【完結】幕間の物語 『贋作者と魔法少女/夢幻虚構結界:冬木』   作:耳 a.k.a 腐れケバブ

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止まらないスランプと戦い続けて暫く。
ようやく書きあがりましたよ第5話。
今回もどちらかというとイリヤ回です。
途中からもうごっちゃごちゃになりながら書いてたのでおかしな点多いと思われますがお許しを··········ガクッ(力尽きた)



第四節『曖昧な距離感』

─────剣戟、夜気を裂く。

空虚に響く慟哭は獣の断末魔。耳障りな響きは雨音のように重なり合い、重低音となって醜く耳朶を犯した。

酷く醜悪な獣の達の大合唱は、神経を逆撫でる。

まるで、終わらない悪夢を見ているかのようだった。

どこまでも続く獣の慟哭。それはまるで泥の中にいるかのように息苦しく、呼吸をする度に喉にへばりついてくる。

だが、この程度の戦場は未だ稚拙だ。

本物の地獄はこんなものじゃない。奴らはキャスターが異界から召喚した傀儡に過ぎない。

視界を染める赤も、噎せ返る程の鉄の臭いも、殺した人間の甲高い絶叫も何も無い。

意思を感じない空洞の瞳が俺を射抜いている。

スケルトンが振りかざした曲刀(シミター)を弾き飛ばし、返す刀でその首を断ち斬った。

間髪入れずに放たれる矢を最低限の動きだけで回避し、矢を放ったスケルトンに向かって莫耶を投擲する。

トン、という軽い音を立ててスケルトンの脊椎が断ち切られ、無惨に庭に転がった。

空から襲ってくるワイバーンは弓で撃ち落とし、その隙に地上から攻めてくる竜牙兵とスケルトンを斬り飛ばす。

その一連の流れを、既に10分程繰り返していた。

斬り捨て、射ったエネミーの数は既に200は下るまい。

キャスターは召喚に意識を割いているため、未だ直接仕掛けてくる事は無さそうだが──────

 

「キリがないな、これは」

 

斬っても斬っても召喚されるのではキリがない。

しかも撃破する速度より召喚される速度の方が僅かに上回っているときた。幾ら余裕があるとはいえ俺も無限に戦える訳では無い。消耗戦になれば先に尽きるのは自明の理だ。

 

「──────散弾(ショット)!!!」

 

僅かに離れた場所で、幾条もの桃色の閃光が弾けた。

イリヤが上空から放った魔力砲だった。

散弾の如く拡散して放たれた魔力砲はエネミーの群れの中へと突っ込み、小爆発を起こす。

 

《見事ですイリヤさん!いやー空から敵の群れを容赦なく殲滅とか魔法少女らしくなってきましたねー!》

 

「こ、これ魔法少女らしいの···········?」

 

《勿論です!さあ、ドンドン間髪入れずにやっちゃいますよー!》

 

上空を飛行するイリヤまではスケルトンや竜牙兵の攻撃は届かない。しかし──────

 

《イリヤさん上です!!ワイバーンが来ましたよ!》

 

「きゃあ!」

 

空を飛ぶ特権は魔法少女だけのものでは無い。

空を駆る青色の翼竜は突如として空に現れた異物に対し、怒りの咆哮を上げた。

 

「ふぉ·············砲撃(フォイア)!!!!」

 

散弾とは打って変わった、一条の極大の魔力砲がワイバーンの体躯を撃ち抜く。撃ち落とされる翼竜。

しかし─────上空を旋回するワイバーンの数は一体だけでは無い。猛りは三度。三対の巨大な尖爪がイリヤの華奢な身体に向かって、猛然と振るわれた。

 

「ふっ─────!」

 

「や─────!」

 

ワイバーンを撃ち落としたのは青色の魔力砲と、黒と白の夫婦剣だった。魔力砲が美遊、夫婦剣はクロのものだ。

 

「················あまり前に出るなと忠告したはずなのだが」

 

「籠城してるだけじゃつまんな〜い。わたしガッチガッチの近接タイプだし。それにアナタだけだと削りきれないでしょ?この数。ここは素直に手を借りておきなさいな」

 

「全く、呆れたものだ。仮にもアーチャーを名乗るなら遠距離からの狙撃等に努めた方がらしいのではないかね?」

 

「その言葉、そっくりアナタにお返しするわ!!」

 

軽口を叩きあいながら、波状となって襲い掛かってくるエネミーをクロと共に斬り飛ばしていく。

上空のワイバーンは空を飛べるイリヤと美遊が次々と撃ち落としているのが見える。

このままいけば後少しでキャスターへと辿り着けるだろう。気になる点があるとすれば─────キャスターのあの禍々しい雰囲気だ。明らかに劣化版のシャドウサーヴァントではない。

そう、アレではまるで『狂化』だ。

理性を無くす代わりに基礎ステータスを底上げしている?

