路地をはいずる一体の少女人形がいた。
彼女は真鍮の骨格と蒸気でうごく心臓をもつ真鍮人形であった。

そして、彼女はとある機械技師にひろわれ、新たな生活が始まった。


※『SteamPunkStreet』の博士、スーベニア、ヒエロドルテが登場人物です

1 / 1
真鍮少女は涙を流せない

 上を見上げると青空が視界を埋め尽くす。

 蒸気塔上層でしかみることのないまぶしさに目をほそめ、中層行きの昇降機へと乗り込む。

 十数名分のシートがすきまなく並べられた狭い部屋の中で、自分の席に腰を下ろす。

 ベルトで体をシートに固定して数分後、やがてギチギチと歯車が回りだす金属音が耳にはいる。ふわりとした浮遊感につつまれ、数百メートルにおよぶ距離を一気に下っていく。

 

 がくんと体が揺れ昇降機が止まると、ようやく不快なあの感覚から解放される。

 昇降ターミナルには次の便を待つものや、出迎えなどでごったがえしていた。

 いまだに足元がふらふらとおぼつかない。三半規管を整えるためにごくりとつばを思い切りよくのみこむ。

 

 ロビーから外に出て見上げると、フタをされた灰色の天井が出迎える。

 真鍮と石材のすき間から外界の光が差し込んでくるだけの中層で育ったせいか、薄暗さがよく目に馴染んだ。

 上層より下に住む人間の中にとっての世界は、灰色と真鍮のセピア色が当たり前であった。

 

 石畳で舗装された道を歩くと、すれ違う人間は少ない。

 格子状の壁で覆われ鳥籠にも似た構造の中層では、蒸気機関から吐き出された煤が大気中に舞い散っている。外を出歩く人間は少なかった。

 ときおり見かける人間は顔を防護マスクで覆っている。男も女かも顔は見えない。無表情の化け物が人間に化けていても分かりはしないだろう。

 

 街中からはずれるにつれて、あたりの建物は煤煙を吐き出す工場が目立つようになる。

 動いているのは人間ではなく、真鍮の骨格をもち蒸気で動く真鍮機械(ブラス・マキナ)たちであった。

 重低音が響くなか、彼らは黙々と同じ作業を繰り返す。

 バケツをひっくり返したような頭部に、双眼鏡にも似たレンズをはめた両目、口に小型スピーカーをつけただけの量産品たち。

 そんな簡素なつくりの中で、その少女の姿は一際目立っていた。

 真鍮人形(ブラス・ドール)、人間を模してつくられた人形。それは精神構造さえも模倣して作られ、過酷な労働の中で少女の顔は苦痛で歪んでいる。

 銀色の髪は煤でよごれ、白磁のような肌は油まみれになっている。

 少女人形はオリジナルのパーツでつくられた特注品のようだった。なんらかの理由で持ち主が手放し、中古業者が買い取って労働用として再利用したのだろう。

 

 よくあることだった。

 

 不意に顔をあげてきた少女と視線が絡むが、心をからっぽにして通り過ぎる。

 

 

 工場のすき間に見える錆のういた建物。

 これが我が家だった。

 入口の上には『デンティウム研究所』という、その建物の粗末さに反した自己主張の強い看板が掲げられている。

 中にはいると広い部屋の中に、雑然とガラクタがつまれている。

 

「メディクス、おかえり~」

 

 山の一角から、間延びした声がきこえた。

 すき間からひょっこりと顔をのぞかせてきたのは、私の姉であるディジーであった。

 ただいまと返事をし、足元のガラクタに足をひっかけないようにする。

 

「3日家を空けただけでこれか……。もうすこし作業環境に気をつけたらどうなんだ?」

 

「ごめんねー。せっかくメディクスが片付けてくれたのに」

 

 謝りながらも彼女の手は止まらない。

 クレーンでスクラップになった真鍮機械を吊り上げて、作業台の上にのせる。

 左腕はごっそり肩からちぎりとられた跡が見え、下半身は爆発に巻き込まれたようにちぎれて体の半分しかなかった。

 

「まさか、そいつを直そうっていうんじゃないよな?」

 

「うーん、がんばれば直せそうだし」

 

「あのなあ、毎回いっているがうちはスクラップ屋だ。もちこまれた廃棄品をばらすのがおまえの仕事だろ」

 

「駄目そうだったらばらすからさ、やるだけやらせてよ、ねっ」

 

 何度目になるかわからないやりとりをして、作業を始めた姉の背中に諦めのため息を吐く。

 私達姉妹は、幼い頃から仕事場に転がる真鍮機械をおもちゃとして遊んでいた。

 分解して遊んでいるうちに技術が身につき、親がいなくなった後もスクラップ屋を続けることができた。

 

 しかし、姉は毎回かわいそうだといっては持ち込まれた廃棄品を再生しようとする。

 大量生産品のそれらは修理するよりも新品を買うほうが安いという理由からうちに持ち込まれたわけで、当然姉のせいでうちの経営は赤字になっていく。

 

