だから、私は戦うんです。そうしないと、潰れてしまうから。
――藤木アリサ
諏訪
どんな辛い目に遭っても、人は必ず立ち上がれる――その言葉を支えにしていた。だから彼女は、いつだって前を向いていた。この閉じた世界で、理不尽に塗れた世界で、彼女の姿は何よりも眩しく見えた。
突き抜ける様な青空が広がっていた。夏の日差しが容赦なく地上に棲む者に降り注ぐ。
ここは長野県守屋山の麓近くにある平地。歌野と大人達は野菜を作る為の畑を耕している。
「皆さん、そろそろ休憩にしましょう!」
歌野の言葉で周囲の大人達も手を止め、首元に掛けているタオルで汗を拭った。今年の野菜は上手くできっかね、農耕機さえあればなぁ、贅沢は言えねぇよアホ、などと雑談しながら近くにある木陰に入る。日本の中でも避暑地として有名な長野だが、その実気温や日差しは他の地域となんら変わらない。真夏の農作業など、気を付けなければ即座に日射病になってしまうだろう。
(私にはとても出来ないなぁ…)
水都は苦笑しながらそう思う。特に今やっている畑を耕す作業は力が必要だから、そもそもの話女子中学生には難しい。むしろそれを楽しそうにこなす歌野が変なのだ。
確かに勇者の加護も有るのだろうが――
(――何より、うたのんが畑大好き人間だしね)
そんな事を思っていると、頬に棒のような物が当てられた。
「痛い痛い。トゲが痛いからキュウリを押し当てるのはやめて、うたのん」
「ひんやりしてて、いいでしょ?」
水都が振り返ると、キュウリを持った歌野の姿が有った。抱えている籠の中にはキュウリとトマトが沢山入っている。今日収穫された野菜だろう。
「今年も美味しくなってるわ。他の野菜も出来は上々ね」
歌野は包丁を取り出すと、刃の背で擦ってキュウリのトゲを落とす。そしてパキリと小気味良い音を立てて2つに割ると、その片方に齧り付いた。
「ん〜、やっぱり味も良し!みーちゃんも食べてみなよ!」
2つに割った片割れを水都に差し出してくる。水都は受け取って、小さな口でキュウリにかぷりと噛み付いた。夏野菜特有の心地よい冷たさと瑞々しさが、口の中いっぱいに広がる。
「おいひい」
「でしょ!」
「――じゃあその美味しいキュウリを、もっと美味しくするこの味噌はどうだい?」
「ほう、信州味噌ですか…ナイス!!」
「塩分補給も兼ねてるし、沢山食べてくれ。トマトに塩も最高だろ?」
「タツミさん。これ、今年の味噌ですか?」
「あぁ。この他にも醤油と味噌の樽が蔵に入ってるからな。今年もみんなに配れるくらいには出来たよ」
「流石我らが調味料番長ね!タツミ君もどう?」
ふらりと現れた青年にキュウリを差し出す歌野。だが、青年は首を横に振った。
「いや、生憎なんだけど今は満腹でさ。残念だけど遠慮しておく」
「そう…残念ね」
この青年の名は小川タツミ。本人曰く【ゴッドイーター】らしく、勇者である歌野と共にこの諏訪を守っている者の1人だ。彼は農作業にも参加しながら、様々な調味料を作ってはここに住む者に配っている。そのどれもが非常に美味しい為、皆からは調味料番長と呼ばれている(命名は歌野である)。
「俺は最初の頃のここを知らないけど、明るくなったな。途中から来た俺でも分かるよ」
「そうですね。本当に、本当に明るくなりました」
「ありゃ、まだ敬語は抜けないか」
「あっ、ごめんなさい」
「いや、謝んなくても良いよ。まだ親密度が足りてない証だからな!」
「じゃあ私の親密度はマックスなの?」
「そうだな!むしろ、限界すら超えてるかも知れないぜ?」
「ふふ、何それ」
戯れ合う2人を見ながら、水都は昔の諏訪の事を思い出す。今の諏訪はかなり前向きで、全員協力しながら生きているが昔からそうだった訳ではないのだ。
2015年にあった、初めてのバーテックスの襲来。それから3度に渡って襲撃は続き、人類の生存圏は限り無く小さくなった。そんな混乱の中で勇者として覚醒したのが歌野だ。歌野は勇者の力を使い、危険を顧みずに結界の外に出て多くの人々を救った。水都が歌野の事を知ったのもその時だ。
それから四国から通信があり、歌野は人々を護る勇者として。水都は神樹の声を勇者に伝える巫女として戰う様に、と言われた。だが、幾ら助けられようと歌野と水都の見てくれは幼い少女だ。そんな彼女達を長野の人達は信じ切れずにいた。
『今は苦しい状況ですが、きっと活路は見つかります。人間は何度でも立ち上がる事が出来る筈です!今はその時に備えて、みんなで力を合わせて暮らしていきましょう!』
だが歌野は諦めずに呼び掛け、1人で畑を耕し続けていた。
『結界の中で暮らしを保っていく為に、自活が必要です。畑を耕し、魚を獲りましょう!生き抜いていく為に!』
それでも歌野に同調する者は少なかった。こんなに狭く閉じた場所で生き残れる訳が無い。いずれ自分達は全滅する、と諦めていた。
それでも歌野は諦めず、例え1人でも自ら鍬を振るって畑を耕し続けた。
それでも執拗に繰り返されるバーテックスの襲撃。流石の歌野でも体力の限界か――そう思った時、ふらりとこの場所に迷い込んできたのがタツミだ。身の丈を超す程の大きな剣を引きずりながら歩き、服は擦れて破れ、身体には大小様々な傷が刻まれていた。そんなタツミを見捨てず、勇者と巫女の2人はタツミを手当し、命を繋ぐ事が出来た。