いや、何かが引っかかる。そもそも俺はアレと似たようなものをどこかで見た覚えが─────

 

「──────いや、分析は後だ」

 

まずは、この邪魔な壁を破らなくてはなるまい。

 

「くっ··············キリが無いわね」

 

「ああ、幾ら雑兵とはいえあれ程の規模となるとやはり細々と削るだけでは足りないな。ここは一つ、思いきってデカイのをぶつけてみるとしよう。君は一度下がっていたまえ。あまり近付かれると危険だ、爆風に巻き込んでしまうからな」

 

告げて、漆黒の洋弓とドリルのように螺旋を描く黄金の剣を投影する。

 

「──────分かったわ」

 

それだけで何をするのか悟ったのか、クロは短く頷いてから数歩後ろへ下がった。

その間にも奴らは波状に距離を詰めてくる。

薄汚れた骨同士がぶつかり合って、ガチャガチャと五月蝿く耳障りな音を立てていた。

──────その中心に瞳を絞る。

左手に洋弓、右手には螺旋剣。

右手に持った螺旋剣を、漆黒の洋弓に番える。

 

「─────体は剣で出来ている(I am the bone of my sword)

 

ライダーの時と同じである。違うのは、狙いを定める必要が無いという事。この距離ならば外す道理はない。

番えた『矢』を引き絞り、放つ。

しかし、ただ矢を当てるだけではこの壁は崩せない。

崩すには──────もっと分かりやすい破壊力をもって、真正面から砕ききる事が手っ取り早いだろう。

壊れた幻想(ブロークンファンタズム)』。

簡単に言ってしまえば魔力の詰まった宝具を爆弾として相手にぶつけるものだ。無論、普通の英霊は自分の武器を捨てるような真似はしないため使う事は極稀であるが─────俺は己の特性上、その制限から解き放たれる。

放たれた矢は黄金の軌跡を刻みながら壁の中心へと突き進む。

 

「─────────爆ぜろ」

 

瞬間、黄金の閃光が網膜を焼いた。

弾ける閃光に溶かされるかのように、奴らの姿が掻き消されていく。遅れて、轟音と爆風が身体を叩いた。

もちろん加減はしている。ここで加減無しの『壊れた幻想』を使用してしまえば屋敷にダメージを与えてしまうし、何よりこの距離では俺もタダでは済まない。

 

「ふ──────!」

 

エネミー達が消滅した今、道を塞ぐものは何も無い。

一直線にキャスターの元まで疾駆し、キャスターの身体の前で交差させるように干将と莫耶を振り下ろした。

キャスターの身体を深々と斬り裂いた確かな手応え。

しかし───────

 

「ちっ、転移による変わり身か··········!」

 

「っ、上よ!!」

 

クロの声に弾かれたように顔を上げる。

月を背負うようにして上空に佇むキャスター。

キャスターの用いる神代の魔術はその全てが現代の魔術師には到底扱う事の出来ない代物だ。

頭上を取られたのはかなり痛い。

─────だが、キャスターの行動は俺の予想と反していた。展開される魔法陣。そこから··········再び傀儡が召喚され、降り注ぐ。

 

「なに·············?」

 

不可解だ。頭上を取ったのならばそのまま頭上からキャスター自身が魔力砲なりなんなりで攻撃すればいい。

なのにどうして、わざわざ傀儡を召喚した?

いや、今思えばどうして奴は俺達を直接攻撃せず、傀儡の召喚にずっと専念していたのだろう。

キャスターの技量ならば、ある程度の数の傀儡を召喚しながらの魔術行使ぐらいやってのけるはずだ。

それなのに、何故───────

 

「··············何か他に目的があるのか?いや、しかし」

 

俺達を始末する事以上の目的なんてそうそう無い筈だ。

··········今は考えても仕方が無い。

キャスターが上空へ移動してくれたのならこっちにとっても好都合だ。地上でない以上、邪魔はワイバーンのみとなる。

 

「いざという時に囲まれたら厄介だ。君は地上のエネミーを出来る限り斬り捨ててくれ。私はキャスターを追撃する」

 

「分かったわ。けど、また随分な数ね。アイツの魔力は無尽蔵なのかしら」

 

「幾ら魔力があった所であんな無駄な使い方をしていては脅威になり得ない。············こちらとしては有難いが、やはり解せないな」

 

「解せないって··········何が?」

 

「いや、何でもない。とにかく、君は降り注いでくる傀儡達を始末していけば良い。くれぐれも無茶だけはするなよ」

 

「分かってるって。もう、お兄ちゃんは心配性だなぁ。そんなに妹の事が大事?」

 

「················もう兄云々には突っ込まないぞ。私はただ、君達に負傷でもされたら困るだけだ。不利益を被るのが私なら、釘を刺しておくのも当然の事だろう」

 

はいはい、と適当な調子で流すクロに嘆息しつつ、俺は上空を睨む。ローブを猛禽の翼のような形状に変えて飛翔するキャスターは、周囲にワイバーンを召喚して自分を守らせているようだ。その数、70は下るまい。

何体かのワイバーンが一直線にこちらへ向かってくる。

イリヤ達がステッキを構えようとしたが、片手でそれを制した。

 

「全く、手間をかけさせてくれる···········!」

 

先頭のワイバーンに向かって跳躍。

背中に飛び乗るとそのままワイバーンからワイバーンへ、八艘飛びの要領で上空へと跳んでいく。

上空にいる敵ならば弓で撃ち落とせば良い。

しかしキャスターには転移があるため、有効ではない。

だがそれは─────転移がくると分かっていれば、何も問題ない事だ。

 

「──────投影(トレース)開始(オン)

 

周囲に剣を20本程投影し、それを一斉に射出する。

狙いはキャスターではなくワイバーン。

ワイバーンが怯んだ事により空いた間隙に身を踊らせ、キャスターに向かって先程と同じように猛然と斬りかかる。

空虚な手応えを無視し、即座に地上を睨んだ。

─────居た。転移する事が分かればどこに現れるか察することは難しい事ではない。

夫婦剣によって断たれた抜け殻を蹴り飛ばし、俺は再び漆黒の洋弓と螺旋剣を投影する。

そしてキャスターに向けて射ろうとして、

 

 

 

──────待て。奴は、何処を見ている?