 そのせいで、いきたくもない上層に出稼ぎにいくはめになっていた。

 上層の金持ち連中が持つ真鍮人形のメンテナンスを請け負う仕事は、中層で働くよりは実入りはよかった。しかし、なれない愛想笑いをうかべているせいで顔がつかれた。

 

 作業場の奥に作られた生活用の部屋に入り、ようやく息を吐く。

 ソファて手足を伸ばしながら顔の筋肉を揉み解していると、外が騒がしくなった。

 近くの工場から警報が鳴り響き、大勢が慌しく動き回っている気配がする。

 

 まさか大規模な事故でも起きたかと心配になり、姉の様子を見に行った。

 そこでは、世間の動きなど関係なく真鍮機械と向き合う姿があった。

 

「姉さん、外で何かあったみたいだ。様子をみてくるよ」

 

「えっ……? うそ、火事かな、どうしよう!」

 

 声をかけると、ようやく姉は周囲の状況に慌て始めた。

 マスクを引っつかみながら外に出ると、まずは近くの様子を観察する。火災や化学事故といった様子はなかった。

 目立つのは保安局のトレーラーだった。

 銃器で武装した保安真鍮機械(パトローラー)が道を封鎖している。まるで、指名手配犯が逃げ出したときのような厳重さであった。

 

「あれは、工場で働いていた真鍮機械?」

 

 道端には残骸と化した真鍮機械の部品が散乱していた。姉が横たわり目のランプから光をなくしたそれに手を伸ばそうとした。

 

「警告、市民は速やかに退避してください」

 

 無機質な合成音声を伴って保安真鍮機械(パトローラー)が姉を制止する。姉の手を引っ張り家の中にもどると、姉は無言のまま真鍮機械を修理を再開した。

 

 作業場の明りは消えることなく、外の騒ぎは明け方過ぎまで続いた。

 

 彼女は頑固でそして一途であった。

 何事も徹底して追及しなければならないという厄介な性分を抱えている。

 真面目というか神経質というか、上から下まですべてを把握していないと気が済まないらしい。

 それが短所なのか長所なのかはわからないが、不安に感じることがあった。

 今まで特に大きな失敗がなく爆走することができたが、いつか落とし穴や崖やらに落っこちてしまうような気がした。

 足元を見ないで突っ走る彼女は、自分が落ちたとき初めて知るのかもしれない。

 

 結局一晩かけて真鍮機械の修理を終えると、姉は「寝る」と一言残して、ベッドに倒れこむと動かなくなった。

 

 騒ぎの中心となった工場は稼動せず静かであった。

 いつもならば、絶えず響いている機械音はなくこんなに静かなのは生まれて初めての経験であった。

 

 外にでると、騒ぎの跡などなかったように、昨晩散乱していた残骸は片付けられていた。

 残骸を少しでも回収できれば、収入にあてることができるかと期待したが遅かったようだ。

 そのうち、昨日の残骸の一部が廃棄品としてうちに持ち込まれるだろうなどと考えていたときだった。

 

 ごりごりと金属がこすれる音がして、マンホールのふたがずれた。

 そして、中から出てきたのはいつか工場で見た真鍮人形であった。下水道の中を這ってきたのか、その体は苔や泥でひどく汚れていた。

 

 左腕は根元からちぎれ、右目は顔ごと抉り取られていた。腹部からはチューブがはみ出し、動いているのが不思議な状態である。

 残った腕だけで石畳に体をざりざりとこすりつけながら、じりじりと前に進もうとする。

 その先には壁があるだけで、もう視覚器が働いていないのだろう。

 

 しかし、深紅の瞳はたしかに何かを見ていた。

 千切れかけていた右腕がはずれ、その顔が地面へと落ちていく。

 そして、糸がきれた操り人形のように動きを止め、ガリガリと地面をこする音が止むと静寂がまた戻ってきた。

 

 虚ろな影をたたえる瞳の少女人形を持ち上げると、その体は驚くほど軽かった。

 

 

 夕方過ぎ、ようやくおきてきた姉が作業場にやってきた。

 

「おはよー、あれぇ? その子は?」

 

「拾った。いまから分解して部品取りするところだ」

 

「そんなっ!? こんなにかわいいのに……」

 

 予想通りの反応に、真鍮人形の修理にはいつも以上に費用がかかることを懇々と説明した。

 

「修理費ならわたしががんばって捻出するからさ、ねっ」

 

「姉さんががんばるほど赤字がかさむのだが……。それに、いいのか?」

 

 姉は少しだけ寂しそうに「もう何年も前のことだし、大丈夫だよ」と微笑んだ。

 以前はここにいた真鍮人形に、姉はとてもなついていた。それがいなくなったとき、姉はしばらく真鍮人形を怖がるようになっていた。

 

 破損しむき出しになった頭部の内側から、ほのかな緑色の光がもれだし、姉の顔に陰影をつくる。

 それは、呼吸のように明滅する制御中枢の光であった。

 

「……うちにある真鍮機械用のジャンクパーツだと規格が合わないものが多い。集めるの手伝えよ」

 

「わかった! まかせてよ!」

 

