばあの異様なフォルムも頷ける。

だが、あれの本質は『呪い』だ。

ああして身に宿す以上、生半可な副作用では済まない。

奴の身体は泥に代えた四肢を中心に、無数の蟲に全身を食い尽くされるかのような激痛に苛まれているだろう。

砕けんばかりに歯を食いしばり、地に這いつくばっているその姿からもそれはうかがえた。

だが、その眼に宿る憎悪は消えていない。

寧ろその痛みによって、増幅している。

 

 

「─────悪いが、それは叶わない。貴様の旅はここで終わりだ」

 

 

俺はその姿を意に介さず、冷然とした態度で告げる。

再度、俺に対して憎悪が向けられた。

その憎悪を、俺は真正面から視線で斬り伏せる。

 

 

「もう言葉を交わす必要もあるまい。俺達がこうして相対している理由は単純明快だ。

─────互いに、互いを認められない」

 

 

奴の憎悪の瞳が僅かに静まった。

虚を突かれたような表情で固まる。

だがその硬直も一瞬だった。先程よりは剣呑さの取れた声音で、奴は訥々と口を開く。

 

 

「俺はイリヤを救う。それをしなかったお前を、そしてそれを阻まんとするお前を、認められない」

 

 

「俺はイリヤの願いを叶える。その選択をしなかった貴様を、そして無関係のものを贄にしようとした貴様を、許す事が出来ない」

 

 

それがお互いの意思だった。

行儀のいい言葉なんて、もうこれ以上交わす必要は無い。

俺は俺の意志を貫き通し奴は奴の意志を貫き通す。

互いの願いを、互いが傲岸不遜に蹴落とさんとする。

─────ただそれだけの、自分勝手な戦い。

 

 

「止められるとでも?」

 

 

「さあな。だが、こちらにも色々と事情があるのでね。ここで見逃した、などと言えばガンドと小言が飛んでくる。

──────それに、要らぬ悔いを残したくはない。

悔いの残った人生だったなどと、俺に幸せになれと言ってくれたイリヤに対して、あまりにも失礼だ」

 

 

両手に干将・莫耶を構え、俺は剣のように鋭い視線でもって奴を見据えた。

もはや和解は有り得ない。

それは奴も承知しているだろう。

その証拠に、奴の腕が蠢いた。安定を欠いていた泥腕が細くなっていき、やがて人間の腕の形へと変化する。

 

 

「俺が死なせた。今までイリヤを独りぼっちにした分、俺がイリヤを幸せにしてやるって決めたのに。

──────だから、俺は進む。

イリヤの人生が、幸せな時間が、あんな冷たい場所で終わって良い筈がない」

 

 

白濁とした瞳が、僅かに光を取り戻す。

──────動いたのは、全くの同時。

合図らしい合図は無かった。

ただ、同じタイミングで身体が動いたのだ。

俺は前方に。踏み込んだ大地に穴が穿たれた。その速度は、先刻までの己を遥かに超える。

湾曲し溶けていく視界の中、俺は奴の姿だけに瞳を絞った。

対して、奴は後方に。

疾風の如き速度で踏み込んでくる俺を瞳に入れながら、いっそ無機質とさえ言っていい程冷静に後ろへ退る。

──────瞬間。世界が壊れた(・・・)

 

 

「な·································」

 

 

それは、比喩でも何でもない。

立っていた地面。遠目に見える壁。光を遮る天蓋。その全てが千差万別の『剣』へと変化したのだ。

数など想像もしたくない。無尽蔵という言葉をここまで顕著に抱かせる光景というのはかくもおぞましい。

世界の変貌は僅か一秒の間に行われ、瞬時に『敵』である俺に牙を剥いた。

全方位360度。ありとあらゆる方向から、鈍色に光る剣が津波の如く射出された。

避ける、なんて選択肢は最初からない。

何せ立っている地面でさえ剣へと変化し、俺目掛けて飛翔せんとしているような状況だ。

それを踏まえて、俺は即座に足を止めて軽く跳躍する。

そして剣と化した地面と自身の靴底の間に間隙が生まれた瞬間、俺は足元に一振の巨大な大剣を投影した。

 

 

 

「初っ端からやってくれる······················!!!」

 

 

足下に投影された大剣が、足下からせり上がってきた剣の波を僅かに押し留める。その間に、俺は天蓋から降り注いでくる剣群に向かって右の掌を向けた。

──────瞬間。喰らい尽くさんとするが如く、百を越える剣が降り注ぐ剣群に向かって飛翔し、殺到する。

そして、衝突した。金属同士が幾重もぶつかり合う、硬質かつ荘厳な音色が地獄に響き渡る。

砕け散った破片が雨のように降り注ぐのも構わず、俺は次の行動へと思考回路を切り替えた。

真っ先に対処せねばならないのは、壁から殺到する剣群。

俺は右手を右の壁に。左手を左の壁に向け、

 

 

虚・千山切り拓く翠の地平(イガリマ)

絶・万海灼き祓う暁の水平(シュルシャガナ)────!!!」

 

 

叫ぶ。巨大、と簡単な言葉で表すのが躊躇われるほど巨大な二振りの剣を、それぞれ左右に突き刺す。

本来、『虚・千山切り拓く翠の地平』と『絶・万海灼き祓う暁の水平』は神造兵器と呼ばれるもの。

故にそのものを投影する事は不可能だが、中身の無い伽藍堂ならば投影可能となる。

無論、表面だけは硬度を保っているのだが、その硬度も通常の剣と相違はあまり無い。

左右の壁からの剣群は全て防ぎ切った。

残るは────前方。

 

 

「ッ·································!?」

 

 

奴が、微かに息を呑む気配がした。

それもそのはず、俺は迫りくる剣の津波に真っ向から突っ込んでいったのだ。

前方からの剣は、奴の後方辺りから放たれている。つまり、奴の立っている場所だけ僅かに隙間が生じているのだ。

その間隙にすかさず飛び込む。

再度の踏み込み。同時に、あらかじめ投影していた干将を横薙ぎに一閃する。

奴は咄嗟に近場に刺さっていた剣を抜き、俺の干将を真っ向から迎え撃った。

─────電撃が全身を走る。その電撃は鋭い鏃となって脳髄を貫き、思考を遥か彼方へと誘う。

我ながら、というべきか。咄嗟の判断力と対応力には目を見張るものがあるのは確かだ。

しかし、折れたのは奴の剣の方だった。

折れた剣は破砕音と細かい破片を散らしながら、主の手から零れ落ちていく。

俺は止まること無く返す刀で干将を引き戻しつつ、右手に投影した莫耶を袈裟に振り下ろした。

漆黒と純白の軌跡が弧を描いて虚空に刻まれる。

狙いはそれぞれ、首筋と胸。

取った(・・・)

確信と共に剣を走らせる。しかし、

 

 

「ッ·································!」

 

 

ゾクリ、と背筋を冷たいものが伝い落ちる。

俺は咄嗟に、横へ転がるようにして身を投げた。

途端。下から突き上げるようにして、数十本の剣が現れる。

その剣は俺を追随するように天蓋目掛けて飛翔し、そのうちの数本が俺の身体を捉えた。

腕、足、背中、胸。

どれも浅いが、無視出来るものでも無い。

肉体を斬り裂かれる激痛を鋭い裂帛で吹き散らし、俺は空中で身体を捻りながら、奴の身体目掛けて干将・莫耶を投擲する。

 

 

「が、ぁ································ッ!?」

 

 

咄嗟に身体を捻ったおかげで急所への直撃は避けたようだが、右胸と右眼を深く抉られたようだ。

激痛に呻き後ずさる奴を追撃しようと地を蹴る。

だが、追撃を許すほど奴は甘くなかった。

左腕を振るう。凝固していた左腕が再び形のない泥へと変化し、俺を覆い尽くさんと噴出する。

まるで、(アギト)を開いた龍のようだ。

俺は前方に剣の壁を作りながら、後退する。

そこで一度、互いの攻撃が止んだ。

──────戦闘開始から、ここまで僅か10秒足らず。

そうとは思えない程、互いの駆け引きが交錯していた。

 

 

「戦闘、と呼ばれる行為を最後に行ったのはいつだったか。もう思い出せないが、これ程までのアドバンテージを受けておきながらこの体たらくか·····················それとも、お前の実力がそのアドバンテージを上回ったのか?全く、末恐ろしいな」

 

 

奴は抉られた右胸と右眼を泥で補いながら、その際に走る痛みを誤魔化すように口を開く。

 

 

「それはお互い様だろう。

────そうか、失念していたよ。

この世界に立っているという事は即ち、貴様に囚われているという事を」

 

 

対して応じた俺の声は、冷たく鋭利。

壊れていた世界は元に戻っており、先刻までのけたましい金属音が嘘のようだった。

───────『彼女』は言っていた。

この空間はそもそも奴、衛宮士郎の『固有結界』の中であると。つまり、俺は文字通り囚われているのだ。

奴の世界に。奴が作り出した、幻想に。

 

 

「この世界は貴様の固有結界が下地となっている。

成程、この固有結界に存在する物質全て(・・・・)が『剣』という記号を内包しているという訳か。

恐らくは、私達が過ごしていたあの武家屋敷ですらな。

だと言うのに何故、貴様は私達を殺さなかった。

イリヤだけを傷付けずそれ以外をそのまま串刺しにするような芸当すら、貴様にとっては造作もなかったはずだ。

だというのに何故、聖杯戦争という回りくどい形式を用いて俺達を排除しようとした?」

 

 

「··············································それ、は」

 

 

「─────答えられないのなら、代わりに答えてやる。

貴様は己の手で誰かを傷付ける事が怖いんだ。

世界を滅ぼし結果的に全世界の人間を殺戮した貴様だが、だからと言って『衛宮士郎』が誰かを傷付ける事を良しとするはずがない。だから、サーヴァントを使って間接的に手を下そうとした。違うか?」

 

 

「···············································」

 

 

「貴様の剣は、軽い(・・)

そんな半端な覚悟では刃が鈍るのは当然だ。

──────衛宮士郎(・・・・)の『剣製』は剣を作る事が本質なのでは無い。

自分の心を形にする事。それが、衛宮士郎に許された唯一の魔術のはずだ。だが貴様のように半端な覚悟を持った者が術者であれば、あのような剣が生まれるのも道理。

貴様がどれ程の魔力を有していようと、そのような覚悟のこもっていない剣など幾らでもへし折ってくれる」

 

 

奴に向かって、俺は『剣』を突き付ける。

─────奴は何もかも、奪った。

過程はともかく全ての人間の命を奪ったのだ。

そんな奴が、傷付ける事を恐れるだと?

