【完結】幕間の物語 『贋作者と魔法少女/夢幻虚構結界:冬木』   作:耳 a.k.a 腐れケバブ

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えー、長らくお待たせしました!!
エミヤくんの過去編(ダイジェスト)でございます。
遅れたのには実は理由があって、前回からの書き始めが遅かったというのと、今回文字数が普段の話の2倍以上あるという()
その文字数はなんと、約4万2000文字!!
自分の1話平均文字数が15000なので3話分近くありますね()それを考えると10日でここまでこれたので割と良いペースかも知れませんが、書いてる時は地獄でした()

さて、今回の話は前述の通りエミヤの過去編なわけですが、少しばかり過激な描写があります。
Rー18とまではいきませんが、Heaven's_Feelの第2章の桜と士郎のアレぐらいの描写ですね‪w
あまり深い描写はしなかったので最悪でもRー17辺りに留まってくれる事でしょう。多分。恐らく。きっと。
念の為、苦手な御方はブラウザバックを。

出来れば後書きも見てやってください。


········静かに、埋葬されるように雪に沈む街並み。
それはいつか見た、銀雪の夜に似ていた──────





第五節『揺籃の銀雪』※前書き要参照

漣のような喧騒に包まれる。人々が奏でるざわめきをBGMに、俺達4人は夕飯の買い出しに赴いていた。

何故4人なのかは理由があり、この前のような大軍で襲われる危険性を考慮しての事だった。

ここが何者かによって作られた街だというのなら、敵もなりふり構わず襲いかかってくる可能性も捨てきれない。

───────と、ここまではただの理由付け。

単に俺の買い物にイリヤ達が付いて行きたいと言って聞かなかっただけなのだった。

とはいえ、その理由付けに過ぎない警戒もあながち杞憂とは言えないものだ。

何故なら敵の『目的』は···············

 

 

「むむむ···············お兄さん、これとこれどっちが良いかな?」

 

イリヤの声で、思考が寸断される。

イリヤが差し出してきたのは玉ねぎだった。

右手と左手に乗せられたそれのうち、どっちを買えばいいのか判別してくれという事らしい。

 

「左、だな。そっちの方が身が締まっていそうだ」

 

「はーい··········ってそういえば今までお会計とかどうしてたの?カルデアからお金なんて持ってきてなかったよね?」

 

「む··········そういえば言っていなかったな。少々非合法的なやり方ではあるのだが─────投影(トレース)開始(オン)

 

右手に現れたのは燦然たる某フクザワ。

俗に1万円と呼ばれる日本の紙幣の1つである。

──────本来なら御法度だがこの際仕方あるまい。

現状、資金稼ぎを地道に行える程の余裕は無いのだから。

 

「···········お兄さん。それって普通に犯罪だよね ?」

 

「こほん。さあ、さっさと買い物を済ませてしまおう。店主には後でこれまた投影した良く切れる包丁を送り付けておくからそれで············」

 

「もう············」

 

イリヤは俺の困り顔を見て呆れたように、しかしどこか嬉しそうにする。あの日から3日経つ。

随分と彼女との距離感も変わったものだ。

イリヤはお兄さん、という呼び方に変えてから枷が外れたように気負う事無く俺に接するようになった。

今までのようにどこか緊張した面持ちではなく、屈託のない笑顔を俺に向けている。

───────そんな関係の変化を、悪くないと思っている自分がいた。それが良い事なのか悪い事なのか、未だに曖昧で、分からない。

 

「お兄さん、こっちの買い物は済ませておきました。あと買う物って何かありますか?」

 

美遊の声に顔を上げた。美遊は精肉店のものと思わしき大きな買い物袋を2つ、手に下げている。

 

「いや、大丈夫だ。これだけあればしばらくはもつだろう。手間を取らせて済まなかったな」

 

そう言って袋を受け取ろうとしたのだが、

 

「このくらいなら、平気です。お兄さんは日頃働き過ぎなんですからこういう時ぐらいは任せてください」

 

「む···············しかし··········」

 

「好きにしてあげたら?こうなるとこの子、意外とガンコよ」

 

右手にたい焼きを持ったクロが口をもぐもぐと動かしながらそう言った。少々早いおやつという事だろう。

 

「··············仕方ない。そういう事なら任せよう」

 

「はい···············!」

 

向日葵を思わせる笑顔だった。感情の起伏に乏しいと思っていた美遊だが、そんな印象は完全に払拭されている。

少し感情表現が不器用だけど、笑顔が素敵な普通の女の子だ。

 

「じゃあそっちはわたしが持つ!」

 

俺が持っていたスーパーの袋をイリヤがかっさらう。

美遊にも持って貰っている訳だし断る理由はない。

 

「それは良いが·······結構重いぞ。持てるか?」

 

「もう、お兄さん心配し過ぎー。これぐらい大丈夫だって!」

 

何が嬉しいのか、イリヤは花がほころぶような笑顔を見せる。イリヤも美遊も足取りは跳ぶように軽く、楽しげだ。

そんな様子見て、嘆息混じりに俺は歩きだす。

─────とは言え。その嘆息にさえ笑みのようなものが浮かんでいたのだから、俺も人の事は言えないのだが。

屋敷までの道程を行く。

緩やかな下り坂を下りながら、ふと遠くを見詰めた。

今日は僅かに曇り空で、雲間からヴェールのような薄く、淡い陽射しが街に降り注いでいる。

この光景だけはいつも変わらない。

ここが何者かの手によって投影さ(つくら)れたものだと言われても、信じられないぐらいに。

 

「お兄さん、また難しそうな顔してる」

 

そう言って、イリヤが心配そうに顔を覗き込んできた。

相変わらずそういうことには鋭い少女だ。

 

「ああ、少し考え事をしていた」

 

「考え事?」

 

「カルデアから離れて5日だからな。そろそろ帰還の手がかりを何か掴まなければ、とね。満足に戦闘が出来るまで回復するのにかなりかかってしまったのが痛かったか············」

 

「················そっか。カルデアに帰らなきゃいけないんだったよね、わたし達」

 

イリヤの言い回しは妙だった。まるで、カルデアに帰るという第一の目標を忘れているかのような。

その疑問を汲み取ったのはクロだった。

 

「はぁ、相変わらずイリヤったら能天気ね。それ、一番の優先事項でしょ?」

 

「あーうん。それは分かってるんだけど···············」

 

イリヤはどこか躊躇いがちに、

 

「今がすっごく楽しくて············同時に怖いんだ。理由とか根拠とかは無いんだけど─────カルデアに戻ったら、今みたいな生活が終わっちゃう気がしたから」

 

「·······················」

 

カルデアに戻ればこの生活が終わる。

それは─────少なからず全員が感じていた事だろう。

この生活が決して叶うはずの無かった『夢』だとこの場に居る全員が知っている。

夢が夢ならば醒めるのもまた道理だ。

それがどんな形であれ終わりは来てしまう。

だから、イリヤの言葉になんと応えていいか分からなかった。安易に大丈夫だ、なんて言えるはずもない。

 

「あはは、変············だよね。カルデアに戻ってもミユやクロ、そしてお兄さん達がすぐ傍に居るのにこんな事考えちゃうなんて」

 

冗談めかした笑いは、しかし空元気なものだと分かってしまう。

遅かれ早かれ、それは避けようが無いものだ。

 

「─────ああ、確かにカルデアに帰ればこんな時間は取れなくなるだろうな。しかし、君も言っただろう。別に誰かが消える訳では無い。そうだな、私のマイルームに来たら茶の1つぐらいは馳走してやるさ」

 

その場凌ぎにしか聞こえない言葉。それでもイリヤは嬉しそうに、

 

「················うん、楽しみにしてるね!」

 

花のような笑顔で、そう口にした。

 

 

 

 

 

 

──────そして、異変はその日の夜に起こった。

夜の帳が降りた廊下を行く。

頭上には病的なまでに白い月。

不吉な輝きは、どことなく人間の白骨に似ていた。

湯で火照った体に、頬や首筋を撫でる風が心地よい。

虫の声1つしない、静かな夜だった。

こんな夜には思い出してしまう。

あの夜(・・・)。白く淡い月の光の下で、俺は誓った。

1つ目の誓いは1人の男に。

正義の味方を目指すと志した、運命の夜。

そして、もう1つは────────

 

「む··············?」

 

ふと、足を止めた。廊下に美遊とクロが居たのだ。

それだけなら未だ気になる程ではないのだが、浮かべているその表情が穏やかじゃない。

しきりに居間を覗き込んでは、難しそうに首を傾げている。

 

「何かあったのか、二人とも」

 

「お兄さん遅い!!大変なのよ、イリヤが············」

 

「た、大変なんですお兄さん。イリヤが··········」

 

2人は随分と慌てた様子だった。

どうやらイリヤに関する事らしいが··············居間で何か起こったのだろうか。

 

「一体何が──────」

 

障子に手をかけてガラガラと開け放つ。

瞬間、視界に映り込んだのは···········イリヤだった。

そう、何の変哲もないイリヤ。

俺が投影したパジャマに身を包んだ彼女は、いつもと同じように、笑顔と共にこちらへ向き直り───────

 

 

 

 

「──────こんばんわ、シロウ(・・・)

 

 

 

雪のような淡い笑顔と共に、イリヤはそう言った。

 

 

 

「────────────」

 

呼吸が止まる。今の俺は、大層間抜けな表情で固まっているに違いない。目の前に座する人物は確かにイリヤだ。

しかし目の前の人物がついさっきまで接していたイリヤとは根本的に異なる存在である、と俺の中の何かが告げていた。

言葉にするのなら纏う雰囲気だろうか。

それが決定的にイリヤのそれと異なる。

─────そしてもう1つ。目の前の少女は俺の事をシロウ、と呼んだ。それが意味するところは·············

 

「君は、一体────────」

 

「あれ、未だ分からない?それとも分からないふりをしているのかしら?」

 

クスクスと、目の前の少女は笑う。

楽しそうに。しかしどこか冷たい声で。

·············その笑顔を知っている。その声を知っている。だが、それは絶対に有り得ない事だ。

 

「─────姿形だけならイリヤスフィールそのものだな。似ているんじゃない。そのものだ。イリヤスフィールの身体に憑依していると見たが············目的は何だ?」

 

「ふふ、本当はわたしが誰なのか分かっているのに動揺しちゃって、シロウったら可愛いなぁ」

 

「····················」

 

眼光に力を込める。それぐらいじゃ動じないだろうが、さっさと先を促させるには効果的だろう。

思惑通り、イリヤはからかうような笑みを消して冷たく、しかし同時にほんの少しだけ寂しそうな表情に戻る。

 

「ま、今のアナタをからかっても面白くないわね。目的が何かだったわね。良いわ、答えてあげる。けどその前に」

 

イリヤ··········に憑依している何者かは廊下で俺達のやり取りを不安そうに見ていたクロと美遊に笑みを向ける。

 

「アナタ達も入ってきなさい。────アナタ達にも関係の無い話じゃないもの」

 

その申し出にクロと美遊は顔を見合わせる。

しかし関係の無い話じゃない、と言われて決心がついたのか居間へと入って来た。

少女は満足そうに顔を綻ばせると、食事の時にイリヤがいつも座っている場所に腰を下ろした。

俺達もそれに倣って、いつもの席へと移動した。

 

 

 

 

「─────さて、まずは自己紹介からさせて貰うね。

わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。聖杯戦争の『器』として産み出され、そのように育てられた··············憐れな人形よ」

 

 

 

 

 

 

「······················」

 

水を打ったような静寂が居間を支配する。

クロと美遊はその少女の言葉に唖然としていた。

─────これで、確証が取れてしまった。

目の前の少女は間違いなく、イリヤ(・・・)なのだと。

だが、そんな事が有り得る訳が無い。

だってイリヤは·················

 

「い、りや··············?」

 

「そうよ、クロエ。アナタなら分かるでしょう?イリヤという少女が本来歩むはずだった未来がどんなものか」

 

「聖杯の、器··············じゃあアナタは、パパとママがアインツベルンから出奔する事が無かった世界のイリヤという事?」

 

クロの言葉を肯定するようにイリヤは淡く微笑んだ。

それを見たクロは僅かに視線を俯かせる。

─────聖杯の器として育てられたイリヤがどんな人生を送る事になるのか、分かっていたからだろう。

 

「自己紹介はこれで終わり。わたしの事なんて知ってもあまり意味は無いもの。重要なのはアナタよ、シロウ」

 

「················私が君の目的とやらに重要なピースだとでも?残念ながらそんな大層な役目を任される記憶は無い。何せ私は君の目的が何かすら知らないのでね」

 

「もう·········ひねくれてるんだから。まあ、良いわ。回りくどいのはわたしもあまり好きじゃないし、本題に入りましょう。だけどその前に────────」

 

少女は立ち上がり、俺へ小さく華奢な手を伸ばす。

警戒にその手を跳ね除けようとしたが、出来なかった。

少女が何かをしたんじゃない。

ただその手を、拒む事が出来なかっただけの事。

少女は俺の額に軽く手を触れさせてから、

 

 

 

 

「──────己の過去と対峙しなさい(・・・・・・・・・・・)