 顔を明るくさせた姉に注文リストを渡すと、作業場を飛び出していった。

 

 

 欠けた部品を継ぎ足し、破損箇所をつなぎなおしていく。はがれた表皮を張りなおしていくことで、次第に人間らしい形になっていった。

 一部、中層では手に入りにくい部品があり、どうしようかと悩んでいたときだった。

 

「そういえば」と思い出し、外出用のバックパックをひっくり返し床に散乱した中からお目当てのものを見つける。

 上層の真鍮人形を修理中に、そのスペックに不似合いな高級部品が使われていたため廉価品と交換しておいた。

 愛玩用のくせに軍用真鍮機械なみの運動性能をもたせようなんて、金を持っている連中の考えていることはわけがわからん。

 

 そんなことを考えているときだった。

 じっと私の顔を見る姉の視線に気がついた。

 

「なんだよ?」

 

「メディクスが楽しそうにしてるから。それに、こうやって一緒に働くのは久しぶりだと思って」

 

 同じことを思っていたとは答えず、黙々と手を動かし続けた。

 

 

 作業台の上には一体の少女人形が横たわっている。その姿には欠損はない。欠損していた両腕や顔パーツは代用品ですませたせいか、少々バランスが悪い。

 

 残っていた制御中枢の修復作業にとりかかる。。

 真鍮機械は記憶回路(メモリー)演算回路(プロセッサー)によって、その動きを制御している。

 真鍮人形の場合はその二つに加えて精神回路(マインドサーキット)が存在する。この余計な回路が真鍮人形に人を模した感情を付与させていた。

 

「この子の名前、スーベニア=マニバスっていうんだって。いい名前ね」

 

 記憶回路に残されたデータを読み取りながら、この真鍮人形のマスター登録を姉の名前に書き換える。

 

「メモリーはどうする? 消しておくか?」

 

「ううん、そのままにしておいて。記憶消したら精神回路もリセットされちゃうからね」

 

「工場から脱走してくるような真鍮人形だが、本当に大丈夫か?」

 

 大丈夫と言い切る姉に不安を感じながらも、すべての作業を完了させた。

 できあがった少女人形を見下ろす。

 皮膚は白く、裏側にある青白い血管が透けて見える。しかし、それは表皮の裏側にそう印刷されたもので、肌のうぶ毛や頬の赤みも装飾である。

 

 『人類の叡智は自らと同等の存在を作り出すに至った』

 

 真鍮人形の開発者が口にした言葉だった。

 

 雲を突き抜ける蒸気塔を作り上げた人間は、天にまします神に手をのばそうとしているのだろうか。

 

「えっと、それじゃあ……。おきて、スーベニア=マニバス」

 

 マスターである姉の声に反応して、少女人形はゆっくりと体を起こした。

 こちらを見る表情は茫洋としていて寝ぼけているように見えるが、もしも暴走したときに備えてライフルに手をかけその動きを注視する。

 

「はじめまして。わたしはディジー。こっちは妹のメディクスね」

 

 姉がにこりと笑いかけるが、少女人形は無表情のままぼんやりと天井を見上げている。

 壁際のロッカーから服を取り出し、膝の上に置いて着るように命じた。

 

 白い上下に身を包んだ少女人形は、部屋の様子を観察しだす。それはものめずらしさからというよりも、警戒心からの行動のように見えた。

 

「とりあえず起きたばっかりだし、修理した体になれるまでゆっくりしててね」

 

「……はい、マスター」

 

 

 明りを落とした作業場に足音がひとつ。

 慎重に進み、やがて裏口にたどりつくとドアノブに手をかける。

 しかし、ガチャガチャと音をたてるだけで、一向にひらこうとしなかった。

 

「……なんでよ、カギはかかっていないはずなのに」

 

「そのトビラはな、あけるのにコツがいるんだ」

 

 ドアノブを握りながら扉の隅を蹴り飛ばしてみせると、軋んだ音を立てて外に開いた。

 外のガス灯の明りが少女人形の顔を照らしだす。

 そこには、昼間と打って変わって少女人形は敵意に満ちた表情があった。

 

「わたしは行かなきゃいけない場所があるの。そこをどいて」

 

「それはおまえの都合だ。おまえを直すのにかかった修理費を返せ。そうすれば、どこへなりとも行くがいい」

 

「そんなものあるわけないでしょ! ばかじゃないの!」

 

「じゃあ、ここで働け。単純な話だろう? それに、まだ外には保安局の連中がうろついてる。いいのか?」

 

「……わかった。あんたの口車にのってあげる」

 

 不満と怨嗟をためこんだ瞳でにらみつけ、少女人形は肩を怒らせながらもどっていった。

 

 

 次の日から、少女人形は姉の手伝いとして作業場で働き始めた。

 姉はなんとか打ち解けようとあれやこれやと話しかけるが、簡単な返事しかせずに距離と取り続けた。

 

 姉が手招きし、少女人形に仕事をひとつひとつ丁寧に教えていたときだった。

 

「あのマスター……、質問いいですか?」

 

「なあに? なんでも聞いて!」

 

