かつて、バーテックスという呼称が主流になる前に使われていた名前。荒ぶる神の如き容赦の無さ、それが由来とされている。そこからバーテックスという大社が定めた名称が主流になり、アラガミという呼称は廃れていった。
ただ、ゴッドイーターに関する用語はアラガミ呼びの時代に付けられた為、アラガミと呼ぶ事が多い。想真も稀にバーテックスをアラガミと呼ぶ事が有る。
痛みに慣れる。その行為が示す未来はろくでもない事が多い。ゴッドイーターにも数人存在した、激痛を与えられ続けた事による後天性の無痛症の者、ほぼ全員が早く死んだ。想真が知る中で唯一長生き(とは言えゴッドイーターの中では、だが)したのは想真の部隊の隊長である【楠木
痛みは生き物に限界を知らせる指針だ。だから、普通の人なら耐えられない痛みに遭う事が無い様に生活するし、もしも怪我をすれば手当てをするだろう。だが、それすらも叶わない者が多かった――否、むしろ十全な手当てを受けられる者の方が稀だった。
『痛みが無いっつーのは辛いさ。気付かない内に手足が動かないってのもザラだし、俺は朔夜が居るから生きてられる。居なきゃ、とっくの昔にお陀仏だろうな』
部隊解散以前、想真は竜胆と共に前衛を務めていた。無理をする想真と無理をしていると気付けない竜胆を休ませる役割。それが副隊長にして竜胆の妻だった旧姓竹田朔夜、結婚後は【楠木朔夜】と名乗る女性だった。
当時高校生だった竜胆と朔夜は日本の法律上結婚可能な年齢になると、無理やり結婚式を開いて結婚したのだ。流石に戦時中に子を成す事は出来なかったが、2人の仲睦まじい所を見て励まされた者も多かった。想真と『彼女』も、この2人の様になりたいと思ったのは1度ではない。
しかし、無情にも2人は死んでしまった。2人の死後部隊は解散され、想真と『彼女』は各地の前線に送られた。他の隊員の動向を探ろうにももう後の祭りだ。
何かに駆り立てられるかの様に最前線で戦い続ける『彼女』を連れ戻すのは想真の役割で、まるで朔夜と竜胆の様だと思った事が有る。だが想真は何度も思い、苦悩した。自分達がなりたかったのはこうではない、と。自分達がなりたかったのは仲睦まじい夫婦で、死に急ぐ想い人を死にもの狂いで引き止める血腥い関係ではなかったと。
「ここ、は…」
最近気絶し過ぎている、そう思いながら想真は身体を起こす。間取りは全て一緒なので一目で分かる、ここは大社直営の病院だ。何号室かは流石に分からないが、左腕に打たれている点滴の袋の中身が半分程度しか無い事から、それなりの時間が経っている事が分かる。
病室の壁にはいつものシャツとパーカーがハンガーに引っ掛けられている。直営の病院というものの、ここは恐らく勇者が診察される部署だ。
「…まぁ、俺を表には出せないだろうな」
医薬品は無限ではない。現状は神樹の力によりどこも生活に困窮しておらず不満も少ないが、いつ尽きるかも判らない力だ。ある程度各自治体でも自給自足出来る様に農作物を育ててはいるものの、医薬品を作れる訳が無い。故に方舟では安全第一、大怪我をする危険性が有る行動を大社が制限、禁止している。
そもそも想真は表には出せないのだ。推測ではあるが内臓にもダメージが出る程の大怪我などそうそう負わない上に、想真はゴッドイーターだ。本来は天涯孤独の身で、戸籍は一応存在するが死亡扱いになっていても不思議ではない。それ程までにゴッドイーターは隠蔽しなければならない存在なのだ。
「っ痛…流石に内臓のダメージは簡単には消えないか」
身体を動かすと当然痛む。腹部だけではなく、右腕にも鋭い痛みが走る。ヒビか骨折か、そのどちらかは知らないがまだ治っていないらしい。
寝れば早く治る。経験則で知っている想真は目を瞑るが、先程まで眠っていたせいで全く眠れる気配が無い。一縷の希望を懐きつつ、ベッドの隣に備え付けられた引き出しを開ける。そこには希望通り――というより、予想通り睡眠薬の瓶が入っていたが、都合の悪い事に水は無かった。流石に睡眠薬を水無しで大量に摂取する気にはなれない。
手持ち無沙汰になった想真は窓から外を眺めていると、自分の胸中に渦巻く感情が有る事に気付いた。久しく感じていなかった類の感情に思案を巡らせ、やっと気付いた。
「…退屈、か。俺も少しは変わったというべきか…」