アナタが『彼』を止めるというのなら、その覚悟をわたしに示して」

 

 

 

ぐにゃり、と世界が飴細工のように歪む。

畳の感覚が消えて、辺りは漆黒に包まれる。

それは落下の感覚に似ていた。

身体が、精神が、時間が、どこまでも落ちていく。

例えるなら·········織られたリボンを徐々に1本の糸へと解いていく作業だろうか。

─────きっと、自己への埋没とはそういうものなのだろう。どぷん、と粘液質な何かに包まれる。

漆黒だった世界に誘蛾灯のような炎が灯った。

ジジ················と微かに雑音が混じる。

時代錯誤な映写機を回しているかのようなその音は徐々に大きくなっていて─────────

 

 

 

 

 

 

 

─────12月24日。俺は彼女に出会った。

 

 

 

今年はホワイトクリスマスになる、という何処ぞのテレビ番組の報道通りにここ冬木市は近年稀に見るほど多くの雪が降っていた。

元々温暖な気候が特徴なので、雪が降っても積もらない事が多いのだがどうやら今年は別らしい。

今日はクリスマス・イブ。恋人達にとっては特別な日、子供達にとってはクリスマスプレゼントが楽しみな日、人によっては恨めしい日··············と様々な捉え方が出来る日な訳だが、俺─────衛宮士郎はどうなのかと言うとぶっちゃけ、ただいつもよりちょっと豪華なものを食べてからケーキを食べる日、だった。

何とも現金で即物的な考え方だが仕方あるまい。

とは言え、今年は少しばかり賑やかな事になりそうだった。

いつもご飯を作りに来てくれる桜がクリスマスパーティに参加するため、俺と藤ねえを加えた3人だけだが2人よりは賑やかなものになると思う。

だから今年は例年以上に腕によりをかけてクリスマスディナーを作ろうと思っていたのだが·················

 

「まさか、二人とも急に来れなくなるなんてなぁ···········」

 

藤ねえは生徒の問題行動で警察署に、桜は例によって慎二に呼び出しをくらってしまったらしい。

 

「はあ···············日持ちさせるのは難しいしこの量をどうやって処理したもんか···········」

 

全部作り終える前に連絡が来たため当初の予定よりは量が少ないのだが大の大人2人分ぐらいはある。

当然ながら俺1人で処理出来る量ではなく─────

 

「一成でも呼ぶか·············?いや待て。イエスの生誕祭に寺の息子が行くのって大丈夫なのかな?」

 

昨今の日本ではその意味合いが失われているものの、寺の息子である一成がそれを雑に扱う事はしないだろう。

断る事に気を遣わせては悪いので一成は泣く泣く除外だ。

となると、後残っているのは──────

 

「む·············ダメだ、思い浮かばない」

 

クリスマスに呼べるような知り合いはもう居ない気がする。

さて、どうしたものか───────

 

「················ん?」

 

ピンポーン、というどこか間の抜けたインターホンの音が聞こえてきた。誰か来たのだろうか?しかしクリスマスかつこの雪の中、誰がこの屋敷に訪れるというのだろう。

 

「もしかして、桜かな。藤ねえだとインターホン押さずに入ってくるだろうし···············いや、けど桜には合鍵渡してるんだし普通に入ってくるよな」

 

首を傾げていると、もう一度インターホンが鳴った。

間違いない。これは藤ねえでも桜でも無さそうだ。

兎にも角にも客が来ているのだから出るとしよう。

扉の前まで移動し、硝子張りのそれをガラガラと開ける。

 

「っ··················」

 

雪が混じった冷たい風が身体を叩く。

思わず俺は目を細めると───────

 

 

 

 

「──────あ、ようやく出てきた。もう、レディをこんな雪の中で待たせるなんてダメなんだからね」

 

 

 

聞いた事のない、女の子の声がした。

驚きに、細めていた双眸を開く。

──────雪の妖精。

俺が真っ先に抱いた印象がそれだった。

処女雪を彷彿とさせる白い肌。

肩口から流れる銀色の髪は自ら発光しているかの如く煌びやか、だが同時に最高峰の銀そのものを梳ったかのように繊細優美であり、幼げな少女の華奢な体躯は儚げで、今にも折れてしまいそうなぐらい華奢だった。

呼吸すら忘れて固まる俺の瞳と、見知らぬ少女のルビーの輝きを彷彿とさせる瞳が交錯する。

────────ぞくり、と。

背筋が泡立つような感覚が走った。

浮かべる笑みは無邪気な少女そのものなのに、その奥に潜むのは氷の如き冷たさ。

可憐さと残酷さが隣合っている様は酷く危い何かを感じさせた。

 

「え、と··············君は?」

 

たっぷり5秒ほど放心してから、月並みの問いを投げた。

少女はクスリ、と今度は妖艶な笑みを浮かべ、スカートの端を掴み踊るような優雅さで一礼する。

 

 

 

 

「それじゃあ···············改めて。

こんばんわ、お兄ちゃん。わたしはイリヤ。

─────イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 

 

それが、彼女との初めての邂逅。

雪が降る夜。まるでその雪に、魅入られたかのように。

 

 

 

「お、お兄···········ちゃん?」

 

優美な自己紹介の末、出たのは大変陳腐な疑問だった。

長い名前だなーとか育ちが良さそうだなーとかもっと思う事はありそうなものなのだが、お兄ちゃんという一言があまりにも印象的で、思わず口を突いて出たのだった。

 

「うん、お兄ちゃん」

 

「その··········何でお兄ちゃん?」

 

質問の意味が分からなかったのかキョトン、と可愛らしく首を傾げる少女に「いや、何でもない」と首を振る。

 

「それでえっと··········イリヤスフィール、だっけ?何か用事でもあるのかな?」

 

ハロウィンと違ってクリスマスは他人の家にお菓子を貰いに行くという習わしは無かったはずだが、この少女はこんな所まで何をしに来たんだろうか。

 

「ううん、今日は挨拶しに来ただけ。本当はあと1ヶ月と少しは我慢しなきゃいけないんだけど···············まだお兄ちゃんはマスターになってないんだし、挨拶ぐらいなら良いでしょ?」

 

「挨拶しに来ただけって············こんな雪の中をか?」

 

マスターがどうとか言っていたがあんまり気にはならず、俺は目の前の少女の身だけを案じていた。

こんなに幼い子供がこの雪の中を歩いてここまで来たというのだから当然の事だろう。

 

「わたしの国の雪に比べたら、このぐらい何ともないわ。

この国────とりわけこの街は暖かいもの」

 

ふむ。確かにこの街は温暖な気候が特徴だ。

しかしそんな街も今日に限っては色彩を変えている。

例年稀に見る豪雪が生み出したのはホワイトクリスマスなんていうロマンチックなものだけではなく、尋常ではない寒気なのだから。

それに───────

 

「親はどうしたんだ?クリスマスの夜なんかに外を出歩かせるなんて───────」

 

「··················親は、居ないわ。とっくの昔に死んじゃったもの」

 

どこか寂しそうに、少女はそんな言葉を口にした。

─────その言葉で。この少女をこのままにしてはおけない、と。そう思った。

自分と重ねていた訳では無い········と思う。

ただその寂しそうな笑顔が、胸に痛かったのだ。

 

「·················よし」

 

だから自然と、その言葉が出た。

 

「なあ、イリヤスフィール。君が良かったらなんだが、ここで夕飯でも食べていかないか?」

 

「え?」

 

少女は俺の申し出に目を丸くする。

当然の反応だと思う。

今日会ったばかりの男に家で飯食ってくか?と聞かれてノータイムでOKするような子だったら色々と心配だ。

 

「もちろん自分の用事とかもあるだろうし、無理だったら遠慮なく断って良いぞ」

 

「え、いや··············そうじゃなくて········なんで?」

 

「えっと·········ここまで挨拶しに来てくれた御礼みたいなもんかな。イリヤスフィールに差し支えがないのなら、是非ご馳走になってくれ。それに─────」

 

「それに··············?」

 

「今日、ちょっと色々あって俺ひとりぼっちだからさ。

クリスマスディナーなんて、1人で食べてもつまらないだろ?」

「·····················」

 

彼女は、視線を彷徨わせて逡巡する。

やがて顔を上げると───────

 

「··············うん。じゃあ、お邪魔させてもらう、ね?」

 

寒さのせいなのか、少しばかり顔を赤らめてそう答えた。

 

 

 

 

食事の準備自体はあまり時間はかからなかった。

殆ど作り終えていた料理達を熱過ぎない程度に加熱し、それを皿に盛り付けて完成だ。

昔ながらの日本家屋を興味深そうに観察するイリヤを微笑ましく思いながら、俺は料理をテーブルへと運んだ。

茶色の簡素なテーブルにクリスマスの雰囲気に合わせた、色彩豊かな料理達が並んでいる。

我ながら、中々の自信作だ。

 

「わぁ················!」

 

「結構美味そうだろ?あんまり藤ねえが楽しみにするもんだから腕によりをかけて作ったんだ。

─────まあ、そのせいで作り過ぎちまったし結果として藤ねえは食べれずじまいなんだけどさ。

とにかく、じゃんじゃん食べちゃってくれて良いぞ。どう足掻いても俺一人じゃ食べ切れない」

 

「うん··················!お兄ちゃんはお料理上手なんだねっ」

 

嬉しそうにぴょんぴょん跳びはねるイリヤに口元を緩ませながら、俺は畳の上に腰を下ろした。

 

「あはは、周りの大人がそういう事に関しては頼りなかったからな。自分で何とかするしかなかったんだ。よし、これで準備は完成だ。冷める前に食べちまおう」

 

エプロンを外して傍らに置き、テーブルに着く。

あまり座敷に慣れていないのか、僅かに窮屈そうにしながらもイリヤは畳の上に正座で座っていた。

 

「それじゃあ──────頂きます」

 

「い、頂きます·················」

 

イリヤは、緊張した様子でフォークを握る。

チラチラと、許可を求めるように俺の方を見る彼女に、俺はにこやかな笑顔をもって返す。

緊張した面持ちで料理に手を伸ばし──────

 

「···················美味しい」

 

ポツリ、と呟くようにそんな感想を漏らした。

 

「良かった·············口に合ったようで何よりだよ。

実は口に合うか不安だったんだ。何というかほら、イリヤは育ちが良さそうだからな」

 

「ん············確かにセラの作る料理の方が上品で洗練されてはいるけど──────でも暖かくて、凄く美味しい」

 

「·····················」

 

少女の笑顔にしばしの間、目を奪われた。

魂が抜けてしまったかのように呆然とする。

 

「···················ねえ、お兄ちゃん」

 

「っ、な、なんだ?」

 

目を奪われていた後ろめたさからか、俺が上げた声は少々震えていて、上ずった声だった。

しかし少女は気にする様子もなく、

 

「お兄ちゃんさっき、ひとりぼっちで食べるのがつまらないって言ってたけど···············どうして?」

 

「え?どうしてってそりゃあ·················」

 

そんなの、決まってる。

俺は藤ねえが置いていったシャンメリーを動揺を落ち着かせるために一口飲んでから、その答えを口にした。

 

 

 

「──────そりゃあ、決まってるじゃないか。一人で食うより、こうして誰かと一緒に向かい合って、その笑顔を見ながら食べた方が楽しいだろ?」

 

 

 

少女は俺の答えに、驚いたように目を見開いた。

─────つい、考えてしまうのだ。

親父が死んで、その時から俺はこの家で1人になった。

1人で暮らす事に不安は無かったと思う。

·················ただ寂しいだろうな、と。

年相応の頭で、そんな事を考えた。

しかし実際は1人なんかではなく、藤ねえや藤村組の皆が俺の事を支えてくれたのだ。

多分あれが無かったら、もう少しひねくれた人格に育っていたに違いない。

少女は黙って視線を落とす。

しかしやがて顔を上げて──────

 

 

 

「·····················そっか、だからこの料理は─────」

 

 

 

こんなにも暖かくて美味しいんだ、と。

屈託のない笑顔を浮かべながら、囁くようにそう言った。

 

 

「────────────」

 

その笑顔があまりにも美しくて、俺は息を呑んだ。

トクン、と心臓が高鳴り始める。

顔全体が熱く、思わずその笑顔から視線を外した。

幸いイリヤは気付いていないようだ。

全く、今日の俺はどうかしている。こんな小さな子供の笑顔にドキリとさせられるなんて─────

 

 

 

それから暫く、俺と少女は2人だけのささやかな、しかし笑顔に満ち溢れたクリスマスディナーを楽しんだ。

食後にはケーキと紅茶。ケーキは自作だが紅茶に関してはティーパックで淹れるタイプで、彼女に出す事が少しばかり躊躇われたのだが、彼女は嬉しそうに、文句一つ言わず口にしてくれた。

そして───────

 

「················そろそろ、行くね」

 

「ん、もうこんな時間だったのか。よし、もう遅いし送ってくよ」

 

しかし俺の申し出に彼女は首を横に振った。

どうして?と問いかけると彼女は立ち上がり俺の近くまで来ると、上目遣いに俺を見て、

 