 

 

 

「·······························」

 

キャスターは今、この瞬間に自身の命を狙っている俺の事を見ていなかった。迎撃はおろか回避する素振りも見せず、俺の後方をローブに隠れた虚ろな眼差しで見据えている。

俺の後ろには確か─────イリヤと美遊が居た筈、だ。

弾かれたように後方に振り返る。

夜空の下。魔法少女の装いに身を包んだイリヤと美遊の姿が視界に映り込む。

──────異変はそのまた更に後方。

ただでさえ深く暗い闇が、禍々しく歪む。

『ソレ』は、影のように無音でイリヤへと近付いていった。

空気の揺らぎすらない完璧な奇襲。

イリヤや美遊、それどころかルビーとサファイアですらその『影』の接近に気付いていない。

 

「くっ───────!!」

 

足元に大剣を投影し、それを足場にして脚が砕けんばかりに強く跳躍する。もはやそれは飛翔に近い速度だ。

イリヤと美遊は唐突に自分達に向かってくる俺に、目を見開いて固まっている。

──────夜闇に白の髑髏が嗤う。

その『影』の正体はアサシン(・・・・)だった。

黒く薄汚れた装束から伸びる黒腕は恐ろしく華奢だが、程よく鍛えられている事が窺える。

その、少女の細首ぐらいなら簡単にへし折るであろう黒腕が·········イリヤの白い首にあてがわれようとしていた。

 

 

 

 

「ッ──────!!!!!」

 

 

 

 

身体を支配していたのは焔。

身を焦がす熱が、全身の血管を駆け巡る。

俺が今感じている感情、それは間違いなく怒りだった。

視界で火花が散る。強く噛み締めた歯がギリ、と軋んだ。

溶けるように流れる視界を置き去りにして、アサシンの手が届くよりも早く疾駆する──────!

 

「───────!」

 

アサシンが猛然と疾駆する俺に反応を示した。

俺を視認した瞬間、イリヤに伸ばそうとしていた手を引っ込めてどこからともなく漆黒の投擲剣(ダーク)を取り出した。

閃く短剣。首元を狙って放たれたその一撃を、俺は最小限の動きだけで回避する。

頬を微かに短剣が掠ったのか、赤い飛沫が虚空に散った。

退避行動を取ろうと虚空を蹴るアサシン。だがそれよりも速く干将がアサシンの痩身を斬り裂くだろう。

─────しかしその寸前、直ぐ近くで何かが揺らいだ。

 

 

「あ························」

 

今度はイリヤも気付いた。いや、気付かないはずがない。

なんせ転移したキャスターがイリヤの目の前に出現し、その冷たく白い手をイリヤに向かって伸ばしていたのだから。

 

 

 

「ッ、イリヤ(・・・)──────!!!!!」

 

 

 

奴の狙いはイリヤだ。今度はアサシンを踏み台にして、俺はキャスターに向かって跳躍する。

─────いや、キャスターとイリヤの前に割り込む事は既に間に合わない。

ここからならイリヤを先に···············!

 

「きゃっ!?」

 

イリヤの口から小さく悲鳴が上がる。

キャスターの手が触れる直前に、俺がイリヤの身体を抱くようにして受け止めたからだ。

キャスターが錫杖を構える。

そして人のものでは無い術式を口ずさみ──────零距離から魔力砲が散弾の如く撃ち出された。

 

「っ、ぐ··············!!」

 

「ひゃ················」

 

身体を捻って回避行動を取るが、全弾回避は不可能だ。

高密度の魔力砲が背中を叩く。

甲高い音が耳朶を打ち、身体が大きく軋んだ。

口の中に充満する鉄の味。

しかし、幸い致命傷ではない。

このまま戦闘を続行しても何も··············

 

 

 

 

 

──────ヒュン。

空気を裂いて何かが飛翔する音がした。

咄嗟に俺はその音がした方向からイリヤを遠ざけ、代わりに自分の身体を滑り込ませる。

トン、という軽い音が立て続けに五度ほど発生した。

発生源は他でもない俺の身体だ。

視線を自身の身体に落とすと右脇腹を中心に、アサシンの投擲剣(ダーク)が刺さっているのが見えた。

じわり、じわりと広がっていく鮮烈の赤。

 

「───────曲芸は終わりだ、三流」

 

イリヤを抱いたまま、俺はアサシンに向かって刃を振り下ろす。短剣によるダメージは無視した。

虚空に純白の軌跡を描いた莫耶がアサシンの胴体を中心から断ち切る。数瞬遅れて、分かたれた半身から血のようなドス黒い液体が溢れ出した。

 

「─────────」

 

キャスターが機械的な、冷酷さを孕ませた瞳で俺達の事を見下ろしている。一瞬、俺を睨みつけたと思ったらその姿が蜃気楼に烟るかのように掻き消えてしまった。

──────静寂が訪れる。

まるで、先程までの戦闘が嘘だったかのようだ。

 

「二人とも、無事!?」

 

慌てた様子でこちらへ走り寄ってくるクロと美遊。

2人は俺の姿を見た瞬間に息を呑んだ。

イリヤは何が起こったのか分からないという様子で、抱かれたまま呆然と俺の顔を見上げている。

しかし傷が目に入ったのか、

 