馬鹿を言うな。今更、そんな権利があるとでも思っているのか。

 

 

「イリヤを救いたいのは自分自身の願いだろう。その願いを叶えたいというのなら、貴様は誰かに任せきりにするのでは無く、自分自身の手で戦うべきだった。その願いがどれだけ醜悪極まりないものでも、そうするべきだったんだ」

 

 

俺の言葉に奴は俯き押し黙ったまま、微動だにしなかった。

 

 

「──────お前は、良く分からないな」

 

 

やがて、ポツリと奴はそうこぼした。

 

 

「どうして俺に、そんな助言めいた事を?お前は、俺の事が許せないんじゃないのかよ」

 

 

「ああ、今すぐ素っ首落としてやりたいと思うぐらいにはな」

 

 

「尚更分からないぞ、お前。そんな相手に何故────」

 

 

「決まっているだろう。許せないからこそ、だ。せめてその腐り切った性根を直して貰わねば不愉快で仕方がない」

 

 

その答えに、奴は唖然とした。

──────分かっている。自分がどれ程馬鹿な事をしているのかぐらい、重々承知している。

しかし、

 

 

「························頼まれてしまったものは、仕方がないのでね」

 

 

俺がこぼした囁きに奴は怪訝な顔をする。

──────『彼女』は言った。

俺に、衛宮士郎を救って欲しいと。

彼女は俺がこの世界に顕界している間、ずっと俺に顕界に必要なだけの魔力を繋いでくれた。

この世界で『あの子達』を守る力をくれた。

しかし、俺にそんな事を頼んできたあの少女は、自分で気付いているのだろうか。

──────俺にしかイリヤが託してくれた願いを叶えられないのと同じく、奴を救える者だって、この世に唯一人しか存在しないのだという事を。

 

 

「···························投影(トレース)開始(オン)

 

 

奴の唇がぎこちなくその音を紡ぐ。

それは、己の中にあるスイッチを切り替えるための言葉。

その言葉に導かれるように右手と左手が一瞬眩く発光し、収束と同時に干将・莫耶が現れた。

奴は口元に凄絶な笑みを浮かべて、

 

 

「··························敵に塩を送る、なんてレベルを超えてるぜアンタ。良いのかよ、ただでさえお前の勝ち目は薄いってのにさ」

 

 

「ならばそれを踏まえて、貴様を超えれば良いだけだ。腑抜けた敵を斬ったとあれば、イリヤに胸を張れないからな」

 

 

対して、俺も獰猛な笑みを返す。

左手に干将。右手に莫耶。幾度となく戦場を駆け抜けてきた相棒は、頼もしい重さを手首に伝えてきた。

俺と衛宮士郎、二人は合わせ鏡となって相対する。

ここからは奴も本気だ。

奴の願いの根幹は変わらない。イリヤを助けるためなら、奴は俺を躊躇い無く殺しに来るだろう。

そしてまた俺も、全力で奴を叩き潰さねばならない。

だがそのためには、まずこの『世界』が邪魔だ。

ここは完全に奴の領域であり、その中に存在している以上、先程の繰り返しになる。

故に、

 

 

 

「─────体は剣で出来ている(I am the bone of my sword)

 

 

 

朗々とした声が世界に凛と響き渡る。

その呪文が、合図となった。

俺と奴は同時に踏み込み、両手の得物を一閃する。

鶴翼と鶴翼。純白と漆黒がぶつかり合い、緋色の閃光がけたましい金属音と共に撒き散らされる。

砕け散ったのは奴の剣。しかし、先程俺が折った剣とは比べ物にならないぐらいの『覚悟』が込められていた。

無論、剣としての質も段違いだ。

振り下ろした状態の干将を、返す刀で逆袈裟に跳ね上げる。

瞬間、再び真下で鈍色の光が瞬く。

俺は最低限の動きで真下から突き上げる剣群を躱し迎撃するが、その間に体勢を立て直した奴は再び干将・莫耶を投影し直し、弧を描くような軌道で振り下ろした。

真下と前方からの攻撃。

奴の表情が勝利を確信する。しかし、

 

 

 

「────血潮は鉄で、心は硝子(Steel is my body, and fire is my blood. )

 

 

 

苛烈極まる連撃を前に、一抹の焦燥すら感じさせない声で『詠唱』を紡いでいく。

そして俺は地面を、地面から幾重にも連なり伸びる剣を、魔力を纏わせた足による踏み込みでその全てを踏み砕き(・・・・)、前方へと勢いを止める事無く突貫する。

 

 

「ッ、この···························!?」

 

 

奴の瞳が驚愕に見開かれ、呻き声がもれる。

自らが放った攻撃が足止めにすらならなかったのだから、その驚愕も無理も無かった。

硬直は一瞬。

奴が既に干将・莫耶を走らせている以上、奴が俺の剣を迎撃出来る余地は無い。

振り下ろされる莫耶。

奴は同じく莫耶で受ける。硬質な金属音。

そのまま剣戟は2度、3度と続き、10度目で奴の剣が砕け散った。

 

 

 

「────幾たびの戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades. )

ただの一度も敗走はなく (Unknown to Death. )

ただの一度も理解されない (Nor known to Life. )

 

 

 

──────流れ込んでくる。

不鮮明な映像。モノクロな写真。しかし、確かな『絶望』が打ち合う剣を通して流れ込んでくる。

間違いない。これは、奴の『記憶』だ。

俺と奴は、剣を交える事によって互いの記憶を見ていた。

いや、見るという表現は正しくない。

脳裏に刻み付けられている(・・・・・・・・・)

こちらの意思などもとより介する気は無いらしい。

大切な人の『死』。

喉を裂き血反吐と共に吐き出される『慟哭』。

遍くを憎悪する『怨嗟』。

その果てに残った『絶望』。

歪な願いが生んだ『狂気』。

それら全てが、濁流の如く俺を呑み込んだ。

気持ち悪い。吐き気がする。瞋恚の炎が血管全体に広がり己が内から灼き尽くされ崩壊する。

落ちていく落ちていく落ちていく。

底が無く無限に近い自由落下。

地の底に叩き付けられる快楽は許されず。

ただ独り、誰にも理解されず孤独のまま『地獄』を奔る。

それでも止める訳にはいかない。衛宮士郎は、己の命に代えてもイリヤを救わねばならないからだ。

 

 

 

「────彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う (Have withstood pain to create many weapons. )

 

 

 

挫けそうになる。その選択のおぞましさに。残酷さに。

だがそれでも、この呪文だけは絶やしてはならない。

奴の選択がどうあれ、俺の成す事に変わりはない。

 

 

 

「────故に、生涯に意味はなく (Yet, those hands will never hold anything. )

 

 

 

剣と剣がぶつかり合う。

その度に流れ込んでくる記憶は鮮明になっていった。

俺に追随せんとするかのように剣を振るう奴の顔は、苦渋に歪められている。

もしかすると、奴も俺の記憶を見ているのかもしれない。

意味などない。ただ消費され、摩耗していく機械。

正義の味方などという名ばかりの英雄。

─────その名は、『地獄』だ。

しかし。その地獄の中でようやく、俺は『答え』を得た。

この世界で、ある少女が教えてくれたのだ。

俺はイリヤが遺してくれたもの、イリヤが託してくれたもの全てを背負って進んでいく。

故に、

 

 

 

 

「────その体は、きっと剣で出来ていた(So as I pray, unlimited blade works. )

 

 

 

 

─────その世界は、『願い』を象る。

幾重もの蒼炎が俺の周囲を走り、世界を塗り替えていく。

それは奴の世界すら例外ではない。

完成された絵画に筆を入れるように、俺の『世界』が奴の『世界』に(あな)を穿つ。

それは、白色の絵の具に墨汁を混ぜる事と同じだ。

既に完成された(セカイ)を、歪ませる。

蒼炎はやがて一つの象へと収斂し、結び付く。

奴が炎の勢いに目を細めた瞬間。

世界は生まれ変わり、顕界を果たした。

 

 

「これは······························」

 

 

奴が息を呑む気配が伝わる。

視界に横たわる荒涼とした大地と丘陵。

曇天の空には巨大で錆び付いた(・・・・・)歯車がひしめき合っており、回る度に重く、くぐもった音を世界に響かせている。

だがそれよりも目を引くものがある。

─────荒野に咲く無限の『剣』。

剣が荒野を埋め尽くしている様は、まるで墓標のようだった。ここが俺の行き着いた世界。

正義の味方を志した者の、成れの果て。

しかし、その世界は俺が『答え』を得る以前のものに過ぎない。

 

