何度も何度も書き、消された形跡のある手帳。日記のようにも見えるが、書いてある内容は取り留めのないものや忘れたくなかったであろう内容など、統一性は特に無い。
手帳の終盤は所々濡れた形跡やインクが液体で滲んだ形跡があり、読む事が難しい箇所が見られる。
だいきらい
──嫌いだ。
そんな言葉が灰色の壁に吸い込まれていく。何の味気もない灰色の壁は少女の言葉に何も返さない。ただ、少しだけ反響するだけだ。
──大人も、世界も。全部嫌いだ。
少女には何も無かった。何も与えられず、どうにかして得たものは奪われ、押し付けられたのは苦痛と右手に着けられた
──でも、何も出来ない臆病な私が…1番大嫌いだ。
ガチャン、と音がして扉が開く。差し込む蛍光灯の光に顔を顰める。顔を隠した2人組みの大人と、見たくもないが見慣れてしまった大型のアタッシュケースが見えて、少女は諦めたように笑んだ。
「…本当に、嫌になるね」
「本日から側仕えとして配属される事となった、
屋敷に応接間で、そんな言葉が響く。室内の壺や絵画を見ると、その家の格式が高い事が窺える。大した教養は無いが、それくらいなら少女──『香月立花』にも理解が出来た。
そんな立花の分析を他所に、立花の自己紹介を対面で聞いていた少女は戸惑っているように見えた。【勇者様】と立花が呼んだその少女の名前は『
「そ、側仕え?そんなの要らないよ〜、気遣っちゃうし…」
「気を遣う必要はありませんよ、勇者様。私は飽くまで側仕え、貴方の道具です。私の存在が気になるのなら言い付けて頂ければ、極力視界に入らないように行動致します」
「え、えぇ…?」
立花の目はしっかりと園子を見つめてはいるが、その実どこも見ていない。そのように見えた。園子が今まで関わってきた大人は勇者としての園子を畏れ、敬っているが故の敬語でありその距離感だったが、目の前の少女からはそんな感情を全く感じない。目の前の人間が勇者だと全く思っておらず、故に敬意は無い。ただ
「じゃあ、リッちゃんは敬語禁止ね〜」
脈絡も無く言い渡された言葉に、立花は目を瞬かせる。そんな反応を見て園子は笑った。
「…その、リッちゃんという名前は私の渾名ですか?」
「そうだよ?リッカちゃんだからリッちゃん、シンプルで良い名前でしょ〜」
「まあ、乃木様がそう思うのなら私からは何も言いませんが…敬語禁止の理由をお聞きしても?」
「私、あんまりお友達が居なくてね〜。だから、リッちゃんからしたらお勤めなこかも知れないけど、私の事を知って貰って、私もリッちゃんの事を知って、良いお友達になりないんだ〜。だから命令なんかじゃなくて、これはお願いになるのかな?」
「お願い…」
『お願い』。そんな言葉を最後に言ったのはいつだろうか。そもそも、自分の事を他者に願う事を止めたのはいつからだろう、と立花は思う。
思い出すのはあの暗い部屋の中。鉄の格子戸の中から連れ出され、大人2人に手をしっかり掴まれた。加減などしないその握力に痛みを感じた。そして眩しい光に目が暗み、一瞬だけ怯む。そんな立花を無理やり金属製のベッドの上に寝かせ、立花の右手を隣の機械に嵌め込む。
そこから『ある物』が地下からせり出して、立花は『ソレ』に触れる事を拒否する。『ソレ』に触れる事は不味い事だと、幼いながらも知っていたから。それでも大人達は立花を解放する事は無く、
「──リッちゃん?大丈夫、疲れてる?」
園子の声で記憶の澱から現実に引き戻される。自分を見つめる園子の表情は本当に心配そうで、だからこそ立花は気を引き締める。目の前の者は自分とは違うのだ、と。園子達勇者は成功作、真打。対する立花は失敗作であり、贋作に過ぎない。
「…すいません」
「あ〜、敬語〜!!」
「善処しま…善処、する…よ」
そう言ってどうにか園子の『お願い』に対応しようとする立花を見て、園子は嬉しそうな表情を浮かべる。
浮かれている、という表現に全く違わない様子で立花を宛てがわれた部屋に案内する園子の後ろで、立花は他人事のように心中で呟いた。
──あぁ、また怒られる。
お待たせしました、わすゆ編です。わすゆ編はあまり長くならない…と信じたいですね()