「················その、傷」

 

イリヤの震えた声がすぐ間近で聞こえてきた。

その声に何か反応を返す前に、視界がぐにゃりと飴細工のように歪んだ。出血によるものでは無い。

これは───────毒、か。

恐らく短剣の先にでも塗られていたのだろう。

睡魔にも似た意識の侵食に飲み込まれていく。

狭窄する視界は既に半分以上が闇の中にあった。

 

「全く·············迂闊だった、な」

 

情けない事に、これ以上は意識を保っていられない。

もはや、立っているのか倒れているのかすらも曖昧だ。

 

 

 

「·············!──────!!!!」

 

 

 

意識を失う寸前、誰かが俺の名前を必死に叫んでいる声だけが聞こえていた。その声に応えることが出来ない事に忸怩たる思いを感じながら──────泥の底に、沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

「──────いつまでも落ち込んでるんじゃないわよ。言ったでしょ、英霊がこの程度の毒で死んじゃう事は無いって」

 

「··························」

 

武家屋敷のとある一室にイリヤ達は居た。

部屋の中心に敷かれた布団をぐるりと囲むようにイリヤ、美遊、クロは座っている。

その布団に寝かされているのは────褐色の肌と白髪を持つ長身の男性だった。

髪をオールバックに撫で付けている戦闘時とは違い、今は髪を下ろして赤い外套も外している。

額には濡らしたタオルが乗っていて、毒による弊害かその寝顔は少し苦しそうだった。

ルビーが投与した解毒剤(?)のおかげで最初よりは顔色も良くなっているものの、未だ全快までは遠そうだ。

 

「················死なないから落ち込むな、なんて無理に決まってるじゃない。この人はわたしを庇って、こんな事になっちゃったんだよ?」

 

「だからこそ、でしょう。どうして彼が身を呈してまでアナタを必死に守ったか、分からない?ふん、自分が守った相手にそんな顔をされるぐらいなら彼はアナタの事を守るべきじゃなかったわね」

 

「ッ·················!!」

 

「クロ、そんな言い方···············!」

 

「甘やかしてもしょうがないでしょ、ミユ。いい?またわたし達は彼に助けられたのよ。わたし達はアサシンの接近に気付く事が出来なかった。もし彼が助けに来なかったら後ろを取られていたイリヤとミユ············わたしだって、アサシンに殺されていたかもしれない。ここで甘やかす事は誰の得にもならないわ。今わたし達がすべき事は落ち込む事じゃない。彼が戦えない今、どうやってこの屋敷を守っていくか、よ」

 

「·······················」

 

それは痛い程に分かっている。

今の自分達は完全に実力不足だった。

カルデアに来てから直ぐにこの世界に飛ばされたため、本来なら受けるはずの霊基再臨というものを一度しか受けていない故だ。もちろん経験も少ない。あんな混戦になったのは初めての経験だし、あの中で高ランクの気配遮断スキルを持つアサシンの接近に気付けなど無理な話だ。

 

《イリヤ様を責めるのはその辺に。元はと言えばアサシンの接近に気付かなかったステッキにも責任があります》

 

《サファイアちゃんの言う通りです。黒化英霊の時も飛んできた短剣にヒヤリとさせられましたが············今回のは段違いでしたねぇ〜。全く気が付きませんでした。今まで戦ってきた英霊が黒化したダウングレード版だって事を思い知らされましたよ〜とほほ················》

 

いつも通りふざけた口調だが、ルビーなりに事を深刻に受け止めているらしかった。

 

《けど、クロさんの言う事ももちろん正解です。このままエミヤさんに頼ってばかりいてはダメですよ?いつどんな時でも彼が傍に居るという事はありませんし、何よりエミヤさん自身が壊れちゃいます》

 

「······················うん」

 

クロの言葉もルビーの言葉もこれ以上無いぐらい正しい。

だから─────これ以上、彼が傷つく事が無いようイリヤ自身が、しっかり戦わなくちゃ。

 

「イリヤ················」

 

「大丈夫だよ、ミユ。クロやルビーの言う通りだよね。わたしもしっかりしなきゃ。─────けど、もう少しだけここに居たいの。この人はわたしを守って傷を負ったんだから、目覚めるまで傍に居るのは当然でしょ?」

 

「···················ま、良いんじゃない。タオルの交換係も必要なんだし」

 

そう言って、クロは欠伸を洩らす。

時刻は深夜の1時を回ろうとしていて、イリヤも気を抜けば瞼が落ちそうなぐらい眠たかった。

 

「───────って何してるの、クロ?」

 

「何って、眠いから寝るんじゃない。それじゃ、タオルの交換係しっかりやんなさいよね、おやすみ♡」

 

「何でちゃっかりお兄···········じゃなかった、エミヤさんの布団に入ろうとしてるの退きなさい!!」

 

「ええー良いじゃないの別に。減るもんじゃないんだし。というか、さっきアナタも一緒に寝てたじゃない。しかも膝枕で」

 

「う···························」

 

ボン、と音が鳴りそうなぐらい赤面する。

あの出来事は嬉しかったけど恥ずかしくて、あまり思い出したくはなかったりする。

 

「クロ、そこまで。あまり騒いでいるとエミヤさんが起きちゃう。念のためルビーが解毒用の薬を投与したけど、安静にしておくに越した事はない」

 

「はいはい。ミユはお固いなぁ、もう」

 