「──────ね、お兄ちゃん。名前、教えて?」

 

淡い微笑をたたえて、彼女は俺の名前を聞いてきた。

そういえば、言ってなかったっけ。

正体も目的も不明で謎が多い少女だが··········この子の笑顔を見ていれば誰にだって分かる。

この少女は悪い子なんかじゃない。

だから俺は躊躇うことなく自分の名を口にした。

 

「し、ろう?」

 

「ぷ、あはは!少し発音が違うかな。それじゃあ屍蝋になっちまう」

 

俺が思わず吹き出したからだろうか。

彼女が顔を真っ赤にして泣きそうな顔をするので慌てながらも正しい発音を繰り返し教えていく。

結果、彼女の発音は徐々に正しい発音になっていった。

 

「しろ、う···········しろう·········シロウ!」

 

「うん。衛宮士郎。それが、俺の名前だよ」

 

大事そうに、彼女はその名前を繰り返す。

シロウ。シロウ。シロウ。シロウ。

そんなふうに自分の名前を呼ばれるのは、ちょっとだけ恥ずかしかったけど。しかし俺の名前を繰り返す彼女はどこか嬉しそうで、その笑顔を見たら止める気なんてたちまち失せてしまった。

そして一頻り繰り返した後、

 

 

「──────じゃあまたね、シロウ。今度会う時はお互い敵同士だから·············次に会った時は、出来るだけ苦しまないよう一瞬で殺してあげる」

 

「え────────?」

 

 

彼女の手が俺の額に触れる。

雪のように冷たくて、柔らかくて、小さい手。

瞬間──────くわん、と視界が揺れた。

 

 

「あ、れ──────?」

「──────今度会う時は、イリヤで良いよ。イリヤスフィールって呼ばれるの、堅苦しいもの」

 

歪んでいく視界の中で、そんな声を聞いた気がした。

気が付けば俺は倒れていて、あれから3時間近く時間が経過していた。身体を起こし、部屋を見渡す。

──────部屋に少女の姿は見えなかった。

全部夢だったのだろうか。そう思って、テーブルの上へと視線を投げる。

さっきまでそのままだった皿が無くなっていた。

ピチョン、ピチョン、と水滴が落ちる音。

その音に釣られて立ち上がり、台所へと移動した。

そこには─────料理が乗っていた皿が、洗われた状態で積み上げられていた。

何枚か割れていたり、洗い残しがあったり、お世辞にも綺麗とは言えない仕上がりだったけれど。

彼女との出会いが夢じゃなかった事が、何より嬉しかった。

 

「··············もしかしたら本当に、妖精だったのかもな」

 

自分でもどうかと思う想像に、俺は笑みを零す。

──────もう一度彼女に会えたら、お礼を言おう。

あの雪の妖精を思わせる、儚くて美しい少女に。

 

 

 

 

 

 

 

「─────ご、ふ」

 

喉奥からせり上がってきた血塊をぶちまけた。

ビチャリというおぞましい水音が冷たい廊下に反響する。

こひゅー、こひゅーという喘鳴(ぜんめい)の呼吸だけが、自分の喉から漏れる音だった。

胸には赤黒い穴が穿たれている。

そこからゴポリ、ゴポリと溢れ出した鮮血が水溜まりのように広がって波紋を作っていた。

全身の熱が徐々に奪われていく感覚。

身体から流れ出しているのは血だけじゃない。

命が、意識が、記憶が、夢が、理想が。自分を構築している全てが、紅い鮮血と共に溢れだしている。

身体の感覚は既に無く、頭蓋から脳味噌までぶちまけたかのように思考が定まらない。

知覚出来るのは周囲を覆う闇と冷たい『死』の感覚だけ。

このままでは、死ぬ。空っぽになって、死ぬ。

当たり前だ。心臓を穿たれて生きている道理はない。

今なおこうして死の淵で足掻いている事が異常なのだ。

苦しい。ラクになりたい。寒い。死にたい。何も望まないから、このまま楽になりたい。

無限に引き伸ばされる死の感覚は地獄そのものだ。

··············俺を殺した奴も、どうせ殺すなら心臓を穿つんじゃなくて首を斬り飛ばしてくれりゃ良かったのに。

苦しみから逃れたくてそんな事を考える。

もう何も望まないから、さっさと俺を──────

 

 

「あ───────」

 

 

不意に、あの少女の事を思い出した。

雪の妖精を思わせる幼い少女。

あの子に────イリヤに未だ、お礼を言っていなかったんだっけ。

 

「─────────」

 

無念があるとすればそれだ。

もう叶える事の出来ない願い。

あの子の、雪解けのような儚い笑顔をもう一度─────

 

「─────────」

 

遂に何も考えられなくなった。あの地獄のような苦しみも既に無く、後はこうして─────

 

 

 

 

 

「···············またねって、言ったのに」

 

カツン、カツン、カツン。誰かが近付いてきた。

 

「死んじゃったら、殺す事も出来ないじゃない··········」

 

誰か来たのだろうか。もう何も見えないから、誰が来たのかも分かりゃしない。

 

「シロウ────────?」

 

名前を呼ばれた気がした。

 

「シロウ··············シロウ··········」

 

誰かに身体を揺さぶられている、気がした。

 

「ちゃんと名前、言えるようになったんだよ··········?もうお兄ちゃんに笑われないように、毎日毎日、頑張って練習したんだから」

 

何か言っている。聞こえないから、反応のしようがない。

 

「あの時は上手く出来なかったから、皿洗いも出来るように練習したんだから。何枚も割っちゃったりしてセラを困らせちゃったけど··············もうお皿、割らないように、なったんだよ?」

 

凄く眠たい。瞼を閉じてしまえば、それで終われる。

 

「イリヤ、頑張ったんだよ···············?お兄ちゃんに褒めてもらえるように、頑張ったん、だから··········」

 

ポタ、と何か暖かいものが落ちた。

暖かくて透明な(しずく)が、キラキラと輝いている。

 

「起きて、お兄ちゃん·················」

 

切なげに震える声。頭を撫でてやりたいのに、それが出来ない己の身体が妬ましい。

 

「起きてよ、シロウ···············」

 

───────うん。そうしたいのは俺も同じなんだけど、ごめんな、もう身体が動きそうにないんだ。

もう届かない声で、泣いている少女に謝った。

 

 

 

 

「··················ひとりぼっちは寂しいってわたしに教えてくれのは、シロウなんだよ?なのにシロウはわたしを、キリツグみたいにひとりぼっちにするの?

そんなのやだ、やだよ···········!」

 

 

 

泣いている。どうして、泣いているんだろう。

彼女の笑顔が好きだった。叶う事ならもう一度見たいと思うぐらい、彼女の笑顔が好きだった。

だから─────泣いて欲しくなんか、ない。

 

「っ·················生き、てる?」

 

 

ピクリ、と。ほんの少しだけ指が動いてくれた。

俺が生きていると分かった瞬間、イリヤは涙を拭き、真剣な眼差しで俺の身体を検分する。

 

「失われた臓器の修復─────わたしじゃ難しいけど、令呪を使えば·······!」

 

眩い光に包まれる。

先程まで感じていた冷たさは既に無い。

─────暖かくて、気持ち良い。

その暖かさに身を委ねるように、今度こそ、俺の意識は完全に途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────こんばんわ、お兄ちゃん」

 

そして、その少女は俺の目の前に姿を現した。

場所は言峰教会。学校でランサーに襲われ、『誰か』によって命を救われた俺だったが屋敷に戻った瞬間に再びランサーに命を狙われた。

偶然セイバーを召喚し、自分もマスターだという遠坂と共にここ言峰教会を訪れた俺達が概要を聞き終わって門から出ようとすると、少し行った先にずっと会いたかった少女────イリヤが立っていたのだ。

 

「··············下がっていてください、シロウ」

 

傍らにいたセイバーが俺を下がらせる。

しかし、俺にセイバーの忠告は届いていなかった。

視界に入るのはただ1人。その銀髪の少女のみが暗闇の中で浮き彫りになっていた。

 

「──────────」

 

声が出なかった。会える事を心待ちにしていたというのに、いざとなったらそれらしい事なんて言えなかった。

 

「っ、アインツベルン················!」

 

遠坂が警戒心を顕に、その名を口にする。

 

「?なんだ遠坂、あの子の事知ってるのか?」

 

「知ってるも何も··············いや、説明は後よ。気を付けなさい、衛宮くん。アイツは────『敵』なんだから」

 

「え─────?」

遠坂の言葉に耳を疑った。

あの子が、敵だって───────?

そんな事あるはずがない。だってイリヤ···········

 

「お話は終わり?じゃあ──────殺すね」

 

「ころ、す·················?」

 

イリヤの放った言葉が脳を揺さぶる。

殺す。彼女は俺の事を殺すと明確に口にした。

冷たい殺意が向けられる。その声音は俺が聞いたものより幾分も冷たく、その笑みも嗜虐的。

············俺の知る、可憐で儚げな雰囲気を持つ少女とはあまりにも乖離した存在がそこに居た。

 

「───────やっちゃえ、バーサーカー」

 

それは、歌うような口ぶりだった。直後、

 

「■■■■■■■■■─────!!!!!」

 

獣の咆哮が迸る。ビリビリと大気が震え、木々が恐れを抱くようにざわめきを奏でた。

気付けば、イリヤの隣に何かが屹立していた。

身長は恐らく2m半ば。

その人間離れした巨躯を、これまた人間離れした岩のような筋肉が鎧の如く隆々と覆っている。

その岩のような筋肉は顔にすら及んでいて、口や鼻の境界線を曖昧なものにしていた。

──────唯一、爛と光る双眸を除いて。

 

「な··················」

 

その手には石を削って作られたと思わしき斧剣。

柄らしき部分にボロ布を巻いただけのそれは無骨ながらもその威力を如実に物語っている。

──── 一言で表すのなら、銕の巨人。

 

「っ──────!」

 

ようやく気付かされる。

目の前の巨人はセイバーと同じサーヴァント。

─────つまり、目の前の少女は·············

 

「マスター、だったのか··············!?」

 

俺の声に応えるかのように、バーサーカーと呼ばれた巨人が地を蹴った。炎のような婆娑羅髪が逆立つ。

その速度は、巨躯に似合わずあまりにも速過ぎた。

目で追う事すら許されない。

それは最早、暴風だった。気付いた時にはもう遅く、バーサーカーが斧剣を振り下ろす。

その寸前、

 

「はぁ──────!!!」

 

セイバーが俺とバーサーカーの間に割り込んだ。

バーサーカーが全てを破壊する漆黒の暴風ならば、セイバーは全てを斬り裂く銀色の疾風だった。

───────そして、遂に暴風と疾風がぶつかり合う。

緋色の閃光が蟠る闇を照らすかの如く大気に散った。

その閃光に僅かに一瞬だけ遅れて、耳を劈く轟音と余波による旋風が周囲を蹂躙した。

 

「が───────!?」

 

その余波に思わず尻もちを着く。しかし両者の激突は終わる事無く、凄まじい速度で己の武器を振るい続けていた。

 

「······················」

 

その剣戟に、俺は全く意識を向ける事が出来なかった。

俺を守るために身を呈して戦っているセイバーには悪いと思うけれど、俺の意識は全てあの少女に向けられていた。

セイバーとバーサーカーの戦いを無表情で見守る少女を、俺はずっと見詰めている。

イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

─────覚えている。ああ、覚えているとも。

彼女は、ランサーの槍よって心臓を貫かれ、殺されかけた俺の命を救ってくれたんだ。

 

「·······················」

 

─────少女の流した涙を、覚えている。

 

「·······················」

 

─────少女の隠された想いを、努力を、覚えている。

 

「·······················」

 

─────そして何より少女の笑顔を、覚えている。

 

「························ッ!」

 

ならば躊躇う必要なんて無い。

まだ言えてなかった言葉、伝えてなかった想いがあるのなら、躊躇ってなんかいられるものか。

目測で、少女までの距離は20mと少し。

少女の下まで行くのなら、視界に捉える事すら出来ない無数の攻防を繰り広げるセイバーとバーサーカーの脇を突破していかねばなるまい。

············それがどれ程危険な事なのか、理解していた。

だが、それがどうした。これ以上少女を泣かせたくないと、ひとりぼっちになんてさせないと思ったのなら。

 

「うご··············け」

 

今、この瞬間だけは。何がどうなろうと俺は少女の下まで辿り着かなければならない───────!

