暗い部屋の中で、彼は何もせずに座っていた。呼吸と瞬き、少しの身動ぎ以外何も行動を起こさない。何も入れていない胃は空腹を訴え、乾き切った喉は水分を求める。それでも彼は何も行動を起こさないでいた。本来は替えなければならない包帯もそのまま放置しており、穴が空いた右肩はじくじくと痛む。
「──なんで」
思い返すのは友奈の笑顔。バーテックスの包囲網の中に身を投じ、想真を助けて死んだ彼女の事だ。あの後、友奈が命を賭してバーテックスの大部分を殲滅し、残存したバーテックスを若葉が掃討して戦いは終わった。想真は直ぐ様大社に回収された後治療を施され、一命を取り留めた。医者曰く、ゴッドイーターでなければとっくの昔に死んでいてもおかしくなかったらしい。
想真からしてみれば、死ねば良かったのにと思わずにはいられないのだが。
「…望み過ぎたんだ。俺なんかが、人としての幸せなんて求めたのが間違いだった…!」
この現実は、その報いだ。そう思わずにはいられなかった。想真が、
──人間らしさを取り戻せば取り戻す程、苦しむ事になる。それが解っていながら、俺は──
「っ、あああああぁぁぁぁぁっ!!!」
近くにあった机の脚を殴る。常人よりも力が強い想真が本気で殴った机の脚はへし折れ、乗っていた物が地面に散らばる。何が乗っていたから分からない。だが、目の前に落ちた写真の自分と目が合った瞬間、全身から力が抜けた。
「──あ」
「──生き、てる…?」
「当たり前でしょ、あなたに死なれたら困るんだから。私を引き留めてるんだから、そう易々とは死なせないわよ」
「…お前、は…」
目が覚めた想真は部屋のベッドに横たわっていた。衰弱した身体は発奮した精神に着いて来れず、意識をシャットダウンしたらしい。脳が無理にでも身体を休めようとしているのか、ロクに身体は動かない。
そんな想真の汗を拭い、手当てをしていたのは歌野だった。想真を憎悪していてもおかしくない彼女が、身体的にも精神的にも満身創痍の彼を手当てしている事が不思議でならなかった。寝首を搔くにはこれ以上無い程の好機だったろうに。
「…軽蔑したろ。あんな綺麗事でお前を助けようとした俺が、今じゃこんなザマだ。…笑えない冗談だ」
「ええ、全く面白くないわよ、そんな冗談。…まぁ、その気持ちは痛い程分かるわよ。文字通り、ね」
そう言う歌野の手首に巻かれた包帯は一部が赤黒く変色している。掻き毟ったのか、それとも刃物で傷付けたのか。どういった手段でやったのかは分からないが、少なくとも、そんな事をした理由は明白だ。
「…俺は弱くなった。力じゃなくて、心が脆くなった」
「………………」
「死ぬのが怖い、死なれるのが怖いんだ。前の俺なら簡単に切り捨てられたのに、今は想像するだけで身体が動かなくなる。今まで無数の犠牲を無視して生きてきたのにな」
同情して欲しい訳では無い。叱って欲しい訳でも無い。ただ、聞いて欲しいだけだ。許して欲しいなんて思わない。許されるなんて思っていない。だって、想真は歌野の大事な人を…自分の親友を、殺したのだから。
「あなたは、タツミを殺した」
「そうだ」
「だから、あなたを恨もうとした。…いいえ、1度は恨んだわ。その為にリハビリを死ぬ気で乗り切って、もう1度戦おうとして、精霊に拒まれた」
「………」
そう、歌野は勇者としての資格を失った。身体は動いても戦えない。恨む相手と同じ土俵に立つ事すら出来ないのだ。
「…みーちゃんに言われて、考え直そうとしたわ。あなたの選択はベストではなくてもベターなもので、仕方無かった事だって。でも、無理だった。どんな理由があってもタツミを殺したあなたを恨まなきゃ、
彼女にとって、それが真実だった。想真の思惑通り、彼が恨まれる事で歌野が再起する理由にはなっていたのだ。
「──でもあなたの戦う様を見て、考え直そう…いえ、考え直さなきゃいけないって思ったわ」
「…そんな事は無い、恨んでて良いんだ。恨まれて当然なんだよ、俺は!」
想真は歌野からある気配を感じた。それは想真にとっては至上の甘露であり、想真を殺す毒となるモノの気配。狂う程に求め続け、与えられたが故に人に戻ってしまった忌まわしいモノ。その名は──『赦し』と呼ばれるモノだ。
「やめろ!お前はっ、
──人間に、戻ってしまう。
言葉にならない言葉だが、歌野には伝わった。彼が死の恐怖を乗り越える為には化け物で在り続けねばならない。だからこそ、彼を化け物と呼び続ける存在が必要なのだ。故に彼は赦される事を拒む。誰よりも罪を赦される事を渇望しながらも、血涙を流して茨の道を歩むのだ。
「──は?あなたは人間でしょ?いい加減、臍を曲げんのもやめなさいよ」
そんな覚悟を、真正面から踏み荒らすのがこの白鳥歌野という少女なのだが。他の勇者には出来ない行為だろう。彼女達にとって想真は大事な存在で、それ故に彼の覚悟を尊重してしまう。だが、歌野にとってはそんな事一切関係無い。彼女が馬鹿らしいと思えばそうハッキリと断じる事が出来る、唯一の存在であった。
「良い?あなたは人間よ。死ぬのが怖くて、大事な人が死んで悲しんでる。化け物がそんな感情抱くと思ってるの?」
「それは、俺が弱くなったから──」
「だ、か、ら!!その考えが間違ってるの!あなたは弱くなってなんかない!普通に戻っただけよ、それが正常なの!」
「正常な思考で戦い抜ける訳が無いだろ!相手は化け物なんだ、こっちだって化け物にならなければ──」
「──タツミは、人のまま戦い抜いたわよ」
「…ッ!!」
そう言われ、言い返せなくなる。その言葉を否定する事はタツミの死に様を愚弄する事と同義だからだ。
「…私が伝えたい事は言うだけ言ったわよ。あとはあなた次第、良く考えて。あなたは人間なのか、それとも本当に化け物になるのか」
そう言って部屋を出ていく歌野。残された想真は痛む右肩を押さえ、その痛みを噛み締めて呟いた。
「………人間か、化け物か………」