 

「·············································()、だと?」

 

 

─────銀色の輝きは、羽のように世界へ落ちてきた。

しんしんと、音も無く降り注ぐ雪の結晶。

それは、冷たいのに暖かい。遠いのに懐かしい。手を伸ばせば届くのに、触れてしまえば消えてなくなる。

その雪を、俺は覚えている。イリヤと初めて会った夜にも、これと同じような雪を見た。

そして、イリヤが命を落とした夜にも。絶望の中で、俺は同じ夜空と降り注ぐ雪を見た。

始まりの輝きと、別れの輝き。

俺はイリヤに出逢えた喜びと、そして失った悲しさ。

その全てを背負って進むと決めた俺は、終わりの無い地獄の果てに、この雪を己の胸に刻んだ。

イリヤは死んだ。しかし、それでも消えないものが確かにある。俺はそれを、絶対に無くさない。

 

 

「俺と貴様の出発点は同じだ。なら、この雪に見覚えがあるだろう」

 

 

「·······························ああ、覚えている。忘れるはずがないだろう。この雪は俺とイリヤの始まりであり、そして終わりの象徴だ」

 

 

「お前は、イリヤの死を終わりだと捉えるのか?」

 

 

「そんな事、当たり前だろう」

 

 

「そうかもな。けど、俺はそうは思わない。イリヤが遺してくれたものが俺の中にこうして残っている限り、終わってなんかいないんだよ」

 

 

『雪』は際限なく降り続ける。

それはまるで、イリヤが背中を押しているかのようだった。

俺は傍らから一本の剣を引き抜く。

雪に霞む、濡れたような刀身に自分の顔が映る。

──────笑っていた。

まるで憑き物が全て落ちたかのように、その笑顔は穏やかだった。

 

 

「──────さて。これで条件は整ったな。貴様が無尽蔵だというのなら、こちらは無限とプラスアルファ(・・・・・・・)

加減は要らん。己が有する最大の力で向かって来い。

その上で、俺は貴様の願いを凌駕しよう」

 

 

引き抜いた剣を突き付ける。

奴は獰猛な笑みを浮かべて、それに応じた。

 

 

「─────ああ、ならこっちも本当の姿で立ち向かうのが、礼儀ってものだろう」

 

 

瞬間。世界に炎が渦巻いた。

漆黒と憤炎が混ざり合ってグラデーションを描く。

緋色よりも赤い。それは触れるもの全てを骨すら残さず灼き尽くす獄炎に他ならない。

収斂していく炎。そして、その世界は顕現する。

─────漆黒と赤。

それが、この世界に存在する色の全てだった。

空は灰色。噴煙の如く厚い暗雲が、遍く光を遮っていた。

荒涼とした大地は炭のように黒く染め上げられている。

漆黒の荒野に咲く剣。

その剣もまた闇を固めたかの如き漆黒であり、刀身が絡み付く蛇のように燃え盛る『炎』を纏っていた。

─────その世界の名は、『地獄』。

奴は傍らにあった剣を引き抜いた。

炎を纏う漆黒の剣。

それは、己すらも灼き尽くす地獄の業火に他ならない。

現に、奴の身体は燃えていた。

剣が纏う炎が移ったかのように、奴の身体は獄炎に包まれている。己の身を贄にして、奴は俺の前に立っていた。

 

 

「『炎』と『雪』、か。本当に真逆だな。俺とお前は」

 

 

苦笑しながら、奴は笑った。それに合わせて身体に纏う炎が微かに揺れる。

片や、銀雪舞う荒野。

片や、獄炎燻る焦土。

白の世界と黒の世界がせめぎ合う様は、上空から見れば太極図のように映ったに違いない。

世界を二分する陰と陽。

それは、干将・莫耶を主に用いる俺たちにとって不思議な一致だった。

俺は奴を、そして越えるべき世界を見据えて剣を構える。

冷たい。冴え凍るような冷たさ。しかし今はその冷たさが心地良良く、同時に綺麗だと思った。

俺が剣を構えたのと同時に、奴も微かに腰を落とす。

身に纏う炎が峻烈さを増した、その瞬間。

 

 

「─────来い」

 

 

「─────言われずとも」

 

 

交わした言葉は極僅か。剣に全ての感情を傾けて疾駆する。

同時に両者は丘から剣を射出。

剣は空を駆け、銃弾の如く戦場を裂く。

空中を飛び交う剣と共に、俺達は剣を交えた。

微かに霜がかった剣と炎を纏った剣が交錯する。

剣戟は二撃、三撃と連なっていく度に苛烈さを増していく。

奴の斬撃は重かった。

剣で受ける度に骨の髄まで衝撃が走り、剣が纏う炎によって身体の表面を焼かれる。

だが、それは諸刃の剣に他ならない。

現に奴の身体は、奴自身が纏う炎で灼かれている。

文字通り奴は己の身体を犠牲にしているのだ。

 

 

「う、おおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 

 

裂帛を迸らせ、奴の炎剣を押し返さんと猛然と剣を薙ぐ。

だが奴は一息で俺の剣を跳ね上げ、胴辺り目掛けて鋭い上段蹴りを叩き込んできた。

呼吸が詰まる。血塊が喉奥からせり上がってくる。

俺は何とか倒れる事だけは拒否し踏みとどまったが、負った傷は無視できるものでは無い。

口内に流れ込んできた血を飲み込み、俺は数歩後ろに後退しながら剣を数本、奴に向かって射出する。

 

 

「そんなもの···························!!」

 

 

放たれた剣は、炎剣が全て喰らい尽くした。

奴の身体には破片の一つたりとも届いてはいない。

だが、それで良い。元よりあの程度の攻撃が届くなどという甘い考えは持ち合わせていなかった。

目的は、もっと別にある。

 

 

「くっ!?」

 

 

丘から射出していた幾本の剣の軌道を無理矢理ねじ曲げる。

さっきまでは奴が射出してきた剣を相殺するように放っていたが、その軌道を下に捻じ曲げた。

つまり、剣から衛宮士郎本体へと狙いを変えたのだ。

だが当然そんな事をすれば、俺を狙って放たれていた奴の剣が何の壁も無しに殺到する。

しかし、何ら問題は無い。

あの程度の剣の雨を越えられなくて、何が英霊か。

狼狽の気配を見せる奴に向かい疾駆する。

俺目がけて飛翔する剣群。その全てを両手に構えた剣で打ち砕き、一息で奴の懐に潜り込む。

衛宮士郎は自身に向かって射出された剣を相殺するのに気を取られ、俺の速度に反応しきれていない。

その間隙を突くように、俺は霞がかった剣を奴に向かってふりおろす。

 

 

「っ、甘いんだよ!!」

 

 

奴が身に纏う業火が、その勢いを増す。

それは爆炎となって俺の身体を呑み込んだ。

爆弾が至近距離で爆発したようなものだ。俺の身体は灼熱の如き爆炎と爆風に叩かれ、膝から崩れ落ちる。

 

 

「···································甘いのは、貴様の方だ」

 

 

直後。俺は炎の中に自ら身を投じ、右手に構えた剣を衛宮士郎に向かって袈裟に一閃する。

 

 

「が、ぁ····························」

 

 

炎の中でも変わらぬ霞を纏った刀身は深々と奴の身体に沈み込み、肩口から脇腹へと抜けていった。

傷口から噴き出した泥のような血が炎に触れて、ジュッと一瞬で蒸発する。

返す刀で、再び剣を振るった。

しかし衛宮士郎は咄嗟に後方へと跳び、同時に炎剣を俺に向かって射出する。

地に手を突き蜻蛉を切って剣を避け、着地と同時に後方へと大きく跳躍した。

最初と同じ立ち位置に戻ったのだ

 

 

「は、っが··························炎に身を投げるとか、お前·············正気かよ」

 

 

奴は傷口を『泥』で塞ぎながら、苦悶の表情を浮かべてそう言った。

 

 

「ふん···················自分自身でもどうかと思ったさ。

だが、言っただろう。覚悟の無い剣では軽い。

貴様がその業火を背負うと決めた以上、私もそれ相応の覚悟で挑むのが礼儀というものだ」

 

 

そう答えた俺も地に片膝を突いていた。

肌は無惨に焼けただれ、一部は炭化している。

炎は身体の内部まで及んでおり、出血こそ微量なものの傷の度合いとしては俺の方が多いぐらいだ。

─────だが、それでも未だ足りない。

奴の身体は今や殆ど『泥』で構成されている。

一太刀浴びせたぐらいでは直ぐに再生してしまうだろう。

しかし致命傷となるような、もしくは即死となるような傷を与えればその限りではない。

無尽蔵の魔力を有していようと、衛宮士郎の命そのものは人間のものに準拠している。

バーサーカーのように命のストックがある訳でも無い。

一つの命しか有していないのなら、その一つの命を削ってしまえば良いだけだ。

当然、口で言う程簡単な話では無いが。

 

 

「·······························壊れてるって意味では、アンタも大概だな」

 

 

「そうだな。だが、だからこそ私達はこんな地獄でさえ乗り越えんとするのだろう」

 

 

「違いない。こんな地獄、壊れてなくちゃ歩けないからな」

 

 