 

「う、ご·············けえええええええええ!!!!!!」

 

足よ、砕けんとばかりに石畳を蹴った。

後ろから遠坂の制止の声が聞こえる。

だが構う必要なんてない。俺は俺の成すべき事をしなくちゃいけないんだから。

ずっと待たせてしまった。彼女の事を。ずっとひとりぼっちにさせてしまった。

何故俺がそんな風に思うのか分からないけど、もう彼女を泣かせたくない·········それだけは、変わらない想いだから。

 

「っ!?」

 

少女が驚愕に身を固まらせる。

彼女の下まで、後もう少し。後少しで、手が─────

 

「シロウ、避けて!!!!」

 

セイバーの鋭い声が、俺の意識を遮った。

見ればセイバーはボロボロだ。俺のために、あんなにも傷付きながら戦ってくれているのか。

そんな事を思った瞬間────視界が黒く覆われる。

それが俺に向かって振り下ろされたバーサーカーの斧剣だと気付いた時にはもう遅かった。

───────下から上へ、バーサーカーの斧剣が弧を描いて俺の身体を跳ね飛ばした。

 

「だめ、バーサーカー──────!!!!!」

 

制止の声はあまりにも遅かった。

彼女まであと5mという所で、地上から10m程の高度まで無惨に跳ね上げられる。

────────ああ、遠い。

彼女との距離が開いてしまった。

 

「·······················まだ、だ」

 

しかし、未だ残っている。進もうという意志が、彼女に伝えなきゃという意志が、まだ─────!

 

「······················あ」

 

彼女は、ぐしゃりという音を立てて自らの足下に落下してきた俺を呆然と見下ろしていた。

自分の身体がどうなっているのか、見なくても分かる。

それより今は············伝えなきゃ、いけない事があった。

 

「久しぶり············だな、イリヤ」

 

「っ···············!?」

 

すぐ近くに彼女の顔があった。

本来ならかなり身長差があるはずだけど、今の俺は膝立ちの状態のまま立ち上がる事が出来なかった。

 

「どうして············なんで、そんな············」

 

「当たり前だ、ばか。あんなふうに泣かれたら、放っておける訳がないだろ?」

 

そう言って俺は強く、少女の華奢な身体を抱きしめた。

今にも折れてしまいそうな心細い感触。

だけど、そこに居た。ずっと会いたかった少女の感触が、そこに在ったのだ。

 

「··················シロウ?」

 

「················本当に名前·········言えるようになったん、だな」

 

左手を彼女の髪へと伸ばし、優しく梳る。すぐ間近にあった彼女の口からくすぐったそうな吐息が漏れた。

ややあって、彼女が恐る恐る俺の身体に腕を回してきた。

腕は震えていて、俺に触れる事を恐れているかのよう。

いや、真実そうなのかもしれない。

この少女がどんな人生を送ってきたのかは知らない。

けど言葉の端々から伝わってきたのは、深い孤独だった。

あの独白は聞いていて胸が苦しくて、だからこの少女を守りたい、と。そう思ったのだ。

 

「うん─────もうお兄ちゃんに笑われないように、わたし頑張ったんだから」

 

「ああ、知ってる················全部、聞いてたから。

──────本当に、よく頑張ったな」

 

「っ、うん························!」

 

彼女は照れくさそうに。少しだけ泣きそうな表情で笑った。

その笑顔が愛おしくて、いっそう強く抱きしめたくなった。

視界が揺れている。血を流し過ぎたのかもしれない。

─────けど、もう1つ。

もう1つ言わなくちゃならない事が、俺には残っている。

 

「··············ありがとな、イリヤ。俺の事、助けてくれて··········本当に··········」

 

そこで、限界が訪れた。

あの時と同じように意識が途切れていく。

─────暖かい。全ての感覚が途切れても、少女の暖かさが俺の腕の中に残っている。その事が無性に嬉しくて、俺は最後までその腕を解くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「························ん」

 

泥の中からの浮上を経て、朧に意識が覚醒する。

こめかみの奥でずぎんと頭蓋が軋んだ。

その痛みにしばしの間耐え、収まったのと同時に枕元に無造作に置いてあった時計で時刻を確認する。

──────驚いた。もう午後の2時である。

 

「·················道理で頭が痛いはずだ」

 

今日が休日で助かった、と安堵した。

学生の身であるが故、長期休みでも無い限り平日には学校に行かねばなるまい。

午後2時なんて時間は、遅刻という範疇を超えている。

やれやれと自分自身に呆れながら身体を起こし────

 

「ん?」

 

ささやかな重みが腕に加わっている。

─────どうやら布団の中に誰かいるらしい。

誰だ·········?と、訝しみながら恐る恐る布団をめくる。

 

「んぅ·······················」

 

「──────────」

 

美しい銀髪の少女が、まるで子猫のように丸まって穏やかな寝息を立てていた。布団をめくってしまったからか、少し不満そうに喉を鳴らし、寝返りを打っている。

あどけない寝顔は安心しきっていて、まるでここが特等席だとでも言わんばかりだ。

それが微笑ましくて、俺はイリヤの頭をそっと撫でた。

起こしてしまうのが躊躇われるぐらい、イリヤは気持ちよさそうに眠っている。

──────そんな寝顔をニヤニヤと見詰めている俺は、傍目から見たら相当キモチワルイ人に映ったに違いない。

それから15分程経っただろうか、銀糸のような睫毛が切なげに揺れて、ゆっくりとイリヤの瞼が開いた。

寝顔を覗き見············もとい、拝見しているうちにかなりイリヤの顔に近付いていたらしい。

俺とイリヤの顔の間隔は10cmもなく、それに気付いた瞬間、俺はガバッ!!と起き上がって寝ぼけ眼のイリヤから距離を取った。

 

「お、おはよう············イリヤ」

 

「··························」

 

イリヤは俯いて何も言わなかった。まずい。もしかしなくても相当怒らせてしまったか──────?

ダラダラと嫌な汗を流し弁解の言葉を考えるため頭をフル回転させる俺だったが、

 

「───────どうして、あんな事したの?」

 

開口一番イリヤはそんな事を聞いてきた。

あんな事、というのが今の狼藉を指す言葉ではない事ぐらい幾ら俺でも察せられた。

イリヤの紅い瞳に見つめられる。

表情は真剣そのもので、だからこそ俺は、偽りのない本心をイリヤに伝えた。

 

「───────イリヤの笑顔が、好きだから」

 

「·······················え?」

 

予想外の言葉だったのか、イリヤは呆然と俺を見ていた。

············うん。自分でも相当に恥ずかしいセリフだった。

こんなセリフ、今時メロドラマですら見かけない。

全体的に身体が熱い。頬が赤くなっている自信がある。

ただそれでも─────好きなものは好きだ。

そんな事、幼稚園児にだって分かる理屈だろう。

 

「クリスマスの日に見た笑顔があんまりにもその、可愛かったからな。だからあの夜。イリヤの泣き顔を見た時は、胸が苦しくて、痛かった。槍で心臓を貫かれるよりも、痛かったんだ」

 

だから俺は───────もうイリヤにあんな顔をさせたくない、と。そう思ったのだ。

 

「死にゆく自分よりも、イリヤが泣いている事が俺には我慢出来なかった。だからその時、思ったんだよ。もし俺に指一本でも動く力が残されているのなら、イリヤの笑顔を守りたいって」

 

それだけだよ、と言う俺をイリヤは信じられないものを見たような目で見つめてくる。

 

「そんな事のために················シロウは··········?」

 

「む、そんな事ってなんだよ。俺から言わせて貰えばな。

聖杯なんかを求めて殺し合いをするよりも、誰かの笑顔を守るために命をかけて戦う方が絶対に良いに決まってる。聖杯なんて回りくどいもの、必要ない。その時願ったものがイリヤの笑顔だったんだから、イリヤのために戦うのは当然だろ」

 

少し怒った口調になるのも仕方がないと思う。

そんな事、なんかじゃない。イリヤの笑顔がどれ程魅力的なものなのか、本人は気付いていないのだ。

 

「────────わたしはね、シロウ」

 

痛みに堪えるような表情で、イリヤは話し始めた。

イリヤは親父─────衛宮切嗣の実の娘である事。

そして小さい頃に自分を捨てた衛宮切嗣を殺すために、この国までやって来た事。

自分が聖杯戦争のための器として作られた人形である事。

··············ずっとひとりぼっちだった事。

そのどれもが彼女にとって辛い出来事だという事はイリヤの様子を見れば分かる。だが、慰める事は出来ない。

俺にそんな資格はない。

俺が切嗣の息子である以上────俺自身が、イリヤを悲しませる要因なのだから。

 

「わたしは、キリツグとシロウを殺すために来たんだよ?そんなわたしのために、シロウは戦うの·········?」

 

けど、

 

「───────ああ、当然だろ。イリヤは今まで頑張ったんだ。だからイリヤが未来(これから)を幸せに暮らせるように、俺は戦う」

 

頑張った奴が報われないなんて、そんなのはおかしい。

だから俺はイリヤにこれからを、未来を幸せに生きて欲しいのだ。イリヤが屈託なく笑えるような、そんな未来を。

 

「····························」

 

「俺の事、許せなくてもいい。だけど············イリヤのために戦う事だけ、許してくれるか?」

 

俺を見つめるイリヤの紅の瞳は揺れていた。そこにどんな感情が込められていたのかは分からない。

やがて、

 

「─────シロウの、ばか」

 

イリヤは、はにかむように笑い俺の胸に飛び込んできた。

羽毛のように重さを感じさせない身体。

しかしその暖かさは本物で、あんまりにも気持ちよさそうに喉を鳴らすものだから、もっと強く抱きしめたくなってしまう。その気持ちを抑えるため、俺はイリヤの銀色の髪を愛おしげに梳った。

 

 

 

 

 

 

「·········なぁにしてるのかなぁ?えーみーやーくぅん?」

 

 

 

 

───────それは唐突な出来事だった。

漂う甘い空気をぶち壊すかのように、赤い悪魔が降臨したのである。遠坂の後ろにはセイバーも居て、恐ろしい笑顔を浮かべていた。

 

「衛宮くん、そういう趣味だったんだ?ふーん···········」

 

「そ、そういう趣味って遠坂················!」

 

「シロウ、そこに正座してください。貴方には少し躾が必要なようです」

 

「う、うわ!どこから引っ張り出して来たんだその竹刀!?」

 

「道場の方からですが、何か。それよりもシロウ。イリヤスフィールはバーサーカーのマスター。すなわち敵なのです。貴方はそこの所をちゃんと───────」

 

セイバーに怒られている俺を見て、イリヤはくすくすと楽しげな笑い声を漏らしている。

それに釣られ、俺も自然と笑みが溢れた。

2人一緒に、屈託のない笑い声を上げる。

その楽しそうな声が伝播したのか、イリヤに対して警戒心を抱いていたセイバーと遠坂も呆れた様子で苦笑を溢す。

 

──────それは、これから訪れるであろう幸福な未来を信じて疑わなかった、揺籃の陽射しだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────聖杯戦争が始まって暫くが経過した。

俺は今、イリヤを『聖杯』という呪いから解放するために遠坂と同盟を組み、日々を戦っていた。

イリヤから聖杯戦争の『真実』を聞いた遠坂は「薄々、そんな気がしてたわ」と言い、聖杯を壊すという利害のもと俺と協力する事となった。

アーチャーは如何にも不安といった風ではあったが、何故かイリヤと俺を方をちらりと一瞥した後渋々了承した。

セイバーも不服そうではあったものの、王の選定をやり直す事は王として生きた自身の人生をも否定する事となる··········と理解し、今は聖杯の破壊を目的に戦ってくれている。

そしてイリヤはというと─────何も言わず、俺達の戦いを見守っていた。

 

「···················残るはランサー、キャスター、アサシンか。まだまだ道は長いな」

 

廊下を歩きながらそんな事を考える。

脱落したのは慎二のライダーだけ。

1週間が経過して1騎だけ··········というのが早いペースなのか遅いペースなのかは良く分からない。

ただ遠坂が言うには、他の陣営は以前よりも消極的に行動するようになったらしい。当然といえば当然だろう。

こちらの陣営にはサーヴァントが3騎。

バーサーカーに関しては並のサーヴァントが二人がかりで挑んでも倒せるかどうか。

そんな状況では、慎重にならない方がどうかしてるというものだろう。

 

「ん···················?」

 

ふと見慣れた背中が視界に映り、思考が寸断された。

───────イリヤだ。イリヤは縁側に腰掛けて、足をパタパタしながら夜空を見上げている。

 

「今日は星が綺麗だな」

 

同じように上空を仰ぎながらイリヤに声をかけた。

 

「············うん。わたしが居たドイツのお城は基本的にずっと雪雲に覆われてたから、こうして星を見るなんて出来なかった。だからこの国に来て、驚いたわ。夜空に瞬く星がこんなにも綺麗だなんて、知らなかったんだもの。まるで散りばめられた宝石みたい」

 

「宝石、か···············まるで遠坂みたいな例えだな」

 

「リンは拝金主義だから、そんな財布の足しにもならないものが宝石なわけ無い!って言いそうだけどね」

 

「幾ら遠坂でも流石にそこまでは··············言わない、と思うぞ。多分。恐らく。きっと」

 

うん。ここまで保険を掛けておかないと否定出来ないのだから遠坂の拝金主義っぷりは半端ない。

本人に聞かれたら今でも充分スパルタな教育がもっとスパルタになりそうな感想だった。

よいしょ、とイリヤの右隣に腰掛ける。

 

「·····················」

 