『助けて貰ったんだ、ちゃんと恩は返すよ。俺はアイツと違って旧型だけど…アイツに引けを取るとは思ってない』
タツミが言うアイツが誰なのか、それは誰にも分からない。だが、その言葉には自信が見えていた。その証拠に彼は身の丈を超える程の剣を軽々と操り、並み居るバーテックスを斬り捨てていた。
『…お前らより小さな女の子が頑張ってんのに、どうして信じてやらないッ!!何度も護って貰ったんだろ!?この畑を1人で耕したんだろ!?少しは信じてやれよ、協力してやれよ馬鹿共がッ!!』
それでも協力しない者達に、タツミは痺れを切らして叫んだ。新参者が何を、と思われたのかも知れない。だが、歌野の手に出来ているタコは耕し続けてきた事実を如実に物語っている。
その言葉が届いたのか、日に日に歌野に協力する者が多くなっていった。そうなってからも歌野は助けを求める者が居れば率先して助け、そこにタツミも入る事で効率を上げていった。
それから『辛い目に遭っても必ず立ち上がれる』という言葉が諏訪の合言葉となり、みんなで協力して生きているのだ。
「この音…!」
畑に設置されている柱の上に置いてあるスピーカーから、耳障りなサイレンが鳴り響く。この音はバーテックスが襲撃してきた合図だ。水都と大人達の顔に緊張が浮かぶ。だが、歌野とタツミだけは例外だ。
「スクランブル!勇者白鳥歌野、
「みんな、安心して避難してくれ。俺と歌野が負ける訳が無いからな!…水都ちゃん、ちょっとこっち来てくれ」
「…はい」
深刻そうな表情で水都だけを招き寄せるタツミ。どんな事が告げられるのか――そう思った水都に、タツミは囁いた。
「美味しい料理、作って待っててくれ。歌野も俺も、疲れて作れそうにないからな」
「…あんな深刻そうな表情で言います?普通」
「深刻だろ?美味しい料理は明日への活力だって歌野も言ってたしな。それじゃ、頼んだぞ水都ちゃん!」
それだけ言うとタツミは自宅へ向かう。扉を開け、安置してある神機を担いで襲ってきた場所へと向かう。中々の数だが、タツミは笑う。この程度ならまだ楽な方だ、と。
「さてと…任務開始だな」
神機を捕食形態に変形させ、すれ違いざまに1体捕食する。バースト状態になったタツミは明らかに速くなった身のこなしで次のバーテックスに飛び掛かると、神機を甲殻の隙間に突き刺して内部から喰らい尽くした。仲間という概念が無いバーテックスは死体ごとタツミを喰らおうとするが、素早く飛び退いたタツミは神機を振り下ろしてカウンターを見舞う。
「旧型でここまで生き残ってんだ、舐めんなよ」
旧型神機、それは変形が出来ない神機の事を指す。タツミの場合銃に変形出来ない為、遠距離から攻撃する手段は無い。装甲が展開出来るとは言え、最前線の敵の真っ只中で戦う事を強いられてきたのだ。生半可な腕前ではない。四方から突進してくるバーテックスの包囲網から跳躍する事で抜け出し、落下しながら斬り捨てる。
「っと、そろそろ捌くのも限界か…?…いや、大丈夫だな」
包囲され、徐々に距離を詰められるが焦らない。抜け出す手段は既に分かっているからだ。心の中で5秒数える。5秒後、包囲網が崩れる。そこに向かって走り出し、包囲網をまた形成しようとするバーテックスを捕食しながら走り、飛んでくる
「遅れちゃったわね。どう、怪我はない?」
「あと3分遅れてたらヤバかった。まぁ実際に怪我した訳じゃないし、どうでも良い事だ」
「よし、それじゃあ――」
「――あぁ、いつも通りにな」
『いつも通り』、それはタツミが前線に立ち歌野が中距離から支援するという、自然に定まった2人の戦闘スタイルだ。
歌野の使う鞭は諏訪を治める神の力だ。かつてその神は藤蔓を武器として使い、その藤蔓は敵の神が振るう鉄の武器さえも打ち砕いたという。その鞭に当たった者は被弾した箇所から腐食し、朽ち落ちて消滅する。それはタツミに当たっても同じだが、歌野は間違っても当てない上に当たりそうになればタツミは容易く躱す。と言うより、躱せなければこの戦い方は成立しないのだが。
「あなたで――」
「――ラストだな!!」
最後のバーテックスに鞭と斬撃を叩き込み、戦いが終わる。ふーっ、と吐息を漏らす2人が振り返ると、息を切らしている水都が見えた。
「水都ちゃん、来てたのか?危ないから来なくても大丈夫なのに」
「見に来た訳じゃないですよ」
「…?じゃあどうしてここに?」
息を整えた水都はタツミの目を見て言った。
「ご飯が出来たので、呼びに来たんです。作っておけって言われたので」
少し唖然とするタツミと歌野。だが、顔をゆっくりと見合わせると笑い出す。生の実感もそうだが、まるで外で遊んでいる子供を呼ぶかの様に2人を呼びに来た事に笑ったのだ。
「さっすがみーちゃんね、私達の事信頼してくれてるのが分かるわ!」
「全くだ。さて、歌野もお腹空かせてるだろうし、帰るか!」
「…でも、あなたは今日もレーションでしょ?」
「あぁ。
「要らないわよ。私達には自家製の野菜があるからね!ね、みーちゃん?」
「うん、そうだね。でもタツミさんも、しっかり野菜食べなきゃ駄目ですよ?」
「………あぁ、そうだな」
少し表情を暗くしたタツミは家路へ就く。その間にも喉が乾いたと、