立ち上がったのは同じタイミングだった。

軽口を叩き合いながらも、次の一手を模索する。

刹那の思考。斬る事が目的じゃない。

欲するのは奴の急所を確実に突くような、そんな一撃だ。

踏み込む前に、深呼吸をして酸素を体内に送り込む。

ズギン、と肺が軋みを上げた。

焼かれた肺が、悲鳴を上げているのだ。

 

 

「ッ──────!!!」

 

 

無音の裂帛。地を蹴り疾駆する俺を、奴は射出した炎剣で食い止めようとする。

先程の捨て身の斬撃を警戒しているのだろう。

不用意に近付こうとせず外掘りから徐々に埋めていく気だ。

今度は数が多い。完全には避けられないだろう。

────それを承知で、速度を緩めず疾駆する。

回避行動は最小限に。脚が滞れば、みすみす奴の形成した剣の檻に囚われるだけだ。

肌を炎剣が掠めていく。

奴に近付く度に身体が斬り裂かれ、血飛沫が舞った。

だが、それでも脚だけは止めてはならない。

身体を徐々に齧り取られているかのような、灼熱じみた激痛を意識から排斥して──────

 

 

「ぐ····················っ、ぶ」

 

 

身体に、重い衝撃が三度伝播する。

左脇腹、右足、そして右胸に、奴の射出した剣が深々と突き刺さっていた。

今度こそ、脚が止まりかける。

灼熱の刃が身体の外と内を焼いた。

──────視界が霞む。

糸が切れたように、手足が力を失う。

折れる。決して止まらぬと決意した身体が、折れる。

 

 

「が、あ····················あ·················っ、ず」

 

 

目の前が真っ黒に染まる。

今のは間違いなく、致命傷足り得た。

身体に突き刺さった三振りの剣は、俺の命を容赦なく削り取っていった。

零れ落ちる。命が、身体を動かす熱が。

灼熱を通り越して身体は冷たく、何も無い闇に落下していくかのような孤独感と断絶感が心臓を握りしめる。

それが、何もかも零れ落ちた結果だった。

崩れ落ちる。何も、誰の約束も果たせぬまま、終わる。

意識が保てない。凍り付いた身体は 、無様に倒れる事しか出来なかった。

 

 

「───────────?」

 

 

ふと、首筋に暖かい感覚が走る。

──────『雪』だ。

白い雪は冷たいはずなのに暖かい。

凍り付いた身体を溶かすかのように、その『熱』は全身を駆け巡っていった。

止まりかけていた心臓が動き出す。

沈んでいた意識は徐々に浮上し、漆黒に覆われていた視界に純白の光が差した。

たった一雫の雪の結晶。

ちっぽけなその熱が俺の命を拾い上げ、繋ぎ止めてくれた。

懐かしい感覚。

狂おしいほど愛しいその温度に、胸をつかれる。

─────立って、と言われている気がした。

幻聴だろうか。いや、幻聴だろうが幻想だろうが構わない。

元よりこの身体はその幻想を成し遂げるためのモノ。

幻想を結び、カタチを与えるのは俺の役目だ。

 

 

「─────投影(トレース)開始(オン)

 

 

持てる意志力全てを総動員し、一つの幻想を結ぶ。

右手に現れたのは紅の呪槍だった。

茨のような意匠を施した、身の丈程もある紅の長槍。

──────刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)

一刺しで心臓を穿ち、命を奪う呪いの槍だ。

 

 

「なにっ·································!?」

 

 

地に倒れ伏す直前。突如体勢を立て直し、紅の呪槍を中段に構えた俺を見て奴が目を剥いた。

そのまま俺は地を蹴り、槍を引き絞った。

狙いは心臓。心臓さえ貫いてしまえば、衛宮士郎は再生する間も無く死に到るだろう。

だが、奴とてそう簡単に心臓を穿たせてはくれない。

即座に炎剣を跳ね上げ、槍を迎撃しようと動く。

俺が槍を放つ前に打ち落とす気だ。

それを確認し、心臓に狙いを定めて一息に突き入れる。

放たれた槍は紅の雷の如く奴の心臓へと走る。

だが、槍は奴の炎剣によって阻まれた。炎剣は真下から突き上げるように跳ね上げられ、槍の穂先を捉えた。

紅の槍が砕け散る(・・・・)

槍の穂先から柄頭まで、何もかも。

これで終わり。俺の身体は虚空を泳ぎ─────

 

 

 

♢

 

 

 

「っ、?」

 

 

その、砕いた時のあまりの手応えの無さに衛宮士郎は怪訝な表情を浮かべた。

あたかも、薄い陶器でも砕いたかのよう。

いくら剣以外は投影の質が落ちるとは言え、今の脆弱に過ぎる槍は一体何だ?

『俺』でさえもう少しマトモなものを作れるだろう。

(エミヤ)の投影の精度が俺のものを遥かに上回っているからこそ、その疑問は顕著に浮上する。

背中を冷たいものが伝い落ちていく。

何だ、一体何が起こっている──────?

 

 

「お、まえ································?」

 

 

今の攻撃で全てを使い果たしたのか。

奴の身体が傾き、力無く虚空を泳いだ。

そして俺の真横を通過するように倒れ込み────

 

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 

「っ!?」

 

 

虚空を力無く泳いでいたはずの身体が、流れるように俺の視界から消えていった。

俺は剣を振り抜いた状態で止まっている。

迎撃は不可能。剣の射出も間に合わない。

─────伽藍堂(フェイク)、だった。

あれは外側だけを刺し穿つ死棘の槍に似せたただの伽藍堂、つまり張りぼてだったのだ。

真の本命は、別に───────

 

 

 

 

 

 

 

 

♢

 

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 

衛宮士郎の死角、側面を回り込むように地を蹴りながら、幾度となく繰り返してきた音を詠唱した。

右手に莫耶、そして左手に干将。

しかし、通常の干将・莫耶とは少し異なる。

オーバーエッジ。干将と莫耶の刀身を巨大な羽根を思わせる形状へと変化させ、巨大化させる技だ。

────刀身は微かに雪で濡れ、刀身を美しく見せていた。

俺は一対の巨大な翼を大上段に構え、頭上から折り重ねるように斬り下した。

完全に死角からの攻撃。

奴はガードも回避も叶わず、まともにオーバーエッジによる一撃を受けた。

 

 

「ご····································」

 

 

だが、まだ終わらない。

奴を蹴り飛ばして干将と莫耶を身体から引き抜き、宙に浮いた奴を再び斬下ろす。

地面に叩き付けてから再び宙に浮かせるように蹴り上げ、今度は横薙ぎに双剣を走らせた。

縦横無尽に漆黒と純白の軌跡が走る。

 

 

「お、おおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

裂帛を走らせて、最後に奴の胸を干将で貫いた。

元々、限界の中での投影だったからだろう。

莫耶は途中で折れて砕けた。

干将にもひびが入っていて、恐らくあと一合でもマトモに剣戟を交わせばこれも同じ末路を辿る事になる。

奴の胸に突き刺した干将から血が滲み出していた。

心臓を貫かれ、加えて身体も七割を失っている。

しかし──────

 

 

「お·························われ、ない」

 

 

「っ、」

 

 

それでも、奴は息絶える事は無かった。

斬り飛ばした傷から『泥』の手が生え、それが拳の形を取ると俺の事を殴り飛ばした。

──────甘かった。

奴の身体は一度完全に融解される形で死に絶え、汚泥によって再構成されたものだと聞いた。

つまり、それは心臓も例外では無い。

心臓を貫いただけでは、まだ───────

 

 

 

「ぐっ·····························」

 

 

吹き飛ばされ、荒野に叩き付けられる。

意識が再び落下しそうになるのを何とか耐え、起き上がろうと手を突き─────失敗した。

あたかも関節の全てが千切れたかの如く、身体は動かない。

魔力はまだ残っている。

しかし、肝心の身体が動かないのでは意味が無い。

 

 

「ま、だ·················だ。まだ、終わって····················ない···············!」

 

 

失われた身体は、既に半分まで修復されていた。

ぼごぼごと傷口からあぶくを吐き出しながら、『泥』は奴を生かそうと増殖を続けている。

衛宮士郎は痙攣する身体を無理やり起こし、地面に倒れ伏している俺を睥睨した。

 

 

「っ··························」

 

 

呻吟を零しながらそれでも立ち上がろうと足掻く。

しかしあたかも地面に縫い付けられているかの如く、身体は動いてはくれなかった。

全身を修復し終えたのか。

奴が炎剣を携え、俺に向かって歩んでくるのが見えた。

炎渦巻く焦土から、銀雪舞う荒野へと。

奴は心象風景(セカイ)の境界線を踏み越えて、俺を始末しようとやって来る。

 

 

「························ここが、お前のセカイか」

 

 

立ち止まって、奴は呟いた。

空から降り注ぐ雪を見上げ、手を伸ばす。

衛宮士郎の伸ばした手に雪が触れた。

雪は直ぐに溶け、夢みたいに消えていく。

その光景を、奴はどこか寂しそうに見送っていた。

 

 

「優しいな、この世界は。懐かしくて、胸が痛くなる」

 

 

そう言った奴の声は、酷く穏やかだった。

だからだろう。立ち上がれるまでの時間稼ぎだとか、さっきまで考えていた事を全て捨てて、俺は奴と言葉を交わそうとした。

 

 

「··························お前の世界は、どうなんだ」

 

 

「見れば分かるだろ。あそこは、文字通りの『地獄』だ。立っているだけで、無数の剣に貫かれているかのような痛みが走る。拷問だよ、本当にさ」

 

 

「それが、代償なのか。世界を犠牲にし、イリヤを救おうとしたお前の」

 