顔を上げると、視界いっぱいに夜空が展開される。

イリヤの言った通り、まるで宝石を散りばめたかのような星々が漆黒のスクリーンに映し出されていた。

その中央には丸く、濡れたように淡く光る月がある。

漆黒を断つ純白は画用紙に穿たれた(あな)のようだ。

庭を照らす静謐な月明かりは朧に揺れていて不安定。

真っ白で面白みのない輝きではあるが、こうして夜空を見上げるのは嫌いじゃなかった。

──────こんな日はどうしようもなく思い出す。

親父···········衛宮切嗣から正義の味方という理想を受け継いだ『誓い』の場所がこの縁側だったのだ。

考えてみると今の状況に良く似ている。

 

「──────親父も、この景色が好きだった」

 

「·························」

 

俺の言葉にイリヤは答えない。

イリヤはただ無言で、かつて切嗣が見た景色を見ている。

その横顔は朧な光に照らされて、綺麗だった。

母親譲りだという美しい銀髪が朧な月光を反射して、濡れたように発光している。

ここからじゃ表情は掴めない。

無遠慮に顔を覗き込むのは躊躇われた。

──────不意に、ささやかな重みが肩に加わる。イリヤが俺へ身体を傾け、肩に頭を寄りかからせているのだ。

穏やかな風が髪の毛を攫っていく。

不意に、イリヤは夜空に向かって手を伸ばした。

決して届かない、頭上の星々を掴もうとするかのように。

 

「───────キリツグと、どんな話をしたの?」

 

風に乗って、そんな言葉が流れた。

少しだけ悲しそうな声。俺はイリヤの頭を撫でながら、その問いに答えた。

 

「話らしい話は多分しなかったと思う。したとしても綺麗だな、とかそんな感じの事しか。

──────けど親父と最期に月を見た時には、大切なものを俺は親父から受け継いだよ」

 

「大切な、もの···············?」

 

「うん。切嗣の理想─────正義の味方という、夢を」

 

今でもその理想は捨てていない。

切嗣の理想を継ぐ。それは俺がやらなくちゃいけない事だ。

けどそれよりも、俺は─────

 

「正義の、味方··················シロウは、後悔しないの?正義の味方っていうのは字面通りの意味じゃないわ。きっとその夢は貴方の未来を破綻させる」

 

「──────後悔はしない。それがどんな未来であれ、俺が歩むと決めた道だからな。切嗣の夢を受け継いだ以上、後悔だけはしちゃいけないんだ」

 

「····················そう、なんだ」

 

イリヤの瞳は不安に揺れている。

俺の身を案じてくれている、のだろうか。

そりゃあそうか。兄貴の夢が正義の味方なんていう子供じみたものなのだから不安になるに決まってる。

正義の味方は、確かに俺がやらなくちゃならない事だ。

しかし─────今の俺はそれよりも、

 

「···················なあ、イリヤ」

 

「なぁに、シロウ?」

 

甘える子猫のような声だった。

────兼ねてから言おうと思っていた。もっと以前、イリヤの出生を知った時から俺は言おうと思っていたのだ。

それを今まで黙っていたのは、多分罪悪感から。

その事を口にする資格が俺にあるのか、と。

ずっとそう思っていた。

けどやっぱり俺は─────イリヤと一緒に暮らしたい。

イリヤと一緒に、この家で。

 

 

 

 

「──────ねえ、シロウ」

 

だが言葉を発する前に、イリヤは穏やかな表情で俺に呼びかけた。まるで、俺が言おうとしている言葉の内容を分かっているかのように。

 

「わたしね。今の生活がとても楽しいの。変だよね、本来ならリンもセイバーも············そしてシロウも、殺さなくちゃいけない敵なのに」

 

「··················そんな事ない。少なくとも今は、そんな事に縛られる必要は無いんだ」

 

だが、イリヤは首を横に振る。

穏やかな表情を浮かべたままで、イリヤは続けた。

 

「──────うん、シロウならそう言うと思ってた。

けどね、わたしがそのために造られた人形だという事実は揺るがない。そのために、わたしは寿命を犠牲に生まれた瞬間から身体を弄られた。分かる?わたしは普通の人間よりも短命なんだよ?」

 

「·····················それは、遠坂から聞いた。だからあまり肩入れしない方が良いって」

 

「ふふっ、リンらしい言葉ね。うん、でもその通りだわ。シロウはわたしが死んじゃったら悲しむでしょ?」

 

「っ、そんなの───────!!!!」

 

当たり前だ。けどそれ以上に、その言葉は聞きたくなかった。そんな事実は、知りたくなかった。

 

「───────なら、ダメだよ。わたしはシロウの事が好きだもん。好きな子を悲しませるなんて、出来ないよ」

 

そんなの、当たり前でしょ?

イリヤは俺の目を真っ直ぐ見て、そう言った。

泣きそうな瞳で、そう言ったのだ。

 

「······························」

 

俺は何も言えなかった。

それは返す言葉が無かったからでは無く────

 

「そう、か。そうだったんだ················」

 

全く、我ながら馬鹿みたいだ。こんな簡単な事にも気付かないなんてどうかしている。

好きだから悲しませたくないとイリヤは言った。

確かに、それは当たり前の事だ。

好きな人を悲しませる事なんて、出来ない。

けど、

 

「────────イリヤ」

 

もう一度、その名を呼んだ。イリヤは先程より少し悲しそうな表情をして、俺の方を見る。

 

 

 

「俺は··············イリヤが、好きだ。家族としてじゃない。女の子として、俺はイリヤが好きだ」

 

 

「え·····················?」

 

困惑するイリヤを、俺は強く抱きしめた。

ああ、くそ。何で今まで俺は気が付かなかったんだろう。

イリヤの心の底からの笑顔を初めて見た、あの日。

俺はあの時から────イリヤに、参っちまってたんだ。

 

「し、シロウ··················?」

 

「············好きだ、イリヤ」

 

「ん················」

 

耳元で囁いて、イリヤへ回した腕にいっそう力を込める。

───────心臓の鼓動が重なり合っている。

俺もイリヤも心音がバクバクとうるさい。

けど今は、そんな感覚がどうしようもなく愛おしかった。

 

「イリヤは好きな人を悲しませたくないって言ったけどさ。それだけじゃ、ダメなんだ。前にも言っただろ。

俺はイリヤを幸せにしたい。悲しませないだけじゃなくて、お前を幸せにしたいんだ。イリヤが好きだから、このまま寿命まで立ち止まってるだけの人生なんて、俺は許せない」

 

好きだから、幸せにしたい。何とも自分勝手な言葉だ。

けど、きっと恋とはそういうものだろう。

勝手にイリヤを好きになって、守りたい、笑顔が見たい、幸せにしてやりたいと願ったのだから。

 

「──────好きな人を幸せにしたいと思うのは、当たり前だろ?」

 

「··················わたしじゃ、ダメだよ。

シロウが幸せに、なれない」

 

途切れ途切れの泣きそうな、切ない声だった。

実際、泣いていたのかもしれない。

俺の首筋に暖かい何かがつぅ、と伝っていたからだ。

 

「───────今更何言ってるんだ、ばか。俺はイリヤと一緒に暮らせれば、それで幸せだよ」

 

イリヤの涙を指でそっと拭う。

抱き寄せたイリヤの身体は震えていた。

いずれ訪れるであろう終わりに恐怖するように。

─────イリヤの言葉に偽りはない。

その道を歩むのなら、終わりはすぐに訪れるだろう。

それが何年後かは分からない。

遠坂の話が本当ならば、10年は保たないという。

けど、そんなのは関係ない。

いつ終わるかとか、そんな事はどうでもいい。

──────俺はイリヤが好きだ。

その気持ちだけは、いつまでも変わらず俺の心の中に在り続ける。

 

「··············わたしも、好き。

シロウの事が、大好き。こんな気持ちになるのは初めてで、良く、分からないけど············」

 

イリヤの華奢な腕が回される。

涙を流しながら、それでも気持ちを伝えようと必死に嗚咽混じりの言葉を紡ぎ続ける。

 

「シロウと一緒に、居たい·············シロウと一緒に、暮らしたい。でも、ダメ·········それをしたら、わたし、わた、しは──────」

 

 

イリヤの言葉が止む。

────俺が、イリヤの唇に自身の唇を重ねたからだ。

 

 

「んっ······················あ···················」

 

切なげな吐息がイリヤの唇から漏れた。柔らかく、微かに濡れた唇の感触があまりにも鮮明に伝わる。

ただの口付けだったはずのそれは、俺の身体に電撃じみた快感を刻み付けた。

───────意識が蕩ける。

永遠とも一瞬とも感じられる交錯が終わり、俺はイリヤの唇から自身の唇を離す。

ふらり、とイリヤの身体が揺れて俺の胸へと倒れ込んだ。

 

「はぁ···········はぁ···········ぁ、は···········」

 

息を切らすイリヤを優しく抱きとめる。

表情は見えないが、耳が真っ赤なのできっと頬も紅潮しているに違いない。かく言う俺も、恥ずかしさと気持ち良さで頭がどうにかなりそうだったのだが。

 

「───────俺と一緒に居たいって、本当か?」

 

背中を宥めながら、俺はイリヤに問いかける。

返答には10秒程を要した。

 

「·················うん。それは─────本当、だよ?

でも、それをしたらシロウは············!」

 

「言っただろ。俺は────ずっとイリヤの傍に居たい。

それにな、イリヤ。好きな女の子の隣に寄り添って、その笑顔を守れるんだぞ。男として、これ以上の幸せなんかあるもんか」

 

「ッ················ばか···········ばか··········っ!」

 

イリヤは俺の胸に顔を押し付けて、泣いた。

泣きじゃくるイリヤの頭を優しく撫でる。

─────ああ、ダメな事なんて無い。

こうしている瞬間が、俺にとって一番幸せなのだから。

 

 

 

「だから、誓う。何があっても────イリヤを守るって」

 

 

 

玲瓏な月光の下、俺は2つ目の月下の誓いを立てた。

─────イリヤは今まで頑張ってきた。

だからその分、報われないといけない。

イリヤは俺の答えに少しだけ逡巡した後、俺の大好きな、あの屈託のない笑顔で笑った。

縁側に座る俺とイリヤ。

それは奇しくも─────あの誓いの夜、俺に理想を託した切嗣と受け取った俺の姿に、重なった。

 

 

 

 

─────その夜、俺はイリヤと一緒に布団に入った。

まるで今までの渇きを潤すかのように甘えてくるイリヤを抱きしめて、再び軽い口付けを交わした。

今度はイリヤからだった。

明らかにいつもと様子が違う。

どこか上気した頬と瞳がそう思わせた。

 

「は、っつ············い、いきなりは卑怯だぞイリヤ!」

 

「シロウだっていきなりだったじゃない。やられっぱなしじゃ堪らないわ。それに─────わたしにされるの、気持ちよかったでしょ?」

 

イリヤは俺を押し倒して馬乗りになると、自身の唇を舐めながら、ゾクリとする程妖艶な笑みを浮かべた。

幼さと妖艶さの同居はそれだけで男を惑わす色香となる。

 

「っ─────────!」

 

その言葉は、俺を限界へと誘うのに充分事足りた。

先程の口付けと相まって、媚薬にでも漬けられたかのように俺の身体は我慢の限界を迎えていたのだ。

張り詰めた雄の象徴がイリヤの臀部に限界だ、と訴える。

イリヤも自分の臀部に当たる硬い何かに気が付いたのか、先程の妖艶さが別人みたいに頬を紅潮させていた。

お互い顔を逸らす。しかしイリヤは──────

 

「···············シロウ。わたし───欲しい」

 

「ほ、欲しいって何を··················」

 

「──────シロウの愛が欲しいの。言葉だけじゃ、満足できない」

 

消え入りそうな切ない声で、イリヤはそんな事を口にした。

──────おかしい。なぜ、イリヤはそんな事を?