「どうしてデータをインストールせずに言葉で教えようとするのですか。効率が悪いと思います」

 

 工場などに配備される真鍮機械にはあらかじめ必要なデータだけをインストールして、同じ作業だけを続けさせる。

 おそらく、この少女人形が工場で働いているときも必要な知識だけを植え付けられたのだろう。

 

「うーん、そうなんだけどね、なんか味気ないじゃない。それに人に教えるのは自分のためにもなるって、昔教わってさ」

 

 理解できないといった顔をしながらも、少女人形は姉の動きをトレースし正確に作業をこなしていく。

 そこに一切の無駄はなかった。

 

「覚えました。次からは自分でできます」

 

 すごいすごいと褒められるがその表情に一切の変化はない。

 そんな姉を見ながら昔の光景を思い出す。

 小さな子供が二人、そしてそれを見守る少女型の真鍮人形。そのときは立場が逆で、真鍮人形のほうが教師役であった。

 

 

 作業のない時間、少女人形は決まって窓際でたたずんでいた。その視線は窓ガラスごしにどこか遠くに向けられているようだった。

 

「どうした? そんなにじっと見て、おもしろいものでもあるのか」

 

 声をかけるが少女人形はチラリと視線を向け、すぐに外にもどす。

 

「……別に、逃げようって考えてたわけじゃありません」

 

「いやいや、疑っていたわけじゃないから。単純に気になっただけだ。もしかしたら、前の持ち主のことでも考えていたのかと思ってな」

 

「……そんなわけない。勝手に造って、いらなくなったらあっさり捨てるようなやつらのことなんてどうでもいい」

 

 冷たく言い放った言葉の端に、人間への嫌悪感がにじみ出ていた。

 そんな少女人形に「それでいい」とうなずくと、奇妙なものを見るような顔をしていた。

 

 

 上層での出稼ぎから戻ると、少女人形の格好が変わっていた。

 いつもの作業服からスカート姿になっていた。ワインレッドの深い色は、少女人形の深紅の瞳とよく似合っていた。

 

「おかえりー、どうかな? スーちゃん、かわいいでしょ!」

 

「マスター、わたしの名前を略して呼ばないで下さい。それにこの格好は作業に適していません」

 

「えー、だって、かわいいほうがうちにきたお客さんも喜んでくれるからさ。これは売り上げ倍増間違いなしだね!」

 

 姉にべたべたと触れられて、少女人形は助けを求めるようにこちらを見る。

 そこに、「ごめんください」という声が店の入口から聞こえた。

 

「仕事だぞ、看板娘。客のところにいってこい」

 

 しかし、入口に向かったはずの少女人形はすぐにもどってきた。

 

「マスター、お客様がお呼びです」

 

「わたし? なんだろう」

 

 店の入口に立っていたのは、人間ではなく女性型の真鍮人形であった。中層には不似合いな豪奢なドレスで着飾り、手にはたたんだ日傘を携えている。

 顔にはめこまれた巨大なレンズがこちらを見据えている。その表情は何を考えているのか読めなかった。

 

「あなたがその真鍮人形のマスターでいいのかしら?」

 

「そうですけど……」

 

 どこか高圧的なものいいをする真鍮人形は、公安局の手帳を見せ付ける。

 

「私はヒエロドルテ=オキュラス、公安局所属の真鍮人形ですわ。隣の工場で起きた事故のことはご存知かしら?」

 

 首を横に振る姉にあきれたようにため息をはいた。

 

「あれだけ騒ぎになったっていうのに、本当にのんきなものね。中層の人間は頭の中まで煤まみれになっているといのは本当のようね」

 

「はあ、どうも……」

 

 それからヒエロドルテは事件のあらましを語った。

 工場内で働いていた真鍮機械たちた突如として暴走しだしたこと。人間の命令を聞かなくなり、外へと散らばっていった。

 最終的に保安局の機動部隊によって事態は鎮圧化された。

 

「回収した真鍮機械に残されたメモリーを解析したら、演算回路をいじられた跡があったのよ。それができるのは人間か、もしくは知識をインストールされていた真鍮人形だけ。工場から逃げ出した真鍮人形を探しているのだけれど、まさか現場のすぐ近くにいるなんて、大胆なのか考えなしなのかどちらなのでしょうねぇ」

 

 ヒエロドルテのレンズはすべてを見透かすように、少女人形の瞳をのぞきこむ。

 間に立つ姉はあわあわと二人の顔を交互に見やる。

 少女人形はというと青い顔をしながら逃げ腰になっていた。

 

「……残念だが、こいつを拾って修理したときにメモリーはすべて消去してしまったよ。こいつは何も知らない」

 

「ふうん、……そう。それでは、そういうことにしておきましょう」

 

 記憶データを解析させろと追及してくるかと思ったが、ヒエロドルテはあっさりと引き下がった。

 

「これ以上中層なんかにいたら、服が汚れてしまうわ」

 

「ごきげんよう」という言葉を残し、日傘を広げ去っていった。

 その背中が見えなくなりようやく緊張を解くと、そこに「どうして」という呟きが聞こえた。

 

