勇敢に戦い散っていった勇者の御魂は神樹の中に迎えられ、土地神と共に人の営みを見守っているという。
実際に高嶋友奈の遺体が樹海の中から消えていた事から、魂は迎え入れられている事は判明したがその理由等は未だに不明のままであり、大社の一部からはそれによって神樹を疑問視する声も上がっている。
「…心地良いな」
独り言が空に溶ける。想真は河原に設置した椅子に座って脱力し、ボーッと空を眺めていた。白い雲が常に形を変え、青い空を流れていく。川のせせらぎは存在感を主張し過ぎず、それでも確かに存在する事を教えてくれる。木々のざわめきは耳に優しく、戦闘の騒々しさを拭い去ってくれるような気がした。
想真は薄目で張ってあるテントの横を見やる。そこにはピカピカに磨かれたオレンジと白のマウンテンバイクが駐輪されている。そのマウンテンバイクは当然想真の物ではない。その持ち主とは──
「──球子」
今は亡き、土居球子であった。
「想真、お前は息抜きをした方が良い。ずっとここに缶詰では気も滅入るだろう」
想真が1人でキャンプをする事になったのは、若葉のこの言葉が理由だった。初め、想真は乗り気ではなかった。と言うより、実現する事は不可能だと思っていたのだ。
「…俺は外に出れやしない。人殺しだぞ、俺は」
「誰にも止められはしないさ。もう、そんな事を言っている場合ではないだろうからな」
そう言って若葉は笑う。浮かべた笑顔はとても見ていられない程に悲痛なもので、尚更傍を離れる訳にはいかないと意思を新たにする。
「酷い顔だろう?解ってはいるんだが、どうしてもな…」
「それが解ってるんなら、どうしてそんな事を言い出す?」
「…お前が居ると、私も気を抜けないのさ。お前も同じだろう?神託は下っていないからな。1度ガス抜きをしなければ、どちらも潰れてしまう。この際、一気にやってしまおうと思ってな」
「成程…理屈は通っている。…とは言え、俺に趣味なんて高尚なモノは無い。結局寝て終わるだろうよ」
「ふむ…それなら、キャンプなんてどうだ?」
「キャンプ?」
昔、球子と2人でキャンプした時の夜を思い出す。確かに、今思えば楽しかったと言えるだろう。
「やろうにも──」
「──道具が無い、か。お前が嫌でなければ、の話だ」
想真の発言を先読みした若葉が、前置きをした上で言葉を紡ぐ。
「球子の道具を使えば良い。寝袋等は新品を買うとして、その方が手間も掛からないだろう?」
「…そう、か。分かった、そうする事にする」
そんな訳で、想真は短い休暇を与えられたのだ。
「──ドキドキ、ね」
そう言って読んでいた本を閉じる。その表紙は巷で噂の恋愛小説である。杏が好きだった事を思い出し、暇を潰す為に購入した本だ。正直に言えば、想真にとってはそこまで面白くはない内容だったが、それでも想真にとっては有意義な時間だ。杏はこういう本が好きだったのだと、彼女が死んだ後にも想真の中に新たな記憶が刻まれたのだから。それは対話しているのと変わらないのだと、想真はそう思っている。
「…少し、眠いな」
唐突に睡魔が襲い掛かる。初めは抗おうとするが、今は休暇だった事を思い出す。たまにはこういうのも悪くは無いと、想真は意識を手放すのだった。
綺麗な風景が目の前を流れていく。並んで笑い、共に歩く想真と千景。そんな2人を快活そうな声が呼び止める。
『想真先輩、千景先輩!待って下さいよ!』
立ち止まり、呼吸を整えているのは制服の上にオレンジのジャージを羽織る少女──球子だ。その後ろから小走りで着いてくるのは杏だろう。
『友奈はもう行ってますから、私達も行きましょう!』
『もう学校は終わったのだし、敬語は要らないわよ、土居さん』
『え?そうか、そうだよな。よし!あんずも来たし、出発しんこーう!!』
『いつでもタマっち先輩は元気だね。…ちょっと落ち着いて欲しいけど』
『でも、そこが土居さんの良い所でしょう?』