誘われているという興奮よりも、『疑問』の方が上回った。

イリヤの真意が分からない。

どうしてこんなにも急に、俺を求めるのだろう。

恋人同士が愛を確かめ合うのは当然の事だ。

だが、イリヤは明らかにあせっている(・・・・・・)ように見えた。

怯えていると言い換えても良い。

ならば何に焦り、何に対して怯えているのだろう。

疑問は尽きなかった。

しかし、そんな疑問もイリヤの性に濡れた『瞳』に見つめられた瞬間にワカラなくなってしまう。

──────上体を起こして、俺はイリヤと立場を逆転させた。簡潔に言うなら、イリヤに押し倒されていた状態から逆に俺がイリヤを押し倒したのである。

 

「は、ぁ···········んっ·········や、あ·············っ!」

 

深い、貪るような舌を絡める口付け。

理性が溶かされていく感覚が気持ちいい。イリヤの唇から漏れる吐息は興奮と快感の色を孕み、もっと深い快感を求めるように、俺の舌に自身の舌を絡めてきた。

深い交錯は5分に渡って続けられた。

舌を離すと、2人の間に銀色のアーチがかかる。

お互い余裕のない表情で息を切らしていた。

俺ももう自分を抑えきれず、イリヤも俺に対して口付けよりももっと深い何かを求めている。

とろけた表情で薄い胸を上下させるイリヤはそれだけで艶めかしく、理性が打ち砕かれそうだった。

 

 

「っ·················いり、や··············!」

 

 

けど、本当に良いのか。

イリヤを守ると決めたのは俺だ。

なのに、こんな事を──────

 

「──────大丈夫だよ、シロウ」

 

俺の葛藤を察したのか、イリヤは俺に押し倒されたまま、俺の頭を抱くようにして自分の胸に引き寄せた。

良い香りがする。それは間違いなく、1人の女の香り。

 

「シロウはわたしを守るだけじゃなくて、幸せにしてくれるんでしょう?なら問題ないわ。今この瞬間にシロウに愛して貰えている事こそが、わたしの幸せなんだから。

だから─────我慢しないで、ね?」

 

耳元の甘い囁きが、俺の全てを瓦解させた。

壊れて崩れた理性はイリヤの全てを求めている。

それを抑えるため、俺はその無垢な身体に愛撫を始めた。

服を脱がし、その肢体に口付けをする。

首筋、脇腹、胸、太もも。

自身の身体を舌が這う度に、イリヤは甘く、そして切羽詰まった吐息を漏らしていた。

 

「や···········あ、くっ············あぁ·············っっ!!!」

 

イリヤの小さな身体が、まるで電撃でも浴びたかのように痙攣する。ピクッ、ピクッ、と絶頂の余波によって小刻みに痙攣しているようだった。

その余波がある程度収まってから、

 

「────────イリヤ」

 

「·······················うん」

 

コクリ、とイリヤは小さく頷いた。

浅く呼吸を繰り返し、強ばっていた身体を弛緩させる。

それはつまり─────俺に、全てを委ねたという事だ。

この少女の純潔を俺が穢してしまう事に、未だに抵抗を感じている自分がいる。

当たり前だ。幾らお互いに愛し合っているといえども俺とイリヤの関係は『兄』と『妹』。

血が繋がっていなくとも、そこだけはきっと、いつまでも変わる事は無い関係だろう。

 

「──────シロウ」

 

イリヤは、そっと俺の頭を撫でてきた。

まるで『姉』が『弟』に、そうするみたいに。

けどその声だけは────俺を求める、『女』のものだった。

 

「ッ、───────!?」

 

──────貫いた。

痛みによるものだろう。声にならない悲鳴をあげるイリヤの頭を、俺は優しく撫でた。

しばらくは動く事をせず、それでも容赦なく脳を犯してくる快感に堪えながらその時を待つ。

想像を絶するであろう痛みにイリヤは涙を流していた。

ずぎん、と胸が痛む。

しかし苦痛に顔を歪めていながら、イリヤは俺に向かって淡い笑顔を浮かべていた。

 

「───────いいよ」

 

俺の頭を優しく撫でながら、イリヤは切羽詰まった声音で俺にそう言った。

 

「──────ああ」

 

短く応えて、俺は動き始めた。

─────布団の上で乱れるその姿は兄妹でも姉弟でもなく、1人の男と1人の女でしかない。

曖昧な境界線に立っていた俺達は、今宵、その境界線を容赦なく踏み越えたのだ。

 

「─────────ッ、く」

 

──────気付けば、俺も泣いていた。

どうして涙を流しているのか分からない。

イリヤを愛している。その全てを、愛している。

だと言うのに何故、こんなにも悲しい気持ちになるのだろう。イリヤを穢したからじゃない。

それが理由ならば穢す前に止めている。

これはもっと抽象的で··············曖昧な感覚、だった。

 

「ぐっ─────!!」

 

「あ、あぁぁ─────っ!!!」

 

押し寄せた快感の波が電撃のように俺を打ち据えた。

あまりの快感に脱力し、バランスを崩した俺はイリヤの身体にのしかかるようにして倒れ込んだ。

はぁ、はぁ、はぁ、ハァ、ハァ、ハァ─────

獣のような荒い呼吸が重なり合っている。

知らず、俺とイリヤの指は絡み合い、俗に言う恋人手繋ぎのような状態だった。

至近距離で見つめ合った俺達は、恥ずかしくてすぐに視線を逸らす。しかし逸らした先が剥き出しにされたイリヤの肢体だったからか、その、再び元気を取り戻したようだった。

 

「あ、んっ···················」

 

ビクン、とイリヤの身体が跳ねた。

そういえば、まだイリヤと繋がったままだったっけ。

 

「·······························」

 

「·······························」

 

「······················足りないの?」

 

「うっ·······························」

 

「はぁ、仕方ないなぁ·················」

 

「っ、仕方ないって、イリヤ?」

 

「何って、決まってるじゃない·············もう1回、しよ?」

 

「───────────」

 

それが遠回しなイリヤのおねだりなのだと気付いて、俺は小さく笑みをこぼした。

それが不服だったのか。

むー、とイリヤは小さく頬を膨らませる。

その仕草が妙に子供っぽくて、可愛らしかった。

それがあまりに愛おしくて、イリヤの身体を抱きしめる。

愛おしくて、あまりに悲しい。

──────俺は悲しくて悲しくて、涙が止まらなかった。

何故かは分からない。涙の意味も理由も。

分からないのに、ただ悲しいという感情だけが涙となって、瞳から堰を切って溢れ出す。

イリヤを愛している。これ以上無いぐらい、愛している。

 

「ッ────────!!!」

 

「や、あああぁぁぁ─────っ!」

 

その愛と悲しみをイリヤの身体にぶつけた。

先程のものとは違う、ただ互いの快楽のみを求める結合。

どろどろとした何かで脳が犯されていく。

それは、ある意味で自慰行為だ。

俺は胸に蟠る悲しみを、イリヤの嬌声と肉体によって沸き立つ性的興奮によって塗り潰そうとしている。

何度も何度も。俺はイリヤの中でその想いをぶちまけた。

──────全てが終わった後、残ったのは凄まじい程の疲労感と虚無感だった。

 

「·················ありがとう、シロウ」

 

ダメ、だ。もう眠くて何も考えられない。

視界は既に半分以上が塗り潰されていて、その中で鮮明に浮かび上がっているイリヤの穏やかな表情が、俺を安堵させた。

 

 

 

「──────それと、ごめんね。本当はこんな形でシロウから愛を貰うべきじゃなかった。それをわたしの都合で、魔術まで用いてシロウをその気にさせちゃったから」

 

イリヤが何か、言っている。

でも何を言っているのかは分からなかった。

なのに·············再び、空っぽな心に悲しさが注がれる。

零れ落ちた涙を、イリヤの白く華奢な指が拭っていく。

そして泣いている俺を慰めるように、イリヤは俺の頭をそっと撫でてきた。

その手はあまりにも気持ち良くて、俺の意識が落ちていく速度が加速度的に上がった。

そんな俺の様子を見た彼女はクスリと笑って、

 

 

 

「────────大好きだよ、シロウ」

 

 

 

イリヤの唇が俺のおでこに優しく触れる。

───────そこで、俺の意識は完全に断絶した。

 

 

 

 

 

 

どうしてイリヤがこうした形で愛を求めてきたのか、その理由を俺は大して考えようともしなかった。

いや、考えたくなかったのだろう。

イリヤは分かっていたのだ。

この生活はすぐに終わってしまう、と。

それは聖杯の器として生まれた彼女の第六感的な感覚によるものなのか、それは定かではないけれど。

 

──────そして、その『予感』は当たってしまった。

 

終焉は唐突に訪れる。

それはイリヤと初めて会った日と同じように、白く白く、真っ白な銀雪が冬木市に舞い降りた日の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────敵は柳洞寺にあり、よ」

 

「む、明智光秀?」

 

「それは本能寺でしょ。朝っぱらから馬鹿みたいな事言わないでよね」

 

何気なく放った一言に、遠坂が冷たい一瞥と共にそんなつれないセリフを返してくる。

 

「今日の士郎、なんかおかしいわよ?なんかおかしなものでも食べた?」

 

「おかしいってなにがさ················」

 

「いえ、リンの言う通りです。今日のシロウは何やら弛んでいいるようですから。昨夜、何かあったのですか?」

 

「昨夜って·····················う」

 

思い出して、赤面した。

昨日のイリヤとの夜は思い出すと途轍も無く恥ずかしい。

俺もイリヤも昨日は乱れに乱れ過ぎた。

だがその恥ずかしさより、嬉しさの方が勝っているのはもはや言うまでも無いだろう。

うん。確かに今日は朝から浮かれていたかもしれない。

 

「そういえば、イリヤ起きてくるの遅いわね」

 

「む、もう昼ですか············どうしますかマスター?イリヤスフィールを起こしに行くというのなら私が起こしに出向きますが」

 

「あ、ああ·············そうだな。俺が起こしに行ってくるよ。今日の昼飯は遠坂だし、セイバーは遠坂がうっかりで皿を割らないよう見張っててくれ」

 

「随分な言い様じゃない、士郎」

 

「アーチャーの奴が言ってたんだよ。『凛はああ見えて重要な場面で事を仕損じる事が多々あるからな。貴様もうっか凛には気を付けると良い』って」

「················士郎はアーチャーのモノマネの上手さに免じて今の失言は許してあげるけどアーチャー、貴方は別よ。士郎に変な事を吹き込んだ罰として、戦闘ではきっちり働いて貰うんだからね!」

 

霊体化してこの屋敷を守護しているはずのアーチャーに向かって、遠坂が大声で叫んだ。

「やれやれ、手間のかかるマスターだな············」なんていうアーチャーのため息が聞こえてきた気がした。

何はともあれ、イリヤを起こしに行くとしよう。

もう昼の12時近く。昨日の情事が終わってそのまま眠ってしまったのが確か夜中の2時辺りだったため、あれから10時間ほど経過している事になる。

 

「·····················」

廊下に出て、イリヤに割り当てられた部屋ではなく自分の部屋を目指して歩きはじめた。

イリヤは未だ俺の部屋で寝ているのである。

部屋に入ると、案の定イリヤが布団にくるまって眠っていた。

 

「おーい、イリヤ?」

 

呼びかけてみても反応がない。

仕方ないので布団を捲ると───────

 

「あ·······················」

 

そこには、一糸まとわぬ姿となったイリヤが。

それもそのはず、昨日はお互いに着替えてから寝ようなんていう思考は持ち合わせていなかった。

かく言う俺も覚醒直後は何も着ていなかったのである。

 

「························」

 

まずい。見ているとまた変な気持ちになりそうだ。

しかしその美しさからか、自然と視線が吸い寄せられていってしまう。

 

「ん、ん·····················」

 

布団を捲った事による寒さからか、イリヤが僅かに身をよじった。その声でようやく正気に戻る。

昨日の事でイリヤはかなり消耗しているはずだ。

こんな真昼間からなんて、許されるはずがない。

 

「イリヤ、もう昼だぞー」

 

肩の辺りに手を置いてイリヤの身体を揺する。

起伏の乏しい胸や下腹部辺りからは視線を逸らした。

 

「んぅー··············シロウ············?」

 

ようやくイリヤは起きてくれたようだ。

未だ覚束無い寝ぼけ眼で、ぼーっと俺の顔を見つめている。

 

「おはよう、イリヤ」

 

「うん···········おはよ、お兄ちゃん」

 

イリヤは自分の身体を隠すように布団を口元まで引き上げて、俺から視線を逸らした。

耳が赤い事から、どうやら恥ずかしがっているらしい。

イリヤのそんな反応を見て俺も赤面する、という悪循環。

お互い何も話さないまま5分ほど経過した時だった。

 

「······················着替え」

 

「え?」

 

ポツリ、とイリヤが聞き取れるか聞き取れないか曖昧な声量で小さく呟いた。

 

「その、昨日激しすぎたからだと思うけど、立てなくて。着替え、手伝ってくれる?」

 

物凄く恥ずかしそうに、イリヤはそう言った。

布団に顔を埋めてモジモジする様はなんとも可愛らしく、ついいじめたくなっちゃいそうだが、イリヤが実は隠れドSだという事は分かっているので何とか自制する。

 

「──────ああ、もちろん。早く着替えて居間に行こう。遠坂達が飯を作ってくれてるからさ」

 

言って、イリヤの頭を撫でる。イリヤは気持ちよさそうに目を細めた後、満面の笑顔で大きく頷いた。

 

 

 

 

 

「柳洞寺にいるサーヴァントは2騎。キャスターとアサシンみたいね。キャスターのマスターは未だ不明だけど、アサシンのマスターだけはハッキリしてるわ。────キャスターよ。つまるところサーヴァントがサーヴァントを召喚した、という訳ね」

 

「サーヴァントがサーヴァントを召喚、か。穏やかじゃない話だな」

 

「そうね。けどイレギュラーには変わりないんだから色々と制限は付くはずよ。それが何かは分からないけどね。ともかく、目的は柳洞寺に住まうキャスターとアサシン。作戦らしい作戦が無いのが癪だけど、情報が少ない以上仕方ないわ。とにかく突入するしかないわね。何か異論はある?」

 

遠坂の問いに全員が首を横に振る。

情報が無いのなら取り敢えずは進むしかない。

戦況の有利がこちらにあるとはいえ、停滞するだけではいずれ何かしらの対策を立てられるというものだ。

 

「柳洞寺に赴くのは──────」

「私は降りさせて貰うわ」

 

遠坂の言葉を遮って、イリヤがそう口にした。

 