ちぇー、と不満そうに唇を尖らせたクロがもぞもぞと布団の中から這い出してくる。

事実、少しだけ彼の表情が苦しそうだったからだろう。

幾らルビーの薬を投与したとはいえ、あれだけ強力な毒を貰ってしまえば苦しそうにしているのも仕方がない。

 

「それじゃあわたしは部屋に戻るけど··············ミユはどうするの?」

 

「·················わたしも、ここに居る。アサシンの接近を許してしまったのはわたしの責任でもあるから」

 

「ミユ·················」

 

「ま、好きにしなさいな。あんまり人が居ても迷惑だろうし、わたしは自分の部屋で大人しくしてますよっ、と」

 

そう言いながら、クロは部屋の外へと出ていこうとする。

クロは出ていく直前に一瞬だけ彼に視線を向けると、

 

「───────全く、寝てる時は素直なのにね」

 

微笑を浮かべて、そんな言葉を残していった。

 

 

 

 

 

 

やる事は極めて単純だった。時折、額に乗せられた濡れタオルを交換したりタオルで汗を拭き取ったり。

症状はルビー曰く、凄く辛い熱のようなものらしい。

苦しげな吐息が漏れている。

その声を聞いている度、胸が張り裂けそうだった。

そんな心を落ち着かせるように、わたしは濡れたタオルでそっと汗を拭った。

 

「サファイア、容態はどう?」

 

《今が毒のピークと言ったところでしょうか。ここを乗り切ってしまえば問題ないかと》

 

《マスターがいれば魔術礼装での解毒が可能なんですけどねえ············ま、そこは無いものねだり。イリヤさん、今出来る事はやりましたし、お休みになられては?》

 

「················ううん。今が一番辛い時なら、尚更傍に居ないと」

 

イリヤはそう言って、頬を伝う汗をそっと拭う。

ミユもその気でいるのか、無言で額のタオルを取り替えていた。

 

「·················少し、落ち着いてきた?」

 

あれから2時間は経過しただろうか。

苦しげだった表情が僅かに緩和されている。

戦闘から約4時間·············流石は英霊、といった所だろう。彼がくらった毒を考えれば、普通の人間ならこんな短時間での解毒なんて不可能だ。

 

「良かった··············」

 

ミユが心の底から安堵の息を漏らす。

ミユがここまで自分の気持ちを出すのは珍しい気がする。

─────そういえば、ミユは自分の兄が衛宮士郎(お兄ちゃん)に良く似ていると言っていた。

···········ひょっとすると、ミユもわたしと同じように自身の兄と彼を重ねているのかもしれない。

そんな事を考えていると、コテン、と唐突にミユの身体が倒れた。

 

《おや、流石に限界だったみたいですねえ〜》

 

《はい。ゆっくり寝かせておいてあげましょう。イリヤ様はお休みになられなくともよろしいのですか?じき夜明けです。これ以上はお身体に触るかと》

 

「うん················」

 

《イリヤさん?心配なのは分かりますけど、それでイリヤさんが倒れてしまっては逆効果も良いところです。今日はもうお休みに··············》

 

「そう、だね·············じゃあ最後にタオルだけ取り替えてから──────」

 

 

 

 

「いり、や─────────?」

 

 

 

彼が、わたしの名前を呼んだ。

わたしは弾かれたように意識は変わらず深く落ちたまま。恐らく、無意識の内に洩れた囁きなのだろう。

伸ばされた彼の手はここに居ない『誰か』を探すかのように畳の上を這っている。

まるで今までそうしてきたとでも言うかのように、わたしと同じ名の少女の事を、探し続けている。

──────見て、いられなかった。

張り裂けそうな心が訴える。

放ってなんかおけない。

この人を─────救いたい、と。

 

「───────ここに、いるよ」

 

けれど今は、気を紛らせる事しか出来ない。

伸ばされた彼の手に、そっと自分の手を重ねた。

─────たくさんの見えない傷を負った手。

傷付いて、傷付いて、傷付いて。

それでも剣を握る事を止めなかった彼の人生。

その果てに得たものが、この手だったとしたら。

 

「·······················」

 

それは、なんて─────悲しい事なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「っ····················ぐ」

 

泥の底から浮上する。覚醒直後、真っ先に感じたのは鉛のように重い倦怠感だった。

ずぎん、と軋むこめかみ。どくん、どくん、どくんと心臓の鼓動が五月蝿く響く。

全身を伝っていく汗が気持ち悪い。

魔力の循環にも不純が見られ、明らかに異常だった。

靄がかった頭で何があったのか、記憶を反芻する。

 

「っ、そうか············そうだったな。私はアサシンの短剣をくらって、そのまま───────」

 

そう、倒れたのだ。イリヤを庇って通常の人間ならば充分致死量足り得る毒が塗られた短剣を受けた俺はそのまま地面に倒れた。その後の記憶は混濁していて確かではないが、どうやら悪運強く生き残ったらしい。

布団に身体を横たえたまま自身の身体の容態を観察する。

 

「っ、これは···············完全に毒が抜けきるまで少々かかりそうだな。何か投与されたのか解毒の速度自体はかなり早いが、アサシンの毒がそれ程強力だったという事か。全く、去り際だというのに余計な真似をしてくれたな」

 

────何をとぼけた事を。イリヤを庇うという余計な真似をしたのは、俺自身だというのに。

 

「···············彼女達は、無事なのか?」

 