想真はずっと最低限の光と食事しか無い地下牢に幽閉されていた。その時には退屈など全く感じなかった。感じていたならとうの昔に壊れている筈だ。ゴッドイーターとして戦場を転々としていた時には感じる事は無かった。むしろ、バーテックスの襲撃と『彼女』が勝手に戦いに行かない様に常に気を張っていた為、退屈どころか気の休まる時すら無かったのだ。
そんな想真が退屈を感じている、その事実。それは想真自身が、彼女達を決して邪険にしている訳ではないという証左でもある。
「失礼するぞ〜…って、起きてる!!」
ゆっくり扉が開き、そこを見ていると球子が顔を出す。目が合うと騒ぎ出し、廊下へと引っ込んでいく。声が遠ざかったかと思うと直ぐに戻ってきて、興奮した様子でベッドへと近付いてくる。
「ケガは大丈夫なのか!?」
「…大した怪我じゃない。見てくれは大怪我してる様に見えるが、多少大袈裟にしてるだけだ」
「そっか…なら良いんだけど」
無論、嘘である。ギプスを巻いた右腕を振って健在をアピールするが、腹部も痛ければ右腕も凄まじく痛い。
「球子、急ぎすぎだぞ。少しは落ち着いたらどうだ」
「まあまあ、タマちゃんずっとソーマ君の事気に掛けてたし、少しくらい良いんじゃない?」
「でも、ほんの少しだけは落ち着いて欲しいんですけどね…」
「………別に、良いんじゃない……?」
「だー!好き勝手言うんじゃないっ!特に友奈とあんず!」
さっきまで衣擦れ以外に何も音が無かった病室が、一気にうるさくなる。確かに一般人が入れない病室ではあるが、少なくとも病院で出す声量ではないだろう。
「…少し落ち着け、土居。日常生活で焦っていたら、気が休まらんだろう。今は休む時だ、そう焦る必要も無い」
「ん〜…まぁ、想真が言うならそうなんだろうな。これからは少しゆっくりにしてみる」
「そうしておけ。…戦場では休みたくても、休めないのがザラなんだからな」
「これで球子もちょっとは落ち着くか。…それで、想真さん。1つ訊きたい事が有るんだが」
「なんだ?」
「今回の私達の戦いは、想真さんから見てどうだった?率直に聞かせて欲しい」
「…そうだな…今回も連携がそこまで取れていなかった。しかもあの進化体の倒し方を俺が見つけているのも良くはない。アレの足止め程度、俺がやらずともお前らで解決しなければ、これからの戦いは乗り切れない。正直な話、今回も褒められる点は――」
目を閉じて話していたが、薄目を開けて勇者達の顔を見る。その顔は暗く、やはり褒められないのは辛い所が有るのだろう。少し悪い気もするが、これをバネにして頑張って欲しいと想真は思う。
『お前なぁ…人間、改善点だけ言われても萎えるたけだぜ?』
ふと、思い出した。想真は後輩の指導が苦手だった。と言うより、強くなれる事で有名だったがその容赦無い改善点の提示のせいで自信が根こそぎ折られてしまう事で有名だった。その反面、想真の親友は指導が上手かった。確実に強くなり、そして想真の様に自信を折る事も無かった。
『ちょっとは褒めてやんなきゃ。確かに改善点を教えてやんのも大切だけどよ、ちゃんと成長してる事を実感出来なきゃ、どれだけ重要な事でも萎えちまうもんだからな』
想真はそういう、人の心を察する事は苦手だ。だから、いつもぶっきらぼうに扱ってしまう。それしか知らないから、その触れ合い方しか出来ないのだ。
だが、真似くらいならやれる筈だ。彼程上手くはないが、きっと褒められる点は有る。今回は親友のやり方を真似しようと、想真は先程まで言おうとしていた事を呑み込み、違う言葉を紡ぎ始めた。
「――いや、有るな」
「え…?」
「悪いが、俺はしがみつくのに必死だったから視界の端でしか見ていない。だが、あの数の星屑を3人で捌いていた上に、討ち漏らしたヤツは伊予島がしっかり仕留めていた。高嶋と乃木が前衛で郡が後衛、かなり完成されたやり方だと思う。土居と伊予島も、よくあの進化体を仕留めた。…まぁ、まだまだ改善点は有るが、3回目の戦いにしてはかなり改善された方だろう」
これで良かったのだろうか。そう思いながら、もう1度目を開けると目の前に5人の顔が有った。少したじろぐ想真に、感動した5人は笑う。
「あの想真さんが褒めてくれたぞ!」
「…あの想真が……これは、かなり珍しいわ…」
「にわかには信じられないですね…でも、あの想真さんに褒めて貰えたのは光栄です!」