 

「ああ。奪ったからには責任を果たさなくてはならない。当たり前の事だ。だが、この責苦の果てにイリヤがいる。だから、こんな所で屈する訳にはいかない」

 

 

いつまでも、衛宮士郎は雪を見上げていた。

─────壊れている。

とうの昔に、衛宮士郎は壊れている。聖杯を使ってイリヤを救おうとし、結果的に世界を崩壊させた。

それが意図的なものでは無いにしても、罪は残る。

全世界の人間の命。それはかつて正義の味方を目指した男が背負うには、あまりにも酷なものだ。

しかし、だからこそ。

衛宮士郎はせめて、イリヤだけでも救おうとした。

 

 

「俺は、何もかも失った。それを嘆き悲しむ事が俺に許されるはずがない事ぐらい、理解もしている。

けど、それでも──────どんな形だっていい。

イリヤを救うために全てを滅ぼした。なら、せめてイリヤを救って幸せにしなければならない。それが俺の、責務なんだよ」

 

 

奴は空から視線を外して俺へと向けた。

炎剣の柄を両手で握りしめ、両手で掲げる。

 

 

「······················私の敗北か。彼女には謝らなくてはならないな。衛宮士郎を救えなかった、と」

 

 

「っ、何の話だ」

 

 

「いや、こちらの話だ。最も、貴様がイリヤを生き返らせるというのなら、その時に分かるだろう。精々、気長に待つがいい。その時にイリヤを慰めるのは、どうせ貴様の役目だ」

 

 

奴は俺の言葉に怪訝な表情を浮かべ、直ぐに表情を引き戻して炎剣を構え直した。

───── 心残りがあるとするなら。

それは、『約束』を果たせなくなってしまった事だろう。

色んな人達と色んな約束を交わした。

イリヤ達とは、料理を教える約束を。

遠坂凛とは、衛宮士郎をぶん殴って止める約束を。

この世界のイリヤとは、衛宮士郎を救う約束を。

────そして、大切な人とは幸せになる約束を。

それは忘れられない。忘れちゃいけない、約束だった。

しかし、それらの約束が叶えられる事はもう無い。

俺はここで消滅し、交わした約束も消え去るだろう。

そしていつかは相手からも忘れられて。

風化した思い出だけが、残るのだ。

視線の先で、炎剣が頭上まで振り上げられようとしているのが見えた。

自分でも驚くほど胸中は穏やかだった。

首へと落ちてくる炎剣が、どこか遠くに感じる。

───────最後に。俺は、すまなかった、と。

静かに、約束を交わした誰かに向かって、心の中でそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────ううん。謝る必要なんて無いわ。

だって、貴方は充分に約束を果たそうと頑張ってくれたもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

声が、聞こえた。幾度となく求め続けた、愛しい声が。

炎剣が奴の手から落ちた。

それに引き寄せられるように奴は膝から崩れ落ちた。

衛宮士郎の瞳は、ある一点のみに注がれていた。

雪の中を歩いてくる1人の少女。

純銀を梳ったかのような銀色の髪。白く透き通った、処女雪を思わせる透き通った肌。

見る者を魅了する、神秘的な紅の瞳。

少女は華奢な肢体を濃い紫色のコートに包み、同色の底の深そうなブーツで荒野を踏み締めながらこちらに歩いてくる。

永遠にも、一瞬にも感じられる静止した時の中に居た。

時間が止まっていたのは、奴だけじゃない。

俺もだ。その光景に目を奪われ、動けなかった。

───────雪の中を歩いてくるその姿は、俺とイリヤが出会った時に見た光景と、酷似していたのだ。

 

 

「あ、う····················う·······················いり、や?」

 

 

「─────ようやく、わたしを見てくれた。もう、レディを待たせるだなんて、シロウはダメね」

 

 

口では文句を言いながら、少女は衛宮士郎に向かって綻ぶような笑顔を見ていた。

─────ようやく、見てくれた。

その言葉に、どれ程の感情が込められていた事か。

少女は俺達に言っていた。

衛宮士郎は、少女の存在を認識出来ない(・・・・・・)、と。

ついぞその理由が語られる事は無かったが、今は少女の声も姿も認識出来ているようだった。

しかし、何故──────?

そんな俺の疑問を察したのか、少女はこちらに紅の瞳を向けて、訥々と口を開いた。

 

 

「言ったでしょう、わたしは固有結界が見ている『夢』に過ぎないって。

わたしは、イリヤがシロウの心の中に残した夢。

つまり、『願い』なの。イリヤがシロウの心の中に託した、シロウに幸せになって欲しいという願いの具現。

シロウは、イリヤの『願い』を無くした訳じゃない。

少し、忘れてただけ。本当に無くしたのなら、わたしという幻想が存在出来るはずがないもの」

 

 

「─────なるほど、合点がいった」

 

 

少女は、衛宮士郎に託されたイリヤの夢なのだという。

奴はそれを忘れてしまった。

しかし忘れるというのは無くすという事では無い。

忘れて取り出せなくなったとしても、それは認識されなくなっただけでいつまでも永遠に残り続ける。

─────それが、彼女の正体だった。

イリヤが死の間際、最期に残した願い。

衛宮士郎を幸せにするという願いの、具現。

 

 

「けど、それをアナタは取り戻してくれた」

 

 

「私が、だと?私は何も·······························」

 

 

「ううん、アナタは気付いているはずよ。

アナタの世界に降り注ぐこの雪も、イリヤという少女が残してくれた願いだって。

アナタはその雪を纏った剣で、シロウを斬った。

それが引き金となったんだと思う。

──────願いは、ようやく届いた。

シロウはようやく、わたしという願いを見つけてくれた」

 

 

本当に嬉しそうに、少女は笑う。

その笑顔があまりにも華やかで、声が、詰まった。

 

 

「イリヤ、なのか·····················?けど、なんで················どうして、イリヤが··················」

 

 

「うん。ずっと、わたしはシロウの傍に居たんだよ?けどシロウがあんまりにも気付かないから、迎えに来ちゃった」

 

 

「え、う·····························あ·························」

 

 

衛宮士郎の瞳から、滂沱の涙が溢れる。

それを見た少女はくすりと笑うと、衛宮士郎の元へゆっくりと歩いていった。

衛宮士郎は呆然と、目の前の少女を見詰めている。

少女は少し背伸びをして、膝立ちになっていた衛宮士郎の頭にそっと、自身の右手を乗せた。

 

 

「ありがとう、シロウ。イリヤを助けようとしてくれた事、すっごく嬉しかった。本当に、頑張ったね」

 

 

そして左手を背中に回し、自身の胸へと抱き寄せた。

─────あたかも、泣いている弟を慰めるお姉ちゃんみたいに。優しく頭を撫でて抱き寄せながら、労いの言葉をかける。

 

 

「······················だから、もう休もう?

あんまり頑張り過ぎると、シロウ疲れちゃうよ?」

 

 

「けど、俺は····················イリヤを、救わなきゃ··················じゃないと、何も、何も····················」

 

 

「ううん、そんな事無いよ。イリヤは、充分に救われてる。

シロウがここに居て、イリヤの名前を呼んでくれるだけで、それだけで─────こんなにも、イリヤは幸せなんだもん。だから、ね?」

 

 

─────消えていく。

炎が。漆黒の焦土が。奴の固有結界が。その全てが消えて、雪が降る荒野へと変遷を遂げた。

気付けば、衛宮士郎の姿は元の姿に戻っていた。

泥に侵食され黒く染まっていた身体は、その呪いから解き放たれたように元の色を取り戻していく。

明るい色の髪。琥珀色の瞳。それらが、全て。

──────戻ったのだ。

かつての姿に。共に笑い合い、共に悲しみ、共に互いの未来を信じ合っていた、あの頃の姿に。

 

 

「·························良い、のかな。

俺、沢山のものを奪っちゃったんだ。なのに、ここで立ち止まっちゃっても、良いのかな─────?」

 

 

「シロウは、もう充分に苦しんだよ。そしてこれからも、きっとその罪に苦しめられる。

だけど、安心して。今度はわたしが、一緒に歩いてあげる。

例えどんなものがシロウの事を裁こうとしたとしても、絶対に手を離さない。もう独りになんかさせない。

─────好きな子のことを守るのは、当たり前なんだから」

 

 

少女は言う。少年は今まで苦しみ続けた。

これからも、自分がおかした罪を贖わなくてはならない。

─────けど、それは2人で一緒に。

今度は自分が、少年を救う番なのだと。

 

 

「じゃあ行こっか、シロウ」

 

 

「···································ああ。俺も、今度こそイリヤを守ってみせる。この手を、絶対に離したりなんかしない」

 

 

2人は手を取りながら、どこか遠くへ歩いていく。

舞い散る雪の中で、笑いながら。

─────なんて懐かしい笑顔なんだろう。

かつて見ていた光景。ダイヤのように輝いていた、硝子の如き日常の断片がそこにあった。

2人の姿は雪に溶けて、徐々に見えなくなっていく。

その背中を。俺はずっと、見えなくなるまで見詰めていた。

2人は何処に向かっているのか。それは分からない。

だが、心配は不要だろう。

イリヤの言葉通り。どんな困難が立ちふさがろうとも、きっと2人は乗り越えてみせるのだ。

 

 

「──────最後に、君との『約束』は果たせたみたいで良かった」

 

 