『そうなんですよね、困った事に』
そう言って笑う杏に、想真の顔も自然と綻ぶ。カバンを持つ右手に違和感を感じながら、想真は3人と一緒に歩く。少し歩いた先に、ジェラートを食べたあの店が鎮座していた。
『あっ、ソーマ君達!もー、待ちくたびれたよ!』
『いやー、悪い悪い!』
『タマっち先輩の補習が長引いたせいだからね?』
『……そういうことね』
『いやっ、違うんだよ!これはそう、うん、たまたまで…』
『私は別に気にしないけど、乃木さんが怒るわよ。ね、想真?』
「…あぁ、そうだな。バレたらアイツからも補習を喰らうだろうな」
『ゲッ、それだけは勘弁だな…あの、この事はどうか秘密に…頼むよ…』
「運が良かったな。今日は生徒会の仕事で来れないだろうから、お前がボロを出さなきゃバレないと思うぞ。…ここに居る全員が黙っててくれたら、の話だけどな」
『大丈夫だ!なっ、タマ達仲間だろ?』
『…………』
『…………』
『…………』
「…………」
『おーーーい!!なんで黙るんだよぉぉぉぉ!!』
『…冗談よ。でも、次は無いわよ。頑張りなさい』
『うぅ…分かってるよ。ありがとな、千景』
『ねぇみんな、早く入ろうよ。こんなにお店の前で喋ってたら迷惑になっちゃうかもだし』
『そうですね。タマっち先輩の処遇は美味しいジェラートでも食べながら決めましょう』
『まだその話すんのかよ…悪かったってあんずぅ…』
「球子をイジめるのもその辺にしておいてやれ、杏。そろそろ拗ねるかも知れないからな」
『…そうですね。ごめんね、タマっち先輩』
『た、タマは寛大だからな、気にしないぞ!』
『声、震えてるわよ』
そう言ってジェラート店に入っていく面々。1歩引いた所からその様子を見守る想真は笑みを浮かべる。中々動かない想真に気付いたのか、友奈が想真に声を掛ける。
『どうしたの、ソーマ君。早く行こうよ!』
「…いや、俺は行けないな」
『…どうして?』
「夢は覚める…覚めなきゃいけない、そうだろ?千景」
有り得たかも知れない、そんな【もしも】の話だ。もしバーテックスが襲撃してこなかったら…もし千景と想真があの村から出られたなら…勇者達が全員同じ学校だったなら…そんな、到底有り得る訳が無い想真にとって都合の良過ぎる世界だ、
制服に袖を通した事は1度しか無い。そうだ、この学生服はレクリエーションで杏に着させられた制服だったと思い出す。とても優しい世界だ。何故かは解らないが、この店に入ったら戻れなくなるという確信が想真にはあった。
『…そうよ。これは夢、でもあなたが作り上げたものじゃない…』
『ここは、神樹様の力で創られた空間です。私達は生前の私達の思考とある程度の記憶をコピーした存在です。…偽物と言えば偽物ですけど、本物と言えば本物。そんな曖昧なモノなんですよ』
「…神樹か」
『うん。神樹様がソーマ君に、戦うかどうか訊いてるの。戦いたくないって言うならソーマ君は神樹様の中にお迎えされて、英霊になるんだってさ』
ある意味、それは進化と言えるのかも知れない。只人の身であった想真がバーテックスの因子を取り込んでゴッドイーターとなり、そのゴッドイーターの身から次は神々の集合体である神樹に迎えられる。今まで頑張って戦い抜いてきた褒美としては破格とも言える。戦いから解放されて、静かに休む。何度も何度も、暇さえあれば神に希ってきた事だ。正に願ってもないこと、受け入れない理由が無い。
「──駄目だ。俺は英霊なんかにはならない、戦うさ」
だが、想真は断った。死した勇者達に驚きの表情は無い。先を促すような表情を感じ取り、想真は言葉を紡ぐ。
「魅力的な提案だったが、悪いな。俺の仲間は全員勇敢に戦って死んだ。ゴッドイーターも、勇者もな。…だから、俺だけが静かな所で死ぬなんて事は俺自身が許さない」
『じゃあ戦うのか?辛くて痛くて苦しくて、何も得るものなんて無いのに』
球子の表情はとても悲しそうだ。事実、悲しんでいるのだろう。報われない戦いに再び赴こうとする想真の事を。