「やっぱり褒められると嬉しいねー!特にソーマ君から褒められたって思うと尚更!」
「あの想真がタマ達を褒めるとは…想真も成長してるんだな!」
「…お前らよってたかって…あのって何だ、あのって」
「そんな想真さんにご褒美だ。…本来はお見舞いたったんだがな」
そう言って引っ張ってきた台車から机に置いたのは、丼だ。それも、うどんが入ったもの。だが、中に入っているのはつゆとうどんだけで具は何も無い。俗に言う『素うどん』とやらだろうか、と想真は思う。
「…素うどんってヤツか?」
「いえ、今回はちょっと趣向を変えてるんですよ」
「今回はね、私達のオススメの具を持ってきたんだ!この中からソーマ君に選んで貰おうと思って!」
若葉達の後ろに有る台車の上を見ると、そこには幾つかの皿が見える。そういう事か、と納得すると同時に一抹の不安が過ぎる。とんでもない『爆弾』が紛れ込んでいないだろうか、と。
「私はやはりネギだな。どんな具もうどんには合うのだが、始めはシャキシャキとしていながらも、時間が経つに連れて柔らかな歯触りになっていく。それが好きでな、今回はネギにした」
「私はコレ、みんな大好き油揚げだよ!やっぱりおつゆの染みたお揚げさんは美味しいし、ソーマ君にも食べて欲しいなって思って!」
「む、これは友奈さんとライバルかもですね…。私はかき揚げです。野菜を摂りながらもサクサク感を楽しめて、後々柔らかくなったかき揚げを楽しめるんですよ。…あれ、理由が若葉さんと被ってるような…?」
「タマは肉だ!肉は美味いし、何よりケガしちゃったんなら肉を食べれば治る!タマのお墨付きだぞ!」
「…私は卵よ。…理由、理由ね……単純に私が好きだからだけど…悪い…?」
もっともらしい理由を付けてはいるが、恐らく全員自分が好きなものを持ってきただけだろう。想真はそう思った。だが、この中から1つだけを選ぶとなると厄介だ。どうしたものか、そう考える想真に妙案が浮かぶ。
「…そうだな。じゃあ頂くか」
想真は先ず油揚げに左手を伸ばす。
「お!良いセンスだね〜ソーマ君!」
「今回は選んで貰えませんでしたか…」
皿を目の前の机に乗せ、箸を使って油揚げをうどんに載せる。利き手ではない左手なので少し危ういが、油揚げを載せる程度なら出来る。そしてそのまま皿を返すと、次はかき揚げの皿を手に取る。
「へ…?まさかかき揚げもか!?欲張りだな!」
先程と同じようにかき揚げを載せると、皿を返して次は球子の肉だ。
「……次はお肉も……?」
次はネギだ。想真的には柔らかめの方が好きなので比較的早めにネギを入れる。そして最後に卵を入れようとして、ある問題に直面してしまう。
「…不味い」
「え、まだ食べてないのに!?しかもうどんを!?」
「そういう意味じゃない。…俺は片手で卵を割れないんだ」
そう、卵を割らねばならないのに割れないのだ。残念ながら右腕は使えない為、片手で割らなければならないのに想真は片手では卵が割れない。ここで片手割りという高等技術を実践するのも悪くはないが、もし握り潰した場合は悲惨な事になる。
どうするか。卵を握りながら悩んでいると想真の左手から卵が盗られた。没収かと思ったが、目の前のうどんに卵が割り入れられていた。割り入れたのは、千景だった。
「…それぐらい、やってあげるわよ…それとも何…私じゃ不満だったのかしら…?」
「そんな事は無い。助かった、ありがとう」
「…まさか全部載せとはな。案外想真さんも欲張りなのか?」
「俺は差し出された好意を選り分ける程クズじゃない。…一応、お前らが選んできたんだ。全部喰うさ」
「「「「「………!!」」」」」
想真が見せた、彼の誰かを想う一面。やっとあの冷徹な仮面が剥がれたと喜ぶ勇者達に想真の小さな声が響いた。
「む…流石に左手は喰い難いな」
「なら、私が食べさせてあげますよ!」
「いや、ここは私が」
「みんなは休んでて!私がやるよ!」
「……いえ、私が……!」
「いーや!ここはタマに任せタマえ!」
「あ、オイお前ら…!」
結局順番に食べさせて貰う事になった。最後の方は完全に冷めていたが、胸は何故か暖かかった。そして、いつも食べるうどんよりも何倍も美味しく感じたのは気のせいなのだろうかと、想真は疑問に思うのだった。
因みに、この全部載せのうどんを『勇者うどん』と呼んで度々食べる誰かが度々食堂に現れるようになったらしい…