仰向けに倒れながら、降り注ぐ雪を見詰めた。

頬に当たる雪が冷たい。

柔らかい雪の感触が気持ちいい。

─────初めて、この雪を見た時の事を思い出す。

あれは、クリスマスの夜だった。

聖なる夜。あたかも雪が『奇跡』を運んできたかのように、その少女は俺の目の前に現れたのだ。

思い出す。こういうのを走馬灯、と言うのだろうか。

イリヤと過ごし交わした言葉が、脳裏を駆け抜けていく。

 

 

『──────あ、ようやく出てきた。もう、レディをこんな雪の中で待たせるなんてダメなんだからね』

『それじゃあ···············改めて。

こんばんわ、お兄ちゃん。わたしはイリヤ。

─────イリヤスフィール・フォン・アインツベルン』

『うん··················!お兄ちゃんはお料理上手なんだねっ!』

『い、頂きます·················』

『ん············確かにセラの作る料理の方が上品で洗練されてはいるけど──────でもこの料理も暖かくて、凄く美味しい』

『しろ、う···········しろう·········シロウ!』

『──────じゃあまたね、シロウ。今度会う時はお互い敵同士だから·············次に会った時は、出来るだけ苦しまないよう一瞬で殺してあげる』

『···············またねって、言ったのに』

『ちゃんと名前、言えるようになったんだよ··········?もうお兄ちゃんに笑われないように、毎日毎日、頑張って練習したんだから』

『あの時は上手く出来なかったから、皿洗いも出来るように練習したんだから。何枚も割っちゃったりしてセラを困らせちゃったけど··············もうお皿、割らないように、なったんだよ?』

『イリヤ、頑張ったんだよ···············?お兄ちゃんに褒めてもらえるように、頑張ったん、だから·········』

『··················ひとりぼっちは寂しいってわたしに教えてくれのは、シロウなんだよ?なのにシロウはわたしを、キリツグみたいにひとりぼっちにするの?

そんなのやだ、やだよ···········!』

『··················シロウ?』

『──────どうして、あんな事したの?』

『わたしは、キリツグとシロウを殺すために来たんだよ?そんなわたしのために、シロウは戦うの·········?』

『────シロウの、ばか』

『大切な、もの···············?』

『わたしね。今の生活がとても楽しいの。変だよね、本来ならリンもセイバーも············そしてシロウも、殺さなくちゃいけない敵なのに』

『───────なら、ダメだよ。わたしはシロウの事が好きだもん。好きな子を悲しませるなんて、出来ないよ』

『··················わたしじゃ、ダメだよ。

シロウが幸せに、なれない』

『··············わたしも、好き。

シロウの事が、大好き。こんな気持ちになるのは初めてで、良く、分からないけど············』

『シロウと一緒に、居たい·············シロウと一緒に、暮らしたい。でも、ダメ·········それをしたら、わたし、わた、しは──────』

『────────大好きだよ、シロウ』

『·····················デートが、したいな』

『恋人同士二人っきりでどこかに遊びに行く事をね、その、デートって言うんだって。

わ、わたしとシロウは恋人同士··············だから、デートが············したい。お店で買い物をして、美味しいご飯を食べて、そして─────他愛のない話をしながら、シロウと一緒にこの家に帰ってくるの』

『────────どう、かな?』

『──────行ってらっしゃい、シロウ』

『ほら。泣いちゃダメ、だよ················シロウはわたしを甘えん坊さんだって言ったけど、シロウは泣き虫さんだね』

『ううん··············もう、わたしは死んじゃったの。

わたしが未だこうして存在しているのは、昨日と今日シロウがわたしにくれた魔力のおかげなんだから』

『あはは···················手が届かなくて、頭を撫でる事が出来ないや』

『··············シロウが好き。シロウの事を考えているだけで心が暖かくなって、走り出したくなっちゃうぐらいシロウの事が好き。シロウに会うまで、わたしの心は凍ったままだった。だけどシロウが凍った心を優しく溶かして、止まった時間を動かしてくれたから──────わたしは、愛情を知る事が出来たんだよ?』

『···············ごめんね。こんな腕じゃもう、泣いてるシロウを抱きしめる事も、出来ないや』

『シロウは、わたしに愛をくれたよ?』

『少なくともわたしはシロウに救われた』

『────わたしはシロウからたくさんの幸せを貰った。

だからもう、泣く必要なんてないの』

『·················うん。わたしも、まだシロウとしたい事いっぱいある。どこかへ出かけたり、美味しいものを食べたり、キス、したり···········色んなこと、したい』

『···············最期に、キスがしたいな』

『わたしも、離れたく··············ないや』

『─────シロウ、大好き。

今までシロウと一緒にいられて、本当に、幸せだった。

だからシロウも······································』

 

 

──────幸せに、なるんだよ。

死の間際。俺にその夢を託して、イリヤは行ってしまった。

どこか、俺の手の届かない場所に。

 

 

「·····································俺はイリヤを、幸せに出来たのかな」

 

 

誰に聞かせるでも無く、呟いた。

──────なんて、綺麗な雪なんだろう。

降り注ぐ雪を見て、そう思った。

ああ、ここで旅を終えるのも悪くは無い。

イリヤと同じように、ここで。

俺はそう思い、目を閉じた。

魔力が尽きるまで幾ばくかの猶予がある。

だから、このまま───────

 

 

 

 

 

 

 

 

「────────こんばんわ、お兄ちゃん」

 

 

時が止まった。いや、いっそ本当に止まって欲しかった。

緩慢な挙動で、声のした方に顔を向ける。

─────それは、如何なる奇跡か。

視線の先に、1人の少女が立っていた。

胸が苦しい。その姿を見た瞬間、あらゆる感情が俺の胸に押し寄せて来た。

間違えるはずが無い。

目の前に居る少女は正真正銘、俺が愛した少女だった。

 

 

「────────君は?」

 

 

初めて少女と会った夜と、同じ質問をする。

この世界に降る雪があの時の雪ならば、そうするべきだと思ったのだ。

俺の質問に少女はクスリと笑みを浮かべて、

 

 

「それじゃあ、改めて。わたしはイリヤ。

イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

───────また、会えたね。シロウ」

 

 

 

 

 

始まりを告げた雪の中。

成長した少年と在りし日から少しも変わらない少女は、悠久の時を経て再会を果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────雪が降っている。

静かに、音も無く、埋葬されるように。

仰向けに寝転んでいた身体を起こして立ち上がる。

静寂に包まれた純白の中で、俺達は向き合っていた。

お互いの距離は、5m程。一歩踏み込み腕を伸ばせばすぐ手が届く距離なのに、出来なかった。

イリヤは何も言わず、穏やかな表情で俺を見ている。

ただ何を話すでもなくただお互いを見つめう。

イリヤともし、再び会えたなら。

そんな益体もない想像をして、もし会えたらどんな話をするか、という気恥しい事を考えたりしていた事もあった。

しかし、いざ対面してみると分からなくなる。

どう接すれば良いのか、頭が回らない。

困惑している俺に対して、彼女は笑顔だった。

俺に再び会えた事が心の底から、本当に嬉しいとでも言いたげな表情に胸が詰まる。

しかし、情けのない事に俺は言葉に困っていた。

もっと何か話したい。

そう思っているのに、引き締められた唇が言葉を紡ぐ事は無かった。

 

 

「──────大きくなったね、シロウ」

 

 

そんな時だった。不意に、イリヤがそんな事を口にしたのは。

 

 

「昔は『男なんだからもう少し身長が欲しい』って言ってたけど、本当に大きくなっちゃった。

──────わたし、そんなに長い間、シロウを独りぼっちにしちゃってたんだ」

 

 

「っ、そんな事────────」

 

 

そんなの、俺だって同じだ。

俺はイリヤをずっと独りぼっちにしてしまっていた。

だからそんな事を気にする必要なんて、無いんだ。

 

 

「·······················イリヤは、変わらないな」

 

 

イリヤに謝って欲しくなんか無くて、俺は何とか言葉を捻り出した。過去を悔いるのは俺だけでいい。

イリヤまでその後悔を背負う必要なんて、ない。

 

 

「変、かな?」

 

 

「まさか。少し、安心した」

 

 

安心した、というのは事実だった。悠久の時を経ても、イリヤは変わらずそのままの姿で居てくれたのだ。

その事が嬉しくないはずが無い。

─────けど、それはイリヤも同じはずだ。

イリヤと違って、俺は変わってしまった。

かつての面影など殆ど残っていない。

そんな俺の姿を見たら、イリヤがどう思うか。

そんなの、誰にだって分かる事だ。

 

 

「えへへ·······················でも、良かった。

凄く大きくなっちゃったから少し不安だったけど、シロウはやっぱりシロウだね」

 

 

「え·································?」

 

 

「うん、安心した。性格も口調も体格も変わっちゃったけど、根元の部分は全然変わってないもの。

優しくて、真っ直ぐで。

─────それにわたしの事、ずっと忘れずに想ってくれてた」

 

 

──────その事が、すごく嬉しい。

イリヤは大切なものを抱くように胸の前で両手を握りしめ、頬を上気させてそう言った。

胸が、痛い。張り裂けるような胸の痛みが鼓動を止める。

気付けば血が滲む程、胸から込み上げた激情に耐えるように拳を握りしめていた。

もっと、楽しませてやりたかった。

今までアインツベルンの人形として縛られていたイリヤをその呪縛から解放して、幸せにしてやりたかった。

イリヤは幸せだったと言うけれど。

本当はもっともっと、したい事があったはずなのだから。

───────今すぐ抱き締めたい。

抱き締めて、キスをして、名前を呼びたい。

だがそれは叶わない。

目の前に居るイリヤには、触れられない。

世界に降り注ぐ雪は途切れることなく降り注いでいる。

─────だが、降り続けた雪が積もる(・・・)事は無い。

荒野に触れた瞬間、純白の結晶は溶けるように消えてしまう。

触れれば消えてしまう泡沫の『夢』。

彼女の正体は、その夢が描いた奇跡に過ぎないのだ。

この雪はあの日と同じ雪。

 