──本当に、バカが付くくらい優しいな、お前は。
「俺は人間じゃない。だが、化け物でもない。俺はゴッドイーターだ。この命が有る限り神を喰らう事が使命で、神に喰われる事が似合いの末路だ。だから戦わないなんて道は、初めから無いんだ」
それは余りにも虚しい言葉だった。死の恐怖を押し殺し、空っぽな【覚悟】という殻に閉じこもった言葉。それを聴いた球子は諦めたように笑う。
『…はは。もう無理なんだな、想真…タマ達じゃ、結局お前が失ったものを取り戻してあげられなかった』
「馬鹿を言うなよ、球子」
『…え?』
「俺がどうして1人でキャンプしてるのか…それは、お前らが居たからだ。そうでなきゃ、例え若葉に休めと言われても俺は自分の部屋で腐ってただろうよ」
『想真さん…』
「死ぬのが怖いなんて思ったのは…思えたのは、きっとお前らのお陰だ。俺はしっかりと失くしたものを取り戻せてるよ」
『…あなたは、死んでしまうのよ…?なのに、どうしてそんなに笑えるのよ!』
珍しく声を荒らげた千景に少し驚く。だが、それで少しだけ安心した。優しい千景のまま、神樹へと迎えられたのだと。千景だけではない。全員変わらず、優しい少女のままだと。
「後悔はある。やり直しなんて、何度望んだか分からない。…俺はゴッドイーターになった事を、未来永劫呪い続ける。…でも、戦った事だけは誇れる。アイツらと肩を並べて戦って、お前らに背中を預けて戦ったっていう事実だけは褪せる事は無い」
その言葉を言い終えると共に世界が白く、薄くなっていく。この世界は想真に最後の選択肢を与える為の世界だ。死にゆく覚悟を固めた想真を説得する事は不可能だと神樹も理解しているのだろう、世界が解けていく。周りの風景が薄れ、目の前の4人も足元から透け始めている。
『…時間ですね。これ以上は神樹様の結界への影響も懸念されますし、これが本当の【お別れ】になりますね』
「そうか…【お別れ】か」
杏の言う【お別れ】が、本来その言葉が持つものよりも遥かに重い意味合いなのは言わずとも分かった。もう2度と会えないだろう。少なくとも、バーテックスの因子が混ざっている想真が彼女達と同じ場所に行く事は叶わないだろう。人を殺した事が有るのだから、尚更だ。
「まぁ、精一杯足掻いてみるさ。少なくとも、若葉だけは死なせない。…俺、頑張るからさ。だから、見ててくれよ」
『……ソーマ君!!』
先程まで静かだった友奈がいきなり大きな声を上げると、想真の手に何かを握らせてくる。その目には涙が滲んでおり、それを見ていると何故か想真も胸の奥から何かが込み上げてくる感覚に襲われる。
『これ、お守りに持ってて!あと、私達は絶対に、ず〜〜っとソーマ君の味方だよ!いつだって私達は傍に居るから、忘れないでね!!』
白に塗り潰された視界の中で聞こえてくるその声が、とても頼もしく聞こえた。
「──もう、夜か。…どうやら、あれは夢じゃないらしい」
目が覚めた時、想真の視界に広がるのは満天の星空だった。何かを握る右手を空に掲げると、想真は見覚えの無い組紐を握っていた。紫がかった青、淡い桃色、陽だまりのような橙、上品な印象を受ける紫、血のように鮮やかな紅、そして雪のような白の6色の組紐だ。
「若葉、友奈、球子、杏、千景…最後の白は俺か?…良いセンスしてるな、本当に」
言葉と笑みを零すと、左腕に組紐を結ぶ。そういったアクセサリーは着けた事が無いので違和感を覚えるが、直ぐに無くなるだろう。冥土の土産には充分すぎる、自分には勿体無い逸品だと、想真はそう思った。
「さて、夕飯でも──ん?」
立ち上がった時、誰かに呼び止められたような、そんな事は無いような。言葉にし難い感覚に囚われる。もしかして、ある考えに辿り着いた想真は口角を上げて呟いた。
「──悪かった、勿体なくなんて無いよな。嬉しいよ、ありがとな」
夜風が、そっと頬を拭った。