重い上体を無理に起こし、立ち上がろうとする。

すると、何か白いものがパタリと布団に落ちた。

拾い上げてみると、それは微かに湿ったタオルだった。

どうやら俺の額に乗っていたものらしい。

何だこれは?と不思議に思っていると──────

 

「················今度は君もか、美遊」

 

狭い畳み張りの室内で、2人の少女が寝息を立てていた。

イリヤと美遊。イリヤは俺の直ぐ真横で。美遊は僅かに離れた畳の上で眠っていた。

その近くには玩具みたいなステッキが無造作に転がっている。どうやらステッキも眠っているらしい。

ステッキの機能に睡眠まで組み込まれているとは、流石はキシュアのご老体が作った魔術礼装と言ったところか。

 

「···············時刻は10時か。完全に寝坊だな」

 

「──── 一本ですら致死量を余裕に超える毒を五本もくらっといてその程度で済む方がおかしいってば。おはよ、お兄ちゃん。起きたら妹が三人も周りに侍っているという妹ハーレムものの感想はいかがかしら?」

 

いつの間に部屋へ入ってきていたのだろう。

クスリ、と歳不相応の妖艶な笑みを浮かべたクロは、寝間着のままこちらへと近付いてきた。

 

「ふむ、それではお言葉に甘えてレビューを述べさせて貰おう。私からは一つだけ。こうなる前に止めてくれると助かる、とカスタマーセンターに伝えておいてくれ」

 

「む、意外とノリが良い反応。『私は·········君の兄ではない(キリッ)』みたいな感じで素っ気なく否定するかと思ったのに」

 

「君にそれを言っても無駄だというぐらい、いい加減にこちらも学習するさ」

 

「あら残念。アナタの困った顔、結構好きなんだけどなぁ。ふふ、それじゃあアナタが困りそうな事··········してみる?」

 

ちろり、と小さく赤い舌が唇を舐める。

蠱惑的なセリフと共にクロは四つん這いで部屋を縦断すると、クロは上体を起こしていた俺を押し倒した。

とす、と背中から布団に落ちる。

クロは俺の腹辺りにまたがり、布団に両手を着くと嗜虐的な笑みを浮かべてそのまま顔を近付けてきた。

唾液で湿った赤い唇が艶かしく光る。

トロン、と蕩けた瞳が妖しく揺らいで俺を見ていた。

はだけた寝間着から覗く褐色の肌に目を奪われる。

鎖骨から胸元にかけてのラインは芸術として賛美されてもおかしくないぐらい美しく、服を内側から極僅かに押し上げる2つの膨らみが悩ましい。

熱っぽく甘い吐息が首筋にかかる。

甘い香りが鼻腔を漂っている。

無抵抗の俺に気を良くしたのか、クロは髪の毛を耳にかけると、半開きになった蕾を思わせる唇を近付けてきた。

その仕草の艶めかしさが、彼女の本来の年齢を霞ませる。

普通の男性ならば、そういった趣味が無くとも籠絡されてしまいそうな危うさと艶めかしさ。

──────全く、こんな手練手管をどこで身に付けたのかは知らないが·················

 

「あっ·················!」

 

クロが短く悲鳴を上げる。

それもそのはずだ。先程まで組み敷いていたはずの俺に逆に押し倒されれば驚くのも無理はない。

 

「大人をからかうのも良いが············少々やり過ぎだったな、クロエ。いつまでも私が我慢しているとでも思ったか?」

 

「な、なな·············何をするつもり!?」

 

「今更何を言う。君から誘ってきたのだろう?

私を困らせる、か。なるほど、確かに君は狙い通りに私を困らせた訳だ。では、潔くその責任を取って貰うとしよう」

 

「ふぇ···············ひゃ!?」

 

クロの寝間着に手をかける。

ぴくん、と身体を反らせ、俺の手から逃れようとするクロ。しかし残念ながら逃げ場は無い。

 

「や、やめ···············んっ」

 

クロの寝間着のボタンを一つ外す。先程は微かに覗いていただけの美しい鎖骨が顕になる。切羽詰まったような様子のクロは、余裕のない表情で俺の事を睨みつけた。

 

「ちょ、ちょっと待って·············!さっきのは冗談で─────」

 

そんな言葉なんてお構い無しに、俺はクロへと顔を近付けていく。咄嗟にクロは目を瞑った。

内股に閉じた足は生まれたての子鹿のように震えていて、これから行われるであろう行為に対しての恐怖が窺える。

その表情を見た俺は満足そうに頷き、クロの顎に手を添えた。

 

「っ··················!」

 

クロが、いっそう身体を固まらせた。

閉じていた瞼によりいっそう力を込める。

抵抗が無いことをこれ幸いと、俺はクロの身体に自身の身体を重ね────────バチン、と思いっきり額を指で弾いた。いわゆる、デコピンというやつである。

 

「いったぁ!?」

 

いきなりの暴挙にクロが目を剥いた。

赤くなっている額を手で押さえて見悶えるクロを憮然と見下ろし、

 

「少しは落ち着いたかね?これに懲りたら二度と異性に対してこういう手は使わない事だ。仮に誘惑した相手が本気にしてしまった場合、実は冗談でした、では済まされないぞ。もっと自分の身を大事にしたまえ」

 

憮然とした態度でそう告げる。

──────実際、あの妖艶さでクロに迫られた男性は例えそっちの気がなくても引き込まれてしまうだろう。

ここはクロエの為にもビシッと躾が必要だ。

 

「··················うう、まさかこんな乱暴に押し倒されるなんて─────もうお嫁に行けない」

 