「どうして、かばったりしたの……。わたしのメモリーをのぞいていたあなたたちは、最初から知っていたはずでしょ」

 

「えっと、それはね……、なんとなくかな?」

 

「ちゃんと答えてください!」

 

 姉のあやふやな答えにごまかしだと思ったのか、少女人形は怒りを露わにする。

 

 それは不安の裏返しなのだろう。

 人間に生まれる理由なんてものはないが、真鍮人形が造られるときそこに求められるものが存在する。

 マスターは真鍮人形に名前を与え、その立場を明確にすることが最初の仕事となる。

 擬似的な家族としてであったり、仕事のパートナーしてであったりと……。

 

 姉がこの真鍮人形に求めるもの、それがなんなのか察しはつく。それを、今のこいつに口にしても理解してもらえないだろう。

 

「おまえはうちの従業員だからな。この前も給料もらっただろう?」

 

「そうですね……。そのあとすぐにあなたにとられましたが」

 

「あれは修理費の回収だ。へんな言い方はよせ」

 

「じゃあ、あなたのことは社長って呼んだほうがいいのですか?」

 

 不満げに質問してきたが、姉がおずおずと手をあげながら自分の顔を指差していた。

 姉がうちの事業主だと教えてやると少女人形は目を丸くしていた。

 

 

 その日から、少女人形の表情に色がつくようになった。

 姉にとってその変化がうれしいのか、余計に構うようになっていた。

 

「さあ、スーちゃん。服を脱いで。油差そうね~」

 

 潤滑油の注入器を片手にじりじりと近づく姉を前に、少女人形は顔をしかめながら壁際まで後退していく。

 

「結構です。自分でやりますから」

 

「そういわずに、ねっ。あとでおいしい石炭あげるから」

 

 真鍮機械や真鍮人形は炉内に石炭を投入することでエネルギー源とする。石炭にも品質に差があり、人間でいうところの味の違いのようなものがあるらしい。

 

「……石炭」

 

「再生石炭なしの純度100%の天然石炭だよ!」

 

「そこまでいうなら、じゃあ腕だけ」

 

 少女人形がむすっとした表情で右腕をさしだすと、姉は赤ん坊に哺乳ビンを与えるように油をさしていた。

「あとは自分でやるといって」姉の手から油の注入器を取り上げると、少女人形は外にでていった。

 木箱に腰掛けながら少女人形は脚部をはじめ順々に油を差していく。そうして、メンテナンスを終えると、体の調子をみるように動かしていた。

 

 右腕を動かしていたとき不意にその動きをとめて、そっと表面を指でなでる。

 そこにはかすかな笑みが浮かべていた。

 

 

 あるときのこと、帰ってくると泣く姉とそれをなだめる少女人形という構図にでくわした。

 

「なにやってんだ……」

 

「メディクスぅ~、スーちゃんがこの家から出て行きたいっていうんだよぉ」

 

 姉の泣き声を背景音楽に少女人形から話を聞きだすと、ただ外出許可をもらおうとしただけらしかった。

 

「なんだ、出て行ってもいいかなんて聞かれたから、てっきり……。いいよ、いってきな!」

 

 あっさりと許可が下りたことに少女人形は驚いたように言葉を詰まらせる。

 

「本当にいいのですか?」

 

「いいんじゃないか。保安局のほうも心配ないみたいだし行ってこいよ」

 

 

 

 次の日、店の裏口から出かける少女人形を見送ると、姉は特になにをするでもなくボーっとしていた。

 

「意外とあっさりと送り出したな。姉さんのことだから、ついていくとか言うかと思ったのだがな」

 

「だって、ときどき思いつめたような顔をして窓の外をじっと見ているんだもの。たぶん、今から向かう先に工場を脱走しようとした理由があるのでしょうけれど……」

 

 姉は、心の底から気になるといった表情をしている。

 

「昔、わたしたちだけで上層に行こうとしたことがあったじゃない。あのときスーテラがこっそりついてきてさ。心配してついてきたのはわかったけれど、信用されてないみたいでちょっといやだなって思ってね」

 

「結局、上層行きの通行証がなくて追い返されたけどな。そんなこともあったな……」

 

 姉の口から“スーテラ”との思い出が語られたことに時の流れを感じた。

 以前であったら、故意に避けてきた話題のはずであった。

 この家には4人が住んでいた。私と姉、父、そして真鍮人形であるスーテラ。

 上層にいったきり父が帰らなくなり、しばらくの間3人での生活が続いた。『母』と呼んだことはなかったが、私達姉妹にとってそれに近しい存在だった。

 

 夕方過ぎに帰ってきた少女人形の声には元気がなく、なにがあったかは想像がついた。

 気落ちする少女人形を姉はいつも通りの笑顔で出迎える。

 

「おかえりなさい、スーちゃん」

 

 姉の言葉を聞き少女人形は数秒置いてから、家を空けたことを謝る言葉を口にする。

 

 それから、少女人形が窓の外をじっと眺めることはなくなったが、代わりに額に眉をよせて思い悩む姿を見かけるようになった。

 