「イリヤは出来れば連れて行きたかったけど············戦力で固めれば良いというものでもないんだし、分かったわ。イリヤはバーサーカーと一緒にこの屋敷を守ってて」

 

「ええ、そうさせて貰うわ」

 

イリヤの申し出は俺にとっても有難かった。

もう、イリヤには戦いに参加して欲しくない。

今度は聖杯戦争のために生きるんじゃなく、一人の女の子として生きて欲しいからだ。こんな世界の事は早く忘れて、イリヤと一緒に平穏な日々を暮らしたい。

────例え、その未来に破滅が待っているのだとしても。

最期にイリヤが、自分の人生は幸せだったと自信をもって誇れるようになったと感じてくれたのなら。

俺はそれで良い。それで、良いのだ。

 

「ッ······················」

 

ダメだ、今は集中しないと。今夜、柳洞寺に仕掛けるのだ。こんな調子じゃ何かヘマをしてしまうかもしれない。

だから、集中しよう。今は未来じゃなく、目の前の敵を倒す事だけに集中するのだ。

準備をするために自室へ戻る。

とは言え、特別な準備は何も無い。

取り敢えずは時間までゆっくりしていよう。

 

「シロウ、いる?」

 

ひょこっと部屋に顔を出したのはイリヤだった。

 

「ん、いるぞ。何かあったのか?」

 

「ううん、何か特別な事がある訳じゃ無いんだけど·········」

 

そう言って、イリヤは部屋に足を踏み入れて俺の元まで歩いてくる。俺の目の前で立ち止まったと思ったら、くるりと身体を反転させて俺の足の間にすっぽりと収まった。

 

「─────────」

 

愛おしげに、イリヤの身体を後ろから抱きしめる。

ふわりと漂ってきたいい匂いが、鼻腔をくすぐった。

その匂いに釣られるように、俺はイリヤの首筋に顔を埋める。

 

「ん──────」

 

くすぐったそうにするイリヤだったが、抵抗はなかった。

··············いつまでもこうしていたい。

イリヤと触れ合っている時間が何よりも尊い。

何でも願いが叶う聖杯。そんなものでも叶えられない願いがあるとすれば、きっとこの瞬間だろう。

 

「汗の匂いとかしない··············?」

 

「しないよ。凄くいい匂いだ」

 

「そう、かな···············自分じゃ分からないから心配になっちゃった」

 

「ん、それは勿体ないな·········凄くいい匂いなのに」

 

「自分の身体だもの。でも─────」

 

イリヤは俺の足に収まったまま身体を反転させると、ばふ、と俺の胸に飛び込んできた。

「シロウが居るから、いいの」

 

「──────俺、あんまりいい匂いはしないと思うぞ」

 

イリヤの身体に手を回す。すると今度はそれに応えるようにイリヤも俺の身体に華奢な腕を回してきた。

 

「そんな事ないもん。わたし、シロウの匂いが好き。

おひさまみたいに暖かくて、柔らかいもの」

 

イリヤが胸に頬を擦り寄せてきた。

甘えん坊な子猫に、俺は僅かに笑みをこぼす。

 

「甘えん坊だな、イリヤは。まるで猫みたいだ」

 

「えーわたし猫は嫌い」

 

「あはは、そういえばそうだったな。けどイリヤを動物に例えるならきっと猫だと思うぞ」

 

「どこが似てるの?」

 

「甘えん坊な所と、気分屋な所。あと頭を撫でてあげると気持ち良さそうに喉を鳴らす所とかかな」

 

「··················わたし、そんなに甘えん坊さんじゃないもん」

 

イリヤは不満そうに頬を膨らませる。

俺の心の中で少しだけイタズラ心が鎌首を(もた)げた。

 

「でも頭は撫でて欲しいんだろ?」

 

「···················知らないっ!シロウのばか!」

 

それでも離れようとしないのだから、イリヤはやっぱり相当な甘えん坊さんなのであった。

仕方ないなぁ、と苦笑しながら俺はイリヤの頭をゆっくりと撫でてやる。俺の手を受け入れるイリヤは、言葉通りに目を細めて気持ちよさそうに喉を鳴らした。

そんなイリヤを見ていたら、ついつい口角が緩んでしまうのも仕方がないというものだろう。

 

「······················シロウのくせに生意気。そうやってからかってばかりいると、いつか仕返しが来るんだからね」

 

「う·············イリヤの仕返しは怖そうだな。ちなみに聞くけど、何をするつもりなんだ?」

 

するとイリヤはクスリ、と妖艶な笑みを浮かべた。

聞いたらまずかったかもと今更ながらに自分の行動に後悔をしていると、

 

「シロウがわたしに夢中になるようなイタズラ、とか?」

 

そう言って、イリヤは悪戯っぽく笑った。

俺を惑わせようとする言動はしかし──────

 

「····················そんなのもう、手遅れだ」

 

───────俺は既に、イリヤに夢中なんだから。

どちらからともなく、キスを交わした。

最初は確かめるように優しく。

後はお互いを求める合うに深く。

絡まり合う舌が蕩けるほど気持ち良い。甘美に痺れた脳はただ、目の前の愛を貪る事しか考えられない。

その愛に際限は無く、堕ちていけば戻れない。

 

「ふ·················っあ」

 

イリヤの身体がぴくん、ぴくん、と小刻みに跳ねた。

甘い鳴き声にぞくぞくと背中が泡立つ。

─────少し、身体が重い。

魔力が少しだけ吸われているようだ。

しかしそれが分かったところで今更止められなかった。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ───────」

 

しばらくして、舌を離す。

イリヤの口元にはうっすらと銀色の唾液が垂れていて、恍惚とした表情も相まって妙に扇情的だった。

 

「ッ────────」

 

だが、今回は堪えた。これから柳洞寺に赴くのだから、そんな事をしている場合ではない。

 

「さ、さて················そろそろ時間だな」

 

「·····················うん」

 

明らかに物足りないという表情。

しかしイリヤも事情を理解しているため、これ以上は何も求めてこなかった。

竹刀は机に置いてあるため、一度イリヤから離れて後ろへと振り返る。そして、竹刀を手に取った時だった。

──────後ろから、イリヤに抱きつかれたのは。

 

「いり、や────────?」

 

「っ··············う·············あ」

 

小さな嗚咽が聞こえた。

泣いている。イリヤが、泣いていた。

俺の背中に顔を押し付けて、溢れ出した涙を隠すように。

 

「イリヤ··················?」

 

振り返る。何かに怯えるように、イリヤは泣いていた。

拭っても拭っても、イリヤの紅い瞳からは涙が止まらない。

涙の理由は聞けなかった。

─────聞いてしまったらもう戻れないと、何かが警鐘を鳴らしていたのだ。

 

「───────ごめんね」

 

しばらくして、イリヤは泣き止んだ。

俺は何も出来ず、ただイリヤを抱きしめる事しか出来なかった自分の無力さに歯噛みした。

 

「················大丈夫だ。すぐに終わらせてくる。俺は絶対に、イリヤの元まで帰ってくるから。イリヤと暮らす、この家に」

 

俺に出来たのは、約束だけだった。

すぐにこんな戦いを終わらせて、この家でイリヤと暮らす。

だからそのためにも必ず帰らなくてはならない。

 

「─────そうだ。どこか、行きたい所はあるか?」

 

「どこかって·············どこ?」

 

顔を上げて、イリヤは不思議そうに俺の事を見上げてきた。

 

「どこにでも。イリヤが思っている以上にこの世界は広いんだぞ。この街じゃなくても良い。他の街でも、他の国でも、どこでも良いんだ。─────イリヤの望む所なら、どこにでも連れて行ってやる」

 

「·························」

 

イリヤは考え込むように顔を俯かせてから、

 

 

 

 

「·····················デートが、したいな」

 

 

 

遠慮がちに、イリヤは小さな願いを口にした。

 

「恋人同士二人っきりでどこかに遊びに行く事をね、その、デートって言うんだって。

わ、わたしとシロウは恋人同士··············だから、デートが············したい。お店で買い物をして、美味しいご飯を食べて、そして─────他愛のない話をしながら、シロウと一緒にこの家に帰ってくるの」

 

────────どう、かな?

 

イリヤは俺に許可を求めるように、紅い瞳を向けた。

息が詰まる。イリヤはそんな当たり前の事を、恥ずかしそうに、幸せそうに、口にした。

込み上げてきた感情に涙が溢れそうになる。

しかし、ここで泣く訳にはいかなかった。

────────笑顔でここに帰ってくるために、俺はここで泣く訳にはいかなかったのだ。

その代わり、イリヤの身体を抱きしめた。

強く。強く。もう絶対に離さないと誓いながら。

 

「───────行ってらっしゃい、シロウ」

 

「───────行ってくるよ、イリヤ」

 

抱擁を解く。部屋を出れば、もう戦場に向かうのみ。

イリヤのぬくもりとは暫しの別れだ。

──────その事が、少しだけ寂しい。

けれど、何の問題もない。

またここに帰ってくる。イリヤと交わした約束を果たすために、またこの家へと帰ってくるのだから。

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、準備は良い?士郎」

 

「ああ、行こう」

 

遠坂の言葉に短く応える。

気付かないうちに雪が降り出していたらしい。

庭へ出ると雪が積もっていて、靴底が僅かに沈んだ。

──────もう、屋敷には振り返らなかった。

ただ柳洞寺のみを見据えて、足を動かす。

 

 

 

 

·················静かに、埋葬されるように雪に沈む街並み。

それはいつか見た、銀雪の夜に似ていた──────

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────来なさい、バーサーカー」

 

雪が降る庭に出た。その中で、銀色の少女はいつも己を守ってくれていた巨人の名を呼ぶ。

音もなく現れた漆黒の巨躯は主に雪が当たらぬよう、僅かに身を落とした。

 

「わたしはね、バーサーカー。この家での生活が大好き」

 

「··························」

 

巨人は何も応えない。冷たい雪を一身に受けて、ただ静かに少女の声を聞いている。

 

「───────最初は許せなかった。

わたしを捨てたキリツグも、そんなキリツグの愛を受けて育ったシロウも、そんな2人が暮らしていたこの家も」

 

「··························」

 

「でも、それは違ったの。キリツグはわたしを捨ててなんかいなかった。シロウがね、教えてくれたの。キリツグは身体が動かなくなるまで、1年の間に何度も外国に行ってたんだって。

··················まるで、大切な誰かに会いに行くみたいに」

 

少女の声は雪に吸い込まれて、消えていく。

──────少女はこの家で多くの事を知った。

本当の笑顔を。

独りきりの寂しさを。

誰かと触れ合う暖かさを。

誰かと離れる冷たさを。

誰かを愛するという気持ちを。

誰かに愛されるという気持ちを。

 

「─────わたしはこの家が好き。シロウが、大好き」

 

だから守るんだ。この家は壊させない。

愛する者に危険が迫っているのなら、己が力を全て用いて跳ね除けてみせる。

 

 

 

 

 

「────────威勢が良いな、人形風情が」

 

 

 

 

 

 

吐き捨てるような声は頭上からだった。

誰かが塀の上に立っている。纏う衣装は一般人のそれに相違ない。しかし、その在り方だけが常軌を逸していた。

 

「どうやら我の来訪を事前に察知していたようだが、どうやってそれを見抜いた?」

 

「大した事ではないわ、王の中の王。

───────大切な人を守ると決めた女の子の想いは、

貴方の千里眼すら上回る。たったそれだけの事だもの」

 

「─────────」

 

それが虚をついた言葉だったのか、黄金の青年は下卑た笑いを収めて少女の事を見据える。

 

「ふん、人形風情が言ってくれる。だが面白い。

(から)の器に人の意志を植え付けられただけの愚物がどこまで己が運命に抗えるのか見物だな。平伏し感謝するがいい。主従共々、我が至高の財をもってその命の幕を引いてやるとしよう!」

 

青年の背後に、幾つもの黄金の波紋が広がる。

それが、開戦の合図だった。

少女は息を呑む。あの歪みに内包されているものが全て宝具なのだとしたら──────

 

 

 

 

 

 

「────────お願い、バーサーカーっっ!!」

 

 

 

 

だが、恐れる事はない。

─────今宵、少女は初めて愛する誰かのために戦う。

大好きな人と、その居場所を守るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ──────これ、は」

 

柳洞寺は既に壊滅的な状態となっていた。

あちこちに巨大なクレーターが形成され、本堂の方も至る所が崩壊している。

何があったのかは一目瞭然。強大な力が吹き荒れ、ここを襲ったのである。

 

「一体誰がこんな事を···············って、士郎!?」

 

「どこに行くのですか、シロウ!?」

 

遠坂とセイバーが俺の事を呼んでいたけれど、その声を振り切って構わず雪を蹴って走り続ける。

─────脳裏に浮かぶのは愛する少女の事だけだった。

心臓が嫌に軋む。叫びだしそうな心を押し留めて、足がちぎれんばかりに走った。

 

 

 

 

「························」

 

ピタリ、と足を止める。衛宮邸が見えてきたのだ。

─────衛宮邸からは、幾条もの黒煙が伸びていた。

何があったのかなんて愚問だろう。

柳洞寺と同じく、襲撃されたのだ。

 