「先に仕掛けてきたのは君だろう·············とにかく、そういったハニートラップはせめてもう少し成長してからにしたまえ。くれぐれも大人をからかい過ぎないよう、注意しておくんだな」

 

「ぐぬぬ···················」

 

悔しそうに唸りながら、クロが部屋から出て行こうとする。

去り際に、

 

「············けどああやって責められるのも、悪くはなかったかも········って何言ってるのわたしっ!!」

 

俺には聞こえないぐらい小さな声で、クロはそんな事を口にしていた。ピシャリ!!と勢いよく障子が閉まる。

 

「んみゅ··········あれ···············?」

「ん、ここは·················」

 

障子を閉める音で目を覚ましてしまったのか、イリヤと美遊が上体を起こして不思議そうに辺りを見渡していた。

しかししばらくして昨日の記憶が蘇ってきたのか、僅かに頬を朱に染めてお互い顔を見合わせていた。

 

「···············済まない、起こしてしまったな」

 

「い、いえ!大丈夫です!お兄·············エミヤ、さんの部屋で寝ちゃってたのはわたし達だから···········」

あたふたと慌てふためきながらイリヤはそう言った。

実際に起こしたのはクロなのだが、それを話すとややこしくなるのでここは割愛しておこう。

 

「あの···········怪我の方は、大丈夫ですか?」

 

美遊が心配そうに問いかける。

イリヤの表情が明らかに強ばった。

··············嘘をついても仕方あるまい。ここは素直に今の現状を伝えておくべきだろう。

 

「───────そうだな。元より怪我は大した事ないのだが、毒の効果は未だかなり残っている。歩いたり多少なら走る事も出来るだろうが、少なくとも今日一日は戦闘はかなり厳しそうだ。魔術回路に少々澱みが発生しているからな。投影魔術の質も行使速度も遅くなっている上に身体も満足に動かせないとあっては、劣化した英霊とて俺の手には負えまい」

 

イリヤと美遊が沈黙する。容態としてはそこまで酷い訳では無い。ただ一日戦闘が難しくなるだけだ。そこまで表情を暗くする必要なんてないのだが────

 

「その、ごめんなさい···········わたしがアサシンに狙われていた事に気が付かなかったから、お兄·········エミヤさんはそんな怪我を負っちゃったんだよね」

 

「──────────」

 

「わたしも同じです。イリヤのすぐ傍にいながら、アサシンの接近に気が付くことが出来なかったから··········」

 

················なるほど。イリヤと美遊が先程から気まずそうにしていたのはそういう理由か。

しかし─────

 

「このタイミングでこんな事を言ってもただの慰めに聞こえるかもしれないが、君達に落ち度は無いよ。

アサシンの気配遮断は完璧だった。しかも初めは霊体化していたして君達の背後に回っていたみたいだからな。どうあっても気付く事など出来なかったさ。私はキャスターの視線が後方に向いていたから気が付けたが、そうでもなければ気付く事など出来なかった。─────長くなってしまったが、要約すると君達が気負う必要などない、という事さ。これは単にアサシンの短剣を弾けなかった私のミスだよ」

 

「で、でも貴方はわたしを庇って··········それで────」

 

「────────」

 

あの時の事は············じつはあまり覚えていない。

イリヤに危険が迫っている。その事だけが頭を巡って、気付いたら身体が動いていたのだ。

 

「─────でも、少しだけ嬉しかったです」

 

「む、嬉しかった·················?」

 

イリヤは妙な事を言う。あの状況でイリヤが喜ぶような何かがあったのだろうか?

心当たりがない故、俺は疑問符を浮かべる。

するとイリヤははにかむように笑いながら、

 

 

 

「名前·············イリヤって、呼んでくれたから」

 

 

「·························な」

 

そんな事────言ってない、よな?

予想外の言葉に俺は分かり易く狼狽する。

きっと今の俺はさぞかし間抜けな面を浮かべているに違いない。

 

「いつも気になってたんだ。みんなイリヤって呼んでくれるのにお兄········エミヤさんだけイリヤスフィールって他人行儀な呼び方なんだもん··············」

 

イリヤは拗ねたように頬を膨らませ、そんな事を口にした。

 

「た、他人行儀も何も無いだろう。君をそんなふうに呼べる程我々は気安い関係ではあるまい。いや、そもそもれっきとした他人なのだからこの呼び方が一番──────」

 

「むー·················」

 

「なんだ、その不満げな表情は·············」

 

「イリヤはイリヤスフィールって呼ばれるのが嫌、なの?」

 

美遊の問いに、イリヤは少し言葉を詰まらせた。

所在なさそうに頬を掻き、

 

「い、嫌って訳じゃないけど··········でも、やっぱりなんか落ち着かないっていうか·········こう、胸の辺りがモヤモヤする感じがするの」

 

「だから君の名をそう呼べと?悪いがそれは聞けない相談だな。大人しくイリヤスフィールと呼ばれているがいい」

 

「むぅ·················」

 

「膨れっ面をしても無駄だ」

 

つっけんどんな態度で言い返す。

すると寝ていたと思っていたルビーがガバッ!!と勢いよく起き上がり、

 

《イリヤさんイリヤさん》

 

「うわっ!な、なにルビー············?」

 

《ちょぉっとお耳をお貸し下さいな♪》

 

怪しい笑顔を浮かべている(顔が見えないため雰囲気なのだが)ルビーに訝しげな表情を浮かべるものの、イリヤは素直に耳を差し出した。

 

「え···············う、うん。恥ずかしいけど、やってみる!」

 

イリヤが真剣な面持ちで歩み寄ってきた。

ぽす、と俺のすぐ傍に正座し、顔を俯かせる。

耳と頬が微かに朱に染まっている。

美遊と視線が合い、共に首を傾げた。

ルビーが何を吹き込んだのかは知らないが、多分ロクな事にはならないだろう。

止めるべきか、そのままにしておくべきか。悩んでいると不意にイリヤが顔を上げて、

 

「お兄ちゃん··············わたしじゃ、ダメ········かな?」

 

「ぶっ!!」

 

上目遣い+潤んだ瞳+羞恥に赤く染まった頬、だと!?