 

 

 

「イリヤ、俺は··································」

 

 

謝らなくてはならない。

イリヤを守るって約束した。

だというのに、俺はイリヤを守れなかったのだから。

 

 

「──────ね、シロウ。わたし達が初めて会った時の事、覚えてる?」

 

 

不意に、イリヤは楽しげな声でそう言った。

質問の意図は掴めなかった。

しかし、答えならばもう決まっている。

覚えていないはずが無い。

あの出会いを、忘れられるはずが無い。

 

 

「─────ああ、覚えてる。クリスマスの夜に急にイリヤが訪ねてきて、俺の事をお兄ちゃんだなんて呼ぶから驚いたよ。どこを見ても外国人の女の子だったからな。お兄ちゃん、等と言われて困惑したのも無理はなかろう」

 

 

「わ、わたしだって驚いたもん。決して相容れない敵同士としてシロウの家に行ったのに、シロウったらのんきに『飯食ってくか?』なんて言うんだから。罠かどうか疑ったけど、そんな様子も全く無いし。あの時はシロウの危機感の無さに、ほんっとうに呆れてたんだから!」

 

 

「それを言うなら敵同士だった俺の、仮にも工房を訪れた君もだろう?敵の本拠地に正面からしかけるなんて、それこそ危機感が無いのでは?」

 

 

「ふーんだ、シロウが何かしてきたとしてもわたしが勝ってたんだから。幾ら敵の魔術工房の中だからって、あの時のシロウみたいなポンコツ魔術師に負けるほどわたし弱くないもーん」

 

 

「手厳しいな、イリヤは。あんなにも美味しそうに俺の作った料理を頬張っていたのに。今でも忘れられないな。あの時のイリヤは、まるでリスみたいに料理を頬張ってた」

 

 

「〜っ!?ひ、人をはしたないみたいに言わないで!」

 

 

「はしたないだなんて思わないさ。ただ、あの時のイリヤは凄く可愛かった。料理を作ったこちらとしては、冥利に尽きたよ」

 

 

あの時の事を思い出して、笑みが零れる。

まだお互いを何も知らなかった頃の不器用なやり取り。

しかし、分からないなりにもこれだけは感じていた。

この子は決して悪い子じゃない、と。

それだけは分かっていた。

 

 

「····································今は?」

 

 

「む?」

 

 

「今のわたしは、可愛く···················ないの?」

 

 

「·····················································」

 

 

それは、不意打ちだった。

ガツン、と頭をハンマーで殴られたかのような衝撃が走る。

今のはその、反則だと思う。イリヤは不満そうな表情を浮かべつつ僅かに頬を赤く上気させ、俺の顔を覗き込んでいた。

先程とは違う意味で心臓が締め付けられる。

呼吸を忘れ、俺はイリヤの瞳の神秘的な輝きに魅入られた。

深い紅の輝き。宝石の如き大粒はあまりにも美しく、見ているだけでくらりと脳が揺さぶられるような気がした。

 

 

「シロウ························?」

 

 

「あ、ああ···························すまない、少し自失した」

 

 

目を逸らしながら、辛うじて言葉を紡ぐ。

そんな俺の様子にイリヤは不満そうな表情を収めてからかうような笑みを浮かべた。

 

 

「ふふ、シロウったら顔が真っ赤だよ?」

 

 

「そ、それは君だって同じだ。君の肌は白いからな、余計に赤みが目立っているぞ?」

 

 

むむむ、とお互い無言の膠着。しかしそれも一瞬の事で、どちらからとも無く俺達は笑みを零した。

──────ああ、本当に。

あの頃に戻ったみたいだと思った。

イリヤが俺をからかい、稀に俺の発言に対しイリヤが赤面したりして、最後は2人笑い合う。

当たり前だと思っていた日常の断片。例え夢幻だったとしても、今はその奇跡に浸っていたかった。

この固有結界(セカイ)は俺の魔力で編まれている。

故に、こうして居られる時間は俺の魔力が切れるまでの後残り僅かな時間だけだ。

その果てに、イリヤと終わりを迎えられるなら─────それは決して、悪くない事だと思う。

 

 

「イリヤ」

 

 

「なに?」

 

 

「君に、伝えなくてはならない事があるんだ」

 

 

─────けど、その前に。消えてしまう前に、俺はイリヤに伝えなくてはならない事がある。

イリヤは俺のただならぬ様子に気が付いたのか、僅かに緊張した面持ちで俺を見つめた。

 

 

「─────君を失ってから、俺はずっと絶望の中に居た」

 

 

「··············································」

 

 

「それは死んで、人理の英霊として使役されるようになってからも変わらなかった。

君を失ったあの夜の事が脳裏を離れない。

気付けば君の事を考えていて、無力さと空虚さに襲われていた。忘れてしまえ、と。そう考えた事もあった。

けど、忘れられなかった。

忘れる事なんて出来るはずが、無かった」

 

 

「っ··········································」

 

 

イリヤの表情が、辛そうなものへと変わる。

紅の瞳はその地獄のような道を歩んできた俺の身を案ずるかのように、翳りを帯びていた。

 

 

「──────けど、今は違う」

 

 

失った悲しさも空虚さも、消えた訳じゃない。

消える事なんて、きっと永遠に訪れないだろう。

それでも──────

 

 

「──────イリヤ。君に出会えて、本当に良かった」

 

 

──────この想いだけは、永劫に変わらない。

失った悲しさも空虚さも、イリヤと出会えた奇跡の前には霞んで霧散する。

イリヤと出会い、永遠の恋に落ちた。

あの時感じた情熱を忘れる事など、どうして出来よう。

俺には出来ない。忘れてなんて、やるものか。

 

 

 

「───────俺は幸せだ。今、この瞬間。

君を愛しているこの瞬間こそが、俺にとってこれ以上無いぐらいの幸せだったんだ」

 

 

イリヤの瞳が見開かれる。

───────かつて、『少女』は願った。

独りで死にゆこうとしている自分を見て涙を流し悲しんでいた『少年』が、幸せになりますように、と。

しかし、少女は不安に思っていた。

その不安通り、実際に少年は少女の死を一生抱え続けた。

それはお世辞にも、幸せだなんて言えるような生涯じゃ無かったはずだ。

しかし、青年となった少年は言ってくれた。

少女に想いを告げた、あの月下の誓いと同じように。

少女を守ってみせると約束してくれた、あの時のように。

─────自分は幸せだった、と。

嘘偽りなんて有り得ない、少女が好きだった笑顔で。

つまり、少女の願いはもう既に叶えられていたのだ。

潰えたと思っていた少女の願いは少年の中でずっと生き続けていて、かわした『約束』を果たすという形で、こうして再び少女の元へ戻ってきた。

─────幾瀬、幾年。悠久の時を、そして世界を経て、少年は少女と交わした『約束』を果たしたのだ。

 

 

「ばか·································シロウの、ばか·························!

わたしの事なんてすぐに忘れちゃえば良かったのに!

そうすれば、シロウが悲しむ事なんて無かった!

辛い想いを独りで抱える事も無かった!

今よりもっと、幸せになれたかも、しれないのに··················!」

 

 

イリヤは嗚咽混じりの声で叫び続ける。

涙を流し大きく背中を震わせて、自分の心の内に秘めた想いを曝け出す。

 

 

「わたし、言った····················好きな人を悲しませたくないって、好きな人には自分の死を背負って欲しくないって!

わたし、シロウの悲しむ所なんて見たくなかった!

大好き················なんだもん························大好きだから、シロウを独りきりになんてしたくなかった!

だから···························忘れて、欲しかった·················欲しかった、のに··················」

 

 

イリヤは崩れ落ちるように膝をついた。

嗚咽を我慢するみたいに、口元を両手で押さえている。

けど、そうじゃない。

イリヤが口を押さえている理由は、この先の言葉は口にしてはならないと分かっているからだ。

しかし、一度堰を切って溢れ出した感情は止められない。

今にも掻き消えそうな声で、イリヤは言葉の続きを紡ぎ続ける。

 

 

「嬉しい、の···················いけないって、分かってるのに···················忘れて貰わなきゃ、いけないのに·························胸が張り裂けそうなぐらい嬉しくて、辛い、よ····························」

 

 

「っ·········································」

 

 

もう、限界だった。俺はイリヤの元へと駆け寄って、その華奢な身体を抱き締める。

───────冷たい。

抱き締めた時の感触は雪のように冷たくて、今にも溶けて消えてしまいそうだった。

イリヤは俺の胸の中で、嗚咽を零して泣きじゃくる。

降り注ぐ雪から守るように、俺はより一層深くイリヤの身体を胸に抱き締めた。

無限に引き伸ばされた、刹那の時間。

純白の世界で俺達は重なり合う。

鼓動が遠い。重なり合い触れ合った冷たい身体からは、心臓の鼓動を感じる事が出来なかった。

まるで、雲を掴もうと手を伸ばしているかのよう。

見えているのに届かない。届いているのに触れられない。

─────近いのに、こんなにも遠い。

その事実に、今にも叫び出したくなった。

喉を枯らし我を忘れ何もかも投げ出し身体を構成している細胞の全てが潰れるまで。

だが、イリヤを不安がらせる訳にはいかなかった。

─────どれだけの時間が、経過しただろう。

一瞬だったかもしれないし、永遠だったのかもしれない。

 