「くっ·····················!!!!」

 

再び、走り出す。

衛宮邸の門を目指して、ひたすら足を動かした。

近くまで来ると何かが燃えたかのような、焦げ臭い匂いが鼻腔を突いた。門は半壊していて、歪んでいた。

手をかけるが、開かない。

俺は開かない門を蹴り破って、ごろごろと勢い余って転がるように庭へと押し入った。

 

「······························」

 

絶句、とはこの事だろうか。

庭は柳洞寺のようにクレーターで埋め尽くされていて、見る影もない。しかし、屋敷だけは無傷で残っていた。

衛宮の屋敷は在るべき姿で、主たる俺を迎え入れている。

 

「イリヤ?」

 

名前を呼んだ。愛する少女の名前を。

 

「イリヤ·················イリヤ·············」

 

うわ言のように呟いた。だが何の反応もなく、無人の屋敷だけがポツンと鎮座している。

虚ろな心で中庭へと移動した。

───────そして、俺は見付けてしまった。

赤い。絵の具をぶちまけたかのように、赤い雪を。

 

 

「あ·································」

 

世界から音が消えた。

世界から色が消えた。

─────世界から、意味が消えた。

色が消失した世界。

その中で、目に痛い赤色だけが鮮明に映っている。

のろのろと緩慢な動きで歩んでいくと、

 

 

 

 

 

 

 

───────赤い雪の上に、少女は横たわっていた。

下半身は無惨に消失しており、上半身ですら左腕が(ひじ)より上がないという有様で、眠るように目を閉じていた。

下半身があった場所からはぬらりと光る臓器がこぼれ落ちていて、噎せ返る程の鉄の匂いを放っている。

左胸には拳大の大きな穴が開いており、そこから胸骨と思わしき白い骨や形容し難い色の血管が覗いていた。

 

 

 

 

「あ、あ·················あ··········ああああ」

 

 

 

 

自分のものとは思えない声が漏れている。

折れたように膝をつき、ただ目の前の惨状に絶望し打ちひしがれる事しか出来ない。

───────イリヤは、死んでいた。

眠るように。雪に埋葬されるように、死んでいた。

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ!!!!!!」

 

 

 

狂ったように、血を吐いて慟哭した。

喉から血が出るのも構わず、爪を立てた腕から血が出るのも構わず、目の前の現実に慟哭した。

 

「イリヤ···············イリヤ························返事を、してくれ。お願いだから、もう一度···········」

 

─────あの、笑顔を見せてくれ。

無駄だと分かっていて、俺はそう懇願するしか無かった。

冷たくなった少女の身体を抱きしめる。

ボタボタと堰を切って溢れ出した涙がイリヤの頬へ落ちていく。現実を跳ね除けて、俺は身体が血に濡れるのも構わずにイリヤの生きている痕跡を探した。

だが探せども探せども、出てくるのは死んでいるというあまりにも簡潔な事実だけだった。

 

 

「ごめん··············ごめんな···········お前を守るって、幸せにするって、誓ったはずなのに············!」

 

──────なんて、無力なんだろう。

イリヤを守ると誓った。

幸せにすると誓った。

なのに現実はこれだ。俺は何も守れず、何も成せずに愛する人すら失った。こうして謝る事しか出来ない自分が、殺してやりたい程に憎い。どうして、イリヤなんだ。イリヤは幸せなんかとはほど遠い人生を生きてきて、これからだったってのに、どうしてイリヤなんだ···············!!!!

 

 

 

 

「───────なか、ないで」

 

 

声がした。か細く、今にも消えてしまいそうな声が。

 

「いりや·······················?」

 

「うん、わたしだよ。おかえり···········シロウ。

約束通りこの家に··············帰ってきて、くれたんだね」

 

いつもの笑顔で、イリヤは俺の帰りを喜んだ。

俺が大好きだと言った屈託のない笑顔で、いつもの様に。

 

「あ···················あ············」

 

言葉なんて出なかった。

胸中に渦巻くのは後悔と慚愧でしかない。

 

「ほら。泣いちゃダメ、だよ················シロウはわたしを甘えん坊さんだって言ったけど、シロウは泣き虫さんだね」

 

「ばか············もう、良いんだ。これ以上喋ったら、本当に·············」

 

「ううん··············もう、わたしは死んじゃったの。

わたしが未だこうして存在しているのは、昨日と今日シロウがわたしにくれた魔力のおかげなんだから」

 

「···································」

 

もう、助からない。他ならぬイリヤに現実を突きつけられて、俺は再度の絶望に襲われた。

 

「でも、シロウが·········間に合ってくれて、本当に良かった。これで、最期のお別れが言えるんだもの」

 

「························ごめん、おれ·············っ」

 

震えた声が、涙と共に吐き出される。

 

 

「イリヤを、幸せに··············できな、かった···············っ」

 

 

嗚咽混じりの声で謝り続けた。

それしか、俺に出来る事は何も無かったのだ。

イリヤを守れず、救えず、最期まで俺は何も出来ない。

そんな己の無力さを呪った。

──────不意に、柔らかい何かが頬に触れる。

それは、イリヤの右手だった。幼子を慰めるように、イリヤは俺の頬を優しく撫でている。

 

「あはは···················手が届かなくて、頭を撫でる事が出来ないや」

 

「·························なに、を」

 

「──────わたしはね、シロウ。幸せじゃなかったなんて思ってないよ」

 

そんな事があるはずない。未だ、やり残した事が沢山あったはずだ。なのにイリヤは嘘のない笑顔で続けた。

 

「···············シロウが好き。シロウの事を考えているだけで心が暖かくなって、走り出したくなっちゃうぐらいシロウの事が好き。シロウに会うまで、わたしの心は凍ったままだった。だけどシロウが凍った心を優しく溶かして、止まった時間を動かしてくれたから──────わたしは、愛情を知る事が出来たんだよ?」

 

「·························そん、なの」

 

「むしろ、わたしが謝らなくちゃ。昨日の夜、シロウをその気にさせたのは魔術による作用だもの。

───────どうしてかは分からないけど、わたしは自分がすぐに死んじゃうんだって分かってた。だからシロウに全てを捧げて、わたしもシロウの愛が欲しかった」

 

「·······························」

 

黙って、その独白を聞いていた。

イリヤと繋がっている時、俺はどうして悲しくなって涙を流していたのか。その理由がようやく解けた。

──────きっと、俺は分かっていたんだ。

イリヤと繋がっていたから俺もその別れを無意識のうちに悟り、悲しんだのだ。

 

「約束、守れなくてごめんね?シロウは無事で帰ってきてくれたけれど、わたしがダメだったみたい」

 

約束。ここを発つ前に約束した、デートの事だ。

 

「ッ···················なに、言ってるんだ。デートならいつでも出来る。そんな当たり前な事、いつでも──────」

 

聞き分けのない子供のような俺の言葉を、イリヤは嫌な顔一つせずに聞いてくれた。

 

「デートだけじゃない。人間なんだ。やろうと思えば、なんだって出来る。ああ、出来るんだよ················!

だから、だから·············!」

 

行かないでくれ、と。

決して叶わない願い事を口にした。

それを聞いたイリヤは優しく微笑んで、

 

「···············ごめんね。こんな腕じゃもう、泣いてるシロウを抱きしめる事も、出来ないや」

 

イリヤは、肘から上が失われた左腕を伸ばしてくる。

既に出血は無い。血なんて、既に出し尽くしているのだから当たり前だ。彼女を動かしているのは昨日の夜と先程の口付けで俺が注いだ魔力によるもの。

───────もう、きっと長くはない。

 

「··················俺は何も出来なかった」

 

「シロウは、わたしに愛をくれたよ?」

 

「俺は、何も救えなかった···········!!」

 

「少なくともわたしはシロウに救われた」

 

「俺はイリヤを················!!!」

 

「─────わたしはシロウからたくさんの幸せを貰った。

だからもう、泣く必要なんてないの」

 

「そんなの、うそだ··············!まだあるんだ!!たくさんあったんだ!!イリヤとやりたい事が、まだ·········!!!」

 

イリヤは幸せだ、と言ってくれた。

けど俺はそれを認めるわけにはいかない。

───────だって、それを認めてしまったら。

イリヤはどこかへ、行ってしまう··········!!

だからそんな事は無い。まだ、やり残した事があると叫ぶ。

まだ終わらせない。

始まったばかりなのだから、まだ─────

 

「·················うん。わたしも、まだシロウとしたい事いっぱいある。どこかへ出かけたり、美味しいものを食べたり、キス、したり···········色んなこと、したい」

 

「だったら················!!」

 

イリヤは首を横に振った。

···············その先は、言ってはダメだと言うように。

 

「──────わたし、バーサーカーにお願いしたの。

わたしの命よりも、この家に攻撃が当たらない事を優先してって。ふふ、どうかな?わたし立派に、この家を守れたよ?」

 

イリヤはそう言って、誇らしげに笑った。

 

「··················ああ、イリヤは凄いな。本当に、凄い」

 

震えた腕で、イリヤの頭を撫でた。

嬉しそうなイリヤの笑顔を俺は見つめている。

─────涙が止まらない。

身体の水分を全部出し尽くすまで、きっと止まらない。

 

「···············最期に、キスがしたいな」

 

掠れた声。もう終わりが近いというのに、イリヤは笑顔を絶やさず、そんな当たり前の願いを口にした。

───────イリヤの唇に、そっと俺の唇を重ねる。

最期のキスは、血の味がした。

 

「················暖かいね」

 

「···············ああ、暖かいな」

 

もう身体の感覚なんて残っちゃいないだろうに。

イリヤは満足そうに、吐息混じりの声でそう言った。

 

「シロウには多くのものをもらっちゃったね」

 

「そう、かな··············俺はまだ、あげ足りない」

 

「ふふ、もう満足だよ。あんまり貰っちゃうと贅沢になっちゃう」

 

「ばか、贅沢なぐらいでちょうど良いんだ。イリヤは今まで頑張ってきたんだから、報われないと──────」

 

その先は、声が震えて出なかった。

俺の瞳から落ちた涙がイリヤの頬を伝い落ちていく。

 

「──────あれ、シロウ?どこに行ったの··········?」

 

「っ························」

 

イリヤは俺を真っ直ぐ見つめている。

なのに、もう俺を見る事は出来なかった。

彷徨うように伸ばされる手。

その手を─────俺はしっかりと握りしめた。

 

「·················ここに、いるよ」

 

「傍に、いてくれてる?」

 

「ああ、いつだってイリヤの傍に寄り添ってたいからな」

 

「わたしも、離れたく··············ないや」

 

「当たり前だ。離してなんか、やらないぞ」

 

「·············そっか」

 

イリヤは俺に手を伸ばす。

─────それはまるで、決して届かない星々に手を伸ばすように。

 

「最期に、これだけは伝えないと」

 

「───────ああ、どんな?」

 

イリヤがいつもと同じ調子で話すものだから、俺も湧き上がる感情を抑えていつもと同じ声で、イリヤの答えを待った。

 

 

 

 

「──────シロウ、大好き。今までシロウと一緒にいられて、本当に、幸せだった。だからシロウも········································」

 

─────幸せに、なるんだよ。

幸福に満ちた、花のような笑顔でイリヤは綻んだ。

それで満足したと言うように。

ふっ、とイリヤの手から力が抜けた。

雪のように冷たい手は、もう俺に暖かさをくれる事は無い。

 

「··················ああ、俺も大好きだ。これまでもこれからも、イリヤの事が、大好きだよ」

 

その言葉はもう、イリヤには届かない。

俺の答えを待たずしてイリヤは行ってしまったから。

出会った時と同じだ。

雪のように現れて、雪のように行ってしまう。

──────そういえばイリヤと出会ったあの夜も、今みたいな銀色の雪が降っていたんだっけ。

 

 

 

 

「う···········っ、あ···········あ·············」

 

 

 

 

イリヤの身体を抱きしめて、俺は泣いた。

脳が空っぽになるほど泣いて、泣いて、泣いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、衛宮士郎は虚ろな心で聖杯戦争の勝者となった。

 

 

 

 

 

 

 

これが、俺が経験した第五次聖杯戦争の記憶。

残ったのは虚無感と自己嫌悪。

──────愛する少女を失った俺は、文字通りの機械となったのだ。

 

 

 




ダイジェストでお送りしたエミヤの過去編、いかがだったでしょうか。
士郎(敢えてここはそう呼びます)がイリヤを守れなかった、というのは第1話からそれとなく記述されてましたが、今回がその真相となります。
第五次聖杯戦争を全て描写しようとするとまじで本編より長くなりそう(実際今回の話は今までの話の半分以上の文量)なので超ダイジェスト版でお送りしました。

イリヤと士郎のアレについてはエロさよりも悲壮感漂うものになるように描写したつもりです。前書きでも書いたHeaven's_Feel第2章と同じ感じですね。アレもエロさよりは悲しさがキワ立つものでしたし。

というか自分まだ17歳なんで書いたら色々アウト()

受験生という事もあり次の投稿が遅れる可能性もありますが、これからもこの作品をよろしくお願いします!!


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