 

 月末に、少女人形に給料の入った袋を手渡すと、いつものようにそのまま返そうとしてきた。

 

「なんですか? 早く受け取ってくださいよ」

 

「いや、それはおまえのものだ。借金は先月で返し終わったからな。好きなことに使うといい」

 

「そうですか、わかりました。これでお役ごめんってわけですね。お世話になりました」

 

 怒ったような口調で言い切ると踵を返して出口に向かおうとする。

 慌てて引き止めると、「なんですか?」と険のある目つきで睨んできた。

 

「別にそんな意味でいったわけじゃないぞ。おまえの精神回路はちょっと複雑すぎないか」

 

「そんなことないってことは、修理したあなたがしっているはずです」

 

 こんなとき姉がいればいいのだが、生憎昨日遅くまで作業していたせいでまだ夢の中だった。

 

「えっとだな……。ちょっと、外に出てみろ」

 

「なんですか? 出て行けってことですか」

 

 渋る少女人形をなんとか外に誘導し、そしてもう一度中に入ってくるようにいった。

 困惑顔のまま少女人形は一歩足を前にだした。

 

「これが一体なんだっていうのですか?」

 

「ちがう、『ただいま』だ。家に帰ってきたときはただいまっていうんだ」

 

 じっと返事を待っていると、小さな声で『ただいま戻りました』という声が聞こえた。

 ようやく曲げたつむじが戻ったようで、やれやれとため息をつこうとした。

 

「あの、ちょっといいですか」

 

 少女人形から私に話しかけてくるのはめずらしいことだった。

 緊張した面持ちの少女人形からは、上層に行く方法を聞かれた。

 

 下層から上層に3つに別れた蒸気塔を上下に行き来するには、中央に設置された昇降機以外に方法はない。

 上から下にいくのは簡単だが、下から上に行くには制限がかけられていた。

 

「あなたが何度か上層にいっているのを見ました。その通行証はどうやって手に入れたのですか?」

 

「私はこれでも国家資格もちの整備士だからな。資格免許が通行証がわりになっている。真鍮人形であるお前さんでは、その資格をとるのは無理だろうな」

 

 最も簡単な方法は金で許可を買い取ることだった。しかし、それに必要な額は一般的な中層の人間が払える額ではない。

 選ばれた人間だけが上層に住める。この世界はそういう仕組みになっていた。

 

 私の答えをきいた少女人形は当てがはずれたとばかりに、ガッカリとした表情を見せる。そして、今のやりとりでこの間少女人形がどこにいったのか想像がついた。

 

「上層なんかに何の用があるんだ?」

 

 少女人形は視線をそらし答えようとしないので、諦めて背を向けようとした。

 

「……空を見たかったんです」

 

「空?」

 

「はい、約束だったんです。空の色が何色か見てくると」

 

 少女人形はぽつりぽつりと思い出を語り始めた。

 

 以前に住んでいた家にひとりの男の子がいました。彼は呼吸器が弱く、この中層の空気をすっていつも苦しそうにせきこんでいました。

 彼の世話を命じられ、身の回りの世話の他、本を読み聞かせていることが多かったです。それが彼にとって唯一外界を知る手段でしたから、よく本を読むことをせがまれました。

 本のタイトルは忘れましたが、それは世界の美しさを文字で表現しようとした詩でした。その中で出てきた空について聞かれましたが、わたしは答えることができませんでした。

 話すだけで咳き込んでしまうため、彼とはあまり会話を交わすことは少なかったのですが、そのとき約束をかわしました。

 

「空を見てきたら、それがどんなものだったか教えてほしいと」

 

 しかし、彼とはそれっきりになりました。

 少年の病状が重くなると、突然中古業者がやってきて売り払われました。真鍮人形から出る蒸気が病状を悪化させたといわれました。

 工場での作業中、考えるのは彼のことばかりでした。最後にみた彼の姿は健康とは程遠く、あまり時間が残されていないように見えました。

 

 だから、わたしは脱走することにしました。

 

「少年にただ一言伝えにいこうとしました。空をみたことがないわたしですが、嘘でも彼が元気になればいいと思ったのです」

 

 

 淡々と語り終えると、少女人形は表情を隠すようにうつむいた。

 

「スーぢゃあ゛あ゛あ゛ん、わたしが絶対に上層に連れて行ってあげるからね!!」

 

 いつのまにか現れた姉が少女人形を抱きしめながら、顔を涙と鼻水で汚している。

 そんな姉から少女人形はむずがるように身をよじって逃げようとする。

 

「マスター、離れてください」

 

「わたしはスーちゃんのこと絶対に手放したりしないからねっ!」

 

 しかし、本気で逃げようとすれば真鍮人形の力なら容易に抜け出せるはずだった。

 

『どうして、真鍮人形は涙をながせないのでしょう……』

 

 父がいなくなったとき、スーテラは私と姉の手をぎゅっとにぎりながらそんな言葉を口にしていた。下から見上げたスーテラの悲しそう顔は今でも頭にこびりついていた。

 あの時も、姉は私達の分までかわるように大声で泣いていた。

 