なんて破壊力だ。バスターアップ50%なんてレベルじゃない。これはきっと、どこぞの花の魔術師が「王の話はみんな聞き飽きただろう?よし、それじゃあ妹の話をしよう」みたいな感じでバスター性能が底上げされているに違いない。

物理で殴るだけが戦いじゃない、とは孔明の言だったか。

見れば美遊もその『お願い』にくらり、と来ているようだった。

 

「────────そ、そんな風にお願いされたとしてもダメなものはダメだ」

 

「あ、あんなに恥ずかしい事したのにダメだったじゃないルビー!!」

 

《もう一押し!もう一押しですよイリヤさん!あと少しで攻略完了です!》

 

流石にこれ以上はころっとOKを出してしまいそうなので制止を促す。暫くの間拗ねたように頬を膨らませていたイリヤだったが不意に、

 

「···············じゃあ、わたしが呼び方を変えたい」

 

「君が、だと··············?」

 

予想外の申し出に眉根をひそめる。

イリヤが俺の呼び方を変えるという事なのだろうが、そんな事をして何の意味があるのだろう。

これまでの彼女は確か美遊と同じでエミヤさん、とぎこち無い様子ながら呼んでいたか。

 

「念のため先に釘を刺しておくが、クロエみたいな呼び方は無しの方向で頼むぞ。彼女は何回訂正を促しても聞きやしないからもう放っておいているが···············そもそもどうして呼び名を変える必要が?」

 

「その、エミヤさんって呼ぶの凄い変な感じがして、落ち着かないから···············」

 

イリヤはもじもじと言いずらそうに口ごもらせた。

どうやらその呼び方だとイリヤにとって何か不都合があるらしい。イリヤは暫くそうして自身の心と葛藤していた。中々その一歩を踏み出せないイリヤを美遊が不安そうに見詰めている。そして、

 

 

「だから────お兄さんって、呼んでも良い··············かな?」

 

 

「·······················」

 

お兄ちゃん、とあまり変わらない響き。

しかし、不思議とそう呼ばれる事に抵抗はなかった。

それどころかすんなりと胸の辺りに落ちて、妙に納得出来る呼び方だった。

──────もしかしたら俺もイリヤと同じで、エミヤさん、なんていう他人行儀な呼ばれ方が気に食わなかったのかもしれない。

 

「ダメ、ですか?」

 

今度は懇願するような声だった。

恐る恐るといった様子で俺の返事を待っている。

 

「───────はぁ、もう良い。好きにしたまえ」

 

我ながら、あまりにも中途半端で矛盾だらけだと思う。

彼女をイリヤと呼ぶ事に抵抗があって、

イリヤにお兄ちゃんと呼ばれる事にも抵抗があって、エミヤさんなどという他人行儀な呼び方にも抵抗がある。

だというのに意味合いも響きも似通ったその言葉は、すんなりと受け入れてしまった。

こうなってしまえば、彼女にどう接して欲しいのか、自分でも良く分からない。

──────ただ、その曖昧さがまた俺達らしい。

平行世界という壁に隔てられた兄妹。

それは、他人だからと言って簡単に切り捨てられるほど単純なものじゃない。

屈折してて、複雑で、曖昧な糸。しかし、その呼び方を受け入れてしまった理由だけはあまりにも単純だった。

他人でもなく兄妹でもない、曖昧な関係─────お兄さん、という呼び方がそれを如実に表していたのだ。

 

「····················うん!よろしくね、お兄さん!」

 

こんな些末な事に、イリヤは本当に嬉しそうに花のような笑顔を綻ばせていた。

穏やかな午後を奏でる暖かな陽射し。

その優しい光が─────俺には眩しくて、目に痛かった。

 

 

 

 

 

 

あれから3日が経過した。特に何の成果も無い3日間だったが、別段不満は無かったと思う。しかし─────

 

 

 

「───────こんばんは、シロウ(・・・)

 

 

銀色の少女は、突如俺をその名で呼んだ。

思えば、それが本当の意味での始まり。

俺が向き合うべきだった『闇』との対峙だった。

─────さぁ、昔話を始めよう。

第五次聖杯戦争。今の俺を形作るきっかけ足り得た、運命の戦いについての昔話を。

 

 

 

 

 




お兄さん呼びに関してはちょっと強引にねじ込んでみました。最初はエミヤさんでも良いかなぁと思ったんですけど、やっぱり違和感すごかった‪w
お兄ちゃんは無理だけどお兄さんならまあ·······ね?

次回は前回の後書きで書いたエミヤの過去編に入ります。この物語のエミヤがどんな第五次聖杯戦争を乗り越えたのかみたいな話ですね。過去編は恐らく1話で終わると思うのでそんなに長くはならないと思います。
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