 

「·······························暖かい。懐かしい、シロウの匂いだ」

 

 

「·················································」

 

 

「ありがとう、シロウ」

 

 

「俺の胸ぐらい何時だって幾らでも貸してやる。

何度でも何度でも。イリヤの、気の済むまで、さ」

 

 

「うん······························けど、大丈夫。わたしにもやるべき事が、しなくちゃいけない事が出来ちゃったから」

 

 

そう言うと、イリヤは俺の身体を離れて立ち上がった。

もう目尻に涙は残っていない。

紅の瞳に強い輝きを宿して、俺を真っ直ぐ見据えている。

 

 

「─────シロウ。わたしも、シロウに伝えたい事があるの」

 

 

「······························ああ、どんな?」

 

 

激情を押し留め、出来るだけいつも通りに装ってイリヤの言葉を受け止めようとする。

イリヤは深呼吸をしてから、しっかりとした口調で言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「─────わたし、シロウの事が好き。

シロウと離れたくない。ずっと、一緒に居たい。

シロウの魔力が切れたら二人共消えちゃうのだとしても、それでもずっと、シロウの傍に居たい··················!」

 

 

イリヤの言葉を受け止めて、俺は笑みを浮かべた。

嬉しかった。俺とイリヤの心が通じていて、嬉しかった。

イリヤが口にした、俺の魔力が消えれば俺とイリヤ、二人共消えてしまうというのは真実だ。

元々、この世界はとうの昔に滅んでいる。

その上に固有結界を重ねただけの世界だ。

衛宮士郎の生死は不明だが、奴の固有結界が既に瓦解している以上、この世界が消えたら俺とイリヤは消滅してしまう。

要は前述の通り、タイムリミットは俺の魔力が切れるまでという訳だ。

─────そして、その時は刻一刻と迫っている。

俺の固有結界の至る所に、細かい亀裂が走っていた。

亀裂は放射線状に広がっており、パラパラと剥離した欠片が雪に混じって落ちる。

魔力が切れ始めているのだ。

 

 

「っ·································」

 

 

ぐらりと身体が地面に倒れ込む。

見ると、両手の指先が薄く透けていた。

手のひらをかざすと指先を通してでも向こうの景色が見える。

魔力切れ。世界の崩壊と同時にこの身も消滅するだろう。

─────だが、悪くない幕引きだ。

イリヤと共にこの旅を終えられる。

それは俺にとって、最高の終わりに違いないのだから。

 

 

「シロウ································!」

 

 

「大丈夫。少し、立ちくらみがしただけだ。

それより、私から離れるなよ。上から落ちてくる破片に当たると怪我をするかもしれないからな」

 

 

地面に座り込んだまま、俺はイリヤに腕を広げた。

怪我をするからなんていうのは口実で、本当の所はイリヤを抱き締めたかっただけだ。

もう最後になるだろうから、それぐらいのわがままは許されて然るべきだ、と。

しかし───────

 

 

「っ、!?」

 

 

イリヤは俺の元まで歩いてくると、俺の頬に両手を添えて自身の唇を俺の唇に触れさせた。

突然の行為に目を丸くしたのも束の間、

 

 

「これ、は········································!?」

 

 

身体が、燦然と輝く黄金の光に包まれる。

地面には魔法陣が走るように展開されていた。

呆然と魔法陣を見ている俺にイリヤは、

 

 

「──────お別れだね、シロウ」

 

 

穏やかな、しかし寂しげな表情でそう言った。

 

 

「待て、お別れってどういう事だイリヤ·····························!!?」

 

 

「本当は、シロウと一緒に居たかった。でも、やっぱりそのわがままにシロウを巻き込む訳にはいかないもの。

わたしにシロウを助ける力が残っているなら、やっぱり守ってあげなくちゃ」

 

 

そう言って、イリヤは俺から遠ざかっていく。

物理的な距離じゃない。存在として、遠ざかっていく。

─────止めなくてはならない。イリヤを独り残して、俺だけ助かるだなんて出来るわけが無い。

そう思い、立ち上がろうとした俺をイリヤは制した。

首を横に振り、華のような笑顔を浮かべて。

 

 

「──────シロウ、言ったよね。

わたしに胸を張って誇れるような自分になるって。

シロウには、まだ果たさなきゃいけない『約束』があるでしょ?レディとの約束を疎かにする男の子は、わたしゲンメツしちゃうんだからねー」

 

 

イリヤは楽しそうにクスクスと笑う。

──────それでも、止めたかった。

例え幻滅されてもいい。

俺はイリヤを独りになんて、したくなかった。

今までずっと独りだったイリヤをどうしてまた独りきりにする事が出来る?

俺には出来ない。

イリヤを独りこの世界に残すぐらいなら、俺はこのままイリヤと共に消えてしまった方が良い──────

 

 

「ううん、もうわたしは独りなんかじゃないよ。

だって、知ってるもん。わたしが託したものがシロウの中に残ってるって。今の時間は二度とない『奇跡』で成り立っているものだから、わたしとシロウはもう会えないけど、それでもシロウの中でわたしは生き続ける。

──────シロウの中で、夢を見続けていられる。

それはね、きっと幸せな事だと思うんだ」

 

 

「ッ························································!!!!」

 

 

止めたかった。

止めたかった。

止めたかった。

─────けど、止められなかった。その表情があまりにも幸せそうだったから、止められなかった。

俺は俯き、込み上げてくる激情に歯を食いしばる。

そんな俺を慰めるように、イリヤは俺に向かって手を伸ばし、先程俺がやったみたいに抱きしめる。

ただそれだけの行為だというのに、妙に心が落ち着いた。

傍から見たら恋人というよりは姉弟に見えただろう。

お姉さんに慰められる弟。

その関係だけは、やはりいつまで経っても覆せないみたいだ。

 

 

「──────時間、か」

 

 

イリヤ達を見送った時と同じ光の帯が天蓋を貫いている。

漏れ出した光芒が純白の世界を照らしあげ、落ちてくる雪を星屑のように輝かせていた。

 

 

「イリヤ」

 

 

「なに、シロ·································ん······················」

 

 

イリヤの唇に、俺は自分の唇を重ね合わせる。

イリヤがしたような軽く触れるようなキスでは無い。

深く。熱く。溶かすような口付け。

交錯は10秒にも及んだ。

ややあって、唇を離す。微かに息を乱し、頬を朱に染めるイリヤに俺は悪戯っぽく笑いかけた。

 

 

「先程のお返しだ。君にやられてばかりでは兄として、恋人として示しがつかないだろう?」

 

 

「む~弟のクセに生意気··································」

 

 

膨れつらを作るイリヤを、再び抱きしめる。

イリヤは嬉しそう喉を鳴らして、

 

 

「ね、シロウ」

 

 

「なんだ?」

 

 

「これでわたし達はお別れ。わたしが人であり貴方が英霊である以上、もう会う事は無いかもしれない。

けど、絶対にわたしは諦めない。いつか必ず、シロウを迎えに行くんだから。その時は───────」

 

 

「──────ああ。また、恋をしよう。

今まで一緒に居られなかった分、永遠の恋をしよう。

だから忘れない。俺は君の事を、絶対に忘れない。

忘れてなんか、やるものか············································!」

 

 

──────イリヤの姿が光に溶けていく。

光で何も見えない。

声は届かずなにもきこえない。

俺の声は、きちんと届いていただろうか。

それを確かめる術はもうない。

しかし、俺は咲き誇る光の中で確かに聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

───────うん!約束だからね、シロウ!

 

 

 

 

 

 

 

遠い日の約束。

俺達はあの約束があったから、再び巡り逢えた。

─────だからきっと、次に逢う時も。

今交わした約束が(しるべ)となって俺達は再び出逢い、永遠の愛を謳うのだ。

それは、俺達を繋ぐローレライ。

独りきりで寂しいから歌うんじゃない。

また逢いたいと願うから、共に2人、同じ夢を歌うのだ。

意識は光へと落ちていく。

胸に残った約束の重みを感じながら、俺は静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢

 

 

 

 

 

 

 

 

─────Ich weiß nicht, was soll es bedeuten,

Daß ich so traurig bin;

Ein Mährchen aus alten Zeiten,

Das kommt mir nicht aus dem Sinn.

 

 

Die Luft ist kühl und es dunkelt,

Und ruhig fließt der Rhein;

Der Gipfel des Berges funkelt

Im Abendsonnenschein.

 

 

 

Die schönste Jungfrau sitzet

Dort oben wunderbar

Ihr gold’nes Geschmeide blitzet,

Sie kämmt ihr gold’nes Haar.

 

 

 

Sie kämmt es mit gold’nem Kamme,

Und singt ein Lied dabei;

Das hat eine wundersame,

Gewaltige Melodei.

 

 

Den Schiffer im kleinen Schiffe

Ergreift es mit wildem Weh;

Er schaut nicht die Felsenriffe,

Er schaut nur hinauf in die Höh’.

 

 

Ich glaube, die Wellen verschlingen

Am Ende Schiffer und Kahn;

Und das hat mit ihrem Singen

Die Lore-Ley gethan──────────

 

 

 

 

 

 

 

 




終局『ローレライ』、いかがだったでしょうか。
今回の後書きは次回のエピローグに回します。この話と同時に投稿しておりますので、そちらもよろしくお願いします!



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