 

 それから、姉は「上層行きの許可証を買い取るためにがんばるね」といって張り切りだした。

 夜遅くまで作業しようとするため「うるさくて寝られない」といって無理矢理寝かせた。

 

「マスター、あまり根をつめては体に障ります」

 

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。お姉さんにまかせなさい」

 

 

 その日は、いつもより灰色の空が濃くなっていた。煤が舞い散る量が多いのだろう。

 早く家に帰ろうと急ぐと、家の前で場違いな日傘をさしている人影が見えた。

 

「あんたは、ヒエロドルテ? どうしてここに……」

 

 まだあの少女人形に用があるのかと身構えるが、彼女は首を横に振った。

 

「別件よ。とりあえず、あの子なんとかしてちょうだいな」

 

 ヒエロドルテの視線の先には、放心したように地面にペタリと座る少女人形の姿があった。

 

「おい、どうした? また、姉さんがなんかやらかしたのか」

 

 意識しないが口調が早くなる。

 少女人形の顔にはべったりと血が張り付いていた。

 

「マスターが……壊れてしまいました……。お願いします、修理してあげてください」

 

 焦点の定まらない少女人形を置いて、作業場の中に入る。

 見慣れた壁や工具にペンキをぶちまけたように赤色が派手に飛び散っていた。

 まだ渇ききらずぬめり気をおびた雫がぴちゃりと床に垂れる。

 

「遺体はもう運び出したわよ。あとで病院のほうに確認にきてちょうだい」

 

 ヒエロドルテの口から事件の説明をきかされるが、左から右にその声が素通りしていく。

 

「解体中の真鍮機械の蒸気源を切っていなかったようね。作業中に急に動き出した真鍮機械に巻き込まれたっていうのが、こちらの見解よ。唯一の目撃者であるあの子はあの様子だし、落ち着いたらまた話を聞きに来るわ」

 

 しかし、私からの返事がないことに業を煮やしたようにヒエロドルテは声を強める。

 

「わかったのかしら?」

 

「……姉さんは……ディジー・デンティウムは死んだのか?」

 

 数秒の間をあけて「ええ、そうよ」と真実が耳に突きささった。

 

 それから、保安局の黒塗りの自動車にのせられて病院へとむかった。

 ぼやけた視界で外をながめると、景色が次々においてけぼりにされていく。

 10分ほどで病院に到着すると、灰色の空を突き刺すように白い建物が聳え立っていた。

 廊下の突き当たりのその部屋はあった。

 『保管室』というプレートの張られたその部屋に入ると、ひやりとした空気がほおをなでた。

 部屋の中には白く縦長の箱がいくつも並べられていた。そのうちのひとつに案内される。

 保安員がゆっくりとフタを持ち上げてずらしていく。

 半分だけずらしたところで、その中身が見えた。

 

「……間違いありません。私の姉です」

 

 かさかさになった唇でなんとか言葉を紡ぐことができた。

 立ち尽くす私の前で、フタが閉じられれていった。

 これで、姉とは今生の別れだった。

 姉の遺体は火葬されて、後は大気中を舞い散る煤になるだけだった。

 少女人形にもそれを告げたが、しかし、一緒に来ようとはしなかった。

 

 帰りの車を出すという保安員からの申し出を断り、私は煤が舞い散る街中を歩いていた。

 スクラップとして廃棄されるはずだった真鍮機械を姉は助けてきた。そして、その真鍮機械に殺された。

 

 

 

 家に帰ると、少女人形は朝見たときと同じ格好でうずくまっていた。

 足音に反応してピクリと顔をあげて、じっと私の顔をみてきた。

 

「どうした?」

 

「えっ!? あっと、すいません。おかえりなさい」

 

「しっかりしてくれよ。これからは二人でここをやっていかなきゃらならんのだから」

 

「わたしは……ここにいてもいいのでしょうか……。わたしのせいでマスターは、わたしなんかをかばったせいで!!」

 

「いったろ、おまえはうちの従業員だ。蒸気源の確認をしなかったのは姉さんのミスだ。だから、気にするな」

 

「わたしなんていくらでも代えの効く真鍮人形でしかありません! 役に立てなかったならば、どうやって生きていけばいいかわかりません!」

 

 早口でまくしたてる少女人形を見ながら、いなくなったもう一人の真鍮人形のことを思い出す。

 

―――マスターがいなくなった後、生き方がわからない

 

 数日後、事故によってスクラップ同然の姿になった。最後に彼女の姿を見たのは姉だった。

 

「ここにはね、壊れた真鍮機械がたくさん持ち込まれて、たくさんばらばらにしてきた。壊し方は知ってる。でも、生かし方はしらない……」

 

 そう言って姉は壊れた真鍮機械たちを修理するようになった。

 

 静寂の訪れた部屋に、隣の工場からの重低音が聞こえてきた。

 

「いいじゃないか、知らなくたって。生き方なんて難しい問題―――人間だってわかっているやつなんていないだろ」

 

 窓に目をむけると、そこから見える風景は相変わらず灰色だった。

 

 

 それから、少女人形は以前のように働くようになった。

 

 彼女のマスター権から姉の名を消すべきか悩んでいた。

 また、スーテラのときのようなことが起きるかもという恐れがあった。

 しかし、もしも消せば、姉の存在がなかったことにされてしまうように感じてしまった。

 

 入口に人影が見え、客への対応に少女人形が向かった。

 

「おかえりなさい、マスター」

 

「あなた、なにをいってるの?」

 

 客はヒエロドルテだった。いぶかしげに自分を見る視線で、ようやく少女人形は自分の間違いに気がついた。

 

「すまんな、まだこいつも本調子じゃないんだ。それで何の用だ?」

 

 ヒエロドルテは一枚の紙をとりだし、サインを求めてきた。死亡事故が起きたので、その処理のための書類だとか。

 

「まったく、なんだって私がこんな使いっぱしりみたいなことをしなきゃいけないのよ」

 

 サインをもらうとさっさとその場を後にしていった。

 しかし、気になるのは先ほどの少女人形の言動だった。

 

「なあ、さっきのは本当にただの見間違いだったのか?」

 

「えっと……、すいません。本当になんであんなことを言ってしまったのか、わたしにもわかりません」

 

 自分のことに困惑する少女人形に不安を感じた。

 それは、マスターである父を失った真鍮人形スーテラと似ていた。

 ある日、スーテラが「おかえりなさい、マスター」というので玄関をみるがなにもいない。

 やがて、そこにいるように振る舞い始めた。

 姉と私はおかしいと思いながらも、無理をしていたスーテラが笑顔になったのを見て指摘できずにいた。

 

 そして、事件は起きる。真鍮機械を粉砕するローラーにふらふらと近づくスーテラ。

 スーテラは父の名前を呼びながらローラーに巻き込まれていったと、姉から聞いた。

 

 それが自殺だったのかそれとも事故だったのか、本当のところはわからなかった。

 ただ残ったのは、どうして早くスーテラから父の記憶を消してやらなかったのだという後悔だけだった。

 

 

 そして、少女人形が何もない空間をじっと見る回数が増えていった。

 ただ、ボーっとしているのだと考えようとした。

 

 しかし、記憶回路を解析すると奇妙なノイズが見つかる。それは、ちょうど少女人形が虚空を眺めていた時間と一致していた。

 

 最後の決断のきっかけとなったのは、上層からの出稼ぎの帰りだった。

 

 作業場にいるはずのあいつの姿がなく、家の裏でなにかをたたきつけるような金属質な音が聞こえる。

 そこにたどり着くと、家の壁に正面から体を乱暴にたたきつけている少女人形の姿があった。

 

「おい! 何をしている!」

 

 傷跡からは内部骨格が露出し、変形した部品のせいで歩き方がおかしくなっていた。

 それでも、少女人形は『マスター』と口にしながら前に進むことをやめようとしない。

 

 限界だった。

 

 修理を終えると、作業台の上に静かに横たわる少女人形をみながら眉根をよせていた。

 記憶回路を解析した結果、深層にまで奇妙なノイズが現れていた。

 

「……すまん」

 

 記憶回路が全消去される中、その断片が再生された。

 そこには少女人形と姉の姿があった。

 

『マスター、どうしてメディクスさんはわたしの名前を呼ぼうとしないのでしょうか? わたしは嫌われているのでしょうか』

 

『スーちゃん、本当はあの子も真鍮人形のことが好きなのよ。昔はうちにもう一人真鍮人形がいてね、あなたの名前とその人の名前が似ているからかもしれないわね。もっと仲良くなれば、きっと名前で呼んでくれるわよ』

 

 雑音が混じり、姉の姿がふつりと消えた。

 こうして、少女人形の記憶から姉がいなくなり、幻影を見ることもなくなった。 

 

 

「あー、なー、たー、にー」

 

 部屋の中で舌足らずな声が響く。

 少女人形は絵本に顔をくっつけるようにして、一文字一文字口にしていく。

 1週間かけてようやく1ページよんだところだった。

 

 どうしてか、データを刷り込ませるということをせずに、子供にものを教えるようにひとつひとつ口で教えることを始めた。

 

 外出するときも、少女人形を連れ歩くようにした。

 わからないことがあったら質問するようにと言うと、「あれはなに? これはなに?」とあちこち指差すようになった。

 

 赤字の原因となっていた姉がいなくなったことで、上層での出稼ぎだけで収入が十分となった。いやな思い出ばかりが残っている工場を手放そうかと考え始めたときのことだった。

 

「ねえ、ねえ、ますたー」

 

「ますたーじゃない、私のことは博士と呼べといっているだろう」

  

「博士、あのね、わたしもなにかお手伝いがしたい。わたし壊すのなら得意だから!」 

  

 教えたわけでもないのに真鍮機械を分解していることがあった。

  

「なら、この店をおまえにまかせてもいいか? 今日からおまえが看板娘だ」

  

「うん!」

  

 笑顔でうなずく姿を見ながら、「がんばれよ、スー」と頭をなでると気持ちよさそうに目を細めた。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。